ニューイングランド・ペイトリオッツ (英語 えいご : New England Patriots 、略称 りゃくしょう : NE )は、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく マサチューセッツ州 しゅう フォックスボロ に本拠地 ほんきょち をおくNFL チーム。AFC東 ひがし 地区 ちく に所属 しょぞく している。ホームスタジアムとチーム本部 ほんぶ は、ボストン の35km南西 なんせい 部 ぶ に位置 いち するフォックスボロのジレット・スタジアム に位置 いち している。
過去 かこ 11度 ど スーパーボウル に出場 しゅつじょう し、 6度 ど NFLチャンピオンに輝 かがや いている。特 とく に2000年 ねん 代 だい に入 はい ってからはヘッドコーチ (HC) ビル・ベリチック とクォーターバック (QB) トム・ブレイディ のもとで2001年 ねん 、2003年 ねん 、2004年 ねん 、2014年 ねん 、2016年 ねん 、2018年 ねん シーズンとNFLを制 せい している。
アメリカン・フットボール・リーグ (AFL)創立 そうりつ と共 とも に誕生 たんじょう し、当初 とうしょ のチーム名 めい は公募 こうぼ により決定 けってい したボストン・ペイトリオッツ (Boston Patriots)であった[ 1] 。チーム名 めい の由来 ゆらい は本拠 ほんきょ ニューイングランド (北東 ほくとう 部 ぶ 6州 しゅう の総称 そうしょう )がアメリカ独立 どくりつ 戦争 せんそう の舞台 ぶたい だった事 こと から愛国 あいこく 者 しゃ を意味 いみ するPatriotsを採用 さいよう した。1971年 ねん 、ボストン (マサチューセッツ州 しゅう )近郊 きんこう の北東 ほくとう 部 ぶ の州 しゅう からの要望 ようぼう でニューイングランド・ペイトリオッツに改称 かいしょう した。チームフラッグにはアメリカが独立 どくりつ した際 さい の13州 しゅう 当時 とうじ の国旗 こっき (赤 あか 白 しろ のストライプに13個 こ の☆)が描 えが かれている。愛称 あいしょう はパッツ (Pats)。
1959年 ねん 11月、ビリー・サリバン によってアメリカン・フットボール・リーグ (AFL)8番目 ばんめ そして最後 さいご のフランチャイズとしてチームが設立 せつりつ された。
1960年 ねん 、AFL最初 さいしょ のプレシーズンゲームでバッファロー・ビルズ を破 やぶ った。ホームで迎 むか えた開幕 かいまく 戦 せん ではデンバー・ブロンコス に10-13で敗 やぶ れた[ 1] 。第 だい 2週 しゅう のニューヨーク・タイタンズ 戦 せん で初 はつ 勝利 しょうり を挙 あ げた。また第 だい 8週 しゅう の試合 しあい でホーム初 はつ 勝利 しょうり をあげた[ 1] 。このシーズンはAFL東部 とうぶ 地区 ちく 最下位 さいかい の5勝 しょう 9敗 はい で終 お わった。
1961年 ねん 、2勝 しょう 3敗 はい となったところでヘッドコーチのルー・セイバン が解雇 かいこ され、マイク・ホロバック が就任 しゅうにん し残 のこ り試合 しあい を7勝 しょう 1敗 はい 1分 ふん で終 お えて9勝 しょう 4敗 はい 1分 ふん でシーズンを終 お えた。
1962年 ねん も9勝 しょう 4敗 はい 1分 ぶん の成績 せいせき を残 のこ したがプレーオフ進出 しんしゅつ はならなかった。
1963年 ねん 、本拠地 ほんきょち をニッカーソン・フィールド からフェンウェイ・パーク へ移 うつ した。7勝 しょう 6敗 はい 1分 わ けの成績 せいせき だったが初 はつ のプレーオフ進出 しんしゅつ を果 は たした。バッファロー で行 おこな われたビルズ 戦 せん に26-8と勝利 しょうり しAFLチャンピオンシップゲームに初 はつ 進出 しんしゅつ を果 は たしたが、サンディエゴ・チャージャーズ に10-51で敗 やぶ れて優勝 ゆうしょう はならなかった。AFLに属 ぞく していた間 あいだ チームがプレーオフに出場 しゅつじょう したのはこのシーズンのみであった。なおこの年 とし のオールスターゲームにはチームからジーノ・キャパレッティ やニック・ブオニコンティ 、ベイブ・パリリ ら11人 にん が選 えら ばれた。
1964年 ねん 、キャパレッティがWRとして7タッチダウン、プレースキッカーとしてFG、PATで111得点 とくてん を挙 あ げシーズンMVPに選 えら ばれる活躍 かつやく を見 み せた。10勝 しょう 2敗 はい 1分 ふん で迎 むか えた最終 さいしゅう 戦 せん 地元 じもと フェンウェイパーク で行 おこな われたビルズ戦 せん には観客 かんきゃく 38,021人 にん が入場 にゅうじょう しソールドアウトとなったが、ファンの期待 きたい もむなしく14-24で敗 やぶ れプレーオフ進出 しんしゅつ はならなかった。
1965年 ねん 、開幕 かいまく から7連敗 れんぱい を喫 きっ し、ハロウィン に行 おこな われたサンディエゴ・チャージャーズ 戦 せん でようやく初 はつ 勝利 しょうり を挙 あ げた。11試合 しあい 終了 しゅうりょう 時点 じてん でも1勝 しょう 8敗 はい 2分 ふん という成績 せいせき だったが最後 さいご に3連勝 れんしょう を果 は たし、4勝 しょう 8敗 はい 2分 ふん でかろうじてリーグ最下位 さいかい の成績 せいせき を免 まぬか れた。
1966年 ねん 、1勝 しょう 2敗 はい 1分 ふん でスタートしたがFBのジム・ナンス がAFLレコードとなる1,458ヤードを走 はし る活躍 かつやく を見 み せ、チームも8勝 しょう 3敗 はい 2分 ふん とプレーオフ進出 しんしゅつ に後 こう 一 いち 歩 ほ のところまで迫 せま った。
1967年 ねん 、ワールドシリーズ にボストン・レッドソックス が進出 しんしゅつ した関係 かんけい で最初 さいしょ の5試合 しあい をロードでプレイすることとなり、1勝 しょう 3敗 はい 1分 ふん でスタートする。前年 ぜんねん も活躍 かつやく したナンスが1,216ヤードを走 はし りシーズンMVPを獲得 かくとく した[ 2] [ 3] が、3勝 しょう 8敗 はい 1分 ふん で最下位 さいかい に終 お わった。
1968年 ねん 、4勝 しょう 10敗 はい で終 お わり、シーズン終了 しゅうりょう とともにホロバックHCは解任 かいにん されクライブ・ラッシュ が新 あたら しいHCとなった。またこのシーズンを最後 さいご に、6シーズンを戦 たたか ったフェンウェイパークに別 わか れを告 つ げた。
1969年 ねん 、本拠地 ほんきょち をボストンカレッジ のアラムナイ・スタジアム に移 うつ した。クライブ・ラッシュヘッドコーチは酔 よ っぱらったままチームの指揮 しき を執 と り、黒人 こくじん の守備 しゅび 選手 せんしゅ が11人 にん 在籍 ざいせき していなかったにもかかわらずオフェンス選手 せんしゅ のコンバートなどで守備 しゅび 選手 せんしゅ 11人 にん 全 すべ てを黒人 こくじん 選手 せんしゅ にそろえるというブラック・パワー・ディフェンス(Black Power Defense)を導入 どうにゅう した[ 4] 。しかしチーム状況 じょうきょう は好転 こうてん せず開幕 かいまく から7連敗 れんぱい を喫 きっ し、4勝 しょう 10敗 はい に終 お わった。
1970年 ねん にAFLとNFLが正式 せいしき に合併 がっぺい を完了 かんりょう し、NFLのAFC(アメリカンフットボールカンファレンス)東 ひがし 地区 ちく に属 ぞく すこととなった。ミネソタ・バイキングス のQBでNFLのMVPを獲得 かくとく したジョー・キャップ を獲得 かくとく したがシーズン成績 せいせき はAFCから参加 さんか したチームワーストの2勝 しょう 14敗 はい に終 お わった。この年 とし チームはハーバード・スタジアム を本拠地 ほんきょち とした。
1971年 ねん にチーム名 めい を「Bay State Patriots」と変 か えた後 のち 、同 おな じ年 ねん にニューイングランド・ペイトリオッツ と改称 かいしょう した。チームは創設 そうせつ 以来 いらい 11年間 ねんかん で4つのスタジアムを転々 てんてん としていたが、1971年 ねん から本拠地 ほんきょち をフォックスボロ・スタジアム (710万 まん ドルをかけてわずか325日 にち で完成 かんせい した)[ 1] [ 注 ちゅう 1] に移 うつ した。ドラフトでは全体 ぜんたい 1位 い でハイズマン賞 しょう を獲得 かくとく したスタンフォード大学 だいがく 出身 しゅっしん のジム・プランケット [ 5] [ 6] を指名 しめい した[ 7] 。またスタンフォード大学 だいがく 時代 じだい にプランケットが好 この んだWRのランディ・バタハ をフリーエージェント で獲得 かくとく した。開幕 かいまく 戦 せん で強豪 きょうごう のオークランド・レイダース を破 やぶ った後 のち 5連敗 れんぱい を喫 きっ したがスーパーボウルに出場 しゅつじょう したマイアミ・ドルフィンズ を破 やぶ るなど、最終 さいしゅう 的 てき に6勝 しょう 8敗 はい で終 お えた。
1972年 ねん 、プランケットが2年 ねん 目 め のジンクス に見舞 みま われた。2勝 しょう 1敗 はい でスタートした後 のち 、チームは9連敗 れんぱい してしまう。9連敗 れんぱい 中 ちゅう にヘッドコーチのジョン・メーザー とゼネラルマネージャー のアプトン・ベル が解雇 かいこ され、フィル・ベングソン がヘッドコーチとなり4試合 しあい の指揮 しき を執 と ったが1勝 しょう しか加 くわ えることができず3勝 しょう 11敗 はい で終 お わった。
1973年 ねん から1985年 ねん まで在籍 ざいせき したOG のジョン・ハナ
1973年 ねん のドラフトでその後 ご チーム初 はつ のNFL殿堂 でんどう 入 い りを果 は たすことになるジョン・ハナ が加入 かにゅう した[ 注 ちゅう 2] 。この年 とし のドラフトではチームの歴代 れきだい 通算 つうさん ラッシングリーダーとなるRBサム・カニンガム [ 8] やWRダリル・スティングレー が加入 かにゅう し、さらにオクラホマ大学 だいがく のヘッドコーチとして成功 せいこう していたチャック・フェアバンクス を新 あら たなHCとして迎 むか えた。シーズンを2勝 しょう 7敗 はい でスタートするもその後 ご 3連勝 れんしょう を果 は たし、5勝 しょう 9敗 はい でシーズンを終 お えた。
1974年 ねん には開幕 かいまく 戦 せん でスーパーボウルチャンピオンのドルフィンズに勝利 しょうり するなど6勝 しょう 1敗 はい の好 こう スタートを切 き ったがシーズン後半 こうはん にわずか1勝 しょう しかあげることができず7勝 しょう 7敗 はい に終 お わった。
1975年 ねん 、プランケットが負傷 ふしょう してしまい控 ひか えQBのスティーブ・グローガン でシーズンを戦 たたか った。3勝 しょう 11敗 はい に終 お わりシーズン終了 しゅうりょう 後 ご 、チームはプランケットをサンフランシスコ・49ers に放出 ほうしゅつ した[ 注 ちゅう 3] 。
1976年 ねん 、チームはプランケットのトレードで得 え たドラフト権 けん を利用 りよう してディフェンスバックのマイク・ヘインズ 、ティム・フォックス を獲得 かくとく 、先発 せんぱつ QBには2年 ねん 目 め のグローガンを起用 きよう した。開幕 かいまく 戦 せん を落 お としたものの続 つづ く3試合 しあい にドルフィンズ、スティーラーズ、レイダースとAFCの強豪 きょうごう を撃破 げきは 、チーム創設 そうせつ 以来 いらい 最高 さいこう の11勝 しょう 3敗 はい を記録 きろく して1963年 ねん 以来 いらい のプレーオフ進出 しんしゅつ を果 は たした。プレーオフではレギュラーシーズンに48-17と圧勝 あっしょう したオークランド・レイダースと対戦 たいせん した。21-17とリードして迎 むか えた試合 しあい 終盤 しゅうばん 、QBグローガンがロン・フランシス を狙 ねら ってパスを投 な げたが失敗 しっぱい 。相手 あいて ラインバッカーのフィル・ビラピアーノ がフランシスのパス捕 と 球 たま 前 まえ にヒットしていたがペナルティは取 と られず、次 つぎ のプレイで50ヤードのFGを狙 ねら うも失敗 しっぱい に終 お わる。そしてレイダースに自陣 じじん 27ヤードまで攻 せ め込 こ まれた3rdダウン18の場面 ばめん 、QBケン・ステイブラー のパスは失敗 しっぱい に終 お わり勝利 しょうり に大 おお きく前進 ぜんしん したかと思 おも われたが、このプレーでDTレイ・ハミルトン がラフィング・ザ・パッサー の反則 はんそく を犯 おか していたとしてペイトリオッツ陣内 じんない 12ヤードでのファーストダウンが与 あた えられた。続 つづ いて2つのアンスポーツマンライク・コンダクト の反則 はんそく が取 と られ、最後 さいご はステイブラーに残 のこ り10秒 びょう で1ヤードのTDランを決 き められ21-24で敗 やぶ れ去 さ った。この試合 しあい はレフェリーのベン・ドレイス の名 な をとって、ベン・ドレイス・ゲームとも言 い われている。ペイトリオッツのQBグローガンはこの試合 しあい について「大事 だいじ な物 もの を奪 うば われた。嵌 は められたんだ。」と語 かた り、この試合 しあい での無念 むねん が晴 は れることは永遠 えいえん にないと話 はな した[ 9] 。
1977年 ねん は、ジョン・ハナとレオン・グレイ の契約 けいやく が難航 なんこう 、9勝 しょう 5敗 はい でプレーオフを逃 のが した。
1978年 ねん のプレシーズンゲームでスターWRのダリル・スティングレー がオークランド・レイダースのジャック・テイタム のハードヒットを受 う けてほぼ全身 ぜんしん 麻痺 まひ となりそのまま引退 いんたい に追 お い込 こ まれた[ 10] 。主力 しゅりょく 選手 せんしゅ を失 うしな ったものの10勝 しょう 4敗 はい で迎 むか えたビルズ戦 せん 、残 のこ り8秒 びょう でデビッド・ポージー の34ヤードのFGが決 き まると60,000人 にん のファンは一斉 いっせい にグラウンドになだれ込 こ んで地区 ちく 優勝 ゆうしょう を祝 いわ った。最終 さいしゅう 戦 せん の直前 ちょくぜん にHCのフェアバンクスがコロラド大学 だいがく ボルダー 校 こう のHCとなることが明 あき らかにされ試合 しあい 前 まえ にフェアバンクスはチームオーナーのビリー・サリバンによってクビにされロン・エルハルト が指揮 しき を執 と った。プレーオフ1回戦 かいせん はフェアバンクスが再度 さいど サイドラインから指揮 しき を執 と り、地元 じもと シェーファー・スタジアムで戦 たたか ったがヒューストン・オイラーズ に敗 やぶ れファンはHCに対 たい してブーイング を行 おこな った。
1979年 ねん 、マンデーナイトフットボール となった開幕 かいまく 戦 せん のスティーラーズ戦 せん にスティングレーが姿 すがた を現 げん わしファンのスタンディングオベーション を受 う けた。1979年 ねん は7勝 しょう 3敗 はい と好 こう スタートを切 き ったが最後 さいご の6試合 しあい で4敗 はい し、9勝 しょう 7敗 はい に終 お わりプレーオフを逃 のが した。
1980年 ねん はスターRBのサム・カニンガム がシーズン全 ぜん 試合 しあい を欠場 けつじょう したが、代 か わってルーキーRBのバーガス・ファーガスン がチームのルーキーラッシング記録 きろく を塗 ぬ り替 か える活躍 かつやく を見 み せた。チームは6勝 しょう 1敗 はい でスタートしたものの10勝 しょう 6敗 はい に終 お わった。
1981年 ねん 、過去 かこ 2シーズンをプレーオフをわずかの差 さ で逃 のが していたチームはプレシーズンゲームを4連勝 れんしょう で終 お えてファンの期待 きたい は高 たか まった。しかし開幕 かいまく から4連敗 れんぱい しその後 ご の3試合 しあい で2勝 しょう を挙 あ げたが最後 さいご は9連敗 れんぱい で2勝 しょう 14敗 はい に終 お わり、同 おな じく2勝 しょう 14敗 はい だったボルチモア・コルツ に2勝 しょう を献上 けんじょう してしまうなどのていたらくであった。シーズン終了 しゅうりょう 後 ご HCのエルハルトは解任 かいにん された。
1982年 ねん 、ロン・マイヤー を新 しん ヘッドコーチに迎 むか えストライキ で短縮 たんしゅく されたシーズン、Snowplow Game [ 注 ちゅう 4] と呼 よ ばれたマイアミ・ドルフィンズとのゲームを3-0で勝 か つなど、8チームが出場 しゅつじょう したこの年 とし のプレーオフに第 だい 7シードで出場 しゅつじょう を果 は たした。しかしマイアミ で行 おこな われたプレーオフ1回戦 かいせん でドルフィンズに敗 やぶ れ、プレーオフ未 み 勝利 しょうり が続 つづ いた。
1983年 ねん 、QBトニー・イースン をドラフト1巡 じゅん で指名 しめい した[ 注 ちゅう 5] 。チームは鍵 かぎ になる試合 しあい を落 お とし8勝 しょう 8敗 はい でプレーオフを逃 のが した。
1984年 ねん 、ドラフトの全体 ぜんたい 1位 い でネブラスカ大学 だいがく のWRアービン・フライヤー を獲得 かくとく 、トニー・イースンが先発 せんぱつ QBとなった。序盤 じょばん を5勝 しょう 2敗 はい でスタートしたが連敗 れんぱい したところでマイヤーコーチは解雇 かいこ されて新 しん HCには元 もと WRのレイモンド・ベリー が就任 しゅうにん した。ベリーがコーチに就任 しゅうにん してからの最初 さいしょ の4試合 しあい 中 ちゅう 3試合 しあい で勝利 しょうり を収 おさ めたが12月に入 はい って3連敗 れんぱい するなど9勝 しょう 7敗 はい に終 お わり、プレーオフ進出 しんしゅつ はならなかった。
1985年 ねん にベリーHCは、イースンに代 か えてグローガンを先発 せんぱつ QBとしたがシーズン終盤 しゅうばん グローガンは左足 ひだりあし を負傷 ふしょう 、再 ふたた びイースンが先発 せんぱつ に返 かえ り咲 ざ いた。チームは6連勝 れんしょう するなど11勝 しょう 5敗 はい でシーズンを終 お え、ワイルドカードでプレーオフ進出 しんしゅつ を果 は たした。HCベリーは、コーチ・オブ・ザ・イヤーに選 えら ばれた。プレーオフ1回戦 かいせん でニューヨーク・ジェッツ を破 やぶ りプレーオフでの初 はつ 勝利 しょうり を挙 あ げるとレイダース戦 せん では6つのターンオーバーを奪 うば い27-20でAFCチャンピオンシップゲーム に進 すす んだ。そして同 どう 地区 ちく のライバルであるドルフィンズを20連敗 れんぱい していた敵 てき 地 ち マイアミで破 やぶ り第 だい 20回 かい スーパーボウル へ出場 しゅつじょう 、シカゴ・ベアーズと対戦 たいせん することとなった。しかしアービン・フライヤーが家庭 かてい 内 ない のトラブルで負傷 ふしょう したことが明 あき らかにされるなど雑音 ざつおん を聞 き きながらスーパーボウルウィークを迎 むか えることとなった。この試合 しあい は相手 あいて のエースRBウォルター・ペイトン のファンブルなどで3-0と先制 せんせい したものの、ファーストプレイでTEのリン・ドーソン が負傷 ふしょう 退場 たいじょう し、その後 ご ベアーズに連続 れんぞく して46得点 とくてん を入 い れられる。ゲーム終了 しゅうりょう 前 まえ に1TDを奪 うば ったが、10-46とスーパーボウル新 しん 記録 きろく となる36点 てん 差 さ で大敗 たいはい した。リーグベストのガード の1人 ひとり と評価 ひょうか されていたジョン・ハナはスーパーボウル出場 しゅつじょう を最後 さいご に引退 いんたい した。
1986年 ねん 、チームはイースンからWRスタンリー・モーガン へのパスゲームをゲームプランの中心 ちゅうしん に組 く み立 たて て、モーガンはレシーブで1,500ヤード近 ちか くを獲得 かくとく した。しかしラッシングオフェンスはリーグ最下位 さいかい に終 お わった。11勝 しょう 5敗 はい で地区 ちく 優勝 ゆうしょう を果 は たしプレーオフ1回戦 かいせん で敵 てき 地 ち デンバー に乗 の り込 こ んだが第 だい 4Q終盤 しゅうばん 、ジョン・エルウェイ からバンス・ジョンソン へのタッチダウンパスが決 き まりブロンコス に敗 やぶ れた。その後 ご チームは8年間 ねんかん プレーオフから遠 とお ざかることとなった。
1987年 ねん 、選手 せんしゅ のストライキが起 お きた期間 きかん に地元 じもと ボストンカレッジ 出身 しゅっしん で1984年 ねん にハイズマン賞 しょう を取 と ったダグ・フルーティ が加入 かにゅう した。ディフェンス選手 せんしゅ の多 おお くがストライキに参加 さんか してその間 あいだ の3試合 しあい は代替 だいたい 選手 せんしゅ がプレーした。
1988年 ねん 、オーナーだったサリバンファミリーは事業 じぎょう の失敗 しっぱい などで巨額 きょがく の損失 そんしつ を出 だ したため8400万 まん ドルでチームは売却 ばいきゃく された。このシーズンはフルーティが最初 さいしょ の5試合 しあい に先発 せんぱつ したが、その後 ご イースンが先発 せんぱつ QBとなった。これは成功 せいこう を修 おさ め9勝 しょう 7敗 はい となりわずかの差 さ でプレーオフを逃 のが した。
1989年 ねん 、チームのディフェンスの中心 ちゅうしん だった3選手 せんしゅ 、アンドレ・ティペット 、ガリン・ベリス 、ロニー・リペット がプレシーズンゲームの同 おな じ試合 しあい で負傷 ふしょう 戦列 せんれつ を離脱 りだつ してしまうという不運 ふうん もあり5勝 しょう 11敗 はい に終 お わった。
1990年 ねん 、フルーティはカナディアン・フットボール・リーグ に移籍 いせき 、長年 ながねん ゼネラルマネージャーを務 つと めていたディック・スタインバーグもジェッツのゼネラルマネージャーとなるためチームを離 はな れた。ベリーHCも解雇 かいこ され、ピッツバーグ・スティーラーズのディフェンシブ・コーディネーターであったロッド・ラスト が新 あたら しいヘッドコーチとなった。この年 とし チームは創設 そうせつ 以来 いらい 最悪 さいあく の1勝 しょう 15敗 はい に終 お わる。9月17日 にち 、ボストンヘラルド の26歳 さい の女性 じょせい レポーターリサ・オルソン に対 たい してチームのロッカールーム でセクハラ行為 こうい を複数 ふくすう の選手 せんしゅ が行 おこな ったことが報道 ほうどう された。このスキャンダルに対 たい してNFLコミッショナー のポール・タグリアブ はチームに5万 まん ドルの罰金 ばっきん 、TEジーク・モワット 、WRマイケル・ティンプソン 、RBロバート・ペリーマン の3選手 せんしゅ にもそれぞれ罰金 ばっきん が課 か された[ 11] [ 12] 。
1991年 ねん 、6勝 しょう 10敗 はい で地区 ちく 4位 い に終 お わる。
1992年 ねん にはチームが売却 ばいきゃく されてセントルイス へ移転 いてん するのではないかという報道 ほうどう があった。しかし移転 いてん は行 おこな われずチームは2勝 しょう 14敗 はい に終 お わった。シーズンオフにチームはディック・マクファーソン HCを解雇 かいこ 、ニューヨーク・ジャイアンツ で2度 ど スーパーボウル を制覇 せいは (1987年 ねん 、1991年 ねん )したビル・パーセルズ と契約 けいやく した。
QBのドリュー・ブレッドソー
1993年 ねん のドラフトでは全体 ぜんたい 1位 い 指名 しめい でドリュー・ブレッドソー を獲得 かくとく した。このシーズンは5勝 しょう 11敗 はい に終 お わった。
1994年 ねん にはドラフト全体 ぜんたい 4位 い でウィリー・マクギネスト (後 のち に3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは に貢献 こうけん )を獲得 かくとく した。シーズン途中 とちゅう まで3勝 しょう 6敗 はい と低迷 ていめい していたが、最後 さいご の7試合 しあい を連勝 れんしょう して10勝 しょう 6敗 はい としてプレーオフ出場 しゅつじょう を果 は たした。ブレッドソーはリーグトップとなるパス4,555ヤードを記録 きろく するなどの活躍 かつやく で自身 じしん 初 はつ のプロボウルに選出 せんしゅつ された。
1995年 ねん は6勝 しょう 10敗 はい にとどまった。TEベン・コーツ は2年 ねん 連続 れんぞく でプロボウルとオールプロの両方 りょうほう に選出 せんしゅつ された。
1996年 ねん シーズンチームは11勝 しょう 5敗 はい で地区 ちく 優勝 ゆうしょう を果 は たすと、第 だい 2シードで出場 しゅつじょう したプレーオフでは安定 あんてい した戦 たたか いを見 み せ勝利 しょうり し第 だい 31回 かい スーパーボウル に出場 しゅつじょう を果 は たした。スーパーボウルでは第 だい 1Qにブレッドソーが2TDパスを決 き め14-10とリードを奪 うば うも、第 だい 2Qに17点 てん を決 き められ突 つ き放 はな される。ブレッドソーは第 だい 2Q以降 いこう TDパスを決 き められず、逆 ぎゃく に4つのINTを喫 きっ するなどしてブレット・ファーブ 擁 よう するグリーンベイ・パッカーズ に21-35で敗 やぶ れた。この試合 しあい を最後 さいご にHCパーセルズはジェッツに去 さ った。
1997年 ねん 、ピート・キャロル がHCに就任 しゅうにん した。パーセルズがHCを務 つと めるニューヨーク・ジェッツとの間 あいだ で何人 なんにん もの選手 せんしゅ やコーチが移籍 いせき し、その中 なか にはRBのカーティス・マーティン も含 ふく まれていた。チームは10勝 しょう 6敗 はい で地区 ちく 優勝 ゆうしょう を果 は たし、プレーオフ1回戦 かいせん でドルフィンズを17-3で破 やぶ ったがピッツバーグ・スティーラーズ に6-7のロースコアゲームで敗 やぶ れた。
1998年 ねん には9勝 しょう 7敗 はい でAFC東 ひがし 地区 ちく 4位 い ながらプレーオフに進出 しんしゅつ したが、1回戦 かいせん でジャクソンビル・ジャガーズ に敗 やぶ れた。
1999年 ねん 、序盤 じょばん はブレッドソーが13TDパスに対 たい しわずか4INTと好調 こうちょう でチームも6勝 しょう 2敗 はい でシーズンを折 お り返 かえ したが、シーズン後半 こうはん はブレッドソーが6TDに対 たい して17INTを献上 けんじょう するなど調子 ちょうし を崩 くず し、チームも失速 しっそく して8勝 しょう 8敗 はい に終 お わった。シーズン終了 しゅうりょう 後 ご HCキャロルは解雇 かいこ された。
2000年 ねん にHCに就任 しゅうにん したビル・ベリチック
2000年 ねん 、元 もと クリーブランド・ブラウンズ のヘッドコーチで、ニューヨーク・ジャイアンツ 時代 じだい にディフェンシブ・コーディネーターとしてビル・パーセルズと共 とも に2度 ど のスーパーボウル制覇 せいは を経験 けいけん したビル・ベリチック が就任 しゅうにん した。当初 とうしょ ベリチックはパーセルズのあとを引 ひ き継 つ いでニューヨーク・ジェッツ のHCに就任 しゅうにん したが、それを辞任 じにん してペイトリオッツと契約 けいやく した。これに対 たい してジェッツとパーセルズが異議 いぎ を申 もう し立 た て、NFLコミッショナーが認 みと めた為 ため ペイトリオッツは2000年度 ねんど のドラフト1巡 じゅん 指名 しめい 権 けん との交換 こうかん という形 かたち でベリチックと契約 けいやく した。ベリチックはオーナーのロバート・クラフト からゼネラル・マネージャー としての権限 けんげん も託 たく された。しかし開幕 かいまく から4連敗 れんぱい と躓 つまず くと、シーズン中盤 ちゅうばん にも4連敗 れんぱい で早々 そうそう にプレーオフ戦線 せんせん から脱落 だつらく した。1999年 ねん シーズンにリーグ8位 い と健闘 けんとう したディフェンスの成績 せいせき が大 おお きく下降 かこう し[ 13] 、オフェンスも低調 ていちょう に終 お わり5勝 しょう 11敗 はい でシーズンを終 お えた。
2001年 ねん シーズン中 ちゅう よりレギュラーに定着 ていちゃく したトム・ブレイディ
2001年 ねん 、ドラフト全体 ぜんたい 6位 い で大型 おおがた 新人 しんじん のリチャード・シーモア を獲得 かくとく したが、昨 さく シーズンは攻守 こうしゅ とも低調 ていちょう だったこともあり下馬評 げばひょう には乗 の らなかった。チームは開幕 かいまく 戦 せん に敗 やぶ れると、第 だい 2週 しゅう のニューヨーク・ジェッツ戦 せん ではエースQBドリュー・ブレッドソー がモー・ルイス の強烈 きょうれつ なタックルを受 う けて負傷 ふしょう 退場 たいじょう し、控 ひか えQBのトム・ブレイディ に交代 こうたい した。ブレイディは2000年 ねん のドラフト6巡 じゅん 指名 しめい (全体 ぜんたい 199位 い )選手 せんしゅ で、ルーキーシーズンは3回 かい パスを投 な げただけであった。この試合 しあい にも敗 やぶ れチームは連敗 れんぱい スタートとなったが第 だい 3週 しゅう のインディアナポリス・コルツ 戦 せん で初 はつ 勝利 しょうり をあげる。第 だい 5週 しゅう のサンディエゴ・チャージャーズ 戦 せん ではブレイディがキャリア初 はつ のTDパスを決 き めるとともに、第 だい 4Qには10点 てん 差 さ のビハインドから残 のこ り40秒 びょう でこの日 ひ 2つ目 め のTDパスを通 とお し同点 どうてん とすると、オーバータイムでアダム・ビナティエリ が44ヤードのFGを決 き めて劇的 げきてき な勝利 しょうり を収 おさ めた。長年 ながねん チームを引 ひ っ張 ぱ ってきたブレッドソーの離脱 りだつ はチームに大 おお きな影響 えいきょう を与 あた えるかと思 おも われたが、リスクを避 さ けボールコントロールを重視 じゅうし するブレイディのプレースタイルは徐々 じょじょ にチームにフィットしていった。チームは勝 か ち負 ま けを繰 く り返 かえ し第 だい 10週 しゅう でセントルイス・ラムズ に敗 やぶ れ5勝 しょう 5敗 はい となるが、その後 ご ベリチックの指揮 しき するディフェンスとブレイディによるゲームメイクオフェンスの両者 りょうしゃ が揃 ぞろ い勝利 しょうり を積 つ み重 かさ ね、11勝 しょう 5敗 はい でAFC東 ひがし 地区 ちく 優勝 ゆうしょう を果 は たした。
タック・ルール・ゲーム と呼 よ ばれたAFCディビジョナル・プレーオフでは豪雪 ごうせつ の中 なか オークランド・レイダース と対戦 たいせん した。第 だい 4Qまで10点 てん をリードされる苦 くる しい展開 てんかい となるが終盤 しゅうばん に追 お い上 あ げると、試合 しあい 時間 じかん 残 のこ り2分 ふん 6秒 びょう からはじまったドライブでは疑惑 ぎわく の判定 はんてい があったのち、吹雪 ふぶき の中 なか ビナティエリが残 のこ り32秒 びょう で45ヤードのFGを決 き め同点 どうてん としオーバータイムに突入 とつにゅう 。最後 さいご はビナティエリが23ヤードの決勝 けっしょう FGを決 き めて勝利 しょうり した。敵 てき 地 ち ピッツバーグ に乗 の り込 こ んだAFCチャンピオンシップゲーム でのピッツバーグ・スティーラーズ 戦 せん では第 だい 2Q終盤 しゅうばん でブレイディが足 あし を負傷 ふしょう するアクシデントに見舞 みま われる。しかし代 か わったブレッドソーがTDパスを決 き めるなどしっかりと代役 だいやく を果 は たすと、スペシャルチームがビッグプレーを連発 れんぱつ してリードを広 ひろ げ、最後 さいご はスティーラーズの反撃 はんげき を振 ふ り切 き って24-17で勝利 しょうり し5年 ねん ぶり3度目 どめ のスーパーボウル出場 しゅつじょう を果 は たした[ 14] [ 15] 。
第 だい 36回 かい スーパーボウル では専 もっぱ らマスコミはQBカート・ワーナー 、RBマーシャル・フォーク 擁 よう するセントルイス・ラムズ の圧倒的 あっとうてき な勝利 しょうり を予想 よそう した。しかし試合 しあい が始 はじ まるとペイトリオッツディフェンスがCBタイ・ロー のインターセプト・リターンTDなどでラムズのハイパーオフェンスを抑 おさ え、オフェンスではブレイディからデイビッド・パッテン へのTDパスなどが決 き まるなど一時 いちじ はペイトリオッツが17-3とリードする展開 てんかい となった。しかし第 だい 4Qにラムズの逆襲 ぎゃくしゅう が始 はじ まると、リッキー・プロール のTDが決 き まり試合 しあい 終盤 しゅうばん で17-17の同点 どうてん となった。
タイムアウトをすでに使 つか い切 き っていたこともあり、解説 かいせつ を務 つと めていたジョン・マッデン は「フィールドポジションも悪 わる く、タイムアウトが一 ひと つも無 な い中 なか で新人 しんじん QBがFG圏内 けんない まで持 も っていくのは無理 むり だ。オーバータイムにもつれるだろう。」と解説 かいせつ していた。しかし自陣 じじん 17ヤード、試合 しあい 時間 じかん 残 のこ り1分 ふん 21秒 びょう からのドライブをブレイディはスパイクなどを使 つか って時間 じかん をコントロールしFG圏内 けんない まで前進 ぜんしん させる。最後 さいご は残 のこ り7秒 びょう からアダム・ビナティエリ が48ヤードの決勝 けっしょう FGを決 き めてタイムアップとなった。当時 とうじ 全盛 ぜんせい だったラムズをペイトリオッツが破 やぶ ったことはリーグに衝撃 しょうげき を与 あた えた[ 16] 。スーパーボウルMVPを獲得 かくとく したブレイディはルックスの良 よ さも手伝 てつだ って一躍 いちやく NFLのスーパースターとなった。24歳 さい でのスーパーボウル制覇 せいは は当時 とうじ のスーパーボウル優勝 ゆうしょう QB最年少 さいねんしょう 記録 きろく であった[ 注 ちゅう 6] 。シーズンオフにブレッドソーはバッファロー・ビルズ に移籍 いせき した。
2002年 ねん から現在 げんざい まで使用 しよう しているジレット・スタジアム
2002年 ねん 、本拠地 ほんきょち をこれまでのフォックスボロ・スタジアム からジレット・スタジアム に移 うつ した。第 だい 3週 しゅう ではカンザスシティ・チーフス をオーバータイムで破 やぶ るなど3連勝 れんしょう と好 こう スタートを切 き るが、その後 ご 4連敗 れんぱい と失速 しっそく する。5勝 しょう 5敗 はい で迎 むか えた第 だい 10週 しゅう のシカゴ・ベアーズ 戦 せん では最大 さいだい 21点 てん 差 さ をつけられるも残 のこ り2分 ふん 54秒 びょう で5点 てん 差 さ までつめ寄 よ り、続 つづ くベアーズの攻撃 こうげき を1stダウン獲得 かくとく まで残 のこ り1ヤードというところで食 く い止 と め3ダウンアウトに追 お いこむと、残 のこ り1分 ふん 50秒 びょう からはじまったドライブをビデオ判定 はんてい や4thダウンギャンブルを交 まじ えながら前進 ぜんしん させ、最後 さいご は残 のこ り30秒 びょう でブレイディがパッテンにTDパスを通 とお し33-30で劇的 げきてき な逆転 ぎゃくてん 勝利 しょうり をおさめた。
以後 いご 調子 ちょうし を取 と り戻 もど したチームはプレーオフでの因縁 いんねん が残 のこ るオークランド・レイダースには敗 やぶ れたが11月を4勝 しょう 1敗 はい と波 なみ に乗 の り、第 だい 14週 しゅう のビルズ戦 せん ではブレッドソーから4つのINTを奪 うば い勝利 しょうり をあげプレーオフ進出 しんしゅつ に前進 ぜんしん した。しかし第 だい 15、16週 しゅう とチームは2連敗 れんぱい を喫 きっ しAFC東 ひがし 地区 ちく は大 だい 混戦 こんせん となった。迎 むか えたシーズン最終 さいしゅう 節 ぶし は同 どう 地区 ちく のマイアミ・ドルフィンズと対戦 たいせん する。このときペイトリオッツは8勝 しょう 7敗 はい 、ドルフィンズは9勝 しょう 6敗 はい で、さらに8勝 しょう 7敗 はい のニューヨーク・ジェッツにもAFC東 ひがし 地区 ちく 優勝 ゆうしょう の可能 かのう 性 せい があった。試合 しあい はドルフィンズペースで進 すす み、残 のこ り4分 ふん 59秒 びょう を残 のこ した時点 じてん で11点 てん のリードを許 ゆる していたが、そこからブレイディはこの日 ひ 初 はじ めてのTDパスを通 とお すと共 とも に2ポイント・コンバージョンも成功 せいこう させて3点 てん 差 さ 、残 のこ り2分 ふん 11秒 びょう で再 ふたた びボールを得 え るとビナティエリが43ヤードのFGを決 き めて試合 しあい はオーバータイムに突入 とつにゅう し、最後 さいご は再 ふたた びビナティエリが35ヤードのFGを決 き めて劇的 げきてき な勝利 しょうり を収 おさ めた。しかしジェッツも最終 さいしゅう 節 ぶし でグリーンベイ・パッカーズ に勝利 しょうり し、この結果 けっか タイブレーカーでジェッツが地区 ちく 優勝 ゆうしょう を決 き めたためペイトリオッツは9勝 しょう 7敗 はい でプレーオフ出場 しゅつじょう を逃 のが した。
オフにプロボウル 選出 せんしゅつ 経験 けいけん のあるSロドニー・ハリソン を獲得 かくとく するも、ディフェンスの中心 ちゅうしん 選手 せんしゅ で4度 ど のプロボウル選出 せんしゅつ を誇 ほこ るSロウヤー・ミロイ を開幕 かいまく 5日 にち 前 まえ に放出 ほうしゅつ した。ミロイは2日 にち 後 ご に開幕 かいまく 戦 せん の相手 あいて であったバッファロー・ビルズと契約 けいやく し、その開幕 かいまく 戦 せん でチームは31-0で敗 やぶ れた。ブレイディは自己 じこ ワーストの4INTでキャリア初 はつ の完封 かんぷう 負 ま けを喫 きっ した。さらに第 だい 4週 しゅう でも敗 やぶ れ2勝 しょう 2敗 はい とスタートで躓 つまず き、中心 ちゅうしん 選手 せんしゅ の放出 ほうしゅつ と相俟 あいま ってHCベリチックへの批判 ひはん は強 つよ まった[ 17] 。
しかしここからチームは立 た て直 なお し快 かい 進撃 しんげき をはじめる。第 だい 7週 しゅう のマイアミ・ドルフィンズ戦 せん では試合 しあい 終盤 しゅうばん のFGをリチャード・シーモアがブロックしオーバータイムに突入 とつにゅう すると、コイントスでもめたオーバータイムではドルフィンズのKオーリンド・マレー がFGに失敗 しっぱい 、ドルフィンズ2度目 どめ の攻撃 こうげき ではINTを奪 うば い、直後 ちょくご のプレーでブレイディがWRトロイ・ブラウン へ82ヤードのTDパスを決 き め劇的 げきてき な勝利 しょうり をおさめた。第 だい 9週 しゅう では敵 てき 地 ち マイル・ハイ でデンバー・ブロンコス と対戦 たいせん 。第 だい 4Q、1点 てん を追 お いかけるペイトリオッツは自陣 じじん 1ヤード地点 ちてん で4thダウンに追 お い込 こ まれるが、HCベリチックはパントではなく故意 こい のセーフティーを指示 しじ する。その結果 けっか 2点 てん を与 あた え3点 てん 差 さ となるが、自陣 じじん 20ヤードからのフリーキックはブロンコス・リターナー陣 じん の判断 はんだん ミスもあって64ヤードのビッグパントとなり敵陣 てきじん 15ヤードまで陣地 じんち を回復 かいふく することに成功 せいこう する。続 つづ くブロンコスの攻撃 こうげき をしのぐと、逆転 ぎゃくてん を賭 か けたドライブではブレイディがRBケビン・フォーク に次々 つぎつぎ とパスを通 とお し前進 ぜんしん していき、最後 さいご は残 のこ り36秒 びょう でWRデイビッド・ギブンス にTDパスを決 き め30-26で逆転 ぎゃくてん 勝利 しょうり をおさめた。第 だい 12週 しゅう のヒューストン・テキサンズ 戦 せん では第 だい 4Q残 のこ り40秒 びょう でブレイディがTEダニエル・グラハム にTDパスを決 き め同点 どうてん に追 お いつくと、テキサンズのレシーブからはじまったオーバータイムでは5回 かい の攻守 こうしゅ 交代 こうたい を経 へ て、最後 さいご はペイトリオッツの3度目 どめ の攻撃 こうげき でビナティエリが28ヤードの決勝 けっしょう FGを決 き め23-20で勝利 しょうり した。続 つづ く第 だい 13週 しゅう のインディアナポリス・コルツ戦 せん では第 だい 4Q残 のこ り40秒 びょう でコルツにエンドゾーン前 まえ 2ヤードまで攻 せ め込 こ まれるも、2度 ど のラン、3rdダウンのパス、4thダウンのランと4度 ど の攻撃 こうげき を全 すべ て凌 しの ぎ切 ぎ り38-34でコルツの猛追 もうつい を振 ふ り切 き った。レギュラーシーズン最終 さいしゅう 週 しゅう では開幕 かいまく 戦 せん で敗 やぶ れたビルズに対 たい し、ブレイディの4TDパスの活躍 かつやく で31-0と開幕 かいまく 戦 せん と同 おな じスコアでリベンジを果 は たした。ペイトリオッツは14勝 しょう 2敗 はい でAFC第 だい 1シードを獲得 かくとく し、12連勝 れんしょう でレギュラーシーズンを終 お えた。
-15℃の中 なか 行 おこな われたディビジョナル・プレーオフではビナティエリのFGが決勝 けっしょう 点 てん となり17-14でこの年 とし のCO-MVPスティーブ・マクネア 率 ひき いるテネシー・タイタンズ に勝利 しょうり した。そして雪 ゆき の中 なか 、ホームのジレット・スタジアムで行 おこな われたAFCチャンピオンシップゲームでは、同 おな じくCO-MVPのペイトン・マニング 率 ひき いるインディアナポリス・コルツと対戦 たいせん した。ワイルドカード・プレーオフではデンバー・ブロンコスを相手 あいて に41得点 とくてん 、ディビジョナル・プレーオフではカンザスシティ・チーフス を相手 あいて に38得点 とくてん をあげるなど圧倒的 あっとうてき な攻撃 こうげき 力 りょく を誇 ほこ ったコルツのハイパー・オフェンスに対 たい し、ペイトリオッツは多彩 たさい なスキームを駆使 くし したパスラッシュで4つのサックを浴 あ びせるなどQBマニングを苦 くる しめ、強力 きょうりょく レシーバー陣 じん にはバンプを多用 たよう したフィジカルなパス・カバレッジと執拗 しつよう なハードヒットで対抗 たいこう した。ペイトリオッツはコルツから4つのインターセプト(うち3つはタイ・ロー)を含 ふく む5つのターンオーバーを奪 うば うなど、セカンダリー陣 じん を中心 ちゅうしん にハードなディフェンスでコルツオフェンスを圧倒 あっとう した。3INTを記録 きろく したCBローはコルツのエースWRマービン・ハリソン をわずか3キャッチ(うち1つでファンブルロスト)19ヤードに抑 おさ えこんだ。この試合 しあい でペイトリオッツのセカンダリー陣 じん が見 み せたパスカバーは次 つぎ のシーズンから通称 つうしょう タイ・ロー・ルール[ 注 ちゅう 7] [ 18] [ 19] として厳格 げんかく 化 か されている。オフェンスではオープニングドライブでタッチダウンを奪 うば った以降 いこう はビナティエリの5本 ほん のFGで常 つね にリードを保 たも ち、24-14で勝利 しょうり した。そしてテキサス州 しゅう ヒューストン のリライアント・スタジアム で行 おこな われた第 だい 38回 かい スーパーボウル ではジェイク・デローム 率 ひき いるカロライナ・パンサーズ と対戦 たいせん 。第 だい 4Qに37点 てん が入 い り乱 みだ れた激戦 げきせん は残 のこ り9秒 びょう でアダム・ビナティエリが41ヤードの決勝 けっしょう FGを決 き めて32-29で勝利 しょうり し、2年 ねん ぶり2度目 どめ のスーパーボウル制覇 せいは を果 は たした。ブレイディが2度目 どめ のスーパーボウルMVPに輝 かがや き、真 ま っ赤 か なキャデラック を手 て に入 い れた。
ホームで行 おこな われた開幕 かいまく 戦 せん では2003年 ねん シーズンのチャンピオン・バナーが掲 かか げられるセレモニーが催 もよお されたのち、昨 さく シーズンのチャンピオンシップゲームで戦 たたか ったインディアナポリス・コルツと対戦 たいせん した。第 だい 4Q残 のこ り48秒 びょう で3点 てん リードのペイトリオッツは追 お い上 あ げるコルツにFGでの3点 てん がほぼ確実 かくじつ な自陣 じじん 17ヤード地点 ちてん まで攻 せ め込 こ まれる。しかし3rdダウンでウィリー・マクギネストがフリーでマニングをサックし29ヤード地点 ちてん まで後退 こうたい させると、最後 さいご はKマイク・ヴァンダージャット の48ヤードFGが外 はず れ27-24で接戦 せっせん を制 せい した。その後 ご 開幕 かいまく から第 だい 8週 しゅう にピッツバーグ・スティーラーズに敗 やぶ れるまで6連勝 れんしょう を果 は たし、前 ぜん シーズンから続 つづ く連勝 れんしょう 記録 きろく (ポストシーズンを含 ふく む)を21としてNFL新 しん 記録 きろく を樹立 じゅりつ した。40-22で勝利 しょうり した第 だい 9週 しゅう のセントルイス・ラムズ戦 せん では、CBアサンテ・サミュエル が怪我 けが で一時 いちじ 試合 しあい から下 さ がるとWRトロイ・ブラウンがCBとして出場 しゅつじょう した。CB陣 じん に怪我人 けがにん が続出 ぞくしゅつ していたチームの苦肉 くにく の策 さく であったが、ブラウンは期待 きたい にこたえシーズンでチーム2位 い タイとなる3つのINTを記録 きろく した。さらにこの試合 しあい ではLBマイク・ブレイベル がTDレシーブを決 き め、Kアダム・ビナティエリがFG隊形 たいけい からトロイ・ブラウンにTDパスを決 き めている。チームはレギュラーシーズンを14勝 しょう 2敗 はい で終 お え、第 だい 2シードでプレーオフに進出 しんしゅつ した。
ディビジョナル・プレーオフでは昨年 さくねん のプレーオフに続 つづ きコルツと対戦 たいせん した。当時 とうじ のNFL記録 きろく である49TDパスを記録 きろく したQBマニング率 ひき いるコルツのハイパーオフェンスに対 たい し、ペイトリオッツはDEリチャード・シーモア、エースCBのタイ・ローと2番手 ばんて CBタイローン・プール など主力 しゅりょく を欠 か いていたにもかかわらず攻守 こうしゅ に渡 わた ってコルツを圧倒 あっとう して20-3で勝利 しょうり をおさめた。この試合 しあい はコルツがTDを奪 うば えなかったシーズン唯一 ゆいいつ の試合 しあい となった。続 つづ くAFCチャンピオンシップ・ゲームでは敵 てき 地 ち ハインツ・フィールド でレギュラーシーズンで敗 やぶ れたピッツバーグ・スティーラーズと対戦 たいせん した。ペイトリオッツはスティラーズのファーストドライブでINTを奪 うば いFGで先制 せんせい すると、次 つぎ のドライブでもターンオーバーを奪 うば い早々 そうそう に主導 しゅどう 権 けん を握 にぎ る。ブレイディが安定 あんてい したプレーでオフェンスを展開 てんかい すると、WRディオン・ブランチ がランとパスの双方 そうほう でビッグプレーを、Sロドニー・ハリソンがインターセプト・リターンTDを決 き めるなどしてリーグ最少 さいしょう 失点 しってん のディフェンスを誇 ほこ るスティーラーズから41点 てん を奪 うば い41-27で勝利 しょうり した。41失点 しってん はスティーラーズのシーズン最多 さいた 失点 しってん となった。そしてディフェンディング・チャンピオンとして臨 のぞ んだ第 だい 39回 かい スーパーボウル では、QBドノバン・マクナブ やWRテレル・オーウェンス を擁 よう するNFCチャンピオンのフィラデルフィア・イーグルス から4つのターンオーバーを奪 うば うなどして24-21で勝利 しょうり し、スーパーボウル連覇 れんぱ を達成 たっせい した。
連覇 れんぱ という偉業 いぎょう に加 くわ え、4年間 ねんかん で3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは を成 な し遂 と げたことでチームは「Patriots Dynasty 」(ペイトリオッツ王朝 おうちょう )を築 きず きあげたと言 い われた。2002年 ねん はプレーオフ出場 しゅつじょう を逃 のが しているため、ペイトリオッツはポストシーズンで一 いち 度 ど も負 ま けることなく4年 ねん で3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは を成 な し遂 と げた。リーグで最 もっと も得点 とくてん をあげたオフェンスをわずか3点 てん に抑 おさ え、リーグで最 もっと も失点 しってん が少 すく なかったチームから41点 てん をあげ、4年間 ねんかん で3度目 どめ のスーパーボウル制覇 せいは を達成 たっせい したこのポストシーズンでの一連 いちれん のパフォーマンスは00年代 ねんだい のペイトリオッツの最盛 さいせい 期 き として評価 ひょうか され、NFL.com から「00年代 ねんだい 最高 さいこう のチーム」に選 えら ばれている[ 20] 。
2005年 ねん 4月 がつ 13日 にち 、第 だい 39回 かい スーパーボウル制覇 せいは のセレモニーにて(ローズ・ガーデン )。当時 とうじ のジョージ・ブッシュ 大統領 だいとうりょう とペイトリオッツのメンバー
オフに3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは を支 ささ えたWRデイビッド・パッテン、LBテッド・ジョンソン 、CBタイ・ローがチームを離 はな れ、ディフェンスキャプテンのブルースキが脳 のう 梗塞 こうそく に倒 たお れてシーズンインに間 ま に合 あ わなかった。さらにビル・ベリチックと共 とも にトリプレッツとして連覇 れんぱ を支 ささ えたチャーリー・ワイス 、ロメオ・クレネル の両 りょう コーディネーターが他 た チームのHCに就任 しゅうにん するためにチームを去 さ った。この年 とし のドラフト 7巡 じゅん 目 め でQBマット・キャセル を指名 しめい した。 NFL史上 しじょう 初 はつ の3連覇 れんぱ が期待 きたい されるなか、第 だい 3週 しゅう のピッツバーグ・スティーラーズ戦 せん ではビナティエリが第 だい 4Q残 のこ り5秒 びょう から45ヤードのFGを決 き めて23-20で勝利 しょうり するも、続 つづ く第 だい 4週 しゅう でドリュー・ブリーズ 率 ひき いるサンディエゴ・チャージャーズに2年間 ねんかん 負 ま けのなかったホームで41-17の大敗 たいはい を喫 きっ し、2003年 ねん から続 つづ いていたホーム連勝 れんしょう 記録 きろく は21で途絶 とだ えた。第 だい 5週 しゅう ではマイケル・ヴィック を欠 か くアトランタ・ファルコンズ をビナティエリのキャリア19回 かい 目 め となるウイニングFGで破 やぶ るも、第 だい 9週 しゅう ではインディアナポリス・コルツにホームで40-21で大敗 たいはい しシーズンの折 お り返 かえ しを4勝 しょう 4敗 はい とつまずいた。この試合 しあい では冷静 れいせい なブレイディがサイドラインに引 ひ き上 あ げるオフェンス陣 じん に声 こえ を荒 あ らげ、サイドラインではコップを地面 じめん に叩 たた きつけフラストレーションを爆発 ばくはつ させるなど、らしくない姿 すがた を見 み せた[ 21] 。シーズン後半 こうはん は復帰 ふっき したブルースキを中心 ちゅうしん に低迷 ていめい していたディフェンスを持 も ち直 なお し、10勝 しょう 6敗 はい でAFC東 ひがし 地区 ちく 制覇 せいは を達成 たっせい した。
ワイルドカード・プレーオフではホームでジャクソンビル・ジャガーズ に28-3で完勝 かんしょう しプレーオフ10連勝 れんしょう というNFL新 しん 記録 きろく を樹立 じゅりつ した。しかし続 つづ くAFCディビジョナル・プレーオフでは第 だい 6週 しゅう で敗 やぶ れたデンバー・ブロンコスと対戦 たいせん し、ブレイディにとって現在 げんざい も鬼門 きもん となっているマイル・ハイ (ブレイディのキャリアで1勝 しょう 4敗 はい と最 もっと も負 ま け越 こ しているアウェーゲーム)で敗 やぶ れ、史上 しじょう 初 はつ の3連覇 れんぱ は夢 ゆめ と消 き えた。ブレイディにとってプレーオフでの敗戦 はいせん はキャリア初 はつ のことであった。
シーズンを通 とお しての敗因 はいいん として前述 ぜんじゅつ のコーディネーターの離脱 りだつ や、怪我人 けがにん が続出 ぞくしゅつ したこと(特 とく にSロドニー・ハリソンとLTマット・ライトの怪我 けが )、昨 さく シーズンにラン1,635ヤード(平均 へいきん 4.7ヤード)と活躍 かつやく したRBコーリー・ディロンの不振 ふしん (ラン733ヤード、平均 へいきん 3.5ヤード)、タイ・ローとタイローン・プールのスターター2人 にん が抜 ぬ けた(プールは怪我 けが )CB陣 じん の穴 あな を埋 う められなかったことなどが上 あ げられる。
ジレット・スタジアムに掲 かか げられている3つのスーパーボウル・チャンピオン・バナー
オフにチームを幾度 いくど となく勝利 しょうり に導 みちび いたKアダム・ビナティエリとの契約 けいやく を延長 えんちょう せず(ビナティエリはライバルのコルツと契約 けいやく した)、長年 ながねん チームを支 ささ えたLBウィリー・マクギネストを放出 ほうしゅつ した。さらにスーパーボウルMVPのディオン・ブランチ、プレーオフで勝負 しょうぶ 強 つよ さを発揮 はっき したデイビッド・ギブンスの2人 ふたり のスターターWRがチームを離 はな れた。チームは6勝 しょう 1敗 はい と好 こう スタートを切 き るが、第 だい 9週 しゅう にホームでインディアナポリス・コルツに27-20で敗 やぶ れると続 つづ くニューヨーク・ジェッツ戦 せん にも敗 やぶ れ、2002年 ねん 以来 いらい 57試合 しあい なかった連敗 れんぱい を喫 きっ した(NFL記録 きろく はサンフランシスコ・49ers の60試合 しあい )。しかし第 だい 11週 しゅう でブレット・ファーブ 率 ひき いるグリーンベイ・パッカーズに35-0で圧勝 あっしょう すると、第 だい 12週 しゅう にはNFLトップのディフェンスを誇 ほこ るシカゴ・ベアーズを17-13の接戦 せっせん で破 やぶ った。この試合 しあい でケビン・フォークはRBのパスレシーブ回数 かいすう の、QBブレイディはスターターQBとして76勝 しょう 目 め をあげ、それぞれペイトリオッツのフランチャイズ記録 きろく を塗 ぬ りえた[ 22] 。その後 ご も安定 あんてい して勝利 しょうり を重 かさ ね、レギュラーシーズンを12勝 しょう 4敗 はい で終 お えた。なお最終 さいしゅう 週 しゅう のテネシー・タイタンズ戦 せん で控 ひか えのベテランQBビニー・テスタバーディ がTDパスを決 き め、キャリアで20シーズン連続 れんぞく となるTDパスを記録 きろく した。
チームは昨季 さくき 不調 ふちょう だったディフェンスが調子 ちょうし を取 と り戻 もど し、ランではルーキーのローレンス・マローニー がベテランRBコーリー・ディロンの衰 おとろ えを補 おぎな った。昨 さく シーズンはパスディフェンスでエースCBタイ・ローの抜 ぬ けた穴 あな を埋 う めきれなかったが、このシーズンは4年 ねん 目 め のアサンテ・サミュエルがリーグトップタイの10INTの活躍 かつやく を見 み せ、チームとして22のINTを奪 うば った(リーグ4位 い )。しかし弱体 じゃくたい 化 か したレシーバー陣 じん はTDリーダーがトロイ・ブラウンとリチェ・コールドウェル でそれぞれ4つ、獲得 かくとく ヤードはコールドウェルがチームトップで760ヤードと、[ 23] 一部 いちぶ からパス隊形 たいけい のショットガンを皮肉 ひにく ったポップガン(紙鉄砲 かみでっぽう )と揶揄 やゆ された。
ワイルドカード・プレーオフでは元 もと ペイトリオッツのディフェンシブ・コーディネーターであるエリック・マンジーニ がHCを務 つと めるニューヨーク・ジェッツを37-16で破 やぶ ると、続 つづ くディビジョナル・プレーオフではシーズンMVPを獲得 かくとく したラダニアン・トムリンソン を擁 よう する第 だい 1シードのサンディエゴ・チャージャーズと対戦 たいせん した。試合 しあい はチャージャーズに常 つね にリードを許 ゆる す苦 くる しい展開 てんかい となる。ペイトリオッツは7点 てん ビハインドの残 のこ り6分 ふん 25秒 びょう で4thダウン5ヤードからブレイディがパスを試 こころ みるが、これをチャージャーズのマーロン・マクレー にインターセプトされてしまう。しかしベテランWRトロイ・ブラウンがすぐにタックルを仕掛 しか けると、掻 か きだすようにしてファンブルを誘 さそ い、これをペイトリオッツのWRコールドウェルがリカバーし再 ふたた び攻撃 こうげき 権 けん を得 え た。このドライブでTDを奪 うば うと2ポイント・コンバージョンを成功 せいこう させて同点 どうてん とし、次 つぎ のドライブでKスティーブン・ゴストコウスキー のFGが決 き まり逆転 ぎゃくてん すると最後 さいご はチャージャーズのKネイト・ケーディング の54ヤードのFGが外 はず れ、接戦 せっせん の末 すえ 24-21で勝利 しょうり した。試合 しあい 後 ご ペイトリオッツの選手 せんしゅ はフィールドの中央 ちゅうおう でチャージャーズのロゴ を踏 ふ みつけるようにして、チャージャーズのLBショーン・メリマン の代名詞 だいめいし と言 い えるメリマンダンスを踊 おど り喜 よろこ びを表 あらわ したが、これに対 たい してトムリンソンは不快 ふかい 感 かん を表 あらわ した。チームを救 すく ったWRトロイ・ブラウンのプレーにはファンやチームメイトを中心 ちゅうしん に称賛 しょうさん の声 こえ が相次 あいつ いだ。LBブルースキは「彼 かれ は素早 すばや いスイッチの切 き り替 か えでレシーバーからディフェンダーになったんだ。」と語 かた り、DEリチャード・シーモアは「とっさのことだったんだろう。それは間違 まちが いない。だがあのときの彼 かれ はレシーバーではなく、一人 ひとり のフットボール・プレイヤーだった。彼 かれ は常 つね にああいうプレーが披露 ひろう できる。俺 おれ が尊敬 そんけい する男 おとこ 、それがトロイ・ブラウンさ。」と称賛 しょうさん した[ 24] 。続 つづ くAFCチャンピオンシップゲームではライバルのインディアナポリス・コルツと激突 げきとつ 。ペイトリオッツは序盤 じょばん にアサンテ・サミュエルのインターセプト・リターンTDなどで21-3とリードしたが、終盤 しゅうばん になるにつれWRの力不足 ちからぶそく 、高齢 こうれい 化 か してきたディフェンス陣 じん のスタミナ不足 ふそく といったチームが抱 かか えていた問題 もんだい 点 てん が浮 う き彫 ぼ りとなり最終 さいしゅう 的 てき に34-38で逆転 ぎゃくてん 負 ま けを喫 きっ した。
シーズンを通 とお してブレイディは4人 にん の選手 せんしゅ にそれぞれ40回 かい 以上 いじょう のパス投 な げ、24個 こ のタッチダウンパスを10人 にん に投 な げ分 わ けタレント不足 ふそく のチームをチャンピオンシップゲームにまで導 みちび いたが多彩 たさい なレシーバー陣 じん を誇 ほこ るコルツに限界 げんかい を見 み せつけられる形 かたち となった。
チームはオフに積極 せっきょく 的 てき な補強 ほきょう を行 おこな う。フリーエージェント からLBアディリアス・トーマス 、RBサミー・モリス 、WRダンテ・ストールワース などを獲得 かくとく 。さらにマイアミ・ドルフィンズからWRでスペシャルチーマーのウェス・ウェルカー をドラフト7巡 じゅん 指名 しめい 権 けん とのトレードで、そしてオークランド・レイダースからランディ・モス を4巡 じゅん 指名 しめい 権 けん とのトレードで獲得 かくとく した。ペイトリオッツ加入 かにゅう にあたりモスは大幅 おおはば なサラリーカットを受 う け入 い れた[ 25] [ 26] 。チームは開幕 かいまく 戦 せん のニューヨーク・ジェッツ戦 せん でジェッツのディフェンスシグナルを盗 ぬすめ 撮 うつ していたという違反 いはん 行為 こうい を犯 おか す。この違反 いはん 行為 こうい で2008年度 ねんど のドラフト1巡 じゅん 指名 しめい 権 けん を剥奪 はくだつ され(チームはこの年 とし の1巡 じゅん 指名 しめい 権 けん を2つ持 も っていたが剥奪 はくだつ されたのは1つ)さらに25万 まん ドルの罰金 ばっきん を課 か せられた。スパイゲートと名付 なづ けられたこの事件 じけん でペイトリオッツとHCビル・ベリチックは多 おお くのメディアやフットボールファンから非難 ひなん を受 う けるが、チームは開幕 かいまく から快 かい 進撃 しんげき を続 つづ ける。ミネソタ・バイキングス 時代 じだい は5度 ど プロボウル に選出 せんしゅつ されるなど実力 じつりょく は確 たし かながら、ここ数 すう 年 ねん 精彩 せいさい を欠 か いていたモスはペイトリオッツで本来 ほんらい の輝 かがや きを取 と り戻 もど しTDを量産 りょうさん すると、小兵 こひょう のウェルカーがチームトップのレシーブ回数 かいすう でパス攻撃 こうげき を引 ひ っ張 ぱ った。
リーグ最高 さいこう クラスのレシーバー陣 じん を手 て に入 い れたブレイディはパサーとしての能力 のうりょく を最大限 さいだいげん に発揮 はっき し、第 だい 7週 しゅう のマイアミ・ドルフィンズ戦 せん ではパス354ヤード6TD、QBレイティング満点 まんてん の158.3を記録 きろく するなど第 だい 8週 しゅう までで1試合 しあい 平均 へいきん 41得点 とくてん という爆発 ばくはつ 的 てき なオフェンスを指揮 しき した。第 だい 9週 しゅう では同 おな じく無敗 むはい のインディアナポリス・コルツと対戦 たいせん し、第 だい 4Qで一時 いちじ 10点 てん 差 さ をつけられるがブレイディからケビン・フォークへのTDパスが決 き まり逆転 ぎゃくてん すると最後 さいご はペイトン・マニングからファンブルを奪 うば い24-20で勝利 しょうり した。第 だい 13週 しゅう のボルチモア・レイブンズ 戦 せん では相手 あいて ディフェンスのパス・ラッシュに苦 くる しみ思 おも うようなプレーができず、第 だい 4Qで7点 てん のリードを許 ゆる していた。しかし4点 てん 差 さ を追 お う第 だい 4Q残 のこ り3分 ふん 30秒 びょう からのドライブでは二 に 度 ど 4thダウンギャンブルを失敗 しっぱい するも一 いち 度 ど はレイブンズのDCがプレー開始 かいし 直前 ちょくぜん にタイムアウトを取 と っていたため無効 むこう に、二 に 度目 どめ は相手 あいて チームのホールディングの反則 はんそく で難 なん を逃 のが れ、最後 さいご は残 のこ り55秒 びょう でジャバー・ギャフニー への逆転 ぎゃくてん TDパスが決 き まり27-24で勝利 しょうり をおさめた。この頃 ころ からペイトリオッツと対戦 たいせん するチームはブリッツを多用 たよう しブレイディにプレッシャーをかける戦術 せんじゅつ をとるようになった。続 つづ く第 だい 14週 しゅう ではピッツバーグ・スティーラーズとホームで対戦 たいせん 。スティーラーズのSアンソニー・スミス は試合 しあい 前 まえ に自分 じぶん たちの勝利 しょうり を保障 ほしょう (guarantee) した[ 27] 。ペイトリオッツはSトロイ・ポラマル を欠 か いていたスティーラーズを相手 あいて にモスとブレイディのトリックプレーなどでguarantee発言 はつげん をしたスミスの背後 はいご を突 つ き、34-13で勝利 しょうり しAFC東 ひがし 地区 ちく 優勝 ゆうしょう を決 き めリーグ最速 さいそく でプレイオフ出場 しゅつじょう を決 き めた。
チームは無敗 むはい のままシーズン最終 さいしゅう 週 しゅう をむかえ、敵 てき 地 ち でニューヨーク・ジャイアンツ とレギュラーシーズン全勝 ぜんしょう をかけて対戦 たいせん した。第 だい 2QにモスへのTDパスが決 き まりモスはジェリー・ライス の持 も つシーズン最多 さいた TDレシーブ22に、ブレイディはペイトン・マニングの持 も つシーズン最多 さいた TDパス49に並 なら んだが、直後 ちょくご のリターンでTDを奪 うば われるなど一時 いちじ は12点 てん のリードを許 ゆる す苦 くる しい展開 てんかい となる。5点 てん 差 さ を追 お う第 だい 4Q残 のこ り11分 ふん 25秒 びょう 、モスはフリーでロングパスを受 う けるもパスが低 ひく かったこともあり落球 らっきゅう してしまう。しかし次 つぎ のプレイでブレイディが再 ふたた びモスにロングパスを投 な げ、これが今度 こんど は65ヤードのTDパスとなり逆転 ぎゃくてん に成功 せいこう した。トム・ブレイディ がシーズン最多 さいた 50TDパス、そしてランディ・モス がシーズン最多 さいた 23TDレシーブを同 おな じプレーで達成 たっせい する快挙 かいきょ を成 な し遂 と げた。その後 ご はリードを保 たも って38-35で勝利 しょうり し、シーズンが16試合 しあい 制 せい となってからは初 はつ のレギュラーシーズン全勝 ぜんしょう を達成 たっせい した。ブレイディは50TDパス(8INT)、パス4,806ヤード、パス成功 せいこう 率 りつ 68.9%、QBレイティング117.2と素晴 すば らしい成績 せいせき をおさめ、50票 ひょう 中 ちゅう 49票 ひょう を獲得 かくとく してリーグMVPに輝 かがや いた。
ディビジョナル・プレーオフではブレイディがパス28回 かい 中 ちゅう 26回 かい 成功 せいこう 、263ヤード3TDの活躍 かつやく を見 み せ31-20でジャクソンビル・ジャガーズに勝利 しょうり した。1試合 しあい でのパス成功 せいこう 率 りつ 92.9%はNFL記録 きろく となった。AFCチャンピオンシップ・ゲームではブレイディが3INTを喫 きっ し苦戦 くせん するがディフェンスが奮闘 ふんとう しTDを許 ゆる さず、21-12でサンディエゴ・チャージャーズを退 しりぞ け史上 しじょう 初 はつ のシーズン18連勝 れんしょう を達成 たっせい した。1972年 ねん シーズンのマイアミ・ドルフィンズ以来 いらい のパーフェクトシーズン(当時 とうじ はレギュラーシーズン14試合 しあい 制 せい )が期待 きたい される中 なか 、2月 がつ 3日 にち の第 だい 42回 かい スーパーボウル を迎 むか えた。対 たい するニューヨーク・ジャイアンツ は最終 さいしゅう 週 しゅう でペイトリオッツに敗 やぶ れて以降 いこう 調子 ちょうし をあげ、敵 てき 地 ち でダラス・カウボーイズ、グリーンベイ・パッカーズを撃破 げきは し、ワイルドカードからスーパーボウル進出 しんしゅつ を達成 たっせい した。試合 しあい はペイトリオッツ優位 ゆうい と見 み られていたが、ジャイアンツの強力 きょうりょく DL陣 じん が中心 ちゅうしん となりブレイディに5つのサックを浴 あ びせペイトリオッツオフェンスを封 ふう じると、ペイトリオッツもベテランが中心 ちゅうしん となりジャイアンツオフェンスを抑 おさ え、試合 しあい は予想 よそう 外 がい のロースコアゲームとなる。ペイトリオッツは試合 しあい 終盤 しゅうばん にブレイディからモスにTDパスが通 とお り14-10とリードを奪 うば ったが、最後 さいご はQBイーライ・マニング がWRデイビッド・タイリー のスーパーキャッチを経 へ てウイニングドライブを決 き め、ペイトリオッツは激戦 げきせん の末 すえ に14-17で敗退 はいたい した。
オフにリーグ屈指 くっし のCBに成長 せいちょう したアサンテ・サミュエルがチームを去 さ った。さらに開幕 かいまく 戦 せん のカンザスシティ・チーフス戦 せん でQBブレイディがバーナード・ポラード から膝 ひざ にタックルを受 う け負傷 ふしょう 退場 たいじょう し、シーズン絶望 ぜつぼう となった[ 28] 。このときのプレーは2009年 ねん シーズンから通称 つうしょう ブレイディ・ルールとして禁止 きんし されている[ 29] 。代役 だいやく を務 つと めたのは高校 こうこう 時代 じだい 以来 いらい 先発 せんぱつ QB経験 けいけん がないという(大学 だいがく ではマット・ライナートなどの控 ひか えであった)控 ひか えQBマット・キャセル だったが、彼 かれ の予想 よそう 外 がい の活躍 かつやく でチームはプレーオフ争 あらそ いを演 えん じることとなる。
シーズン序盤 じょばん 、チームはブレイディ不在 ふざい の穴 あな を感 かん じさせながらもこの年 とし に引退 いんたい 騒動 そうどう を経 へ て復帰 ふっき したブレット・ファーブ擁 よう するニューヨーク・ジェッツを19-10で破 やぶ り開幕 かいまく 2連勝 れんしょう を果 は たした。この勝利 しょうり でチームはNFL新 しん 記録 きろく となるレギュラーシーズン21連勝 れんしょう を達成 たっせい した[ 注 ちゅう 8] 。しかし第 だい 3週 しゅう で同 どう 地区 ちく のマイアミ・ドルフィンズに38-13で敗 やぶ れ連勝 れんしょう 記録 きろく は途絶 とだ えた。この試合 しあい でペイトリオッツディフェンスを圧倒 あっとう したドルフィンズのワイルドキャット と呼 よ ばれるフォーメーションは、以後 いご 多 おお くのチームで使用 しよう されることとなった。その後 ご サンディエゴ・チャージャーズに敗 やぶ れスタートで3勝 しょう 2敗 はい と躓 つまず くが、第 だい 7週 しゅう のデンバー・ブロンコス戦 せん ではキャセルが3つのTDパス、QBレイティング136.3の活躍 かつやく で41-7と快勝 かいしょう しキャッセルはAFC週間 しゅうかん 最優秀 さいゆうしゅう 攻撃 こうげき 選手 せんしゅ に選 えら ばれた。しかしこの試合 しあい でSロドニー・ハリソンが今 いま まで何 なん 度 ど も痛 いた めていた膝 ひざ を再度 さいど 負傷 ふしょう し、シーズン絶望 ぜつぼう となった。ハリソンはこの年 とし がペイトリオッツとの契約 けいやく 最終 さいしゅう 年 ねん となっていたが、シーズン終了 しゅうりょう 後 ご に引退 いんたい を表明 ひょうめい した。
その後 ご チームは勝 か ち負 ま けを繰 く り返 かえ すが、QBキャセルを中心 ちゅうしん に少 すこ しずつ調子 ちょうし をあげていく。第 だい 11週 しゅう ではオーバータイムで敗 やぶ れたもののニューヨーク・ジェッツを相手 あいて に最大 さいだい 18点 てん のビハインドから終盤 しゅうばん に追 お い上 あ げ、残 のこ り1秒 びょう というところで同点 どうてん に追 お いついた(残 のこ り8秒 びょう でキャッセルからモスへのTDパスが決 き まった。ちなみにカバーしていたのはかつてペイトリオッツでスーパーボウル制覇 せいは に貢献 こうけん したタイ・ローだった)。キャセルはパス400ヤード3TD、ランでもチームトップの50ヤードを獲得 かくとく するなど自己 じこ 最高 さいこう の活躍 かつやく を見 み せた。続 つづ くマイアミ・ドルフィンズ戦 せん でもキャッセルはパス415ヤード3TDのパフォーマンスを見 み せ、チームも48-28で勝利 しょうり した。その後 ご ピッツバーグ・スティラーズには敗 やぶ れたもののオークランド・レイダースには49-26で、アリゾナ・カーディナルズ には雪 ゆき の中 なか 47-7で快勝 かいしょう した。HCビル・ベリチックはペイトリオッツのHCとして100勝 しょう 目 め を、NFLのHCとして150勝 しょう 目 め をあげた。シーズン最終 さいしゅう 戦 せん は同 どう 地区 ちく のバッファロー・ビルズと対戦 たいせん した。ペイトリオッツがプレーオフに進出 しんしゅつ するにはこの試合 しあい での勝利 しょうり と、マイアミ・ドルフィンズもしくはボルチモア・レイブンズの敗戦 はいせん (引 ひ き分 わ け)が必要 ひつよう であった。強風 きょうふう の中 なか ペイトリオッツは13-0で勝利 しょうり しチームは11勝 しょう 5敗 はい の好成績 こうせいせき をおさめたが、ドルフィンズとレイブンズが共 とも に勝利 しょうり したためプレーオフ進出 しんしゅつ はならなかった。11勝 しょう 5敗 はい でプレーオフに進 すす めなかったのは1985年 ねん のデンバー・ブロンコス以来 いらい 23年 ねん ぶりのことであった[ 30] 。
このシーズンはQBマット・キャセルがパス3,693ヤード21TDレイティング89.4の活躍 かつやく でオフェンスを牽引 けんいん した。このシーズンは40得点 とくてん 以上 いじょう をあげた試合 しあい が4試合 しあい あり、これは2007年 ねん とならんでチーム歴代 れきだい 最多 さいた であった。WRウェス・ウェルカーがチームトップの111キャッチ、本来 ほんらい RBのケビン・フォークがキャリア最多 さいた の58キャッチで経験 けいけん の少 すく ないキャセルを支 ささ えた。一方 いっぽう ランディ・モスはロングパスを投 な げる機会 きかい が減 へ ったこともあり昨年 さくねん と比 くら べれば大 おお きく成績 せいせき を落 お とした(それでも1,008ヤード11TD)。RB陣 じん に怪我人 けがにん が絶 た えなかったが、ドラフト外 がい ルーキーのベンジャーバス・グリーン・エリス を起用 きよう するなどしてランオフェンスはリーグ6位 い と健闘 けんとう した。しかしアサンテ・サミュエルなどが抜 ぬ けたCB陣 じん はその穴 あな を埋 う めきれず、エリス・ホブス やデルサ・オニール といったCBはこの年 とし でチームを去 さ った。テディ・ブルースキは怪我 けが もありキャリアで初 はじ めてサックなしに終 お わり、マイク・ブレイベルは前年 ぜんねん の12.5サックから4サックに激減 げきげん するなどベテラン勢 ぜい は衰 おとろ えを隠 かく せなかった。一方 いっぽう で若手 わかて Kのスティーブン・ゴストコウスキーはFG40回 かい 中 ちゅう 36回 かい 成功 せいこう とキャリアベストの成績 せいせき をおさめ自身 じしん 初 はつ のプロボウルに選出 せんしゅつ されたほか、2007年 ねん の1巡 じゅん 指名 しめい Sブランドン・メリーウェザー が4INT(チームトップ)57タックル(チーム2位 い )と活躍 かつやく し、さらにこの年 とし の1巡 じゅん 指名 しめい LBジェロッド・メイヨ がチームトップの98タックルでリーグ最優秀 さいゆうしゅう 守備 しゅび 新人 しんじん 選手 せんしゅ に選出 せんしゅつ されるなど若手 わかて の台頭 たいとう も見 み られた。またペイトリオッツはこのシーズンに計 けい 57回 かい しか反則 はんそく を犯 おか さず、これはシーズンが16試合 しあい 制 せい となってから最少 さいしょう 記録 きろく であった。
長年 ながねん ベリチックのGM職 しょく を影 かげ から支 ささ えたスコット・ピオリ がチーフスのGMに就任 しゅうにん するためチームを去 さ った。昨 さく シーズンの開幕 かいまく 戦 せん で負傷 ふしょう したブレイディは手術 しゅじゅつ 後 ご に膝 ひざ の感染 かんせん 症 しょう にかかるなど状態 じょうたい が思 おも わしくなく、一時 いちじ は開幕 かいまく に間 ま に合 あ うか心配 しんぱい された。そのためチームはこのオフに制限 せいげん 付 つ きFAとなっていたキャセルをフランチャイズ指名 しめい し万 まん が一 いち に備 そな えた。その後 ご ブレイディの怪我 けが は順調 じゅんちょう に回復 かいふく し、開幕 かいまく に間 ま に合 あ うと判断 はんだん したチームはQBキャセルと長年 ながねん チームを支 ささ えたLBマイク・ブレイベルを共 とも にチーフスにトレードした。さらに開幕 かいまく 直前 ちょくぜん でLBテディ・ブルースキが引退 いんたい を表明 ひょうめい し、そしてDEリチャード・シーモアをオークランド・レイダースにトレードした。このシーズンは多 おお くのベテラン選手 せんしゅ がチームを離 はな れたが、開幕 かいまく まであと一 いち 週間 しゅうかん ほどというタイミングで昨 さく シーズン自己 じこ 最多 さいた タイの8サックを記録 きろく したシーモアを、2011年 ねん のドラフト1巡 じゅん 指名 しめい 権 けん とはいえトレードしたことは多 おお くのファンやメディア、そして選手 せんしゅ をも驚 おどろ かせた。このシーズンにアスレチック・トレーナーとしてペイトリオッツを支 ささ えた日本人 にっぽんじん スタッフによれば、このニュースを聞 き いたブレイディは「This is Crazy」と発言 はつげん したという。
開幕 かいまく 戦 せん のバッファロー・ビルズ戦 せん 、ホームのジレット・スタジアムで行 おこな われたマンデー・ナイト・フットボールでブレイディが1年 ねん ぶりに復帰 ふっき した。試合 しあい は11点 てん ビハインドで敗色 はいしょく 濃厚 のうこう だったが、第 だい 4Q残 のこ り2分 ふん 10秒 びょう からブレイディがTEベンジャミン・ワトソン にTDパスを通 とお すと続 つづ くビルズのリターンでリターナーのローデス・マケルビン がファンブルしペイトリオッツがリカバー、残 のこ り55秒 びょう からブレイディが再 ふたた びワトソンにTDパスを通 とお し25-24の逆転 ぎゃくてん 勝利 しょうり で復帰 ふっき 戦 せん を飾 かざ った。しかしその後 ご は調子 ちょうし が上 あ がらず、序盤 じょばん は苦戦 くせん を強 し いられる。第 だい 2週 しゅう ではこのオフにHCに就任 しゅうにん して以降 いこう ペイトリオッツに挑発 ちょうはつ 的 てき な発言 はつげん をしていたレックス・ライアン の率 ひき いるニューヨーク・ジェッツに16-9で敗 やぶ れた。WRウェルカーが怪我 けが で欠場 けつじょう し、モスがリーグ最高 さいこう のCBと言 い われているダレル・リーヴィス に抑 おさ えられたため、ブレイディはドラフト7巡 じゅん 指名 しめい の新人 しんじん でQBからWRにコンバートしたばかりのジュリアン・エデルマン に頼 たよ らざるをえず、またジェッツの激 はげ しいパスラッシュにも苦 くる しみペイトリオッツはTDなしに封 ふう じ込 こ まれた。第 だい 5週 しゅう では前年 ぜんねん までチームのオフェンシブ・コーディネイターを務 つと めていたジョシュ・マクダニエルズ 率 ひき いるデンバー・ブロンコスと対戦 たいせん し、苦手 にがて のマイル・ハイ でブレイディはキャリア初 はつ のオーバータイムでの敗北 はいぼく を喫 きっ した(オーバータイム通算 つうさん 7勝 しょう はNFL史上 しじょう 最多 さいた )。
しかし第 だい 6週 しゅう の雪 ゆき の中 なか で行 おこな われたテネシー・タイタンズ戦 せん ではブレイディが第 だい 2Qでの5TDを含 ふく む6TDパスを決 き める活躍 かつやく を見 み せチームは59-0の大差 たいさ で勝利 しょうり する。その後 ご 3連勝 れんしょう を果 は たしブレイディも徐々 じょじょ に調子 ちょうし を上 あ げていったが、第 だい 10週 しゅう のインディアナポリス・コルツ戦 せん では第 だい 4Qに17点 てん と大 おお きくリードしたにもかかわらず終盤 しゅうばん にかけて攻守 こうしゅ に失速 しっそく し、最後 さいご は議論 ぎろん を呼 よ んだ4thダウンギャンブルの末 すえ 35-34で敗 やぶ れた。第 だい 12週 しゅう にはこのシーズンにスーパーボウルを制 せい することになるニューオーリンズ・セインツ にいいところなく完敗 かんぱい し、続 つづ くマイアミ・ドルフィンズ戦 せん でも敗 やぶ れ2006年 ねん 以来 いらい の連敗 れんぱい を喫 きっ した。それでもホームでは8戦 せん 全勝 ぜんしょう と強 つよ さを発揮 はっき し10勝 しょう 6敗 はい でシーズンを終 お えたが、最終 さいしゅう 節 ぶし のヒューストン・テキサンズ戦 せん でリーグトップの123キャッチとチームトップの1,348ヤードを記録 きろく していたウェス・ウェルカーが膝 ひざ を負傷 ふしょう しプレーオフ絶望 ぜつぼう となり、ホームで行 おこな われたワイルドカード・プレーオフでボルチモア・レイブンスに33-14と完敗 かんぱい した。ブレイディはキャリア初 はつ のプレーオフ初戦 しょせん 敗退 はいたい とプレーオフでのホーム敗戦 はいせん を味 あじ わった。この敗戦 はいせん で多 おお くのメディアがペイトリオッツの時代 じだい が終 お わったと書 か き立 た てた。
このシーズンはブレイディが4,398ヤード28TDレイティング96.2とキャリアで2番目 ばんめ に良 よ い成績 せいせき をあげカムバック賞 しょう にも輝 かがや いたが、通 とお したパスの約 やく 55.5%がモスとウェルカーの両 りょう エースWRで、特 とく にウェルカーには約 やく 33%と大 おお きく依存 いぞん していた(レシーバー不足 ふそく だった2006年 ねん は最 もっと も高 たか い選手 せんしゅ で約 やく 18.7%、2007年 ねん は約 やく 28%)。一方 いっぽう で許 ゆる したサックは16回 かい とキャリアで最 もっと も少 すく なかった。オフェンスはリーグトップクラスの成績 せいせき をおさめたものの試合 しあい 終盤 しゅうばん の失速 しっそく が目立 めだ ち、多 おお くのベテラン選手 せんしゅ が去 さ ったディフェンスはリーグ11位 い 、失点 しってん の少 すく なさはリーグ5位 い と上々 じょうじょう の成績 せいせき はおさめたものの勝負 しょうぶ 強 つよ さに欠 か け、サックはリーグ23位 い タイとパスラッシュに難 なん があった。ペイトリオッツは2002年 ねん から第 だい 4Qをリードしてむかえた場合 ばあい は69勝 しょう 1敗 はい と無類 むるい の強 つよ さを誇 ほこ っていたが、このシーズンは第 だい 4Qでの逆転 ぎゃくてん 負 ま けを4度 ど も許 ゆる した。またアウェーゲームで2勝 しょう 6敗 はい (うち一 ひと つはロンドンで行 おこな われた海外 かいがい 遠征 えんせい の試合 しあい )と大 おお きく苦戦 くせん した。終盤 しゅうばん での失速 しっそく や逆転 ぎゃくてん 負 ま けといった、今 いま までほとんどなかった負 ま け方 かた が多 おお かったことにはブレイディのブランクも少 すく なからず影響 えいきょう していたが、なによりもこのオフに長年 ながねん チームを支 ささ えてきたロドニー・ハリソン、テディ・ブルースキー、マイク・ブレイベル、リチャード・シーモア、ラリー・イゾー といった王朝 おうちょう 時代 じだい のメンバーが大量 たいりょう に引退 いんたい 、もしくはトレードなどでチームを離 はな れた事 こと が影響 えいきょう していた。最 もっと も大 おお きかったと言 い われているのがDEシーモアをレイダースにトレードしたことだった。
プレーオフでの敗戦 はいせん 後 ご 、多 おお くのベテラン選手 せんしゅ がチームを去 さ り、選手 せんしゅ が多数 たすう 入 い れ替 か わったことに関 かん してブレイディは「彼 かれ らは特別 とくべつ な選手 せんしゅ であり、特別 とくべつ な人物 じんぶつ だった。ペイトリオッツのユニフォームを着 き れば、ペイトリオッツらしいチームプレイができる訳 わけ じゃない。コーチ、選手 せんしゅ たちが一体 いったい となって同 おな じゴールを目指 めざ し、努力 どりょく しているからこそだ。彼 かれ らのような選手 せんしゅ を失 うしな うことは、大 おお きな喪失 そうしつ だった。」と話 はな し[ 31] 、またオフにはシーズンの敗因 はいいん として「チームとしての自信 じしん や信頼 しんらい 、メンタル的 てき な強 つよ さの欠如 けつじょ 」をあげた[ 32] [ 33] [ 34] 。
この年 とし 、ドラフト 外 そと でQBブライアン・ホイヤー を獲得 かくとく した。
2010年 ねん から2018年 ねん まで在籍 ざいせき したTEのロブ・グロンコウスキー
2009年 ねん から5年 ねん 連続 れんぞく して地区 ちく 優勝 ゆうしょう を続 つづ けた。2011年 ねん シーズンにはスーパーボウル 進出 しんしゅつ を果 は たしたがニューヨーク・ジャイアンツ に敗北 はいぼく した。
6年 ねん 連続 れんぞく の地区 ちく 優勝 ゆうしょう を果 は たし、スーパーボウル でシアトル・シーホークス を破 やぶ ったが、コルツと対戦 たいせん したカンファレンス・チャンピオンシップで空気圧 くうきあつ 不正 ふせい 問題 もんだい が発覚 はっかく した(デフレートゲート問題 もんだい )。
7年 ねん 連続 れんぞく のAFC東 ひがし 地区 ちく 優勝 ゆうしょう を果 は たしプレイオフに進出 しんしゅつ したが、AFCカンファレンスチャンピオンシップでデンバー・ブロンコスに18-20で破 やぶ れ、スーパーボウル進出 しんしゅつ はならなかった。
2014年 ねん のデフレートゲート問題 もんだい のため、ブレイディはシーズンの最初 さいしょ の4試合 しあい で出場 しゅつじょう 停止 ていし 処分 しょぶん となったが、AFC1位 い の成績 せいせき で8年 ねん 連続 れんぞく の地区 ちく 優勝 ゆうしょう を収 おさ めた。スーパーボウル では、序盤 じょばん にファルコンズ に3-28と大量 たいりょう のリードを許 ゆる すも最終 さいしゅう クオーターで19点 てん を奪 うば い、ファルコンズと同点 どうてん に追 お いつき、スーパーボウル史上 しじょう 初 はつ のオーバータイムに突入 とつにゅう 。最初 さいしょ の攻撃 こうげき 機会 きかい にタッチダウンを決 き め、34-28と25点 てん 差 さ (第 だい 4Q開始 かいし 時点 じてん で19点 てん 差 さ )をひっくり返 かえ すという大会 たいかい 史上 しじょう 最大 さいだい の大 だい 逆転 ぎゃくてん でスーパーボウルを制 せい した。
初戦 しょせん はチーフスに敗 やぶ れたものの、結果 けっか 的 てき には9年 ねん 連続 れんぞく しての地区 ちく 優勝 ゆうしょう を挙 あ げ、第 だい 一 いち シードでプレーオフに進 すす んだ。プレーオフではテネシー・タイタンズ とジャクソンビル・ジャガーズ を倒 たお してスーパーボウルに進 すす んだ。スーパーボウル では、フィラデルフィア・イーグルス と対戦 たいせん 。先行 せんこう され一 いち 度 ど は逆転 ぎゃくてん したものの、再 さい 逆転 ぎゃくてん されて33-41で敗 やぶ れた。
第 だい 16週 しゅう に前人未到 ぜんじんみとう の地区 ちく 10連覇 れんぱ を達成 たっせい した。アメリカン・カンファレンス(AFC)決勝 けっしょう では、第 だい 1シードで地元 じもと のカンザスシティ・チーフス (西 にし 地区 ちく 1位 い )を延長 えんちょう の末 すえ に37-31で振 ふ り切 き って優勝 ゆうしょう 。3年 ねん 連続 れんぞく 通算 つうさん 11回 かい 目 め (ここ18年間 ねんかん で9回 かい 目 め )のスーパーボウル進出 しんしゅつ を果 は たし、スーパーボウルではロサンゼルス・ラムズ を13-3で破 やぶ った。
第 だい 16週 しゅう に地区 ちく 11連覇 れんぱ を達成 たっせい し記録 きろく を更新 こうしん したが、最終 さいしゅう 戦 せん では本拠地 ほんきょち で地区 ちく 最下位 さいかい のマイアミ・ドルフィンズ に24-27で敗 やぶ れてプレーオフでは第 だい 3シードとなり、10年 ねん 連続 れんぞく のファースト・ラウンド・バイは逃 のが した。プレーオフでは初戦 しょせん のワイルドカード・ラウンドでテネシー・タイタンズ に13-20で敗 やぶ れ、8年 ねん ぶりにAFCチャンピオンシップゲーム 出場 しゅつじょう も逃 のが した。シーズン終了 しゅうりょう 後 ご 、20年間 ねんかん チームに在籍 ざいせき し、NFLを代表 だいひょう するクォーターバックとなったトム・ブレイディ がタンパベイ・バッカニアーズ に移籍 いせき した。
シーズン前 まえ の6月 がつ 29日 にち 、2015年 ねん シーズンにMVP に選 えら ばれた前 まえ カロライナ・パンサーズ のキャム・ニュートン (QB)を獲得 かくとく した[ 35] 。新型 しんがた コロナウイルス感染 かんせん 症 しょう の流行 りゅうこう により全 ぜん 試合 しあい を無 む 観客 かんきゃく で開催 かいさい した。この年 とし は7勝 しょう 9敗 はい と地区 ちく 3位 い となって連覇 れんぱ は11で途絶 とだ え、さらにプレーオフ進出 しんしゅつ も逃 のが した。チームが負 ま け越 こ したのは、2000年 ねん シーズンに5勝 しょう 11敗 はい して以来 いらい 実 じつ に20年 ねん 振 ふ りのことだった。
この年 とし のドラフト 1巡 じゅん 目 め でQBマック・ジョーンズ を指名 しめい した。2021年 ねん 8月 がつ 31日 にち 、ニュートンをリリースした[ 36] 。ジョーンズを先発 せんぱつ QBとしてシーズンを戦 たたか い、地区 ちく 2位 い でプレーオフに進出 しんしゅつ したが、初戦 しょせん でバッファロー・ビルズ に30点 てん 差 さ で大敗 たいはい した。
この年 とし はジョーンズを先発 せんぱつ QBとして起用 きよう するも、3試合 しあい は彼 かれ を負傷 ふしょう で欠 か いた。最終 さいしゅう 戦 せん までプレーオフの望 のぞ みを残 のこ すも、地区 ちく 首位 しゅい ビルズに敗 やぶ れ地区 ちく 3位 い でプレーオフを逃 のが した。
第 だい 14週 しゅう 、2000年 ねん シーズン以降 いこう で最 もっと も早 はや くプレーオフ争 あらそ いから脱落 だつらく した[ 37] 。地区 ちく 4位 い でシーズンを終 お えた2024年 ねん 1月 がつ 10日 とおか 、ベリチックがチームから離 はな れると発表 はっぴょう された[ 38] 。2024年 ねん 1月 がつ 12日 にち 、チームOBでLBの名 めい 選手 せんしゅ であり、インサイド・ラインバッカーコーチのジェロッド・メイヨ が37才 さい とNFL最年少 さいねんしょう でHCの後継 こうけい となった[ 39] 。
チームのマスコットは、アメリカ革命 かくめい の兵士 へいし をモチーフとしたパット・パトリオット (Pat Patriot)である。元々 もともと はロゴマークとしてチーム創設 そうせつ 時 じ に漫画 まんが 家 か のフィル・ビッセルによって描 えが かれたものだけだったが、1995年 ねん より着 き ぐるみとして登場 とうじょう を果 は たした。1979年 ねん 、チームのエグゼクティブによってロゴマークの変更 へんこう が提案 ていあん され、ホームゲームのハーフタイム中 ちゅう にアンケートを実施 じっし したが、継続 けいぞく を希望 きぼう するファンが圧倒的 あっとうてき であり、維持 いじ されることになった。1993年 ねん 、チームの公式 こうしき マスコットとしては継続 けいぞく されるが、ロゴマークは現在 げんざい 使用 しよう している「フライング・エルビス」と呼 よ ばれるものへ変更 へんこう された。
ニューイングランド・ペイトリオッツ・チアリーダーズ
チームの公式 こうしき チアリーディングは、1971年 ねん に結成 けっせい されたニューイングランド・ペイトリオッツ・チアリーダーズ (New England Patriots Cheerleaders、NEPC)である。ペイトリオッツの試合 しあい 日 び にスタジアムでパフォーマンスをするだけでなく、海外 かいがい 公演 こうえん なども行 おこな っている。2008年 ねん には、北京 ぺきん オリンピック に出演 しゅつえん する中国人 ちゅうごくじん ダンサーを訓練 くんれん するために中国 ちゅうごく へ向 む かった。
プロレスラーのリア・ヴァン・ダール が2007年 ねん から2009年 ねん に、モデルのカミーユ・コステック が2013年 ねん と2014年 ねん に所属 しょぞく していた。
ローガン国際 こくさい 空港 くうこう にてタキシング する専用 せんよう 機 き
2017年 ねん 、ペイトリオッツはチーム専用 せんよう 機 き としてボーイング 767-300ER をバックアップ機 き を含 ふく めて2機 き 購入 こうにゅう した。2017年 ねん シーズン より使用 しよう を開始 かいし し、リーグ史上 しじょう 初 はじ めて自 じ チーム専用 せんよう の飛行機 ひこうき を所有 しょゆう するチームとなった[ 40] 。 購入 こうにゅう の背景 はいけい には、当時 とうじ 大手 おおて 民間 みんかん 航空 こうくう 会社 かいしゃ がより収益 しゅうえき 性 せい の高 たか い定期 ていき 便 びん に注力 ちゅうりょく していたため、プロスポーツチームがプライベートチャ ちゃ ータ た ー便 びん を予約 よやく することが難 むずか しくなっていたことがある。2機 き のボーイング767は、アメリカン航空 こうくう によって1991年 ねん から2016年 ねん にかけて運用 うんよう されていたものである。この専用 せんよう 機 き は、チームオーナーのロバート・クラフト の名 な をとって「エアクラフト(AirKrafts)」として呼 よ ばれ、親 した しまれている[ 41] 。2020年 ねん 4月 がつ には、新型 しんがた コロナウイルス感染 かんせん 症 しょう により必要 ひつよう になったマスクを、中国 ちゅうごく からアメリカに輸送 ゆそう するために使用 しよう された[ 42] 。
ホームのジレットスタジアムではペイトリオッツが得点 とくてん すると、ニューイングランド という名称 めいしょう が示 しめ すとおり13人 にん のアメリカ独立 どくりつ 戦争 せんそう 当時 とうじ の格好 かっこう をした軍人 ぐんじん が必 かなら ず当時 とうじ のライフル銃 じゅう で空砲 くうほう を撃 う つ。
2024年 ねん シーズン
2024年 ねん シーズンのペイトリオッツの対戦 たいせん 相手 あいて
AFC
NFC
前年 ぜんねん
西 にし 地区 ちく
南 みなみ 地区 ちく
北 きた 地区 ちく
東 ひがし 地区 ちく
西 にし 地区 ちく
南 みなみ 地区 ちく
北 きた 地区 ちく
東 ひがし 地区 ちく
1位 い
チーフス
テキサンズ
レイブンズ
ビルズ
49ers
バッカニアーズ
ライオンズ
カウボーイズ
2位 い
レイダース
ジャガーズ
ブラウンズ
ドルフィンズ
ラムズ
セインツ
パッカーズ
イーグルス
3位 い
ブロンコス
コルツ
スティーラーズ
ジェッツ
シーホークス
ファルコンズ
バイキングス
ジャイアンツ
4位 い
チャージャーズ
タイタンズ
ベンガルズ
ペイトリオッツ
カージナルス
パンサーズ
ベアーズ
コマンダース
:1度 ど 対戦 たいせん :2度 ど 対戦 たいせん
2024年 ねん シーズン及 およ び過去 かこ 10シーズンの成績 せいせき
年 とし
成績 せいせき
地区 ちく
勝 かち
敗 はい
分 ぶん
率 りつ
Div
Con
総 そう 得点 とくてん
総 そう 失点 しってん
平均 へいきん 得点 とくてん
平均 へいきん 失点 しってん
2024
4位 い
0
0
0
–
0-0
0-0
2023
レギュラー敗退 はいたい
4位 い
4
13
0
.235
2–4
4–8
236
366
13.9
21.5
2022
レギュラー敗退 はいたい
3位 い
8
9
0
.471
3-3
6-6
364
347
21.4
20.4
2021
ワイルドカード敗退 はいたい
2位 い (6)
10
7
0
.588
3-3
8-4
462
303
27.2
17.8
2020
レギュラー敗退 はいたい
3位 い
7
9
0
.438
3-3
6-6
326
353
20.4
22.1
2019
ワイルドカード敗退 はいたい
1位 い (3)
12
4
0
.750
5-1
8-4
420
225
26.3
14.1
2018
スーパーボウル制覇 せいは
1位 い (2)
11
5
0
.688
5–1
8–4
436
325
27.3
20.3
2017
スーパーボウル敗戦 はいせん
1位 い (1)
13
3
0
.813
5-1
10-2
458
296
28.6
18.5
2016
スーパーボウル制覇 せいは
1位 い (1)
14
2
0
.875
5-1
11-1
441
250
27.6
15.6
2015
カンファレンス敗退 はいたい
1位 い (2)
12
4
0
.750
4-2
9-3
465
315
29.1
19.7
2014
スーパーボウル制覇 せいは
1位 い (1)
12
4
0
.750
4-2
9-3
468
313
29.3
19.6
()内 ない はシード順 じゅん
2024年 ねん シーズン成績 せいせき
ワイルドカード・プレーオフ
ディビジョナル・プレーオフ
2025年 ねん 1月 がつ 11日 にち か12日 にち か13日 にち
1月 がつ 18日 にち か19日 にち
1月 がつ 26日 にち
2月 がつ 9日 にち シーザーズ・スーパードーム
6
3
2025年 ねん 1月 がつ 11日 にち か12日 にち か13日 にち
7
AFC
2
1月 がつ 18日 にち か19日 にち
2025年 ねん 1月 がつ 11日 にち か12日 にち か13日 にち
AFCチャンピオンシップ
1月 がつ 26日 にち
5
4
1
2025年 ねん 1月 がつ 11日 にち か12日 にち か13日 にち
1月 がつ 18日 にち か19日 にち
6
第 だい 59回 かい スーパーボウル
3
2025年 ねん 1月 がつ 11日 にち か12日 にち か13日 にち
7
NFC
2
1月 がつ 18日 にち か19日 にち
2025年 ねん 1月 がつ 11日 にち か12日 にち か13日 にち
NFCチャンピオンシップ
5
4
1
対戦 たいせん カードはレギュラーシーズン成績 せいせき に基 もと づくシード順 じゅん で決定 けってい され、上位 じょうい シードチームのホームで対戦 たいせん する。そのラウンドに残 のこ ったチームの内 うち の最 さい 上位 じょうい シードが最下位 さいかい シードと対戦 たいせん するルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦 たいせん カードはワイルドカードの結果 けっか により変動 へんどう する。
スーパーボウル開催 かいさい 地 ち は事前 じぜん にオーナー会議 かいぎ で決定 けってい 。その他 た の試合 しあい はシード上位 じょうい のチームのホームで開催 かいさい する。
チーム名 めい の左 ひだり の数字 すうじ はシード順 じゅん 。
* は延長 えんちょう 戦 せん 決着 けっちゃく
日付 ひづけ はアメリカ東部 とうぶ 時間 じかん
年 とし
地区 ちく 優勝 ゆうしょう
2位 い
3位 い
4位 い
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
2023
BUF(2d)
11
6
0
MIA(6w)
11
6
0
NYJ
7
10
0
NE
4
13
0
2022
BUF(2d)
13
3
0
MIA(7w)
9
8
0
NE
8
9
0
NYJ
7
10
0
2021
BUF(3d)
11
6
0
NE (6w)
10
7
0
MIA
9
8
0
NYJ
4
13
0
2020
BUF(2c)
13
3
0
MIA
10
6
0
NE
7
9
0
NYJ
2
14
0
2019
NE (3w)
12
4
0
BUF(5w)
10
6
0
NYJ
7
9
0
MIA
5
11
0
2018
NE (2v)
11
5
0
MIA
7
9
0
BUF
6
10
0
NYJ
4
12
0
2017
NE (1s)
13
3
0
BUF(6w)
9
7
0
MIA
6
10
0
NYJ
5
11
0
2016
NE (1v)
14
2
0
MIA(6w)
10
6
0
BUF
7
9
0
NYJ
5
11
0
2015
NE (2c)
12
4
0
NYJ
10
6
0
BUF
8
8
0
MIA
5
11
0
2014
NE (1v)
12
4
0
BUF
9
7
0
MIA
8
8
0
NYJ
4
12
0
2013
NE (2c)
12
4
0
NYJ
8
8
0
MIA
8
8
0
BUF
6
10
0
2012
NE (2c)
12
4
0
MIA
7
9
0
NYJ
6
10
0
BUF
6
10
0
2011
NE (1s)
13
3
0
NYJ
8
8
0
MIA
6
10
0
BUF
6
10
0
2010
NE (1d)
14
2
0
NYJ(6c)
11
5
0
MIA
7
9
0
BUF
4
12
0
2009
NE (3w)
10
6
0
NYJ(5c)
9
7
0
MIA
7
9
0
BUF
6
10
0
2008
MIA(3w)
11
5
0
NE
11
5
0
NYJ
9
7
0
BUF
7
9
0
2007
NE (1s)
16
0
0
BUF
7
9
0
NYJ
4
12
0
MIA
1
15
0
2006
NE (4c)
12
4
0
NYJ(5w)
10
6
0
BUF
7
9
0
MIA
6
10
0
2005
NE (4d)
10
6
0
MIA
9
7
0
BUF
5
11
0
NYJ
4
12
0
2004
NE (2v)
14
2
0
NYJ(5d)
10
6
0
BUF
9
7
0
MIA
4
12
0
2003
NE (1v)
14
2
0
MIA
10
6
0
BUF
6
10
0
NYJ
6
10
0
2002
NYJ(4d)
9
7
0
NE
9
7
0
MIA
9
7
0
BUF
8
8
0
BUF:バッファロー・ビルズ 、MIA:マイアミ・ドルフィンズ 、BOS→NE:ボストン・ペイトリオッツ→ニューイングランド・ペイトリオッツ 、NYJ:ニューヨーク・ジェッツ 、BAL→IND:ボルチモア・コルツ→インディアナポリス・コルツ
1982年 ねん シーズンはストライキの影響 えいきょう により、地区 ちく 別 べつ 成績 せいせき ではなくカンファレンス上位 じょうい 8チームがプレイオフ進出 しんしゅつ するルールであったが、ここでは地区 ちく 別 べつ に変換 へんかん して表記 ひょうき する。
括弧 かっこ 内 ない の数字 すうじ はプレイオフ出場 しゅつじょう 時 じ のシード順 じゅん (シード制 せい 導入 どうにゅう 前 まえ は表記 ひょうき なし)、文字 もじ はv:スーパーボウル優勝 ゆうしょう 、s:スーパーボウル敗退 はいたい ・カンファレンス優勝 ゆうしょう 、c:カンファレンス決勝 けっしょう 敗退 はいたい 、d:ディビジョナルプレーオフ敗退 はいたい 、w:ワイルドカードプレイオフ敗退 はいたい 。1982年 ねん についてはd:2回戦 かいせん 敗退 はいたい 、w:1回戦 かいせん 敗退 はいたい 。
年 とし
地区 ちく 優勝 ゆうしょう
2位 い
3位 い
4位 い
5位 い
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
2001
NE(2v)
11
5
0
MIA(4w)
11
5
0
NYJ(6w)
10
6
0
IND
6
10
0
BUF
3
13
0
2000
MIA(3d)
11
5
0
IND(6w)
10
6
0
NYJ
9
7
0
BUF
8
8
0
NE
5
11
0
1999
IND(2d)
13
3
0
BUF(5w)
11
5
0
MIA(6d)
9
7
0
NYJ
8
8
0
NE
8
8
0
1998
NYJ(2c)
12
4
0
MIA(4d)
10
6
0
BUF(5w)
10
6
0
NE(6w)
9
7
0
IND
3
13
0
1997
NE(3d)
10
6
0
MIA(6w)
9
7
0
NYJ
9
7
0
BUF
6
10
0
IND
3
13
0
1996
NE(2s)
11
5
0
BUF(4w)
10
6
0
IND(6w)
9
7
0
MIA
8
8
0
NYJ
1
15
0
1995
BUF(3d)
10
6
0
IND(5c)
9
7
0
MIA(6w)
9
7
0
NE
6
10
0
NYJ
3
13
0
1994
MIA(3d)
10
6
0
NE(5w)
10
6
0
IND
8
8
0
BUF
7
9
0
NYJ
6
10
0
1993
BUF(1s)
12
4
0
MIA
9
7
0
NYJ
8
8
0
NE
5
11
0
IND
4
12
0
1992
MIA(2c)
11
5
0
BUF(4s)
11
5
0
IND
9
7
0
NYJ
4
12
0
NE
2
14
0
1991
BUF(1s)
13
3
0
NYJ(6w)
8
8
0
MIA
8
8
0
NE
6
10
0
IND
1
15
0
1990
BUF(1s)
13
3
0
MIA(4d)
12
4
0
IND
7
9
0
NYJ
6
10
0
NE
1
15
0
1989
BUF(3d)
9
7
0
IND
8
8
0
MIA
8
8
0
NE
5
11
0
NYJ
4
12
0
1988
BUF(2c)
12
4
0
IND
9
7
0
NE
9
7
0
NYJ
8
7
1
MIA
6
10
0
1987
IND(3d)
9
6
0
NE
8
7
0
MIA
8
7
0
BUF
7
8
0
NYJ
6
9
0
1986
NE(3d)
11
5
0
NYJ(4d)
10
6
0
MIA
8
8
0
BUF
4
12
0
IND
3
13
0
1985
MIA(2c)
12
4
0
NYJ(4w)
11
5
0
NE(5s)
11
5
0
IND
5
11
0
BUF
2
14
0
1984
MIA(1s)
14
2
0
NE
9
7
0
NYJ
7
9
0
IND
4
12
0
BUF
2
14
0
1983
MIA(2d)
12
4
0
NE
8
8
0
BUF
8
8
0
BAL
7
9
0
NYJ
7
9
0
1982
MIA(2s)
7
2
0
NYJ(6c)
6
3
0
NE(7w)
5
4
0
BUF
4
5
0
BAL
0
8
1
1981
MIA(2d)
11
4
1
NYJ(4w)
10
5
1
BUF(5d)
10
6
0
BAL
2
14
0
NE
2
14
0
1980
BUF(3d)
11
5
0
NE
10
6
0
MIA
8
8
0
BAL
7
9
0
NYJ
4
12
0
1979
MIA(3d)
10
6
0
NE
9
7
0
NYJ
8
8
0
BUF
7
9
0
BAL
5
11
0
1978
NE(2d)
11
5
0
MIA(4w)
11
5
0
NYJ
8
8
0
BUF
5
11
0
BAL
5
11
0
1977
BAL(2d)
10
4
0
MIA
10
4
0
NE
9
5
0
BUF
3
11
0
NYJ
3
11
0
1976
BAL(2d)
11
3
0
NE(4d)
11
3
0
MIA
6
8
0
NYJ
3
11
0
BUF
2
12
0
1975
BAL(3d)
10
4
0
MIA
10
4
0
BUF
8
6
0
NYJ
3
11
0
NE
3
11
0
1974
MIA(d)
11
3
0
BUF(d)
9
5
0
NE
7
7
0
NYJ
7
7
0
BAL
2
12
0
1973
MIA(v)
12
2
0
BUF
9
5
0
NE
5
9
0
NYJ
4
10
0
BAL
4
10
0
1972
MIA(v)
14
0
0
NYJ
7
7
0
BAL
5
9
0
BUF
4
9
1
NE
3
11
0
1971
MIA(s)
10
3
1
BAL(c)
10
4
0
NE
6
8
0
NYJ
6
8
0
BUF
1
13
0
1970
BAL(v)
11
2
1
MIA(d)
10
4
0
NYJ
4
10
0
BUF
3
10
1
BOS
2
12
0
年 とし
地区 ちく 優勝 ゆうしょう
2位 い
3位 い
4位 い
5位 い
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
チーム
勝 かち
負 まけ
分 ぶん
1969
NY(d)
10
4
0
HOU(d)
6
6
2
BOS
4
10
0
BUF
4
10
0
MIA
3
10
1
1968
NY(V)
11
3
0
HOU
7
7
0
MIA
5
8
1
BOS
4
10
0
BUF
1
12
1
1967
HOU(a)
9
4
1
NY
8
5
1
BUF
4
10
0
MIA
4
10
0
BOS
3
10
1
1966
BUF(a)
9
4
1
BOS
8
4
2
NY
6
6
2
HOU
3
11
0
MIA
3
11
0
スーパーボウル開始 かいし
1965
BUF(a)
10
3
1
NY
5
8
1
BOS
4
8
2
HOU
4
10
0
1964
BUF(v)
12
2
0
BOS
10
3
1
NY
5
8
1
HOU
4
10
0
1963
BOS(a)
7
6
1
BUF(d)
7
6
1
HOU
6
8
0
NY
5
8
1
1962
HOU(a)
11
3
0
BOS
9
4
1
BUF
7
6
1
NY
5
9
0
1961
HOU(v)
10
3
1
BOS
9
4
1
NY
7
7
0
BUF
6
8
0
1960
HOU(v)
10
4
0
NY
7
7
0
BUF
5
8
1
BOS
5
9
0
クォーターバック
ランニングバック
ワイドレシーバー
タイトエンド
オフェンシブライン
ディフェンシブライン
ラインバッカー
ディフェンスバック
スペシャルチーム
リザーブリスト
練習 れんしゅう 生 せい
Roster December 23, 2023
現在 げんざい
アクティブ 53名 めい インアクティブ 15名 めい 練習 れんしゅう 生 せい 12名 めい
この節 ふし は更新 こうしん が必要 ひつよう とされています。 この
節 ふし には
古 ふる い
情報 じょうほう が
掲載 けいさい されています。
編集 へんしゅう の
際 さい に
新 あたら しい
情報 じょうほう を
記事 きじ に
反映 はんえい させてください。
反映 はんえい 後 ご 、このタグは
除去 じょきょ してください。
(2021年 ねん 6月 がつ )
オフェンス ディフェンス スペシャルチーム キャプテン コーチ
ランアフターキャッチに秀 ひい でている。サンディエゴ・チャージャーズ でプロのキャリアをスタートさせるがわずか一 いち 週間 しゅうかん で解雇 かいこ され、本人 ほんにん によれば悔 くや しさのあまり帰 がえ りの車 くるま の中 なか で号泣 ごうきゅう したという。マイアミ・ドルフィンズ 時代 じだい に対 たい ペイトリオッツ戦 せん でキックリターン、パントリターン、エクストラ・ポイント・キック、FG、タックルを記録 きろく し、これはNFL史上 しじょう 二 に 人 にん 目 め のことであった。2007年 ねん に加入 かにゅう 後 ご 3シーズン連続 れんぞく で100キャッチ、1,000ヤードレシーブを記録 きろく している。リターナーとしても活躍 かつやく 。第 だい 42回 かい スーパーボウル では大会 たいかい 史上 しじょう 最多 さいた タイとなる11キャッチを記録 きろく 。2度 ど のプロボウル 、3度 ど のオールプロ 選出 せんしゅつ 。2007年 ねん と2009年 ねん はNFLトップのレセプション回数 かいすう を記録 きろく した。2013年 ねん よりブロンコスに移籍 いせき 。
ドラフト2巡 じゅん 指名 しめい でチームに加入 かにゅう 。175cmと小柄 こがら ながら1年 ねん 目 め から活躍 かつやく し第 だい 39回 かい スーパーボウル では大会 たいかい 最多 さいた タイ記録 たいきろく となる11回 かい のパス捕 と 球 たま を記録 きろく してMVPを獲得 かくとく した。第 だい 38回 かい スーパーボウル でも10回 かい のパスキャッチを記録 きろく しており、連続 れんぞく する2回 かい のスーパーボウルで21キャッチという成績 せいせき はNFL記録 きろく 。またキャリア通算 つうさん でのスーパーボウルのキャッチ数 すう ではジェリー・ライス などに次 つ いで歴代 れきだい 3位 い である。契約 けいやく がまとまらず2006年 ねん にシアトル・シーホークス に移籍 いせき した。2010年 ねん シーズン開幕 かいまく 後 ご 、ランディ・モス の退団 たいだん したチームに復帰 ふっき した。2002年 ねん から2005年 ねん までの背番号 せばんごう は83。その後 ご は復帰 ふっき と解雇 かいこ を繰 く り返 かえ している。
チームを支 ささ えるベテランRB。パスキャッチがうまく、3rdダウンバックやWR、リターナーとしてもプレー。今 いま もチームに残 のこ っている選手 せんしゅ としては、スーパーボウル3度 ど 制覇 せいは を経験 けいけん している数少 かずすく ないメンバーの一人 ひとり 。マーシャル・フォーク とは遠縁 とおえん の親戚 しんせき にあたる。
ブレイディのブラインドサイドを守 まも り続 つづ ける不動 ふどう のLT。試合 しあい 終了 しゅうりょう 間際 まぎわ の重要 じゅうよう なFG時 じ にいつも中腰 ちゅうごし で祈 いの っている。現在 げんざい のチームには4人 にん しかいないスーパーボウル3度 ど 制覇 せいは を経験 けいけん している選手 せんしゅ の一人 ひとり 。プロボウルに2度 ど 、オールプロに1度 ど 選出 せんしゅつ されている。2011年 ねん をもって引退 いんたい 。
ドラフト全体 ぜんたい 1位 い 指名 しめい でチームに加入 かにゅう 。プロボウルに3度 ど 選出 せんしゅつ されるなどチーム史上 しじょう に残 のこ る活躍 かつやく でスーパーボウル出場 しゅつじょう に大 おお きく貢献 こうけん し、数々 かずかず のフランチャイズ記録 きろく を塗 ぬ り替 か えた。2001年 ねん の3月 がつ に10年 ねん 1億 おく 300万 まん ドルという大型 おおがた 契約 けいやく を結 むす んだが[ 43] 、その年 とし のシーズン序盤 じょばん に負傷 ふしょう 離脱 りだつ すると代 か わったブレイディにスターターの座 ざ を奪 うば われた。しかしながらブレッドソーの起用 きよう を望 のぞ む声 こえ は多 おお く、メディアも論争 ろんそう を焚 た きつけようとした。しかしブレッドソーはメディアに対 たい し不満 ふまん を公 おおやけ にせず、AFCチャンピオンシップでは負傷 ふしょう 交代 こうたい したブレイディの代役 だいやく をしっかりとこなすなどバックアッパーとしてチーム史上 しじょう 初 はつ のスーパーボウル制覇 せいは を支 ささ えた[ 44] 。2002年 ねん に同 どう 地区 ちく のバッファロー・ビルズ にトレードされ3シーズンを過 す ごし、2002年 ねん には4度目 どめ のプロボウル選出 せんしゅつ を果 は たした。ダラス・カウボーイズ で2シーズンを過 す ごしたのち2007年 ねん 4月 がつ に引退 いんたい を表明 ひょうめい 。自 みずか ら「幸運 こううん だった」と振 ふ り返 かえ ったフットボールキャリアに幕 まく を閉 と じた[ 45] 。
現在 げんざい のチームに4人 にん しかいないスーパーボウル3度 ど 制覇 せいは を経験 けいけん したメンバーの一人 ひとり 。しかしスターターとしてプレーしたのは第 だい 39回 かい スーパーボウル のみである。2001年 ねん は一時 いちじ フィラデルフィア・イーグルス にも在籍 ざいせき した。大学 だいがく 時代 じだい はレスリング で活躍 かつやく し151勝 しょう 10敗 はい の成績 せいせき をおさめ、のちのWWE 、UFC 王者 おうじゃ であるブロック・レスナー にも勝利 しょうり している[ 46] 。またシドニーオリンピック にも出場 しゅつじょう するなど大学 だいがく 時代 じだい はほとんどフットボールをプレーしていない。2004年 ねん シーズンからスターターとして活躍 かつやく している。
ドラフト8巡 じゅん で加入 かにゅう 後 ご チーム一筋 ひとすじ でプレーした。ペイトリオッツでのレシーブ557回 かい 、パントリターン252回 かい 2,625ヤードはチーム歴代 れきだい 最多 さいた 記録 きろく である。WR、リターナ、2004年 ねん のラムズ戦 せん からはCBとしても出場 しゅつじょう し2006年 ねん のプレシーズンではQBとしてもプレーした[ 47] 。チームが強力 きょうりょく なWR陣 じん を補強 ほきょう した2007年 ねん は怪我 けが もあってプレーの機会 きかい がほとんどなく、第 だい 16週 しゅう のマイアミ・ドルフィンズ戦 せん で6回 かい のパントリターンを行 おこな ったのみであった(うち2回 かい でフェアキャッチ 、ファンブル一 いち 回 かい 、最 もっと も長 なが いリターンは28ヤード)。しかしながら第 だい 1Qにパントリターンで登場 とうじょう した際 さい はホームの観客 かんきゃく から大 おお きな歓声 かんせい を集 あつ めた。2008年 ねん シーズン前 まえ に引退 いんたい し、ホームで行 おこな われたニューヨーク・ジェッツ 戦 せん のハーフタイムにセレモニーが行 おこな われた。
ドラフトにはかからず、アリーナ・フットボール を経験 けいけん したのちニューヨーク・ジャイアンツ でプロのキャリアをスタートさせた。クリーブランド・ブラウンズ を経 へ て2001年 ねん にペイトリオッツと契約 けいやく 。以後 いご チームの主力 しゅりょく として活躍 かつやく し、第 だい 36回 かい スーパーボウル では見事 みごと なTDパスキャッチを決 き めるなど3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは に貢献 こうけん した。2001年 ねん シーズンのインディアナポリス・コルツ 戦 せん ではパス、パスレシーブ、ランの3つでTDをあげ、同 どう 記録 きろく を達成 たっせい したNFL史上 しじょう 6人 にん 目 め の選手 せんしゅ となった。2005年 ねん にワシントン・レッドスキンズ に移籍 いせき し、以後 いご いくつかのチームを渡 わた り歩 ある く。2010年 ねん に再 ふたた びペイトリオッツと契約 けいやく したが、トレーニングキャンプにて引退 いんたい を表明 ひょうめい した。
ドラフト7巡 じゅん 、全体 ぜんたい 253位 い という下位 かい 指名 しめい でチームに加入 かにゅう 。2003年 ねん から活躍 かつやく を見 み せ、以後 いご スターターWRとしてスーパーボウル連覇 れんぱ に貢献 こうけん した。レギュラーシーズンでのTDパスキャッチは12個 こ にとどまるが、ポストシーズンでは2003年 ねん のAFCチャンピオンシップから2005年 ねん のディビジョナル・プレーオフまで7試合 しあい 連続 れんぞく でTDパスキャッチを決 き めるなど大 だい 舞台 ぶたい で勝負 しょうぶ 強 つよ さを発揮 はっき した。スーパーボウルでの2TDを含 ふく むポストシーズン通算 つうさん 7TDパスキャッチはペイトリオッツ史上 しじょう 最多 さいた 記録 きろく である。2006年 ねん にテネシー・タイタンズ に移籍 いせき したが、5試合 しあい に出場 しゅつじょう したのち前 ぜん 十字 じゅうじ 靱帯 じんたい を断 だん 裂 きれ 。二度 にど とフィールドに戻 もど ってくることはなかった。2010年 ねん の6月 がつ にボストン の北部 ほくぶ 近郊 きんこう にEuphoria Lifestyle Café という飲食 いんしょく 店 てん をオープンし、自 みずか ら営業 えいぎょう している[ 48] [ 49] 。
シンシナティ・ベンガルズ からトレードで加入 かにゅう 。スーパーボウルに勝 か てるチームでのプレーを望 のぞ んだためであったが、そのシーズンにチーム記録 きろく となる1,635ヤードを獲得 かくとく するなどスーパーボウル優勝 ゆうしょう に貢献 こうけん した。この年 とし を含 ふく め4度 ど プロボウルに選出 せんしゅつ されている。05年 ねん はスランプに陥 おちい り、06年 ねん は新人 しんじん RBマロニーとの併用 へいよう が主 おも となった。07シーズン前 まえ に放出 ほうしゅつ され移籍 いせき 先 さき が見 み つからず引退 いんたい 。2010年 ねん に妻 つま への暴行 ぼうこう 容疑 ようぎ で逮捕 たいほ された[ 50] 。
ドラフト全体 ぜんたい 6位 い で入団 にゅうだん 。5度 ど のプロボウル、4度 ど のオールプロ選出 せんしゅつ を誇 ほこ るなど2000年代 ねんだい 最高 さいこう のディフェンス・ラインの一人 ひとり [ 51] としてペイトリオッツの3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは に大 おお きく貢献 こうけん した。09年 ねん シーズン直前 ちょくぜん にオークランド・レイダース へ、2011年 ねん ドラフト1巡 じゅん 指名 しめい 権 けん とトレードされた。
ピッツバーグ・スティーラーズ で4シーズン過 す ごしたがスターターになれず、2001年 ねん にペイトリオッツに加入 かにゅう 。LBながらゴール前 まえ のスペシャルプレイヤーとしてレギュラーシーズンで8つのTDレシーブを記録 きろく し、スーパーボウルでも2つのTDレシーブを決 き めた。ブレイベルいわく[ 52] 「練習 れんしゅう で僕 ぼく はいつもオープンだった。」 第 だい 38回 かい スーパーボウル では2サック、1ファンブル・フォース、1TDパスキャッチとMVP級 きゅう の活躍 かつやく を見 み せるなど3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは に大 おお きく貢献 こうけん した。現在 げんざい はテネシー・タイタンズ でヘッドコーチに就任 しゅうにん している。
ドラフト2巡 じゅん で加入 かにゅう 。ランディフェンスのスペシャリストとして活躍 かつやく し、3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは に貢献 こうけん した。脳震盪 のうしんとう に悩 なや まされ2005年 ねん シーズン前 まえ に引退 いんたい 。初期 しょき のアルツハイマー病 びょう の兆 きざ しがあると神経 しんけい 科 か 医 い に言 い われ、一 いち 時期 じき ほどではないが現在 げんざい も頭痛 ずつう や鬱 うつ に悩 なや まされている。それらに関 かん して2007年 ねん にベリチックへの批判 ひはん ともとれる発言 はつげん を行 おこな ったが[ 53] 、後 ご のインタビューで悪意 あくい を持 も っているわけではないと明 あ かした[ 54] 。2009年 ねん の9月 がつ からニューイングランド・スポーツ・ネットワーク で働 はたら いている[ 55] 。
2007年 ねん の1巡 じゅん 指名 しめい 。大学 だいがく 時代 じだい に発砲 はっぽう 事件 じけん を起 お こしており(チームメイトに発砲 はっぽう した加害 かがい 者 しゃ に対 たい しての正当 せいとう 防衛 ぼうえい であり、銃 じゅう も正当 せいとう に所有 しょゆう していたものであった)[ 56] 、FIU対 たい マイアミ大学 だいがく では相手 あいて 選手 せんしゅ に暴力 ぼうりょく 行為 こうい を働 はたら くなど、その素行 そこう に関 かん してドラフト時 じ は心配 しんぱい の声 こえ もあった[ 57] 。ロドニー・ハリソンの離脱 りだつ 後 ご スターターとして起用 きよう されると、以後 いご 世代 せだい 交代 こうたい が進 すす むなか主力 しゅりょく として活躍 かつやく 。2009年 ねん には自身 じしん 初 はつ のプロボウルに選出 せんしゅつ された。
ドラフト3巡 じゅん で加入 かにゅう 後 ご チーム一筋 ひとすじ でプレーした。チームが出場 しゅつじょう した6度 ど のスーパーボウルのうち5試合 しあい に出場 しゅつじょう している、まさにチーム史 し に残 のこ るディフェンスリーダー。ペイトリオッツの50周年 しゅうねん アニバーサリー・チームではディフェンス・キャプテンに選 えら ばれている。不動 ふどう のインサイドLBとしてフィールド上 じょう でペイトリオッツの3-4ディフェンス を指揮 しき した。2度 ど プロボウルに選出 せんしゅつ され、2005年 ねん シーズンには脳 のう 梗塞 こうそく で倒 たお れるもシーズン途中 とちゅう に復帰 ふっき しカムバック賞 しょう に輝 かがや いた。2009年 ねん シーズン直前 ちょくぜん に引退 いんたい 。ベリチックは会見 かいけん で涙 なみだ をこらえながら"the perfect player" と彼 かれ を讃 たた えた。現在 げんざい はESPN でフットボール解説 かいせつ 者 しゃ を務 つと めている。
ドラフト全体 ぜんたい 4位 い でチームに加入 かにゅう 。DEとしてもプレーし、王朝 おうちょう 時代 じだい のサックリーダーとして3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは に大 おお きく貢献 こうけん した。78サックはペイトリオッツ史上 しじょう 歴代 れきだい 3位 い の記録 きろく である。プロボウルにも2度 ど 選出 せんしゅつ 。2005年 ねん のワイルドカード・プレイオフで記録 きろく したポストシーズン1試合 しあい での4.5サック、ポストシーズン通算 つうさん 16サックはどちらもNFL最多 さいた 記録 きろく である[ 58] 。サラリーキャップの問題 もんだい で2006年 ねん に放出 ほうしゅつ され、クリーブランド・ブラウンズ でプレー。現在 げんざい は未 み 所属 しょぞく であるが事実 じじつ 上 じょう の引退 いんたい 状態 じょうたい にある。
サンディエゴ・チャージャーズ でプロボウルに12度 ど も選出 せんしゅつ された90年代 ねんだい を代表 だいひょう する選手 せんしゅ 。ドルフィンズを経 へ て2006年 ねん に古巣 ふるす のチャージャーズと1日 にち 契約 けいやく を結 むす び引退 いんたい したが、わずか4日 にち 後 ご にペイトリオッツと契約 けいやく 。2007年 ねん は全 ぜん 試合 しあい に出場 しゅつじょう しレギュラーシーズン全勝 ぜんしょう に貢献 こうけん した。2008年 ねん 、2009年 ねん にもシーズン途中 とちゅう でペイトリオッツに復帰 ふっき し2009シーズン終了 しゅうりょう 後 ご 、再度 さいど 引退 いんたい を表明 ひょうめい した。
ドラフト1巡 じゅん でチームに加入 かにゅう 。バンプなどを駆使 くし したフィジカルなパスカバーとハードなディフェンスで活躍 かつやく した。4度 ど のプロボウルと2度 ど のオールプロに選出 せんしゅつ され、第 だい 36回 かい スーパーボウル ではINTリターンタッチダウンを奪 うば うなど3度 ど のスーパーボウル制覇 せいは に貢献 こうけん した。NFL 2000年代 ねんだい オール・ディケイド・チーム にも選 えら ばれている。サラリー・キャップの問題 もんだい で2005年 ねん シーズン前 まえ に放出 ほうしゅつ され、ニューヨーク・ジェッツ などでプレーした。2005年 ねん には5度目 どめ のプロボウル選出 せんしゅつ を果 は たしている。2009年 ねん シーズンはデンバー・ブロンコス に在籍 ざいせき 。
ドラフト4巡 じゅん でチームに加入 かにゅう し、2度 ど のスーパーボウル制覇 せいは を味 あじ わった。スターターとなった当初 とうしょ は苦戦 くせん するが、2006年 ねん シーズンに目覚 めざ ましい活躍 かつやく を見 み せチャンプ・ベイリー と並 なら ぶリーグ最多 さいた の10INTを記録 きろく した。現在 げんざい はフィラデルフィア・イーグルス に在籍 ざいせき 。
2009年 ねん のドラフト7巡 じゅん 指名 しめい で加入 かにゅう 。高校 こうこう 、大学 だいがく とQBとしてプレーし、機動 きどう 力 りょく を生 い かして大学 だいがく ではパスで1820ヤード13TD、ランでは1,551ヤード13TDをあげた。NFLコンバインには招待 しょうたい されなかったが、プロデイで彼 かれ は20ヤード・ショート・シャトルにて3秒 びょう 92という成績 せいせき を残 のこ しており、これはコンバインに参加 さんか したすべての選手 せんしゅ より速 はや いタイムであった。ペイトリオッツではブレッドソーが2001年 ねん シーズンを最後 さいご にチームを去 さ って以来 いらい 、誰 だれ もつけていなかった背番号 せばんごう 11を実 じつ に8シーズンぶりに背負 せお うこととなった。ワイルドキャット・フォーメーションでの起用 きよう が主 おも かと思 おも われていたが[ 59] 、プレシーズン第 だい 1週 しゅう でWRとしてプレーしパントリターンTDをあげるなどの活躍 かつやく を見 み せファンを驚 おどろ かせた。レギュラーシーズンは怪我 けが にも悩 なや まされたが、ウェルカーを欠 か いたディビジョナル・プレーオフではNFLのルーキーWRとしては1995年 ねん シーズン以来 いらい の2TDキャッチを決 き めるなど、完敗 かんぱい したチームにあって一 いち 人気 にんき を吐 は いた。なお身長 しんちょう が6'0フィートとなっていることが多 おお いが、実際 じっさい には5'10フィートである[ 60] 。
2009年 ねん ドラフト2巡 じゅん 指名 しめい の期待 きたい のラインマン。ドイツ 生 う まれ、14歳 さい までフットボールの経験 けいけん が全 まった くなかったというNFL選手 せんしゅ としては異色 いしょく の経歴 けいれき の持 も ち主 ぬし 。大学 だいがく 2年生 ねんせい まではTEとしてプレーしており、ヒューストン大学 だいがく に入学 にゅうがく した当初 とうしょ は英語 えいご をかろうじて話 はな せる程度 ていど であった。ルーキーシーズンではマット・ライトやニック・カイザー が怪我 けが で離脱 りだつ したこともあり14試合 しあい に出場 しゅつじょう 。当時 とうじ 12試合 しあい (レギュラーシーズンでは11試合 しあい )連続 れんぞく サックを記録 きろく していたコルツのDEドワイト・フリーニー をTEの助 たす けを借 か りながらとはいえ封 ふう じきるなど(この試合 しあい はフリーニーが出場 しゅつじょう した試合 しあい でサックを記録 きろく できなかった2009年 ねん シーズン唯一 ゆいいつ の試合 しあい となった)、両 りょう サイドのTとして活躍 かつやく した。
2004年 ねん のドラフト1巡 じゅん 指名 しめい 選手 せんしゅ で、チームの3-4ディフェンスを支 ささ える147キロの巨漢 きょかん NT。2度 ど のプロボウル、1度 ど のオールプロ選出 せんしゅつ 。プロデイでの彼 かれ の40ヤード走 はし のタイムは、コンバインでのブレイディの記録 きろく よりも速 はや い[ 61] 。
2008年 ねん の1巡 じゅん 指名 しめい で、同 どう シーズンの最優秀 さいゆうしゅう 守備 しゅび 新人 しんじん 選手 せんしゅ に選出 せんしゅつ された。翌 よく シーズンは怪我 けが にも悩 なや まされたがチームトップの103タックルを記録 きろく 。ブルースキーが去 さ ったチームにあって、新 あら たなディフェンスリーダーとして入団 にゅうだん している。なお、2015年 ねん 引退 いんたい の後 のち 2019年 ねん からはチームのインサイド・ラインバッカーコーチに就任 しゅうにん し、2024年 ねん シーズンからはヘッドコーチとなった。
2007年 ねん 、開幕 かいまく 戦 せん で相手 あいて チームのディフェンスシグナルを盗 ぬすめ 撮 つまみ 。通称 つうしょう 「スパイゲート」。詳細 しょうさい は「
Spygate (
英語 えいご 版 ばん )」を
参照 さんしょう
2015年 ねん 、AFCチャンピオンシップゲームで、細工 ざいく を加 くわ えたボールを使 つか ったとされる疑惑 ぎわく 。通称 つうしょう 「デフレートゲート」。
2019シーズン 中 なか 、チームのビデオクルーがシンシナティ・ベンガルズ のサイドラインを盗 ぬすめ 撮 うつ していたことにより、2020年 ねん 6月 がつ 29日 にち 、NFLから罰金 ばっきん 110万 まん ドルを科 か され、2021年 ねん ドラフト3巡 じゅん 目 め 指名 しめい 権 けん を剥奪 はくだつ された[ 62] 。
^ ネーミングライツ でビール メーカーの名前 なまえ 「シェーファースタジアム」(1971年 ねん から1983年 ねん )、その後 ご ペイトリオッツのオーナー一族 いちぞく の名前 なまえ 「サリバン・スタジアム」(1983年 ねん から1989年 ねん まで)と呼 よ ばれた。
^ 彼 かれ は12年間 ねんかん ペイトリオッツのオフェンスラインを支 ささ えた。
^ プランケットは後 のち にレイダースで2度 ど のスーパーボウル制覇 せいは を果 は たす
^ 大雪 おおゆき の中 なか 行 おこな われたこの試合 しあい ではペイトリオッツのFG前 まえ に雪 ゆき かきが行 おこな われFGが決 き まった。この試合 しあい 以降 いこう 試合 しあい 中 ちゅう に雪 ゆき かきは行 おこな えないようになった。
^ この年 とし のドラフト1巡 じゅん 目 め で指名 しめい されたQB6人 にん の中 なか では4人 にん 目 め の指名 しめい を受 う けている。
^ 2005年 ねん にピッツバーグ・スティーラーズ のベン・ロスリスバーガー が第 だい 40回 かい スーパーボウル で勝利 しょうり し、記録 きろく を塗 ぬ り替 か える。
^ ロドニー・ハリソン・ルールとも言 い われている。1978年 ねん から反則 はんそく とされている「不正 ふせい な手 て の使用 しよう 」(illegal use of hands)をさらに厳 きび しく取 と るようにしたもの。もともとタイ・ローはバンプ などを駆使 くし したフィジカルなプレーが得意 とくい なCBであったが、この試合 しあい で彼 かれ を筆頭 ひっとう にペイトリオッツDB陣 じん が見 み せたレシーバーに対 たい する執拗 しつよう なジャミングは反則 はんそく を取 と られるようになった。以後 いご ディフェンスのパス・インターフェアランス、ホールディング、イリーガル・コンタクトなどは総 そう じて従来 じゅうらい より厳 きび しく取 と られるようになり、レシーバーとディフェンダーとの接触 せっしょく プレーは全体 ぜんたい 的 てき にレシーバー有利 ゆうり に反則 はんそく が取 と られるようになった。
^ 2009年 ねん シーズンにコルツがレギュラーシーズン23連勝 れんしょう を果 は たし記録 きろく を塗 ぬ り替 か える。なおプレーオフを含 ふく んでの連勝 れんしょう 記録 きろく はペイトリオッツが2003年 ねん から2004年 ねん シーズンにかけて達成 たっせい した21連勝 れんしょう 。
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球団 きゅうだん 歴代 れきだい 本拠地 ほんきょち 文化 ぶんか 永久 えいきゅう 欠番 けつばん リーグ優勝 ゆうしょう (6回 かい ) カンファレンス優勝 ゆうしょう (11回 かい ) 地区 ちく 優勝 ゆうしょう (22回 かい )できごと 所属 しょぞく
1960年代 ねんだい 1970年代 ねんだい 1980年代 ねんだい 1990年代 ねんだい 2000年代 ねんだい 2010年代 ねんだい 2020年代 ねんだい
年代 ねんだい の分類 ぶんるい は初 はつ 先発 せんぱつ のシーズンによる
アクティブ
リザーブ リスト
Practice squad