リッチー・ブラックモア
リッチー・ブラックモア Ritchie Blackmore | |
---|---|
レインボー - | |
Richard Hugh Blackmore | |
1945 | |
イングランド サマセット | |
ジャンル |
ハードロック[1] ヘヴィメタル[2] |
ミュージシャン、ギタリスト、 | |
ギター | |
1961 | |
レーベル |
ポリドール・レコード BMG |
ディープ・パープル レインボー ブラックモアズ・ナイト | |
blackmoresnight.com | |
フェンダー・ストラトキャスター | |
リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore,
1970
ローリング・ストーン
概要 [編集 ]
ブルースロック
ステージでのストラトキャスターの
少年 時代 [編集 ]
イングランド
1956
14
下積 み時代 (1961年 - 1966年 )[編集 ]
1960
1961
1963
1966
ディープ・パープル時代 (1967年 - 1975年 、1984年 - 1993年 )[編集 ]
1967
1984
レインボー時代 (1975年 - 1984年 、1995年 - 1997年 )[編集 ]
1975
1984
ディープ・パープル
その
ブラックモアズ・ナイト期 (1997年 - 現在 )[編集 ]
1997
ロシア、ドイツ、チェコでは、アルバムの
アルバム『ダンサー・アンド・ザ・ムーン』(2013
ナイトは
2010年代 以降 (2010年 - 現在 )[編集 ]
2015
2016
音楽 性 [編集 ]
それまでペンタトニック・スケール
プロになった
ジミ・ヘンドリックスからの影響 [編集 ]
ブラックモアはジミ・ヘンドリックスの
ディープ・パープルはデビュー・アルバムで、ヘンドリックスがカバーした「ヘイ・ジョー」(Hey Joe)をカバーした。 また『ディープ・パープル・イン・ロック』の「スピード・キング」は、
ブラックモアは1969
ディープ・パープルが1968
レインボーのアルバム『
使用 機材 [編集 ]
ハード・ロック
ディープ・パープル
エフェクターは1970
ブラックモアズ・ナイトでは、アコースティック・ギターを
結婚 歴 [編集 ]
1964
2
3
ブラックモアズ・ナイトで
ディスコグラフィ[編集 ]
ソロ作品 [編集 ]
コンピレーション(1960
- Ritchie Blackmore – Rock Profile Vol. 1 (1989
年 )[42] - Ritchie Blackmore – Rock Profile Vol. 2 (1991
年 )[43] - Ritchie Blackmore – Take It! Sessions 63/68 (1994
年 )[44] - Ritchie Blackmore – Anthology Vol.1 (1998
年 )[45] - Ritchie Blackmore – Anthology Vol.2 (1998
年 )[46] - Ritchie Blackmore – Getaway – Groups & Sessions (2005
年 )[47]
ディープ・パープル[編集 ]
スタジオアルバム
- 『ハッシュ』 - Shades of Deep Purple (1968
年 ) - 『
詩人 タリエシンの世界 』 - The Book of Taliesyn (1968年 ) - 『ディープ・パープル III』 - Deep Purple - (1969
年 ) - 『ディープ・パープル・イン・ロック』 - Deep Purple in Rock (1970
年 ) - 『ファイアボール』 - Fireball(1971
年 ) - 『マシン・ヘッド』 - Machine Head (1972
年 ) - 『
紫 の肖像 』 - Who Do We Think We Are (1973年 ) - 『
紫 の炎 』 - Burn (1974年 ) - 『
嵐 の使者 』 - Stormbringer (1974年 ) - 『パーフェクト・ストレンジャーズ』 - Perfect Strangers (1984
年 ) - 『ハウス・オブ・ブルー・ライト』 - The House of Blue Light (1987
年 ) - 『スレイヴス・アンド・マスターズ』 - Slaves and Masters (1990
年 ) - 『
紫 の聖戦 』 - The Battle Rages On (1993年 )
ライブアルバム
- 『ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』 - Concerto for Group and Orchestra (1969
年 ) - 『ライヴ・イン・ジャパン』 - Made in Japan (1972
年 ) - 『イン・コンサート』 - Deep Purple in Concert (1980
年 ) - 『カリフォルニア・ジャム 1974』 - California Jam 1974 (1974
年 ) - 『ブラック・ナイト= 24カラット』 - 24 Carat Purple (1975
年 ) - 『ライヴ・イン・ロンドン』 - Live in London (1982
年 ) - 『メイド・イン・ヨーロッパ』 - Made in Europe (1976
年 ) - 『
紫 の神 技 〜ライブ・イン・カリフォルニア・ロング・ビーチ・アリーナ1976』 - King Biscuit Flower Hour Presents: Deep Purple in Concert (1995年 ) - 『パワー・ハウス』 - Powerhouse (1977
年 ) - 『ネブワース'85』 - In the Absence of Pink: Knebwoth '85 (1991
年 ) - 『ノーバディーズ・パーフェクト』 - Nobody's Perfect (1988
年 ) - 『ライヴ・
紫 の閃光 』 - Come Hell or High Water (1994年 )
コンピレーション
- 『パープル・ロール』 - When We Rock, We Rock, and When We Roll, We Roll (1978
年 ) - 『ディーペスト・パープル』 - Deepest Purple: The Very Best of Deep Purple (1980
年 )
レインボー[編集 ]
ブラックモアズ・ナイト[編集 ]
その他 [編集 ]
- Lord Sutch And Heavy Friends – Hands Of Jack The Ripper(1972
年 )[48] - Neil Christian & The Crusaders – Featuring Jimmy Page, Ritchie Blackmore And Nicky Hopkins(1993
年 )[49]
脚注 [編集 ]
注釈 [編集 ]
- ^
過去 にミドルネームをハロルド(Harold)と表記 するメディアがあったが、誤 りである。 - ^
本人 は、フレットを押 さえる時 に小指 が使 えるのは、その時 のレッスンが生 きているから、と述 べている。 - ^ Popoff
著 の"The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979)"によると、ブラックモアは1961年 5月 から1962年 4月 までの期間 、Mike Dee & The Jaywalkersに在籍 してプロになった。一方 、彼 はThe Dominatorsというバンドともステージに立 ったという。 - ^ Popoffによると、1962
年 4月 と5月 はThe Jaywalkers改 めThe Condors、6月 から10月 12日 まではロード・サッチ・アンド・ザ・サヴェイジスで演奏 した。 - ^ 『リッチー・ブラックモア:
狂気 の雷 舞 』によれば、この経験 は、その後 のショーマンとしてのリッチー・ブラックモアの形成 に大 きく貢献 している。 - ^ 1962
年 8月 に発表 され、イギリスのバンドのレコードとして初 めてビルボードの第 一 位 を記録 したインストゥルメンタル。 - ^ 「トーネイドース」「トーネイドーズ」「トルネイドス」「トルナドース」とも
呼 ばれる。 - ^ Popoffによると、ブラックモアはジ・アウトローズに1962
年 10月 から1964年 4月 まで在籍 。ジ・アウトローズは1962年 10月 26日 にビートルズ、1964年 3月 18日 にはローリング・ストーンズの前座 を務 めた。1964年 3月 18日 はブラックモアの最初 の結婚式 の日 でもあった。 - ^ Popoffによると、その
他 The Sessions、Ritchie Blackmore Orchestra、The Lancasters、1965年 にはNeil Christian and the Crusadersと活動 した。 - ^ Popoffによると、1965
年 2月 から5月 にかけてスクリーミング・ロード・サッチ・アンド・ザ・サヴェイジスでの活動 とジェリー・リー・ルイスの伴奏 を行 ない、その後 1966年 にかけて、スリー・マスケティアーズ、Riki Maiocchi、再 びNeil Christian and the Crusadersと活動 した。 - ^ 1967
年 のヨーロッパ公演 ではロード・カエサル・サッチ&ザ・ローマン・エンパイア(Lord Caeser Sutch & The Roman Empire)と名乗 り、ブラックモアを含 むメンバー全員 がサッチと同様 に騎士 の格好 をしてステージに立 った。クリームの前座 を務 めたこともあった。 - ^ Popoffによると、Neil Christianとも
活動 した。 - ^
当時 ハンブルグに住 んでいたブラックモアはイタリアに向 かう船 の中 でペイスに出会 った。ペイスが当時 在籍 していたザ・メイズは1967年 1月 からミラノに3か月 間 滞在 して"Chips With Everything"という舞台 の音楽 を担当 していた。後日 両者 はハンブルグで再会 してクラブで一緒 に演奏 し、ブラックモアはペイスのドラミングを気 に入 って一緒 に活動 しようと誘 ったが、ペイスはザ・メイズの仕事 を優先 して断 わった。 - ^
旧 メンバーは、ツアー・メンバーとして参加 したチャック・バーギ(ドラムス)のみ。 - ^ ハンドヴィブラートはクラプトンから
直接 習 ったが、習得 するのに数 年 かかったと語 っている。 - ^ ロジャー・グローヴァーの
談話 、後 にブラックモアも認 めた。 - ^
人気 が下降 気味 だったストラトキャスターの人気 を復活 させたのはヘンドリックスの功績 だと広 く語 られている。 - ^ ただしブラックモアは、ギターをステージやPAスピーカーの
角 に擦 りつけ振 り回 す、投 げ上 げる、踏 みつける等 のアクションのあと、ネックから破壊 するスタイルだった。 - ^ ブラックモアが
直接 ヘンドリックスと会話 を交 わしたかどうかは不明 。 - ^
初期 は鉄製 の太 い物 へ、中期 以降 はステンレスへ交換 。 - ^ 1975
年 頃 、レインボー時代 の電 飾 『虹 』に起因 するノイズ対策 の為 、ジョン・ドーク・スティルウェルがPUコイルのリワイア、ワックス含浸 とピックガード裏 全体 に銅版 シールドの改造 を行 った。Dawk Sound Limited - ^
年 式 は特 に拘 っていないが、70年代 前半 は特 に1969年 製 の貼 りメイプル/BLK 「初 来日 前 に行 われた全米 ツアー中 に誤 って破壊 してしまった」、1971年 製 のワンピース・メイプル/SB「後 にヘッドストックの下 が割 れてしまった状態 で使用 し続 けたのは有名 」、1972年 製 のナチュラル/メイプル機 を愛用 し、70年代 中期 以降 は1974年 製 のホワイト/ローズ、1976年 製 のホワイト/ローズを中心 に愛用 。 - ^ アルバム『ディープ・パープル・イン・ロック』(1970
年 )、『ファイアボール』(1971年 )で、そのサウンドが聴 ける。 - ^
本人 は野球 が嫌 いなので「五角形 」と呼 んでいる。
出典 [編集 ]
- ^ リッチー・ブラックモア 2022
年 11月29日 閲覧 - ^ ディープ・パープル 2022
年 11月29日 閲覧 - ^ a b c d
三木 千寿 『リッチー・ブラックモア:狂気 の雷 舞 』より。 - ^ Popoff (2016), p. 14.
- ^ Popoff (2016), p. 15.
- ^ Popoff (2016), p. 16.
- ^ Popoff (2016), p. 17.
- ^ Popoff (2016), p. 18.
- ^ a b Popoff (2016), p. 19.
- ^ Popoff (2016), pp. 19, 21.
- ^ Popoff (2016), pp. 19, 20, 21.
- ^ a b c Popoff (2016), p. 23.
- ^ a b Popoff (2016), p. 25.
- ^ “Discogs”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。 - ^ Popoff (2016), pp. 27, 30.
- ^ “storyofsavages.blogspot.com”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。 - ^ Popoff (2016), p. 30.
- ^ Popoff (2016), pp. 30, 31.
- ^ Popoff (2016), p. 33.
- ^ Popoff (2016), p. 87.
- ^ “Discogs”. 2024
年 1月 10日 閲覧 。 - ^
酒井 康 (2003-06-04), Ghost of a Roseの日本語 版 ライナーノーツ, ヤマハミュージック, p. 5 - ^ リッチー・ブラックモア、ついにレインボー&ディープ・パープル
公演 、ジョー・リン・ターナー「リッチー・ブラックモアと何 かやる」 - Barks - ^ Ritchie Blackmore Official facebook
- ^ リッチー・ブラックモアのハードロック
回帰 は限定 的 、新生 レインボーでワールドツアーやアルバムはないと発言 - amass - ^ リッチー・ブラックモアズ・レインボー、いよいよ
再 復活 - BARKS - ^ リッチー・ブラックモア、ロックの
殿堂 入 り欠席 を正式 に表明 - Barks - ^
夢 にまで見 た、これが新生 レインボー - BARKS - ^ リッチー・ブラックモアズ・レインボー、「Burn」をプレイ - BARKS
- ^ “リッチー・ブラックモアズ・レインボー、
上昇 し続 けるパフォーマンス”. BARKS (2019年 6月 18日 ). 2020年 6月 10日 閲覧 。 - ^ Popoff (2016), pp. 44, 45.
- ^ シンコー・ミュージック・ムック The Guitar Man : RBギターズ、 P116~P117
参照 ISBN 978-4-401-63258-9 - ^ シンコー・ミュージック・ムック The Guitar Man : RBギターズ、P100, P118~122から
引用 ISBN 978-4-401-63258-9 - ^ シンコー・ミュージック・ムック The Guitar Man : RBギターズ、P101、P116
参照 ISBN 978-4-401-63258-9 - ^ アンプヘッド MARSHALL MAJOR - MODEL 1967
改良 版 を1968年 に入手 、1993年 の再 脱退 まで使用 。 - ^ “BIO”. Official Site of J.R.Blackmore. 2010
年 7月 15日 閲覧 。 - ^ “Events 1969”. Sixties City. 2010
年 5月 24日 閲覧 。 - ^ Popoff (2016), p. 61.
- ^ “DPAS Magazine Archive. Darker Than Blue, 1981”. 2010
年 5月 24日 閲覧 。 - ^ “Between Us”. Candice Night Official Website (2006
年 7月 ). 2010年 5月 24日 閲覧 。 - ^ “RITCHIE BLACKMORE, Longtime Girlfriend CANDICE NIGHT Tie The Knot”. Blabbermouth.net. (2008
年 10月 13日 ). オリジナルの2011年 6月 6日 時点 におけるアーカイブ。 2010年 5月 24日 閲覧 。 - ^ “Discogs”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。 - ^ “Discogs”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。 - ^ “Discogs”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。 - ^ “Discogs”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。 - ^ “Discogs”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。 - ^ “Discogs”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。 - ^ “Discogs”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。 - ^ “Discogs”. 2024
年 1月 11日 閲覧 。
引用 文献 [編集 ]
- Popoff, Martin (2016). The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979). Bedford, England: Wymer Publishing. ISBN 978-1-908724-42-7
参考 文献 [編集 ]
三木 千寿 (1977年 ). リッチー・ブラックモア:狂気 の雷 舞 . シンコー・ミュージック- リッチー・ブラックモア
研究 会 , ed (1993年 ). 『リッチー・ブラックモア ディープ・パープル編 / レインボー編 』. シンコー・ミュージック -
天才 ギタリストシリーズ『リッチー・ブラックモア』. シンコー・ミュージック. (1998年 ) - シンコー・ミュージック・ムック The Guitar Man : RBギターズ . シンコー・ミュージック. (2008
年 )