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テネシー・ウィリアムズ

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テネシー・ウィリアムズ(1965ねん

テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams, 1911ねん3月26にち - 1983ねん2がつ25にち)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくミシシッピしゅうコロンバスまれのげき作家さっか

本名ほんみょうトマス・レイニア・ウィリアムズ(Thomas Lanier Williams)。愛称あいしょうの「テネシー」はその南部なんぶなまりからセントルイスでの学友がくゆうけられた。ルイジアナしゅうニューオーリンズフレンチ・クオーター長年ながねんらした。

略歴りゃくれき

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牧師ぼくし祖父そふ音楽おんがく教師きょうし祖母そぼ両親りょうしんあねおとうととともに祖父そふ牧師ぼくしかんそだつ。くつのセールスマンをしていた父親ちちおや留守るすおおく、粗野そや暴力ぼうりょくてきさけ賭博とばくきで、病気びょうきがちでひよわなテネシーに失望しつぼうしていた。両親りょうしん夫婦ふうふなかわるく、喧嘩けんかえなかった。2さいちがいのあねとはだい仲良なかよしで、双子ふたご間違まちがわれるほどだった。母親ははおや神経質しんけいしつでヒステリックなひとだったが、やさしい黒人こくじん乳母うばがいて、毎夜まいよいろいろなおとぎばなしかせてくれていた[1]

8さいのときに、父親ちちおや仕事しごと関係かんけいミズーリしゅうセントルイスし、特権とっけん階級かいきゅうだった南部なんぶおだやかならしから、工業こうぎょう都市としのアパートらしに一変いっぺんした。あたらしい環境かんきょうになかなかなじめず、友人ゆうじんもなく、いえごす日々ひびつづいた。このことなる環境かんきょう変化へんかとそれに苦悶くもんする人々ひとびとは、テネシーの作品さくひんによくあらわれるモチーフである[2]

ウィリアムズの家庭かていには問題もんだいおおかった。かれあねローズはおそらくかれたいするもっとおおきな影響えいきょうあたえた。彼女かのじょ精神せいしん障害しょうがい精神せいしん病院びょういんなか生涯しょうがいのほとんどをごし、両親りょうしん結局けっきょく彼女かのじょたいするロボトミー手術しゅじゅつ許可きょかした。ウィリアムズはこのことで両親りょうしんゆるさなかったし、あいするあねすくえなかった自分じぶん自身じしんつみ意識いしきにもくるしんだ[3]かれ作品さくひん登場とうじょう人物じんぶつはしばしば家族かぞくたいする直接ちょくせつ抗議こうぎであるとられる。『欲望よくぼうという電車でんしゃ』のブランチ・デュボワ、『ガラスの動物どうぶつえん』のローラ・ウィングフィールドはあねのローズ、アマンダ・ウィングフィールドは、かれ母親ははおやがモデルであるとされる。また『去年きょねんなつ 突然とつぜん』のセバスチャン、『ガラスの動物どうぶつえん』のトム・ウィングフィールドをふくめて、かれのキャラクターのおおくは自叙伝じじょでんてきである。

かれゲイだったことでられている。秘書ひしょのフランク・マーロ (Frank Marlo) との関係かんけいは、出会であった1947ねんから1963ねんがんによるマーロのまでつづいた。1979ねんの1がつに、ヘイトクライム犠牲ぎせいしゃとしてフロリダしゅうキー・ウェストで5にんの10代の少年しょうねんによって殴打おうだされた。

晩年ばんねん孤独こどくたいする恐怖きょうふからアルコールやドラッグが手放てばなせない生活せいかつになり、1983ねん、ニューヨークのホテルで目薬めぐすりてん鼻薬はなぐすりのキャップをのどまらせ窒息ちっそくした。しかし、かれおとうとデーキン・ウィリアムズなどいくにんかはそれが殺害さつがいだとしんじている。

テネシー・ウィリアムズの墓石はかいし

死後しご遺体いたいハート・クレインくなったカリブ海かりぶかい散骨さんこつしてほしい、という趣旨しゅし遺書いしょ発見はっけんされたが、おとうとデーキンにより1980ねん死去しきょしたははエドウィナがねむるセントルイスのカルヴァリー墓地ぼち埋葬まいそうされた。墓石はかいしには、代表だいひょうさくひとつ『カミノ・レアル』の一節いっせつThe violets in the mountains have broken the rocks.」がきざまれている。のちに、1996ねん死去しきょしたあねのローズ、2008ねん死去しきょしたおとうとデーキンもおな墓地ぼち埋葬まいそうされた(1957ねん死去しきょしたちちコーネリアスだけはテネシーしゅうノックスビル墓地ぼち埋葬まいそうされている[4])。

1948ねんには『欲望よくぼうという電車でんしゃ』で、1955ねんには『あついトタン屋根やねねこ』でピューリツァーしょう受賞じゅしょうしている。

1956ねんにニューヨークの路上ろじょう三島みしま由紀夫ゆきお出会であって[5]以来いらい親交しんこうをもち、すうかい来日らいにちしている。ウィリアムズの死後しご発表はっぴょうされた戯曲ぎきょくひとつで、画家がかジャクソン・ポロックをきっかけにかれた『おとこ』(The Day on Which a Man Dies)は三島みしまささげられ、1957ねん英訳えいやく出版しゅっぱんされた「近代きんだい能楽のうがくしゅう」(Modern Noh Plays)にならって「西洋せいようのう」(An Occidental Noh Play)という副題ふくだいがつけられた。

おも作品さくひん

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やく60の戯曲ぎきょくと2さつ詩集ししゅう出版しゅっぱんしている。

  • ガラスの動物どうぶつえんThe Glass Menagerie 1945ねん
  • 欲望よくぼうという電車でんしゃA Streetcar Named Desire 1947ねん
  • なつけむりSummer and Smoke 1948ねん
  • カミノ・レアル(Camino Real 1953ねん
  • 薔薇ばら刺青しせいThe Rose Tattoo 1955ねん
  • あついトタン屋根やねねこCat On a Hot Tin Roof 1955ねん
  • ベビイ・ドールBaby Doll 1956ねん
  • 地獄じごくのオルフェウス(Orpheus Descending 1957ねん
  • 青春せいしゅんあま小鳥ことりSweet Bird of Youth 1959ねん
  • 去年きょねんなつ 突然とつぜんSuddenly, Last Summer 1959ねん
  • イグアナのよるThe Night of the Iguana 1961ねん
  • ストーン夫人ふじんのローマのはるThe Roman Spring of Mrs. Stone 1961ねん
  • 牛乳ぎゅうにゅう列車れっしゃはもうここにはまらないThe Milk Train Doesn't Stop Here Anymore 1963ねん
  • 風変ふうがわりなナイチンゲール(The Eccentricities of a Nightingale 1964ねん/『なつけむり』の改作かいさく
  • 東京とうきょうのホテルのバーにて(In the Bar of a Tokyo Hotel 1969ねん
  • 二人ふたりだけの芝居しばいThe Two-character Play 1973ねん
  • さけび(Out Cry 1973ねん/『二人ふたりだけの芝居しばい』の改作かいさく
  • なつホテルのよそおい(Clothes for a Summer Hotel 1980ねん
  • トリゴーリンの手帖てちょうThe Notebook of Trigorin 1980ねんチェーホフさくかもめ』の自由じゆう翻案ほんあん

受賞じゅしょうれき

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アカデミーしょう

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ノミネート
1952ねん アカデミー脚色きゃくしょくしょう:『欲望よくぼうという電車でんしゃ
1957ねん アカデミー脚色きゃくしょくしょう:『ベビイ・ドール

日本語にほんごやく

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評伝ひょうでん

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  • 『テネシー・ウィリアムズ評伝ひょうでん』 デイキン・ウィリアムズ/シェパード・ミード(奥村おくむらとおるやく山口やまぐち書店しょてん、1988ねん
  • うしなわれし友情ゆうじょう カポーティ、ウィリアムズ、そしてわたし』 ドナルド・ウィンダム(川本かわもと三郎さぶろうわけ早川書房はやかわしょぼう、1994ねん
  • 『テネシー・ウィリアムズ 最後さいごのドラマ』 ブルース・スミス(鳴海なるみ四郎しろうわけ白水しろみずしゃ、1995ねん
  • 『テネシー・ウィリアムズ がけっぷちの人生じんせい』 ロナルド・ヘイマン(平野ひらの和子かずこやく平凡社へいぼんしゃ〈20世紀せいきメモリアル〉、1995ねん
  • 『テネシー・ウィリアムズのひかりやみ』 ドナルド・スポトー(土井どいひとしわけえいたからしゃ、2000ねん
  • 「Tennessee Williams: Mad Pilgrimage of the Flesh」John Lahr、W W Norton & Co Inc, 2014

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 中村なかむら七重ななえ, 「叙情詩じょじょうしじん テネシー・ウィリアムズ Tennessee Williams as a Lyric Poet」『研究けんきゅう紀要きよう 人文学部じんぶんがくぶ』 9かん p.97-103 1998ねん, ISSN 09166653, NCID AN10288081
  2. ^ 吉川よしかわ和子かずこ , 「テネシー・ウィリアムズ作品さくひんにおけるCONFINEMENT IMAGERYについて : 『ガラスの動物どうぶつえん』と『欲望よくぼうという電車でんしゃおよび『二人ふたりだけの芝居しばい』の考察こうさつ」『大阪産業大学おおさかさんぎょうだいがく論集ろんしゅう. 人文じんぶん社会しゃかい科学かがくへん』 13かん 2011ねん p.35-54, NCID AA12289436
  3. ^ 中村なかむら七重ななえ , 「抑圧よくあつ解放かいほう : テネシー ウィリアムズにみるせい悲劇ひげき」『研究けんきゅう紀要きよう 人文学部じんぶんがくぶ』 5かん p.141-146 1994ねん, 聖徳大学せいとくだいがく, ISSN 09166653, NAID 110000475163
  4. ^ Cornelius Coffin WilliamsFind a Grave
  5. ^ Lahr, John. (2015). Tennessee Williams : Mad Pilgrimage of the Flesh.. Bloomsbury Publishing Plc. ISBN 9781408845769. OCLC 1020686198. http://worldcat.org/oclc/1020686198 

外部がいぶリンク

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