(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ハンダラ - Wikipedia コンテンツにスキップ

ハンダラ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハンダラ
Graffiti_of_Peace_in_Bethlehem_on_Apartheid_Wall_by_Street_Artist_Kis-Lev
作者さくしゃ ナージー・アル=アリー英語えいごばん
詳細しょうさい情報じょうほう
性別せいべつ おとこ
職業しょくぎょう 10さい子供こども
加盟かめい 正義まさよし堅忍不抜けんにんふばつ (スムード英語えいごばんアラビアばん参照さんしょう)、貧困ひんこん
国籍こくせき パレスチナ
テンプレートを表示ひょうじ

ハンダラ英字えいじ表記ひょうきれい:Handala[注釈ちゅうしゃく 1]アラビアحنظلة文語ぶんごアラビア発音はつおん:Ḥanẓala(h), ハンザラ、口語こうごアラビア現地げんち方言ほうげん発音はつおん:Ḥanḍala, ハンダラ)は、パレスチナ風刺ふうし漫画まんがによってされた10さい少年しょうねんという設定せっていパレスチナ象徴しょうちょうてきキャラクターであり、パレスチナじんそのものを擬人ぎじんした存在そんざいとされている[1][2]

このキャラクターは、パレスチナ難民なんみん風刺ふうし漫画まんがいえナージー・アル=アリー英語えいごばんアラビアばん[注釈ちゅうしゃく 2]ناجي العلي, Nājī al-ʿAlī)がクウェート生活せいかつしていた1969ねん創作そうさくされ、1973ねんはじめて現在げんざいかたちになった[3][4]

ハンダラはナージー・アル=アリーの漫画まんが代表だいひょうさくとなり、パレスチナじんのアイデンティティとつよ抵抗ていこう象徴しょうちょうてきなシンボルでありつづけている。このキャラクターは「戦争せんそう抵抗ていこう、そしてパレスチナじんのアイデンティティをおどろくほど明瞭めいりょうえがいている」とひょうされている[5]

名前なまえはアラブ地域ちいき砂漠さばくえるスイカによく植物しょくぶつコロシント英語えいごばん(学名がくめいCitrullus colocynthis、アラビアではハンダハラ)に由来ゆらいする伝統でんとうてきアラブ男性だんせいめいハンザラ(アラビアحنظلة文語ぶんごアラビア発音はつおん:Ḥanẓala(h))[6][注釈ちゅうしゃく 3]にちなむ。ハンザラのじつ非常ひじょうにがくアラビアでは苦味にがみ代名詞だいめいしともなっているが、作者さくしゃはげしい苦味にがみからられたふるいアラブ人名じんめい意味いみかたりひびきもぴったりだとかんじ、スースー(سوسو, Sūsū)やズーズー(زوزو, Zūzū)といった(今風いまふうしょう洒落しゃれあいらしい)名前なまえではなくハンザラ(ハンダラ)をえてえらんだ[7]という。名前なまえ由来ゆらいになったはげしい苦味にがみはパレスチナじんたちのくるしく悲劇ひげきてきざまあらわすものであり、このキャラクターは名前なまえ自体じたいもパレスチナを体現たいげんする存在そんざいだとみなされている[8][9]

ハンダラの名前の由来となった植物
ハンダラの名前なまえ由来ゆらいとなった植物しょくぶつコロシント英語えいごばん(学名がくめい: Citrullus colocynthis)

ハンダラの影響えいきょうは、1987ねんにナージー・アル=アリーが暗殺あんさつされたのちすうじゅう年間ねんかんわたってつづいている。今日きょうでもこのキャラクターはパレスチナじん代表だいひょうとしてひろしたしまれており、ヨルダン川よるだんがわ西岸せいがん地区ちく(とくヨルダン川よるだんがわ西岸せいがん地域ちいき分離ぶんりかべグラフィティ・アートとして)、ガザ地区ちく、そのパレスチナ難民なんみんキャンプ英語えいごばんいたところすうおおくのかべ建物たてものえがかれているほか、タトゥーやジュエリーのモチーフとしても人気にんきがある[10]

初期しょき出版しゅっぱんぶつ

[編集へんしゅう]

ハンダラは1969ねん7がつ13にちクウェート新聞しんぶんアッ=スィヤーサ英語えいごばんかみはじめて登場とうじょうし、そのさい正面しょうめんいていたが[1]、1973ねんじゅうがつ戦争せんそう以降いこうはじめてものけ、両手りょうてうしろでんでいた[3][11]

象徴しょうちょうてき意味いみ

[編集へんしゅう]

ハンダラの10さいという年齢ねんれいは、1948ねんイスラエル建国けんこくともなえなうナクバによってパレスチナを強制きょうせい退避たいひさせられ[4][11]占領せんりょうされた祖国そこく帰還きかん出来できるまで成長せいちょうしなかったナージー・アル=アリーの年齢ねんれいあらわしている[12]。ナージー・アル=アリーはつぎのようにいている:

ハンダラは10さいまれ、これからもずっと10さいです。わたし祖国そこくはなれたのはその年齢ねんれいでした。ハンダラが帰還きかんするときかれはまだ10さいで、そしてその成長せいちょうはじめます。自然しぜん法則ほうそくかれには適用てきようされません。 かれはユニークです。 祖国そこく返還へんかんされたら、物事ものごとふたた正常せいじょうもどるでしょう[13]

両手りょうてんだかれ姿勢しせいは、このキャラクターの "アメリカりゅう解決かいけつさく提示ていじされたとき拒絶きょぜつ"と、また "わたしたちの地域ちいきにおける現在げんざいのすべての否定ひていてき潮流ちょうりゅうたいする拒絶きょぜつ象徴しょうちょう"をあらわしている[10]

ハンダラのボロボロのふく裸足はだし姿すがたは、ナージー・アル=アリーがおぼえていた難民なんみんキャンプの子供こどもたちの姿すがたで、まずしい人々ひとびとへの忠誠ちゅうせい象徴しょうちょうしている[11][10]。ナクバで祖国そこくわれたナージー・アル=アリー自身じしんいたさきは、とく過酷かこく生活せいかついられたレバノン南部なんぶアイン・アル・ヒルウェ難民なんみんキャンプ英語えいごばんだった[14][15]

ナージー・アル=アリーはハンダラを"大儀たいぎ象徴しょうちょう"と表現ひょうげんした:

かれはコンパスの矢印やじるしであり、着実ちゃくじつにパレスチナをししていました。地理ちりてき意味いみでのパレスチナだけでなく、人道的じんどうてき意味いみでのパレスチナは、それがエジプトベトナムみなみアフリカのどこにあろうとも、大儀たいぎ象徴しょうちょうです[12]


ハンダラは、占領せんりょう対峙たいじし、占領せんりょう支配しはいでの困難こんなん生活せいかつ直面ちょくめんしているパレスチナの子供こども理解りかいされている[16]


ハンダラの刺々とげとげしくったかみは、「対抗たいこう手段しゅだんとしてとげ使つかハリネズミのよう」だともべている[11]


国際こくさい連合れんごうはハンダラを「パレスチナ難民なんみんかれらがつづける正義せいぎ象徴しょうちょう」だとの認識にんしきしめしている[17]

レガシー

[編集へんしゅう]
ヨルダン川西岸地域ベツレヘムのグラフィティ・アート: ハンダラと"ピエタ"としての自由の女神
ヨルダン川よるだんがわ西岸せいがん地域ちいきベツレヘムの分離ぶんりかべグラフィティ・アート: ハンダラと"ピエタ"としての自由じゆう女神めがみ

ナージー・アル=アリーは暗殺あんさつされるまえのインタビューで、「わたしつくしたハンダラは、わたしんだのちぬことはない。わたしんでもハンダラでつづけるというのは過言かごんではないことをねがっています」とかたっていた。現在げんざい、ハンダラのモチーフは以下いかのように使つかわれている:

  • ヨルダン川よるだんがわ西岸せいがん地区ちく(とくヨルダン川よるだんがわ西岸せいがんかべのグラフィティ・アート)、ガザ地区ちく、そののパレスチナ難民なんみんキャンプのいたところすうおおくのかべ建物たてもの土産物みやげものてんグラフィティ[10]
  • イスラエルのアートワークでは、とくにイスラエルのキャラクター、スルリク英語えいごばんヘブライばんならんでいる[18]

モチーフ・ギャラリー

[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく

[編集へんしゅう]
  1. ^ そのHandalah、Handhalah、Handhala、Hanthalah、Hanthalaなど。
  2. ^ 日本語にほんごカタカナ表記ひょうきとしてはナージー・アル・アリー、ナージー アル・アリー、ナジ・アル・アリなど。1937ねんまれでクウェートではたらいている時期じきにハンダラ(ハンザラ)をつくした。英国えいこく在住ざいじゅうちゅう暗殺あんさつげたが、かれ風刺ふうし批判ひはんはパレスチナ指導しどうにもけられていたためイスラエルの諜報ちょうほう機関きかんによるものだったのか、PLOがわ刺客しかくによるものだったのか判明はんめいせず真相しんそう究明きゅうめいはならなかった。
  3. ^ ハンザラ(アラビア:حنظلة、 文語ぶんごアラビア発音はつおん:Ḥanẓala(h))自体じたい語義ごぎだが、حنظلةのうちنは余剰よじょう語根ごこん文字もじもと語根ごこんはحظل(ḥ-ẓ-l)とされる。意味いみとしては「からだうごかしたりあるいたりするのが困難こんなんになる」といった概念がいねんしめす。

出典しゅってん

[編集へんしゅう]
  1. ^ a b Faber, Michel (10 July 2009). “Review: A Child in Palestine: The Cartoons of Naji al-Ali” (英語えいご). The Guardian. https://www.theguardian.com/books/2009/jul/11/child-palestine-cartoons-al-ali 
  2. ^ Alazzeh, Ala (2012). “Abu Ahmad and His Handalas”. In LeVine, Mark; Shafir, Gershon (英語えいご). Struggle and Survival in Palestine/Israel. University of California Press. pp. 427–444. ISBN 978-0-520-26252-2. JSTOR 10.1525/j.ctt1ppwdk.34. "…one of the most popular symbols of Palestinian nationalism." 
  3. ^ a b Discourse, Culture, and Education in the Israeli-Palestinian Conflict 49 The Connection between Palestinian Culture and the Conflict” (英語えいご). Netanya Academic Centre. 17 September 2014閲覧えつらん
  4. ^ a b Stack, Liam (2017ねん8がつ29にち). “London Police Reopen Investigation Into 1987 Killing of Palestinian Cartoonist” (英語えいご). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2017/08/29/world/middleeast/naji-al-ali-murder-handala.html 2024ねん1がつ1にち閲覧えつらん 
  5. ^ Gandolfo 2010, p. 60.
  6. ^ المعاني - معاني الأسماء : حنظلة” (アラビア). 2024ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  7. ^ (アラビア) ليش سميته حنظلة؟ الجواب بصوت ناجي العلي في مقابلة تلفزيونية قديمة 🇵🇸 #ناجي_العلي #حنظلة #كاريكاتير, https://www.youtube.com/watch?v=yeCsB0ee_HA 2024ねん1がつ1にち閲覧えつらん 
  8. ^ حنظلة ناجي العلي مُستأنفا في لوحات الفنان الفلسطيني ساهر نصار” (アラビア). 2024ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  9. ^ ما زال “حنظلة” يُدير ظهره – الوفاق” (アラビア). 2024ねん1がつ1にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c d Oweis 2009.
  11. ^ a b c d Ali, Mohammed Haddad,Konstantinos Antonopoulos,Marium. “What do the keffiyeh, watermelon and other Palestinian symbols mean?” (英語えいご). Al Jazeera. 2024ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  12. ^ a b ʻAlī, Nājī; Al-Ali, Naji (2009) (英語えいご). A Child in Palestine: The Cartoons of Naji Al-Ali. Verso Books. ISBN 978-1-84467-365-0 [ようページ番号ばんごう]
  13. ^ Black, Ian (2008ねん3がつ10日とおか). “Drawing defiance” (英語えいご). The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/world/2008/mar/10/israelandthepalestinians1 2024ねん1がつ2にち閲覧えつらん 
  14. ^ says, How Naji al-Ali’s Cartoon ‘Handala’ Became an Emblem of Palestinian Resistance- News Africa Now (2023ねん10がつ17にち). “How Naji al-Ali’s Cartoon ‘Handala’ Became an Emblem of Palestinian Resistance | Egyptian Streets” (英語えいご). 2024ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  15. ^ PIJ.ORG: The Discrimination against Palestinian Refugees Living in Lebanon By Jennifer Ibrahim” (英語えいご). PIJ.ORG. 2024ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  16. ^ فرج, عبد الله. “في ذكرى اغتيال ناجي العلي.. كيف عاش حنظلة حتى الآن؟” (アラビア). الجزيرة نت. 2024ねん1がつ6にち閲覧えつらん
  17. ^ Nations, United. “The Writing is on the Wall: Annexation Past and Present | Naciones Unidas” (英語えいご). United Nations. 2024ねん1がつ2にち閲覧えつらん
  18. ^ Zohar, Gil Stern (7 January 2011). “Guest Columnist: Srulik, meet Handala”. The Jerusalem Post. https://www.jpost.com/opinion/columnists/guest-columnist-srulik-meet-handala 

参考さんこう文献ぶんけん

[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク

[編集へんしゅう]
  • handala.org - ハンダラの漫画まんが掲載けいさいされたサイト