ベルトクイズQ&Q
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スーパーダイスQ | |
1970 |
『ベルトクイズQ&Q』(ベルトクイズ キューアンドキュー)は、1969
概要 [編集 ]
クイズは
7
この
放送 時間 [編集 ]
いずれも
月曜 -金曜 12:00 - 12:40 (1969年 6月 30日 - 1975年 9月 26日 )月曜 -金曜 12:00 - 12:25 (1975年 9月 29日 - 1978年 9月 29日 ) - 『シャボン玉 こんにちは』の放送 開始 によって15分 縮小 。月曜 -金曜 12:00 - 12:20 (1978年 10月 2日 - 1980年 2月 29日 ) - 『シャボン玉 こんにちは』の放送 枠 拡大 によって5分 縮小 。
出演 者 [編集 ]
司会 は当初 、映画 解説 やラジオの深夜 放送 の司会 で頭角 を現 していた増田 貴光 が務 めていたが、1971年 7月 末 に番組 の収録 中 に体調 不良 を訴 えて突然 降板 した。そのため、その後 しばらくはアシスタントの円 木 紀 久美 が単独 で司会 も兼任 していた。そして同年 9月 からは椎名 勝己 が、1972年 5月 からは押阪忍 が司会 を務 めていた。出題 は『クイズタイムショック』(NETテレビ →テレビ朝日 )の出題 者 でもある矢島 正明 が一貫 して担当 。矢島 は押阪時代 末期 に限 ってオープニングの挨拶 で顔出 ししていた。矢島 がレギュラー番組 で顔出 しするのは、1969年 から1972年 までNHK総合 で放送 されていた子供 向 けのクイズ番組 『チャンスだピンチだ』(「ドン・ズバリ」名義 )に次 いでこれが2つ目 であり、しかも初代 司会 者 の増田 貴光 が同 番組 でも司会 を務 めていた。- ミリオンステージ
前 の「コンピューター性格 診断 」のコンピューターの声 は、声優 の井上 瑤 が担当 していた。 - アシスタントは
増田 司会 時代 前期 には郷司 渉 子 が、増田 司会 時代 後期 から椎名 司会 時代 までは前述 の円 木 が、押阪司会 時代 前期 には岸 ユキが務 めていた。なお、押阪時代 後期 (1977年 4月 以降 )にはアシスタント無 しで行 われていた。
前期 ルール[編集 ]
対戦 勝 ち抜 き早 押 しクイズ[編集 ]
出場 者 は赤 と白 の解答 席 に分 かれて対戦 。挑戦 者 は持 ち点 30点 からスタート。持 ち点 の範囲 内 (10点 単位 )で点数 を賭 け、早 押 しで解答 権 を得 て問題 に正解 すればその賭 け点 分 の得点 が加算 され、不 正解 や答 えられなかった場合 には賭 け点 分 が没収 される。5問 目 と7問 目 (後 に3問 目 と5問 目 に変 わる)の「チャンスタイム」は賭 け点 2倍 獲得 のチャンスがある(初期 は映像 からヒントが出 る問題 だったが、後期 は従来 通 り読 み上 げ問題 になっている)。相手 の持 ち点 を0点 にした解答 者 、または7問 (後 に5問 )終了 時点 で持 ち点 の多 い解答 者 が勝 ち抜 きとなる。勝 ち抜 いた時 、ミリオンステージ(ラッキージャンプを含 む。以下 同 じ)進出 のボーダーラインが10点 免除 される(例 :3人 勝 ち抜 きなら30点 免除 、クイズの獲得 点数 が70点 で、ミリオンステージへ)。勝 ち抜 いた解答 者 の持 ち点 は、前 の回 の持 ち点 を引 き継 ぐ。- 5
人 勝 ち抜 き、もしくは100点 獲得 の段階 でミリオンステージに進出 する(初期 の頃 は、コンピューター性格 診断 直後 に出 される1問 だけの2択 のコンピュータークイズに正解 しないと挑戦 できなかった)。 前期 末期 は、3人 勝 ち抜 き時点 でミリオンステージに進 めない場合 には敗退 となる。勝 ち抜 き賞金 は当初 5千 円 、後 に1万 円 (子供 大会 の場合 は「勝 ち抜 き賞 」となり、それぞれの賞品 を好 きなものから一 つ選 ぶ)。放送 時間 がいっぱいになった時 には翌日 に持 ち越 しとなり、続 きから対戦 、もしくはミリオンステージからスタートする。後期 も同様 だったが、時間 いっぱいになると鳩時計 の音 が鳴 った。
ミリオンステージ[編集 ]
- ミリオンステージでは3
問 のクイズに挑戦 し、解答 者 は100万 円 からスタートし不 正解 の度 に減額 される。全問 正解 で100万 円 、1問 不 正解 で30万 円 、2問 不 正解 、全問 不 正解 で2万 5千 円 (初期 では「ラッキージャンプ」と呼 び、30万 円 の問題 、90万 円 の問題 、270万 円 の問題 の3問 が順次 出題 され、途中 不 正解 になると打 ち切 りになった)。 - 押阪
時代 になってからは、段階 的 に(10万 円 単位 で)賞金 を増額 させ、最終 的 に3問 正解 で100万 円 に挑戦 する。前期 の第 2期 は10万 円 →30万 円 →100万 円 の3段階 。それ以前 (第 1期 )はいきなり100万 円 コースに挑戦 も可能 だった(解答 者 が10万 円 から100万 円 まで10万 円 単位 で任意 の金額 を指定 する)。不 正解 だと前 の賞金 が半減 される。一 問 目 に不 正解 となってしまうと挑戦 している賞金 の額 にかかわらず、2万 5千 円 (前期 の第 2・3・4期 は3万 円 )しか受 け取 れない。 - さらに押阪
時代 前期 の第 3期 は、10万 円 ・30万 円 ・100万 円 各 コースから選 び、その1回 だけで終 わる「一発 勝負 」(どのコースでも不 正解 なら3万 円 獲得 )、第 4期 は10万 円 コースを廃止 して30万 円 →100万 円 コースで行 う「2回 勝負 」と、頻繁 にルールが変 わった。 問題 は、押阪時代 前期 の第 1期 はどのコースでも1 - 10の中 から選 んだ。前期 の第 2・3・4期 は、10万 円 コースは前 と同 じく1 - 10から選 び、30万 円 コースと100万 円 コースは、8つのジャンル(「スポーツ」「芸能 」など)から1つ選 ぶ方式 。- 270
万 円 (後 に100万 円 )を賭 けた問題 は超 難問 で、複数 の答 えを言 わなければならなかった。 - 押阪
時代 前期 の第 1期 、1週間 だけ芸能人 大会 が行 われた時 は、30万 円 ・60万 円 ・100万 円 の3コースに制限 された。それ以外 は通常 と同 じ。 - ラッキージャンプと押阪
時代 は、1問 でも正解 すれば、リタイヤも可能 で、その場合 にはそれまで獲得 していた賞金 を全額 持 ち帰 れる。 子供 大会 のミリオンステージの場合 は賞金 ではなく、天体 望遠鏡 ・ラテカセ・スポーツ用品 等 の中 から好 きな物 を一 点 解答 者 に選 ばせ(いわゆる「ミリオン賞 」)、一 問 一発 勝負 させる形式 。なお、末期 の子供 大会 はミリオン賞 を獲得 すると、チャンピオン大会 に進出 して、ハワイ旅行 を目指 す形式 があった。- ミリオンステージ
進出 者 は、問題 出題 前 にコンピューターの「性格 診断 」を受 ける。「はい」「いいえ」形式 でコンピューターから出 される問 いに5問 答 え、終 わった時点 でコンピューターが挑戦 者 の性格 を診断 して延々 と読 み上 げ、そのユニークな分析 ぶりが常 にギャラリーの笑 いを誘 っていた。なお、このコーナーは放送 時間 短縮 時 に廃止 されている。 - 「Q
兵衛 」という番組 マスコットの馬 のぬいぐるみが製作 され、番組 参加 賞 (100万 円 獲得 者 を含 むミリオンステージ進出 者 にはスタジオで授与 )や視聴 者 プレゼント(「宿題 クイズ」と呼 ばれていた)として使用 された。後 に「チビQ」という小型 サイズのぬいぐるみも登場 した。 初期 の頃 は、270万 円 (後 に100万 円 )獲得 者 に、小規模 のトロフィーが授与 されていた。- ミリオンステージの
表彰 BGMは、ゆったりとしたストリングス調 だった(1問 でも正解 すれば、途中 敗退 でも流 れていた)。子供 大会 のオープニングでも同 じBGMが流 れていた。また、100万 円 獲得 者 が出 ると解答 席 背後 の碁盤 の目 のような電 飾 パネルが光 り、その際 に押阪が「ひゃーくまーんえーん!」「ひゃーくまーんえーん、やりました!」などと叫 んでいた。
後期 ルール[編集 ]
対戦 勝 ち抜 き早 押 しクイズ[編集 ]
ボーナスチャンス[編集 ]
- 「
安全 コース」と「危険 コース」の2つのコースがあり、そのどちらかに挑戦 する。安全 コース - 2者 択一 問題 を7問 出題 。1問 正解 で1万 円 、以下 6問 まで1万 円 ずつ加算 し、7問 全問 正解 なら10万 円 。危険 コース -一発 勝負 によるクイズで、ヒントを最大 4つまで聞 くことが出来 る。そこで解 った段階 でボタンを押 して答 えを出 し、第 1ヒント正解 で30万 円 、以下 10万 円 、3万 円 、最終 ヒントは1万 円 と減額 される。不 正解 だと賞金 無 し。
- ボーナスチャンス
終了 後 は対戦 勝 ち抜 き早 押 しクイズに戻 り、100万 円 を獲得 するか、新 チャンピオンに負 かされるまで繰 り返 し対戦 できる。なお、この後期 ルールは後 の『桂 三枝 の連続 クイズ』でも使 われた。
最 末期 の子供 大会 の得点 形式 [編集 ]
- クイズで
勝 った時 の得点 加算 は無 し。 安全 コース - 1問 正解 で5点 、以下 6問 まで5点 ずつ加算 し、7問 全問 正解 なら50点 。危険 コース -第 1ヒント正解 で70点 、以下 30点 、20点 、10点 と減点 され、不 正解 だと0点 。- 100
点 を獲得 したところでチャンピオン大会 への出場 権 を得 て終了 。100点 に到達 せず敗退 した人 の中 からも、得点 上位 者 がチャンピオン大会 に進出 。
備考 [編集 ]
同 じくTBSで放送 されていた『時間 ですよ』の第 77話 (1973年 5月 2日 放送 分 )で大前田 小百合 (初代 ・悠 木 千帆 →樹木 希林 )が本 番組 に出場 するシーンがあったが、初戦 で敗退 した。漫画 家 ・さくらももこの祖父 ・友 蔵 が出場 したことがあり、さくら原作 のアニメ『ちびまる子 ちゃん』(フジテレビ)の「おじいちゃんベルトクイズに出 る(後編 )」(1991年 5月 19日 放送 分 )にて当時 のエピソードが描 かれている。この回 はTBSの協力 の下 で製作 され、押阪が司会 者 役 の声優 として特別 出演 した。なお、出題 者 の声 は矢島 ではなく、当時 フジテレビアナウンサーの境 鶴丸 が担当 した。この回 は『タカトシの時間 ですよ!』(TBS、2012年 9月 5日 放送 分 )でも放送 された[2]。なお、アニメのストーリーでは第 1期 ルールが採用 されており、友 蔵 は2人 勝 ち抜 いた後 にミリオンステージに移動 、50万 円 の問題 に正解 したものの次 に挑戦 した100万 円 の問題 で誤 答 、結果 27万 円 (2人 勝 ち抜 き+50万 の半額 )を獲得 した。海 援隊でメジャーデビューした後 の武田 鉄矢 が出場 記念 品 のぬいぐるみを娘 からねだられ、一般 解答 者 として出場 したことがある[3]。- スポーツライターの
後藤 健生 も当 番組 に出場 し、優勝 したことがあった。まず、勝 ち抜 き戦 とミリオンステージを制覇 して賞金 100万 円 を獲得 し、その後 行 われた100万 円 獲得 者 によるグランドチャンピオン大会 に出演 、ここでもミリオンステージを制 してもう100万 円 、都合 200万 円 を稼 いだ。これがきっかけで、後藤 はサッカーの本場 である南米 への観光 旅行 に出 かけ、それをきっかけにスポーツライターへの道 を歩 むことになる[4]。 - 押阪は
本番 組 の終了 から31日 後 に放送 開始 したフジテレビの昼 の帯 番組 『日本 全国 ひる休 み』の司会 も務 めていた。 - 1971
年 1月 1日 (金曜日 )放送 分 は、後年 裏番組 の『アフタヌーンショー』(NETテレビ→テレビ朝日 )で司会 を務 めることになる川崎 敬三 が解答 者 として出演 していた[5]。 - 押阪がNHKの
連続 テレビ小説 『ひよっこ』第 20週 「さて、問題 です」:115話 (2017年 8月 15日 火曜日 放送 分 )にクイズ番組 [6]の司会 者 役 で出演 した際 、『ひよっこ』の制作 側 は本 番組 を見 て視聴 者 との絶妙 な掛 け合 いが素晴 らしいと思 い、ドラマ内 でもこのライブ感 を表現 したいと考 えて押阪に出演 を依頼 したという[7]。ちなみに問題 を読 み上 げるナレーターは、押阪が会長 を務 めるエス・オー・プロモーションの所属 アナウンサーである安田 真理 が演 じた。
放送 局 [編集 ]
※
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1975 | |||
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TBS フジテレビ |
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TBS フジテレビ |
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TBS |
1970 | ||
RKB |
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脚注 [編集 ]
- ^ a b
朝日新聞 1970年 12月28日 朝刊 P.9 テレビ欄 (朝日新聞 クロスサーチにて閲覧 ) - ^ “
価格 .com - 「タカトシの時間 ですよ!」2012年 9月 5日 (水 )放送 内容 | テレビ紹介 情報 ”. カカクコム. 2013年 6月 21日 閲覧 。 - ^ 「プレーバック
懐 かしクイズ番組 」『週刊 女性 』、主婦 と生活社 、2011年 11月8日 。 - ^
後藤 健生 の「蹴球 放浪 記 」連載 第 15回 「ユングヨの夜 」の巻 (サッカー批評 )・グランドチャンピオン大会 優勝 時 の写真 (右 から2人 目 、トロフィーと花束 を持 っている男性 が後藤 、その左 隣 が押阪、さらにその左 が準 優勝 の女性 ) - ^
週刊 TVガイド・京阪神 版 、年末年始 号 、91ページの朝日放送 の番組 表 。東京ニュ ース通信社 、1970年 12月。この当時 、『アフタヌーンショー』の司会 は桂 小 金治 が務 めていた(関西 地区 では毎日放送 がネット)。 - ^
題名 は「マート製薬 ・勝 ち抜 きクイズ3Q」とパロディにされていたほか、出題 ナレーターも女性 に差 し替 え、さらに優勝 賞品 が「賞金 30万 円 +ハワイ旅行 」(それも3人 勝 ち抜 いた時点 で獲得 であり、本家 の「ミリオンステージ」などもなかった)など相違 点 がある。「マート製薬 」と「ハワイ旅行 」に関 しては、同 時期 に放送 されていた『アップダウンクイズ』におけるスポンサーと優勝 賞品 からのパロディと考 えられる[独自 研究 ?](押阪はその『アップダウンクイズ』に「クイズ番組 司会 者 大会 」で解答 者 として出場 経験 もある)。 - ^ “「ベルトクイズQ&Q」押阪
忍 アナ「ひよっこ」で名 司会 復活 !ネット興奮 ― スポニチ Sponichi Annex芸能 ”. スポーツニッポン新聞 社 (2017年 8月 15日 ). 2017年 9月 8日 閲覧 。 - ^ 『
福島 民 報 』1970年 3月 30日 付 朝刊 、テレビ欄 。
外部 リンク[編集 ]
早 押 しクイズへの対抗 法 - ウェイバックマシン(2008年 3月 12日 アーカイブ分 ) -北川 宣 浩 のサイト「テレビクイズ大 研究 」の1ページで、本 番組 に関 する記述 がある。
TBS |
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ベルトクイズQ&Q
(1969 |
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TBS |
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お
(1968 ※12:00 - 12:40 |
ベルトクイズQ&Q
(1969 【1978 |
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TBS |
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お
(1968 ※12:00 - 12:40 |
ベルトクイズQ&Q
(1969 【1975 |
シャボン
(1975 ※12:25 - 12:40 |