ジョージ・ロジャー・ウォーターズ (英語 えいご : George Roger Waters , 1943年 ねん 9月6日 にち - )は、イングランド 出身 しゅっしん のミュージシャン 、作曲 さっきょく 家 か 、ベーシスト 。
元 もと ピンク・フロイド のメンバーであり、創作 そうさく 面 めん の中心 ちゅうしん 的 てき 存在 そんざい だった人物 じんぶつ として知 し られる。自 みずか ら考案 こうあん したロック・オペラ 作品 さくひん 『ザ・ウォール 』は、自身 じしん の代表 だいひょう 的 てき な演目 えんもく として高 たか い知名度 ちめいど を誇 ほこ る。2016年 ねん 度 ど 『グラミー賞 しょう 』受賞 じゅしょう 。
父親 ちちおや は、彼 かれ が5ヶ月 かげつ の時 とき に第 だい 二 に 次 じ 世界 せかい 大戦 たいせん 時 じ (1944年 ねん )にイタリア のアンツィオ で戦死 せんし した。父親 ちちおや と彼 かれ が写 うつ った家族 かぞく 写真 しゃしん はあるが、父 ちち の記憶 きおく は彼 かれ にはない。そのことは、彼 かれ の人間 にんげん 形成 けいせい や曲 きょく 作 づく りにも大 おお きな影響 えいきょう を及 およ ぼしている。
母親 ははおや は共産党 きょうさんとう 員 いん だったため、非常 ひじょう に反 はん 政府 せいふ ・反米 はんべい の思想 しそう が強 つよ く、そのことが原因 げんいん で、幼 おさな い頃 ころ に周囲 しゅうい から避 さ けられていたという経緯 けいい もある。そうした背景 はいけい から、ウォーターズの描 えが く歌詞 かし の内容 ないよう は極 きわ めて左翼 さよく 的 てき であり、自身 じしん は社会 しゃかい 主義 しゅぎ 者 もの であると公言 こうげん している。2022年 ねん ロシアのウクライナ侵攻 しんこう についてもロシア側 がわ に理解 りかい を示 しめ す主張 しゅちょう もしているため[2] 、西側 にしがわ の人々 ひとびと から大 おお きな反感 はんかん を買 か った[3] 。
非常 ひじょう に気難 きむずか しい性格 せいかく で知 し られており、音楽 おんがく 制作 せいさく に関 かん しては偏執 へんしゅう 的 てき なまでのこだわりを見 み せる。いわゆる完璧 かんぺき 主義 しゅぎ 者 もの であり、アルバムのコンセプトに合 あ わないと思 おも ったら、どんな名曲 めいきょく でもあっさりと切 き り捨 す ててしまう。また、マスコミ 嫌 きら いでもある(これは他 た のフロイド・メンバーも同様 どうよう )。
尊敬 そんけい するアーティストとしては、ジョン・レノン やニール・ヤング 、ボブ・ディラン の名前 なまえ を挙 あ げている。ボブ・ディランについては、後 のち に「天国 てんごく の扉 とびら 」をカバーしている。ジョン・レノンについては、『ジョンの魂 たましい 』を愛 あい 聴するなど深 ふか く傾倒 けいとう していた。
また、自身 じしん より後 のち の世代 せだい のミュージック・シーンには疎 うと かったが、ピンク・フロイドと比較 ひかく されることが多 おお いレディオヘッド のように、自身 じしん に影響 えいきょう を受 う けたと語 かた る後進 こうしん のアーティストに対 たい しては素直 すなお に喜 よろこ びを語 かた っている[要 よう 出典 しゅってん ] 。
ピンク・フロイドのメンバーとは、自身 じしん の脱退 だったい 以来 いらい 疎遠 そえん な状態 じょうたい となり、デヴィッド・ギルモア とリチャード・ライト とは犬猿 けんえん の仲 なか であった(「LIVE 8 」での競演 きょうえん 以降 いこう はある程度 ていど 和解 わかい したようである)が、ドラムスのニック・メイスン とは比較的 ひかくてき 友好 ゆうこう な関係 かんけい にある[4] 。
2010年 ねん 7月 がつ にはデヴィッドの誘 さそ いを受 う けて、パレスチナの将来 しょうらい を担 にな う次世代 じせだい の青少年 せいしょうねん に希望 きぼう を与 あた えるための活動 かつどう をしている団体 だんたい のチャリティーコンサートでデヴィッドと仲 なか 睦 むつ まじく共演 きょうえん した。その際 さい にデヴィッドから「チャリティーコンサートに出演 しゅつえん してくれたら、ザ・ウォールのコンサートで演奏 えんそう してもいい」と言 い われ、それは2011年 ねん 5月 がつ 12日 にち に実現 じつげん した。
ピンク・フロイドのメンバーとして [ 編集 へんしゅう ]
1970年 ねん
アルバム『アニマルズ』で、ウォーターズが考案 こうあん した 「空 そら 飛 と ぶ豚 ぶた 」
1960年代 ねんだい のデビュー当時 とうじ のピンク・フロイドは、実質 じっしつ 的 てき にシド・バレット のワンマン・バンドだった。しかし、ドラッグ 漬 づ けで活動 かつどう がおぼつかなくなったバレットの脱退 だったい (解雇 かいこ )後 ご 、ウォーターズを実質 じっしつ 的 てき なリーダーとするバンドとして再 さい 出発 しゅっぱつ した。
1970年代 ねんだい 以降 いこう は主要 しゅよう な曲 きょく を書 か き下 お ろすなど、バンドの中心 ちゅうしん 的 てき なソングライター として活躍 かつやく 。自身 じしん が全 ぜん 作詞 さくし を手掛 てが けたコンセプト・アルバム 『狂気 きょうき 』(1973年 ねん )の空前 くうぜん の大 だい 成功 せいこう 以後 いご は、フロイドの楽曲 がっきょく の歌詞 かし すべてをウォーターズが担当 たんとう することとなり、作詞 さくし 家 か としても存在 そんざい 感 かん を見 み せる。バンドでは次第 しだい にウォーターズの意向 いこう が強 つよ く反映 はんえい されるようになり、ついには自身 じしん のワンマン・バンド化 か するに至 いた る。その流 なが れの中 なか で、『ザ・ウォール 』(1979年 ねん )レコーディング中 ちゅう のリチャード・ライト の解雇 かいこ や、『ファイナル・カット 』(1983年 ねん )レコーディング中 ちゅう のギルモアとの激 はげ しい口論 こうろん が起 お こるなど、フロイドは実質 じっしつ 的 てき に空中 くうちゅう 分解 ぶんかい するに至 いた った。
ソロとしての活動 かつどう へ [ 編集 へんしゅう ]
ピンク・フロイド在籍 ざいせき 時 じ の1970年 ねん 、アルバム『肉体 にくたい (ボディ) 』を発表 はっぴょう している。時折 ときおり ウォーターズのソロ・デビュー作 さく として紹介 しょうかい されるが、正確 せいかく にはロン・ギーシン (イギリスの前衛 ぜんえい 音楽家 おんがくか )のアルバムにウォーターズがゲスト参加 さんか したもの。ちなみに、ピンク・フロイドの他 た メンバー3人 にん も1曲 きょく だけ参加 さんか している。
アルバム『ザ・ウォール 』の構想 こうそう を練 ね っていた1978年 ねん にギルモアとライトの2人 ふたり はソロ・デビューを果 は たしているが、ウォーターズはバンドの楽曲 がっきょく 制作 せいさく に専念 せんねん していたこともあり、自身 じしん のソロ活動 かつどう は1984年 ねん になってから本格 ほんかく 的 てき に始 はじ まった。
その1984年 ねん 、1stアルバム『ヒッチハイクの賛否 さんぴ 両論 りょうろん 』を発表 はっぴょう 。ゲストにはエリック・クラプトン やメル・コリンズ という豪華 ごうか メンバーが招 まね かれた。主人公 しゅじんこう の見 み ている夢 ゆめ を同時 どうじ 進行 しんこう で追 お っていくという内容 ないよう のコンセプト・アルバム になっている。アルバム発売 はつばい 後 ご のツアーでも、途中 とちゅう までクラプトンがギタリストとして参加 さんか していた。
1985年 ねん 末 すえ 、ウォーターズは「フロイドでやれることはすべてやり尽 つ くした」としてバンドを正式 せいしき に脱退 だったい する。当初 とうしょ はバンド自体 じたい の活動 かつどう 停止 ていし を目論 もくろ んでいたが、レコード会社 かいしゃ や他 た のメンバーから同意 どうい を得 え られず、デヴィッド・ギルモアを中心 ちゅうしん にした新生 しんせい ピンク・フロイドが動 うご き始 はじ めると、ウォーターズはこれに激怒 げきど し、訴訟 そしょう 沙汰 ざた にまで発展 はってん した。最終 さいしゅう 的 てき にウォーターズを除 のぞ いたピンク・フロイド名義 めいぎ のアルバム収益 しゅうえき の一部 いちぶ を、ウォーターズも受 う け取 と るという形 かたち の和解 わかい に終 お わった。結局 けっきょく 、ピンク・フロイドからウォーターズが脱退 だったい し、ウォーターズ抜 ぬ きの新生 しんせい ピンク・フロイドが存続 そんぞく するという結果 けっか になった。
1986年 ねん にはレイモンド・ブリッグズ 原作 げんさく のアニメ映画 えいが 『風 ふう が吹 ふ くとき 』のサウンド・トラック 盤 ばん を手掛 てが ける。ウォーターズの他 ほか にも、デヴィッド・ボウイ 、ジェネシス 、スクイーズ らが参加 さんか した。
新生 しんせい ピンク・フロイドとの対決 たいけつ [ 編集 へんしゅう ]
新生 しんせい ピンク・フロイド (1989年 ねん )
1987年 ねん 、2ndアルバムとなる『RADIO K.A.O.S. 』を発表 はっぴょう 。前作 ぜんさく 同様 どうよう のコンセプト・アルバムであるが、ますますコンセプトは複雑 ふくざつ になってきている。ちょうどこの頃 ころ 、ウォーターズ抜 ぬ きで活動 かつどう を再開 さいかい した新生 しんせい ピンク・フロイドの復活 ふっかつ 作 さく 『鬱 うつ 』と発売 はつばい 日程 にってい やツアー・スケジュールが重 かさ なり、激 はげ しいバトルを展開 てんかい するが、アルバム売上 うりあげ ・観客 かんきゃく 動員 どういん の双方 そうほう で新生 しんせい フロイド側 がわ の圧勝 あっしょう に終 お わる。
ピンク・フロイドのツアーは各地 かくち のスタジアム を超 ちょう 満員 まんいん にするロングラン公演 こうえん となったが、一方 いっぽう のウォーターズは地方 ちほう では空席 くうせき が目立 めだ つような客 きゃく 入 い りだった。この結果 けっか に大 おお きなショックを受 う けたウォーターズは、1990年代 ねんだい 後半 こうはん まで10年 ねん 近 ちか くライブ活動 かつどう を封印 ふういん することとなった。
「ザ・ウォール」ライブ (1990年 ねん )
1990年 ねん には前年 ぜんねん のベルリンの壁 かべ 崩壊 ほうかい を記念 きねん した一大 いちだい ライブ・イベント「The Wall Live In Berlin」を開催 かいさい する。ザ・バンド 、シンディ・ローパー 、ジョニ・ミッチェル 、スコーピオンズ 、ヴァン・モリソン など錚々たるメンバーが参加 さんか し、20万 まん 人 にん もの観客 かんきゃく を動員 どういん した。その後 ご 、ライブ・アルバム とビデオが発売 はつばい された(現在 げんざい はDVD でも再発 さいはつ )。
1992年 ねん 、5年 ねん 振 ふ りとなる新作 しんさく 『死滅 しめつ 遊戯 ゆうぎ 』を発表 はっぴょう 。ゲストにジェフ・ベック が招 まね かれ話題 わだい を呼 よ んだ。湾岸 わんがん 戦争 せんそう や天安門 てんあんもん 事件 じけん を題材 だいざい に取 と り上 あ げるなど、ウォーターズの作品 さくひん の中 なか でも特 とく に社会 しゃかい 的 てき ・政治 せいじ 的 てき な色合 いろあ いが濃 こ い作品 さくひん となっている。プレスからは「『ザ・ウォール 』以来 いらい の情熱 じょうねつ 的 てき な作品 さくひん 」と評 ひょう され、久々 ひさびさ に高 たか い評価 ひょうか を得 え た。「このアルバムが200万 まん 枚 まい 売 う れたらツアーをやる」と公言 こうげん していたが、結局 けっきょく ゴールドディスク 止 と まりだったため実現 じつげん しなかった。
1998年 ねん には映画 えいが 『海 うみ の上 うえ のピアニスト 』の主題歌 しゅだいか として「Lost Boys Calling」を制作 せいさく 。巨匠 きょしょう エンニオ・モリコーネ と共演 きょうえん した楽曲 がっきょく で、エディ・ヴァン・ヘイレン がギターで参加 さんか している。
沈黙 ちんもく から復活 ふっかつ 、ツアー活動 かつどう へ[ 編集 へんしゅう ]
2006年 ねん 6月 がつ
1990年代 ねんだい は長 なが く沈黙 ちんもく を続 つづ けていたが、1999年 ねん に突如 とつじょ ワールド・ツアーを行 おこな うと発表 はっぴょう 。2002年 ねん には自身 じしん 3度目 どめ となる来日 らいにち 公演 こうえん が実現 じつげん した(1度目 どめ は1971年 ねん に、2度目 どめ は1972年 ねん にそれぞれピンク・フロイドとして来日 らいにち )。このライブ・ツアーの模様 もよう を収録 しゅうろく したライブ・アルバム とDVD も発売 はつばい されている。過去 かこ のピンク・フロイド時代 じだい のレパートリーも多数 たすう 披露 ひろう されている。
2002年 ねん 、これまでのソロ活動 かつどう を集約 しゅうやく したベスト・アルバム『フリッカーリング・フレイム 』を発表 はっぴょう した。1984年 ねん 以降 いこう のソロ・キャリアをまとめたもので、フロイド時代 じだい の作品 さくひん や1970年 ねん のアルバム『肉体 にくたい 』からは選曲 せんきょく されていない。また、新曲 しんきょく やカバー曲 きょく も収録 しゅうろく されている。ちなみに、このベスト盤 ばん はワールド・ツアーを開催 かいさい した国 くに でしか生産 せいさん ・発売 はつばい されていない限定 げんてい 盤 ばん である。
2004年 ねん 、インターネット でのダウンロード 販売 はんばい のみで新曲 しんきょく 「To Kill The Child/Leaving Beirut」の2曲 きょく を発売 はつばい (日本 にっぽん のみCD化 か された)。イラク戦争 せんそう やブッシュ 政権 せいけん 、ブレア 政権 せいけん を批判 ひはん した内容 ないよう となっている。
2005年 ねん になると、1980年代 ねんだい 後半 こうはん から制作 せいさく を続 つづ けてきたオペラ ・アルバム『サ・イラ〜希望 きぼう あれ 』を発表 はっぴょう (日本 にっぽん 国内 こくない 盤 ばん は2006年 ねん 発売 はつばい )。『ザ・ウォール 』や『ファイナル・カット 』のようなロック・オペラ ではなく、純粋 じゅんすい なオペラ作品 さくひん であり、ヴォーカル もウォーターズではなくプロのオペラ歌手 かしゅ が招 まね かれている。フランス革命 かくめい を題材 だいざい にしており、壮大 そうだい なスケールの作品 さくひん となっている。
ピンク・フロイド 「Live8」 (2005年 ねん )
同年 どうねん 7月 がつ 2日 にち には、アフリカ の貧困 ひんこん 撲滅 ぼくめつ チャリティー・イベント「LIVE 8 」に、ピンク・フロイドのメンバーとして参加 さんか 。黄金 おうごん 期 き のメンバー4人 にん で同 おな じステージに立 た つのは24年 ねん 振 ふ りのことで、「ピンク・フロイド再 さい 結成 けっせい 」として世界 せかい 的 てき なビッグ・ニュースとなった。しかし、あくまで一夜 いちや 限 かぎ りのリユニオンであり、その後 ご はそれぞれソロ活動 かつどう へと戻 もど っていく。
「The Dark Side of the Moon Live」ライブ (2006年 ねん )
2006年 ねん から2008年 ねん にかけて、再 ふたた びワールド・ツアー「The Dark Side of the Moon Live」を開始 かいし する。このライヴの第 だい 二 に 部 ぶ では、1973年 ねん のアルバム『狂気 きょうき 』を完全 かんぜん 再現 さいげん し話題 わだい を呼 よ ぶ。公演 こうえん によっては、スペシャル・ゲストとしてメイスンも参加 さんか している。また、2007年 ねん 7月 がつ 7日 にち に行 おこな われたライヴ・アース のジャイアンツ・スタジアム 公演 こうえん に出演 しゅつえん する。
ニック・メイスン(左 ひだり ) デイヴ・ギルモア(右 みぎ ) 2011年 ねん 5月 がつ ロンドン・O2アリーナにて
2010年 ねん からは『ザ・ウォール 』の発売 はつばい 30周年 しゅうねん を記念 きねん したソロ・ツアー「The Wall Live」を行 おこな う。全 ぜん 世界 せかい を回 まわ る大 だい 規模 きぼ なツアーとなっており、驚異 きょうい 的 てき な観客 かんきゃく 動員 どういん を記録 きろく している。ビルボード誌 し の発表 はっぴょう による「2010年 ねん 米国 べいこく で最 もっと も稼 かせ いだアーティスト」(Music's Top 40 Money Makers 2011)において、レディー・ガガ 、ボン・ジョヴィ に次 つ いで第 だい 3位 い (2,449万 まん ドル)となっている。2011年 ねん 5月12日 にち 、ロンドン のO2アリーナ での公演 こうえん にギルモアとメイスンが出演 しゅつえん し、久々 ひさびさ にフロイドのメンバー3人 にん が顔 かお を揃 そろ えた。
「ザ・ウォール」ライブ2012年版 ねんばん
その後 ご もツアーは好評 こうひょう を博 はく し、2012年 ねん まで大幅 おおはば に延長 えんちょう され世界 せかい 各国 かっこく を回 まわ っている。2012年 ねん 上半期 かみはんき の世界 せかい コンサート・ツアー興行 こうぎょう 収入 しゅうにゅう でも、140万 まん 人 にん を動員 どういん して1億 おく 5,810万 まん ドル(約 やく 125億 おく 円 えん )を売 う り上 あ げ、堂々 どうどう の1位 い に輝 かがや いた[5] 。さらに、2013年 ねん も引 ひ き続 つづ きヨーロッパを中心 ちゅうしん にスタジアム・ツアーとして再演 さいえん されることが決定 けってい した。
2012年 ねん 12月12日 にち 、ニューヨーク州 しゅう やニュージャージー州 しゅう を襲 おそ ったハリケーン「サンディ」による被災 ひさい 者 しゃ 救援 きゅうえん コンサートに出演 しゅつえん 。他 ほか にもブルース・スプリングスティーン 、ポール・マッカートニー 、ローリング・ストーンズ 、ビリー・ジョエル といった豪華 ごうか メンバーがマディソン・スクエア・ガーデン に顔 がお を揃 そろ えた。
2016年 ねん 、3rdアルバム『死滅 しめつ 遊戯 ゆうぎ 』のリマスター盤 ばん で「グラミー賞 しょう 」受賞 じゅしょう [6] 。
2017年 ねん 、25年 ねん ぶりのオリジナル・ソロアルバム『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』を発表 はっぴょう 。アルバムに伴 ともな うワールドツアー「US+THEM Tour」を数 すう 年 ねん に渡 わた って開始 かいし する[7] 。
愛用 あいよう の「オベーション 」製 せい クラシックギター
ピンク・フロイド在籍 ざいせき 時 じ よりコンセプト・アルバム を作 つく り続 つづ けているが、その理由 りゆう について「それは小説 しょうせつ 家 か に“あなたは何故 なぜ 小説 しょうせつ を書 か き続 つづ けるのか、何故 なぜ エッセイ じゃないのか”と聞 き くのと同 おな じことだよ。僕 ぼく はコンセプト・アルバムという形態 けいたい の中 なか でこそ、自分 じぶん の表現 ひょうげん が可能 かのう だと思 おも っている」と話 はな している[8] 。
作詞 さくし をする上 じょう で心掛 こころが けている点 てん は「すべてを表現 ひょうげん しないこと」だという。あえて欠落 けつらく した部分 ぶぶん を作 つく ることによって、き手 きて のイマジネーションに委 ゆだ ねることが重要 じゅうよう だと話 はな している。
一時期 いちじき 、ゴルフ に熱中 ねっちゅう していた。ウォーターズはゴルフのことを「人生 じんせい を最 もっと も複雑 ふくざつ かつ重層 じゅうそう 的 てき に表 あらわ す縮図 しゅくず のようなゲーム」と評 ひょう している。ちなみに、ロン・ギーシンがゴルフ仲間 なかま だった[9] 。
1987年 ねん のツアーで、新生 しんせい ピンク・フロイドとツアーがぶつかった際 さい 、観客 かんきゃく 動員 どういん などにおいて圧倒的 あっとうてき な差 さ をつけられたことが忘 わす れられない経験 けいけん になったという。それ以降 いこう 、なかなかツアーに出 で る自信 じしん を持 も てなくなり、1999年 ねん までツアーを開催 かいさい していない。
これまでに数 すう 多 おお くの楽曲 がっきょく を発表 はっぴょう しているが、他 た のアーティストに楽曲 がっきょく 提供 ていきょう したことはほとんどない。唯一 ゆいいつ の提供 ていきょう 曲 きょく はマリアンヌ・フェイスフル の1999年 ねん のアルバム『ヴァガボンド・ウェイズ』に収録 しゅうろく されている「Incarceration Of A Flower Child」で、楽曲 がっきょく 自体 じたい は1960年代 ねんだい 後半 こうはん に書 か かれたもの。ウォーターズもベースで参加 さんか している。
2000年代 ねんだい 以降 いこう はニューヨーク に居 きょ を構 かま えている。アメリカでは民主党 みんしゅとう を支持 しじ しており、2008年 ねん の大統領 だいとうりょう 選 せん でもバラク・オバマ の支持 しじ を表明 ひょうめい したが、その後 ご のオバマ大統領 だいとうりょう の外交 がいこう 政策 せいさく には「失望 しつぼう した」と述 の べている[10] 。
『ヒッチハイクの賛否 さんぴ 両論 りょうろん 』 - The Pros And Cons Of Hitch Hiking (1984年 ねん )
『RADIO K.A.O.S. 』 - Radio K.A.O.S. (1987年 ねん )
『死滅 しめつ 遊戯 ゆうぎ 』 - Amused To Death (1992年 ねん )
『イズ・ディス・ザ・ライフ・ウィ・リアリー・ウォント?』 - Is This the Life We Really Want? (2017年 ねん )
サウンドトラック・アルバム [ 編集 へんしゅう ]
『トゥ・キル・ザ・チャイルド/リーヴィング・ベイルート』 ( 2004年 ねん ) ※日本 にっぽん 限定 げんてい 盤 ばん
『フリッカーリング・フレイム 』 - Flickering Flame - The Solo Years, Volume 1 (2002年 ねん ) ※ベスト・アルバム
『サ・イラ〜希望 きぼう あれ 』 - Ça Ira (2005年 ねん ) ※オペラ作品 さくひん
『ストラヴィンスキー:兵士 へいし の物語 ものがたり 』 - The Soldier’s Tale (2018年 ねん ) ※クラシック作品 さくひん 。語 かた り担当 たんとう
『ザ・ロックダウン・セッションズ』 - The Lockdown Sessions (2023年 ねん ) ※配信 はいしん 限定 げんてい アルバムとしてリリース後 ご 、CD・レコードが発売 はつばい になった。
『狂気 きょうき - リダックス』- The Dark Side Of The Moon Redux ( 2023年 ねん ) ※ピンク・フロイドのスタジオ・アルバムを再 さい 構築 こうちく したアルバム。
スタジオ・アルバム ライヴ・アルバム ベスト・アルバム サウンドトラック 関連 かんれん 人物 じんぶつ 関連 かんれん 項目 こうもく
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