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トルコ文学ぶんがく

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トルコ文学ぶんがく(トルコぶんがく)では、現在げんざいトルコ共和きょうわこく領土りょうどとなっているアナトリア半島はんとう中心ちゅうしんおこなわれてきたトルコじんトルコおよびオスマン、さらにはペルシアひとしによる文学ぶんがく文芸ぶんげい活動かつどうについてべる。

古典こてん文学ぶんがく[編集へんしゅう]

トルコじんがアナトリアに定着ていちゃくしたばかりの11世紀せいきから15世紀せいきのころは、中央ちゅうおうアジア伝統でんとう叙事詩じょじしなどの口承こうしょう文芸ぶんげいと、イランからいだペルシアによる定型ていけいふたつの潮流ちょうりゅうがあった。前者ぜんしゃには、異教徒いきょうととのたたかいをうたった英雄えいゆう叙事詩じょじしおおく、16世紀せいき書写しょしゃされてのこされた「デデ・コルクトのしょ」が有名ゆうめいである。後者こうしゃ代表だいひょうてき詩人しじんには、メヴレヴィー教団きょうだん開祖かいそとなる神秘しんぴ主義しゅぎ詩人しじんジャラール・ウッディーン・ルーミーがいるが、すこ時代じだい詩人しじんユヌス・エムレはあえてトルコによって民衆みんしゅうをうたい、トルコ芸術げいじゅつせいたかめた。

トルコじんしょう君侯くんこうこくから発展はってんしアナトリアの大半たいはん併合へいごうしたオスマン帝国ていこくが、コンスタンティノポリス征服せいふくして首都しゅと宮廷きゅうてい発展はってんさせてくると、ペルシアつよ影響えいきょうけ、韻律いんりつなどにペルシア要素ようそ全面ぜんめんてきれたディーワーン文学ぶんがく英語えいごばんというジャンルが発展はってんし、16世紀せいきだい詩人しじんバーキーフズーリー輩出はいしゅつによってその黄金おうごんむかえる。また、散文さんぶん行政ぎょうせい文書ぶんしょでもイスタンブールはなされるトルコアラビアやペルシア語彙ごい語法ごほうれたオスマン発展はってんし、ペルシア文学ぶんがく美文びぶん調ちょう真似まね作品さくひん数多かずおおかれた。有名ゆうめい作品さくひんには17世紀せいき旅行りょこうエヴリヤ・チェレビ旅行りょこうがあげられる。18世紀せいき前半ぜんはんには堅苦かたくるしいテーマにしばられず自由じゆう現世げんせいてきをうたったネディーム英語えいごばん宮廷きゅうてい詩人しじんとしてもてはやされた。

きん現代げんだい文学ぶんがく[編集へんしゅう]

19世紀せいきタンジマートに、オスマン帝国ていこくフランス近代きんだい模範もはんとしていたことからフランス語ふらんすごまな開明かいめい知識ちしきじんまれ、フランス文学ぶんがく影響えいきょうけて小説しょうせつしんジャンルとしてトルコ文学ぶんがく導入どうにゅうされた。このような運動うんどう主導しゅどうしたナームク・ケマルトルコばんイブラヒム・シナースィー英語えいごばんアフメト・ミドハトトルコばんらは、小説しょうせつつうじて人々ひとびと啓蒙けいもうし、近代きんだいうったえようとした。

20世紀せいきはいるとナショナリズム影響えいきょうけてトルコ文学ぶんがく興隆こうりゅうし、トルコ文語ぶんごたるオスマン口語こうご文学ぶんがく簡略かんりゃく民衆みんしゅう目指めざ運動うんどうがる。1923ねんにオスマン帝国ていこくにかわったトルコ共和きょうわこくのもとではトルコ簡略かんりゃくすすめられる一方いっぽう西洋せいようてき教育きょういくけたエリート知識ちしきじんなかからヤークプ・カドリ・カラオスマンオール英語えいごばん女流じょりゅう作家さっかハリデ・エディプ・アドゥヴァルらがトルコじん民族みんぞく意識いしき人々ひとびとうったえる作品さくひんあらわし、現代げんだい近代きんだいトルコ文学ぶんがくつながってゆく。一方いっぽう分野ぶんやでは共産きょうさん主義しゅぎ傾倒けいとうした詩人しじんナーズム・ヒクメットが、大胆だいたん自由じゆう発表はっぴょうし、トルコ新風しんぷうんだ。

トルコでもだい世界せかい大戦たいせんのマーシャル・プランのれやNATO加盟かめいなどの西側にしがわ陣営じんえいへの傾斜けいしゃながれで複数ふくすう政党せいとうせい導入どうにゅうされると、アメリカからのトラクターのだい規模きぼ導入どうにゅう農民のうみん没落ぼつらく都市としへの流出りゅうしゅつ地主じぬし輸出ゆしゅつ施工しこう財閥ざいばつ台頭たいとうをもたらした。クルドじんでもあり、チュクロヴァ地方ちほう綿花めんか栽培さいばい地主じぬし抑圧よくあつ題材だいざいにしたヤシャル・ケマルはこの時代じだい社会しゃかい政治せいじへの告発こくはつめたものとして人気にんきはくした。

20世紀せいきなかばからは、反骨はんこつてき作風さくふう民衆みんしゅう姿すがたえが作家さっかヤシャル・ケマルが評価ひょうかけ、ノーベルしょうなんもノミネートされたとわれる。その世代せだい1980年代ねんだいにデビューしたオルハン・パムク国際こくさいてき評価ひょうかけ、2006ねんにはノーベル文学ぶんがくしょう受賞じゅしょうするはじめてのトルコじん作家さっかとなった。

日本語にほんごやくされたきん現代げんだいトルコ文学ぶんがく[編集へんしゅう]

関連かんれん文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ アジアの現代げんだい文芸ぶんげい 電子でんし図書館としょかん”. 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん 大同だいどう生命せいめい国際こくさい文化ぶんか基金ききん. 2023ねん10がつ1にち閲覧えつらん
  2. ^ 勝田かつたしげる 著書ちょしょ CiNii
  3. ^ 石井いしい啓一郎けいいちろう 著書ちょしょ CiNii

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]