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ラスベガス・レイダース

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラスベガス・レイダース
Las Vegas Raiders
創設そうせつ 1960ねん1がつ30にち (64ねんまえ) (1960-01-30)
AFL参入さんにゅう 1960ねんシーズン
所属しょぞく地区ちく
  • NFL(1970-現在げんざい
    • AFC(1970-現在げんざい
西にし地区ちく(1970-現在げんざい
  • AFL(1960-1969)
西にし地区ちく(1960-1969)
チームデザイン
チームロゴ

交差こうささせたけん盗賊とうぞく
チームカラー
  くろ
  ぎん
ユニフォーム
チームめい
  • ラスベガス・レイダース(2020-現在げんざい
    • オークランド・レイダース(1995-2019)
    • ロサンゼルス・レイダース(1982-1994)
    • オークランド・レイダース(1960-1981)
ホームタウン
ラスベガス・レイダースの位置(アメリカ合衆国内)
2020-現在
2020-現在げんざい
1960-1981 1995-2019
1960-1981
1995-2019
1982-1994
1982-1994

ネバダしゅうパラダイス(2020-現在げんざい
カリフォルニアしゅうオークランド(1995-2019)
カリフォルニアしゅうロサンゼルス(1982-1994)
カリフォルニアしゅうオークランド(1962-1981)
カリフォルニアしゅうサンフランシスコ(1960-1961)

アレジアント・スタジアム(2020-現在げんざい
リングセントラル・コロシアム
 オー・ドットコー・コロシアム
 マカフィー・コロシアム
 ネットワークアソシエイツ・コロシアム
 オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム
(1966-1981、1995-2019)
ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム(1982-1994)
フランク・ヨウエル・フィールド英語えいごばん(1962-1965)
キャンドルスティック・パーク(1961)
キーザー・スタジアム英語えいごばん(1960)

永久えいきゅう欠番けつばん
  • なし
獲得かくとくタイトル
スーパーボウル創設そうせつ(1966ねん以降いこう
スーパーボウル・チャンピオン (3かい)
カンファレンス・チャンピオン (4かい)
AFC
地区ちく優勝ゆうしょう (12かい)
きゅうAFC西にし地区ちく
AFC西にし地区ちく
ワイルドカード(7かい)
プレーオフ進出しんしゅつ(23/58かい)
AFL(1960-1969)における実績じっせき
AFLチャンピオン
地区ちく優勝ゆうしょう
AFL西にし地区ちく
球団きゅうだん組織そしき
オーナー マーク・デービス英語えいごばん
キャロル・デービス英語えいごばん
GM トム・テレスコ
ヘッドコーチ アントニオ・ピアース

ラスベガス・レイダース英語えいご: Las Vegas Raiders略称りゃくしょう: LV)は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくネバダしゅうラスベガス都市としけんパラダイス本拠地ほんきょちをおくNFLチーム。AFC西にし地区ちく所属しょぞくしている。ホームスタジアムはアレジアント・スタジアムで、本社ほんしゃおなじネバダしゅうヘンダーソン位置いちしている。

概要がいよう[編集へんしゅう]

1960ねん1がつ30にちAFL誕生たんじょうとともに、カリフォルニアしゅうオークランド本拠地ほんきょちとするオークランド・レイダース(Oakland Raiders)として設立せつりつされた[ちゅう 1]。その1970ねんのAFLとNFLの合併がっぺいに、NFLに加盟かめいし、以降いこうAFC西にし地区ちく所属しょぞくしている。1982ねんから1994ねんまで、本拠地ほんきょちロサンゼルスうつし、ロサンゼルス・レイダース(Los Angeles Raiders)に改名かいめいするも、1995ねんより、ふたたびオークランドを本拠地ほんきょちとしていた。オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム老朽ろうきゅうから移転いてん課題かだいとなっていたが、2017ねん3月のオーナー投票とうひょうで、ネバダしゅうラスベガスへの移転いてん可決かけつされ、2020ねん1がつ22にちにラスベガス都市としけんアレジアント・スタジアム本拠地ほんきょちとしている[1]

チーム創設そうせつの3年間ねんかん1960ねんから1962ねん)は、よわいチーム状況じょうきょう財政難ざいせいなん観客かんきゃく動員どういんすう減少げんしょうなやまされていたが、1963ねんにのちにオーナーとなるアル・デービスヘッドコーチ就任しゅうにんしたことで、チーム状況じょうきょうおおきく改善かいぜんされた。1967ねん、チームははじめてポストシーズンに進出しんしゅつし、はつAFLチャンピオンシップ獲得かくとくした。だい2かいスーパーボウルでは、グリーンベイ・パッカーズやぶれている。それ以降いこう、チームは地区ちく優勝ゆうしょう15かい(AFL3かい、NFL12かい)、AFCチャンピオンシップ4かい1976198019832002)、AFLチャンピオンシップ1かい1967)、そしてだい11かい(1976)、だい15かい(1980)、だい18かい(1983)と3スーパーボウル制覇せいはたしている。

アル・デービスは、1972ねんからオーナーとしてチームを所有しょゆうしており、2011ねんくなったのちは、息子むすこマーク・デービス英語えいごばん未亡人みぼうじんキャロル・デービス英語えいごばん共同きょうどう経営けいえいけん維持いじしている。レイダースは、幅広はばひろいファンそう独特どくとくのチーム文化ぶんかられている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

AFL[編集へんしゅう]

1960ねん1がつオークランドフランチャイズ獲得かくとくオークランド・レイダースとして創立そうりつされた、AFL設立せつりつのチームのひとつである。レイダースは、エクスパンション・フランチャイズを獲得かくとくしてAFLのフランチャイズを放棄ほうきしたミネソタ(NFLのミネソタ・バイキングズとなった)にわって、しんリーグ8番目ばんめのフランチャイズとなった[2]

チーム創立そうりつ当時とうじのオークランドは、プロフットボールの本拠ほんきょてきしたとはえなかった。地元じもとにチームをもとめるこえはなく、オーナーシップ・グループも形成けいせいされておらず、プロフットボールの試合しあい開催かいさいできるスタジアムも存在そんざいしなかったうえに(近隣きんりんでは、バークレーサンフランシスコにスタジアムが所在しょざい)、サンフランシスコわんエリアではすでにサンフランシスコ・49ers人気にんきあつめていた。しかし、ロサンゼルス・チャージャーズ(のちにサンディエゴへ移転いてん現在げんざいふたたびロサンゼルス)のオーナーであるバロン・ヒルトンが、西海岸にしかいがんにもうひとつチームが設立せつりつされなければチャージャーズのフランチャイズを放棄ほうきすると宣言せんげんしたため、AFLのオーナーじんは、西海岸にしかいがんだい2のチームの本拠地ほんきょちとしてオークランドを選択せんたくした。このときヒルトンは、アトランタからの誘致ゆうち拒否きょひしている。

フランチャイズを獲得かくとくしたオークランドの市民しみん代表だいひょうメンバーは、このあたらしいチームへの投資とうし意欲いよく実業じつぎょうつのる。このチームの経営けいえいたいとして、リミテッド・パートナーシップが設立せつりつされた。地元じもと不動産ふどうさん開発かいはつ業者ぎょうしゃであるマネジメント・ジェネラル・パートナー、チェット・ソーダを筆頭ひっとうに、ジェネラル・パートナーとしてハーベイ・ビンズ、ドン・ブレッシング、チャールズ・ハーネイ、エド・マクガー、ロバート・オズボーン、ウェイン・バリーがつらね、このほか多数たすうのリミテッド・パートナー(有限ゆうげん責任せきにん構成こうせいいん)が出資しゅっしした。地方ちほうによりチームめい募集ぼしゅうのコンテストが開催かいさいされ、オークランド・セニョールズが選出せんしゅつされたが、これは地元じもとのジョークのたねになり、すう週間しゅうかん、オーナーじんはチームめいをコンテストだい3の「レイダース」に変更へんこうした。当初とうしょのチームカラーは、くろきむしろの3しょくであった。お馴染なじみの、ヘルメットをこうむった海賊かいぞく(または "簒奪さんだつしゃ")のエンブレムは、俳優はいゆうランドルフ・スコット演出えんしゅつによるものとつたえられる。

バークリーのカリフォルニア・メモリアル・スタジアムをホーム・ゲーム使用しようすることをカリフォルニア大学だいがく拒否きょひされたため、サンフランシスコのキーザー・スタジアム英語えいごばんをホームとすることになった。レイダースの最初さいしょのレギュラー・シーズンのホーム・ゲームは、1960ねん9がつ11にち開催かいさいされ、レイダースはヒューストン・オイラーズ(げんテネシー・タイタンズ)に 22たい37 でやぶれた。最初さいしょのシーズンの成績せいせきは6しょう8はいで、チームは50まんドルの損失そんしつ計上けいじょうした。1961ねん1がつ17にちにソーダがフランチャイズのパートナーをめ、エド・マクガー、ウェイン・バリー、ロバート・オズボーンの3めいのパートナーからレイダースのオーナーシップをげた。このとし、レイダースはキャンドルスティック・パークうつり、2しょう12はいでシーズンを終了しゅうりょう。シーズン全体ぜんたいでの観客かんきゃく動員どういんすうは、やく5まんにんだった。バリーは、オークランド市内しないにスタジアムを建設けんせつしないかぎり、レイダースの本拠地ほんきょちえると宣言せんげんする。

1962ねん、レイダースははじめて、オークランド市内しないのスタジアム、座席ざせきすう1まん8せん(のちに2まん2せんせき拡張かくちょう)のフランク・ヨウエル・フィールド英語えいごばんうつる。ただしこれは、建設けんせつちゅうオークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアム完成かんせいするまでの一時いちじてきなホームであった。1962ねんのシーズンは 1しょう13はいわった。緒戦しょせんから13連敗れんぱいし、最後さいごの1試合しあいはつ勝利しょうりげた。観客かんきゃく動員どういんすう低迷ていめいつづける。

1962ねんのシーズン、バリーは、サンディエゴ・チャージャーズ(げんロサンゼルス・チャージャーズ)のぜんアシスタント・コーチであるアル・デービスを、ヘッドコーチけんゼネラルマネージャーとして招聘しょうへいする。当時とうじデービスは33さい、プロ・フットボール史上しじょう最年少さいねんしょうでこの役職やくしょくいた[3]。デービスは、チームカラーをぎんくろ変更へんこうした。これはしゅとして、当時とうじのほとんどの視聴しちょうしゃていた白黒しろくろテレビの画面がめんで、えるいろだったことによる。デービスの指揮しきもと、チーム成績せいせきは10しょう4はい上昇じょうしょう、デービスはAFLの年間ねんかん最優秀さいゆうしゅうコーチに選出せんしゅつされた[3]1966ねん、デービスはレイダースをり、AFLのコミッショナーに就任しゅうにんする[3]

1967ねん、チームはジョン・ラウチヘッドコーチのもと、レイダースはヒューストン・オイラーズを40-7とくだしてAFLチャンピオンシップを獲得かくとくする。この勝利しょうりにより、だい2かいスーパーボウル出場しゅつじょうするが、ヴィンス・ロンバルディひきいるグリーンベイ・パッカーズに14-33でやぶれた。

1968ねん11月17にちハイジ・ゲームばれることになる有名ゆうめいなゲームに勝利しょうりした。当時とうじのアメリカンフットボールの試合しあいは3時間じかん以内いないにほぼおさまっておりニューヨーク・ジェッツとのこの試合しあいNBCによって放送ほうそうされていたが東部とうぶ標準時ひょうじゅんじ中部ちゅうぶ標準時ひょうじゅんじでは試合しあい開始かいしから3あいだ経過けいかしたのこ時間じかん65びょうでジェッツがFGをめて32-29とリードしたところで放送ほうそう終了しゅうりょう当初とうしょ予定よていどおりアルプスの少女しょうじょハイジHeidi)にわった。NBCは2あいだ映画えいがのハイジのスポンサー、タイメックスとの契約けいやくがありフットボールの試合しあい終了しゅうりょうとは関係かんけいなく予定よていどお放送ほうそうえたのだが、そのレイダースのオフェンスがTDをあげ、さらにキックオフでもジェッツのファンブルしたボールをリカバーしだめしのTDをあげて43-32でレイダースが勝利しょうりした。放送ほうそう中断ちゅうだんしたことにたいして抗議こうぎ電話でんわ殺到さっとう翌日よくじつ、NBCのジュリアン・グッドマン社長しゃちょう謝罪しゃざいすることとなった。またこの試合しあい以降いこうテレビ局てれびきょくはアメリカンフットボール中継ちゅうけい長引ながびいたさいには以後いご番組ばんぐみげるように変更へんこうしている[4][5]。2010ねん発行はっこうのTVガイドでもこの失態しったいだい5にランクされている[6]

1969ねんジョン・マッデンが6代目だいめヘッドコーチに就任しゅうにんした。チームは1970年代ねんだいに6地区ちく優勝ゆうしょうたしNFL屈指くっしのフランチャイズに成長せいちょうした。

NFL[編集へんしゅう]

オークランド時代じだい[編集へんしゅう]

1970ねん、AFLとNFLの合併がっぺいにより、レイダースはNFLAFC西にし地区ちく所属しょぞくとなる。この合併がっぺいは、デービスににがおもいをのこした。かれは、メジャーリーグ同様どうように、単一たんいつのドラフト制度せいどもとで、独立どくりつした2リーグでシーズンをたたかい、最後さいごにリーグ優勝ゆうしょう決定けっていする、というプロ・フットボールのビジョンをっていた。かれは、AFLのオーナーたちが、NFLのフランチャイズを獲得かくとくしたいがためにAFL消滅しょうめつしたのだ、かれらに裏切うらぎられた、とかんじていた。デービスは、かれ自身じしんのような「フットボール・マン」が、門外漢もんがいかんまぐれに左右さゆうされることに不満ふまんいた。これにより、デービスの目標もくひょうは、かれ自身じしんがオーナーとなることにえられた。AFLコミッショナーというしょくうしなったデービスは、レイダースへの復帰ふっきをバリーと交渉こうしょうする。デービスは、チームのオーナーとして、また、フットボール運営うんえい責任せきにんうパートナーとして、レイダースに復帰ふっきする。

1972ねん、バリーがミュンヘンオリンピック観戦かんせん渡航とこうしていたすうしゅうあいだに、デービスの弁護士べんごしは、デービスにレイダース運営うんえい全権ぜんけんゆだねる内容ないようの、パートナーシップ契約けいやく改正かいせいあん作成さくせいする。マクガーは、この契約けいやくにサインした。ジェネラル・パートナーの投票とうひょう結果けっかが2たい1となったため、パートナーシップほうにもとづいて、このあたらしい契約けいやく承認しょうにんされた。バリーはこれに気付きづいて激怒げきどし、すぐにあたらしい契約けいやく内容ないようしをもとめて訴訟そしょうこした。勝訴しょうそしたのは、デービスとマクガーであった。結果けっか、バリーはレイダースの所有しょゆうけん売却ばいきゃくし、チームの所有しょゆうけんのごく一部いちぶしかたないデービスがチームを掌握しょうあくすることになった。こののちレイダースはデービスの意向いこうがそのままチームに反映はんえいされて運営うんえいされるようになった[3]。チームはデービスの信念しんねんである「よりとおくよりふかく」をけ、ギャンブル要素ようそたかいディープ・ロングパスが多用たようされた。

1972ねん12月23にちのプレーオフ、ピッツバーグ・スティーラーズせんではのこ時間じかん1ふん17びょうダリル・ラモニカをリリーフしたケン・ステイブラーの30ヤードのTDランで7-6とリードしたがそのテリー・ブラッドショーからジョン・フッカへのパスにたいするジャック・テイタムのヒットによりおおきくかれたボールがフランコ・ハリスにすっぽりおさまりTDをゆるやぶれた。

1973ねんから1975ねんまでチームはAFCチャンピオンシップゲーム連続れんぞく出場しゅつじょうしたがいずれも敗退はいたい、そのうち2かいピッツバーグ・スティーラーズ相手あいてであった。

1974ねん、NFLベストの12しょう2はいでAFC西にし地区ちく優勝ゆうしょうたしたチームはスーパーボウル3連覇れんぱ目指めざマイアミ・ドルフィンズ対戦たいせんした。試合しあい終了しゅうりょう直前ちょくぜん、サックされそうになったケン・ステイブラーは、3にんのディフェンスにかこまれたクラレンス・デービスへのTDパスを成功せいこうさせ、チームは勝利しょうりしたが[7]翌週よくしゅうピッツバーグ・スティーラーズにやぶれた。

1975ねん、9月22にちマイアミ・ドルフィンズとの開幕かいまくせんマンデーナイトフットボールで、ハロルド・ハートが102ヤードのキックオフリターンTDをあげた[8]。このとしのAFCチャンピオンシップゲームでは、ジョージ・アトキンソンリン・スワンにハードヒットし、脳震盪のうしんとうこさせた[9]

1976ねん開幕かいまくせんはスーパーボウル3連覇れんぱ目指めざすスティーラーズとのたたかいでは、ディフェンスにおおくの怪我人けがにんかかえたレイダースは苦戦くせんしたがオーバータイムのすえフレッド・スタインフォルト決勝けっしょうFGで勝利しょうりした。この試合しあいでもアトキンソンはスワンにハードヒットをおこない、スワンは一時いちじ意識いしきうしなった。これにたいしてスティーラーズとチャック・ノールヘッドコーチは、アトキンソンを裁判さいばんうったえ、最終さいしゅうてきにアトキンソンは敗訴はいそした[9]。レギュラーシーズンも13しょう1はいえた。プレーオフでもチャンピオンシップゲームでスティーラーズを24-7でやぶり、よく1977ねん1がつおこなわれただい11かいスーパーボウル出場しゅつじょうミネソタ・バイキングスを32-14でやぶりスーパーボウルはつ制覇せいはたした。MVPにはTDパスこそないものの、得点とくてんにからむ重要じゅうようなパスをキャッチしたフレッド・ビレトニコフえらばれた[10]

1977ねん12月24にちのプレーオフ、ボルチモア・コルツせんデイブ・キャスパー背中せなかしでケン・ステイブラーからけたパスはゴースト・トゥー・ザ・ポストとしてられるプレーとなった[11][12][13]

1978ねん9がつ10日とおかサンディエゴ・チャージャーズせんでの試合しあい終了しゅうりょう直前ちょくぜんケン・ステイブラーがファンブルしてエンドゾーン方向ほうこうころがったボールをデイブ・キャスパーがリカバーし決勝けっしょうTDをあげた試合しあい物議ぶつぎかもしそのルール変更へんこうおこなわれるきっかけとなった。

スーパーボウル優勝ゆうしょう1かい、10シーズン連続れんぞくしの成績せいせきのこしマッデンは1979ねんにレイダースをりフットボール解説かいせつしゃとなった。マッデンの後任こうにんはレイダースのもとクォーターバックだったトム・フローレス就任しゅうにんした。かれヒスパニックはつのNFLヘッドコーチであった。

1980ねん、チームはロサンゼルスへの移転いてん計画けいかくしたが、裁判所さいばんしょから禁止きんし命令めいれいた。デービスはNFLにたいしてはんトラスト訴訟そしょうこした[3]。このとしだい5しゅう先発せんぱつQBのダン・パストリーニあし骨折こっせつした時点じてんでチームは2しょう3はいであった[14]。しかしその、かつてNFLドラフト全体ぜんたい1指名しめいけた、ひかえQBのジム・プランケットらの活躍かつやくにより11しょう5はいワイルドカードでプレーオフに進出しんしゅつヒューストン・オイラーズを27-7、クリーブランド・ブラウンズを14-12、サンディエゴ・チャージャーズを34-27でやぶりチームはだい15かいスーパーボウル出場しゅつじょうたした。フィラデルフィア・イーグルスとのスーパーボウルでは27-10でやぶり2度目どめ優勝ゆうしょうたした。MVPにはスーパーボウル記録きろくとなるケニー・キングへの80ヤードのTDパスをふくむ3ほんのTDパスをめたプランケットがえらばれた。またこの試合しあいでLBロッド・マーティンがこれまたスーパーボウル記録きろくとなる3インターセプトをロン・ジャウォースキーからうばった。ワイルドカードからスーパーボウルに優勝ゆうしょうしたのはレイダースがはつであった[15][16]

ロサンゼルス移転いてん[編集へんしゅう]

1983ねんシーズンのスーパーボウル制覇せいはにも貢献こうけんしたRBマーカス・アレン

1982ねん6がつ連邦れんぽう地方裁判所ちほうさいばんしょでデービスは勝訴しょうそ[3]、レイダースは本拠地ほんきょちカリフォルニアしゅうロサンゼルスへの移転いてん承認しょうにんをNFLのオーナー会議かいぎもとめた。承認しょうにんには全体ぜんたいの3/4が必要ひつようであったが、賛成さんせい22ひょう反対はんたい0ひょう(5にん投票とうひょう棄権きけん)で移転いてん承認しょうにんされ、ロサンゼルス・レイダースとなり、ロサンゼルス・メモリアル・コロシアムでホームゲームをたたかうことになった。ストライキ短縮たんしゅくされた1982ねんのシーズンを8しょう1はいえてプレーオフに出場しゅつじょうしたが2回戦かいせんニューヨーク・ジェッツやぶれた。よく1983ねんを12しょう4はいえてスティーラーズ、シアトル・シーホークスをプレーオフでやぶだい18かいスーパーボウル出場しゅつじょうワシントン・レッドスキンズを38-9でやぶり3度目どめ優勝ゆうしょうたした。この試合しあいではスーパーボウル記録きろくとなるラン獲得かくとく191ヤード、74ヤードのTDランをあげたマーカス・アレンがMVPとなった。また38得点とくてん当時とうじのスーパーボウル記録きろくとなった[17]

その2シーズンはプレーオフに出場しゅつじょうしたが、1986ねんから1989ねんは8しょう8はい以上いじょう成績せいせきをあげることができず、1987ねん-1988ねんには1961ねん-1962ねん以来いらいとなる2ねん連続れんぞくしをあじわった。1987ねんを5しょう10はいえるとフローレスはフロントりし、デンバー・ブロンコスのオフェンスアシスタントコーチだったマイク・シャナハン後任こうにんヘッドコーチとなった。このとし、レイダースは野球やきゅうとフットボールをつアスリートでハイズマンしょう受賞じゅしょうしゃボー・ジャクソンドラフト獲得かくとくするが、ジャクソンは前年ぜんねんタンパベイ・バッカニアーズに1じゅん指名しめいされたときに、フットボールはプレーしないと表明ひょうめいしていた[18]。デービスはジャクソンに傾倒けいとうし、スターRB、マーカス・アレンとデービスの関係かんけいおおきな亀裂きれつしょうじた[19]のちにアレンはカンザスシティ・チーフス移籍いせきすることになる。

1987ねんにアル・デービスはロサンゼルス・コロシアムの周辺しゅうへん治安ちあんわるいためあたらしいスタジアムの候補こうほさがしていた[20]。このとしドラフト4じゅんでQBスティーブ・バーライン指名しめいした。1988ねんにヒューストン・オイラーズとのプレシーズンゲームがオークランドで開催かいさいされるとレイダースはオークランドにもどるのではないかといったうわさながれた[21]。1989ねん1がつからデービスとオークランドあいだ交渉こうしょうはじめられ1991ねん3がつ11にちにオークランドに移転いてんすることが発表はっぴょうされた[22]この途中とちゅうの1990ねん9がつ11にちにはオークランドのファンが交渉こうしょうすすまないことにいかり、レイダースのTてぃーシャツやジャージーをやす事件じけんきた[23]

1988ねん、チームはワシントン・レッドスキンズジム・ラシェイをトレードしジェイ・シュローダー獲得かくとくした。だい4しゅうてきマイル・ハイ・スタジアムおこなわれたデンバー・ブロンコスとのマンデーナイトフットボール先発せんぱつQBのシュローダーはパス8ほんちゅう2ほんしか成功せいこうできず、オフェンスの獲得かくとくヤードは39-254と圧倒あっとうされ、チームは0-24とリードされてハーフタイムをむかえた。おおくのテレビ聴者ちょうしゃソウルオリンピックにチャンネルをえたが後半こうはんはいスティーブ・スミスへの2ほんのTDパス、キックオフでのレジー・マッケンジーのファンブルフォースでチャンスを獲得かくとくするとマーカス・アレンのTDで同点どうてんいついた。リッチ・カーリスのFGでふたたび3てんリードされたもののこのとしそれまで30ヤード以上いじょうのFG4ほんすべてを失敗しっぱいしていたクリス・バーのこり8びょうに44ヤードのFGを成功せいこうしオーバータイムにんだ。新人しんじんティム・ブラウンが74ヤードのパントリターンTDをめたかにえたが反則はんそく無効むこうとなったものの最後さいごはバーのFGでチームは24てんからの逆転ぎゃくてんげきえんじた[24]

1989ねんのシーズン開幕かいまく1しょう3はいとなったところで、デービスはシャナハンヘッドコーチを解任かいにんし、レイダースのタックルだったアート・シェル後任こうにんえる。シェルは、近代きんだいNFLはつアフリカけいアメリカじんのヘッドコーチとなった[25]。シェルは1990ねんのシーズンでレイダースをAFCチャンピオンシップみちびいたが、バッファロー・ビルズに51たい3と大敗たいはいした。

この敗戦はいせん、チームは下降かこうせん辿たどる。1990年代ねんだいプレイオフ出場しゅつじょうは2かい、AFC西にし地区ちく5チームちゅう3以上いじょう成績せいせきおさめたのは3かいのみであった。1990ねんボー・ジャクソン引退いんたい原因げんいんとなる負傷ふしょう問題児もんだいじのQB、トッド・マリノビッチ不祥事ふしょうじ1993ねんマーカス・アレン退団たいだんのちプロフットボール殿堂でんどうりをたすディフェンシブラインマンハウィー・ロングが1993ねんのシーズン引退いんたいと、レイダースのいち時代じだいわりをげる。

1990ねん、チームはAFCチャンピオンシップゲームまで進出しんしゅつしたがバッファロー・ビルズに3-51でやぶれた。

1991ねん、ドラフト1じゅんでQBトッド・マリノビッチ獲得かくとくした[26]。マリノビッチはエースQBシュローダーが負傷ふしょう欠場けつじょうしたシーズン最終さいしゅうしゅうカンザスシティ・チーフスせん先発せんぱつ出場しゅつじょう試合しあいにはやぶれたものの3TDパスをめるという活躍かつやくせた。しかし翌週よくしゅうのプレーオフ、チーフスとの再戦さいせんではTDパスなし、4インターセプトと散々さんざん内容ないようやぶれた。

マリノビッチは1993ねんシーズン開幕かいまくまえに3度目どめマリファナ陽性ようせい反応はんのうてチームから解雇かいこされた[26]。このとしまえニューヨーク・ジャイアンツのQBジェフ・ホステトラー契約けいやくした。

オークランドさい移転いてん[編集へんしゅう]

1995ねん6月23にち、アル・デービスは、レイダースの本拠地ほんきょちをオークランドにもどむね同意どういしょにサインする[3]。この移転いてん盛大せいだい歓迎かんげいけ、1995ねんシーズン、しんヘッドコーチのマイク・ホワイトした、チームは8しょう2はい好調こうちょうなスタートをったがエースQBのジェフ・ホステトラー負傷ふしょうにより、チームはシーズン終了しゅうりょうまで6連敗れんぱいきっし、プレーオフ進出しんしゅつはならなかった。

1996ねんまえシンシナティ・ベンガルズのQBデビッド・クリングラー契約けいやくした。

ホワイト、ジョー・ビューゲルした、3シーズン好成績こうせいせきおさめられなかったのち1998ねんにアル・デービスは、過去かこ所属しょぞく選手せんしゅからヘッドコーチを選任せんにんするというかれ慣習かんしゅうげ(これはフランチャイズ史上しじょう2度目どめ例外れいがいだった)、フィラデルフィア・イーグルス攻撃こうげきコーディネーターだったジョン・グルーデンヘッドコーチむかえる。グルーデンは、サンフランシスコ・49ersのヘッドコーチビル・ウォルシュもとでアシスタントコーチとしてキャリアを開始かいしした人物じんぶつだった。グルーデンの指揮しきした、レイダースは、それまでのシーズンにはけていた規律きりつってプレーしはじめる。

ディフェンス選手せんしゅ唯一ゆいいつハイズマンしょう受賞じゅしょうしゃチャールズ・ウッドソン

2000ねん、グルーデン指揮しきの3度目どめのシーズン、チームはこの10年間ねんかん最高さいこう成績せいせきげた。ベテランQB、リッチ・ギャノンひきいるチームは12しょう4はい成績せいせきおさめ、AFCチャンピオンシップ進出しんしゅつしたが、ギャノンは相手あいてのヒットにより負傷ふしょう退場たいじょう[27]、このとしのスーパーボウルを制覇せいはしたボルチモア・レイブンズに3-16とやぶれた。なおその試合しあいの3週間しゅうかんおこなわれたプロボウルでギャノンはMVPにえらばれた[27]

レイダースは、2001ねんシーズンの開幕かいまくまえに、通算つうさんレシーブ記録きろく保持ほじするジェリー・ライス獲得かくとくした。シーズン成績せいせきは10しょう6はいだったが、ディビジョナル・プレーオフで、そのとしのスーパーボウル覇者はしゃニューイングランド・ペイトリオッツやぶれた。この試合しあい物議ぶつぎかもした。はげしいゆきなか、ペイトリオッツのクォーターバックトム・ブレイディのファンブルをレイダースのチャールズ・ウッドソンがリカバーしたのだが、レビューの結果けっか、ファンブルではなくパス成功せいこう判定はんていされた[28]

2001ねんシーズン終了しゅうりょう直後ちょくご、レイダースは、タンパベイ・バッカニアーズとのあいだで、ジョン・グルーデンを現金げんきん800まんドルおよびドラフト1じゅん指名しめいけん2つ、2じゅん指名しめいけん2つと交換こうかんするという異例いれいのトレードをおこなった[29]後任こうにんには、グルーデンのしたでレイダースの攻撃こうげきコーディネーターけんオフェンシブラインコーチをつとめていた、ビル・キャラハン指名しめいされた。この突然とつぜん異動いどうげきすうヶ月かげつまえから、マスコミでは、アル・デービスとグルーデンが個人こじんてきにもビジネスのめんでもたもとかった、という憶測おくそくながれていた。

2002ねんシーズンはAFCトップの11しょう5はい成績せいせきおさめプレーオフのホームフィールドアドバンテージ確保かくほした。チーム5度目どめのスーパーボウル出場しゅつじょうげ、ギャノンはNFLのシーズンMVPに選出せんしゅつされた。レイダースはこのだい37かいスーパーボウルデクスター・ジョンソンドワイト・スミスにそれぞれ2インターセプトをきっするなど、21-48とやぶれるが、その対戦たいせん相手あいては、けんのグルーデンひきいるタンパベイ・バッカニアーズであった[29][30]

2003ねん、キャラハン2ねんのシーズンはエースQBのギャノンがだい7しゅうかた故障こしょう離脱りだつ、4しょう12はいわった(NFL最低さいてい記録きろくタイ)。これは、ぜんシーズンにスーパーボウルに出場しゅつじょうしたチームとしては、史上しじょう最低さいてい成績せいせきであった。シーズンちゅう、キャラハンは、2003ねん11月30にち試合しあい終了しゅうりょう記者きしゃ会見かいけんで、チームの低迷ていめいについてレイダースの選手せんしゅたちとマスコミとをはげしく非難ひなんした。同年どうねんのレギュラーシーズン、キャラハンは解雇かいこされ、ノーブ・ターナーがヘッドコーチに就任しゅうにんした。

2004ねん、チームはオフシーズンにウォーレン・サップ獲得かくとくした。このとしリッチ・ギャノンが先発せんぱつした3試合しあいは2しょう1はいであったがだい3しゅうのタンパベイ・バッカニアーズせんかれデリック・ブルックスとヘルメット・ヘルメットで接触せっしょく負傷ふしょうした(ギャノンはこの怪我けがによりシーズン終了しゅうりょう引退いんたいした。)3しょう10はい、チームは5しょう11はいと2シーズン連続れんぞくした。

2005ねんのトレード解禁かいきん同時どうじに、レイダースは、ミネソタ・バイキングズからプロボウル出場しゅつじょうワイドレシーバーのランディ・モス獲得かくとくした[31]

2006ねん過去かこにもヘッドコーチをつとめたアート・シェルがターナーにわってヘッドコーチに就任しゅうにんしたが1ねん解雇かいこされ、2007ねんからレーン・キフィンがヘッドコーチに就任しゅうにんしたが、2008ねんシーズンが開幕かいまく1しょう3はい成績せいせきとなったところで、9月30にち解雇かいこされて[32]トム・ケーブルオフェンスラインコーチが暫定ざんていヘッドコーチに就任しゅうにんした。ケーブルがヘッドコーチになったのち、チームは4しょう8はいわったものの最後さいごの2試合しあい連勝れんしょうし、2009ねん2がつケーブルは正式せいしきにヘッドコーチに就任しゅうにんした[33]

2003ねんから2007ねんの5シーズンでチームはリーグ最低さいていの19しょうしかあげられなかった(どう期間きかんつぎ成績せいせきわるいのはデトロイト・ライオンズの26しょう)。

2009ねん開幕かいまくまえ、エースQBあらそいが2007ねんNFLドラフト全体ぜんたい1指名しめい獲得かくとくしたジャマーカス・ラッセルとオフに加入かにゅうしたジェフ・ガルシアあいだおこなわれたが故障こしょうがちのガルシアはやぶれラッセルが開幕かいまく先発せんぱつQBに指名しめいされた[34]。しかし2しょう7はいとなったのちだい11しゅうよりジャマーカス・ラッセルをあきらめ、ブルース・グラドコウスキー先発せんぱつ抜擢ばってき[35]、グラドコウスキーがだい14しゅう試合しあい負傷ふしょうしてからはチャーリー・フライ先発せんぱつQBをつとめた[36]。ケーブルヘッドコーチは留任りゅうにんした[37]

2010ねん、シーズンオフにQBジャマーカス・ラッセル解雇かいこワシントン・レッドスキンズよりジェイソン・キャンベル獲得かくとくした[38]。このシーズン、チームはダレン・マクファデンジャコビー・フォードらの活躍かつやくもありAFC西にし地区ちくどういち地区ちくない対戦たいせんは6せん全勝ぜんしょうし8しょう8はいと8シーズンぶりにしをのがれたがシーズン終了しゅうりょう、チームオーナーのアル・デービスは、契約けいやく満了まんりょう理由りゆうトム・ケーブルヘッドコーチとの契約けいやく更新こうしんしなかった[39]

2011ねん1がつ18にち攻撃こうげきコーディネーターであったヒュー・ジャクソンがヘッドコーチに昇格しょうかくした[40][41]同年どうねん10がつ8にち、アル・デービスオーナーが82さいくなり、息子むすこのマーク・デービスが過半数かはんすうかぶ相続そうぞくしてオーナーとなった[42]翌日よくじつヒューストン・テキサンズとの試合しあいでチームは25-20で接戦せっせん勝利しょうりした[43]最後さいごのプレーで相手あいてQBマット・ショーブのパスをインターセプトしたマイケル・ハフ[44]はオーナーがボールをらせてくれた。となみだながらにかたった。だい6しゅうクリーブランド・ブラウンズせんで、エースQBのジェイソン・キャンベルが鎖骨さこつ骨折こっせつした[45]。チームはトレード期限きげんぎりぎりでシンシナティ・ベンガルズカーソン・パーマー2012ねんのドラフト1じゅん指名しめいけん2013ねんのドラフト2じゅん指名しめいけんえで獲得かくとくした[46][47]。シーズン終了しゅうりょうレジー・マッケンジーがGMに就任しゅうにん、ヒュー・ジャクソンヘッドコーチを解任かいにんデンバー・ブロンコス守備しゅびコーディネーターであったデニス・アレンがヘッドコーチに就任しゅうにんした[48]

2013ねん2014ねんはともにおおきくし、カーソン・パーマーは2013ねんドラフト6じゅん指名しめいけんおよび2014ねんドラフト条件じょうけん指名しめいけんえに4がつ2にちアリゾナ・カージナルスにトレードされた。2014ねんシーズンをもってアレンHCは解任かいにん後任こうにんにはもとジャクソンビル・ジャガーズHCで、ぜんシーズンまでデンバー・ブロンコス守備しゅびコーディネーターをつとめていたジャック・デルリオ就任しゅうにん[49]だいつづけて地区ちくライバルのブロンコスの守備しゅびコーディネーターからHCを招聘しょうへいすることになった。

オールプロ史上しじょうはつとなる2つのポジションで選出せんしゅつされたカリル・マック

2015ねんシーズンは7しょう9はいわったが、せいQB2ねんデレック・カー前年ぜんねんのドラフト2じゅん指名しめい)が成績せいせき向上こうじょうさせ、DE/LBのカリル・マック史上しじょうはじめてりょうポジションでオールプロ選出せんしゅつされるなど[50]低迷ていめいつづくチームにあかるい話題わだいえたシーズンとなった。一方いっぽう長年ながねんチームの守備しゅびささえたSのチャールズ・ウッドソンがこのシーズンかぎりで現役げんえき引退いんたい[51]

2016ねんシーズンは、前年ぜんねん開花かいかしたカーを中心ちゅうしんとして、チーフスとこうレベルの地区ちく首位しゅいあらそいをしていた。しかし、だい16しゅう試合しあい終盤しゅうばんにカーが負傷ふしょう[52]翌週よくしゅうのレギュラーシーズン最終さいしゅうせんやぶれ、チーフスに逆転ぎゃくてん地区ちく優勝ゆうしょううばわれた。ワイルドカードで14ねんぶりにプレーオフ進出しんしゅつたしたが、カーの欠場けつじょう影響えいきょうおおきく、初戦しょせん敗退はいたいした。

2017ねんシーズンは、シアトル・シーホークス一度いちど引退いんたいした、RBマーショーン・リンチ現役げんえき復帰ふっきしたことが話題わだいとなった[53]同年どうねんまえバッファロー・ビルズのQB、EJ・マニュエル契約けいやくした。チームは開幕かいまく2連勝れんしょうしたものの、だい3しゅうから4連敗れんぱいし、そのなみれないまま[54]、シーズン終盤しゅうばんむかえてプレーオフ進出しんしゅつのがし、ヘッドコーチのデルリオは解雇かいこされ、ジョン・グルーデンがヘッドコーチに復帰ふっきした。

スタジアム問題もんだいとラスベガス移転いてん[編集へんしゅう]

オークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムが1966ねん完成かんせい老朽ろうきゅうしているため、しんスタジアムをもとめるこえ次第しだいたかまった。オークランドにおけるスタジアムあんサンタクララリーバイス・スタジアムサンフランシスコ・フォーティーナイナーズ共用きょうようするあんラスベガス移転いてんするあんロサンゼルスさい移転いてんするあんなどが浮上ふじょうした。チームはチャージャーズ共同きょうどうでロサンゼルスさい移転いてん申請しんせいをしたが、2016ねんのオーナー会議かいぎ否決ひけつされ、ラムズのロサンゼルスへの移転いてんのみが承認しょうにんされた。ラムズの移転いてん承認しょうにん決議けつぎでは、ラムズとのスタジアム同居どうきょでのロサンゼルス移転いてんれるかかの選択せんたくけんがチャージャーズにあたえられ、チャージャーズが移転いてん選択せんたくしなかった場合ばあいは、選択せんたくけんがレイダースにうつ条件じょうけんされた[55]。この決議けつぎけて、デービス・オーナーはオークランドでのしんスタジアム建設けんせつ交渉こうしょうすすめているが、建設けんせつ承認しょうにんされなければ、ラスベガスやロサンゼルス(チャージャーズがサンディエゴ残留ざんりゅう選択せんたくした場合ばあい)を移転いてんさきとして検討けんとうしていることがほうじられた[56][57]。2017ねん1がつ12にち、チャージャーズの移転いてん決定けっていし、レイダースのロサンゼルス移転いてんはなくなった。レイダースは、2にちの2017ねん1がつ14にち、ネバダしゅうラスベガスへの移転いてん申請しんせいした[58]前述ぜんじゅつとおり2017ねん3がつのNFLオーナー会議かいぎ投票とうひょうにかけられ、賛成さんせい多数たすうでラスベガスへの移転いてん承認しょうにんされた。ただし、しんスタジアムとなるアレジアント・スタジアムが2020ねんなつ完成かんせいするために、2020ねんシーズンから移転いてんすることになった。

移転いてん決定けっていけ、2018ねん、オークランドはスタジアムなどの投資とうし損害そんがい賠償ばいしょうもとめ、レイダースおよび移転いてん承認しょうにんしたほかのNFLチームを提訴ていそした[59]。2019ねんシーズンのスタジアムリース契約けいやく正式せいしき締結ていけつされるまえにオークランド民事みんじ紛争ふんそうしょうじたため、2019ねんシーズンにオークランドで試合しあいするかあやぶまれたが、同年どうねんシーズンはオークランドを本拠地ほんきょちとしてホームゲームを開催かいさいした。

2018ねんシーズンは、開幕かいまくまえにドラフトだいいちじゅん指名しめいけんふたつと交換こうかんにDEカリル・マックシカゴ・ベアーズへトレードし、のちにはドラフトだいいちじゅん指名しめいけんひとつと交換こうかんにWRアマリ・クーパーダラス・カウボーイズにトレードしてチーム再建さいけんそなえた。2018ねん1がつ5にちには、NFL史上しじょう最長さいちょうかつ最高さいこうがくとなる10ねん1おくドルヘッドコーチジョン・グルーデン契約けいやくした[60]。だが2018ねん12がつ10日とおか、カンファレンス最下位さいかい低迷ていめいするチームはGMのレジー・マッケンジー解雇かいこし、チームは地区ちく最下位さいかいとなった。GMの後任こうにんはマイク・メイヨックとなった。

2019ねん、オークランドでの最終さいしゅうシーズンもプレーオフをのがし、2003ねん以降いこうの17シーズンでプレーオフ出場しゅつじょうはワイルドカードでのただいちという結果けっかでラスベガスに移転いてんすることになった。

ラスベガス移転いてん[編集へんしゅう]

2019ねんから2022ねんまで先発せんぱつQBつとめたデレック・カー

2020ねん1がつ22にち、レイダースは正式せいしきにラスベガスに移転いてんし、ラスベガス・レイダースとなった[61]。スタジアムを建設けんせつし、2020ねんシーズンにのぞんだが、新型しんがたコロナウイルス感染かんせんしょう流行りゅうこうのため、ぜんホーム試合しあい観客かんきゃくとした。まえテネシー・タイタンズのQBマーカス・マリオタ契約けいやくした。8しょう8はい地区ちく2でプレーオフをのがした。

2021ねん10月11にち、グルーデンは2010ねんおくった差別さべつてきEいーメールを原因げんいんとして辞職じしょくした[62]。アシスタントHCおよびスペシャルチームコーディネーターだったリッチ・ビサッチアが暫定ざんていHCとなった。カーをスターティングQBとして起用きようしながらマリオタを併用へいようし、シーズン最終さいしゅうせんロサンゼルス・チャージャーズ延長えんちょう勝利しょうりして、地区ちくワイルドカードで5ねんぶりにプレーオフにすすんだ。この試合しあい延長えんちょう最後さいごのプレーまで同点どうてんであり、そのままけた場合ばあいりょうチームがともにプレーオフにすすむはずであったが、フィールドゴールにより試合しあいけっしてレイダースのみが進出しんしゅつした。ワイルドカード・プレーオフでシンシナティ・ベンガルズやぶれた。翌日よくじつ、GMのマイク・メイヨックを解雇かいこした。新任しんにんGMにはニューイングランド・ペイトリオッツ選手せんしゅ人事じんじ責任せきにんしゃだったデイブ・ジーグラーが、HCにはペイトリオッツOCのジョシュ・マクダニエルズが就任しゅうにんした。

2022ねん3月21にちだい2QBのマリオタがアトランタ・ファルコンズ移籍いせきした[63]。ほとんどの試合しあいでカーが先発せんぱつQBとしてチームをひきい、だい17しゅうまではプレーオフの可能かのうせいのこすもフォーティーナイナーズにオーバータイムでやぶれ、してプレーオフ進出しんしゅつのがした。2023ねん2がつ14にち、ノートレード条項じょうこうによりトレードを拒否きょひしたカーを放出ほうしゅつした[64]。2023ねん3がつ14にち、フォーティナイナーズとの契約けいやくれたジミー・ガロポロ獲得かくとくした[65]

2023ねん10月31にち、3しょう5はい時点じてんでHCのジョシュ・マクダニエルズとGMのデイブ・ジーグラーの両者りょうしゃ解雇かいこされ、暫定ざんていHCにはラインバッカー・コーチのアントニオ・ピアースが、暫定ざんていGMにはアシスタントGMのチャンプ・ケリーが指名しめいされた[66]。ピアースはここまで精彩せいさいいていたガロポロにえ、9試合しあいからはルーキーのエイダン・オコンネルを先発せんぱつQBに起用きようした[67]最終さいしゅうてきに8しょう9はいし、プレーオフ進出しんしゅつのがした。

2024ねん1がつ19にち、ピアースが正式せいしきなHCとなった[68]同年どうねん1がつ23にちロサンゼルス・チャージャーズのGMであったトム・テレスコをGMとした。

文化ぶんか[編集へんしゅう]

スタジアムに集結しゅうけつするレイダースファン
ラスベガス・レイダリッツ

チームめいとロゴマーク[編集へんしゅう]

チームめい当初とうしょ、「メトロポリタン・オークランドエリア・フットボールクラブ」にまろうとしていたが、ながすぎることから地元じもと命名めいめいコンテストを実施じっし。その結果けっかスペイン紳士しんし意味いみする「セニョールズ(Señors)」にまった。しかし、これがジョークのたねにされたため、急遽きゅうきょチームは投票とうひょうで3だった侵略しんりゃくしゃ海賊かいぞく意味いみする「レイダース(Raiders)」に変更へんこうし、現在げんざいいた[69]

フットボールのヘルメットをかぶり眼帯がんたいをしたレイダースを象徴しょうちょうするロゴマークのモデルは、俳優はいゆうランドルフ・スコットわれている。1960ねんにデザインされたロゴは、1963ねん改良かいりょうされ、同時どうじにチームカラーもくろきむしろの3しょくから、白黒しろくろテレビでえるとのことからくろぎん変更へんこうし、現在げんざいいたる。

ファン[編集へんしゅう]

レイダースのファンは「レイダー・ネーション(Raider Nation)」とばれ、NFLのなかでも熱心ねっしんはげしいひとおおいとわれている。相手あいてチームにたいするはげしい敵意てきいっており、かつてサンフランシスコ・49ersのヘッドコーチだったスティーブ・マリウッチ選手せんしゅたちにオークランド・アラメダ・カウンティ・コロシアムでの試合しあいには自家用車じかようしゃではなくチームバスにるよう忠告ちゅうこくしたほど。オークランド時代じだい、ホームのエンドゾーン付近ふきん陣取じんどくろふくたファンのエリアはブラックホールばれていた[70]トム・ハンクスM.C.ハマーなど芸能人げいのうじんのファンもおおい。

マスコット[編集へんしゅう]

チームの公式こうしきマスコットは、2013ねん登場とうじょうしたレイダー・ラッシャー(Raider Rusher)である。

チアリーダー[編集へんしゅう]

チームには、公式こうしきチアリーダーとしてラスベガス・レイダリッツ(Las Vegas Raiderettes)が活動かつどうしている。1961ねんにオークランド・レイダリッツとして設立せつりつされた。チームがロサンゼルスにいたころは、ロサンゼルス・レイダリッツとして活動かつどうしていた。

2024ねんシーズン

2024ねんシーズンのレイダースの対戦たいせん相手あいて
AFC NFC
前年ぜんねん 西にし地区ちく みなみ地区ちく きた地区ちく ひがし地区ちく 西にし地区ちく みなみ地区ちく きた地区ちく ひがし地区ちく
1 チーフス テキサンズ レイブンズ ビルズ 49ers バッカニアーズ ライオンズ カウボーイズ
2 レイダース ジャガーズ ブラウンズ ドルフィンズ ラムズ セインツ パッカーズ イーグルス
3 ブロンコス コルツ スティーラーズ ジェッツ シーホークス ファルコンズ バイキングス ジャイアンツ
4 チャージャーズ タイタンズ ベンガルズ ペイトリオッツ カージナルス パンサーズ ベアーズ コマンダース

 :1対戦たいせん  :2対戦たいせん

2023ねんシーズンおよ過去かこ10シーズンの成績せいせき
とし 成績せいせき 地区ちく かち はい ぶん りつ Div Con そう得点とくてん そう失点しってん 平均へいきん得点とくてん 平均へいきん失点しってん
2023 レギュラー敗退はいたい 2 8 9 0 .471 4–2 6–6 332 331 19.5 19.5
2022 レギュラー敗退はいたい 3 6 11 0 .353 3-3 5-7 395 418 23.2 24.6
2021 ワイルドカード敗退はいたい 2(5) 10 7 0 .588 3-3 8-4 384 439 22.6 25.8
2020 レギュラー敗退はいたい 2 8 8 0 .500 4-2 6-6 434 478 27.1 29.9
2019 レギュラー敗退はいたい 3 7 9 0 .438 3-3 5-7 313 419 19.6 26.2
2018 レギュラー敗退はいたい 4 4 12 0 .250 1-5 3-9 290 467 18.1 29.2
2017 レギュラー敗退はいたい 3 6 10 0 .375 2-4 5-7 301 373 18.8 23.3
2016 ワイルドカード敗退はいたい 2(5) 12 4 0 .750 3-3 9-3 416 385 26.0 24.1
2015 レギュラー敗退はいたい 3 8 8 0 .500 3-3 7-5 359 293 22.4 18.3
2014 レギュラー敗退はいたい 4 3 13 0 .188 1-5 2-10 253 452 15.8 28.3
2013 レギュラー敗退はいたい 4 4 12 0 .250 1-5 4-8 322 453 20.1 28.3

()ないはシードじゅん

2023ねんシーズン成績せいせき

AFC西にし地区ちく 2023
チーム かち はい ぶん 勝率しょうりつ Div Con そう得点とくてん そう失点しってん 平均へいきん得点とくてん 平均へいきん失点しってん 得失とくしつ
(3)カンザスシティ・チーフス 11 6 0 .647 4–2 9–3 371 294 21.8 17.3 4.5
ラスベガス・レイダース 8 9 0 .471 4–2 6–6 332 331 19.5 19.5 0.1
デンバー・ブロンコス 8 9 0 .471 3–3 5–7 357 413 21.0 24.3 -3.3
ロサンゼルス・チャージャーズ 5 12 0 .294 1–5 3–9 346 398 20.4 23.4 -3.1
AFC 2023
じゅん
くらい
チーム
かち はい ぶん 勝率しょうりつ DIV CON SOS SOV
地区ちく優勝ゆうしょう
1 ボルチモア・レイブンズ きた 13 4 0 .765 3–3 8–4 .543 .529
2[a][b] バッファロー・ビルズ ひがし 11 6 0 .647 4–2 7–5 .471 .471
3[b] カンザスシティ・チーフス 西にし 11 6 0 .647 4–2 9–3 .481 .428
4 ヒューストン・テキサンズ みなみ 10 7 0 .588 4–2 7–5 .474 .465
ワイルドカード
5[c] クリーブランド・ブラウンズ きた 11 6 0 .647 3–3 8–4 .536 .513
6[a][c] マイアミ・ドルフィンズ ひがし 11 6 0 .647 4–2 7–5 .450 .358
7 ピッツバーグ・スティーラーズ きた 10 7 0 .588 5–1 7–5 .540 .571
レギュラーシーズン敗退はいたい
8[d] シンシナティ・ベンガルズ きた 9 8 0 .529 1–5 4–8 .574 .536
9[e][d] ジャクソンビル・ジャガーズ みなみ 9 8 0 .529 4–2 6–6 .533 .477
10[e] インディアナポリス・コルツ みなみ 9 8 0 .529 3–3 7–5 .491 .444
11[f] ラスベガス・レイダース 西にし 8 9 0 .471 4–2 6–6 .488 .426
12[f] デンバー・ブロンコス 西にし 8 9 0 .471 3–3 5–7 .488 .485
13 ニューヨーク・ジェッツ ひがし 7 10 0 .412 2–4 4–8 .502 .454
14 テネシー・タイタンズ みなみ 6 11 0 .353 1–5 4–8 .522 .422
15 ロサンゼルス・チャージャーズ 西にし 5 12 0 .294 1–5 3–9 .529 .388
16 ニューイングランド・ペイトリオッツ ひがし 4 13 0 .235 2–4 4–8 .522 .529
タイブレーク
  1. ^ a b 直接ちょくせつ対決たいけつだい4しゅうだい18しゅう)でビルズがドルフィンズに勝利しょうり
  2. ^ a b 直接ちょくせつ対決たいけつだい14しゅう)でビルズがチーフスに勝利しょうり
  3. ^ a b カンファレンス勝率しょうりつでブラウンズがドルフィンズを上回うわまわ
  4. ^ a b 直接ちょくせつ対決たいけつだい13しゅう)でベンガルズがジャガーズに勝利しょうり
  5. ^ a b 直接ちょくせつ対決たいけつだい1しゅうだい6しゅう)でジャガーズがコルツに勝利しょうり
  6. ^ a b 直接ちょくせつ対決たいけつだい1しゅうだい18しゅう)でレイダースがブロンコスに勝利しょうり
                                   
ワイルドカード・プレーオフ ディビジョナル・プレーオフ
2024ねん1がつ15にち
レイモンド・ジェームス・スタジアム
    1がつ21にち
フォード・フィールド
    1がつ28にち
リーバイス・スタジアム
    2がつ11にち
アレジアント・スタジアム
 5  イーグルス  9
 4  バッカニアーズ  32  
2024ねん1がつ14にち
フォード・フィールド
 4  バッカニアーズ  23
   3  ライオンズ  31  
 6  ラムズ  23 NFC
 3  ライオンズ  24   1がつ20日はつか
リーバイス・スタジアム
2024ねん1がつ14にち
AT&Tスタジアム
 3  ライオンズ  31
   1  49ers  34  
NFCチャンピオンシップ
1がつ28にち
M&Tバンク・スタジアム
 7  パッカーズ  48
 7  パッカーズ  21
 2  カウボーイズ  32    
 1  49ers  24  
2024ねん1がつ13にち
アローヘッド・スタジアム
1がつ21にち
ハイマーク・スタジアム
 N1  49ers  22
   A3  チーフス  25
 6  ドルフィンズ  7 だい58かいスーパーボウル
 3  チーフス  26  
2024ねん1がつ15にち
ハイマーク・スタジアム
 3  チーフス  27
   2  ビルズ  24  
 7  スティーラーズ  17 AFC
 2  ビルズ  31   1がつ20日はつか
M&Tバンク・スタジアム
2024ねん1がつ13にち
NRGスタジアム
 3  チーフス  17
   1  レイブンズ  10  
AFCチャンピオンシップ
 5  ブラウンズ  14
 4  テキサンズ  10
 4  テキサンズ  45    
 1  レイブンズ  34  
  • 対戦たいせんカードはレギュラーシーズン成績せいせきもとづくシードじゅん決定けっていされ、上位じょういシードチームのホームで対戦たいせんする。そのラウンドにのこったチームのうちさい上位じょういシードが最下位さいかいシードと対戦たいせんするルールであるため、ディビジョナル・プレーオフの対戦たいせんカードはワイルドカードの結果けっかにより変動へんどうする。
  • スーパーボウル開催かいさい事前じぜんにオーナー会議かいぎ決定けってい。その試合しあいはシード上位じょういのチームのホームで開催かいさいする。
  • チームめいひだり数字すうじはシードじゅん
  • * 延長えんちょうせん決着けっちゃく
  • 日付ひづけアメリカ東部とうぶ時間じかん

過去かこ成績せいせき[編集へんしゅう]

4地区ちくせい[編集へんしゅう]

とし 地区ちく優勝ゆうしょう 2 3 4
チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん
2023 KC (3v) 11 6 0 LV 8 9 0 DEN 8 9 0 LAC 5 12 0
2022 KC (1v) 14 3 0 LAC(5w) 10 7 0 LV 6 11 0 DEN 5 12 0
2021 KC (2c) 12 5 0 LV (5w) 10 7 0 LAC 9 8 0 DEN 7 10 0
2020 KC (1s) 14 2 0 LV 8 8 0 LAC 7 9 0 DEN 5 11 0
2019 KC (2v) 12 4 0 DEN 7 9 0 OAK 7 9 0 LAC 5 11 0
2018 KC (1c) 12 4 0 LAC(5d) 12 4 0 DEN 6 10 0 OAK 4 12 0
2017 KC (4w) 10 6 0 LAC 9 7 0 OAK 6 10 0 DEN 5 11 0
2016 KC (2d) 12 4 0 OAK(5w) 12 4 0 DEN 9 7 0 SD 5 11 0
2015 DEN(1v) 12 4 0 KC (5d) 11 5 0 OAK 7 9 0 SD 4 12 0
2014 DEN(2d) 12 4 0 KC 9 7 0 SD 9 7 0 OAK 3 13 0
2013 DEN(1s) 13 3 0 KC (5w) 11 5 0 SD (6d) 9 7 0 OAK 4 12 0
2012 DEN(1d) 13 3 0 SD 7 9 0 OAK 4 12 0 KC 2 14 0
2011 DEN(4d) 8 8 0 SD 8 8 0 OAK 8 8 0 KC 7 9 0
2010 KC (4w) 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 8 8 0 DEN 4 12 0
2009 SD (2d) 13 3 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 4 12 0
2008 SD (4d) 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 5 11 0 KC 2 14 0
2007 SD (3c) 11 5 0 DEN 7 9 0 KC 4 12 0 OAK 4 12 0
2006 SD (1d) 14 2 0 KC (6w) 9 7 0 DEN 9 7 0 OAK 2 14 0
2005 DEN(2c) 13 3 0 KC 10 6 0 SD 9 7 0 OAK 4 12 0
2004 SD (4w) 12 4 0 DEN(6w) 10 6 0 KC 7 9 0 OAK 5 11 0
2003 KC (2d) 13 3 0 DEN(6w) 10 6 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
2002 OAK(1s) 11 5 0 DEN 9 7 0 SD 8 8 0 KC 8 8 0

3地区ちくせい[編集へんしゅう]

  • DEN:デンバー・ブロンコス、KC:カンザスシティ・チーフス、RAI→OAK:ロサンゼルス・レイダース→オークランド・レイダース、SD:サンディエゴ・チャージャーズ、SEA:シアトル・シーホークス、TB:タンパベイ・バッカニアーズ
  • 1982ねんシーズンはストライキの影響えいきょうにより、地区ちくべつ成績せいせきではなくカンファレンス上位じょうい8チームがプレイオフ進出しんしゅつするルールであったが、ここでは地区ちくべつ変換へんかんして表記ひょうきする。
  • 括弧かっこない数字すうじはプレイオフ出場しゅつじょうのシードじゅん(シードせい導入どうにゅうまえ表記ひょうきなし)、文字もじはv:スーパーボウル優勝ゆうしょう、s:スーパーボウル敗退はいたい・カンファレンス優勝ゆうしょう、c:カンファレンス決勝けっしょう敗退はいたい、d:ディビジョナルプレーオフ敗退はいたい、w:ワイルドカードプレイオフ敗退はいたい。1982ねんについてはd:2回戦かいせん敗退はいたい、w:1回戦かいせん敗退はいたい
とし 地区ちく優勝ゆうしょう 2 3 4 5
チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん
2001 OAK(3d) 10 6 0 SEA 9 7 0 DEN 8 8 0 KC 6 10 0 SD 5 11 0
2000 OAK(2c) 12 4 0 DEN(5w) 11 5 0 KC 7 9 0 SEA 6 10 0 SD 1 15 0
1999 SEA(3w) 9 7 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 6 10 0
1998 DEN(1v) 14 2 0 OAK 8 8 0 SEA 8 8 0 KC 7 9 0 SD 5 11 0
1997 KC(1d) 13 3 0 DEN(4v) 12 4 0 SEA 8 8 0 OAK 4 12 0 SD 4 12 0
1996 DEN(1d) 13 3 0 KC 9 7 0 SD 8 8 0 OAK 7 9 0 SEA 7 9 0
1995 KC(1d) 13 3 0 SD(4w) 9 7 0 SEA 8 8 0 DEN 8 8 0 OAK 8 8 0
1994 SD(2s) 11 5 0 KC(6w) 9 7 0 RAI 9 7 0 DEN 7 9 0 SEA 6 10 0
1993 KC(3c) 11 5 0 RAI(4d) 10 6 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 8 8 0 SEA 6 10 0
1992 SD(3d) 11 5 0 KC(6w) 10 6 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SEA 2 14 0
1991 DEN(2c) 12 4 0 KC(4d) 10 6 0 RAI(5w) 9 7 0 SEA 7 9 0 SD 4 12 0
1990 RAI(2c) 12 4 0 KC(5w) 11 5 0 SEA 9 7 0 SD 6 10 0 DEN 5 11 0
1989 DEN(1s) 11 5 0 KC 8 7 1 RAI 8 8 0 SEA 7 9 0 SD 6 10 0
1988 SEA(3d) 9 7 0 DEN 8 8 0 RAI 7 9 0 SD 6 10 0 KC 4 11 1
1987 DEN(1s) 10 4 1 SEA(5w) 9 6 0 SD 8 7 0 RAI 5 10 0 KC 4 11 0
1986 DEN(2s) 11 5 0 KC(5w) 10 6 0 SEA 10 6 0 RAI 8 8 0 SD 4 12 0
1985 RAI(1d) 12 4 0 DEN 11 5 0 SEA 8 8 0 SD 8 8 0 KC 6 10 0
1984 DEN(2d) 13 3 0 SEA(4d) 12 4 0 RAI(5w) 11 5 0 KC 8 8 0 SD 7 9 0
1983 RAI(1v) 12 4 0 SEA(4c) 9 7 0 DEN(5w) 9 7 0 SD 6 10 0 KC 6 10 0
1982 RAI(1d) 8 1 0 SD(5d) 6 3 0 SEA 4 5 0 KC 3 6 0 DEN 2 7 0
1981 SD(3c) 10 6 0 DEN 10 6 0 KC 9 7 0 OAK 7 9 0 SEA 6 10 0
1980 SD(1c) 11 5 0 OAK(4v) 11 5 0 KC 8 8 0 DEN 8 8 0 SEA 4 12 0
1979 SD(1d) 12 4 0 DEN(5w) 10 6 0 SEA 9 7 0 OAK 9 7 0 KC 7 9 0
1978 DEN(3d) 10 6 0 OAK 9 7 0 SEA 9 7 0 SD 9 7 0 KC 4 12 0
1977 DEN(1s) 12 2 0 OAK(4c) 11 3 0 SD 7 7 0 SEA 5 9 0 KC 2 12 0
1976 OAK(1v) 13 1 0 DEN 9 5 0 SD 6 8 0 KC 5 9 0 TB 0 14 0
1975 OAK(2c) 11 3 0 DEN 6 8 0 KC 5 9 0 SD 2 12 0
1974 OAK(c) 12 2 0 DEN 7 6 1 KC 5 9 0 SD 5 9 0
1973 OAK(c) 9 4 1 KC 7 5 2 DEN 7 5 2 SD 2 11 1
1972 OAK(d) 10 3 0 KC 8 6 0 DEN 5 9 0 SD 4 9 1
1971 KC(d) 10 3 1 OAK 8 4 2 SD 6 8 0 DEN 4 9 1
1970 OAK(c) 8 4 2 KC 7 5 2 SD 5 6 3 DEN 5 8 1

AFL西にし地区ちく[編集へんしゅう]

とし 地区ちく優勝ゆうしょう 2 3 4 5
チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん チーム かち まけ ぶん
1969 OAK(a) 12 1 1 KC(V) 11 3 0 SD 8 6 0 DEN 5 8 1 CIN 4 9 1
1968 OAK(a) 12 2 0 KC 12 2 0 SD 9 5 0 DEN 5 9 0 CIN 3 11 0
1967 OAK(s) 13 3 0 KC 9 5 0 SD 8 5 1 DEN 3 11 0
1966 KC(s) 11 2 0 OAK 8 5 1 SD 7 6 1 DEN 4 10 0
スーパーボウル開始かいし
1965 SD(a) 9 2 3 OAK 8 5 1 KC 7 5 2 DEN 4 10 0
1964 SD(a) 8 5 1 KC 7 7 0 OAK 5 7 2 DEN 2 11 1
1963 SD(v) 11 3 0 OAK 10 4 0 KC 5 7 2 DEN 2 11 1
1962 DAL(v) 11 3 0 DEN 7 7 0 SD 4 10 0 OAK 1 13 0
1961 SD(a) 12 2 0 DAL 6 8 0 DEN 3 11 0 OAK 2 12 0
1960 LA(a) 10 4 0 DAL 8 6 0 OAK 6 8 0 DEN 4 9 1

おも選手せんしゅ[編集へんしゅう]

現役げんえき選手せんしゅ[編集へんしゅう]

永久えいきゅう欠番けつばん[編集へんしゅう]

ラスベガス・レイダース 永久えいきゅう欠番けつばん一覧いちらん
背番号せばんごう 名前なまえ ポジション 在籍ざいせき期間きかん
なし
(レイダースは過去かこ選手せんしゅ背番号せばんごう永久えいきゅう欠番けつばんにすることはない)

プロフットボール殿堂でんどう[編集へんしゅう]

プロフットボール殿堂でんどうはいりメンバー一覧いちらん
選手せんしゅ
背番号せばんごう 名前なまえ ポジション 在籍ざいせき期間きかん 選出せんしゅつねん
77 ロン・ミックス Ron Mix OT 1971 1979
00 ジム・オットー Jim Otto C 1960–1974 1980
16 ジョージ・ブランダ George Blanda QB, K 1967–1975 1981
24 ウィリー・ブラウン Willie Brown CB 1967–1978 1984
63 ジーン・アップショー Gene Upshaw G 1967–1981 1987
14, 25 フレッド・ビレトニコフ Fred Biletnikoff WR 1965–1978 1988
78 アート・シェル Art Shell OT 1968–1982 1989
83 テッド・ヘンドリクス Ted Hendricks LB 1975–1983 1990
22 マイク・ヘインズ Mike Haynes CB 1983–1989 1997
29 エリック・ディッカーソン Eric Dickerson RB 1992 1999
75 ハウィー・ロング Howie Long DE 1981–1993 2000
42 ロニー・ロット Ronnie Lott S 1991–1992 2000
87 デーブ・キャスパー Dave Casper TE 1974–1980, 1984 2002
32 マーカス・アレン Marcus Allen RB 1982–1992 2003
80 ジェームス・ロフトン James Lofton WR 1987–1988 2003
76 ボブ・ブラウン Bob Brown OT 1971–1973 2004
26 ロッド・ウッドソン Rod Woodson S 2002–2003 2009
80 ジェリー・ライス Jerry Rice WR 2001–2004 2010
99 ウォーレン・サップ Warren Sapp DT 2004–2007 2013
8 レイ・ガイ Ray Guy P 1973–1986 2014
81 ティム・ブラウン Tim Brown WR 1988–2003 2015
12 ケン・ステイブラー Ken Stabler QB 1970–1979 2016
18 ランディ・モス Randy Moss WR 2005–2006 2018
24 チャールズ・ウッドソン Charles Woodson CB 1998–2005
2013–2015
2021
コーチ・エグゼクティブ
名前なまえ 役職やくしょく 在籍ざいせき期間きかん 選出せんしゅつねん
アル・デービス Al Davis コーチ
オーナー
コミッショナー
1963–2011 1992
ジョン・マッデン John Madden ヘッドコーチ 1969–1978 2006
ロン・ウルフ Ron Wolf スカウト 1963–1974
1979–1989
2015
15 トム・フローレス Tom Flores アシスタントコーチ
ヘッドコーチ
1972–1987 2021


歴代れきだいヘッドコーチ[編集へんしゅう]

ギャラリー[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ しかし、最初さいしょの2年間ねんかんはオークランドでスタジアムを建設けんせつできなかったことから、サンフランシスコのスタジアムを使用しようしていた

出典しゅってん[編集へんしゅう]

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外部がいぶリンク[編集へんしゅう]