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タブ・ハンター

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タブ・ハンター
Tab Hunter
Tab Hunter
1950年代ねんだい宣伝せんでん写真しゃしん
本名ほんみょう アーサー・アンドルー・ケルム
Arthur Andrew Kelm
べつ名義めいぎ アーサー・アンドルー・ガリーン
Arthur Andrew Gelien[1][2]
生年月日せいねんがっぴ (1931-07-11) 1931ねん7がつ11にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (2018-07-08) 2018ねん7がつ8にち(86さいぼつ
出生しゅっしょう アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく、ニュー・ヨークしゅう、ニュー・ヨーク
死没しぼつ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく、カリフォルニアしゅう、サンタ・バーバラ
身長しんちょう 6'00"feet (182.88cm)
職業しょくぎょう 俳優はいゆう歌手かしゅ
活動かつどう期間きかん 1950ねん - 2015ねん
配偶はいぐうしゃ アラン・グレイザー (1983 - 2018)[3]
公式こうしきサイト tabhunter.com
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タブ・ハンターTab Hunter1931ねん7がつ11にち - 2018ねん7がつ8にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく俳優はいゆう歌手かしゅ映画えいがプロデューサーそして執筆しっぴつしゃである。ハンターは40ほん以上いじょう映画えいが出演しゅつえんした有名ゆうめいなハリウッド・スターで、1950年代ねんだいから1960年代ねんだいにかけては、クリーン・カットのブロンドとその美貌びぼうで、あこがれのまととなる存在そんざいであった。

初期しょきのキャリア

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ハンターはニュー・ヨークのマンハッタンで、チャールズ・ケルムをちちとしてガートルード(旧姓きゅうせいガリーン)をははとしてまれた[1]出生しゅっしょうめいはアーサー(アート)・アンドルー・ケルムで、兄弟きょうだいあにのウォルター(ウォルト)がいた。ちちはユダヤじんで、はははドイツのハンブルクから移民いみんして厳格げんかくなカソリック信者しんじゃであった[4]

ハンターのちち虐待ぎゃくたいてきであったため、ハンターがまれてすうねん両親りょうしん離婚りこんした。はは旧姓きゅうせいのガリーン[Ga-LEEN]をさい使用しようして、息子むすこたちせいもガリーンに変更へんこうした。ハンターはカリフォルニアしゅうで、ははあに母方ははかた祖父母そふぼであるジョン・ヘンリーとアイダとともらした[4]。サン・フランシスコ、ロング・ビーチ、L.A.とうつんで、はは意向いこうでカソリック・スクールに入学にゅうがくした[5]

ハンターは教会きょうかい聖歌せいかたいうたっていたが、司祭しさいへの告解こっかいがきっかけとなって信仰しんこう疑問ぎもんしょうじたため、15さいでハイ・スクールをはなれて、年齢ねんれいいつわって沿岸えんがん警備けいびたい入隊にゅうたいした。自由じゆうにバーに出入でいりするのではなく、映画えいがるのをこのんだので"ハリウッド(Hollywood)"というニックネームでばれるようになった。後日ごじつ上司じょうし本当ほんとう年齢ねんれい把握はあくしたため、沿岸えんがん警備けいびたい解雇かいこされた[6]

ハンターはその、L.A.にうつっていろいろな仕事しごとをしていた。友人ゆうじんのデル・クリーヴランドをつうじてリチャード(デック)・クレイトンと機会きかいえていった。クレイトンは、後日ごじつジェームズ・ディーンジェーン・フォンダのエージェントとなる俳優はいゆうで、ハンターが12さいとき手伝てつだいをしていた厩舎きゅうしゃに、撮影さつえいのためにていた。そして映画えいが興味きょうみがあれば連絡れんらくするようにハンターにげていた人物じんぶつであった。クレイトンは俳優はいゆう訓練くんれん教育きょういくけるようすすめたので、ハンターは"Del Powers Professional School"に入学にゅうがくして、そこを卒業そつぎょうした[7]

乗馬じょうば金持かねもちの趣味しゅみであり、俳優はいゆうとしてデビューできるか不明ふめいだったので、クレイトンが演技えんぎのキャリアをすすめても真剣しんけんめることができなかった。ハンターはプロのスケーターを目指めざしていて、シングルとペアーの両方りょうほう出場しゅつじょうしていたフィギュア・スケーターだった[8]

1950年代ねんだい

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クレイトンはハンターを、ロバート・ワグナーロック・ハドソンなどのスター俳優はいゆうのエージェントだった、ヘンリー・ウィルソンに紹介しょうかいした[9]。ハンターとクレイトン、そしてウィルソンが同席どうせきして、ステージ・ネームを検討けんとうした。タブ・ハンターという名前なまえ決定けっていしたのはウィルソンだった[10]。しかし、映画えいがへの出演しゅつえんには時間じかんようしたので、そのあいだハンターはスケーターとしての訓練くんれん専念せんねんしていた。

ハンターの最初さいしょ映画えいがは、フィルム・ノワール『暴力ぼうりょくまち』(1950ねん)のちいさなやくでの出演しゅつえんだった。ハンターはキャラクター俳優はいゆうポール・ギルフォイル友達ともだちで、ギルフォイルはスチュアート・ヘイスラー監督かんとくに、映画えいが孤島ことう愛情あいじょう』(1952)でリンダ・ダーネル相手あいてやくにハンターをすすめた。監督かんとく未知みちあたらしい俳優はいゆうさがしていたためハンターを起用きようした。本質ほんしつてきにダーネルとハンターの2人ふたり主演しゅえん映画えいがはヒットした[11]

ハンターの最初さいしょのステージ作品さくひんソーントン・ワイルダーさくの『わがまち』で、ロベロ・シアターでの上演じょうえんにジョージやくでマリリン・アースキンととも出演しゅつえんした[12]

つぎ映画えいが出演しゅつえんは、エドワード・スモールがプロデュースした、ジョージ・モンゴメリーが主演しゅえんしたウエスタン映画えいがの『ビリー・リンゴのガンベルト』(1953ねん)であった。スモールはハンターをふたた起用きようして、ロッド・キャメロンが主演しゅえんしたアクション映画えいがの『The Steel Lady』(1953ねん)に出演しゅつえんさせた。つづいてハンターはアドヴェンチャー映画えいが『Return to Treasure Island』(1954ねん)に主演しゅえんとして起用きようされた。

ハンターは、ワーナー・ブラザースに契約けいやくもうられて受諾じゅだくした。これは7ねん契約けいやくで、ワーナー・ブラザースと専属せんぞく契約けいやくした最後さいごのグループの1人ひとりであった[13]

1956ねんだい28かいアカデミーしょうナタリー・ウッドとも出席しゅっせきしたハンター

ハンターのワーナー・ブラザースでの最初さいしょ映画えいがは、ジョン・ウェインラナ・ターナー出演しゅつえんした『おとこたましい』(1955ねん)への出演しゅつえんだった。この映画えいがだいヒットしたが、ハンターのやく比較的ひかくてきちいさいものたった。ウィリアム・A・ウェルマン監督かんとくはこの映画えいがのラッシュをて、『ぬられしつまあと/かげなき殺人さつじんピューマ』(1954)に、ロバート・ミッチャムえんじたカート・ブリッジスのおとうとやくにハンターを起用きようした。この映画えいがおおきなヒットとなって、ハンターはよおおくの注目ちゅうもくあつはじめた。

ハンターがさらに有名ゆうめいになったのは、だい世界せかい大戦たいせんドラマの映画えいが愛欲あいよく戦場せんじょう』(1955)にわか海兵かいへい隊員たいいんのダニーとして出演しゅつえんしたときからであった。この映画えいがレオン・ユリスのベストセラーにもとづいてジャック・ワーナーがプロデュースしたもので、ハンターのキャラクターは、年上としうえ女性じょせい恋愛れんあい関係かんけいにあるが、最終さいしゅうてきにはガール・ネクスト・ドアと結婚けっこんするというものであった。これはワーナー・ブラザースの1955ねん最大さいだい予算よさん映画えいがであって、ハリウッドのわかいロマンティックなトップ俳優はいゆう一人ひとりとしてハンターの地位ちいかためた。ハンターはそのとし人気にんきがあった映画えいがの、3番目ばんめ(『愛欲あいよく戦場せんじょう』)と10番目ばんめ(『おとこたましい』)に出演しゅつえんしていた[14]

1955ねん9がつ、タブロイド雑誌ざっし"Confidential"はトップの記事きじに、ハンターが「1950ねんに、ゲイを対象たいしょうとしたパジャマ・パーティーに参加さんかして、無秩序むちつじょ行為こういおこなったとして逮捕たいほされた。」と掲載けいさいした。この婉曲えんきょく暗示あんじされた記事きじと、ロリー・カルホーン刑務所けいむしょ記録きろく焦点しょうてんてていたその記事きじは、ハンターがエージェントをヘンリー・ウィルソンからリチャード・クレイトンにえたのち掲載けいさいされた。有名ゆうめい俳優はいゆうであったロック・ハドソンの性的せいてき指向しこうを、"Confidential"が一般いっぱん公開こうかいしないこととえに、ウィルソンが仲介ちゅうかいしたために発表はっぴょうされた記事きじであった[15]。しかしこの記事きじは、ハンターのキャリアに悪影響あくえいきょうおよぼさなかった。数ヶ月すうかげつに、ハンターは"Council of Motion Picture Organizationsが後援こうえんする全国ぜんこくてき投票とうひょうで"Most Promising New Personality"に指名しめいされて大々的だいだいてき発表はっぴょうされたからであった[16]

1956ねん、ハンターはファンからバレンタインに62,000のアプローチをった。ハンター、ジェームズ・ディーンそしてナタリー・ウッドは、ワーナー・ブラザースの専属せんぞく契約けいやくかれた最後さいご俳優はいゆうたちだった。ワーナー・ブラザースはハンターの待遇たいぐうをスターとしてプロモートするように変更へんこうした。ハンターとナタリー・ウッドによる作品さくひんは、スチュアート・ヘイスラー監督かんとくのウェスタン映画えいがの『てしなきけつ』(1956ねん)と、サーヴィス・コメディの映画えいが『The Girl He Left Behind』があった。これらの2作品さくひん観客かんきゃく支持しじされてヒットしたことがあきらかで、ワーナー・ブラザースはハンターとウッドが出演しゅつえんする3番目ばんめ映画えいが計画けいかくした。ハンターはこのもう拒否きょひして、ハンターとウッドを1950年代ねんだいウィリアム・パウエルマーナ・ロイにするというワーナー・ブラザースのこころみは失敗しっぱいした。

1950年代ねんだいのハンターのキャリアはピークにたっした。ウィリアム・A・ウェルマン監督かんとくは、戦争せんそう映画えいがの『壮烈そうれつ!外人がいじん部隊ぶたい』(1958ねん)でハンターをふたた起用きようした。またコロンビア映画えいがは、ハンターがこのんだやくであるとおもわれたため、ウェスタン映画えいが草原そうげん野獣やじゅう』(1958ねん)の出演しゅつえんにハンターをした。

そしてハンターは、ワーナー・ブラザースのミュージカル映画えいが『くたばれ!ヤンキース』(1958ねん)に、ワシントンDCのアメリカン・リーグ野球やきゅうクラブのジョー・ハーディやく出演しゅつえんした。この作品さくひんもとはブロードウェイのミュージカルであったが、出演しゅつえんしゃはハンター以外いがいはオリジナルのキャストで、ハンターが映画えいがばん唯一ゆいいつオリジナルとはちがうキャストであった。ミュージカルは、ダグラス・ウォールップのベスト・セラー小説しょうせつ『ヤンキースがペナントをうしなったとし』(1954ねん)にもとづいたものだった。のちにハンターは、「ブロードウェイのステージに出演しゅつえんした俳優はいゆうたちを尊敬そんけいしていて、共演きょうえんたのしかったが、監督かんとくのジョージ・アボットは、ステージばんをそのまま再現さいげんすることにだけ興味きょうみっていたため、撮影さつえい大変たいへんだった。」とはなしている。

そのハンターは、ゲイリー・クーパーリタ・ヘイワース出演しゅつえんしたウェスタン映画えいがコルドラへのみち』(1959)と、ケイやくソフィア・ローレンと、恋愛れんあい関係かんけいになるレッドやく出演しゅつえんした映画えいがわたしはそんなおんな』(1959)に出演しゅつえんした。

ハンターは。1955ねんから1959ねんまでのもっと人気にんきのあった男性だんせいスターで、1950年代ねんだいのワーナーブラザースそのものだった。しかし徐々じょじょ出演しゅつえんするワーナー・ブラザースの映画えいがしつ低下ていかしてきたのをて、ハンターは専属せんぞく契約けいやく解除かいじょもうれた。最終さいしゅうてきに100,000ドルを支払しはらうことでワーナー・ブラザースとの契約けいやく解除かいじょとなった。ハンターがったのちにワーナー・ブラザースはトロイ・ドナヒューを『避暑ひしょ出来事できごと』(1959)に起用きようしてヒットさせた。ドナヒューもヘンリー・ウィルソンがエージェントをつとめていた俳優はいゆうであった。

ロッド・サーリング執筆しっぴつして、ジョン・フランケンハイマー監督かんとくしたTVシリーズ『Playhouse 90』のデビュー・エピソード『Forbidden Area』(1956ねん)に出演しゅつえんして、ハンターによるパフォーマンスが、批評ひひょうおおきな称賛しょうさんけた[17]

音楽おんがくのキャリア

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ハンターは1957ねんに、『ヤング・ラヴ』のヒットきょくで6週間しゅうかん、ビルボードのホット100チャートで1(イギリスのチャートでは7週間しゅうかん1)になった。そして、この時代じだいのロックン・ロールのヒットきょくの1つになった。100まんまい以上いじょうげがあったため、RIAAから ゴールド・ディスクを授与じゅよされた[18]。また、べつのヒットシングル『Ninety-Nine Ways』があったが、これはUSAで11、UKでは5であった。

この成功せいこうによって、ジャック・ワーナーは、ハンターがシングルをレコーディングした"Dot Records"(ライバルのパラマウント・ピクチャーズが所有しょゆうしていた)からアルバムをリリースすることを禁止きんしした。そして、ワーナー・ブラザースとしてのレコード発売はつばい計画けいかくしたため、ハンターの専用せんようともいえる"Warner Bros. Records"を設立せつりつした。1958ねん以降いこうハンターは、ワーナー・ブラザースのためにレコーディングした。

1960年代ねんだい

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ハンターは年齢ねんれい関係かんけいで、ミュージカル映画えいがウェスト・サイド物語ものがたり』(1961ねん)でトニーのやく獲得かくとくできなかった。どう時期じきにオファーがあったTVコメディ『こいほどききょうえまショー (タブ・ハンター・ショー)』への出演しゅつえん同意どういして、36のエピソードに出演しゅつえんした。このショーはエド・サリバン・ショー対抗たいこうして放送ほうそうされていたため、評価ひょうかなかほどで、1シーズンで終了しゅうりょうした。しかしUKではヒットして、そのとし注目ちゅうもくされているコメディの1つにランクされた。

ハンターは、デビー・レイノルズ関心かんしんせているロジャーやくで『結婚けっこん泥棒どろぼう』(1961ねん)に出演しゅつえんした。また、イタリアで『黄金おうごん』(1962ねん)にえないあばしゃのハッサンやく出演しゅつえんした。そして、AIP(アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ)の戦争せんそう映画えいが『Operation Bikini』(1963ねん)に出演しゅつえんした。

1964ねんに、ハンターはテネシー・ウィリアムズの『牛乳ぎゅうにゅう列車れっしゃはもうここにはまらない』に、タルラー・バンクヘッドともに、ブロードウェイの"Brooks Atkinson Theatre"で上演じょうえんされた公演こうえん出演しゅつえんした。しかし、この公演こうえんは4日間にちかんりとなった。

つぎ映画えいが出演しゅつえんの『Ride the Wild Surf』(1964ねん)はコロンビア映画えいがのビーチ・パーティー形式けいしきのロマンティック・ドラマで、20世紀せいきフォックスの映画えいが『Troubled Waters』(1964ねん)がつづいた。そしてAIPのべつ映画えいがの『War Gods of the Deep』(1965ねん)に出演しゅつえんするためにイングランドに滞在たいざいした。そのハリウッドにもどったハンターは、『ラブド・ワン』(1965ねん)と『空中くうちゅうスパイ野郎やろう』(1966ねん)で補助ほじょてきやく出演しゅつえんした。そしてリチャード・ラッシュ監督かんとくもと映画えいが『The Fickle Finger of Fate』(1967ねん)に出演しゅつえんした。

1960年代ねんだい後半こうはんみじか期間きかん、サマー・ストックやディナー・シアターですうシーズン、『バイ・バイ・バーディー』、『やさしいわな』、『ヤムヤム・ガールズ』、そして『ウェスト・サイド物語ものがたり』などをニュー・ヨークのキャストの何人なんにんかととも上演じょうえんした[19]。そのハンターは、1970年代ねんだいにかけてフランスの南部なんぶ定住ていじゅうして、『じょう無用むよう復讐ふくしゅう』(1968ねん)、『The Last Chance』(1968ねん)、『Bridge over the Elbe』(1969ねん)などの、スパゲッティ・ウエスタン映画えいが出演しゅつえんした)[20]

1970年代ねんだい以降いこう

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ハンターは、カーティス・ハンソン監督かんとく最初さいしょ映画えいが『ミッドナイト・ランブラー』(1972ねん)に主役しゅやく出演しゅつえんした。また、ポール・ニューマンの成功せいこうした映画えいが『ロイ・ビーン』(1972ねん)と、『名犬めいけんウォン・トン・トン』(1976ねん)、そしてTV映画えいが『Katie: Portrait of a Centerfold』(1978ねん)にちいさな役割やくわりでの出演しゅつえんたした。1977ねんに、ハンターはTVシリーズ『Mary Hartman, Mary Hartman』でジョージ・シムウェイをえんじた。これはコメディ作品さくひんで、主役しゅやくのメリー・ハートマンのちちやくであった。

ハンターのキャリアは1980年代ねんだい復活ふっかつした[1]ジョン・ウォーターズ監督かんとくの『ポリエステル』(1981ねん)とポール・バーテル監督かんとくの 『ラスト・イン・ザ・ダスト』(1985ねん)で俳優はいゆうディヴァイン共演きょうえんした。また、『グリース2』(1982ねん)では代理だいり教師きょうしであるスチュアートやく出演しゅつえんして『リプロダクション』をうたった。そしてハンターは、1988ねんのホラー映画えいが『キャメロン』に重要じゅうようやく出演しゅつえんした。

ハンターは、かれ最後さいご映画えいがである『Dark Horse』(1992ねん)のオリジナル・ストーリーをいて提供ていきょうして、パーキンスやく出演しゅつえんした。

ハンターの人生じんせいかんするドキュメンタリー映画えいが『Tab Hunter Confidential』は、ハンターのパートナーのアラン・グレイザーがプロデュースして、ジェフリー・シュワルツが監督かんとくした。そして2015ねんサウス・バイ・サウスウエスト公開こうかいされて、いくつかのしょうにノミネートされた。そしてカリフォルニア・インディペンデント・フィルム・フェスティバルのベスト・ドキュメンタリーしょう(2015ねん)をはじめとして、いくつかのしょう受賞じゅしょうした。

2018ねん6がつ時点じてんで、ハンターにかんしての映画えいがが、パラマウント映画えいが企画きかくされていて、グレイザーとJ・J・エイブラムス、そしてザカリー・クイントがプロデュースして、ピューリッツァーしょうトニーしょう受賞じゅしょうした作家さっかドーグ・ライトが脚本きゃくほん参加さんかする予定よていである[21]

私生活しせいかつ

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2016ねんデビー・レイノルズ一緒いっしょのハンター

ハンターは2005ねん、エディ・ミュラーと共同きょうどう執筆しっぴつ自伝じでん『Tab Hunter Confidential: The Making of a Movie Star』を出版しゅっぱんした。最初さいしょ出版しゅっぱんと2007ねんのペーパー・バックばんのリリースにニュー・ヨーク・タイムズのベストセラーになった。このほんはいくつかのしょうにノミネートされたが、このほんもとづいたドキュメンタリー映画えいがのリリースにともない、2015ねん6がつ28にちにニュー・ヨーク・タイムズのベストセラー・リストに3度目どめのリストりをたした。

ハンターはこのほんなかで、以前いぜんから名前なまえられていてうわさひろまっていたが、自身じしん同性愛どうせいあいしゃであることをみとめた。ニュー・ヨーク・タイムズのウィリアム・L・ハミルトンによると、友人ゆうじんであるデビー・レイノルズナタリー・ウッドとハンターとのロマンスは、厳密げんみつにはワーナー・ブラザースの宣伝せんでん部門ぶもん作成さくせいしたものであったが、ナタリー・ウッドとハンターのロマンスがよくられていたので、このほんでは"Natalie Wood and Tab Wouldn't"という見出みだしを編集へんしゅう独自どくじ作成さくせいしなければならなかった[3]

ワーナー・ブラザースでの時代じだいについて、ハンターははなしている。

 「人生じんせいわたしにとってむずかしいものでした。当時とうじわたしは2つの生活せいかつおくっていたからです。わたし自身じしんのプライヴェートはだれにもはなさず、けっしてろんじませんでした。そして、以前いぜんわたしのハリウッドの生活せいかつは、わたしすこしづつさぐりでまなんで成功せいこうしようとしていたから、、、」

ハンターはゲイという言葉ことば当時とうじ存在そんざいしていなかったことを強調きょうちょうした。

「、、、当時とうじわたしまわりには存在そんざいしませんでした。そして、だれかがわたし直面ちょくめんさせた場合ばあいには、わたしはただちょっとおかしいという状態じょうたいになりました。そして完全かんぜん否定ひていてきでした。仕事しごとのプロセス以外いがいは、ハリウッドのシーンは快適かいてきではありませんでした[22]わたしのセクシュアリティについておおくのことがかれていて、報道ほうどうはかなり残酷ざんこくなものでした。」

そして、つづけた。

人々ひとびとしんじたいことだけをしんじています。映画えいがファンがしんいだきたかったのは、わたし描写びょうしゃした、ボーイ・ネクスト・ドア、海兵かいへい隊員たいいん、カウボーイ、そして情熱じょうねつてき恋人こいびととしてだけだったのです[3]。」

ハンターは母親ははおやからのカソリック信仰しんこうそだった。青年せいねん時代じだいいち時期じきのぞいて生涯しょうがいカソトリックの信仰しんこうっていた[20][23][24]。そして、ハンターは共和党きょうわとういんであり、1952ねん大統領だいとうりょう選挙せんきょでアイゼンハワーのキャンペーンを支援しえんした[25]

アンソニー・パーキンス、ピーター・ポッターとタブ・ハンター(みぎ) on the TV show Juke Box Jury (1957)

ハンターはスケーター仲間なかまで、フィギュア・スケーターのチャンピオンであるロナルド(ロニー)・ロバートソンと1950年代ねんだいすう年間ねんかんリレーションシップな関係かんけいつづけていた。そして1956ねん俳優はいゆうアンソニー・パーキンスとシャトー・マーモントのプールで出会であい、パーキンスからフレンドリーなアプローチをけて、2人ふたり関係かんけいはじまった。しかし、ハンターがTVシリーズ『Climax!』(1955)でえんじたジミー・ピアソールを、映画えいが栄光えいこう旅路たびじ』(1957)でパーキンスがえんじてからは次第しだい疎遠そえんになっていった。

ハンターは、1958ねん映画えいが壮烈そうれつ!外人がいじん部隊ぶたい』で出会であったエチカ・シューローとの結婚けっこん真剣しんけんかんがえていた。しかしカソリックのもとそだてられたハンターは、それが彼女かのじょにとって、そして自分じぶん自身じしんにとっても不公平ふこうへいであることをっていた。仲間なかまのクローズド俳優はいゆうおおくは、そのような道徳どうとく感情かんじょうおさえて結婚けっこんしたが、ハンターはそのような妥協だきょうをする準備じゅんびができていなかった。

「あなたが男性だんせい一緒いっしょだったら、あなたはつみおかしていたとかんじたでしょう。しかし、あなたが女性じょせい一緒いっしょだったら、あなたはうそをついていたことになるでしょう。」

ハンターは、乗馬じょうばつうじてったニール・ヌアーラグと、7ねんながいリレーションシップ関係かんけいにあった。そしてその映画えいがプロデューサーのアラン・グレイザーと映画えいが『ラスト・イン・ザ・ダスト』制作せいさくのため出会であって、後日ごじつ結婚けっこんした。2人ふたりはハンターがくなるまで35ねん以上いじょうのパートナー/配偶はいぐうしゃとなった[26]

あにのウォルター・ジョン・ガリーンは1965ねんにヴェトナム戦争せんそう従軍じゅうぐんちゅうくなっていた。そしてははのガートルードは、1954ねんからなが闘病とうびょう生活せいかつをしていたが2001ねんくなっていた[27]

2007ねんに、音楽おんがく業界ぎょうかいへの貢献こうけんたいして、ゴールデン・パーム・スターがささげられた。ハリウッド・ブルヴァードのハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム"6320"にタブ・ハンターの名前なまえのこされている。

ハンターは87さい誕生たんじょうの3にちまえの7がつ8にちに、自宅じたくあし血栓けっせんはい移動いどうした結果けっかこころ停止ていしになったと、35ねんのパートナーであるアラン・グレイザーは7がつ9にち公表こうひょうした[28][29]

グレイザーはのちかたっている。

 「かれまえ芝生しばふわたしうでなかたおれたのて、わたしは911に電話でんわしました。わたしたちかれ病院びょういん("Santa Barbara Cottege Hospital")にはこみました。それは突然とつぜん予想よそうがいのものでした。」

ハンターはニュー・メキシコしゅう牧場ぼくじょうでしばらくらしてから、1983ねんからパートナーとなっていたグレイザーと一緒いっしょにサンタ・バーバラぐんのモンテシートに自宅じたくかまえた。ハンターは、2とううまと2ひきウィペット、そしてグレイザーととものこりの人生じんせいをモンテシートでごしていた。葬儀そうぎ自宅じたくのあるモンテシートのちかくで"private ceremony"としてとりおこなわれた [30]

出演しゅつえん作品さくひん

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映画えいが

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公開こうかいねん 題名だいめい
原題げんだい
役名やくめい
はら表記ひょうき
備考びこう
1950 暴力ぼうりょくまち
The Lawless
フランク・オブライエン
Frank O'Brien
1952 孤島ことう愛情あいじょう
Saturday Island
マイケル(チキン)・ドゥガン
Marine Corporal Michael J. "Chicken" Dugan
1953 ビリー・リンゴのガンベルト
Gun Belt
チップ・リンゴ
Chip Ringo
1953 The Steel Lady Bill Larson
1954 Return to Treasure Island Clive Stone
1954 ぬられしつまあと/かげなき殺人さつじんピューマ
Track of the Cat
ハロルド・ブリッジス
Harold Bridges
1955 愛欲あいよく戦場せんじょう
Battle Cry
ダニー・フォレスター
Danny Forrester
1955 おとこたましい
The Sea Chase
士官しかん候補こうほせいウェッサー
Cadet Wesser
1956 てしなきけつ
The Burning Hills
トレイス・ジョーダン
Trace Jordan
1956 The Girl He Left Behind Andy L. Shaeffer
1958 草原そうげん野獣やじゅう
Gunman's Walk
エド・ハケット
Ed Hackett
1958 壮烈そうれつ!外人がいじん部隊ぶたい
Lafayette Escadrille
サード・ウォーカー
Thad Walker
1958 くたばれ!ヤンキース
Damn Yankees
ジョー・ハーディー
Joe Hardy
Also released under the title What Lola Wants in the UK
1959 コルドラへのみち
They Came to Cordura
ホウラー中尉ちゅうい
Lt. William Fowler
1959 わたしはそんなおんな
That Kind of Woman
レッド
Red
1961 結婚けっこん泥棒どろぼう
The Pleasure of His Company
ロジャー・ヘンダーソン

Roger Henderson
1962 黄金おうごん
The Golden Arrow
ハッサン
Hassan
1963 Operation Bikini Lt. Morgan Hayes
1964 Ride the Wild Surf Steamer Lane
1964 Troubled Waters Alex Carswell
1965 深海しんかい軍神ぐんしん
City Under the Sea
ベン・ハリス
Ben Harris
released as War Gods of the Deep in US
1965 ラブド・ワン
The Loved One
ガイド
Guide
1966 空中くうちゅうスパイ野郎やろう
Birds Do It
ポーター空佐くうさ
Lt. Porter
1967 The Fickle Finger of Fate Jerry AKAS: El Dedo del Destino and The Cup of San Sebastian
1967 復讐ふくしゅう拳銃けんじゅう
Hostile Guns
マイク・リノ
Mike Reno
1968 じょう無用むよう復讐ふくしゅう
Vengeance Is My Forgiveness
ドゥランゴ保安ほあんかん
Sheriff Durango
(Italian: La vendetta è il mio perdono, also known as Shotgun)
1968 The Last Chance Patrick Harris (Italian: Scacco internazionale)
1969 最前線さいぜんせん かえらざる決死けっしたい
Bridge over the Elbe
リチャード
Richard
(Italian:Quel maledetto ponte sull'Elba, Spanish: No importa morir)
1972 ミッドナイト・ランブラー
Sweet Kill
エディ・コリンズ
Eddie Collins
1972 ロイ・ビーン
The Life and Times of Judge Roy Bean
サム・ドッド
Sam Dodd
1975 Timber Tramps Big Swede
1976 名犬めいけんウォン・トン・トン
Won Ton Ton, the Dog Who Saved Hollywood
デイヴィッド・ハミルトン
David Hamilton
1981 ポリエステル
Polyester
トッド・トゥモロー
Todd Tomorrow
1982 Pandemonium Blue Grange
1982 グリース2
Grease 2
スチュアート
Mr. Stuart
1982 And They Are Off Henry Barclay
1985 ラスト・イン・ザ・ダスト
Lust in the Dust
エイブル・ウッド
Abel Wood
1988 テレクラ殺人さつじん事件じけん
Out of the Dark
ドライヴァー
Driver
1988 リンダ・ブレアの グロテスク
Grotesque
ロッド
Rod
1988 キャメロン
Cameron's Closet
オーウェン・ランシング
Owen Lansing
1992 Dark Horse Perkins
1995 Wild Bill: Hollywood Maverick Himself Documentary
1996 Ballyhoo: The Hollywood Sideshow Himself Documentary
2007 The Brothers Warner Himself Documentary
2013 I Am Divine Himself Documentary about regular co-star and drag queen Divine
2015 Tab Hunter Confidential Himself Documentary about Hunter's life as a matinee idol, based upon his book of the same name

TVドラマとTVシリーズ

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放映ほうえいねん 題名だいめい
原題げんだい
役名やくめい
はら表記ひょうき
備考びこう
1955 The Ford Television Theatre Gig Spevvy Season 3 Episode 30 "While We're Young"
1955 Climax! Jimmy Piersall 2 Episodes of
1956 Conflict Donald McQuade Season 1 Episode 5 "The People Against McQuade"
1956 Playhouse 90 Stanley Smith Season 1 Episode 1 "Forbidden Area" (Director: John Frankenheimer)
1959 Meet Me in St. Louis John Truett (TV Movie)
1944 映画えいが若草わかくさころ』のリメイク
1958 Playhouse 90 Donald Bashor Season 2 Episode 25 "Portrait of a Murderer" (Director: Arthur Penn)
1959 General Electric Theater Daniel Season 8 Episode 7 "Disaster"
1960 – 1961 こいほどききょうえまショー (タブ・ハンター・ショー)
The Tab Hunter Show
Paul Morgan Star of regular series 32 Episodes
1962 Saints and Sinners Sergeant Eddie Manzak Season 1 Episode 6 "Three Columns of Anger"
1962 コンバット!
Combat!
デル・パッカー
Del Packer
Season 1 Episode 8 "The Celebrity"
だい008 「戦場せんじょうめい投手とうしゅ
1964 バークにまかせろ
Burke's Law
Barney Blake Season 1 Episode 24 "Who Killed Andy Zygmunt?"
1970 バージニアン
The Virginian
Cart Banner Season 8 Episode 24 "The Gift"
1970 サンフランシスコ大空おおぞらこう
San Francisco International Airport
にせ牧師ぼくしスミィチェク
Stayczek
Season 1 Episode 0 "San Francisco International"
1971 Hacksaw Tim Andrews TV movie
1971 Disneyland Tim Andrews 2 Episodes
1972 探偵たんていキャノン
Cannon
Bob Neal Season 1 Episode 16 "Treasure of St. Ignacio"
1972 Owen Marshall, Counselor at Law unknown Season 2 Episode 12 "Starting Over Again"
1973 Ghost Story Bob Herrick Season 1 Episode 21 "The Ghost of Potter's Field"
1975 600まんドルのおとこ
The Six Million Dollar Man
アーノルド・ブレイク
Arnold Blake
Season 2 Episode 12 "The Cross-Country Kidnap"
だい27跳躍ちょうやく! 暗号あんごう解読かいどくへの手綱たづな
1976 エラリー・クイーン
Ellery Queen
ジョン・ランドール
John Randall
Season 1 Episode 12 "The Adventure of the Black Falcon"
だい13くろたか冒険ぼうけん
1976 Mary Hartman, Mary Hartman George Shumway #2 unknown episodes
1976 署長しょちょうマクミラン
McMillan & Wife
Roger Thornton Season 5 Episode 6 "Greed"
1977 ラブ・ボート
The Love Boat
Dave King Season 1 Episode 6 "The Joker Is Mild/Take My Granddaughter, Please/First Time Out"
1978 Police Woman Martin Quinn Season 4 Episode 10 "Blind Terror"
1978 ピンナップ・ガール/はだか天使てんし
Katie: Portrait of a Centerfold
Elliot Bender TV movie
1978 ハワイ5-0
Hawaii Five-O
Mel Burgess Season 11 Episode 2 "Horoscope for Murder"
1979 The Kid from Left Field Bill Lorant TV movie
1979 $weepstake$ Chip Season 1 Episode 7 "Episode #1.7"
1980 チャーリーズ・エンジェル
Charlie's Angels
ビル・マドックス
Bill Maddox
Season 4 Episode 21 "Nips and Tucks"
だい94悪魔あくまささやき!わたしあいしたおんな
1981 Strike Force Voorhees Season 1 Episode 6 "Night Nurse"
1982 Benson Roy Lucas 2 Episodes
1982 Natalie: A Very Special Tribute to a Very Special Lady Himself Made-for-TV documentary
1984 Masquerade Whitney Season 1 Epidode 12 "Spying Down to Rio"
1984 おれたち賞金しょうきんかせぎ!!フォール・ガイ
The Fall Guy
Anthony Haley Season 3 Episode 15 "Bite of the Wasp"
1988 James Stewart's Wonderful Life Himself Made-for-TV documentary
1998 The Best of Hollywood Himself/Presenter/Narrator Made-for-TV documentary
2002 Elvis Forever Himself Made-for-TV documentary about Elvis Presley
2003 Rita Himself Made-for-TV documentary about Rita Hayworth
2008 Hollywood Singing and Dancing: A Musical Treasure Himself Made-for-TV documentary
2008 Hollywood Singing and Dancing: A Musical History Himself Made-for-TV documentary
  • Tab Hunter (タブ・ハンターはうたう), 1958 (Warner Brothers)
  • When I Fall in Love :Tab Hunter, 1959 (Warner Brothers)
  • R.F.D. :Tab Hunter, 1960 (Warner Brothers)
  • Young Love :Tab Hunter, 1961 (Dot Records)

サウンドトラック

[編集へんしゅう]
  • Hans Brinker (Dot - Soundtrack), 『Hallmark Hall Of Fame』 (1958)
  • Damn Yankees (RCA - Soundtrack), 『くたばれ!ヤンキース』(1958)
  • Polyester (Soundtrack), 『ポリエステル』 (1981)
  • Grease 2 (Soundtrack), 『グリース2』 (1982)

シングル

[編集へんしゅう]
  • Young Love (ヤング・ラヴ), 1956 (US #1, UK #1)
  • Red Sails in the Sunset, 1956 (US #57)
  • Don't Get Around Much Anymore, 1957 (US #74)
  • Don't Let It Get Around, 1957
  • I'm Alone Because I Love You, 1957
  • Ninety-Nine Ways (こいきゅうじゅうきゅう), 1957 (US #11, UK #5)
  • It's All Over Town, 1958
  • After You've Gone, 1958
  • All Alone, 1958
  • But Beautiful, 1958
  • I'm a Runaway, 1958
  • You're Gonna Change, 1958
  • Candy, 1958
  • Funny Sometimes
  • Moonlight Bay, 1958
  • I Ain't Got Nobody, 1958
  • I Love You, Yes I Do, 1958
  • I Want To Be With You Always, 1958
  • I'll Never Be Free, 1958
  • Jealous Heart, 1958 (US #62)
  • Let's Pretend There's A Moon, 1958
  • My Baby Just Cares For Me, 1958
  • Lonesome Road, 1958
  • Waiting For Fall, 1959
  • Our Love, 1959
  • And So To Sleep, 1959
  • Bye Bye Baby, 1959
  • My Only Love, 1959
  • I Hadn't Anyone Till You, 1959
  • Black Coat, 1959
  • I Gotta Have My Baby Back, 1959
  • Apple Blossom Time, 1959 (US #31)
  • I'll Never Smile Again, 1959
  • Long Ago, 1959
  • Maybe You'll Be There, 1959
  • Nevertheless, 1959
  • Sometimes I'm Happy, 1959
  • There's No Fool Like a Young Fool, 1959 (US #68)
  • Again, 1960
  • Love Is Just Around the Corner, 1960
  • Wild Side of Life, 1961
  • My Devotion, 1961
  • You Cheated, 1961
  • The Way You Look Tonight, 1961
  • Born to Lose, 1962
  • I Can't Stop Loving You, 1962
  • Young Love :The Best of Tab Hunter, (2005) Eric Records (First official Tab Hunter CD)

著作ちょさく

[編集へんしゅう]
  • Tab Hunter Confidential: The Making of a Movie Star (ISBN-13: 978-1565124660), Tub Hunter with Eddie Muller, Algonquin Books, 2005

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c “Tab Hunter, 86, 1950s Hollywood heartthrob, is dead”. The New York Times. (July 9, 2018). https://www.nytimes.com/2018/07/09/obituaries/tab-hunter-86-1950s-hollywood-heartthrob-is-dead.html July 19, 2018閲覧えつらん 
  2. ^ Bergan, Ronald (July 9, 2018). “Tab Hunter obituary”. The Guardian. https://www.theguardian.com/film/2018/jul/09/tab-hunter-obituary 12 July 2019閲覧えつらん 
  3. ^ a b c Hamilton, William L. (September 18, 2005). “Did Success Spoil Tab Hunter?”. The New York Times. https://www.nytimes.com/2005/09/18/fashion/sundaystyles/18tab.html April 9, 2010閲覧えつらん 
  4. ^ a b Weinraub, Bernard (September 9, 2003). “A Star’s Real Life Upstages His Films; Tab Hunter Looks Back on Sadness and Success and Ahead to a Book”. The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2003/09/09/movies/star-s-real-life-upstages-his-films-tab-hunter-looks-back-sadness-success-ahead.html March 8, 2016閲覧えつらん 
  5. ^ Hunter, Tab (September 8, 2006). Tab Hunter Confidential: The Making of a Movie Star. With Eddie Muller. Algonquin. p. 174. ISBN 978-1565128460. https://books.google.com/books?id=TMOcNOk4MXUC&printsec=frontcover&dq=The+Man+Who+Invented+Rock+Hudson:+The+Pretty+Boys+and+Dirty+Deals+of+Henry+Willson&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwisvZjB5NfgAhUBVK0KHZZXANAQ6AEINjAD#v=onepage&q=raised%20catholic&f=false February 25, 2019閲覧えつらん 
  6. ^ Piccalo, Gina; Saad, Nardine (July 9, 2018). “Actor Tab Hunter dies at 86; '50s heartthrob's career ranged from Battle Cry to Polyester. Los Angeles Times. https://www.latimes.com/local/obituaries/la-me-tab-hunter-20180709-story.html February 25, 2019閲覧えつらん 
  7. ^ Feinberg, Scott (March 13, 2015). “SXSW: Tab Hunter opens up about life as a closeted gay star during Hollywood's golden age”. The Hollywood Reporter. https://www.hollywoodreporter.com/race/tab-hunter-opens-up-life-781046 July 9, 2018閲覧えつらん 
  8. ^ Tobler, John (1992). NME Rock ’N’ Roll Years (1st ed.). London: Reed International Books Ltd. p. 38. CN 5585 
  9. ^ Feinberg, Scott (March 13, 2015). “SXSW: Tab Hunter opens up about life as a closeted gay star during Hollywood's golden age”. The Hollywood Reporter. https://www.hollywoodreporter.com/race/tab-hunter-opens-up-life-781046 July 9, 2018閲覧えつらん 
  10. ^ Hofler, Robert (2005). The Man who Invented Rock Hudson: The pretty boys and dirty deals of Henry Willson. Carroll & Graf. ISBN 978-0786716074. https://books.google.com/books?id=eTR0idJByUcC&dq=The+Man+Who+Invented+Rock+Hudson:+The+Pretty+Boys+and+Dirty+Deals+of+Henry+Willson&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwisvZjB5NfgAhUBVK0KHZZXANAQ6AEILTAB 
  11. ^ Hopper, Hedda (February 13, 1955). “A critic's remark and hard work put Tab Hunter on top: Critic and work spur Tab Hunter”. Los Angeles Times: p. D1. https://www.newspapers.com/search/#query=A+Critic%27s+Remark+and+Hard+Work+Put+Tab+Hunter+on+Top&lnd=1&t=4312&p_place=CA February 25, 2019閲覧えつらん 
  12. ^ Scheuer, Philip K. (November 5, 1953). “Drama: Skip homeier returns, Murvyn vye with U-I; MGM rushes POW job”. Los Angeles Times: p. B11. https://www.newspapers.com/search/#query=Drama%3A+Skip+Homeier+Returns%2C+Murvyn+Vye+With+U-I%3B+MGM+Rushes+POW+Job&lnd=1 
  13. ^ Hollywood And Tab Hunter: The Marriage That Ended Amicably”. Jul 10, 2018閲覧えつらん
  14. ^ 1955's Top Grossers”. p. 1. January 25, 1956閲覧えつらん
  15. ^ Hunter 2005, p. 172.
  16. ^ Hunter 2005, pp. 116–118.
  17. ^ Wolters, Larry (March 17, 1957). “Playhouse 90 – And why it is a great series: Key to success is its young producer”. Chicago Daily Tribune: p. 78. https://chicagotribune.newspapers.com/image/372277250/?terms=Playhouse%2B90%2Band%2Bwhy%2Bits%2Ba%2Bsuccess 
  18. ^ Murrells, Joseph (1978). The Book of Golden Discs (2nd ed.). London: Barrie and Jenkins Ltd. p. 92. ISBN 978-0214204807. https://books.google.com/books?id=UxRAAAAAMAAJ&dq=The+Book+of+Golden+Discs&focus=searchwithinvolume&q=Tab+Hunter 
  19. ^ Hunter 2005, p. 297.
  20. ^ a b Raymond, Gerard (October 21, 2015). Interview with Tab Hunter. http://www.slantmagazine.com/features/article/interview-tab-hunter February 25, 2019閲覧えつらん. 
  21. ^ Feinberg, Scott; Kit, Borys (June 6, 2018). “Tab Hunter, Anthony Perkins forbidden love drama in the works from J.J. Abrams, Zachary Quinto”. The Hollywood Reporter. https://www.hollywoodreporter.com/news/jj-abrams-zachary-quinto-making-film-tab-hunter-anthony-perkins-1117878 
  22. ^ Parks, Tim (December 15, 2005). “The many lives of Tab Hunter”. Gay and Lesbian Times. https://timparksmediaho.wordpress.com/2010/05/01/the-many-lives-of-tab-hunter/ February 25, 2019閲覧えつらん 
  23. ^ Fillo, MaryEllen. “Hollywood's all-American boy Tab Hunter brings his documentary to Warner Theater”. Hartford Courant. http://www.courant.com/java/hc-fillo-tab-hunter-1014-20151013-column.html March 14, 2018閲覧えつらん 
  24. ^ Lattanzio, Ryan (October 12, 2015). “Tab Hunter, Out of the Hollywood Closet and in His Own Words”. IndieWire. http://www.indiewire.com/2015/10/tab-hunter-out-of-the-hollywood-closet-and-in-his-own-words-176331 March 14, 2018閲覧えつらん 
  25. ^ “[no title cited]”. Motion Picture and Television Magazine (Ideal Publishers): 34. (November 1952). 
  26. ^ Palm Springs Walk of Stars by date dedicated” (PDF). Palmspringswalkofstars.com. 2012ねん10がつ13にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。August 17, 2018閲覧えつらん
  27. ^ Tab Hunter’s Family: 5 Fast Facts You Need to Know”. Jul 9, 2018閲覧えつらん
  28. ^ “Actor Tab Hunter dies at 86; ‘50s heartthrob’s career ranged from ‘Battle Cry’ to ‘Polyester’”. https://www.latimes.com/local/obituaries/la-me-tab-hunter-20180709-story.html July 9, 2018閲覧えつらん 
  29. ^ “Tab Hunter death: Multi-talented Hollywood star dies aged 86” (英語えいご). The Independent. Independent News & Media. (2018ねん7がつ9にち). https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/films/news/tab-hunter-dead-hollywood-actor-films-gay-anthony-perkins-allan-glaser-biopic-a8438286.html 2018ねん7がつ9にち閲覧えつらん 
  30. ^ “Actor Tab Hunter, star of ‘Damn Yankees’ movie, dies age 86”. https://apnews.com/65df2888398f471ea7a08824d46d3264/Actor-Tab-Hunter,-star-of-%27Damn-Yankees!%27-movie,-dies-age-86 July 9, 2018閲覧えつらん 

外部がいぶリンク

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