(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマス - Wikipedia コンテンツにスキップ

ソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
Soraluze-Placencia de las Armas
しゅう  バスクしゅう
けん  ギプスコアけん
コマルカ バホ・デバ(デババレナ)
面積めんせき 14.22 km²
標高ひょうこう 111m
設立せつりつ 1343ねん10がつ15にち
人口じんこう 4,018 にん (2013ねん
人口じんこう密度みつど 282.56 にん/km²
住民じゅうみん呼称こしょう Placentino/na
Soraluzetarra
守護しゅご聖人せいじん きよしロクス(サン・ロケ)
Soraluze-Placencia de las Armasの位置(スペイン内)
Soraluze-Placencia de las Armas
Soraluze-Placencia de las Armas
スペインないソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマスの位置いち
Soraluze-Placencia de las Armasの位置(ギプスコア県内)
Soraluze-Placencia de las Armas
Soraluze-Placencia de las Armas
ギプスコア県内けんないソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマスの位置いち

北緯ほくい4310ふん29.2びょう 西経せいけい224ふん42.2びょう / 北緯ほくい43.174778 西経せいけい2.411722 / 43.174778; -2.411722座標ざひょう: 北緯ほくい4310ふん29.2びょう 西経せいけい224ふん42.2びょう / 北緯ほくい43.174778 西経せいけい2.411722 / 43.174778; -2.411722

ソラルセバスク: Soraluze)またはプラセンシア・デ・ラス・アルマススペイン: Placencia de las Armas)は、スペインバスクしゅうギプスコアけんムニシピオ基礎きそ自治体じちたい)。公式こうしきめいりょう言語げんごあいだにハイフンをはさんだSoraluze-Placencia de las Armas(ソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマス)。

名称めいしょう[編集へんしゅう]

スペインめい[編集へんしゅう]

1343ねんにはプラセンシア(Placencia)としてまち建設けんせつされた。たような名称めいしょうはありふれており、エストレマドゥーラ地方ちほうカセレスけんプラセンシア、イタリアのピアチェンツァ(Piacenza)、ビスカヤけんプレンシア(Plencia)など、中世ちゅうせい初期しょき建設けんせつされたほか村落そんらくおな形態けいたいである。むらまち建設けんせつしたおう領主りょうしゅもちいた「よろこびのために」を意味いみするラテン語らてんごのフレーズ、「ut Placeat」(英語えいごではfor pleasure)に由来ゆらいするとかんがえられている。カセレスけんプラセンシアの自治体じちたい標語ひょうごは「Deo et ut Placeat hominibus」(かみひとよろこびのために)である。

バスクめい[編集へんしゅう]

バスク名称めいしょうはかつてSoraluceとつづり、現代げんだい正書法せいしょほうではSoraluze(日本語にほんごでのみはいずれもソラルセ)とつづられる。ソラルセとはこのまち設立せつりつされた場所ばしょ旧称きゅうしょうであるとされる。おうはエルラエヒア(Herlaegia)の住民じゅうみんめいじ、かつてソラルセとばれていた場所ばしょにプラセンシアのむら設立せつりつされた。1397ねんにはむら代表だいひょうはじめて開催かいさいされたギプスコア地方ちほう総会そうかい出席しゅっせきし、議事ぎじろくによるとプラセンシア・ソラルセ(Placencia Soraluce)という名称めいしょうもちいた。

バスクのsoroは「原野げんや」や「にわ」を意味いみし、luzeは「ながい」を意味いみするため、Soraluzeは「なが原野げんや」や「なが果樹かじゅえんとう意味いみする。実際じっさいにこのまちデバがわ形成けいせいしたせまたに位置いちしており、地勢ちせい名称めいしょうがよく一致いっちしている。

バスク口語こうごではPlaentzia(プラエンツィア)、Plazentzia(プラセンツィア)、Plaentxi(プラエンチ)、Plaentxia(プラエンチア)などのかたがある。これらの「伝統でんとうてき」な名称めいしょうとはべつに、「歴史れきしてき」な名称めいしょうとしてSoraluze(ソラルセ)がある。2005ねんまで、エウスカルツァインディア(バスクアカデミー)はSoraluzeとPlaentziaを同義どうぎみとめていた。

武器ぶきまち」の追加ついか[編集へんしゅう]

16世紀せいきのこのまち武器ぶき産業さんぎょうおおいに発展はってんしていた。住民じゅうみんはもはや自分じぶんまちをプラセンシア・ソラルセとぶことはなく、「武器ぶきのプラセンシア」という意味いみつプラセンシア・デ・ラス・アルマスとぶようになった。1970年代ねんだい民主みんしゅ移行いこうまでは武器ぶき産業さんぎょうがこのまち基盤きばんだった。

ソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマス[編集へんしゅう]

1988ねんには自治体じちたい公式こうしきめい変更へんこう。バスクめいとスペインめいをハイフンでむすんだ「Soraluze-Placencia de las Armas」(ソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマス)となった。ぜん公式こうしきめいであるため、公文書こうぶんしょではつね自治体じちたいめいは「Soraluze-Placencia de las Armas」と表記ひょうきされる。住民じゅうみん呼称こしょう形容詞けいようしけい)はスペインがplasencia(プラセンシア)、バスクがsoraluzetarra(ソラルセタラ)またはplaentxiarra(プラエンチアラ)である。

地理ちり[編集へんしゅう]

ソラルセのまちギプスコアけん西部せいぶにあり、デバがわ形成けいせいするせまたに位置いちする。デバがわアラサーテ/モンドラゴンベルガラながれたのちにソラルセの市街地しがいちとおり、エイバル東方とうほうエルゴイバルながれてデバビスケーわんそそいでいる。やまちかこ山々やまやまゆるやかな斜面しゃめんっており、左岸さがん山々やまやま標高ひょうこうやく300-500m、右岸うがん山々やまやま標高ひょうこうやく700-800mである。市街地しがいち北東ほくとう方向ほうこうには標高ひょうこう749mのカラカテやまがそびえている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1343ねんにはカスティーリャおうアルフォンソ11せいによって、プラセンシア(Placencia)としてまち建設けんせつされた。それ以来いらいあらゆる種類しゅるい武器ぶき製造せいぞうかかわってきており、まち建設けんせつにはプラセンシア・ソラルセとばれていたが、15世紀せいきにはまち主要しゅよう産業さんぎょうにちなんで、スペイン武器ぶき意味いみするラス・アルマスが名称めいしょうくわえられた。

かつては武器ぶき製造せいぞうがソラルセの産業さんぎょう独占どくせんしていたが、19世紀せいきまつには機械きかい製造せいぞうおこな企業きぎょうあらわれた。機械きかい産業さんぎょうは1960年代ねんだいにピークにたっし、ザ・プラセンシア・デ・ラス・アルマス・カンパニー・リミテッドがまち牽引けんいんする企業きぎょうとなった。まちにあった王立おうりつ銃器じゅうき工場こうじょうは20世紀せいきなかばに武器ぶき製造せいぞうえている。1950ねん人口じんこうは3,552にんだったが、カスティーリャ・イ・レオン地方ちほうガリシア地方ちほうエストレマドゥーラ地方ちほうアンダルシア地方ちほうなどからの国内こくない移民いみんあつめ、1970ねんには5,659にんまで増加ぞうかした。20世紀せいきまつにはスペインの機械きかい産業さんぎょう自体じたい低迷ていめいし、1970ねんから2001ねんまでのやく30年間ねんかん人口じんこうが1,500にんほど減少げんしょうした。

現在げんざいのソラルセに拠点きょてん企業きぎょう大半たいはん機械きかい/金属きんぞく製品せいひん製造せいぞうしており、自動車じどうしゃ部品ぶひん工作こうさく機械きかい工場こうじょう重要じゅうよう位置いちめている。デバがわたににあるまちはいずれもソラルセ同様どうようだい産業さんぎょう産業さんぎょう基盤きばんとしている特性とくせいっており、エイバルは「武器ぶきまち」、エルゴイバルは「工作こうさく機械きかいしゅ」という愛称あいしょうち、アラサーテ/モンドラゴン家電かでんファゴール自転車じてんしゃオルベア内包ないほうするモンドラゴン協同きょうどう組合くみあい企業きぎょう本拠地ほんきょちとしてられる。

政治せいじ[編集へんしゅう]

ソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマス議会ぎかい選挙せんきょ結果けっか
政党せいとう 2015[1] 2011[2] 2007[3]
得票とくひょうりつ 議席ぎせきすう 得票とくひょうりつ 議席ぎせきすう 得票とくひょうりつ 議席ぎせきすう
エウスカル・エリア・ビルドゥ (EH Bildu) / ビルドゥ(Bildu) 44.05% 5 41.43% 5 - -
バスク民族みんぞく主義しゅぎとう (EAJ-PNV) 31.57% 4 30.51% 4 25.17% 3
バスク社会党しゃかいとう (PSE-EE) 17.92% 2 17.23% 2 20.20% 2
国民党こくみんとう (PP) 4.11% 0 6.87% 0 7.63% 1
エスケル・バトゥア=ベルデアク (EB-B) - - 1.6% 0 - -
バスク民族みんぞく主義しゅぎしゃ行動こうどう (EAE-ANV) - - - - 26.54% 3
バスク連帯れんたい (EA) - - - - 15.4% 2
エスケル・バトゥア=ベルデアク/アララール (EB-B/A) - - - - 4.17% 0

人口じんこう[編集へんしゅう]

ソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマスの人口じんこう推移すいい 1900-2010
出典しゅってん:INE(スペイン国立こくりつ統計とうけいきょく)1900ねん - 1991ねん[4]、1996ねん - [5]

交通こうつう[編集へんしゅう]

スペインの首都しゅとマドリードからギプスコアけんサン・セバスティアンてイルンにかう国道こくどうAP-1号線ごうせんはデバだに沿ってはしっているが、ソラルセのまち短絡たんらくしている。AP-1号線ごうせん並行へいこうして県道けんどうGI-627号線ごうせんはしっており、この県道けんどうはソラルセ市街地しがいち通過つうかしている。

ソラルセのまち自体じたい鉄道てつどう路線ろせんかよっていないが、北西ほくせいやく3-4kmはなれたエイバルやエルゴイバルにはバスク鉄道てつどうえきがあり、サン・セバスティアンやビスカヤけんビルバオかう列車れっしゃはしっている。みなみやく4kmはなれたベルガラは、かつてバスク=ナバーラ鉄道てつどうスペインばん終着駅しゅうちゃくえきだった。この鉄道てつどうはベルガラからモンドラゴンをとおってアラバけんビトリアいたった。ビトリアで運行うんこう系統けいとうわり、エガがわ沿いをとおってナバーラ地方ちほうエステーリャいたっていた。この鉄道てつどうは1967ねん廃止はいしされた。

出身しゅっしんしゃ[編集へんしゅう]

姉妹しまい都市とし[編集へんしゅう]

ソラルセ=プラセンシア・デ・ラス・アルマスの姉妹しまい都市としは、いずれもPlacenciaという名称めいしょうかかわりがある自治体じちたい/教区きょうくである。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Resultados elecciones municipales Placencia de las Armas 2015”. スペイン内務省ないむしょう. 2015ねん10がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ Resultados elecciones municipales Placencia de las Armas 2011”. スペイン内務省ないむしょう. 2011ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ Resultados elecciones municipales Placencia de las Armas 2007”. スペイン内務省ないむしょう. 2011ねん5がつ24にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2011ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  4. ^ Poblaciones de hecho desde 1900 hasta 1991. Cifras oficiales de los Censos respectivos.
  5. ^ Cifras oficiales de población resultantes de la revisión del Padrón municipal a 1 de enero.

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]