トリンギット

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トリンキットおよび近隣きんりんしょぞく分布ぶんぷ
チルカットブランケット羽織はおるタク部族ぶぞく酋長しゅうちょうアノトクロッシュ、アラスカしゅうジュノー(1913ねんごろ

トリンギットTlingit ['tlɪŋkɪt]、トリンキット)はインディアン部族ぶぞくひとつで、アラスカカナダ先住民せんじゅうみんぞくただしい発音はつおんはクリンキット['klɪŋkɪt], もしくはクリンギット['klɪŋgɪt]。もともとはフリンキットLingít)[ɬɪŋkɪt]とばれていた[1]

文化ぶんか[編集へんしゅう]

アラスカからカナダのブリティッシュ・コロンビアユーコンがわ流域りゅういき太平洋たいへいよう沿岸えんがんうみやまはさまれた環境かんきょうみ、発達はったつした母系ぼけい狩猟しゅりょう採集さいしゅう社会しゃかい構築こうちくしていた。さけやクジラをってらし、ポトラッチトーテムポール風習ふうしゅうられる。かれらのはなトリンギットにはすうおおくの方言ほうげんがある。豊富ほうふ木材もくざい資源しげんもと建築けんちく技術ぎじゅつ発達はったつし、巨大きょだい木造もくぞう家屋かおくつくる。

歴史れきし[編集へんしゅう]

18世紀せいき以降いこう、アラスカ一帯いったい先住民せんじゅうみんぞくたちと西洋せいようじん接触せっしょくはじまった。西洋せいようじんによってもたらされた天然痘てんねんとうなどの感染かんせんしょうによって、それらの免疫めんえきたないトリンギットをはじめとする一帯いったい先住民せんじゅうみんぞくたちのあいだいちじるしく流行りゅうこうした[2]

その[編集へんしゅう]

  • 民族みんぞく写真しゃしんのジョージ・T・エモンズ(w:George T. Emmons)は19世紀せいきわりにその文化ぶんか記録きろくし「トリンキットにかんするすぐれた研究けんきゅう」とひょうされている[3]

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ カナ表記ひょうきほかれいリンギット
  2. ^ Pritzker 2000, p. 209
  3. ^ L.ベルグ『カムチャツカ発見はっけんとベーリング探検たんけんりゅう吟社ぎんしゃ、1942ねん、238ぺーじ 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • Pritzker, Barry M. (2000), A Native American Encyclopedia: History, Culture, and Peoples, Oxford University Press, ISBN 978-0-19-513877-1 

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]