(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ニューイングランド・ペイトリオッツ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ニューイングランド・ペイトリオッツ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニューイングランド・ペイトリオッツ
New England Patriots
創設そうせつ 1959ねん11月16にち (64ねんまえ) (1959-11-16)
AFL参入さんにゅう 1960ねんシーズン
所属しょぞく地区ちく
チームデザイン
チームロゴ
 
チームカラー
  ネイビーブルー
  あか
  ぎん
  しろ
ユニフォーム
チームめい
  • ニューイングランド・ペイトリオッツ(1971-現在げんざい
    • ボストン・ペイトリオッツ(1960-1970)
ホームタウン
1960-現在の位置(アメリカ合衆国内)
1960-現在
1960-現在げんざい

マサチューセッツしゅうフォックスボロ(1971-現在げんざい
マサチューセッツしゅうボストン(1960-1970)

ジレット・スタジアム
 CMGIフィールド
(2002-現在げんざい
フォックスボロ・スタジアム
 サリバン・スタジアム
 シェーファー・スタジアム
(1971-2001)
ハーバード・スタジアム(1970)
アラムナイ・スタジアム(1969)
フェンウェイ・パーク(1963-1968)
ニッカーソン・フィールド(1960-1962)

永久えいきゅう欠番けつばん
獲得かくとくタイトル
スーパーボウル・チャンピオン (6かい)
カンファレンス・チャンピオン (11かい)
AFC
地区ちく優勝ゆうしょう (21かい)
きゅうAFCひがし地区ちく
AFCひがし地区ちく
ワイルドカード(4かい)
プレーオフ進出しんしゅつ(26/59かい)
球団きゅうだん組織そしき
オーナー ロバート・クラフト(Robert Kraft)
GM なし
ヘッドコーチ ジェロッド・メイヨ英語えいごばん

ニューイングランド・ペイトリオッツ英語えいご: New England Patriots略称りゃくしょう: NE)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくマサチューセッツしゅうフォックスボロ本拠地ほんきょちをおくNFLチーム。AFCひがし地区ちく所属しょぞくしている。ホームスタジアムとチーム本部ほんぶは、ボストンの35km南西なんせい位置いちするフォックスボロのジレット・スタジアム位置いちしている。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

過去かこ11スーパーボウル出場しゅつじょうし、 6NFLチャンピオンにかがやいている。とく2000ねんだいはいってからはヘッドコーチ (HC) ビル・ベリチッククォーターバック (QB) トム・ブレイディのもとで2001ねん2003ねん2004ねん2014ねん2016ねん2018ねんシーズンとNFLをせいしている。

アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)創立そうりつとも誕生たんじょうし、当初とうしょのチームめい公募こうぼにより決定けっていしたボストン・ペイトリオッツ(Boston Patriots)であった[1]。チームめい由来ゆらい本拠ほんきょニューイングランド北東ほくとう6しゅう総称そうしょう)がアメリカ独立どくりつ戦争せんそう舞台ぶたいだったことから愛国あいこくしゃ意味いみするPatriotsを採用さいようした。1971ねんボストン(マサチューセッツしゅう近郊きんこう北東ほくとうしゅうからの要望ようぼうでニューイングランド・ペイトリオッツに改称かいしょうした。チームフラッグにはアメリカが独立どくりつしたさいの13しゅう当時とうじ国旗こっきあかしろのストライプに13の☆)がえがかれている。愛称あいしょうパッツ(Pats)。

歴史れきし

[編集へんしゅう]

AFL時代じだい

[編集へんしゅう]

1959ねん11月、ビリー・サリバンによってアメリカン・フットボール・リーグ(AFL)8番目ばんめそして最後さいごのフランチャイズとしてチームが設立せつりつされた。

1960ねん、AFL最初さいしょのプレシーズンゲームでバッファロー・ビルズやぶった。ホームでむかえた開幕かいまくせんではデンバー・ブロンコスに10-13でやぶれた[1]だい2しゅうニューヨーク・タイタンズせんはつ勝利しょうりげた。まただい8しゅう試合しあいでホームはつ勝利しょうりをあげた[1]。このシーズンはAFL東部とうぶ地区ちく最下位さいかいの5しょう9はいわった。

1961ねん、2しょう3はいとなったところでヘッドコーチのルー・セイバン解雇かいこされ、マイク・ホロバック就任しゅうにんのこ試合しあいを7しょう1はい1ふんえて9しょう4はい1ふんでシーズンをえた。

1962ねんも9しょう4はい1ぶん成績せいせきのこしたがプレーオフ進出しんしゅつはならなかった。

1963ねん本拠地ほんきょちニッカーソン・フィールドからフェンウェイ・パークうつした。7しょう6はい1けの成績せいせきだったがはつのプレーオフ進出しんしゅつたした。バッファローおこなわれたビルズせんに26-8と勝利しょうりしAFLチャンピオンシップゲームにはつ進出しんしゅつたしたが、サンディエゴ・チャージャーズに10-51でやぶれて優勝ゆうしょうはならなかった。AFLにぞくしていたあいだチームがプレーオフに出場しゅつじょうしたのはこのシーズンのみであった。なおこのとしのオールスターゲームにはチームからジーノ・キャパレッティニック・ブオニコンティベイブ・パリリら11にんえらばれた。

1964ねん、キャパレッティがWRとして7タッチダウン、プレースキッカーとしてFG、PATで111得点とくてんげシーズンMVPにえらばれる活躍かつやくせた。10しょう2はい1ふんむかえた最終さいしゅうせん地元じもとフェンウェイパークおこなわれたビルズせんには観客かんきゃく38,021にん入場にゅうじょうしソールドアウトとなったが、ファンの期待きたいもむなしく14-24でやぶれプレーオフ進出しんしゅつはならなかった。

1965ねん開幕かいまくから7連敗れんぱいきっし、ハロウィンおこなわれたサンディエゴ・チャージャーズせんでようやくはつ勝利しょうりげた。11試合しあい終了しゅうりょう時点じてんでも1しょう8はい2ふんという成績せいせきだったが最後さいごに3連勝れんしょうたし、4しょう8はい2ふんでかろうじてリーグ最下位さいかい成績せいせきまぬかれた。

1966ねん、1しょう2はい1ふんでスタートしたがFBのジム・ナンスがAFLレコードとなる1,458ヤードをはし活躍かつやくせ、チームも8しょう3はい2ふんとプレーオフ進出しんしゅつこういちのところまでせまった。

1967ねんワールドシリーズボストン・レッドソックス進出しんしゅつした関係かんけい最初さいしょの5試合しあいをロードでプレイすることとなり、1しょう3はい1ふんでスタートする。前年ぜんねん活躍かつやくしたナンスが1,216ヤードをはしりシーズンMVPを獲得かくとくした[2][3]が、3しょう8はい1ふん最下位さいかいわった。

1968ねん、4しょう10はいわり、シーズン終了しゅうりょうとともにホロバックHCは解任かいにんされクライブ・ラッシュあたらしいHCとなった。またこのシーズンを最後さいごに、6シーズンをたたかったフェンウェイパークにわかれをげた。

1969ねん本拠地ほんきょちボストンカレッジアラムナイ・スタジアムうつした。クライブ・ラッシュヘッドコーチはっぱらったままチームの指揮しきり、黒人こくじん守備しゅび選手せんしゅが11にん在籍ざいせきしていなかったにもかかわらずオフェンス選手せんしゅのコンバートなどで守備しゅび選手せんしゅ11にんすべてを黒人こくじん選手せんしゅにそろえるというブラック・パワー・ディフェンス(Black Power Defense)を導入どうにゅうした[4]。しかしチーム状況じょうきょう好転こうてんせず開幕かいまくから7連敗れんぱいきっし、4しょう10はいわった。

1970ねんから1992ねんまで

[編集へんしゅう]

1970ねんにAFLとNFLが正式せいしき合併がっぺい完了かんりょうし、NFLのAFC(アメリカンフットボールカンファレンス)ひがし地区ちくぞくすこととなった。ミネソタ・バイキングスのQBでNFLのMVPを獲得かくとくしたジョー・キャップ獲得かくとくしたがシーズン成績せいせきはAFCから参加さんかしたチームワーストの2しょう14はいわった。このとしチームはハーバード・スタジアム本拠地ほんきょちとした。

1971ねんにチームめいを「Bay State Patriots」とえたのちおなねんニューイングランド・ペイトリオッツ改称かいしょうした。チームは創設そうせつ以来いらい11年間ねんかんで4つのスタジアムを転々てんてんとしていたが、1971ねんから本拠地ほんきょちフォックスボロ・スタジアム(710まんドルをかけてわずか325にち完成かんせいした)[1][ちゅう 1]うつした。ドラフトでは全体ぜんたい1ハイズマンしょう獲得かくとくしたスタンフォード大学だいがく出身しゅっしんジム・プランケット[5][6]指名しめいした[7]。またスタンフォード大学だいがく時代じだいにプランケットがこのんだWRのランディ・バタハフリーエージェント獲得かくとくした。開幕かいまくせん強豪きょうごうオークランド・レイダースやぶったのち5連敗れんぱいきっしたがスーパーボウルに出場しゅつじょうしたマイアミ・ドルフィンズやぶるなど、最終さいしゅうてきに6しょう8はいえた。

1972ねん、プランケットが2ねんのジンクス見舞みまわれた。2しょう1はいでスタートしたのち、チームは9連敗れんぱいしてしまう。9連敗れんぱいちゅうにヘッドコーチのジョン・メーザーゼネラルマネージャーアプトン・ベル解雇かいこされ、フィル・ベングソンがヘッドコーチとなり4試合しあい指揮しきったが1しょうしかくわえることができず3しょう11はいわった。

1973ねんから1985ねんまで在籍ざいせきしたOGジョン・ハナ

1973ねんのドラフトでそのチームはつのNFL殿堂でんどうりをたすことになるジョン・ハナ加入かにゅうした[ちゅう 2]。このとしのドラフトではチームの歴代れきだい通算つうさんラッシングリーダーとなるRBサム・カニンガム[8]やWRダリル・スティングレー加入かにゅうし、さらにオクラホマ大学だいがくのヘッドコーチとして成功せいこうしていたチャック・フェアバンクスあらたなHCとしてむかえた。シーズンを2しょう7はいでスタートするもその3連勝れんしょうたし、5しょう9はいでシーズンをえた。

1974ねんには開幕かいまくせんでスーパーボウルチャンピオンのドルフィンズに勝利しょうりするなど6しょう1はいこうスタートをったがシーズン後半こうはんにわずか1しょうしかあげることができず7しょう7はいわった。

1975ねん、プランケットが負傷ふしょうしてしまいひかえQBのスティーブ・グローガンでシーズンをたたかった。3しょう11はいわりシーズン終了しゅうりょう、チームはプランケットをサンフランシスコ・49ers放出ほうしゅつした[ちゅう 3]

1976ねん、チームはプランケットのトレードでたドラフトけん利用りようしてディフェンスバックのマイク・ヘインズティム・フォックス獲得かくとく先発せんぱつQBには2ねんのグローガンを起用きようした。開幕かいまくせんとしたもののつづく3試合しあいにドルフィンズ、スティーラーズ、レイダースとAFCの強豪きょうごう撃破げきは、チーム創設そうせつ以来いらい最高さいこうの11しょう3はい記録きろくして1963ねん以来いらいのプレーオフ進出しんしゅつたした。プレーオフではレギュラーシーズンに48-17と圧勝あっしょうしたオークランド・レイダースと対戦たいせんした。21-17とリードしてむかえた試合しあい終盤しゅうばん、QBグローガンがロン・フランシスねらってパスをげたが失敗しっぱい相手あいてラインバッカーのフィル・ビラピアーノがフランシスのパスたままえにヒットしていたがペナルティはられず、つぎのプレイで50ヤードのFGをねらうも失敗しっぱいわる。そしてレイダースに自陣じじん27ヤードまでまれた3rdダウン18の場面ばめん、QBケン・ステイブラーのパスは失敗しっぱいわり勝利しょうりおおきく前進ぜんしんしたかとおもわれたが、このプレーでDTレイ・ハミルトンラフィング・ザ・パッサー反則はんそくおかしていたとしてペイトリオッツ陣内じんない12ヤードでのファーストダウンがあたえられた。つづいて2つのアンスポーツマンライク・コンダクト反則はんそくられ、最後さいごはステイブラーにのこり10びょうで1ヤードのTDランをめられ21-24でやぶった。この試合しあいはレフェリーのベン・ドレイスをとって、ベン・ドレイス・ゲームともわれている。ペイトリオッツのQBグローガンはこの試合しあいについて「大事だいじものうばわれた。められたんだ。」とかたり、この試合しあいでの無念むねんれることは永遠えいえんにないとはなした[9]

1977ねんは、ジョン・ハナとレオン・グレイ契約けいやく難航なんこう、9しょう5はいでプレーオフをのがした。

1978ねんのプレシーズンゲームでスターWRのダリル・スティングレーがオークランド・レイダースのジャック・テイタムのハードヒットをけてほぼ全身ぜんしん麻痺まひとなりそのまま引退いんたいまれた[10]主力しゅりょく選手せんしゅうしなったものの10しょう4はいむかえたビルズせんのこり8びょうデビッド・ポージーの34ヤードのFGがまると60,000にんのファンは一斉いっせいにグラウンドになだれんで地区ちく優勝ゆうしょういわった。最終さいしゅうせん直前ちょくぜんにHCのフェアバンクスがコロラド大学だいがくボルダーこうのHCとなることがあきらかにされ試合しあいまえにフェアバンクスはチームオーナーのビリー・サリバンによってクビにされロン・エルハルト指揮しきった。プレーオフ1回戦かいせんはフェアバンクスが再度さいどサイドラインから指揮しきり、地元じもとシェーファー・スタジアムでたたかったがヒューストン・オイラーズやぶれファンはHCにたいしてブーイングおこなった。

1979ねんマンデーナイトフットボールとなった開幕かいまくせんのスティーラーズせんにスティングレーが姿すがたげんわしファンのスタンディングオベーションけた。1979ねんは7しょう3はいこうスタートをったが最後さいごの6試合しあいで4はいし、9しょう7はいわりプレーオフをのがした。

1980ねんはスターRBのサム・カニンガムがシーズンぜん試合しあい欠場けつじょうしたが、わってルーキーRBのバーガス・ファーガスンがチームのルーキーラッシング記録きろくえる活躍かつやくせた。チームは6しょう1はいでスタートしたものの10しょう6はいわった。

1981ねん過去かこ2シーズンをプレーオフをわずかののがしていたチームはプレシーズンゲームを4連勝れんしょうえてファンの期待きたいたかまった。しかし開幕かいまくから4連敗れんぱいしそのの3試合しあいで2しょうげたが最後さいごは9連敗れんぱいで2しょう14はいわり、おなじく2しょう14はいだったボルチモア・コルツに2しょう献上けんじょうしてしまうなどのていたらくであった。シーズン終了しゅうりょうHCのエルハルトは解任かいにんされた。

1982ねんロン・マイヤーしんヘッドコーチにむかストライキ短縮たんしゅくされたシーズン、Snowplow Game[ちゅう 4]ばれたマイアミ・ドルフィンズとのゲームを3-0でつなど、8チームが出場しゅつじょうしたこのとしのプレーオフにだい7シードで出場しゅつじょうたした。しかしマイアミおこなわれたプレーオフ1回戦かいせんでドルフィンズにやぶれ、プレーオフ勝利しょうりつづいた。

1983ねん、QBトニー・イースンをドラフト1じゅん指名しめいした[ちゅう 5]。チームはかぎになる試合しあいとし8しょう8はいでプレーオフをのがした。

1984ねん、ドラフトの全体ぜんたい1ネブラスカ大学だいがくのWRアービン・フライヤー獲得かくとく、トニー・イースンが先発せんぱつQBとなった。序盤じょばんを5しょう2はいでスタートしたが連敗れんぱいしたところでマイヤーコーチは解雇かいこされてしんHCにはもとWRのレイモンド・ベリー就任しゅうにんした。ベリーがコーチに就任しゅうにんしてからの最初さいしょの4試合しあいちゅう3試合しあい勝利しょうりおさめたが12月にはいって3連敗れんぱいするなど9しょう7はいわり、プレーオフ進出しんしゅつはならなかった。

1985ねんにベリーHCは、イースンにえてグローガンを先発せんぱつQBとしたがシーズン終盤しゅうばんグローガンは左足ひだりあし負傷ふしょうふたたびイースンが先発せんぱつかえいた。チームは6連勝れんしょうするなど11しょう5はいでシーズンをえ、ワイルドカードでプレーオフ進出しんしゅつたした。HCベリーは、コーチ・オブ・ザ・イヤーにえらばれた。プレーオフ1回戦かいせんニューヨーク・ジェッツやぶりプレーオフでのはつ勝利しょうりげるとレイダースせんでは6つのターンオーバーをうばい27-20でAFCチャンピオンシップゲームすすんだ。そしてどう地区ちくのライバルであるドルフィンズを20連敗れんぱいしていたてきマイアミでやぶだい20かいスーパーボウル出場しゅつじょう、シカゴ・ベアーズと対戦たいせんすることとなった。しかしアービン・フライヤーが家庭かていないのトラブルで負傷ふしょうしたことがあきらかにされるなど雑音ざつおんきながらスーパーボウルウィークをむかえることとなった。この試合しあい相手あいてのエースRBウォルター・ペイトンのファンブルなどで3-0と先制せんせいしたものの、ファーストプレイでTEのリン・ドーソン負傷ふしょう退場たいじょうし、そのベアーズに連続れんぞくして46得点とくてんれられる。ゲーム終了しゅうりょうまえに1TDをうばったが、10-46とスーパーボウルしん記録きろくとなる36てん大敗たいはいした。リーグベストのガード1人ひとり評価ひょうかされていたジョン・ハナはスーパーボウル出場しゅつじょう最後さいご引退いんたいした。

1986ねん、チームはイースンからWRスタンリー・モーガンへのパスゲームをゲームプランの中心ちゅうしんたてて、モーガンはレシーブで1,500ヤードちかくを獲得かくとくした。しかしラッシングオフェンスはリーグ最下位さいかいわった。11しょう5はい地区ちく優勝ゆうしょうたしプレーオフ1回戦かいせんてきデンバーんだがだい4Q終盤しゅうばんジョン・エルウェイからバンス・ジョンソンへのタッチダウンパスがまりブロンコスやぶれた。そのチームは8年間ねんかんプレーオフからとおざかることとなった。

1987ねん選手せんしゅのストライキがきた期間きかん地元じもとボストンカレッジ出身しゅっしんで1984ねんにハイズマンしょうったダグ・フルーティ加入かにゅうした。ディフェンス選手せんしゅおおくがストライキに参加さんかしてそのあいだの3試合しあい代替だいたい選手せんしゅがプレーした。

1988ねん、オーナーだったサリバンファミリーは事業じぎょう失敗しっぱいなどで巨額きょがく損失そんしつしたため8400まんドルでチームは売却ばいきゃくされた。このシーズンはフルーティが最初さいしょの5試合しあい先発せんぱつしたが、そのイースンが先発せんぱつQBとなった。これは成功せいこうおさめ9しょう7はいとなりわずかのでプレーオフをのがした。

1989ねん、チームのディフェンスの中心ちゅうしんだった3選手せんしゅアンドレ・ティペットガリン・ベリスロニー・リペットがプレシーズンゲームのおな試合しあい負傷ふしょう戦列せんれつ離脱りだつしてしまうという不運ふうんもあり5しょう11はいわった。

1990ねん、フルーティはカナディアン・フットボール・リーグ移籍いせき長年ながねんゼネラルマネージャーをつとめていたディック・スタインバーグもジェッツのゼネラルマネージャーとなるためチームをはなれた。ベリーHCも解雇かいこされ、ピッツバーグ・スティーラーズのディフェンシブ・コーディネーターであったロッド・ラストあたらしいヘッドコーチとなった。このとしチームは創設そうせつ以来いらい最悪さいあくの1しょう15はいわる。9月17にちボストンヘラルドの26さい女性じょせいレポーターリサ・オルソンたいしてチームのロッカールームセクハラ行為こうい複数ふくすう選手せんしゅおこなったことが報道ほうどうされた。このスキャンダルにたいしてNFLコミッショナーポール・タグリアブはチームに5まんドルの罰金ばっきん、TEジーク・モワット、WRマイケル・ティンプソン、RBロバート・ペリーマンの3選手せんしゅにもそれぞれ罰金ばっきんされた[11][12]

1991ねん、6しょう10はい地区ちく4わる。

1992ねんにはチームが売却ばいきゃくされてセントルイス移転いてんするのではないかという報道ほうどうがあった。しかし移転いてんおこなわれずチームは2しょう14はいわった。シーズンオフにチームはディック・マクファーソンHCを解雇かいこニューヨーク・ジャイアンツで2スーパーボウル制覇せいは(1987ねん、1991ねん)したビル・パーセルズ契約けいやくした。

ブレッドソー時代じだい

[編集へんしゅう]
QBのドリュー・ブレッドソー

1993ねんのドラフトでは全体ぜんたい1指名しめいドリュー・ブレッドソー獲得かくとくした。このシーズンは5しょう11はいわった。

1994ねんにはドラフト全体ぜんたい4ウィリー・マクギネストのちに3のスーパーボウル制覇せいは貢献こうけん)を獲得かくとくした。シーズン途中とちゅうまで3しょう6はい低迷ていめいしていたが、最後さいごの7試合しあい連勝れんしょうして10しょう6はいとしてプレーオフ出場しゅつじょうたした。ブレッドソーはリーグトップとなるパス4,555ヤードを記録きろくするなどの活躍かつやく自身じしんはつのプロボウルに選出せんしゅつされた。

1995ねんは6しょう10はいにとどまった。TEベン・コーツは2ねん連続れんぞくでプロボウルとオールプロの両方りょうほう選出せんしゅつされた。

1996ねんシーズンチームは11しょう5はい地区ちく優勝ゆうしょうたすと、だい2シードで出場しゅつじょうしたプレーオフでは安定あんていしたたたかいを勝利しょうりだい31かいスーパーボウル出場しゅつじょうたした。スーパーボウルではだい1Qにブレッドソーが2TDパスをめ14-10とリードをうばうも、だい2Qに17てんめられはなされる。ブレッドソーはだい2Q以降いこうTDパスをめられず、ぎゃくに4つのINTをきっするなどしてブレット・ファーブようするグリーンベイ・パッカーズに21-35でやぶれた。この試合しあい最後さいごにHCパーセルズはジェッツにった。

1997ねんピート・キャロルがHCに就任しゅうにんした。パーセルズがHCをつとめるニューヨーク・ジェッツとのあいだ何人なんにんもの選手せんしゅやコーチが移籍いせきし、そのなかにはRBのカーティス・マーティンふくまれていた。チームは10しょう6はい地区ちく優勝ゆうしょうたし、プレーオフ1回戦かいせんでドルフィンズを17-3でやぶったがピッツバーグ・スティーラーズに6-7のロースコアゲームでやぶれた。

1998ねんには9しょう7はいでAFCひがし地区ちく4ながらプレーオフに進出しんしゅつしたが、1回戦かいせんジャクソンビル・ジャガーズやぶれた。

1999ねん序盤じょばんはブレッドソーが13TDパスにたいしわずか4INTと好調こうちょうでチームも6しょう2はいでシーズンをかえしたが、シーズン後半こうはんはブレッドソーが6TDにたいして17INTを献上けんじょうするなど調子ちょうしくずし、チームも失速しっそくして8しょう8はいわった。シーズン終了しゅうりょうHCキャロルは解雇かいこされた。

2000ねんにHCに就任しゅうにんしたビル・ベリチック

2000ねんもとクリーブランド・ブラウンズのヘッドコーチで、ニューヨーク・ジャイアンツ時代じだいにディフェンシブ・コーディネーターとしてビル・パーセルズとともに2のスーパーボウル制覇せいは経験けいけんしたビル・ベリチック就任しゅうにんした。当初とうしょベリチックはパーセルズのあとをいでニューヨーク・ジェッツのHCに就任しゅうにんしたが、それを辞任じにんしてペイトリオッツと契約けいやくした。これにたいしてジェッツとパーセルズが異議いぎもうて、NFLコミッショナーがみとめたためペイトリオッツは2000年度ねんどのドラフト1じゅん指名しめいけんとの交換こうかんというかたちでベリチックと契約けいやくした。ベリチックはオーナーのロバート・クラフトからゼネラル・マネージャーとしての権限けんげんたくされた。しかし開幕かいまくから4連敗れんぱいつまずくと、シーズン中盤ちゅうばんにも4連敗れんぱい早々そうそうにプレーオフ戦線せんせんから脱落だつらくした。1999ねんシーズンにリーグ8健闘けんとうしたディフェンスの成績せいせきおおきく下降かこう[13]、オフェンスも低調ていちょうわり5しょう11はいでシーズンをえた。

ブレイディ時代ときよ

[編集へんしゅう]

2001ねんシーズン

[編集へんしゅう]
2001ねんシーズンちゅうよりレギュラーに定着ていちゃくしたトム・ブレイディ

2001ねん、ドラフト全体ぜんたい6大型おおがた新人しんじんリチャード・シーモア獲得かくとくしたが、さくシーズンは攻守こうしゅとも低調ていちょうだったこともあり下馬評げばひょうにはらなかった。チームは開幕かいまくせんやぶれると、だい2しゅうのニューヨーク・ジェッツせんではエースQBドリュー・ブレッドソーモー・ルイス強烈きょうれつなタックルをけて負傷ふしょう退場たいじょうし、ひかえQBのトム・ブレイディ交代こうたいした。ブレイディは2000ねんのドラフト6じゅん指名しめい全体ぜんたい199選手せんしゅで、ルーキーシーズンは3かいパスをげただけであった。この試合しあいにもやぶれチームは連敗れんぱいスタートとなったがだい3しゅうインディアナポリス・コルツせんはつ勝利しょうりをあげる。だい5しゅうサンディエゴ・チャージャーズせんではブレイディがキャリアはつのTDパスをめるとともに、だい4Qには10てんのビハインドからのこり40びょうでこの2つのTDパスをとお同点どうてんとすると、オーバータイムでアダム・ビナティエリが44ヤードのFGをめて劇的げきてき勝利しょうりおさめた。長年ながねんチームをってきたブレッドソーの離脱りだつはチームにおおきな影響えいきょうあたえるかとおもわれたが、リスクをけボールコントロールを重視じゅうしするブレイディのプレースタイルは徐々じょじょにチームにフィットしていった。チームはけをかえだい10しゅうセントルイス・ラムズやぶれ5しょう5はいとなるが、そのベリチックの指揮しきするディフェンスとブレイディによるゲームメイクオフェンスの両者りょうしゃぞろ勝利しょうりかさね、11しょう5はいでAFCひがし地区ちく優勝ゆうしょうたした。

タック・ルール・ゲームばれたAFCディビジョナル・プレーオフでは豪雪ごうせつなかオークランド・レイダース対戦たいせんした。だい4Qまで10てんをリードされるくるしい展開てんかいとなるが終盤しゅうばんげると、試合しあい時間じかんのこり2ふん6びょうからはじまったドライブでは疑惑ぎわく判定はんていがあったのち、吹雪ふぶきなかビナティエリがのこり32びょうで45ヤードのFGを同点どうてんとしオーバータイムに突入とつにゅう最後さいごはビナティエリが23ヤードの決勝けっしょうFGをめて勝利しょうりした。てきピッツバーグんだAFCチャンピオンシップゲームでのピッツバーグ・スティーラーズせんではだい2Q終盤しゅうばんでブレイディがあし負傷ふしょうするアクシデントに見舞みまわれる。しかしわったブレッドソーがTDパスをめるなどしっかりと代役だいやくたすと、スペシャルチームがビッグプレーを連発れんぱつしてリードをひろげ、最後さいごはスティーラーズの反撃はんげきって24-17で勝利しょうりし5ねんぶり3度目どめのスーパーボウル出場しゅつじょうたした[14][15]

だい36かいスーパーボウルではもっぱらマスコミはQBカート・ワーナー、RBマーシャル・フォークようするセントルイス・ラムズ圧倒的あっとうてき勝利しょうり予想よそうした。しかし試合しあいはじまるとペイトリオッツディフェンスがCBタイ・ローのインターセプト・リターンTDなどでラムズのハイパーオフェンスをおさえ、オフェンスではブレイディからデイビッド・パッテンへのTDパスなどがまるなど一時いちじはペイトリオッツが17-3とリードする展開てんかいとなった。しかしだい4Qにラムズの逆襲ぎゃくしゅうはじまると、リッキー・プロールのTDがまり試合しあい終盤しゅうばんで17-17の同点どうてんとなった。

タイムアウトをすでに使つかっていたこともあり、解説かいせつつとめていたジョン・マッデンは「フィールドポジションもわるく、タイムアウトがひとつもなか新人しんじんQBがFG圏内けんないまでっていくのは無理むりだ。オーバータイムにもつれるだろう。」と解説かいせつしていた。しかし自陣じじん17ヤード、試合しあい時間じかんのこり1ふん21びょうからのドライブをブレイディはスパイクなどを使つかって時間じかんをコントロールしFG圏内けんないまで前進ぜんしんさせる。最後さいごのこり7びょうからアダム・ビナティエリが48ヤードの決勝けっしょうFGをめてタイムアップとなった。当時とうじ全盛ぜんせいだったラムズをペイトリオッツがやぶったことはリーグに衝撃しょうげきあたえた[16]。スーパーボウルMVPを獲得かくとくしたブレイディはルックスのさも手伝てつだって一躍いちやくNFLのスーパースターとなった。24さいでのスーパーボウル制覇せいは当時とうじのスーパーボウル優勝ゆうしょうQB最年少さいねんしょう記録きろくであった[ちゅう 6]。シーズンオフにブレッドソーはバッファロー・ビルズ移籍いせきした。

2002ねんシーズン

[編集へんしゅう]
2002ねんから現在げんざいまで使用しようしているジレット・スタジアム

2002ねん本拠地ほんきょちをこれまでのフォックスボロ・スタジアムからジレット・スタジアムうつした。だい3しゅうではカンザスシティ・チーフスをオーバータイムでやぶるなど3連勝れんしょうこうスタートをるが、その4連敗れんぱい失速しっそくする。5しょう5はいむかえただい10しゅうシカゴ・ベアーズせんでは最大さいだい21てんをつけられるものこり2ふん54びょうで5てんまでつめり、つづくベアーズの攻撃こうげきを1stダウン獲得かくとくまでのこり1ヤードというところでめ3ダウンアウトにいこむと、のこり1ふん50びょうからはじまったドライブをビデオ判定はんていや4thダウンギャンブルをまじえながら前進ぜんしんさせ、最後さいごのこり30びょうでブレイディがパッテンにTDパスをとおし33-30で劇的げきてき逆転ぎゃくてん勝利しょうりをおさめた。

以後いご調子ちょうしもどしたチームはプレーオフでの因縁いんねんのこるオークランド・レイダースにはやぶれたが11月を4しょう1はいなみり、だい14しゅうのビルズせんではブレッドソーから4つのINTをうば勝利しょうりをあげプレーオフ進出しんしゅつ前進ぜんしんした。しかしだい15、16しゅうとチームは2連敗れんぱいきっしAFCひがし地区ちくだい混戦こんせんとなった。むかえたシーズン最終さいしゅうぶしどう地区ちくのマイアミ・ドルフィンズと対戦たいせんする。このときペイトリオッツは8しょう7はい、ドルフィンズは9しょう6はいで、さらに8しょう7はいのニューヨーク・ジェッツにもAFCひがし地区ちく優勝ゆうしょう可能かのうせいがあった。試合しあいはドルフィンズペースですすみ、のこり4ふん59びょうのこした時点じてんで11てんのリードをゆるしていたが、そこからブレイディはこのはじめてのTDパスをとおすとともに2ポイント・コンバージョンも成功せいこうさせて3てんのこり2ふん11びょうふたたびボールをるとビナティエリが43ヤードのFGをめて試合しあいはオーバータイムに突入とつにゅうし、最後さいごふたたびビナティエリが35ヤードのFGをめて劇的げきてき勝利しょうりおさめた。しかしジェッツも最終さいしゅうぶしグリーンベイ・パッカーズ勝利しょうりし、この結果けっかタイブレーカーでジェッツが地区ちく優勝ゆうしょうめたためペイトリオッツは9しょう7はいでプレーオフ出場しゅつじょうのがした。

2003ねんシーズン

[編集へんしゅう]

オフにプロボウル選出せんしゅつ経験けいけんのあるSロドニー・ハリソン獲得かくとくするも、ディフェンスの中心ちゅうしん選手せんしゅで4のプロボウル選出せんしゅつほこるSロウヤー・ミロイ開幕かいまく5にちまえ放出ほうしゅつした。ミロイは2にち開幕かいまくせん相手あいてであったバッファロー・ビルズと契約けいやくし、その開幕かいまくせんでチームは31-0でやぶれた。ブレイディは自己じこワーストの4INTでキャリアはつ完封かんぷうけをきっした。さらにだい4しゅうでもやぶれ2しょう2はいとスタートでつまずき、中心ちゅうしん選手せんしゅ放出ほうしゅつ相俟あいまってHCベリチックへの批判ひはんつよまった[17]

しかしここからチームはなおかい進撃しんげきをはじめる。だい7しゅうのマイアミ・ドルフィンズせんでは試合しあい終盤しゅうばんのFGをリチャード・シーモアがブロックしオーバータイムに突入とつにゅうすると、コイントスでもめたオーバータイムではドルフィンズのKオーリンド・マレーがFGに失敗しっぱい、ドルフィンズ2度目どめ攻撃こうげきではINTをうばい、直後ちょくごのプレーでブレイディがWRトロイ・ブラウンへ82ヤードのTDパスを劇的げきてき勝利しょうりをおさめた。だい9しゅうではてきマイル・ハイデンバー・ブロンコス対戦たいせんだい4Q、1てんいかけるペイトリオッツは自陣じじん1ヤード地点ちてんで4thダウンにまれるが、HCベリチックはパントではなく故意こいのセーフティーを指示しじする。その結果けっか2てんあたえ3てんとなるが、自陣じじん20ヤードからのフリーキックはブロンコス・リターナーじん判断はんだんミスもあって64ヤードのビッグパントとなり敵陣てきじん15ヤードまで陣地じんち回復かいふくすることに成功せいこうする。つづくブロンコスの攻撃こうげきをしのぐと、逆転ぎゃくてんけたドライブではブレイディがRBケビン・フォーク次々つぎつぎとパスをとお前進ぜんしんしていき、最後さいごのこり36びょうでWRデイビッド・ギブンスにTDパスをめ30-26で逆転ぎゃくてん勝利しょうりをおさめた。だい12しゅうヒューストン・テキサンズせんではだい4Qのこり40びょうでブレイディがTEダニエル・グラハムにTDパスを同点どうてんいつくと、テキサンズのレシーブからはじまったオーバータイムでは5かい攻守こうしゅ交代こうたいて、最後さいごはペイトリオッツの3度目どめ攻撃こうげきでビナティエリが28ヤードの決勝けっしょうFGをめ23-20で勝利しょうりした。つづだい13しゅうのインディアナポリス・コルツせんではだい4Qのこり40びょうでコルツにエンドゾーンまえ2ヤードまでまれるも、2のラン、3rdダウンのパス、4thダウンのランと4攻撃こうげきすべしのり38-34でコルツの猛追もうついった。レギュラーシーズン最終さいしゅうしゅうでは開幕かいまくせんやぶれたビルズにたいし、ブレイディの4TDパスの活躍かつやくで31-0と開幕かいまくせんおなじスコアでリベンジをたした。ペイトリオッツは14しょう2はいでAFCだい1シードを獲得かくとくし、12連勝れんしょうでレギュラーシーズンをえた。

-15℃のなかおこなわれたディビジョナル・プレーオフではビナティエリのFGが決勝けっしょうてんとなり17-14でこのとしのCO-MVPスティーブ・マクネアひきいるテネシー・タイタンズ勝利しょうりした。そしてゆきなか、ホームのジレット・スタジアムでおこなわれたAFCチャンピオンシップゲームでは、おなじくCO-MVPのペイトン・マニングひきいるインディアナポリス・コルツと対戦たいせんした。ワイルドカード・プレーオフではデンバー・ブロンコスを相手あいてに41得点とくてん、ディビジョナル・プレーオフではカンザスシティ・チーフス相手あいてに38得点とくてんをあげるなど圧倒的あっとうてき攻撃こうげきりょくほこったコルツのハイパー・オフェンスにたいし、ペイトリオッツは多彩たさいなスキームを駆使くししたパスラッシュで4つのサックをびせるなどQBマニングをくるしめ、強力きょうりょくレシーバーじんにはバンプを多用たようしたフィジカルなパス・カバレッジと執拗しつようなハードヒットで対抗たいこうした。ペイトリオッツはコルツから4つのインターセプト(うち3つはタイ・ロー)をふくむ5つのターンオーバーをうばうなど、セカンダリーじん中心ちゅうしんにハードなディフェンスでコルツオフェンスを圧倒あっとうした。3INTを記録きろくしたCBローはコルツのエースWRマービン・ハリソンをわずか3キャッチ(うち1つでファンブルロスト)19ヤードにおさえこんだ。この試合しあいでペイトリオッツのセカンダリーじんせたパスカバーはつぎのシーズンから通称つうしょうタイ・ロー・ルール[ちゅう 7][18][19]として厳格げんかくされている。オフェンスではオープニングドライブでタッチダウンをうばった以降いこうはビナティエリの5ほんのFGでつねにリードをたもち、24-14で勝利しょうりした。そしてテキサスしゅうヒューストンリライアント・スタジアムおこなわれただい38かいスーパーボウルではジェイク・デロームひきいるカロライナ・パンサーズ対戦たいせんだい4Qに37てんみだれた激戦げきせんのこり9びょうでアダム・ビナティエリが41ヤードの決勝けっしょうFGをめて32-29で勝利しょうりし、2ねんぶり2度目どめのスーパーボウル制覇せいはたした。ブレイディが2度目どめのスーパーボウルMVPにかがやき、キャデラックれた。

2004ねんシーズン

[編集へんしゅう]

ホームでおこなわれた開幕かいまくせんでは2003ねんシーズンのチャンピオン・バナーがかかげられるセレモニーがもよおされたのち、さくシーズンのチャンピオンシップゲームでたたかったインディアナポリス・コルツと対戦たいせんした。だい4Qのこり48びょうで3てんリードのペイトリオッツはげるコルツにFGでの3てんがほぼ確実かくじつ自陣じじん17ヤード地点ちてんまでまれる。しかし3rdダウンでウィリー・マクギネストがフリーでマニングをサックし29ヤード地点ちてんまで後退こうたいさせると、最後さいごはKマイク・ヴァンダージャットの48ヤードFGがはずれ27-24で接戦せっせんせいした。その開幕かいまくからだい8しゅうにピッツバーグ・スティーラーズにやぶれるまで6連勝れんしょうたし、ぜんシーズンからつづ連勝れんしょう記録きろく(ポストシーズンをふくむ)を21としてNFLしん記録きろく樹立じゅりつした。40-22で勝利しょうりしただい9しゅうのセントルイス・ラムズせんでは、CBアサンテ・サミュエル怪我けが一時いちじ試合しあいからがるとWRトロイ・ブラウンがCBとして出場しゅつじょうした。CBじん怪我人けがにん続出ぞくしゅつしていたチームの苦肉くにくさくであったが、ブラウンは期待きたいにこたえシーズンでチーム2タイとなる3つのINTを記録きろくした。さらにこの試合しあいではLBマイク・ブレイベルがTDレシーブをめ、Kアダム・ビナティエリがFG隊形たいけいからトロイ・ブラウンにTDパスをめている。チームはレギュラーシーズンを14しょう2はいえ、だい2シードでプレーオフに進出しんしゅつした。

ディビジョナル・プレーオフでは昨年さくねんのプレーオフにつづきコルツと対戦たいせんした。当時とうじのNFL記録きろくである49TDパスを記録きろくしたQBマニングひきいるコルツのハイパーオフェンスにたいし、ペイトリオッツはDEリチャード・シーモア、エースCBのタイ・ローと2番手ばんてCBタイローン・プールなど主力しゅりょくいていたにもかかわらず攻守こうしゅわたってコルツを圧倒あっとうして20-3で勝利しょうりをおさめた。この試合しあいはコルツがTDをうばえなかったシーズン唯一ゆいいつ試合しあいとなった。つづくAFCチャンピオンシップ・ゲームではてきハインツ・フィールドでレギュラーシーズンでやぶれたピッツバーグ・スティーラーズと対戦たいせんした。ペイトリオッツはスティラーズのファーストドライブでINTをうばいFGで先制せんせいすると、つぎのドライブでもターンオーバーをうば早々そうそう主導しゅどうけんにぎる。ブレイディが安定あんていしたプレーでオフェンスを展開てんかいすると、WRディオン・ブランチがランとパスの双方そうほうでビッグプレーを、Sロドニー・ハリソンがインターセプト・リターンTDをめるなどしてリーグ最少さいしょう失点しってんのディフェンスをほこるスティーラーズから41てんうばい41-27で勝利しょうりした。41失点しってんはスティーラーズのシーズン最多さいた失点しってんとなった。そしてディフェンディング・チャンピオンとしてのぞんだだい39かいスーパーボウルでは、QBドノバン・マクナブやWRテレル・オーウェンスようするNFCチャンピオンのフィラデルフィア・イーグルスから4つのターンオーバーをうばうなどして24-21で勝利しょうりし、スーパーボウル連覇れんぱ達成たっせいした。

連覇れんぱという偉業いぎょうくわえ、4年間ねんかんで3のスーパーボウル制覇せいはげたことでチームは「Patriots Dynasty」(ペイトリオッツ王朝おうちょう)をきずきあげたとわれた。2002ねんはプレーオフ出場しゅつじょうのがしているため、ペイトリオッツはポストシーズンでいちけることなく4ねんで3のスーパーボウル制覇せいはげた。リーグでもっと得点とくてんをあげたオフェンスをわずか3てんおさえ、リーグでもっと失点しってんすくなかったチームから41てんをあげ、4年間ねんかんで3度目どめのスーパーボウル制覇せいは達成たっせいしたこのポストシーズンでの一連いちれんのパフォーマンスは00年代ねんだいのペイトリオッツの最盛さいせいとして評価ひょうかされ、NFL.comから「00年代ねんだい最高さいこうのチーム」にえらばれている[20]

2005ねんシーズン

[編集へんしゅう]
2005ねん4がつ13にちだい39かいスーパーボウル制覇せいはのセレモニーにて(ローズ・ガーデン)。当時とうじジョージ・ブッシュ大統領だいとうりょうとペイトリオッツのメンバー

オフに3のスーパーボウル制覇せいはささえたWRデイビッド・パッテン、LBテッド・ジョンソン、CBタイ・ローがチームをはなれ、ディフェンスキャプテンのブルースキがのう梗塞こうそくたおれてシーズンインにわなかった。さらにビル・ベリチックとともにトリプレッツとして連覇れんぱささえたチャーリー・ワイスロメオ・クレネルりょうコーディネーターがチームのHCに就任しゅうにんするためにチームをった。このとしドラフト7じゅんでQBマット・キャセル指名しめいした。 NFL史上しじょうはつの3連覇れんぱ期待きたいされるなか、だい3しゅうのピッツバーグ・スティーラーズせんではビナティエリがだい4Qのこり5びょうから45ヤードのFGをめて23-20で勝利しょうりするも、つづだい4しゅうドリュー・ブリーズひきいるサンディエゴ・チャージャーズに2年間ねんかんけのなかったホームで41-17の大敗たいはいきっし、2003ねんからつづいていたホーム連勝れんしょう記録きろくは21で途絶とだえた。だい5しゅうではマイケル・ヴィックアトランタ・ファルコンズをビナティエリのキャリア19かいとなるウイニングFGでやぶるも、だい9しゅうではインディアナポリス・コルツにホームで40-21で大敗たいはいしシーズンのかえしを4しょう4はいとつまずいた。この試合しあいでは冷静れいせいなブレイディがサイドラインにげるオフェンスじんこえらげ、サイドラインではコップを地面じめんたたきつけフラストレーションを爆発ばくはつさせるなど、らしくない姿すがたせた[21]。シーズン後半こうはん復帰ふっきしたブルースキを中心ちゅうしん低迷ていめいしていたディフェンスをなおし、10しょう6はいでAFCひがし地区ちく制覇せいは達成たっせいした。

ワイルドカード・プレーオフではホームでジャクソンビル・ジャガーズに28-3で完勝かんしょうしプレーオフ10連勝れんしょうというNFLしん記録きろく樹立じゅりつした。しかしつづくAFCディビジョナル・プレーオフではだい6しゅうやぶれたデンバー・ブロンコスと対戦たいせんし、ブレイディにとって現在げんざい鬼門きもんとなっているマイル・ハイ(ブレイディのキャリアで1しょう4はいもっとしているアウェーゲーム)でやぶれ、史上しじょうはつの3連覇れんぱゆめえた。ブレイディにとってプレーオフでの敗戦はいせんはキャリアはつのことであった。

シーズンをとおしての敗因はいいんとして前述ぜんじゅつのコーディネーターの離脱りだつや、怪我人けがにん続出ぞくしゅつしたこと(とくにSロドニー・ハリソンとLTマット・ライトの怪我けが)、さくシーズンにラン1,635ヤード(平均へいきん4.7ヤード)と活躍かつやくしたRBコーリー・ディロンの不振ふしん(ラン733ヤード、平均へいきん3.5ヤード)、タイ・ローとタイローン・プールのスターター2にんけた(プールは怪我けが)CBじんあなめられなかったことなどがげられる。

2006ねんシーズン

[編集へんしゅう]
ジレット・スタジアムにかかげられている3つのスーパーボウル・チャンピオン・バナー

オフにチームを幾度いくどとなく勝利しょうりみちびいたKアダム・ビナティエリとの契約けいやく延長えんちょうせず(ビナティエリはライバルのコルツと契約けいやくした)、長年ながねんチームをささえたLBウィリー・マクギネストを放出ほうしゅつした。さらにスーパーボウルMVPのディオン・ブランチ、プレーオフで勝負しょうぶつよさを発揮はっきしたデイビッド・ギブンスの2人ふたりのスターターWRがチームをはなれた。チームは6しょう1はいこうスタートをるが、だい9しゅうにホームでインディアナポリス・コルツに27-20でやぶれるとつづくニューヨーク・ジェッツせんにもやぶれ、2002ねん以来いらい57試合しあいなかった連敗れんぱいきっした(NFL記録きろくサンフランシスコ・49ersの60試合しあい)。しかしだい11しゅうブレット・ファーブひきいるグリーンベイ・パッカーズに35-0で圧勝あっしょうすると、だい12しゅうにはNFLトップのディフェンスをほこるシカゴ・ベアーズを17-13の接戦せっせんやぶった。この試合しあいでケビン・フォークはRBのパスレシーブ回数かいすうの、QBブレイディはスターターQBとして76しょうをあげ、それぞれペイトリオッツのフランチャイズ記録きろくりえた[22]。その安定あんていして勝利しょうりかさね、レギュラーシーズンを12しょう4はいえた。なお最終さいしゅうしゅうのテネシー・タイタンズせんひかえのベテランQBビニー・テスタバーディがTDパスをめ、キャリアで20シーズン連続れんぞくとなるTDパスを記録きろくした。

チームは昨季さくき不調ふちょうだったディフェンスが調子ちょうしもどし、ランではルーキーのローレンス・マローニーがベテランRBコーリー・ディロンのおとろえをおぎなった。さくシーズンはパスディフェンスでエースCBタイ・ローのけたあなめきれなかったが、このシーズンは4ねんのアサンテ・サミュエルがリーグトップタイの10INTの活躍かつやくせ、チームとして22のINTをうばった(リーグ4)。しかし弱体じゃくたいしたレシーバーじんはTDリーダーがトロイ・ブラウンとリチェ・コールドウェルでそれぞれ4つ、獲得かくとくヤードはコールドウェルがチームトップで760ヤードと、[23]一部いちぶからパス隊形たいけいのショットガンを皮肉ひにくったポップガン(紙鉄砲かみでっぽう)と揶揄やゆされた。

ワイルドカード・プレーオフではもとペイトリオッツのディフェンシブ・コーディネーターであるエリック・マンジーニがHCをつとめるニューヨーク・ジェッツを37-16でやぶると、つづくディビジョナル・プレーオフではシーズンMVPを獲得かくとくしたラダニアン・トムリンソンようするだい1シードのサンディエゴ・チャージャーズと対戦たいせんした。試合しあいはチャージャーズにつねにリードをゆるくるしい展開てんかいとなる。ペイトリオッツは7てんビハインドののこり6ふん25びょうで4thダウン5ヤードからブレイディがパスをこころみるが、これをチャージャーズのマーロン・マクレーにインターセプトされてしまう。しかしベテランWRトロイ・ブラウンがすぐにタックルを仕掛しかけると、きだすようにしてファンブルをさそい、これをペイトリオッツのWRコールドウェルがリカバーしふたた攻撃こうげきけんた。このドライブでTDをうばうと2ポイント・コンバージョンを成功せいこうさせて同点どうてんとし、つぎのドライブでKスティーブン・ゴストコウスキーのFGがまり逆転ぎゃくてんすると最後さいごはチャージャーズのKネイト・ケーディングの54ヤードのFGがはずれ、接戦せっせんすえ24-21で勝利しょうりした。試合しあいペイトリオッツの選手せんしゅはフィールドの中央ちゅうおうでチャージャーズのロゴみつけるようにして、チャージャーズのLBショーン・メリマン代名詞だいめいしえるメリマンダンスをおどよろこびをあらわしたが、これにたいしてトムリンソンは不快ふかいかんあらわした。チームをすくったWRトロイ・ブラウンのプレーにはファンやチームメイトを中心ちゅうしん称賛しょうさんこえ相次あいついだ。LBブルースキは「かれ素早すばやいスイッチのえでレシーバーからディフェンダーになったんだ。」とかたり、DEリチャード・シーモアは「とっさのことだったんだろう。それは間違まちがいない。だがあのときのかれはレシーバーではなく、一人ひとりのフットボール・プレイヤーだった。かれつねにああいうプレーが披露ひろうできる。おれ尊敬そんけいするおとこ、それがトロイ・ブラウンさ。」と称賛しょうさんした[24]つづくAFCチャンピオンシップゲームではライバルのインディアナポリス・コルツと激突げきとつ。ペイトリオッツは序盤じょばんにアサンテ・サミュエルのインターセプト・リターンTDなどで21-3とリードしたが、終盤しゅうばんになるにつれWRの力不足ちからぶそく高齢こうれいしてきたディフェンスじんのスタミナ不足ふそくといったチームがかかえていた問題もんだいてんりとなり最終さいしゅうてきに34-38で逆転ぎゃくてんけをきっした。

シーズンをとおしてブレイディは4にん選手せんしゅにそれぞれ40かい以上いじょうのパスげ、24のタッチダウンパスを10にんけタレント不足ふそくのチームをチャンピオンシップゲームにまでみちびいたが多彩たさいなレシーバーじんほこるコルツに限界げんかいせつけられるかたちとなった。

2007ねんシーズン

[編集へんしゅう]

チームはオフに積極せっきょくてき補強ほきょうおこなう。フリーエージェントからLBアディリアス・トーマス、RBサミー・モリス、WRダンテ・ストールワースなどを獲得かくとく。さらにマイアミ・ドルフィンズからWRでスペシャルチーマーのウェス・ウェルカーをドラフト7じゅん指名しめいけんとのトレードで、そしてオークランド・レイダースからランディ・モスを4じゅん指名しめいけんとのトレードで獲得かくとくした。ペイトリオッツ加入かにゅうにあたりモスは大幅おおはばなサラリーカットをれた[25][26]。チームは開幕かいまくせんのニューヨーク・ジェッツせんでジェッツのディフェンスシグナルをぬすめうつしていたという違反いはん行為こういおかす。この違反いはん行為こういで2008年度ねんどのドラフト1じゅん指名しめいけん剥奪はくだつされ(チームはこのとしの1じゅん指名しめいけんを2つっていたが剥奪はくだつされたのは1つ)さらに25まんドルの罰金ばっきんせられた。スパイゲートと名付なづけられたこの事件じけんでペイトリオッツとHCビル・ベリチックはおおくのメディアやフットボールファンから非難ひなんけるが、チームは開幕かいまくからかい進撃しんげきつづける。ミネソタ・バイキングス時代じだいは5プロボウル選出せんしゅつされるなど実力じつりょくたしかながら、ここすうねん精彩せいさいいていたモスはペイトリオッツで本来ほんらいかがやきをもどしTDを量産りょうさんすると、小兵こひょうのウェルカーがチームトップのレシーブ回数かいすうでパス攻撃こうげきった。

リーグ最高さいこうクラスのレシーバーじんれたブレイディはパサーとしての能力のうりょく最大限さいだいげん発揮はっきし、だい7しゅうのマイアミ・ドルフィンズせんではパス354ヤード6TD、QBレイティング満点まんてんの158.3を記録きろくするなどだい8しゅうまでで1試合しあい平均へいきん41得点とくてんという爆発ばくはつてきなオフェンスを指揮しきした。だい9しゅうではおなじく無敗むはいのインディアナポリス・コルツと対戦たいせんし、だい4Qで一時いちじ10てんをつけられるがブレイディからケビン・フォークへのTDパスがまり逆転ぎゃくてんすると最後さいごはペイトン・マニングからファンブルをうばい24-20で勝利しょうりした。だい13しゅうボルチモア・レイブンズせんでは相手あいてディフェンスのパス・ラッシュにくるしみおもうようなプレーができず、だい4Qで7てんのリードをゆるしていた。しかし4てんだい4Qのこり3ふん30びょうからのドライブでは4thダウンギャンブルを失敗しっぱいするもいちはレイブンズのDCがプレー開始かいし直前ちょくぜんにタイムアウトをっていたため無効むこうに、度目どめ相手あいてチームのホールディングの反則はんそくなんのがれ、最後さいごのこり55びょうジャバー・ギャフニーへの逆転ぎゃくてんTDパスがまり27-24で勝利しょうりをおさめた。このころからペイトリオッツと対戦たいせんするチームはブリッツを多用たようしブレイディにプレッシャーをかける戦術せんじゅつをとるようになった。つづだい14しゅうではピッツバーグ・スティーラーズとホームで対戦たいせん。スティーラーズのSアンソニー・スミス試合しあいまえ自分じぶんたちの勝利しょうり保障ほしょう (guarantee) した[27]。ペイトリオッツはSトロイ・ポラマルいていたスティーラーズを相手あいてにモスとブレイディのトリックプレーなどでguarantee発言はつげんをしたスミスの背後はいごき、34-13で勝利しょうりしAFCひがし地区ちく優勝ゆうしょうめリーグ最速さいそくでプレイオフ出場しゅつじょうめた。

チームは無敗むはいのままシーズン最終さいしゅうしゅうをむかえ、てきニューヨーク・ジャイアンツとレギュラーシーズン全勝ぜんしょうをかけて対戦たいせんした。だい2QにモスへのTDパスがまりモスはジェリー・ライスつシーズン最多さいたTDレシーブ22に、ブレイディはペイトン・マニングのつシーズン最多さいたTDパス49にならんだが、直後ちょくごのリターンでTDをうばわれるなど一時いちじは12てんのリードをゆるくるしい展開てんかいとなる。5てんだい4Qのこり11ふん25びょう、モスはフリーでロングパスをけるもパスがひくかったこともあり落球らっきゅうしてしまう。しかしつぎのプレイでブレイディがふたたびモスにロングパスをげ、これが今度こんどは65ヤードのTDパスとなり逆転ぎゃくてん成功せいこうした。トム・ブレイディがシーズン最多さいた50TDパス、そしてランディ・モスがシーズン最多さいた23TDレシーブをおなじプレーで達成たっせいする快挙かいきょげた。そのはリードをたもって38-35で勝利しょうりし、シーズンが16試合しあいせいとなってからははつのレギュラーシーズン全勝ぜんしょう達成たっせいした。ブレイディは50TDパス(8INT)、パス4,806ヤード、パス成功せいこうりつ68.9%、QBレイティング117.2と素晴すばらしい成績せいせきをおさめ、50ひょうちゅう49ひょう獲得かくとくしてリーグMVPにかがやいた。

ディビジョナル・プレーオフではブレイディがパス28かいちゅう26かい成功せいこう、263ヤード3TDの活躍かつやくせ31-20でジャクソンビル・ジャガーズに勝利しょうりした。1試合しあいでのパス成功せいこうりつ92.9%はNFL記録きろくとなった。AFCチャンピオンシップ・ゲームではブレイディが3INTをきっ苦戦くせんするがディフェンスが奮闘ふんとうしTDをゆるさず、21-12でサンディエゴ・チャージャーズを退しりぞ史上しじょうはつのシーズン18連勝れんしょう達成たっせいした。1972ねんシーズンのマイアミ・ドルフィンズ以来いらいのパーフェクトシーズン(当時とうじはレギュラーシーズン14試合しあいせい)が期待きたいされるなか、2がつ3にちだい42かいスーパーボウルむかえた。たいするニューヨーク・ジャイアンツ最終さいしゅうしゅうでペイトリオッツにやぶれて以降いこう調子ちょうしをあげ、てきでダラス・カウボーイズ、グリーンベイ・パッカーズを撃破げきはし、ワイルドカードからスーパーボウル進出しんしゅつ達成たっせいした。試合しあいはペイトリオッツ優位ゆういられていたが、ジャイアンツの強力きょうりょくDLじん中心ちゅうしんとなりブレイディに5つのサックをびせペイトリオッツオフェンスをふうじると、ペイトリオッツもベテランが中心ちゅうしんとなりジャイアンツオフェンスをおさえ、試合しあい予想よそうがいのロースコアゲームとなる。ペイトリオッツは試合しあい終盤しゅうばんにブレイディからモスにTDパスがとおり14-10とリードをうばったが、最後さいごはQBイーライ・マニングがWRデイビッド・タイリーのスーパーキャッチをてウイニングドライブをめ、ペイトリオッツは激戦げきせんすえに14-17で敗退はいたいした。

2008ねんシーズン

[編集へんしゅう]

オフにリーグ屈指くっしのCBに成長せいちょうしたアサンテ・サミュエルがチームをった。さらに開幕かいまくせんのカンザスシティ・チーフスせんでQBブレイディがバーナード・ポラードからひざにタックルを負傷ふしょう退場たいじょうし、シーズン絶望ぜつぼうとなった[28]。このときのプレーは2009ねんシーズンから通称つうしょうブレイディ・ルールとして禁止きんしされている[29]代役だいやくつとめたのは高校こうこう時代じだい以来いらい先発せんぱつQB経験けいけんがないという(大学だいがくではマット・ライナートなどのひかえであった)ひかえQBマット・キャセルだったが、かれ予想よそうがい活躍かつやくでチームはプレーオフあらそいをえんじることとなる。

シーズン序盤じょばん、チームはブレイディ不在ふざいあなかんじさせながらもこのとし引退いんたい騒動そうどう復帰ふっきしたブレット・ファーブようするニューヨーク・ジェッツを19-10でやぶ開幕かいまく2連勝れんしょうたした。この勝利しょうりでチームはNFLしん記録きろくとなるレギュラーシーズン21連勝れんしょう達成たっせいした[ちゅう 8]。しかしだい3しゅうどう地区ちくのマイアミ・ドルフィンズに38-13でやぶ連勝れんしょう記録きろく途絶とだえた。この試合しあいでペイトリオッツディフェンスを圧倒あっとうしたドルフィンズのワイルドキャットばれるフォーメーションは、以後いごおおくのチームで使用しようされることとなった。そのサンディエゴ・チャージャーズにやぶれスタートで3しょう2はいつまずくが、だい7しゅうのデンバー・ブロンコスせんではキャセルが3つのTDパス、QBレイティング136.3の活躍かつやくで41-7と快勝かいしょうしキャッセルはAFC週間しゅうかん最優秀さいゆうしゅう攻撃こうげき選手せんしゅえらばれた。しかしこの試合しあいでSロドニー・ハリソンがいままでなんいためていたひざ再度さいど負傷ふしょうし、シーズン絶望ぜつぼうとなった。ハリソンはこのとしがペイトリオッツとの契約けいやく最終さいしゅうねんとなっていたが、シーズン終了しゅうりょう引退いんたい表明ひょうめいした。

そのチームはけをかえすが、QBキャセルを中心ちゅうしんすこしずつ調子ちょうしをあげていく。だい11しゅうではオーバータイムでやぶれたもののニューヨーク・ジェッツを相手あいて最大さいだい18てんのビハインドから終盤しゅうばんげ、のこり1びょうというところで同点どうてんいついた(のこり8びょうでキャッセルからモスへのTDパスがまった。ちなみにカバーしていたのはかつてペイトリオッツでスーパーボウル制覇せいは貢献こうけんしたタイ・ローだった)。キャセルはパス400ヤード3TD、ランでもチームトップの50ヤードを獲得かくとくするなど自己じこ最高さいこう活躍かつやくせた。つづくマイアミ・ドルフィンズせんでもキャッセルはパス415ヤード3TDのパフォーマンスをせ、チームも48-28で勝利しょうりした。そのピッツバーグ・スティラーズにはやぶれたもののオークランド・レイダースには49-26で、アリゾナ・カーディナルズにはゆきなか47-7で快勝かいしょうした。HCビル・ベリチックはペイトリオッツのHCとして100しょうを、NFLのHCとして150しょうをあげた。シーズン最終さいしゅうせんどう地区ちくのバッファロー・ビルズと対戦たいせんした。ペイトリオッツがプレーオフに進出しんしゅつするにはこの試合しあいでの勝利しょうりと、マイアミ・ドルフィンズもしくはボルチモア・レイブンズの敗戦はいせんけ)が必要ひつようであった。強風きょうふうなかペイトリオッツは13-0で勝利しょうりしチームは11しょう5はい好成績こうせいせきをおさめたが、ドルフィンズとレイブンズがとも勝利しょうりしたためプレーオフ進出しんしゅつはならなかった。11しょう5はいでプレーオフにすすめなかったのは1985ねんのデンバー・ブロンコス以来いらい23ねんぶりのことであった[30]

このシーズンはQBマット・キャセルがパス3,693ヤード21TDレイティング89.4の活躍かつやくでオフェンスを牽引けんいんした。このシーズンは40得点とくてん以上いじょうをあげた試合しあいが4試合しあいあり、これは2007ねんとならんでチーム歴代れきだい最多さいたであった。WRウェス・ウェルカーがチームトップの111キャッチ、本来ほんらいRBのケビン・フォークがキャリア最多さいたの58キャッチで経験けいけんすくないキャセルをささえた。一方いっぽうランディ・モスはロングパスをげる機会きかいったこともあり昨年さくねんくらべればおおきく成績せいせきとした(それでも1,008ヤード11TD)。RBじん怪我人けがにんえなかったが、ドラフトがいルーキーのベンジャーバス・グリーン・エリス起用きようするなどしてランオフェンスはリーグ6健闘けんとうした。しかしアサンテ・サミュエルなどがけたCBじんはそのあなめきれず、エリス・ホブスデルサ・オニールといったCBはこのとしでチームをった。テディ・ブルースキは怪我けがもありキャリアではじめてサックなしにわり、マイク・ブレイベルは前年ぜんねんの12.5サックから4サックに激減げきげんするなどベテランぜいおとろえをかくせなかった。一方いっぽう若手わかてKのスティーブン・ゴストコウスキーはFG40かいちゅう36かい成功せいこうとキャリアベストの成績せいせきをおさめ自身じしんはつのプロボウルに選出せんしゅつされたほか、2007ねんの1じゅん指名しめいSブランドン・メリーウェザーが4INT(チームトップ)57タックル(チーム2)と活躍かつやくし、さらにこのとしの1じゅん指名しめいLBジェロッド・メイヨがチームトップの98タックルでリーグ最優秀さいゆうしゅう守備しゅび新人しんじん選手せんしゅ選出せんしゅつされるなど若手わかて台頭たいとうられた。またペイトリオッツはこのシーズンにけい57かいしか反則はんそくおかさず、これはシーズンが16試合しあいせいとなってから最少さいしょう記録きろくであった。

2009ねんシーズン

[編集へんしゅう]

長年ながねんベリチックのGMしょくかげからささえたスコット・ピオリがチーフスのGMに就任しゅうにんするためチームをった。さくシーズンの開幕かいまくせん負傷ふしょうしたブレイディは手術しゅじゅつひざ感染かんせんしょうにかかるなど状態じょうたいおもわしくなく、一時いちじ開幕かいまくうか心配しんぱいされた。そのためチームはこのオフに制限せいげんきFAとなっていたキャセルをフランチャイズ指名しめいまんいちそなえた。そのブレイディの怪我けが順調じゅんちょう回復かいふくし、開幕かいまくうと判断はんだんしたチームはQBキャセルと長年ながねんチームをささえたLBマイク・ブレイベルをともにチーフスにトレードした。さらに開幕かいまく直前ちょくぜんでLBテディ・ブルースキが引退いんたい表明ひょうめいし、そしてDEリチャード・シーモアをオークランド・レイダースにトレードした。このシーズンはおおくのベテラン選手せんしゅがチームをはなれたが、開幕かいまくまであといち週間しゅうかんほどというタイミングでさくシーズン自己じこ最多さいたタイの8サックを記録きろくしたシーモアを、2011ねんのドラフト1じゅん指名しめいけんとはいえトレードしたことはおおくのファンやメディア、そして選手せんしゅをもおどろかせた。このシーズンにアスレチック・トレーナーとしてペイトリオッツをささえた日本人にっぽんじんスタッフによれば、このニュースをいたブレイディは「This is Crazy」と発言はつげんしたという。

開幕かいまくせんのバッファロー・ビルズせん、ホームのジレット・スタジアムでおこなわれたマンデー・ナイト・フットボールでブレイディが1ねんぶりに復帰ふっきした。試合しあいは11てんビハインドで敗色はいしょく濃厚のうこうだったが、だい4Qのこり2ふん10びょうからブレイディがTEベンジャミン・ワトソンにTDパスをとおすとつづくビルズのリターンでリターナーのローデス・マケルビンがファンブルしペイトリオッツがリカバー、のこり55びょうからブレイディがふたたびワトソンにTDパスをとおし25-24の逆転ぎゃくてん勝利しょうり復帰ふっきせんかざった。しかしその調子ちょうしがらず、序盤じょばん苦戦くせんいられる。だい2しゅうではこのオフにHCに就任しゅうにんして以降いこうペイトリオッツに挑発ちょうはつてき発言はつげんをしていたレックス・ライアンひきいるニューヨーク・ジェッツに16-9でやぶれた。WRウェルカーが怪我けが欠場けつじょうし、モスがリーグ最高さいこうのCBとわれているダレル・リーヴィスおさえられたため、ブレイディはドラフト7じゅん指名しめい新人しんじんでQBからWRにコンバートしたばかりのジュリアン・エデルマンたよらざるをえず、またジェッツのはげしいパスラッシュにもくるしみペイトリオッツはTDなしにふうまれた。だい5しゅうでは前年ぜんねんまでチームのオフェンシブ・コーディネイターをつとめていたジョシュ・マクダニエルズひきいるデンバー・ブロンコスと対戦たいせんし、苦手にがてマイル・ハイでブレイディはキャリアはつのオーバータイムでの敗北はいぼくきっした(オーバータイム通算つうさん7しょうはNFL史上しじょう最多さいた)。

しかしだい6しゅうゆきなかおこなわれたテネシー・タイタンズせんではブレイディがだい2Qでの5TDをふくむ6TDパスをめる活躍かつやくせチームは59-0の大差たいさ勝利しょうりする。その3連勝れんしょうたしブレイディも徐々じょじょ調子ちょうしげていったが、だい10しゅうのインディアナポリス・コルツせんではだい4Qに17てんおおきくリードしたにもかかわらず終盤しゅうばんにかけて攻守こうしゅ失速しっそくし、最後さいご議論ぎろんんだ4thダウンギャンブルのすえ35-34でやぶれた。だい12しゅうにはこのシーズンにスーパーボウルをせいすることになるニューオーリンズ・セインツにいいところなく完敗かんぱいし、つづくマイアミ・ドルフィンズせんでもやぶれ2006ねん以来いらい連敗れんぱいきっした。それでもホームでは8せん全勝ぜんしょうつよさを発揮はっきし10しょう6はいでシーズンをえたが、最終さいしゅうぶしのヒューストン・テキサンズせんでリーグトップの123キャッチとチームトップの1,348ヤードを記録きろくしていたウェス・ウェルカーがひざ負傷ふしょうしプレーオフ絶望ぜつぼうとなり、ホームでおこなわれたワイルドカード・プレーオフでボルチモア・レイブンスに33-14と完敗かんぱいした。ブレイディはキャリアはつのプレーオフ初戦しょせん敗退はいたいとプレーオフでのホーム敗戦はいせんあじわった。この敗戦はいせんおおくのメディアがペイトリオッツの時代じだいわったとてた。

このシーズンはブレイディが4,398ヤード28TDレイティング96.2とキャリアで2番目ばんめ成績せいせきをあげカムバックしょうにもかがやいたが、とおしたパスのやく55.5%がモスとウェルカーのりょうエースWRで、とくにウェルカーにはやく33%とおおきく依存いぞんしていた(レシーバー不足ふそくだった2006ねんもっとたか選手せんしゅやく18.7%、2007ねんやく28%)。一方いっぽうゆるしたサックは16かいとキャリアでもっとすくなかった。オフェンスはリーグトップクラスの成績せいせきをおさめたものの試合しあい終盤しゅうばん失速しっそく目立めだち、おおくのベテラン選手せんしゅったディフェンスはリーグ11失点しってんすくなさはリーグ5上々じょうじょう成績せいせきはおさめたものの勝負しょうぶつよさにけ、サックはリーグ23タイとパスラッシュになんがあった。ペイトリオッツは2002ねんからだい4Qをリードしてむかえた場合ばあいは69しょう1はい無類むるいつよさをほこっていたが、このシーズンはだい4Qでの逆転ぎゃくてんけを4ゆるした。またアウェーゲームで2しょう6はい(うちひとつはロンドンでおこなわれた海外かいがい遠征えんせい試合しあい)とおおきく苦戦くせんした。終盤しゅうばんでの失速しっそく逆転ぎゃくてんけといった、いままでほとんどなかったかたおおかったことにはブレイディのブランクもすくなからず影響えいきょうしていたが、なによりもこのオフに長年ながねんチームをささえてきたロドニー・ハリソン、テディ・ブルースキー、マイク・ブレイベル、リチャード・シーモア、ラリー・イゾーといった王朝おうちょう時代じだいのメンバーが大量たいりょう引退いんたい、もしくはトレードなどでチームをはなれたこと影響えいきょうしていた。もっとおおきかったとわれているのがDEシーモアをレイダースにトレードしたことだった。

プレーオフでの敗戦はいせんおおくのベテラン選手せんしゅがチームをり、選手せんしゅ多数たすうわったことにかんしてブレイディは「かれらは特別とくべつ選手せんしゅであり、特別とくべつ人物じんぶつだった。ペイトリオッツのユニフォームをれば、ペイトリオッツらしいチームプレイができるわけじゃない。コーチ、選手せんしゅたちが一体いったいとなっておなじゴールを目指めざし、努力どりょくしているからこそだ。かれらのような選手せんしゅうしなうことは、おおきな喪失そうしつだった。」とはな[31]、またオフにはシーズンの敗因はいいんとして「チームとしての自信じしん信頼しんらい、メンタルてきつよさの欠如けつじょ」をあげた[32][33][34]

このとしドラフトそとでQBブライアン・ホイヤー獲得かくとくした。

2010ねんから2013ねんまで

[編集へんしゅう]
2010ねんから2018ねんまで在籍ざいせきしたTEのロブ・グロンコウスキー

2009ねんから5ねん連続れんぞくして地区ちく優勝ゆうしょうつづけた。2011ねんシーズンにはスーパーボウル進出しんしゅつたしたがニューヨーク・ジャイアンツ敗北はいぼくした。

2014ねん

[編集へんしゅう]

6ねん連続れんぞく地区ちく優勝ゆうしょうたし、スーパーボウルシアトル・シーホークスやぶったが、コルツと対戦たいせんしたカンファレンス・チャンピオンシップで空気圧くうきあつ不正ふせい問題もんだい発覚はっかくした(デフレートゲート問題もんだい)。

2015ねん

[編集へんしゅう]

7ねん連続れんぞくのAFCひがし地区ちく優勝ゆうしょうたしプレイオフに進出しんしゅつしたが、AFCカンファレンスチャンピオンシップでデンバー・ブロンコスに18-20でやぶれ、スーパーボウル進出しんしゅつはならなかった。

2016ねん

[編集へんしゅう]

2014ねんのデフレートゲート問題もんだいのため、ブレイディはシーズンの最初さいしょの4試合しあい出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんとなったが、AFC1成績せいせきで8ねん連続れんぞく地区ちく優勝ゆうしょうおさめた。スーパーボウルでは、序盤じょばんファルコンズに3-28と大量たいりょうのリードをゆるすも最終さいしゅうクオーターで19てんうばい、ファルコンズと同点どうてんいつき、スーパーボウル史上しじょうはつのオーバータイムに突入とつにゅう最初さいしょ攻撃こうげき機会きかいにタッチダウンをめ、34-28と25てんだい4Q開始かいし時点じてんで19てん)をひっくりかえすという大会たいかい史上しじょう最大さいだいだい逆転ぎゃくてんでスーパーボウルをせいした。

2017ねん

[編集へんしゅう]

初戦しょせんはチーフスにやぶれたものの、結果けっかてきには9ねん連続れんぞくしての地区ちく優勝ゆうしょうげ、だいいちシードでプレーオフにすすんだ。プレーオフではテネシー・タイタンズジャクソンビル・ジャガーズたおしてスーパーボウルにすすんだ。スーパーボウルでは、フィラデルフィア・イーグルス対戦たいせん先行せんこうされいち逆転ぎゃくてんしたものの、さい逆転ぎゃくてんされて33-41でやぶれた。

2018ねん

[編集へんしゅう]

だい16しゅう前人未到ぜんじんみとう地区ちく10連覇れんぱ達成たっせいした。アメリカン・カンファレンス(AFC)決勝けっしょうでは、だい1シードで地元じもとカンザスシティ・チーフス西にし地区ちく1)を延長えんちょうすえに37-31でって優勝ゆうしょう。3ねん連続れんぞく通算つうさん11かい(ここ18年間ねんかんで9かい)のスーパーボウル進出しんしゅつたし、スーパーボウルではロサンゼルス・ラムズを13-3でやぶった。

2019ねん

[編集へんしゅう]

だい16しゅう地区ちく11連覇れんぱ達成たっせい記録きろく更新こうしんしたが、最終さいしゅうせんでは本拠地ほんきょち地区ちく最下位さいかいマイアミ・ドルフィンズに24-27でやぶれてプレーオフではだい3シードとなり、10ねん連続れんぞくのファースト・ラウンド・バイはのがした。プレーオフでは初戦しょせんのワイルドカード・ラウンドでテネシー・タイタンズに13-20でやぶれ、8ねんぶりにAFCチャンピオンシップゲーム出場しゅつじょうのがした。シーズン終了しゅうりょう、20年間ねんかんチームに在籍ざいせきし、NFLを代表だいひょうするクォーターバックとなったトム・ブレイディタンパベイ・バッカニアーズ移籍いせきした。

ブレイディ

[編集へんしゅう]

2020ねん

[編集へんしゅう]

シーズンまえの6がつ29にち、2015ねんシーズンにMVPえらばれたまえカロライナ・パンサーズキャム・ニュートン(QB)を獲得かくとくした[35]新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうによりぜん試合しあい観客かんきゃく開催かいさいした。このとしは7しょう9はい地区ちく3となって連覇れんぱは11で途絶とだえ、さらにプレーオフ進出しんしゅつのがした。チームがしたのは、2000ねんシーズンに5しょう11はいして以来いらいじつに20ねんりのことだった。

2021ねん

[編集へんしゅう]

このとしドラフト1じゅんでQBマック・ジョーンズ指名しめいした。2021ねん8がつ31にち、ニュートンをリリースした[36]。ジョーンズを先発せんぱつQBとしてシーズンをたたかい、地区ちく2でプレーオフに進出しんしゅつしたが、初戦しょせんバッファロー・ビルズに30てん大敗たいはいした。

2022ねん

[編集へんしゅう]

このとしはジョーンズを先発せんぱつQBとして起用きようするも、3試合しあいかれ負傷ふしょういた。最終さいしゅうせんまでプレーオフののぞみをのこすも、地区ちく首位しゅいビルズにやぶ地区ちく3でプレーオフをのがした。

2023ねん

[編集へんしゅう]

だい14しゅう、2000ねんシーズン以降いこうもっとはやくプレーオフあらそいから脱落だつらくした[37]地区ちく4でシーズンをえた2024ねん1がつ10日とおか、ベリチックがチームからはなれると発表はっぴょうされた[38]。2024ねん1がつ12にち、チームOBでLBのめい選手せんしゅであり、インサイド・ラインバッカーコーチのジェロッド・メイヨが37さいとNFL最年少さいねんしょうでHCの後継こうけいとなった[39]

文化ぶんか

[編集へんしゅう]

マスコット

[編集へんしゅう]

チームのマスコットは、アメリカ革命かくめい兵士へいしをモチーフとしたパット・パトリオット(Pat Patriot)である。元々もともとはロゴマークとしてチーム創設そうせつ漫画まんがのフィル・ビッセルによってえがかれたものだけだったが、1995ねんよりぐるみとして登場とうじょうたした。1979ねん、チームのエグゼクティブによってロゴマークの変更へんこう提案ていあんされ、ホームゲームのハーフタイムちゅうにアンケートを実施じっししたが、継続けいぞく希望きぼうするファンが圧倒的あっとうてきであり、維持いじされることになった。1993ねん、チームの公式こうしきマスコットとしては継続けいぞくされるが、ロゴマークは現在げんざい使用しようしている「フライング・エルビス」とばれるものへ変更へんこうされた。

チアリーダー

[編集へんしゅう]
ニューイングランド・ペイトリオッツ・チアリーダーズ

チームの公式こうしきチアリーディングは、1971ねん結成けっせいされたニューイングランド・ペイトリオッツ・チアリーダーズ(New England Patriots Cheerleaders、NEPC)である。ペイトリオッツの試合しあいにスタジアムでパフォーマンスをするだけでなく、海外かいがい公演こうえんなどもおこなっている。2008ねんには、北京ぺきんオリンピック出演しゅつえんする中国人ちゅうごくじんダンサーを訓練くんれんするために中国ちゅうごくかった。

プロレスラーのリア・ヴァン・ダールが2007ねんから2009ねんに、モデルのカミーユ・コステックが2013ねんと2014ねん所属しょぞくしていた。

チーム専用せんよう

[編集へんしゅう]
ローガン国際こくさい空港くうこうにてタキシングする専用せんよう

2017ねん、ペイトリオッツはチーム専用せんようとしてボーイング767-300ERをバックアップふくめて2購入こうにゅうした。2017ねんシーズンより使用しよう開始かいしし、リーグ史上しじょうはじめてチーム専用せんよう飛行機ひこうき所有しょゆうするチームとなった[40]購入こうにゅう背景はいけいには、当時とうじ大手おおて民間みんかん航空こうくう会社かいしゃがより収益しゅうえきせいたか定期ていき便びん注力ちゅうりょくしていたため、プロスポーツチームがプライベートチャちゃ便びん予約よやくすることがむずかしくなっていたことがある。2のボーイング767は、アメリカン航空こうくうによって1991ねんから2016ねんにかけて運用うんようされていたものである。この専用せんようは、チームオーナーのロバート・クラフトをとって「エアクラフト(AirKrafts)」としてばれ、したしまれている[41]。2020ねん4がつには、新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょうにより必要ひつようになったマスクを、中国ちゅうごくからアメリカに輸送ゆそうするために使用しようされた[42]

その

[編集へんしゅう]

ホームのジレットスタジアムではペイトリオッツが得点とくてんすると、ニューイングランドという名称めいしょうしめすとおり13にんアメリカ独立どくりつ戦争せんそう当時とうじ格好かっこうをした軍人ぐんじんかなら当時とうじライフルじゅう空砲くうほうつ。

2024ねんシーズン

2024ねんシーズンのペイトリオッツの対戦たいせん相手あいて
AFC NFC
前年ぜんねん 西にし地区ちく みなみ地区ちく きた地区ちく ひがし地区ちく 西にし地区ちく みなみ地区ちく きた地区ちく ひがし地区ちく
1 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1対戦たいせん  :2対戦たいせん

2024ねんシーズンおよ過去かこ10シーズンの成績せいせき
とし 成績せいせき 地区ちく かち はい ぶん りつ Div Con そう得点とくてん そう失点しってん 平均へいきん得点とくてん 平均へいきん失点しってん
2024 4 0 0 0 0-0 0-0
2023 レギュラー敗退はいたい 4 4 13 0 .235 2–4 4–8 236 366 13.9 21.5
2022 レギュラー敗退はいたい 3 8 9 0 .471 3-3 6-6 364 347 21.4 20.4
2021 ワイルドカード敗退はいたい 2(6) 10 7 0 .588 3-3 8-4 462 303 27.2 17.8
2020 レギュラー敗退はいたい 3 7 9 0 .438 3-3 6-6 326 353 20.4 22.1
2019 ワイルドカード敗退はいたい 1(3) 12 4 0 .750 5-1 8-4 420 225 26.3 14.1
2018 スーパーボウル制覇せいは 1(2) 11 5 0 .688 5–1 8–4 436 325 27.3 20.3
2017 スーパーボウル敗戦はいせん 1(1) 13 3 0 .813 5-1 10-2 458 296 28.6 18.5
2016 スーパーボウル制覇せいは 1(1) 14 2 0 .875 5-1 11-1 441 250 27.6 15.6
2015 カンファレンス敗退はいたい 1(2) 12 4 0 .750 4-2 9-3 465 315 29.1 19.7
2014 スーパーボウル制覇せいは 1(1) 12 4 0 .750 4-2 9-3 468 313 29.3 19.6

()ないはシードじゅん

2024ねんシーズン成績せいせき

AFCひがし地区ちく 2024
チーム かち はい ぶん 勝率しょうりつ Div Con そう得点とくてん そう失点しってん 平均へいきん得点とくてん 平均へいきん失点しってん 得失とくしつ ざん試合しあい
バッファロー・ビルズ 0 0 0 0-0 0-0 17
マイアミ・ドルフィンズ 0 0 0 0-0 0-0 17
ニューヨーク・ジェッツ 0 0 0 0-0 0-0 17
ニューイングランド・ペイトリオッツ 0 0 0 0-0 0-0 17
AFC 2024
じゅん
くらい
チーム
かち はい ぶん 勝率しょうりつ DIV CON SOS SOV
地区ちく1
1 カンザスシティ・チーフス 西にし 1 0 0 1.000 0-0 1-0 .000 .000
2 バッファロー・ビルズ ひがし 0 0 0 0-0 0-0
3 ヒューストン・テキサンズ みなみ 0 0 0 0-0 0-0
4 クリーブランド・ブラウンズ きた 0 0 0 0-0 0-0
ワイルドカード圏内けんない
5 マイアミ・ドルフィンズ ひがし 0 0 0 0-0 0-0
6 ピッツバーグ・スティーラーズ きた 0 0 0 0-0 0-0
7 シンシナティ・ベンガルズ きた 0 0 0 0-0 0-0
プレーオフ圏外けんがい
8 ジャクソンビル・ジャガーズ みなみ 0 0 0 0-0 0-0
9 インディアナポリス・コルツ みなみ 0 0 0 0-0 0-0
10 ラスベガス・レイダース 西にし 0 0 0 0-0 0-0
11 デンバー・ブロンコス 西にし 0 0 0 0-0 0-0
12 ニューヨーク・ジェッツ ひがし 0 0 0 0-0 0-0
13 テネシー・タイタンズ みなみ 0 0 0 0-0 0-0
14 ロサンゼルス・チャージャーズ 西にし 0 0 0 0-0 0-0
15 ニューイングランド・ペイトリオッツ ひがし 0 0 0 0-0 0-0
16 ボルチモア・レイブンズ きた 0 1 0 .000 0-0 0-1 1.000 -
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2025ねん1がつ11にちか12にちか13にち
    1がつ18にちか19にち
    1がつ26にち
    2がつ9にち
シーザーズ・スーパードーム
 6    
 3      
2025ねん1がつ11にちか12にちか13にち
     
         
 7     AFC
 2       1がつ18にちか19にち
2025ねん1がつ11にちか12にちか13にち
     
         
AFCチャンピオンシップ
1がつ26にち
 5    
     
 4        
 1      
2025ねん1がつ11にちか12にちか13にち
1がつ18にちか19にち
     
       
 6     だい59かいスーパーボウル
 3      
2025ねん1がつ11にちか12にちか13にち
     
         
 7     NFC
 2       1がつ18にちか19にち
2025ねん1がつ11にちか12にちか13にち
     
         
NFCチャンピオンシップ
 5    
     
 4        
 1      
  • 対戦たいせんカードはレギュラーシーズン成績せいせきもとづくシードじゅん決定けっていされ、上位じょういシードチームのホームで対戦たいせんする。そのラウンドにのこったチームのうちさい上位じょういシードが最下位さいかいシードと対戦たいせんするルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦たいせんカードはワイルドカードの結果けっかにより変動へんどうする。
  • スーパーボウル開催かいさい事前じぜんにオーナー会議かいぎ決定けってい。その試合しあいはシード上位じょういのチームのホームで開催かいさいする。
  • チームめいひだり数字すうじはシードじゅん
  • * 延長えんちょうせん決着けっちゃく
  • 日付ひづけアメリカ東部とうぶ時間じかん

成績せいせき

[編集へんしゅう]

AFCひがし地区ちく(4地区ちくせい

[編集へんしゅう]
とし 地区ちく優勝ゆうしょう 2 3 4
チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん
2023 BUF(2d) 11 6 0 MIA(6w) 11 6 0 NYJ 7 10 0 NE 4 13 0
2022 BUF(2d) 13 3 0 MIA(7w) 9 8 0 NE 8 9 0 NYJ 7 10 0
2021 BUF(3d) 11 6 0 NE (6w) 10 7 0 MIA 9 8 0 NYJ 4 13 0
2020 BUF(2c) 13 3 0 MIA 10 6 0 NE 7 9 0 NYJ 2 14 0
2019 NE (3w) 12 4 0 BUF(5w) 10 6 0 NYJ 7 9 0 MIA 5 11 0
2018 NE (2v) 11 5 0 MIA 7 9 0 BUF 6 10 0 NYJ 4 12 0
2017 NE (1s) 13 3 0 BUF(6w) 9 7 0 MIA 6 10 0 NYJ 5 11 0
2016 NE (1v) 14 2 0 MIA(6w) 10 6 0 BUF 7 9 0 NYJ 5 11 0
2015 NE (2c) 12 4 0 NYJ 10 6 0 BUF 8 8 0 MIA 5 11 0
2014 NE (1v) 12 4 0 BUF 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 4 12 0
2013 NE (2c) 12 4 0 NYJ 8 8 0 MIA 8 8 0 BUF 6 10 0
2012 NE (2c) 12 4 0 MIA 7 9 0 NYJ 6 10 0 BUF 6 10 0
2011 NE (1s) 13 3 0 NYJ 8 8 0 MIA 6 10 0 BUF 6 10 0
2010 NE (1d) 14 2 0 NYJ(6c) 11 5 0 MIA 7 9 0 BUF 4 12 0
2009 NE (3w) 10 6 0 NYJ(5c) 9 7 0 MIA 7 9 0 BUF 6 10 0
2008 MIA(3w) 11 5 0 NE 11 5 0 NYJ 9 7 0 BUF 7 9 0
2007 NE (1s) 16 0 0 BUF 7 9 0 NYJ 4 12 0 MIA 1 15 0
2006 NE (4c) 12 4 0 NYJ(5w) 10 6 0 BUF 7 9 0 MIA 6 10 0
2005 NE (4d) 10 6 0 MIA 9 7 0 BUF 5 11 0 NYJ 4 12 0
2004 NE (2v) 14 2 0 NYJ(5d) 10 6 0 BUF 9 7 0 MIA 4 12 0
2003 NE (1v) 14 2 0 MIA 10 6 0 BUF 6 10 0 NYJ 6 10 0
2002 NYJ(4d) 9 7 0 NE 9 7 0 MIA 9 7 0 BUF 8 8 0

AFCひがし地区ちく(3地区ちくせい

[編集へんしゅう]
  • BUF:バッファロー・ビルズ、MIA:マイアミ・ドルフィンズ、BOS→NE:ボストン・ペイトリオッツ→ニューイングランド・ペイトリオッツ、NYJ:ニューヨーク・ジェッツ、BAL→IND:ボルチモア・コルツ→インディアナポリス・コルツ
  • 1982ねんシーズンはストライキの影響えいきょうにより、地区ちくべつ成績せいせきではなくカンファレンス上位じょうい8チームがプレイオフ進出しんしゅつするルールであったが、ここでは地区ちくべつ変換へんかんして表記ひょうきする。
  • 括弧かっこない数字すうじはプレイオフ出場しゅつじょうのシードじゅん(シードせい導入どうにゅうまえ表記ひょうきなし)、文字もじはv:スーパーボウル優勝ゆうしょう、s:スーパーボウル敗退はいたい・カンファレンス優勝ゆうしょう、c:カンファレンス決勝けっしょう敗退はいたい、d:ディビジョナルプレーオフ敗退はいたい、w:ワイルドカードプレイオフ敗退はいたい。1982ねんについてはd:2回戦かいせん敗退はいたい、w:1回戦かいせん敗退はいたい
とし 地区ちく優勝ゆうしょう 2 3 4 5
チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん
2001 NE(2v) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ(6w) 10 6 0 IND 6 10 0 BUF 3 13 0
2000 MIA(3d) 11 5 0 IND(6w) 10 6 0 NYJ 9 7 0 BUF 8 8 0 NE 5 11 0
1999 IND(2d) 13 3 0 BUF(5w) 11 5 0 MIA(6d) 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 8 8 0
1998 NYJ(2c) 12 4 0 MIA(4d) 10 6 0 BUF(5w) 10 6 0 NE(6w) 9 7 0 IND 3 13 0
1997 NE(3d) 10 6 0 MIA(6w) 9 7 0 NYJ 9 7 0 BUF 6 10 0 IND 3 13 0
1996 NE(2s) 11 5 0 BUF(4w) 10 6 0 IND(6w) 9 7 0 MIA 8 8 0 NYJ 1 15 0
1995 BUF(3d) 10 6 0 IND(5c) 9 7 0 MIA(6w) 9 7 0 NE 6 10 0 NYJ 3 13 0
1994 MIA(3d) 10 6 0 NE(5w) 10 6 0 IND 8 8 0 BUF 7 9 0 NYJ 6 10 0
1993 BUF(1s) 12 4 0 MIA 9 7 0 NYJ 8 8 0 NE 5 11 0 IND 4 12 0
1992 MIA(2c) 11 5 0 BUF(4s) 11 5 0 IND 9 7 0 NYJ 4 12 0 NE 2 14 0
1991 BUF(1s) 13 3 0 NYJ(6w) 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 6 10 0 IND 1 15 0
1990 BUF(1s) 13 3 0 MIA(4d) 12 4 0 IND 7 9 0 NYJ 6 10 0 NE 1 15 0
1989 BUF(3d) 9 7 0 IND 8 8 0 MIA 8 8 0 NE 5 11 0 NYJ 4 12 0
1988 BUF(2c) 12 4 0 IND 9 7 0 NE 9 7 0 NYJ 8 7 1 MIA 6 10 0
1987 IND(3d) 9 6 0 NE 8 7 0 MIA 8 7 0 BUF 7 8 0 NYJ 6 9 0
1986 NE(3d) 11 5 0 NYJ(4d) 10 6 0 MIA 8 8 0 BUF 4 12 0 IND 3 13 0
1985 MIA(2c) 12 4 0 NYJ(4w) 11 5 0 NE(5s) 11 5 0 IND 5 11 0 BUF 2 14 0
1984 MIA(1s) 14 2 0 NE 9 7 0 NYJ 7 9 0 IND 4 12 0 BUF 2 14 0
1983 MIA(2d) 12 4 0 NE 8 8 0 BUF 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 7 9 0
1982 MIA(2s) 7 2 0 NYJ(6c) 6 3 0 NE(7w) 5 4 0 BUF 4 5 0 BAL 0 8 1
1981 MIA(2d) 11 4 1 NYJ(4w) 10 5 1 BUF(5d) 10 6 0 BAL 2 14 0 NE 2 14 0
1980 BUF(3d) 11 5 0 NE 10 6 0 MIA 8 8 0 BAL 7 9 0 NYJ 4 12 0
1979 MIA(3d) 10 6 0 NE 9 7 0 NYJ 8 8 0 BUF 7 9 0 BAL 5 11 0
1978 NE(2d) 11 5 0 MIA(4w) 11 5 0 NYJ 8 8 0 BUF 5 11 0 BAL 5 11 0
1977 BAL(2d) 10 4 0 MIA 10 4 0 NE 9 5 0 BUF 3 11 0 NYJ 3 11 0
1976 BAL(2d) 11 3 0 NE(4d) 11 3 0 MIA 6 8 0 NYJ 3 11 0 BUF 2 12 0
1975 BAL(3d) 10 4 0 MIA 10 4 0 BUF 8 6 0 NYJ 3 11 0 NE 3 11 0
1974 MIA(d) 11 3 0 BUF(d) 9 5 0 NE 7 7 0 NYJ 7 7 0 BAL 2 12 0
1973 MIA(v) 12 2 0 BUF 9 5 0 NE 5 9 0 NYJ 4 10 0 BAL 4 10 0
1972 MIA(v) 14 0 0 NYJ 7 7 0 BAL 5 9 0 BUF 4 9 1 NE 3 11 0
1971 MIA(s) 10 3 1 BAL(c) 10 4 0 NE 6 8 0 NYJ 6 8 0 BUF 1 13 0
1970 BAL(v) 11 2 1 MIA(d) 10 4 0 NYJ 4 10 0 BUF 3 10 1 BOS 2 12 0

AFLひがし地区ちく

[編集へんしゅう]
とし 地区ちく優勝ゆうしょう 2 3 4 5
チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん
1969 NY(d) 10 4 0 HOU(d) 6 6 2 BOS 4 10 0 BUF 4 10 0 MIA 3 10 1
1968 NY(V) 11 3 0 HOU 7 7 0 MIA 5 8 1 BOS 4 10 0 BUF 1 12 1
1967 HOU(a) 9 4 1 NY 8 5 1 BUF 4 10 0 MIA 4 10 0 BOS 3 10 1
1966 BUF(a) 9 4 1 BOS 8 4 2 NY 6 6 2 HOU 3 11 0 MIA 3 11 0
スーパーボウル開始かいし
1965 BUF(a) 10 3 1 NY 5 8 1 BOS 4 8 2 HOU 4 10 0
1964 BUF(v) 12 2 0 BOS 10 3 1 NY 5 8 1 HOU 4 10 0
1963 BOS(a) 7 6 1 BUF(d) 7 6 1 HOU 6 8 0 NY 5 8 1
1962 HOU(a) 11 3 0 BOS 9 4 1 BUF 7 6 1 NY 5 9 0
1961 HOU(v) 10 3 1 BOS 9 4 1 NY 7 7 0 BUF 6 8 0
1960 HOU(v) 10 4 0 NY 7 7 0 BUF 5 8 1 BOS 5 9 0

おも選手せんしゅ

[編集へんしゅう]

現役げんえき選手せんしゅ

[編集へんしゅう]

永久えいきゅう欠番けつばん

[編集へんしゅう]
ニューイングランド・ペイトリオッツ 永久えいきゅう欠番けつばん一覧いちらん
背番号せばんごう 選手せんしゅ ポジション 在籍ざいせき期間きかん
20 ジーノ・キャパレッティ Gino Cappelletti WR, K 1960–1970
40 マイク・ヘインズ Mike Haynes CB 1976–1982
57 スティーブ・ネルソン Steve Nelson LB 1974–1987
73 ジョン・ハナ John Hannah G 1973–1985
78 ブルース・アームストロング Bruce Armstrong T 1987–2000
79 ジム・リー・ハント Jim Lee Hunt DL 1960–1971
89 ボブ・ディー Bob Dee DL 1960–1967

プロフットボール殿堂でんどう

[編集へんしゅう]
プロフットボール殿堂でんどうはいりメンバー一覧いちらん
選手せんしゅ
背番号せばんごう 名前なまえ ポジション 在籍ざいせき期間きかん 選出せんしゅつねん
73 ジョン・ハナ John Hannah G 1973–1985 1991
40 マイク・ヘインズ Mike Haynes CB 1976–1982 1997
85 ニック・ブオニコンティ Nick Buoniconti LB 1962–1968 2001
56 アンドレ・ティペット Andre Tippett LB 1982–1993 2008
28 カーティス・マーティン Curtis Martin RB 1995–1997 2012
55 ジュニア・セアウ Junior Seau LB 2006–2009 2015
81 ランディ・モス Randy Moss WR 2007–2010 2018
24 タイ・ロー Ty Law CB 1995–2004 2019
コーチ・エグゼクティブ
名前なまえ 役職やくしょく 在籍ざいせき期間きかん 選出せんしゅつねん
ビル・パーセルズ Bill Parcells ヘッドコーチ 1993–1996 2013

チーム殿堂でんどう

[編集へんしゅう]

50周年しゅうねん記念きねんチーム(2009)

[編集へんしゅう]

おも現役げんえき選手せんしゅ

[編集へんしゅう]

過去かこ在籍ざいせきした選手せんしゅ

[編集へんしゅう]
ランアフターキャッチにひいでている。サンディエゴ・チャージャーズでプロのキャリアをスタートさせるがわずかいち週間しゅうかん解雇かいこされ、本人ほんにんによればくやしさのあまりがえりのくるまなか号泣ごうきゅうしたという。マイアミ・ドルフィンズ時代じだいたいペイトリオッツせんでキックリターン、パントリターン、エクストラ・ポイント・キック、FG、タックルを記録きろくし、これはNFL史上しじょうにんのことであった。2007ねん加入かにゅう3シーズン連続れんぞくで100キャッチ、1,000ヤードレシーブを記録きろくしている。リターナーとしても活躍かつやくだい42かいスーパーボウルでは大会たいかい史上しじょう最多さいたタイとなる11キャッチを記録きろく。2プロボウル、3オールプロ選出せんしゅつ。2007ねんと2009ねんはNFLトップのレセプション回数かいすう記録きろくした。2013ねんよりブロンコスに移籍いせき
ドラフト2じゅん指名しめいでチームに加入かにゅう。175cmと小柄こがらながら1ねんから活躍かつやくだい39かいスーパーボウルでは大会たいかい最多さいたタイ記録たいきろくとなる11かいのパスたま記録きろくしてMVPを獲得かくとくした。だい38かいスーパーボウルでも10かいのパスキャッチを記録きろくしており、連続れんぞくする2かいのスーパーボウルで21キャッチという成績せいせきはNFL記録きろく。またキャリア通算つうさんでのスーパーボウルのキャッチすうではジェリー・ライスなどにいで歴代れきだい3である。契約けいやくがまとまらず2006ねんシアトル・シーホークス移籍いせきした。2010ねんシーズン開幕かいまくランディ・モス退団たいだんしたチームに復帰ふっきした。2002ねんから2005ねんまでの背番号せばんごうは83。その復帰ふっき解雇かいこかえしている。
チームをささえるベテランRB。パスキャッチがうまく、3rdダウンバックやWR、リターナーとしてもプレー。いまもチームにのこっている選手せんしゅとしては、スーパーボウル3制覇せいは経験けいけんしている数少かずすくないメンバーの一人ひとりマーシャル・フォークとは遠縁とおえん親戚しんせきにあたる。
ブレイディのブラインドサイドをまもつづける不動ふどうのLT。試合しあい終了しゅうりょう間際まぎわ重要じゅうようなFGにいつも中腰ちゅうごしいのっている。現在げんざいのチームには4にんしかいないスーパーボウル3制覇せいは経験けいけんしている選手せんしゅ一人ひとり。プロボウルに2、オールプロに1選出せんしゅつされている。2011ねんをもって引退いんたい
ドラフト全体ぜんたい1指名しめいでチームに加入かにゅう。プロボウルに3選出せんしゅつされるなどチーム史上しじょうのこ活躍かつやくでスーパーボウル出場しゅつじょうおおきく貢献こうけんし、数々かずかずのフランチャイズ記録きろくえた。2001ねんの3がつに10ねん1おく300まんドルという大型おおがた契約けいやくむすんだが[43]、そのとしのシーズン序盤じょばん負傷ふしょう離脱りだつするとわったブレイディにスターターのうばわれた。しかしながらブレッドソーの起用きようのぞこえおおく、メディアも論争ろんそうきつけようとした。しかしブレッドソーはメディアにたい不満ふまんおおやけにせず、AFCチャンピオンシップでは負傷ふしょう交代こうたいしたブレイディの代役だいやくをしっかりとこなすなどバックアッパーとしてチーム史上しじょうはつのスーパーボウル制覇せいはささえた[44]。2002ねんどう地区ちくバッファロー・ビルズにトレードされ3シーズンをごし、2002ねんには4度目どめのプロボウル選出せんしゅつたした。ダラス・カウボーイズで2シーズンをごしたのち2007ねん4がつ引退いんたい表明ひょうめいみずから「幸運こううんだった」とかえったフットボールキャリアにまくじた[45]
現在げんざいのチームに4にんしかいないスーパーボウル3制覇せいは経験けいけんしたメンバーの一人ひとり。しかしスターターとしてプレーしたのはだい39かいスーパーボウルのみである。2001ねん一時いちじフィラデルフィア・イーグルスにも在籍ざいせきした。大学だいがく時代じだいレスリング活躍かつやくし151しょう10はい成績せいせきをおさめ、のちのWWEUFC王者おうじゃであるブロック・レスナーにも勝利しょうりしている[46]。またシドニーオリンピックにも出場しゅつじょうするなど大学だいがく時代じだいはほとんどフットボールをプレーしていない。2004ねんシーズンからスターターとして活躍かつやくしている。
ドラフト8じゅん加入かにゅうチーム一筋ひとすじでプレーした。ペイトリオッツでのレシーブ557かい、パントリターン252かい2,625ヤードはチーム歴代れきだい最多さいた記録きろくである。WR、リターナ、2004ねんのラムズせんからはCBとしても出場しゅつじょうし2006ねんのプレシーズンではQBとしてもプレーした[47]。チームが強力きょうりょくなWRじん補強ほきょうした2007ねん怪我けがもあってプレーの機会きかいがほとんどなく、だい16しゅうのマイアミ・ドルフィンズせんで6かいのパントリターンをおこなったのみであった(うち2かいフェアキャッチ、ファンブルいちかいもっとながいリターンは28ヤード)。しかしながらだい1Qにパントリターンで登場とうじょうしたさいはホームの観客かんきゃくからおおきな歓声かんせいあつめた。2008ねんシーズンまえ引退いんたいし、ホームでおこなわれたニューヨーク・ジェッツせんのハーフタイムにセレモニーがおこなわれた。
ドラフトにはかからず、アリーナ・フットボール経験けいけんしたのちニューヨーク・ジャイアンツでプロのキャリアをスタートさせた。クリーブランド・ブラウンズて2001ねんにペイトリオッツと契約けいやく以後いごチームの主力しゅりょくとして活躍かつやくし、だい36かいスーパーボウルでは見事みごとなTDパスキャッチをめるなど3のスーパーボウル制覇せいは貢献こうけんした。2001ねんシーズンのインディアナポリス・コルツせんではパス、パスレシーブ、ランの3つでTDをあげ、どう記録きろく達成たっせいしたNFL史上しじょう6にん選手せんしゅとなった。2005ねんワシントン・レッドスキンズ移籍いせきし、以後いごいくつかのチームをわたあるく。2010ねんふたたびペイトリオッツと契約けいやくしたが、トレーニングキャンプにて引退いんたい表明ひょうめいした。
ドラフト7じゅん全体ぜんたい253という下位かい指名しめいでチームに加入かにゅう。2003ねんから活躍かつやくせ、以後いごスターターWRとしてスーパーボウル連覇れんぱ貢献こうけんした。レギュラーシーズンでのTDパスキャッチは12にとどまるが、ポストシーズンでは2003ねんのAFCチャンピオンシップから2005ねんのディビジョナル・プレーオフまで7試合しあい連続れんぞくでTDパスキャッチをめるなどだい舞台ぶたい勝負しょうぶつよさを発揮はっきした。スーパーボウルでの2TDをふくむポストシーズン通算つうさん7TDパスキャッチはペイトリオッツ史上しじょう最多さいた記録きろくである。2006ねんテネシー・タイタンズ移籍いせきしたが、5試合しあい出場しゅつじょうしたのちぜん十字じゅうじ靱帯じんたいだんきれ二度にどとフィールドにもどってくることはなかった。2010ねんの6がつボストン北部ほくぶ近郊きんこうEuphoria Lifestyle Caféという飲食いんしょくてんをオープンし、みずか営業えいぎょうしている[48][49]
シンシナティ・ベンガルズからトレードで加入かにゅう。スーパーボウルにてるチームでのプレーをのぞんだためであったが、そのシーズンにチーム記録きろくとなる1,635ヤードを獲得かくとくするなどスーパーボウル優勝ゆうしょう貢献こうけんした。このとしふくめ4プロボウルに選出せんしゅつされている。05ねんはスランプにおちいり、06ねん新人しんじんRBマロニーとの併用へいようおもとなった。07シーズンまえ放出ほうしゅつされ移籍いせきさきつからず引退いんたい。2010ねんつまへの暴行ぼうこう容疑ようぎ逮捕たいほされた[50]
ドラフト全体ぜんたい6入団にゅうだん。5のプロボウル、4のオールプロ選出せんしゅつほこるなど2000年代ねんだい最高さいこうのディフェンス・ラインの一人ひとり[51]としてペイトリオッツの3のスーパーボウル制覇せいはおおきく貢献こうけんした。09ねんシーズン直前ちょくぜんオークランド・レイダースへ、2011ねんドラフト1じゅん指名しめいけんとトレードされた。
ピッツバーグ・スティーラーズで4シーズンごしたがスターターになれず、2001ねんにペイトリオッツに加入かにゅう。LBながらゴールまえのスペシャルプレイヤーとしてレギュラーシーズンで8つのTDレシーブを記録きろくし、スーパーボウルでも2つのTDレシーブをめた。ブレイベルいわく[52]練習れんしゅうぼくはいつもオープンだった。」 だい38かいスーパーボウルでは2サック、1ファンブル・フォース、1TDパスキャッチとMVPきゅう活躍かつやくせるなど3のスーパーボウル制覇せいはおおきく貢献こうけんした。現在げんざいテネシー・タイタンズでヘッドコーチに就任しゅうにんしている。
ドラフト2じゅん加入かにゅう。ランディフェンスのスペシャリストとして活躍かつやくし、3のスーパーボウル制覇せいは貢献こうけんした。脳震盪のうしんとうなやまされ2005ねんシーズンまえ引退いんたい初期しょきアルツハイマーびょうきざしがあると神経しんけいわれ、いち時期じきほどではないが現在げんざい頭痛ずつううつなやまされている。それらにかんして2007ねんにベリチックへの批判ひはんともとれる発言はつげんおこなったが[53]のインタビューで悪意あくいっているわけではないとかした[54]。2009ねんの9がつからニューイングランド・スポーツ・ネットワークはたらいている[55]
2007ねんの1じゅん指名しめい大学だいがく時代じだい発砲はっぽう事件じけんこしており(チームメイトに発砲はっぽうした加害かがいしゃたいしての正当せいとう防衛ぼうえいであり、じゅう正当せいとう所有しょゆうしていたものであった)[56]FIUたいマイアミ大学だいがくでは相手あいて選手せんしゅ暴力ぼうりょく行為こういはたらくなど、その素行そこうかんしてドラフト心配しんぱいこえもあった[57]。ロドニー・ハリソンの離脱りだつスターターとして起用きようされると、以後いご世代せだい交代こうたいすすむなか主力しゅりょくとして活躍かつやく。2009ねんには自身じしんはつのプロボウルに選出せんしゅつされた。
ドラフト3じゅん加入かにゅうチーム一筋ひとすじでプレーした。チームが出場しゅつじょうした6のスーパーボウルのうち5試合しあい出場しゅつじょうしている、まさにチームのこるディフェンスリーダー。ペイトリオッツの50周年しゅうねんアニバーサリー・チームではディフェンス・キャプテンにえらばれている。不動ふどうのインサイドLBとしてフィールドじょうペイトリオッツの3-4ディフェンス指揮しきした。2プロボウルに選出せんしゅつされ、2005ねんシーズンにはのう梗塞こうそくたおれるもシーズン途中とちゅう復帰ふっきカムバックしょうかがやいた。2009ねんシーズン直前ちょくぜん引退いんたい。ベリチックは会見かいけんなみだをこらえながら"the perfect player"かれたたえた。現在げんざいESPNでフットボール解説かいせつしゃつとめている。
ドラフト全体ぜんたい4でチームに加入かにゅう。DEとしてもプレーし、王朝おうちょう時代じだいのサックリーダーとして3のスーパーボウル制覇せいはおおきく貢献こうけんした。78サックはペイトリオッツ史上しじょう歴代れきだい3記録きろくである。プロボウルにも2選出せんしゅつ。2005ねんのワイルドカード・プレイオフで記録きろくしたポストシーズン1試合しあいでの4.5サック、ポストシーズン通算つうさん16サックはどちらもNFL最多さいた記録きろくである[58]。サラリーキャップの問題もんだいで2006ねん放出ほうしゅつされ、クリーブランド・ブラウンズでプレー。現在げんざい所属しょぞくであるが事実じじつじょう引退いんたい状態じょうたいにある。
サンディエゴ・チャージャーズでプロボウルに12選出せんしゅつされた90年代ねんだい代表だいひょうする選手せんしゅ。ドルフィンズをて2006ねん古巣ふるすのチャージャーズと1にち契約けいやくむす引退いんたいしたが、わずか4にちにペイトリオッツと契約けいやく。2007ねんぜん試合しあい出場しゅつじょうしレギュラーシーズン全勝ぜんしょう貢献こうけんした。2008ねん、2009ねんにもシーズン途中とちゅうでペイトリオッツに復帰ふっきし2009シーズン終了しゅうりょう再度さいど引退いんたい表明ひょうめいした。
ドラフト1じゅんでチームに加入かにゅう。バンプなどを駆使くししたフィジカルなパスカバーとハードなディフェンスで活躍かつやくした。4のプロボウルと2のオールプロに選出せんしゅつされ、だい36かいスーパーボウルではINTリターンタッチダウンをうばうなど3のスーパーボウル制覇せいは貢献こうけんした。NFL 2000年代ねんだいオール・ディケイド・チームにもえらばれている。サラリー・キャップの問題もんだいで2005ねんシーズンまえ放出ほうしゅつされ、ニューヨーク・ジェッツなどでプレーした。2005ねんには5度目どめのプロボウル選出せんしゅつたしている。2009ねんシーズンはデンバー・ブロンコス在籍ざいせき
ドラフト4じゅんでチームに加入かにゅうし、2のスーパーボウル制覇せいはあじわった。スターターとなった当初とうしょ苦戦くせんするが、2006ねんシーズンに目覚めざましい活躍かつやくチャンプ・ベイリーならぶリーグ最多さいたの10INTを記録きろくした。現在げんざいフィラデルフィア・イーグルス在籍ざいせき
2009ねんのドラフト7じゅん指名しめい加入かにゅう高校こうこう大学だいがくとQBとしてプレーし、機動きどうりょくかして大学だいがくではパスで1820ヤード13TD、ランでは1,551ヤード13TDをあげた。NFLコンバインには招待しょうたいされなかったが、プロデイでかれは20ヤード・ショート・シャトルにて3びょう92という成績せいせきのこしており、これはコンバインに参加さんかしたすべての選手せんしゅよりはやいタイムであった。ペイトリオッツではブレッドソーが2001ねんシーズンを最後さいごにチームをって以来いらいだれもつけていなかった背番号せばんごう11をじつに8シーズンぶりに背負せおうこととなった。ワイルドキャット・フォーメーションでの起用きようおもかとおもわれていたが[59]、プレシーズンだい1しゅうでWRとしてプレーしパントリターンTDをあげるなどの活躍かつやくせファンをおどろかせた。レギュラーシーズンは怪我けがにもなやまされたが、ウェルカーをいたディビジョナル・プレーオフではNFLのルーキーWRとしては1995ねんシーズン以来いらいの2TDキャッチをめるなど、完敗かんぱいしたチームにあっていち人気にんきいた。なお身長しんちょうが6'0フィートとなっていることがおおいが、実際じっさいには5'10フィートである[60]
2009ねんドラフト2じゅん指名しめい期待きたいのラインマン。ドイツまれ、14さいまでフットボールの経験けいけんまったくなかったというNFL選手せんしゅとしては異色いしょく経歴けいれきぬし大学だいがく2年生ねんせいまではTEとしてプレーしており、ヒューストン大学だいがく入学にゅうがくした当初とうしょ英語えいごをかろうじてはなせる程度ていどであった。ルーキーシーズンではマット・ライトやニック・カイザー怪我けが離脱りだつしたこともあり14試合しあい出場しゅつじょう当時とうじ12試合しあい(レギュラーシーズンでは11試合しあい連続れんぞくサックを記録きろくしていたコルツのDEドワイト・フリーニーをTEのたすけをりながらとはいえふうじきるなど(この試合しあいはフリーニーが出場しゅつじょうした試合しあいでサックを記録きろくできなかった2009ねんシーズン唯一ゆいいつ試合しあいとなった)、りょうサイドのTとして活躍かつやくした。
2004ねんのドラフト1じゅん指名しめい選手せんしゅで、チームの3-4ディフェンスをささえる147キロの巨漢きょかんNT。2のプロボウル、1のオールプロ選出せんしゅつ。プロデイでのかれの40ヤードはしのタイムは、コンバインでのブレイディの記録きろくよりもはや[61]
2008ねんの1じゅん指名しめいで、どうシーズンの最優秀さいゆうしゅう守備しゅび新人しんじん選手せんしゅ選出せんしゅつされた。よくシーズンは怪我けがにもなやまされたがチームトップの103タックルを記録きろく。ブルースキーがったチームにあって、あらたなディフェンスリーダーとして入団にゅうだんしている。なお、2015ねん引退いんたいのち2019ねんからはチームのインサイド・ラインバッカーコーチに就任しゅうにんし、2024ねんシーズンからはヘッドコーチとなった。

歴代れきだいヘッドコーチ

[編集へんしゅう]

不祥事ふしょうじ

[編集へんしゅう]
  • 2007ねん開幕かいまくせん相手あいてチームのディフェンスシグナルをぬすめつまみ通称つうしょう「スパイゲート」。
  • 2015ねん、AFCチャンピオンシップゲームで、細工ざいくくわえたボールを使つかったとされる疑惑ぎわく通称つうしょう「デフレートゲート」。
  • 2019シーズンなか、チームのビデオクルーがシンシナティ・ベンガルズのサイドラインをぬすめうつしていたことにより、2020ねん6がつ29にち、NFLから罰金ばっきん110まんドルをされ、2021ねんドラフト3じゅん指名しめいけん剥奪はくだつされた[62]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ ネーミングライツビールメーカーの名前なまえ「シェーファースタジアム」(1971ねんから1983ねん)、そのペイトリオッツのオーナー一族いちぞく名前なまえ「サリバン・スタジアム」(1983ねんから1989ねんまで)とばれた。
  2. ^ かれは12年間ねんかんペイトリオッツのオフェンスラインをささえた。
  3. ^ プランケットはのちにレイダースで2のスーパーボウル制覇せいはたす
  4. ^ 大雪おおゆきなかおこなわれたこの試合しあいではペイトリオッツのFGまえゆきかきがおこなわれFGがまった。この試合しあい以降いこう試合しあいちゅうゆきかきはおこなえないようになった。
  5. ^ このとしのドラフト1じゅん指名しめいされたQB6にんなかでは4にん指名しめいけている。
  6. ^ 2005ねんピッツバーグ・スティーラーズベン・ロスリスバーガーだい40かいスーパーボウル勝利しょうりし、記録きろくえる。
  7. ^ ロドニー・ハリソン・ルールともわれている。1978ねんから反則はんそくとされている「不正ふせい使用しよう」(illegal use of hands)をさらにきびしくるようにしたもの。もともとタイ・ローはバンプなどを駆使くししたフィジカルなプレーが得意とくいなCBであったが、この試合しあいかれ筆頭ひっとうにペイトリオッツDBじんせたレシーバーにたいする執拗しつようなジャミングは反則はんそくられるようになった。以後いごディフェンスのパス・インターフェアランス、ホールディング、イリーガル・コンタクトなどはそうじて従来じゅうらいよりきびしくられるようになり、レシーバーとディフェンダーとの接触せっしょくプレーは全体ぜんたいてきにレシーバー有利ゆうり反則はんそくられるようになった。
  8. ^ 2009ねんシーズンにコルツがレギュラーシーズン23連勝れんしょうたし記録きろくえる。なおプレーオフをふくんでの連勝れんしょう記録きろくはペイトリオッツが2003ねんから2004ねんシーズンにかけて達成たっせいした21連勝れんしょう

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b c d ペイトリオッツ、“最初さいしょの”本拠地ほんきょち決定けってい!”. NFL JAPAN (2011ねん4がつ1にち). 2011ねん4がつ10日とおか閲覧えつらん
  2. ^ Jim Nance statistics
  3. ^ NFL MVP player of the year
  4. ^ Special Teams”. ニューヨーク・タイムズ (2007ねん11月11にち). 2010ねん7がつ30にち閲覧えつらん
  5. ^ Past Heisman Trophy Winners National Champs.net.
  6. ^ Pro Football Draft History: 1971 Pro Football Hall of Fame.
  7. ^ NFL 1970 Team Rankings.
  8. ^ All-time Leaders - Rushing Archived 2007ねん9がつ29にち, at the Wayback Machine. Patriots.com.
  9. ^ Still painful after all these years; 1976 playoff loss gnaws at”. 2010ねん8がつ2にち閲覧えつらん
  10. ^ The amazing courage of Derek Stingley Archived 2007ねん4がつ10日とおか, at the Wayback Machine. Pro Football Weekly.
  11. ^ Historical Moments:1990
  12. ^ Offensive Interference
  13. ^ 2000 New England Patriots Statistics & Players”. 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  14. ^ ペイトリオッツQBブレイディ、左足ひだりあし負傷ふしょう”. NFL JAPAN (2002ねん1がつ28にち). 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  15. ^ ペイトリオッツQBブレイディが先発せんぱつ”. NFL JAPAN (2002ねん1がつ31にち). 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  16. ^ NFL Videos: Top Ten Biggest Upsets: Super Bowl XXXVI”. NFL.com. 2010ねん8がつ8にち閲覧えつらん
  17. ^ Patriots say they don't 'Hate' Belichick”. ESPN.com (2003ねん9がつ15にち). 2009ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  18. ^ Defensive backs get hands-on lesson on new rule”. 2010ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  19. ^ NFL will crack down on pass interference - The Boston Globe
  20. ^ Teams of the decade”. NFL (2010ねん2がつ5にち). 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  21. ^ Patriots vs Colts 2005NFL Week9”. 2010ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  22. ^ Patriots vs. Bears: Game notes”. Patriots.com (2006ねん11月26にち). 2007ねん9がつ29にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2007ねん6がつ19にち閲覧えつらん
  23. ^ 後藤ごとうかんおっと (2007ねん5がつごう). “ベルチックの宣戦せんせん布告ふこく モスとメリウエザーは矯正きょうせい出来でき”. タッチダウン. 2010ねん5がつ19にち閲覧えつらん
  24. ^ “Brown adds to Patriots legend”. The Boston Globe. (2007ねん1がつ15にち). http://www.boston.com/sports/football/patriots/articles/2007/01/15/brown_adds_to_his_legend/ 2007ねん1がつ15にち閲覧えつらん 
  25. ^ Reiss, Mike (2007ねん4がつ29にち). “Trade confirmed”. Boston.com Reiss' Pieces. 2007ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  26. ^ Reiss, Mike (2007ねん4がつ29にち). “Moss contract”. Boston.com Reiss' Pieces. 2007ねん6がつ15にち閲覧えつらん
  27. ^ Steelers defensive back Smith guarantees win vs. perfect Pats”. ESPN.com (2007ねん12月6にち). 2009ねん9がつ20日はつか閲覧えつらん
  28. ^ QBブレイディ、ひだりひざ負傷ふしょう今季こんき絶望ぜつぼう”. NFL JAPAN (2008ねん9がつ8にち). 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  29. ^ オーナー会議かいぎ、ルール改正かいせいのポイントは危険きけんなプレイへの罰則ばっそく強化きょうか”. NFL JAPAN (2009ねん3がつ19にち). 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  30. ^ ベリチックHC、23ねんぶり不運ふうんも「チームをほこおもう」”. NFL JAPAN (2008ねん12月29にち). 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  31. ^ ベリチックHC、大敗たいはいに「事態じたい収拾しゅうしゅうしないといけない」”. NFL JAPAN. 2010ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  32. ^ QBブレイディ、昨季さくき敗因はいいんは「自信じしん信頼しんらいかん欠如けつじょ”. NFL JAPAN (2010ねん5がつ13にち). 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  33. ^ ブレイディ、「今日きょうのプレイではどのチームもたおせない」”. NFL JAPAN (2010ねん1がつ11にち). 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  34. ^ Brady cites lack of trust, confidence as reasons for early '09 exit”. AP通信つうしん. 2010ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  35. ^ もとMVPのQBニュートンがペイトリオッツと1ねん契約けいやく”. NFL JAPAN (2020ねん6がつ29にち). 2020ねん6がつ29にち閲覧えつらん
  36. ^ New England Patriots release QB Cam Newton”. NFL.com. 2021ねん9がつ1にち閲覧えつらん
  37. ^ ペイトリオッツが2000ねんシーズン以降いこうもっとはやくプレーオフあらそいから脱落だつらく”. 2023ねん12月12にち閲覧えつらん
  38. ^ Bill Belichick, Patriots mutually agree to part ways after 24 seasons”. NFL. 2024ねん1がつ11にち閲覧えつらん
  39. ^ ペイトリオッツがジェロッド・メイヨを指揮しきかん起用きよう、NFL最年少さいねんしょうヘッドコーチの誕生たんじょう”. NFL Japan. 2024ねん1がつ13にち閲覧えつらん
  40. ^ Breech, John (October 5, 2017). “LOOK: Patriots show off the inside of their new team plane for the first time”. CBSSports.com. October 30, 2019てんのオリジナルよりアーカイブJanuary 31, 2023閲覧えつらん
  41. ^ Zhang, Benjamin. “Check out the New England Patriots' Boeing 767 private jet that flew the team to Super Bowl LIII”. Business Insider. February 7, 2019てんのオリジナルよりアーカイブJanuary 31, 2023閲覧えつらん
  42. ^ Japan, NFL. “ペイトリオッツの飛行機ひこうき中国ちゅうごくから120まんまいのマスクを輸送ゆそう”. NFLJapan. January 31, 2023閲覧えつらん
  43. ^ Total package is biggest in NFL history”. 2010ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  44. ^ Top Ten QB Controversies: Brady vs. Bledsoe”. 2010ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  45. ^ Bledsoe retires, ends 14-year career”. 2010ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  46. ^ Brock Lesnar And The NFL's Stephen Neal Reflect On Wrestling Match”. fightline.com (2008ねん12月23にち). 2010ねん8がつ3にち閲覧えつらん
  47. ^ Troy Brown lines up at quarterback”. patriots.com (2006ねん8がつ31にち). 2010ねん8がつ2にち閲覧えつらん
  48. ^ Former New England Patriot David Givens pours his positive energy into new business venture”. ESPN Boston. 2010ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  49. ^ Former Patriots star David Givens turns to art after career ending injury”. 2010ねん8がつ5にち閲覧えつらん
  50. ^ “Former NFL star Corey Dillon arrested on suspicion of assaulting wife in Calabasas”, Los Angeles Times, (May 3, 2010), http://latimesblogs.latimes.com/sports_blog/2010/05/former-nfl-star-corey-dillon-arrested-on-suspicion-of-assaulting-wife.html 
  51. ^ League announces 2000s NFL All-Decade Team”. 2010ねん8がつ3にち閲覧えつらんNFL.com
  52. ^ Top-Ten-Most-Versatile-Mike-Vrabel”. 2010ねん5がつ27にち閲覧えつらん
  53. ^ 'I don't want anyone to end up like me' - The Boston Globe”. 2010ねん8がつ4にち閲覧えつらん
  54. ^ Ex-Pats LB: 'I don't want to place blame anywhere'”. 2010ねん8がつ4にち閲覧えつらん
  55. ^ Former Patriots Linebacker Ted Johnson Joins NESN”. 2010ねん8がつ4にち閲覧えつらん
  56. ^ Miami safety Cooper shot, teammate returns fire”. Associated Press. ESPN.com (2006ねん7がつ21にち). 2007ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  57. ^ Garafolo, Mike (2007ねん4がつ17にち). “Interview with Meriweather”. The Star Ledger. 2007ねん7がつ18にち閲覧えつらん
  58. ^ USC Legends William McGinest”. USC Trojans. 2010ねん8がつ3にち閲覧えつらん
  59. ^ Gosselin, Rick (2009ねん4がつ27にち). “Non-combine players make their mark in draft”. The Dallas Morning News. 2009ねん7がつ27にち閲覧えつらん
  60. ^ Farley, Glen (2009ねん8がつ9にち). “Patriots Notebook: Edelman isn't coming up short”. The Patriot Ledger. 2009ねん8がつ15にち閲覧えつらん
  61. ^ “Vince Wilfork Draft Profile”, NFLDraftScout.com, http://www.nfldraftscout.com/ratings/dsprofile.php?pyid=27301&draftyear=2004&genpos=DT January 1, 2010閲覧えつらん 
  62. ^ サイドライン撮影さつえいけんでペイトリオッツに罰金ばっきんと3じゅん指名しめいけん”. NFL JAPAN (2020ねん6がつ29にち). 2020ねん6がつ29にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]