ストラトヴァリウス (Stratovarius ) は、フィンランド 出身 しゅっしん のパワーメタル ・バンド 。
「ヨーロッパ 」「TNT 」らと並 なら び、早 はや くから活動 かつどう する北欧 ほくおう メタル の代表 だいひょう 的 てき グループ。ジャーマンメタル 勢 いきおい と共 とも に、欧州 おうしゅう のパワーメタル/シンフォニックメタル の一角 いっかく を担 にな った。
初期 しょき 使用 しよう のシンボル (アルバムヴィジョンズ からストラトヴァリウス まで)
1982年 ねん 、ヘルシンキ でトゥオモ・ラッシーラ (Dr.Vo)、スタファン・ストロールマン(G)、ジョン・ヴィヘルヴェ(B)の3名 めい により結成 けっせい 。当初 とうしょ は『BLACK WATER』というバンド名 めい で活動 かつどう しており、音楽 おんがく 性 せい もブラックサバス やオジー・オズボーン に影響 えいきょう を受 う けたハードロック バンドであった。1984年 ねん 末 すえ にベーシスト のジョンが脱退 だったい し、ユルキ・レントンが加入 かにゅう 。1985年 ねん にリーダーのラッシーラが、ギター のストラトキャスター とヴァイオリン のストラディヴァリウス を掛 か け合 あ わせてバンド名 めい をストラトヴァリウスとする。なお、のちに加入 かにゅう するティモ・トルキ (当時 とうじ G,Bass,Vo)のメイン使用 しよう 楽器 がっき はストラトキャスターではなく、時期 じき により違 ちが いはあるが、ストラトタイプをベースとしたソロイスト系 けい のギターを使用 しよう することが多 おお い。
1985年 ねん にギタリストのスタファンが脱退 だったい 、代 か わりにティモ・トルキが加入 かにゅう 。それまでヴォーカルも担当 たんとう していたトゥオモの音域 おんいき が狭 せま かったこともあり、トルキがひとまずギタリスト兼 けん ヴォーカリストとなる。1986年 ねん にトルキの兵役 へいえき のため1年間 ねんかん の活動 かつどう 停止 ていし をはさんだ後 のち 、ライヴ活動 かつどう の場 ば をフィンランド本国 ほんごく からスカンジナビア半島 はんとう へと広 ひろ げていった。
1987年 ねん にCBSフィンランドに送 おく ったデモが目 め に止 と まり、1988年 ねん 『Future Shock 』でシングルデビュー。同 おな じ頃 ごろ にキーボーディストのアンティ・イコーネン が加入 かにゅう 。1989年 ねん はシングル『Black Night 』とファーストアルバム『フライト・ナイト 』をリリースするが売 う り上 あ げは伸 の びなかった。当時 とうじ の音楽 おんがく 性 せい はリッチー・ブラックモア やレインボー 、バロック音楽 おんがく に影響 えいきょう を受 う けたトルキの加入 かにゅう でネオクラシカルメタル 寄 よ りである。なお、当時 とうじ 日本 にっぽん 未 み 発売 はつばい であった『フライト・ナイト 』は、「BURRN! 」でレビューされた際 さい 、「国籍 こくせき 不明 ふめい (オランダ ?)」と表記 ひょうき されていた。
1991年 ねん 、CBSフィンランドから契約 けいやく を切 き られ、メンバーが自費 じひ でスタジオ代 だい を払 はら いデモテープ を制作 せいさく をする。1992年 ねん 始 はじ め、レコード会社 かいしゃ 移籍 いせき の際 さい にベーシストのユルキが脱退 だったい し、ヤリ・ベヘムが加入 かにゅう するが、ほとんどプレイすることなく翌年 よくねん に解雇 かいこ されている。ブルーライトレコードからアルバム『Stratovarius II 』をフィンランド国内 こくない のみで1000枚 まい ほどリリース。10月 、ドイツのShark Recordsから『Stratovarius II』をジャケットを代 か えて2ndアルバム『トワイライト・タイム 』としてヨーロッパ全土 ぜんど で発表 はっぴょう 。翌 よく 1993年 ねん 、シングル『Break the Ice 』を発表 はっぴょう 。日本 にっぽん 国内 こくない では『Twilight Time』が輸入 ゆにゅう 版 ばん チャートベスト10に5ヶ月 かげつ 間 あいだ ランクインし、1993年 ねん の輸入 ゆにゅう 版 ばん 年間 ねんかん チャート1位 い となった。日本 にっぽん 盤 ばん は1993年 ねん 6月 がつ にビクターエンタテインメント より発売 はつばい された。
1994年 ねん から加入 かにゅう したティモ・コティペルト (Vo) 2009年 ねん
1993年 ねん 、3rdアルバム『ドリームスペース 』のレコーディング途中 とちゅう より、ベーシストのヤリ・カイヌライネン が加入 かにゅう 。1994年 ねん 2月 がつ 、3rdアルバム『ドリームスペース』が日本 にっぽん でリリース。アルバムからは『Wings of Tomorrow 』がシングルカットされた。ヨーロッパではノイズレコード 所属 しょぞく のT&T Recordsに移籍 いせき 。5月には日本 にっぽん 未 み 発売 はつばい だった1stアルバム『FRIGHT NIGHT』が日本 にっぽん でもリリースされ、6月 がつ に初 はつ 来日 らいにち 公演 こうえん が行 おこな われた。トルキは歌 うた うことをやめギターに専念 せんねん するために音楽 おんがく 雑誌 ざっし でヴォーカリストを募集 ぼしゅう し、ティモ・コティペルト が加入 かにゅう 。翌年 よくねん リリースされた4thアルバム『フォース・ディメンション 』はよりメロディックパワーメタル 色 いろ を濃 こ くしていく。
1995年 ねん 、来日 らいにち 公演 こうえん も行 おこな ったFourth Dimensionツアー終了 しゅうりょう 後 ご 、キーボードのアンティとオリジナルメンバー・元 もと リーダーでドラムスのラッシーラが、新 あら たなリーダーとなったトルキから解雇 かいこ される。二人 ふたり の代 か わりに加入 かにゅう したのがイングヴェイ・マルムスティーン やDio などで活躍 かつやく していたスウェーデン人 じん キーボーディストのイェンス・ヨハンソン とメコンデルタやレイジ などで活躍 かつやく していたドイツ人 じん ドラマーのヨルグ・マイケル 。トルキは二人 ふたり と面識 めんしき があったわけではなく、今回 こんかい の件 けん で初 はじ めて二人 ふたり の連絡 れんらく 先 さき を調 しら べデモテープを送 おく ったところ加入 かにゅう の承諾 しょうだく をもらった。1996年 ねん 、5thアルバム『エピソード 』発表 はっぴょう 。コティペルトの表現 ひょうげん 力 りょく 上達 じょうたつ 、それぞれ名手 めいしゅ として名 な の知 し れたヨルグとイェンスの力 ちから により、音楽 おんがく 性 せい により一層 いっそう 深 ふか みが出 で た作品 さくひん となる。『ウィル・ザ・サン・ライズ 』と『ファザー・タイム 』がシングルカット。
1996年 ねん 、6thアルバム『ヴィジョンズ 』を発表 はっぴょう 。コティペルトの作詞 さくし が積極 せっきょく 的 てき に採用 さいよう されている。このアルバムはヨーロッパや日本 にっぽん で大 だい ヒット。アルバムに伴 ともな うツアーも大 だい 成功 せいこう を収 おさ めた。翌年 よくねん 発表 はっぴょう されたヨーロッパツアーを収録 しゅうろく した初 はつ の2枚 まい 組 ぐみ ライブアルバム『ヴィジョンズ・オブ・ヨーロッパ 』では観客 かんきゃく の熱狂 ねっきょう ぶりをうかがうことができる。アルバムからシングルカットされた『ブラック・ダイアモンド 』と『キッス・オブ・ジューダス 』はストラトヴァリウスの代表 だいひょう 曲 きょく となり、ライヴでかかせない曲 きょく となった。同年 どうねん 、ニュークリア・ブラスト に移籍 いせき のため、ノイズレコード時代 じだい の初 はつ のベストアルバム『ザ・パスト・アンド・ナウ 』を発表 はっぴょう 。
人気 にんき の拡大 かくだい と商業 しょうぎょう 的 てき 成功 せいこう [ 編集 へんしゅう ]
1998年 ねん 、7thアルバム『デスティニー 』発表 はっぴょう 。フィンランドチャートで1位 い を獲得 かくとく しているヒット作 さく となり、アルバムに伴 ともな うツアーも成功 せいこう した。翌年 よくねん 、各国 かっこく のボーナストラックやライブ音源 おんげん でできたコンピレーションアルバム『The Chosen Ones 』もフィンランドチャートで7位 い に入 はい り、名実 めいじつ 共 ども にフィンランドのトップバンドとなった。『It's a Mystery 』が一部 いちぶ の国 くに でシングルカットされている。2000年 ねん 発表 はっぴょう の8thアルバム『インフィニット 』はフランス特別 とくべつ 盤 ばん には4曲 きょく もボーナストラックがついており、ヨーロッパでの絶大 ぜつだい な人気 にんき を現 あらわ している。やや暗 くら い楽曲 がっきょく が多 おお かった『ディスティニー』からのシングルカットは『SOS 』だけであったが、キャッチーな曲 きょく が多 おお い『インフィニット』からはライブでの定番 ていばん 曲 きょく である『ハンティング・ハイ・アンド・ロー 』『ア・ミリオン・ライト・イヤーズ・アウェイ 』がシングルカットされている。『Infinite』はフィンランドでゴールドディスク に輝 かがや き、INFINITE FINNISH TOUR leg2の最終 さいしゅう 日 び である12月25日 にち にゴールドディスク授与 じゅよ 式 しき が行 おこな われた。
2000年 ねん はソナタアークティカ 、ラプソディー・オブ・ファイア と共 とも にツアーを行 おこな っている。このツアーの後 のち 、バンド活動 かつどう を一時 いちじ 休止 きゅうし し、この間 あいだ トルキとコティペルトはそれぞれソロ活動 かつどう を行 おこな った。また、同年 どうねん には日本 にっぽん のみのベストアルバム『14 Diamonds 』がリリースされている。
2003年 ねん 1月 がつ 、9thアルバム『エレメンツ・パート1 』発表 はっぴょう 。以前 いぜん の作品 さくひん よりも大作 たいさく が多 おお くシンフォニックメタル やプログレッシブメタル 調 しらべ の楽曲 がっきょく が多 おお い作品 さくひん となった。本来 ほんらい は同年 どうねん 11月 がつ リリースの10thアルバムの『エレメンツ・パート2 』と共 とも に2枚 まい 組 ぐみ の予定 よてい であったが、レコード会社 かいしゃ より難色 なんしょく を示 しめ されたため1枚 まい ずつのリリースとなった。地球 ちきゅう や人間 にんげん の要素 ようそ である火 ひ ・水 みず ・風 ふう ・土 ど をコンセプトにしたアルバムであり、それぞれPt.1は「火 ひ と水 みず 」Pt.2は「風 ふう と土 ど 」がテーマとなっている。トルキによる思想 しそう や人生 じんせい 観 かん 、生 い きることを描 えが いた歌詞 かし がほとんどであり、全曲 ぜんきょく トルキによる作詞 さくし ・作曲 さっきょく である。
イタリア・ミラノ公演 こうえん (2005年 ねん 11月)
2003年 ねん 12月 、ヨルグとコティペルトがトルキとの確執 かくしつ により脱退 だったい 。コティペルトは自分 じぶん の楽曲 がっきょく がアルバムに採用 さいよう されない不満 ふまん をBurrn!誌 し のインタビューで漏 も らしている。2004年 ねん 1月 がつ 、後任 こうにん として、イェンスの兄 あに であるハンマーフォール のドラマーアンダース・ヨハンソン のサポート加入 かにゅう が伝 つた えられるが、1ヶ月 かげつ もしないうちにアンダースは離脱 りだつ 。ヴォーカルにはカタリーナ・ウィーアラー (通称 つうしょう :ミスK)という口 くち から血 ち を流 なが したブラックメタル 風 ふう のメイクをした女性 じょせい が加入 かにゅう 。しかし。ファンからは公式 こうしき サイトに今 いま までのストラトヴァリウスの音楽 おんがく 性 せい と全 まった く違 ちが う雰囲気 ふんいき の女性 じょせい ヴォーカルの加入 かにゅう を批判 ひはん する声 こえ が寄 よ せられた。
2004年 ねん 、ヨルグとコティペルトは脱退 だったい 後 ご もレコード会社 かいしゃ との契約 けいやく 履行 りこう のため、幾 いく つかの音楽 おんがく フェスティバルにバンドの一員 いちいん として出演 しゅつえん した。2月 がつ 29日 にち 、スペイン ・グラナダ の音楽 おんがく フェスティバルの翌日 よくじつ 、トルキが路上 ろじょう で襲 おそ われ、カッターナイフ で左肩 ひだりかた を切 き り付 つ けられ、顔 かお に打撲 だぼく を負 お うという事件 じけん が起 お きた。二人 ふたり の脱退 だったい 前後 ぜんこう から公式 こうしき サイトで過激 かげき な発言 はつげん を繰 く り返 かえ していたトルキは後 のち に躁鬱病 そううつびょう と診断 しんだん され、数ヶ月 すうかげつ 入院 にゅういん 静養 せいよう をした。2005年 ねん になり、ヨルグとコティペルトの復帰 ふっき 宣言 せんげん があり、以前 いぜん のラインナップでの活動 かつどう 再開 さいかい が発表 はっぴょう されると、ミスK(Vo)は音源 おんげん 発表 はっぴょう もライブ活動 かつどう もしないまま、事実 じじつ 上 じょう 、脱退 だったい ということになった。
同年 どうねん 9月 がつ 、11thアルバム『ストラトヴァリウス 』発表 はっぴょう (日本 にっぽん 先行 せんこう 発売 はつばい は8月 がつ )。バンドの復活 ふっかつ は祝福 しゅくふく をもって受 う け入 い れられたが[ 4] [ 5] 、後 のち にトルキはこのアルバムが好 す きでないとインタビューで答 こた えている。2005年 ねん 秋 あき 、ベーシストのヤリが脱退 だったい 。シナジー やコティペルトのソロプロジェクトのベーシストであるフィンランド人 じん ベーシストラウリ・ポラー が代 かわ って加入 かにゅう し、ヨーロッパ・北米 ほくべい ・日本 にっぽん を含 ふく むアジア・南米 なんべい への大 おお きなツアーが行 おこな われた[ 6] 。
ティモ・トルキ(G) 2007年 ねん
2007年 ねん 秋 あき からはニューアルバムのレコーディングに入 はい る。ほぼ完成 かんせい していたにもかかわらず、2008年 ねん 3月 がつ にトルキがニューアルバムを白紙 はくし に戻 もど し、楽曲 がっきょく をそのまま自 みずか らの新 しん プロジェクトレヴォリューション・ルネッサンス で使用 しよう し、レコーディングに入 はい ると発表 はっぴょう 。ストラトヴァリウス版 ばん のデモ・ヴァージョンは7月 がつ 下旬 げじゅん にインターネット上 じょう に流出 りゅうしゅつ した。その後 ご 、4月 がつ 3日 にち にトルキがストラトヴァリウスの解散 かいさん 声明 せいめい を発表 はっぴょう [ 7] 。文中 ぶんちゅう で「バンドではあったが友達 ともだち ではなかった」とメンバーとの不仲 ふなか を吐露 とろ する内容 ないよう であった[ 8] 。しかし、トルキ以外 いがい の4名 めい のメンバーはバンドの存続 そんぞく を表明 ひょうめい 。6月 がつ にはトルキの後任 こうにん としてラウリの知人 ちじん であるフィンランド人 じん ギタリスト、マティアス・クピアイネン を迎 むか え、ニューアルバムの制作 せいさく に着手 ちゃくしゅ することを発表 はっぴょう した。
一方 いっぽう 、ティモ・トルキは初期 しょき メンバーのトゥオモ、アンティを呼 よ び戻 もど し、正式 せいしき なラスト・アルバムをレコーディングすることを表明 ひょうめい 。5月 がつ 20日 はつか にストラトヴァリウスのバンド名 めい および過去 かこ の作品 さくひん や新作 しんさく からの売 う り上 あ げ配分 はいぶん も拒否 きょひ し、イェンス・ヨハンソンとティモ・コティペルトに譲 ゆず る正式 せいしき 書類 しょるい にサインしたことを明 あき らかにした[ 9] 。これに対 たい し、コティペルトはトルキへの敬意 けいい を表 あらわ しつつも、旧 きゅう メンバーを迎 むか えてのトルキらによるアルバム制作 せいさく はないと表明 ひょうめい [ 10] 。10月、コティペルト・イェンス・ヨルグ・ラウリ・マティアスの新 しん 体制 たいせい でストラトヴァリウスとして活動 かつどう 宣言 せんげん 。ニューアルバムのレコーディングに入 はい った。これに対 たい しトルキは嫌悪 けんお 感 かん を露 あらわ にするコメントをしている[ 11] 。
フィンランド・ヘルシンキ公演 こうえん (2013年 ねん 6月 がつ )
2009年 ねん 5月、新 しん 体制 たいせい で『ポラリス 』を発表 はっぴょう 。本 ほん 作 さく 発表 はっぴょう 前 まえ にトルキとカイヌライネンが脱退 だったい したこともあり、長年 ながねん 使用 しよう されたバンドロゴもシンボルマークも一新 いっしん された。1曲 きょく 目 め の『ディープ・アンノウン 』がシングルカット。2008年 ねん 4月 がつ から2010年 ねん 1月 がつ まで、ヨーロッパ・アジア・北 きた 南米 なんべい を縦断 じゅうだん する大 だい 規模 きぼ なツアーが行 おこな われ、9月には来日 らいにち 公演 こうえん も行 おこな われた。
2010年 ねん 11月24日 にち には新曲 しんきょく 2曲 きょく を収録 しゅうろく したミニアルバム『ダーケスト・アワーズ』を発表 はっぴょう 。プロモーションのためにハロウィン の『7シナーズ』ツアーに同行 どうこう する。しかし、ヨルグ・マイケルが癌 がん と診断 しんだん されたため、代役 だいやく のドラマーをたててライヴを行 おこな った。
年明 としあ け2011年 ねん 1月 がつ 12日 にち には13作 さく 目 め となるアルバム『エリジウム』をリリース。好調 こうちょう なセールスをみせ、1998年 ねん に発表 はっぴょう した『デスティニー 』以来 いらい 、久々 ひさびさ にフィンランドチャート1位 い に輝 かがや いた。
また同年 どうねん 1月 がつ のツアー終了 しゅうりょう をもってヨルグ・マイケル脱退 だったい が発表 はっぴょう された。脱退 だったい 理由 りゆう は「個人 こじん 的 てき なもの」とされている。なお、11月18日 にち から26日 にち までヨルグのためのフェアウェル・ツアーが本国 ほんごく フィンランドで行 おこな われた。
2012年 ねん 6月 がつ 、オーディションの結果 けっか 、ロルフ・ピルヴ が新 あたら しいドラマーとして加入 かにゅう 。
2013年 ねん 2月 がつ 、14作 さく 目 め となるアルバム『ネメシス 』をリリース[ 12] 。3月からはネメシスツアーを開始 かいし した。LOUD PARK13 に出演 しゅつえん 。
2015年 ねん 9月 がつ 、15作 さく 目 め となるアルバム『エターナル 』をリリース[ 13] 。翌年 よくねん 2016年 ねん までのツアーを開催 かいさい 。同年 どうねん 秋 あき にアルバム『エピソード』発表 はっぴょう 20周年 しゅうねん 記念 きねん ヨーロッパツアーが行 おこな われた。
2022年 ねん 9月 がつ 、16作 さく 目 め となる7年 ねん ぶりのアルバム『サバイブ 』をリリース。
ティモ・コティペルト(Vo) 2017年 ねん
イェンス・ヨハンソン(Key) 2017年 ねん
ラウリ・ポラー(B) 2017年 ねん
マティアス・クピアイネン(G) 2017年 ねん
ロルフ・ピルヴ(Ds) 2017年 ねん
ギタリスト
ベーシスト
ドラムス
ヴォーカル
キーボード
メンバー在籍 ざいせき 時期 じき についてはストラトヴァリウスの歴代 れきだい メンバー一覧 いちらん 表 ひょう 参照 さんしょう のこと
日本 にっぽん のヘヴィメタル雑誌 ざっし 『BURRN! 』1997年 ねん 5月 がつ 号 ごう において、広瀬 ひろせ 和生 かずお (編集 へんしゅう 長 ちょう )、前田 まえだ 岳彦 たけひこ 、奥野 おくの 高久 たかひさ が、アルバム「Visions」(1997年 ねん リリース)に対 たい して下 くだ した評価 ひょうか の内容 ないよう (他 た アーティスト(例 れい :イングヴェイ・マルムスティーン、クイーンズライク 、ロイヤル・ハント )との比較 ひかく 等 とう )を、ファンが英訳 えいやく (『BURRN! 』があたかも誹謗 ひぼう 中傷 ちゅうしょう をしているように捉 とら えられるよう悪意 あくい を込 こ めて)し、トルキ側 がわ にFAX で送付 そうふ した。(実際 じっさい に前田 まえだ は日本 にっぽん デビュー以来 いらい 不変 ふへん のネオクラシカル的 てき 音楽 おんがく 性 せい をやや茶化 ちゃか したレビューを書 か いていた。)
FAXの内容 ないよう を見 み たティモ・トルキは激怒 げきど 、『BURRN!』編集 へんしゅう 部 ぶ に対 たい し抗議 こうぎ のFAXを送付 そうふ したが、(レビューで比較 ひかく 対象 たいしょう となったロイヤル・ハント は日本 にっぽん でしか知名度 ちめいど のないビッグ・イン・ジャパン 、ANGRA は
ハロウィン のアマチュアコピーバンド、クイーンズライク は落 お ち目 め で彼 かれ らのアルバム(「ヒア・イン・ザ・ナウ・フロンティア」と思 おも われる)に同 どう じ81点 てん を付 つ けた奥野 おくの を聴覚 ちょうかく 障 さわ がい者 しゃ 扱 あつか い、ネオクラシカルメタルに疎 うと い(というトルキの主観 しゅかん )前田 まえだ 、奥野 おくの にレビューをさせないフェア・ウォーニング を『BURRN!』は不当 ふとう に優遇 ゆうぐう しているなどと罵倒 ばとう している。)広瀬 ひろせ はトルキからのFAXの内容 ないよう を誌面 しめん 上 じょう (1997年 ねん 7月 がつ 号 ごう )で公開 こうかい し、自身 じしん のコラムにて反論 はんろん を展開 てんかい した。なお、この件 けん に関 かん しては後 のち にトルキ側 がわ が謝罪 しゃざい したことで一旦 いったん は和解 わかい した。しかし、それから3年 ねん 後 ご の『BURRN!』2000年 ねん 4月 がつ 号 ごう (『インフィニット 』リリース当時 とうじ )のインタビューでトルキは、藤木 ふじき 昌生 まさお の「コティペルトに無理 むり なハイトーンを歌 うた わせるのはやめてほしい」との発言 はつげん に対 たい し「(コティペルトのハイトーンは)ファンが望 のぞ んでいるからやっている」「編集 へんしゅう 長 ちょう のヒロセはコティペルトの声 こえ が気 き に入 い らないようだ」「俺 おれ 達 たち はファンのために曲 きょく を作 つく っているのであって、評論 ひょうろん 家 か のためにやっているわけじゃない」といった反論 はんろん を展開 てんかい した。両者 りょうしゃ の関係 かんけい に再 ふたた び緊張 きんちょう が走 はし ったかにもみえたが、トルキはその後 ご も『BURRN!』誌 し のインタビューは受 う けている。なお、このFAXの件 けん はトルキが独断 どくだん で行 おこな ったものであるとされ、コティペルトら他 た のメンバーは後 のち に『BURRN!』のインタビューでこの件 けん を尋 たず ねられるまで一切 いっさい 知 し らなかったという。
初恋 はつこい (1996年 ねん のテレビドラマ) - アルバム『Episode』収録 しゅうろく の「Forever」が劇 げき 中 ちゅう でしばしば使用 しよう されていた。
スパイ・ゾルゲ - 2003年 ねん の日本 にっぽん 映画 えいが 。アルバム『Infinite』収録 しゅうろく の「Infinity」がテレビCMと予告編 よこくへん に使用 しよう された(映画 えいが 本編 ほんぺん では使用 しよう されていない)。
梅野 うめの 孝明 たかあき - 日本 にっぽん のシュートボクサー。アルバム『Destny』収録 しゅうろく の「Anthem Of The World」を入場 にゅうじょう 曲 きょく に使用 しよう 。
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