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ロジャー・ウォーターズ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロジャー・ウォーターズ
チリ・サンティアゴ公演こうえん(2018ねん11月)
基本きほん情報じょうほう
出生しゅっしょうめい George Roger Waters
生誕せいたん (1943-09-06) 1943ねん9月6にち(80さい
出身しゅっしん イングランドの旗 イングランド サリーしゅうグレート・ブッカム ケンブリッジシャーしゅうケンブリッジ
ジャンル
職業しょくぎょう
担当たんとう楽器がっき
活動かつどう期間きかん 1964ねん -
レーベル
共同きょうどう作業さぎょうしゃ ピンク・フロイド
公式こうしきサイト ROGER WATERS.net

ジョージ・ロジャー・ウォーターズ英語えいご: George Roger Waters, 1943ねん9月6にち - )は、イングランド出身しゅっしんミュージシャン作曲さっきょくベーシスト

もとピンク・フロイドのメンバーであり、創作そうさくめん中心ちゅうしんてき存在そんざいだった人物じんぶつとしてられる。みずか考案こうあんしたロック・オペラ作品さくひんザ・ウォール』は、自身じしん代表だいひょうてき演目えんもくとしてたか知名度ちめいどほこる。2016ねんグラミーしょう受賞じゅしょう

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

父親ちちおやは、かれが5ヶ月かげつときだい世界せかい大戦たいせん1944ねん)にイタリアアンツィオ戦死せんしした。父親ちちおやかれうつった家族かぞく写真しゃしんはあるが、ちち記憶きおくかれにはない。そのことは、かれ人間にんげん形成けいせいきょくづくりにもおおきな影響えいきょうおよぼしている。

母親ははおや共産党きょうさんとういんだったため、非常ひじょうはん政府せいふ反米はんべい思想しそうつよく、そのことが原因げんいんで、おさなころ周囲しゅういからけられていたという経緯けいいもある。そうした背景はいけいから、ウォーターズのえが歌詞かし内容ないようきわめて左翼さよくてきであり、自身じしん社会しゃかい主義しゅぎものであると公言こうげんしている。2022ねんロシアのウクライナ侵攻しんこうについてもロシアがわ理解りかいしめ主張しゅちょうもしているため[2]西側にしがわ人々ひとびとからおおきな反感はんかんった[3]

非常ひじょう気難きむずかしい性格せいかくられており、音楽おんがく制作せいさくかんしては偏執へんしゅうてきなまでのこだわりをせる。いわゆる完璧かんぺき主義しゅぎものであり、アルバムのコンセプトにわないとおもったら、どんな名曲めいきょくでもあっさりとててしまう。また、マスコミきらいでもある(これはのフロイド・メンバーも同様どうよう)。

尊敬そんけいするアーティストとしては、ジョン・レノンニール・ヤングボブ・ディラン名前なまえげている。ボブ・ディランについては、のちに「天国てんごくとびら」をカバーしている。ジョン・レノンについては、『ジョンのたましい』をあい聴するなどふか傾倒けいとうしていた。

また、自身じしんよりのち世代せだいのミュージック・シーンにはうとかったが、ピンク・フロイドと比較ひかくされることがおおレディオヘッドのように、自身じしん影響えいきょうけたとかた後進こうしんのアーティストにたいしては素直すなおよろこびをかたっている[よう出典しゅってん]

ピンク・フロイドのメンバーとは、自身じしん脱退だったい以来いらい疎遠そえん状態じょうたいとなり、デヴィッド・ギルモアリチャード・ライトとは犬猿けんえんなかであった(「LIVE 8」での競演きょうえん以降いこうはある程度ていど和解わかいしたようである)が、ドラムスのニック・メイスンとは比較的ひかくてき友好ゆうこう関係かんけいにある[4]。 2010ねん7がつにはデヴィッドのさそいをけて、パレスチナの将来しょうらいにな次世代じせだい青少年せいしょうねん希望きぼうあたえるための活動かつどうをしている団体だんたいのチャリティーコンサートでデヴィッドとなかむつまじく共演きょうえんした。そのさいにデヴィッドから「チャリティーコンサートに出演しゅつえんしてくれたら、ザ・ウォールのコンサートで演奏えんそうしてもいい」とわれ、それは2011ねん5がつ12にち実現じつげんした。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

ピンク・フロイドのメンバーとして[編集へんしゅう]

1970ねん
アルバム『アニマルズ』で、ウォーターズが考案こうあんした 「そらぶた

1960年代ねんだいのデビュー当時とうじのピンク・フロイドは、実質じっしつてきシド・バレットのワンマン・バンドだった。しかし、ドラッグけで活動かつどうがおぼつかなくなったバレットの脱退だったい解雇かいこ、ウォーターズを実質じっしつてきなリーダーとするバンドとしてさい出発しゅっぱつした。

1970年代ねんだい以降いこう主要しゅようきょくろすなど、バンドの中心ちゅうしんてきソングライターとして活躍かつやく自身じしんぜん作詞さくし手掛てがけたコンセプト・アルバム狂気きょうき』(1973ねん)の空前くうぜんだい成功せいこう以後いごは、フロイドの楽曲がっきょく歌詞かしすべてをウォーターズが担当たんとうすることとなり、作詞さくしとしても存在そんざいかんせる。バンドでは次第しだいにウォーターズの意向いこうつよ反映はんえいされるようになり、ついには自身じしんのワンマン・バンドするにいたる。そのながれのなかで、『ザ・ウォール』(1979ねん)レコーディングちゅうリチャード・ライト解雇かいこや、『ファイナル・カット』(1983ねん)レコーディングちゅうのギルモアとのはげしい口論こうろんこるなど、フロイドは実質じっしつてき空中くうちゅう分解ぶんかいするにいたった。

ソロとしての活動かつどう[編集へんしゅう]

ピンク・フロイド在籍ざいせき1970ねん、アルバム『肉体にくたい(ボディ)』を発表はっぴょうしている。時折ときおりウォーターズのソロ・デビューさくとして紹介しょうかいされるが、正確せいかくにはロン・ギーシン(イギリスの前衛ぜんえい音楽家おんがくか)のアルバムにウォーターズがゲスト参加さんかしたもの。ちなみに、ピンク・フロイドのメンバー3にんも1きょくだけ参加さんかしている。

アルバム『ザ・ウォール』の構想こうそうっていた1978ねんにギルモアとライトの2人ふたりはソロ・デビューをたしているが、ウォーターズはバンドの楽曲がっきょく制作せいさく専念せんねんしていたこともあり、自身じしんのソロ活動かつどう1984ねんになってから本格ほんかくてきはじまった。

その1984ねん、1stアルバム『ヒッチハイクの賛否さんぴ両論りょうろん』を発表はっぴょう。ゲストにはエリック・クラプトンメル・コリンズという豪華ごうかメンバーがまねかれた。主人公しゅじんこうているゆめ同時どうじ進行しんこうっていくという内容ないようコンセプト・アルバムになっている。アルバム発売はつばいのツアーでも、途中とちゅうまでクラプトンがギタリストとして参加さんかしていた。

1985ねんすえ、ウォーターズは「フロイドでやれることはすべてやりくした」としてバンドを正式せいしき脱退だったいする。当初とうしょはバンド自体じたい活動かつどう停止ていし目論もくろんでいたが、レコード会社かいしゃのメンバーから同意どういられず、デヴィッド・ギルモアを中心ちゅうしんにした新生しんせいピンク・フロイドがうごはじめると、ウォーターズはこれに激怒げきどし、訴訟そしょう沙汰ざたにまで発展はってんした。最終さいしゅうてきにウォーターズをのぞいたピンク・フロイド名義めいぎのアルバム収益しゅうえき一部いちぶを、ウォーターズもるというかたち和解わかいわった。結局けっきょく、ピンク・フロイドからウォーターズが脱退だったいし、ウォーターズきの新生しんせいピンク・フロイドが存続そんぞくするという結果けっかになった。

1986ねんにはレイモンド・ブリッグズ原作げんさくのアニメ映画えいがふうくとき』のサウンド・トラックばん手掛てがける。ウォーターズのほかにも、デヴィッド・ボウイジェネシススクイーズらが参加さんかした。

新生しんせいピンク・フロイドとの対決たいけつ[編集へんしゅう]

新生しんせいピンク・フロイド (1989ねん)

1987ねん、2ndアルバムとなる『RADIO K.A.O.S.』を発表はっぴょう前作ぜんさく同様どうようのコンセプト・アルバムであるが、ますますコンセプトは複雑ふくざつになってきている。ちょうどこのころ、ウォーターズきで活動かつどう再開さいかいした新生しんせいピンク・フロイドの復活ふっかつさくうつ』と発売はつばい日程にっていやツアー・スケジュールがかさなり、はげしいバトルを展開てんかいするが、アルバム売上うりあげ観客かんきゃく動員どういん双方そうほう新生しんせいフロイドがわ圧勝あっしょうわる。

ピンク・フロイドのツアーは各地かくちスタジアムちょう満員まんいんにするロングラン公演こうえんとなったが、一方いっぽうのウォーターズは地方ちほうでは空席くうせき目立めだつようなきゃくりだった。この結果けっかおおきなショックをけたウォーターズは、1990年代ねんだい後半こうはんまで10ねんちかくライブ活動かつどう封印ふういんすることとなった。

「ザ・ウォール」ライブ (1990ねん)

1990ねんには前年ぜんねんベルリンのかべ崩壊ほうかい記念きねんした一大いちだいライブ・イベント「The Wall Live In Berlin」を開催かいさいする。ザ・バンドシンディ・ローパージョニ・ミッチェルスコーピオンズヴァン・モリソンなど錚々たるメンバーが参加さんかし、20まんにんもの観客かんきゃく動員どういんした。そのライブ・アルバムとビデオが発売はつばいされた(現在げんざいDVDでも再発さいはつ)。

1992ねん、5ねんりとなる新作しんさく死滅しめつ遊戯ゆうぎ』を発表はっぴょう。ゲストにジェフ・ベックまねかれ話題わだいんだ。湾岸わんがん戦争せんそう天安門てんあんもん事件じけん題材だいざいげるなど、ウォーターズの作品さくひんなかでもとく社会しゃかいてき政治せいじてき色合いろあいが作品さくひんとなっている。プレスからは「『ザ・ウォール以来いらい情熱じょうねつてき作品さくひん」とひょうされ、久々ひさびさたか評価ひょうかた。「このアルバムが200まんまいれたらツアーをやる」と公言こうげんしていたが、結局けっきょくゴールドディスクまりだったため実現じつげんしなかった。

1998ねんには映画えいがうみうえのピアニスト』の主題歌しゅだいかとして「Lost Boys Calling」を制作せいさく巨匠きょしょうエンニオ・モリコーネ共演きょうえんした楽曲がっきょくで、エディ・ヴァン・ヘイレンがギターで参加さんかしている。

沈黙ちんもくから復活ふっかつ、ツアー活動かつどう[編集へんしゅう]

2006ねん6がつ

1990年代ねんだいなが沈黙ちんもくつづけていたが、1999ねん突如とつじょワールド・ツアーをおこなうと発表はっぴょう2002ねんには自身じしん3度目どめとなる来日らいにち公演こうえん実現じつげんした(1度目どめ1971ねんに、2度目どめ1972ねんにそれぞれピンク・フロイドとして来日らいにち)。このライブ・ツアーの模様もよう収録しゅうろくしたライブ・アルバムDVD発売はつばいされている。過去かこのピンク・フロイド時代じだいのレパートリーも多数たすう披露ひろうされている。

2002ねん、これまでのソロ活動かつどう集約しゅうやくしたベスト・アルバム『フリッカーリング・フレイム』を発表はっぴょうした。1984ねん以降いこうのソロ・キャリアをまとめたもので、フロイド時代じだい作品さくひんや1970ねんのアルバム『肉体にくたい』からは選曲せんきょくされていない。また、新曲しんきょくやカバーきょく収録しゅうろくされている。ちなみに、このベストばんはワールド・ツアーを開催かいさいしたくにでしか生産せいさん発売はつばいされていない限定げんていばんである。

2004ねんインターネットでのダウンロード販売はんばいのみで新曲しんきょく「To Kill The Child/Leaving Beirut」の2きょく発売はつばい日本にっぽんのみCDされた)。イラク戦争せんそうブッシュ政権せいけんブレア政権せいけん批判ひはんした内容ないようとなっている。

2005ねんになると、1980年代ねんだい後半こうはんから制作せいさくつづけてきたオペラ・アルバム『サ・イラ〜希望きぼうあれ』を発表はっぴょう日本にっぽん国内こくないばん2006ねん発売はつばい)。『ザ・ウォール』や『ファイナル・カット』のようなロック・オペラではなく、純粋じゅんすいなオペラ作品さくひんであり、ヴォーカルもウォーターズではなくプロのオペラ歌手かしゅまねかれている。フランス革命かくめい題材だいざいにしており、壮大そうだいなスケールの作品さくひんとなっている。

ピンク・フロイド 「Live8」 (2005ねん)

同年どうねん7がつ2にちには、アフリカ貧困ひんこん撲滅ぼくめつチャリティー・イベント「LIVE 8」に、ピンク・フロイドのメンバーとして参加さんか黄金おうごんのメンバー4にんおなじステージにつのは24ねんりのことで、「ピンク・フロイドさい結成けっせい」として世界せかいてきなビッグ・ニュースとなった。しかし、あくまで一夜いちやかぎりのリユニオンであり、そのはそれぞれソロ活動かつどうへともどっていく。

「The Dark Side of the Moon Live」ライブ (2006ねん)

2006ねんから2008ねんにかけて、ふたたびワールド・ツアー「The Dark Side of the Moon Live」を開始かいしする。このライヴのだいでは、1973ねんのアルバム『狂気きょうき』を完全かんぜん再現さいげん話題わだいぶ。公演こうえんによっては、スペシャル・ゲストとしてメイスンも参加さんかしている。また、2007ねん7がつ7にちおこなわれたライヴ・アースジャイアンツ・スタジアム公演こうえん出演しゅつえんする。

ニック・メイスン(ひだり) デイヴ・ギルモア(みぎ) 2011ねん5がつロンドン・O2アリーナにて

2010ねんからは『ザ・ウォール』の発売はつばい30周年しゅうねん記念きねんしたソロ・ツアー「The Wall Live」をおこなう。ぜん世界せかいまわだい規模きぼなツアーとなっており、驚異きょういてき観客かんきゃく動員どういん記録きろくしている。ビルボード発表はっぴょうによる「2010ねん米国べいこくもっとかせいだアーティスト」(Music's Top 40 Money Makers 2011)において、レディー・ガガボン・ジョヴィいでだい3(2,449まんドル)となっている。2011ねん5月12にちロンドンO2アリーナでの公演こうえんにギルモアとメイスンが出演しゅつえんし、久々ひさびさにフロイドのメンバー3にんかおそろえた。

「ザ・ウォール」ライブ2012年版ねんばん

そのもツアーは好評こうひょうはくし、2012ねんまで大幅おおはば延長えんちょうされ世界せかい各国かっこくまわっている。2012ねん上半期かみはんき世界せかいコンサート・ツアー興行こうぎょう収入しゅうにゅうでも、140まんにん動員どういんして1おく5,810まんドル(やく125おくえん)をげ、堂々どうどうの1かがやいた[5]。さらに、2013ねんつづきヨーロッパを中心ちゅうしんにスタジアム・ツアーとして再演さいえんされることが決定けっていした。

2012ねん12月12にちニューヨークしゅうニュージャージーしゅうおそったハリケーン「サンディ」による被災ひさいしゃ救援きゅうえんコンサートに出演しゅつえんほかにもブルース・スプリングスティーンポール・マッカートニーローリング・ストーンズビリー・ジョエルといった豪華ごうかメンバーがマディソン・スクエア・ガーデンがおそろえた。

2016ねん、3rdアルバム『死滅しめつ遊戯ゆうぎ』のリマスターばんで「グラミーしょう受賞じゅしょう[6]

2017ねん、25ねんぶりのオリジナル・ソロアルバム『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』を発表はっぴょう。アルバムにともなうワールドツアー「US+THEM Tour」をすうねんわたって開始かいしする[7]

エピソード[編集へんしゅう]

愛用あいようの「オベーションせいクラシックギター
  • ピンク・フロイド在籍ざいせきよりコンセプト・アルバムつくつづけているが、その理由りゆうについて「それは小説しょうせつに“あなたは何故なぜ小説しょうせつつづけるのか、何故なぜエッセイじゃないのか”とくのとおなじことだよ。ぼくはコンセプト・アルバムという形態けいたいなかでこそ、自分じぶん表現ひょうげん可能かのうだとおもっている」とはなしている[8]
  • 作詞さくしをするじょう心掛こころがけているてんは「すべてを表現ひょうげんしないこと」だという。あえて欠落けつらくした部分ぶぶんつくることによって、ききてのイマジネーションにゆだねることが重要じゅうようだとはなしている。
  • 一時期いちじきゴルフ熱中ねっちゅうしていた。ウォーターズはゴルフのことを「人生じんせいもっと複雑ふくざつかつ重層じゅうそうてきあらわ縮図しゅくずのようなゲーム」とひょうしている。ちなみに、ロン・ギーシンがゴルフ仲間なかまだった[9]
  • 1987ねんのツアーで、新生しんせいピンク・フロイドとツアーがぶつかったさい観客かんきゃく動員どういんなどにおいて圧倒的あっとうてきをつけられたことがわすれられない経験けいけんになったという。それ以降いこう、なかなかツアーに自信じしんてなくなり、1999ねんまでツアーを開催かいさいしていない。
  • これまでにすうおおくの楽曲がっきょく発表はっぴょうしているが、のアーティストに楽曲がっきょく提供ていきょうしたことはほとんどない。唯一ゆいいつ提供ていきょうきょくマリアンヌ・フェイスフルの1999ねんのアルバム『ヴァガボンド・ウェイズ』に収録しゅうろくされている「Incarceration Of A Flower Child」で、楽曲がっきょく自体じたい1960年代ねんだい後半こうはんかれたもの。ウォーターズもベースで参加さんかしている。
  • 2000年代ねんだい以降いこうニューヨークきょかまえている。アメリカでは民主党みんしゅとう支持しじしており、2008ねん大統領だいとうりょうせんでもバラク・オバマ支持しじ表明ひょうめいしたが、そののオバマ大統領だいとうりょう外交がいこう政策せいさくには「失望しつぼうした」とべている[10]

日本にっぽん公演こうえん[編集へんしゅう]

  • 2002ねん

ディスコグラフィ[編集へんしゅう]

スタジオ・アルバム[編集へんしゅう]

サウンドトラック・アルバム[編集へんしゅう]

ライブ・アルバム[編集へんしゅう]

シングル[編集へんしゅう]

  • 『トゥ・キル・ザ・チャイルド/リーヴィング・ベイルート』 (2004ねん) ※日本にっぽん限定げんていばん

そののアルバム[編集へんしゅう]

  • フリッカーリング・フレイム』 - Flickering Flame - The Solo Years, Volume 1 (2002ねん) ※ベスト・アルバム
  • サ・イラ〜希望きぼうあれ』 - Ça Ira (2005ねん) ※オペラ作品さくひん
  • ストラヴィンスキー:兵士へいし物語ものがたり』 - The Soldier’s Tale (2018ねん) ※クラシック作品さくひんかた担当たんとう
  • 『ザ・ロックダウン・セッションズ』 - The Lockdown Sessions (2023ねん) ※配信はいしん限定げんていアルバムとしてリリース、CD・レコードが発売はつばいになった。
  • 狂気きょうき - リダックス』- The Dark Side Of The Moon Redux (2023ねん) ※ピンク・フロイドのスタジオ・アルバムをさい構築こうちくしたアルバム。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e Roger Waters – Artist Details - オールミュージック. 2023ねん4がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ ロジャー・ウォーターズ、ウクライナ紛争ふんそうについてオレーナ・ゼレンシカ大統領だいとうりょう夫人ふじんへの公開こうかい書簡しょかん発表はっぴょう”. NME JAPAN (2022ねん9がつ7にち). 2022ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  3. ^ R・ウォーターズさん拒否きょひこのましからざる人物じんぶつ」に―ポーランド南部なんぶ”. 時事通信じじつうしん (2022ねん9がつ29にち). 2022ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  4. ^ ピンク・フロイドのニック・メイスン「ロジャー・ウォーターズとデイヴ・ギルモアが和解わかいできない理由りゆう」をかた”. ロッキング・オン (2022ねん6がつ30にち). 2022ねん10がつ9にち閲覧えつらん
  5. ^ 今年ことし上期かみきのツアーきょうおさむ、ピンク・フロイドもとメンバーが1
  6. ^ ロジャー・ウォーターズ『死滅しめつ遊戯ゆうぎ』、最優秀さいゆうしゅうサラウンド・アルバムしょう受賞じゅしょう - BARKS
  7. ^ ロジャー・ウォーターズ、現代げんだい世界せかい情勢じょうせい警鐘けいしょうらす25ねんぶりの新作しんさく登場とうじょう - BARKS
  8. ^ アルバム『フリッカーリング・フレイム』ライナーノーツより
  9. ^ シンコーミュージック『ピンク・フロイド・ファイル』p.38
  10. ^ オバマ大統領だいとうりょう、ジェイ・Z、アーケイド・ファイア、ヴァンパイア・ウィークエンドらに支援しえん希望きぼう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]