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ノガイ・オルダ

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ノガイ・オルダ
ジョチ・ウルス 1440ねんだい - 1634ねん カルムイク・ハン国
ロシア・ツァーリ国
ノガイの国旗
国旗こっき
ノガイの位置
15世紀せいきまつごろのノガイ・オルダが存在そんざいした地域ちいき
公用こうよう ノガイ
首都しゅと サライ・チク英語えいごばん
元首げんしゅとう
- - -
変遷へんせん
建国けんこく 1440年代ねんだい
ロシア・ツァーリこくによる併合へいごう1634ねん

ノガイ・オルダは、15世紀せいきから16世紀せいきにかけて存続そんぞくしたジョチ・ウルス継承けいしょう政権せいけんのひとつ。カフカス北部ほくぶからカスピ海かすぴかい北岸ほくがん中心ちゅうしんとしてキプチャク草原そうげん一角いっかく支配しはいした。

ジョチ・ウルス東部とうぶ有力ゆうりょくしゃであったマンギト(マングィト)エディゲとヌラディン(ヌールッディーン)の父子ふし実質じっしつじょう建国けんこくしゃである。「ノガイ」の他称たしょうであって、かれ自身じしん支配しはいしゃ部族ぶぞくめいってマンギトとしょうした。ノガイの由来ゆらい確実かくじつではないが、普通ふつうには13世紀せいき後半こうはんにジョチ・ウルス右翼うよく西部せいぶ)の有力ゆうりょくしゃであったジョチの曾孫そうそんノガイ関係かんけいしているとられている。

政権せいけん構造こうぞう[編集へんしゅう]

ノガイ・オルダはエディゲの家系かけい盟主めいしゅとする部族ぶぞく連合体れんごうたいであり、エディゲの出身しゅっしん部族ぶぞくであるマンギトのほかにコンギラト(クングラト)などしょ部族ぶぞくくわわっていた。

創始そうししゃのエディゲはチンギス・カン男系だんけい子孫しそんではなく、そのため当時とうじ慣習かんしゅうによってハーン(ハン)に即位そくいすることはなかった。16世紀せいき前半ぜんはんごろまで、エディゲとその子孫しそんたちはジョチじゅうさんなんトカ・テムル後裔こうえいをハンに推戴すいたいしており、自身じしんベグ(ビー)あるいはアミール(エミール)の称号しょうごうしか名乗なのらなかったが、かれらはノガイ・オルダの事実じじつじょう君主くんしゅとして支配しはいした。また、おおくの遊牧ゆうぼく政権せいけんがそうであるように、次第しだい創始そうししゃエディゲの子孫しそん枝分えだわかれしてしょう集団しゅうだん支配しはいしゃになっていったが、かれらは「アミールの」を意味いみするミルザ(ムルザ)という称号しょうごう名乗なのった。

歴史れきし[編集へんしゅう]

ノガイ・オルダは、14世紀せいきすえから15世紀せいき初頭しょとうごろにエディゲによって形成けいせいされた[1]。エディゲは中央ちゅうおうアジア支配しはいしゃティムール支援しえんけたジョチ・ウルスの王族おうぞくトクタミシュ敵対てきたいし、トクタミシュとティムールが対立たいりつするとティムールと協力きょうりょく、トクタミシュをやぶって勢力せいりょく拡大かくだいした[2]1398ねんには、トクタミシュとはべつ系統けいとう王族おうぞくテムル・クトルクをハンに擁立ようりつし、かれからジョチ・ウルスのアミールたちのちょう任命にんめいされた[3]

エディゲの勢力せいりょくけんは、ヴォルガがわウラルがわあいだカスピ海かすぴかい北岸ほくがんにあった。エディゲが1419ねん殺害さつがいされたのちは、いだヌラディンのもとで、ノガイ・オルダの勢力せいりょくはウラルがわやヴォルガがわえて、ひがしアラル海あらるかい北岸ほくがんから西にしアゾフうみ東岸とうがんにもおよんだ。15世紀せいき中頃なかごろ以降いこう、ノガイ・オルダの支援しえんするティムール・クトルクの後裔こうえいはヴォルガ川下かわしも流域りゅういきアストラハン・ハンこくおこしており、ノガイ・オルダの勢力せいりょくがこの地域ちいき安定あんていしていたことがわかる。

ノガイ・オルダは、ヌラディンのまごムサ(ムーサー)の支配しはいしていた15世紀せいき後半こうはんごろには最盛さいせいむかえた。またこのころ、ノガイ・オルダにぞくする遊牧ゆうぼくしょ部族ぶぞくは「ノガイ」としょうされるようになり、タタールウズベクカザフなどとばれるようになった周辺しゅうへんべつ政権せいけんぞくするジョチ・ウルス後裔こうえい人々ひとびととは区別くべつされるようになった。

しかしおなごろにはノガイ・オルダの権力けんりょく分立ぶんりつすすみ、16世紀せいき中頃なかごろにはだいノガイ、しょうノガイなどいくつかの勢力せいりょく分裂ぶんれつした。このころ、ノガイの周辺しゅうへんではクリミア半島くりみあはんとう中心ちゅうしん黒海こっかい北岸ほくがん支配しはいするクリミア・ハンこくとそのうしたてであるオスマン帝国ていこく、ヴォルガ川上かわかみりゅうから南下なんかをはかるモスクワ大公たいこうこく(ロシア)のだい勢力せいりょくがあり、ノガイのミルザたちはクリミアとモスクワのいずれとむすぶかの選択せんたくせまられていた。おやモスクワであるムサのイスマイル(イスマーイール)の子孫しそんひきいてヴォルガがわ西側にしがわ支配しはいした勢力せいりょくだいノガイ、しんクリミアであるイスマイルのあにユスフ(ユースフ)の子孫しそんひきいてアゾフうみ北岸ほくがん支配しはいした勢力せいりょくしょうノガイとなり、ノガイの王家おうけもここに分裂ぶんれつしたのである。

またこの時期じき1556ねんにユスフが戦没せんぼつしたころから、ノガイ・オルダは部族ぶぞく組織そしき解体かいたいすすみ、おおくのノガイじんがロシアやクリミア・ハン国領こくりょうへと移住いじゅうしたり、中央ちゅうおうアジアにってカザフじんカラカルパクじんくわわっていった。

16世紀せいきにロシアの保護ほごはいったノガイじんは、ロシアの戦役せんえき積極せっきょくてき協力きょうりょくし、ロシア西部せいぶ国境こっきょうにおける国境警備隊こっきょうけいびたい充足じゅうそくげんとなった。1563ねん1がつには、それまでロシアじんとノガイじん協力きょうりょくクリミア・ハンこくなどタタールとのたたかいにかぎられていた原則げんそくくずされ、ロシアぐん大量たいりょう編入へんにゅうされたノガイじん騎兵隊きへいたいがポロツク遠征えんせい投入とうにゅうされた(リヴォニア戦争せんそう)。これ以降いこう、ロシアにおけるノガイはタタールとともにロシアへの同化どうかみちあゆんでいる。

みなみ草原そうげんのこったノガイも、徐々じょじょ弱体じゃくたいしていく運命うんめいをたどる。しょうノガイは一貫いっかんしてクリミア・ハンこく密接みっせつ関係かんけいむすびつづけ、次第しだいクリミア・タタールじん同化どうかしていった。拡大かくだいつづけるロシアのうしたてていただいノガイもビーが複数ふくすう乱立らんりつするようになって分裂ぶんれつすすみ、内部ないぶ抗争こうそうかえされた。17世紀せいき前半ぜんはんにはチベット仏教徒ぶっきょうと遊牧民ゆうぼくみんオイラトトルグートカルムイク)がヤイクがわげんウラルがわ)をわたってだいノガイの勢力せいりょくけんあらわれ、ノガイの人々ひとびとってノガイ・オルダの占拠せんきょした。この事件じけんによってノガイの解体かいたいはますますすすみ、1642ねん故郷こきょううしなっただいノガイはロシアに臣従しんじゅう、ノガイ・オルダは最終さいしゅうてき解体かいたいした。

ノガイ・オルダの解体かいたいも、クリミア・ハンこく支配しはい黒海こっかい・アゾフうみ北岸ほくがんにはクバン・ノガイ、ジェディシクル・ノガイ、ブジャク・ノガイ、ジャンボイルク・ノガイ、ジェドサン・ノガイなどのしょ集団しゅうだんがあり、クバンがわからドニエストルがわいたしょ地域ちいき拡散かくさんしていた。かれらはロシアポーランドへの襲撃しゅうげきかえ勇猛ゆうもう集団しゅうだんであったが、17世紀せいき後半こうはんにはロシアの南部なんぶ防衛ぼうえい体制たいせい確立かくりつによってちからうしなった。そして18世紀せいき後半こうはんのクリミア・ハンこく滅亡めつぼうによってその土地とちロシアじんウクライナじん入植にゅうしょくしゃうばわれ、クリミアドブロジャアナトリアなどに移住いじゅうしていったため、19世紀せいき後半こうはんにはほとんど姿すがたしている。

現在げんざい、ノガイののこしている集団しゅうだんは、きたカフカスダゲスタン居住きょじゅうするノガイじんのみである。

文化ぶんか[編集へんしゅう]

ノガイ・オルダの遊牧民ゆうぼくみんたちは、のジョチ・ウルスの遊牧民ゆうぼくみんおなじく、イスラム教いすらむきょう信仰しんこうしていた。エディゲの後裔こうえいたちはそのイスラム信仰しんこうをチンギス・ハーンのかないマンギト家系かけいむすびつけ、エディゲをアブー・バクルの20代目だいめ子孫しそんとする系譜けいふすらつくしている。

クリミア・ハンこくカザフ・ハンこくのような周辺しゅうへんしょ政権せいけんことなり、現在げんざいでは直系ちょっけい後裔こうえいがほとんどのこっていないノガイ・オルダであるが、かれらのつたえていたとおもわれるノガイ・オルダの歴史れきし伝承でんしょうは、英雄えいゆう叙事詩じょじしかたち離散りさんしたノガイじんたちが同化どうかした中央ちゅうおうユーラシア各地かくちのテュルクけいしょ民族みんぞくあいだかたがれ、「ノガイ体系たいけい」とばれる叙事詩じょじしぐんとしてのこされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 坂井さかい2007,31ぺーじ
  2. ^ 坂井さかい2007,37-39ぺーじ
  3. ^ 坂井さかい2007,39-41ぺーじ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 坂井さかいひろしきの中央ちゅうおうアジアの英雄えいゆう叙事詩じょじし かたつたわる歴史れきし』(ユーラシア・ブックレット No.35)、東洋とうよう書店しょてん、2002ねん
  • 坂井さかいひろしきの「ノガイ・オルダの創始そうししゃエディゲの生涯しょうがい」『和光大学わこうだいがく表現ひょうげん学部がくぶ紀要きようだい8ごう、2007ねん

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]