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プフォフェルト

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章もんしょう 地図ちず
ぐん位置いち
基本きほん情報じょうほう
連邦れんぽうしゅう: バイエルンしゅう
ぐん: ヴァイセンブルク=グンツェンハウゼンぐん
市町村しちょうそん連合体れんごうたい: グンツェンハウゼン行政ぎょうせい共同きょうどうたい
緯度いど経度けいど: 北緯ほくい4906ふん17びょう 東経とうけい1050ふん21びょう / 北緯ほくい49.10472 東経とうけい10.83917 / 49.10472; 10.83917座標ざひょう: 北緯ほくい4906ふん17びょう 東経とうけい1050ふん21びょう / 北緯ほくい49.10472 東経とうけい10.83917 / 49.10472; 10.83917
標高ひょうこう: 海抜かいばつ 446 m
面積めんせき: 23.88 km2
人口じんこう:

1,626にん(2023ねん12月31にち現在げんざい[1]

人口じんこう密度みつど: 68 にん/km2
郵便ゆうびん番号ばんごう: 91738
市外しがい局番きょくばん: 09834
ナンバープレート: WUG, GUN
自治体じちたいコード:

09 5 77 159

行政ぎょうせい庁舎ちょうしゃ住所じゅうしょ: Frankenmuther Str. 2 d
91710 Gunzenhausen
行政ぎょうせい共同きょうどうたい
ウェブサイト: www.pfofeld.de
首長しゅちょう: ラインホルト・フーバー (Reinhold Huber)
ぐんない位置いち
地図ちず
地図

プフォフェルト (ドイツ: Pfofeld) は、ドイツ連邦れんぽう共和きょうわこくバイエルンしゅうミッテルフランケン行政ぎょうせい管区かんくヴァイセンブルク=グンツェンハウゼンぐんぞく町村ちょうそん以下いかほんこうでは便宜上べんぎじょうまち」と記述きじゅつする)である。このまちはグンツェンハウゼン行政ぎょうせい共同きょうどうたい加盟かめいしている。

地理ちり[編集へんしゅう]

位置いち[編集へんしゅう]

プフォフェルトは、西にしミッテルフランケン地方ちほうの、グンツェンハウゼンひがしやく 5 km に位置いちしている。町内ちょうない北部ほくぶにはグローサー・ブロムバッハドイツばん英語えいごばん一部いちぶとクライナー・ブロムバッハおよびアルトミュールユーバーライター(アルトミュール上方かみがた導水どうすい)がある。町内ちょうない古代こだいリーメスかよっている。ヨーロッパ中央ちゅうおう分水ぶんすいたい町内ちょうないとおっており、ライン水系すいけいドナウ水系すいけいとをけている。プロフェルトをドルンハウザー・ミュールバッハがわながれている。町内ちょうないにはこのほかにバッハヴィーゼングラーベンがわ、ブクスバッハがわ、ブロムバッハがわながれている。まちいき丘陵きゅうりょうもりおおく、ヴァイセンベルクとグレーフェンシュタインベルクのもりがその代表だいひょうである。プフォフェルトのきたしゅうどう2222号線ごうせんかよっている。ブロムバッハモーア自然しぜん保護ほごおよびクライナー・ブロムバッハみずうみ半島はんとう自然しぜん保護ほごがこのまちぞくしている。

自治体じちたい構成こうせい[編集へんしゅう]

このまちは、9つのゲマインデタイル(しょう地区ちく)で構成こうせいされている[2][3]

  • フルトミューレ
  • グンデルスハルム
  • ヒューナーミューレ
  • ラングラウ
  • ノイハーベルク
  • プフォフェルト
  • レーエンビュール
  • ゾルクホーフ
  • タンハウゼン

孤立こりつ集落しゅうらくボイテルミューレ、グラーフェンミューレ、ノイミューレ、シェールミューレは1980年代ねんだいはいむらになった。

隣接りんせつする市町村しちょうそん[編集へんしゅう]

プフォフェルトは、きたハウンドルフおよびアプスベルクひがしプラインフェルトみなみタイレンホーフェン西にしグンツェンハウゼンさかいせっしている。

歴史れきし[編集へんしゅう]

自治体じちたい成立せいりつまで[編集へんしゅう]

プフォフェルトの最初さいしょ文献ぶんけん記録きろくは、地元じもと貴族きぞくいちもんによってなされた。1180ねんから1190ねんころ貴族きぞくのアーデロルト・フォン・プフラウンフェルトとアーデルハイトがそのプフラウンフェルトの所領しょりょうをレプドルフの洗礼せんれいしゃひじりヨハネ教会きょうかい寄進きしんするさい証人しょうにんとして Dietericus de Pfaluelt当時とうじは u = V であった)の記録きろくされている[4]

アンスバッハほうりょうアイヒシュテット司教しきょうりょうドイツばん英語えいごばん帝国ていこく都市としヴァイセンブルクドイツ騎士きしだんフランケン管区かんくがこの主権しゅけん主張しゅちょうした。よんしゃはいずれも1500ねんからフランケン帝国ていこくクライスぞくしていた。1792ねんからプロイセンりょうとなっていたアンスバッハこうりょう1796ねんにやっとこれを主張しゅちょうできるようになった。パリ条約じょうやく1806ねん2がつ)によってプフォフェルトはアンスバッハこうりょうとともに交換こうかんバイエルン王国おうこくりょうとなった。プフォフェルトは1818ねん自治体じちたいれいにより政治せいじてき自治体じちたいとなった。

町村ちょうそん合併がっぺい[編集へんしゅう]

1978ねん5月1にち、バイエルンしゅう地域ちいき再編さいへんともない、廃止はいしされた自治じち地帯ちたいタンハウゼンの一部いちぶ人口じんこう250にんにあたる部分ぶぶん合併がっぺいした[5]

住民じゅうみん[編集へんしゅう]

人口じんこう推移すいい[編集へんしゅう]

  • 1961ねん: 1441にん[5]
  • 1970ねん: 1259にん[5]
  • 1987ねん: 1180にん
  • 1991ねん: 1296にん
  • 1995ねん: 1459にん
  • 2000ねん: 1443にん
  • 2005ねん: 1451にん
  • 2010ねん: 1502にん
  • 2015ねん: 1528にん

地名ちめい紋章もんしょう[編集へんしゅう]

プフォフェルトという地名ちめいは、リーメス関係かんけいがある。Pfofeld は "Feld am Pfahl"(くいのある野原のはら)を意味いみしている。この Pfahl(くい)は、地元じもとひろまっていたリーメスのであった。石壁いしかべ以前いぜんには、国境こっきょう木柵もくさく、すなわちくいによってまもられていたのである。このまち紋章もんしょうたがいにむすびつけられた3ほんくいで、これを象徴しょうちょうてきあらわしている[6]。この紋章もんしょうは1961ねん6がつからもちいられている[7]

図柄ずがら: 黒地くろじに3ほん先端せんたんとがった銀色ぎんいろはしら銀色ぎんいろあみたがいにむすびつけられている[8]

文化ぶんか見所みどころ[編集へんしゅう]

ひじりミヒャエル教会きょうかい

建築けんちく[編集へんしゅう]

  • 福音ふくいん主義しゅぎルターひじりミヒャエル教区きょうく教会きょうかいはアルトミュール地方ちほうもっとふる教会きょうかいで、ロマネスク様式ようしき工法こうほうあきらかにられる。この教会きょうかい後期こうきゴシック様式ようしきフレスコ装飾そうしょくされている。
  • 南西なんせいせい十字架じゅうじか礼拝れいはいどう遺跡いせきがある。この礼拝れいはいどうはかつての巡礼じゅんれいで、さんじゅうねん戦争せんそうによって破壊はかいされた。
  •  プフォフェルトのすぐ西にし位置いちするちいさなもりなかに「トゥルムヒューゲル・シュロスブック・イム・ハーク」とばれる中世ちゅうせい城跡じょうせきがある。おそらく、1180ねんから1190ねんごろにその記録きろくされている "Dietericus de Pfaluelt" をふくむプフォフェルトの地元じもと貴族きぞくがここを本拠ほんきょしていた。

自然しぜん保護ほご[編集へんしゅう]

グラーフェンミューレ自然しぜん保護ほご

町内ちょうないには、ブロムバッハモーア自然しぜん保護ほごおよびクライナー・ブロムバッハみずうみ半島はんとう自然しぜん保護ほご、グローサー・ブロムバッハ南岸なんがんのグラーフェミューレ自然しぜん保護ほごがある。

経済けいざい社会しゃかい資本しほん[編集へんしゅう]

2020ねん税収ぜいしゅうは118まん3せんユーロで、このうち12まん7せんユーロが産業さんぎょうぜいであった[9]

公式こうしき統計とうけいによれば、2020ねん現在げんざい、151にん社会しゃかい保険ほけん支払しはら義務ぎむのある就労しゅうろうしゃがこのまちはたらいている。このうち19にん製造せいぞうぎょう、95にん商業しょうぎょう交通こうつうぎょう宿泊しゅくはくぎょういていた。このまち社会しゃかい保険ほけん支払しはら義務ぎむのある就労しゅうろうしゃは699にんであった[10]。2020ねんには22にん農業のうぎょう従事じゅうじしゃがおり[11]農地のうち面積めんせきは997ヘクタールであった。このうち635ヘクタールが耕作こうさくであった[12]

交通こうつう[編集へんしゅう]

プロフェルトをぐんどうWUG1号線ごうせんかよっており、このまち連邦れんぽうどう13号線ごうせんむすびつけている。鉄道てつどうもうへは、ラングラウ地区ちくえきでグンツェンハウゼン - プラインフェルトせん接続せつぞくする。

自転車じてんしゃどう[編集へんしゅう]

タンハウゼン地区ちくをドイツ・リーメス自転車じてんしゃどうかよっている。この自転車じてんしゃどうは、オーバーゲルマニシュ=レティシャー・リーメス沿いにラインがわ沿いのバート・ヘニンゲンからドナウがわ沿いのレーゲンスブルクまで 818 km 以上いじょうむすんでいる[13]

広域こういき遊歩道ゆうほどう[編集へんしゅう]

プフォフェルトのきたをリーメス遊歩道ゆうほどうかよっている。これはドイツ・リーメス遊歩道ゆうほどう一部いちぶである[13]

教育きょういく[編集へんしゅう]

1999ねん現在げんざい以下いか施設しせつがある。

  • 託児たくじしょ: 1えん定員ていいん74にん在籍ざいせき幼児ようじ65にん(2021ねん現在げんざい[14]
  • プフォフェルト=タイレンホーフェン学校がっこう連合れんごうのタイレンホーフェン基礎きそ課程かてい学校がっこう一部いちぶがラングラウ地区ちくにある[15]。また、アプスベルク=ハウンドルフ基礎きそ課程かてい中等ちゅうとう学校がっこう連合れんごう加盟かめいしている[16]

関連かんれん図書としょ[編集へんしゅう]

  • . Gunzenhausen: Herausgeber Gemeinde Pfofeld. (2009) 
  • Johann Kaspar Bundschuh (1801). “Pfohefeld”. Geographisches Statistisch-Topographisches Lexikon von Franken. Band 4: Ni–R. Ulm: Verlag der Stettinischen Buchhandlung. pp. 345–346. OCLC 833753101. http://vb.uni-wuerzburg.de/ub/52rp323a_137873007/pages/52rp323a4_137874234/180.html 
  • Gottfried Stieber (1761). “Pfohefeld”. Historische und topographische Nachricht von dem Fürstenthum Brandenburg-Onolzbach. Schwabach: Johann Jacob Enderes. pp. 626–627. https://books.google.de/books?id=ueUAAAAAcAAJ&&pg=PA626#v=onepage&q&f=false 

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ https://www.statistikdaten.bayern.de/genesis/online?operation=result&code=12411-003r&leerzeilen=false&language=de Genesis-Online-Datenbank des Bayerischen Landesamtes für Statistik Tabelle 12411-003r Fortschreibung des Bevölkerungsstandes: Gemeinden, Stichtag (Einwohnerzahlen auf Grundlage des Zensus 2011)
  2. ^ Pfofeld - bavarikon”. 2022ねん4がつ13にち閲覧えつらん
  3. ^ Gemeinde Pfofeld - BayernPortal”. 2022ねん4がつ13にち閲覧えつらん
  4. ^ Staatsarchiv Nürnberg, Hochstift Eichstätt, Rep. 192/8, Kloster Rebdorf, U Nr. 4
  5. ^ a b c Statistisches Bundesamt, ed (1983). Historisches Gemeindeverzeichnis für die Bundesrepublik Deutschland. Namens-, Grenz- und Schlüsselnummernänderungen bei Gemeinden, Kreisen und Regierungsbezirken vom 27.5.1970 bis 31.12.1982. Stuttgart/Mainz: W. Kohlhammer. p. 731. ISBN 978-3-17-003263-7 
  6. ^ Johann Schrenk (2017). Altmühltal - Fränkisches Seenland (10 ed.). Michael Müller Verlag. p. 92. ISBN 978-3-95654-192-6 
  7. ^ Gemeinde Pfofeld - Bayerns Gemeinden”. 2022ねん4がつ13にち閲覧えつらん
  8. ^ Pfofeld - Heraldry of the World”. 2022ねん4がつ13にち閲覧えつらん
  9. ^ “Gemeindefinanzen seit 2016” (PDF), Statistik kommunal 2021 - Pfofeld: 10, https://www.statistik.bayern.de/mam/produkte/statistik_kommunal/2021/09577159.pdf 2022ねん4がつ14にち閲覧えつらん 
  10. ^ “Sozialversicherungspflichtig beschäftigte Arbeitnehmer seit 2015” (PDF), Statistik kommunal 2021 - Pfofeld: 8, https://www.statistik.bayern.de/mam/produkte/statistik_kommunal/2021/09577111.pdf 2022ねん4がつ14にち閲覧えつらん 
  11. ^ “Betriebsgrößenstruktur in der Landwirtschaft 2005, 2007, 2010, 2016 und 2020” (PDF), Statistik kommunal 2021 - Pfofeld: 14, https://www.statistik.bayern.de/mam/produkte/statistik_kommunal/2021/09577111.pdf 2022ねん4がつ14にち閲覧えつらん 
  12. ^ “Bodennutzung 2003, 2007, 2010 und 2016” (PDF), Statistik kommunal 2021 - Pfofeld: 13, https://www.statistik.bayern.de/mam/produkte/statistik_kommunal/2021/09577111.pdf 2022ねん4がつ14にち閲覧えつらん 
  13. ^ a b Deutsche Limes-Straße”. 2022ねん4がつ14にち閲覧えつらん
  14. ^ “Kindertageseinrichtungen seit 2016” (PDF), Statistik kommunal 2021 - Pfofeld: 16, https://www.statistik.bayern.de/mam/produkte/statistik_kommunal/2021/09577111.pdf 2022ねん4がつ14にち閲覧えつらん 
  15. ^ Grundschule Theilenhofen - Gemeinde Pfofeld”. 2022ねん4がつ14にち閲覧えつらん
  16. ^ Mittelschule Gräfensteinberg - Gemeinde Pfofeld”. 2022ねん4がつ14にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]