(Translated by https://www.hiragana.jp/)
メヴレヴィー教団 - Wikipedia コンテンツにスキップ

メヴレヴィー教団きょうだん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

メヴレヴィー教団きょうだん(-きょうだん トルコMevlevilik)とはイスラム教いすらむきょうイスラム神秘しんぴ主義しゅぎ(スーフィズム)の教団きょうだんひとつ。13世紀せいきジャラール・ウッディーン・ルーミー1207ねん - 1273ねん)によって開基かいきされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

セマー(旋舞)の様子ようす
セマー

メヴレヴィー教団きょうだん日本語にほんごでは旋舞教団きょうだんといわれ、スカートをはいた信者しんじゃ音楽おんがくにあわせて、くるくると回転かいてんをしおどるという宗教しゅうきょう行為こうい(セマー)でられる。これはいのりの手段しゅだんであり、回転かいてん宇宙うちゅう運行うんこうあらわし、回転かいてんすることで、かみとの一体いったいはかるというものである。

教団きょうだん中心ちゅうしんはルーミー最期さいごであるトルココンヤであり、はかびょうがある。

ルーミーによる著作ちょさくは『精神せいしんてきマスナヴィー』、『シャムセ・タブリーズ』、『ルーミー語録ごろく』などがあり、とくにルーミーが14ねん歳月さいげつついやしあらわした『精神せいしんてきマスナヴィー』はぜん6かんで2まん5000から構成こうせいされ「ペルシアコーラン」とばれている。

メヴレヴィー教団きょうだんは15世紀せいきごろにはオスマン帝国ていこく庇護ひご隆盛りゅうせいきわめ、なかには信仰しんこうするセリム3せいのようなスルタンあらわれた。

しかし、1923ねんトルコ革命かくめいでは、「だつイスラム政策せいさく」の一環いっかんとして、1927ねんまでに霊廟れいびょうやぶ却され、教団きょうだん解散かいさんさせられた。その歴史れきしてき文化ぶんか価値かちなどから復興ふっこうし、霊廟れいびょう博物館はくぶつかんとして一般いっぱん開放かいほうされており、また舞踏ぶとうもルーミーの命日めいにち体育館たいいくかんなどで披露ひろうされており、トルコの古都ことコンヤを象徴しょうちょうする祭礼さいれいとなっている。

セマーの儀式ぎしきユネスコ無形むけい文化ぶんか遺産いさん登録とうろくされている[1]

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ UNESCO - Mevlevi Sema ceremony” (英語えいご). ich.unesco.org. 2023ねん4がつ6にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]