(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ドルゴプルドニ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ドルゴプルドニ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

座標ざひょう: 北緯ほくい5556ふん 東経とうけい3730ふん / 北緯ほくい55.933 東経とうけい37.500 / 55.933; 37.500

ドルゴプルドニ
Долгопрудный
ドルゴプルドニの市旗 ドルゴプルドニの市章
はた あきら
座標ざひょう : 北緯ほくい5556ふん 東経とうけい3730ふん / 北緯ほくい55.933 東経とうけい37.500 / 55.933; 37.500
歴史れきし
成立せいりつ 1935ねん
行政ぎょうせい
くに ロシアの旗 ロシア
 連邦れんぽう管区かんく 中央ちゅうおう連邦れんぽう管区かんく
 行政ぎょうせい区画くかく モスクワしゅう
  ドルゴプルドニ
地理ちり
面積めんせき  
  市域しいき 30.5 km2
人口じんこう
人口じんこう (2021ねん現在げんざい
  市域しいき 120,907にん
  備考びこう [1]
その
ひとしときおび モスクワ時間じかん (UTC+3)
郵便ゆうびん番号ばんごう
公式こうしきウェブサイト : http://www.dolgoprudny.com

ドルゴプルドニ(ドルゴプルードニイ、ロシア: Долгопру́дныйラテン文字もじ表記ひょうきれい: Dolgoprudny)は、ロシアモスクワしゅうにある都市とし人口じんこうやく12まんにん(2021ねん)。モスクワ都心としんからきたへ20キロメートル。みなみにはモスクワ環状かんじょう道路どうろはしり、ヒムキ南西なんせいにあり、西にしさかいにはモスクワ運河うんがとおり、きたにはクリャージミンスコエ貯水ちょすいがある。

モスクワのサヴョーロフスキーえきからはエレクトリーチカで20ふんほど。モスクワからドミトロフとおってドゥブナいたるドミトロフスコエ街道かいどうまちのすぐひがしとおる。

まちは、「ながいけ」を意味いみするドルギイ・プルド(Долгий пруд)に由来ゆらいし、そのとお細長ほそながみずうみまち北東ほくとうにある。

歴史れきし

[編集へんしゅう]
ドルゴプルドニのモスクワ物理ぶつり工科こうか大学だいがくのキャンパス
ドルゴプルドニ市街しがい

現代げんだいのドルゴプルドニのまち場所ばしょには、ヴィノグラドヴォという集落しゅうらくおそくとも17世紀せいきより存在そんざいし、ガヴリール・プーシオキン(アレクサンドル・プーシキン先祖せんぞ)の領地りょうちとなっていた。

1900年代ねんだいにモスクワからきたのサヴョロヴォ(現在げんざいキームルィ)へびる鉄道てつどう開通かいつうし、ドルゴプルドニには1914ねんえき開業かいぎょうした。このにできた飛行船ひこうせん工場こうじょう労働ろうどうしゃのために1931ねん集落しゅうらく誕生たんじょうし、木造もくぞう平屋ひらやや2かいての建物たてものならぶようになった。この工場こうじょうではイタリアの飛行船ひこうせん技術ぎじゅつしゃ探検たんけんでもあったウンベルト・ノビレが、ソ連それんせたのちに5ねんほど勤務きんむしていた。この集落しゅうらく1935ねんには都市としがた集落しゅうらく昇格しょうかくし、飛行船ひこうせん工場こうじょうにちなんでジリジャブレストロイДирижаблестрой、「飛行船ひこうせん建造けんぞうまち」)と名付なづけられた。1934ねん建設けんせつされた飛行船ひこうせんのハンガーは現存げんそんしているが保存ほぞん状態じょうたいわるく、2001ねんには積雪せきせつおもみで屋根やねくずれている。1930年代ねんだい後半こうはんには下水道げすいどうなどが整備せいびされ、レンガづくりの中層ちゅうそうアパートもつようになり、まち中心ちゅうしんにはスターリン様式ようしき文化ぶんか宮殿きゅうでんった。

1937ねんにはモスクワがわヴォルガがわむすモスクワ運河うんが開通かいつうし、飛行船ひこうせん工場こうじょう以外いがいおおきな工場こうじょうつようになった。まち北端ほくたんにはこのときにできた運河うんがのための船舶せんぱく修理しゅうり工場こうじょうっている。この工場こうじょうでは、運河うんが建設けんせつ強制きょうせい労働ろうどうしゃのためにてられたバラックを使つかっている。また運河うんが建設けんせつともなっていし加工かこう工場こうじょうもできた。この工場こうじょうでは運河うんがきし使つか花崗岩かこうがん製造せいぞうしたほか、モスクワ地下鉄ちかてつやモスクワがわ散歩道さんぽみちなどにも石材せきざい供給きょうきゅうした。

1930年代ねんだいまつには飛行船ひこうせん建造けんぞう下火したびになり、まち現在げんざいのドルゴプルドニにあらためられた。飛行船ひこうせん工場こうじょうのち軍用ぐんよう工場こうじょうなどになり、さらにミサイルもつくるようになった(現在げんざいのOAO "DNPP" しゃ)。飛行船ひこうせん充填じゅうてんするガスをつく工場こうじょう化学かがく工場こうじょう転用てんようされた。1939ねん人口じんこうは9,000にんほどとなった。どくせんはじまるとドルゴプルドニの工場こうじょうおおくはウラル山脈さんみゃく方面ほうめんへと疎開そかいし、のこった工場こうじょう武器ぶき弾薬だんやく製造せいぞうおこなった。ドイツ国防こくぼうぐんはドルゴプルドニのすうキロメートルちかくまでせまったが、まち陥落かんらくさせるまでにはいたらなかった。

だい世界せかい大戦たいせんこうまち成長せいちょうつづいた。1951ねんには名門めいもん大学だいがくであるモスクワ物理ぶつり工科こうか大学だいがく(Moscow Institute of Physics and Technology、フィズテック)がドルゴプルドニに移転いてんし、ソビエト連邦れんぽうのトップクラスの工科こうか大学だいがくへと成長せいちょうした。ピョートル・カピッツァレフ・ランダウニコライ・セミョーノフといったノーベルしょう学者がくしゃもこの大学だいがく教鞭きょうべんをとった。1959ねんにはドルゴプルドニの人口じんこうは25,000にんかぞえた。1969ねんからは9かいてや16かいての団地だんちならび、これが現在げんざい町並まちなみを特徴とくちょうづけている。になったのは1957ねんのことであった。

カザンの生神うるかみおんな聖堂せいどう1774ねん木造もくぞう聖堂せいどうとしててられ、ソビエト連邦れんぽう崩壊ほうかい1997ねんから2003ねんにかけておおきい聖堂せいどうへとなおされた

経済けいざい

[編集へんしゅう]

現在げんざいしゅ産業さんぎょう機械きかい工業こうぎょう化学かがく工業こうぎょうなどである。モスクワに至近しきんであることから、近郊きんこう住宅じゅうたくへの需要じゅようぞうけてドルゴプルドニでは住宅じゅうたくだい規模きぼ店舗てんぽなどの建設けんせつすすんでいる。

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ city population”. 2023ねん5がつ17にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]