ファイナル・カット (アルバム)

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ファイナル・カット
ピンク・フロイドスタジオ・アルバム
リリース
ジャンル プログレッシブ・ロック
時間じかん
レーベル イギリスの旗ハーヴェスト
EMI再発さいはつばん
アメリカ合衆国の旗コロムビア
キャピトル再発さいはつばん
プロデュース ロジャー・ウォーターズ、ジェイムズ・ガズリー&マイケル・ケイメン
専門せんもん評論ひょうろんによるレビュー
チャート最高さいこう順位じゅんい
  • 1英国えいこく・オフィシャルチャート)
  • 6米国べいこくビルボードチャート
  • 11日本にっぽんオリコンチャート
  • ゴールドディスク
  • 200まんまい米国べいこくRIAA
  • ピンク・フロイド アルバム 年表ねんぴょう
    時空じくう舞踏ぶとう
    (1981)
    ファイナル・カット
    (1983)
    うつ
    (1987)
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    ファイナル・カット』(The Final Cut)は、1983ねん発表はっぴょうされたピンク・フロイドアルバムロジャー・ウォーターズ在籍ざいせきのラスト・アルバムである。ほんさくはサブタイトルの"A requiem for the post war dream by Roger Waters"(ロジャー・ウォーターズによる戦後せんごゆめへのレクイエム)とあるように、ウォーターズのソロアルバムと看做みなされることがおおい。また、「フレッチャー・メモリアル・ホーム」に登場とうじょうするフレッチャーとは、ウォーターズのちちのエリック・フレッチャー・ウォーターズのことである。かれだい世界せかい大戦たいせん出兵しゅっぺいし、イタリア戦死せんししている。LPジャケットやCDのブックレットには「for Eric Fletcher Waters 1913-1944」とかれてあり、ちち鎮魂ちんこん意味いみめたアルバムである。

    解説かいせつ[編集へんしゅう]

    当初とうしょ予定よていではアルバム、コンサート、そして映画えいがと、『ザ・ウォール』の一連いちれんのプロジェクトのめくくりとして、映画えいが「ピンク・フロイド ザ・ウォール」のサウンドトラック『Spare Bricks』が制作せいさくされる予定よていであった (映画えいがでもそのように告知こくちされている) [1]。しかし、1982ねん7がつ勃発ぼっぱつしたフォークランド紛争ふんそう影響えいきょうされ、(一連いちれんのプロジェクトの発案はつあんしゃである) ロジャー・ウォーターズかんがえをあらためることになる[1]。ウォーターズは、当時とうじ首相しゅしょうマーガレット・サッチャーが決断けつだんした武力ぶりょく行使こうしきわめて批判ひはんてきだった。

    ウォーターズは、しんアルバムのテーマとしてサッチャーえい首相しゅしょうロナルド・レーガンべい大統領だいとうりょうへのメッセージをうたうことを決意けついした。戦後せんごかがやかしいゆめもとめていた兵隊へいたいたちの、その戦後せんご没落ぼつらくした姿すがたえがすことによって、より戦争せんそう悲惨ひさんさをつたえるという手法しゅほうをとっている。自分じぶん戦争せんそう加担かたんおかしてきたあやまちや苦悩くのうを、ウォーターズの父親ちちおや姿すがたをリンクさせながらつづっている。

    アルバムのタイトル「The Final Cut」はシェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』にてシーザーがブルータスに背中せなかされるさい一節いっせつ「This was the most unkinest cut of all」を参考さんこうにつけられた[1]

    プロデューサーとしてクレジットされているのはウォーターズとジェイムス・ガスリーの2人ふたりのみである。ギルモアは、ウォーターズから「共同きょうどうプロデューサーを放棄ほうきしなければプロジェクトを破棄はきする」との要求ようきゅうおうじたが、印税いんぜい配分はいぶんまでは放棄ほうきしなかった[2]。また、リチャード・ライトの名前なまえがアルバムに一切いっさいクレジットされていないことで、ライトの脱退だったい対外たいがいてきあきらかになった。 ライトにわって、ほんさくでは『ザ・ウォール』のレコーディングとツアーに参加さんかしていたアンディ・ボウンがキーボードをいている[3]

    アルバムのぜん13きょくすべてロジャー・ウォーターズいちにんのみのクレジットであり、リード・ヴォーカルも1きょくのぞいてウォーターズによるものである。「ノット・ナウ・ジョン」はギルモアがリード・ボーカルをつとめたロック・ナンバーで、シングルとしてもリリースされた。サウンド技術ぎじゅつめんでは「ホロフォニクス」とばれる立体りったい音響おんきょうシステムを導入どうにゅうしており、奥行おくゆきのあるおとづくりがおこなわれた[4]

    アルバムのテーマをウォーターズが一方いっぽうてきめ、レコーディングもウォーターズの独断どくだんすすめられた。ウォーターズはギルモアとメイスンのプレイに満足まんぞくしなくなっていき、外部がいぶのセッション・ミュージシャンをますます多用たようしていった。とくにアルバムの最後さいごかざる「トゥー・サンズ・イン・ザ・サンセット」では、ウォーターズはメイスンのプレイに満足まんぞくできず、セッションドラマーのアンディ・ニューマーク交代こうたいさせた[5]。ウォーターズとギルモアとの亀裂きれつさししならないところまですすみ、バンドないでのウォーターズのしたしい友人ゆうじんだったメイスンもギルモアに同調どうちょうするようになった[5]

    ウォーターズも、「ギルモアとメイスンとはバンド・メンバーとして一緒いっしょ活動かつどうすることはもはや不可能ふかのうだ」とさとり、バンドの活動かつどう停止ていし目論もくろむことになる。ほんさく発売はつばいにツアーをおこなうというはなしもあったが、ウォーターズが計画けいかく中止ちゅうしさせた[6]。そしてほんさく発売はつばいから2ねんの1985ねん12月、ウォーターズはピンク・フロイドからの脱退だったい発表はっぴょうした。

    評価ひょうか[編集へんしゅう]

    セールスはそれまでにくらべるとけっしてかんばしくなかったが、イギリスではチャートの1かがやいた(2しゅう連続れんぞく[7]。これは『アニマルズ』『狂気きょうき』と『ザ・ウォール』が達成たっせいできなかったことである(ただし、売上うりあげ枚数まいすう自体じたいは3さくのほうがうえである)。

    ウォーターズの私小説ししょうせつてき内容ないようであることや、非常ひじょうおも沈痛ちんつうなサウンドであることから、ほんさくたいする評価ひょうか賛否さんぴ両論りょうろんかれている。ローリング・ストーンのライターであるカート・ローダーは「最高さいこう傑作けっさく。ロック・アートの不朽ふきゅう名作めいさく」と絶賛ぜっさんした[8]

    収録しゅうろくきょく[編集へんしゅう]

    1. ザ・ポスト・ウォー・ドリーム The Post War Dream
    2. ユア・ポッシブル・パスツ Your Possible Past
    3. ワン・オブ・ザ・フュー One Of The Few
    4. ホエン・ザ・タイガーズ・ブローク・フリー When The Tigers Broke Free
    5. ザ・ヒーローズ・リターン The Hero's Return
    6. ザ・ガンナーズ・ドリーム The Gunner's Dream
    7. パラノイド・アイズ Paranoid Eyes
    8. ゲット・ユア・フィルシィ・ハンズ・オフ・マイ・デザート Get Your Filthy Hands Off My Desert
    9. ザ・フレッチャー・メモリアル・ホーム The Fletcher Memorial Home
    10. サザンプトン・ドック Southampton Dock
    11. ファイナル・カット The Final Cut
    12. ノット・ナウ・ジョン Not Now John
    13. トゥー・サンズ・イン・ザ・サンセット Two Suns In The Sunset
    • 4.は2004ねんリマスター再発さいはつばん収録しゅうろくのボーナス・トラック。

    脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

    1. ^ a b c ニコラス・シャフナーちょ 今井いまいみきはれやく『ピンク・フロイド 神秘しんぴ』1993ねん宝島社たからじましゃ、p.305
    2. ^ シャフナー、1993ねん、p.307
    3. ^ マベット、1995ねん、p.153
    4. ^ アンディ・マベットちょ 山崎やまざき智之としゆきやく『ピンク・フロイド全曲ぜんきょく解説かいせつ』1995ねん、シンコー・ミュージック、p.154
    5. ^ a b シャフナー、1993ねん、p.308
    6. ^ シャフナー、1993ねん、p.314
    7. ^ Pink Floyd|full Official Chart History”. Official Charts. 2023ねん1がつ20日はつか閲覧えつらん
    8. ^ シャフナー、1993ねん、p.313