1430年ごろに、当時の芸術家の重要なパトロンだったフィレンツェの銀行家コジモ・デ・メディチが、自身の邸宅であるメディチ・リッカルディ宮殿 (en:Palazzo Medici Riccardi) の装飾用として、ドナテッロに旧約聖書の登場人物ダヴィデのブロンズ像制作を依頼した。左足で刎ねたゴリアテの首を踏みつけ、右手に剣を下げたダヴィデを表した、現在フィレンツェのバルジェロ美術館が所蔵するこの彫像こそが、古代以降で初めての裸体の立像とされる、ドナテッロの彫刻中でもっとも有名な作品である。それまでの人物彫刻とは全くかけ離れた作風で当時のどの様式にも似ておらず、無慈悲、不合理に打ち勝とうとする都市国家の理念を完璧に表現した作品であるとして、最初の重要なルネサンス彫刻という高い評価を与えられている。
1433年にコジモ・デ・メディチがフィレンツェを追放されたときには、ドナテッロはローマに滞在していたと考えられている。この時期にドナテッロがローマに滞在していたことの証明として、ローマに現存する、サンタ・マリア・イン・アラチェーリ教会 (en:Santa Maria in Aracoeli) の『ジョヴァンニ・クリヴェッリの霊廟』と古代ローマ美術の強い影響が見られるサン・ピエトロ大聖堂の『チボリウム』の2作品をあげることができる。
ドナテッロがフィレンツェに戻ったのは、コジモ・デ・メディチが追放先からフィレンツェへと帰還したのと同時期だった。ドナテッロは1434年5月に、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオとの最後の協同作業となる、プラート大聖堂(ドゥオーモ・ディ・プラート (en:Prato cathedral))の説教壇制作の契約を交わしている。「キリストの殉教」を主題とし、異教徒や歌い踊るプットーなどのレリーフで装飾されているこの説教壇は、ドナテッロが1433年から1438年にかけて断続的に制作したサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の『カントリーア(唱歌壇)』の先駆ともいえるものとなっており、その様式は古代の石棺(サルコファガス)やビザンティン様式の象牙製飾り箱などからの影響が見られる。1435年にはサンタ・クローチェ聖堂の『受胎告知』の彫刻、1437年から1443年にはサン・ロレンツォ教会 (en:Basilica di San Lorenzo di Firenze) 旧聖具室の扉に聖人たちの肖像装飾レリーフを制作している。1438年から、ヴェネツィアのサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂の依頼で、木彫の『洗礼者ヨハネ像』を手がけた。さらに1440年ごろには、現在バルジェロ美術館が所蔵する『カメオの少年』を制作しているが、この作品は古代以降で最初期の胸像である。
1443年にドナテッロは、有名な傭兵でヴェネツィア軍総司令官も勤めて同年1月に死去したガッタメラータの記念像を制作するために、ガッタメラータの遺産相続人からパトヴァに招かれた。サイズ 340 x 390 cm(台座のサイズは 780 x 410 cm[7])の『ガッタメラータ騎馬像』は、ルネサンス期に制作された最初の騎馬彫刻像であるとともに、壮大な古代の騎馬彫刻像を復活させた最初の作品である[8][注釈 1]。そしてこの作品は、その後数世紀にわたって、功のあった軍人を顕彰するために制作される騎馬像の原点、先例といえる存在となっていった[7]。
『ガッタメラータ騎馬像』は、当時のほかのブロンズ像と同様にロストワックスの技法で制作されており、台座上のガッタメラータも馬も等身大で表現されている。古代ローマの彫刻『マルクス・アウレリウス騎馬像』 (en:Equestrian Statue of Marcus Aurelius) のように、対象物の偉大さ、力強さを強調する目的で実際のサイズよりも大きく表現する手法ではなく、等身大のこの彫刻でドナテッロは、感情、ポーズ、象徴表現などによって、ガッタメラータの偉大さを描写しようとした。ドナテッロはガッタメラータを潤色、脚色することなく、ありのままの力強さを表現しようとしており、実際に等身大のこの騎馬像は十分にガッタメラータの偉大さが伝わる作品となっている。また、騎馬像の台座上部には「扉」が表現された2点のレリーフがある。この「扉」は地下への門を意味する象徴であり、実際にはガッタメラータが葬られてはいないにもかかわらず、この騎馬像にあたかも墓標であるかのような印象を与えている[7]。片方のレリーフには2体のプットー (en:putto) が支えるガッタメラータの紋章が、もう片方のレリーフには甲冑を誇示する天使が刻まれている[7]。
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Roberto Manescalchi Il Marzocco / The lion of Florence. In collaborazione con Maria Carchio, Alessandro del Meglio, English summary by Gianna Crescioli. Grafica European Center of Fine Arts e Assessorato allo sport e tempo libero, Valorizzazioni tradizioni fiorentine, Toponomastica, Relazioni internazionale e gemellaggi del comune di Firenze, novembre, 2005.