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ベルトクイズQ&Q

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ベルトクイズQ&Q
ジャンル クイズ番組ばんぐみ
司会しかいしゃ 増田ますだ貴光たかみつ初代しょだい
椎名しいな勝己かつみ(2代目だいめ
押阪にん(3代目だいめ
出演しゅつえんしゃ 一般いっぱん参加さんかしゃ
ナレーター 矢島やじま正明まさあき出題しゅつだいしゃ
井上いのうえよう(コンピューターのこえ
音楽おんがく 宇野うの誠一郎せいいちろう
くに地域ちいき 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本の旗日本語にほんご
製作せいさく
制作せいさく TBS
朝日放送あさひほうそう初年度しょねんどのみ)
放送ほうそう
放送ほうそうチャンネルTBS系列けいれつ
音声おんせい形式けいしきモノラル放送ほうそう
放送ほうそうこく地域ちいき日本の旗 日本にっぽん
40ふん番組ばんぐみ時代じだい
放送ほうそう期間きかん1969ねん6がつ30にち - 1975ねん9がつ26にち
放送ほうそう時間じかん月曜げつよう - 金曜きんよう 12:00 - 12:40
放送ほうそうぶん40ふん
25ふん番組ばんぐみ時代じだい
放送ほうそう期間きかん1975ねん9がつ29にち - 1978ねん9がつ29にち
放送ほうそう時間じかん月曜げつよう - 金曜きんよう 12:00 - 12:25
放送ほうそうぶん25ふん
20ふん番組ばんぐみ時代じだい
放送ほうそう期間きかん1978ねん10がつ2にち - 1980ねん2がつ29にち
放送ほうそう時間じかん月曜げつよう - 金曜きんよう 12:00 - 12:20
放送ほうそうぶん20ふん
番組ばんぐみ年表ねんぴょう
つぎさくスーパーダイスQ
関連かんれん番組ばんぐみかつら三枝みえ連続れんぞくクイズ後期こうきルールのリメイク)

特記とっき事項じこう
1970ねん12月28にち放送ほうそうぶんからカラー[1]
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ベルトクイズQ&Q』(ベルトクイズ キューアンドキュー)は、1969ねん6月30にちから1980ねん2がつ29にちまでTBS系列けいれつきょく放送ほうそうされていたクイズ番組ばんぐみである。

概要がいよう[編集へんしゅう]

月曜げつようから金曜きんようしゅう5日間にちかん毎日まいにち正午しょうごから放送ほうそうされていたクイズ番組ばんぐみ。TBS社員しゃいん競馬けいばきの宇田うだ文夫ふみお企画きかくしょから作成さくせいし、当時とうじとしては破格はかく賞金しょうきん用意よういしクイズ番組ばんぐみつくった。 タイトルは、月曜げつようから金曜きんよう放送ほうそうされるベルト番組ばんぐみおび番組ばんぐみ)であることに由来ゆらいする。1970ねん3がつまではTBS朝日放送あさひほうそう曜日ようびべつという製作せいさくで、水曜すいよう放送ほうそうぶんのみ朝日放送あさひほうそうが、それ以外いがい曜日ようびすべてTBSが担当たんとうするというスタイルだったが、同年どうねん4がつ以降いこうは5つすべての曜日ようびでTBSが担当たんとうするようになった。

クイズは対戦たいせんはやしクイズと、高額こうがく賞金しょうきんをかけた「ミリオンステージ」(当初とうしょは「ラッキージャンプ」、のちに「ミリオンステージ」をて「ボーナスチャンス」になる)の2本立ほんだてであった。番組ばんぐみ開始かいしには公正こうせい取引とりひき委員いいんかい公取委こうとりい)による賞金しょうきん制限せいげんかったため、最高さいこう賞金しょうきんがくを270まんえん当時とうじのラッキージャンプぜん3もん正解せいかい場合ばあい)に設定せっていしていたが、公取委こうとりいがいわゆる「100まんえんルール」を制定せいていしたのをけて100まんえん改定かいていした。

7がつ中旬ちゅうじゅんから8がつまつまでは「夏休なつやす子供こども大会たいかい」、12月下旬げじゅんから1がつ上旬じょうじゅんまでは「冬休ふゆやす子供こども大会たいかい」が設定せっていされ、小中学生しょうちゅうがくせい出場しゅつじょうがあった。それぞれの大会たいかいで、やすみのわり(しん学期がっきはじまり)にともない、子供こども大会たいかい終了しゅうりょうになったが、のちにルールがわり、つぎかい子供こども大会たいかいにもつづ出場しゅつじょう可能かのうった。この子供こども大会たいかいは、後継こうけい番組ばんぐみスーパーダイスQ』でもつづおこなわれていた(このときは「小学生しょうがくせい親子おやこ大会たいかい」「中学生ちゅうがくせい大会たいかい」「大学生だいがくせい大会たいかい」なるものもあった)。

音楽おんがく宇野うの誠一郎せいいちろう担当たんとうしていた。

この番組ばんぐみは、当初とうしょ白黒しろくろ放送ほうそうだったが、1970ねん12月28にち放送ほうそうぶんからカラーされた。[1]

放送ほうそう時間じかん[編集へんしゅう]

いずれも日本にっぽん標準時ひょうじゅんじ

  • 月曜げつよう - 金曜きんよう 12:00 - 12:40 (1969ねん6がつ30にち - 1975ねん9がつ26にち
  • 月曜げつよう - 金曜きんよう 12:00 - 12:25 (1975ねん9がつ29にち - 1978ねん9がつ29にち) - 『シャボンだまこんにちは』の放送ほうそう開始かいしによって15ふん縮小しゅくしょう
  • 月曜げつよう - 金曜きんよう 12:00 - 12:20 (1978ねん10がつ2にち - 1980ねん2がつ29にち) - 『シャボンだまこんにちは』の放送ほうそうわく拡大かくだいによって5ふん縮小しゅくしょう

出演しゅつえんしゃ[編集へんしゅう]

  • 司会しかい当初とうしょ映画えいが解説かいせつやラジオの深夜しんや放送ほうそう司会しかい頭角とうかくあらわしていた増田ますだ貴光たかみつつとめていたが、1971ねん7がつまつ番組ばんぐみ収録しゅうろくちゅう体調たいちょう不良ふりょううったえて突然とつぜん降板こうばんした。そのため、そのしばらくはアシスタントのえんきの久美くみ単独たんどく司会しかい兼任けんにんしていた。そして同年どうねん9がつからは椎名しいな勝己かつみが、1972ねん5がつからは押阪にん司会しかいつとめていた。
  • 出題しゅつだいは『クイズタイムショック』(NETテレビ → テレビ朝日てれびあさひ)の出題しゅつだいしゃでもある矢島やじま正明まさあき一貫いっかんして担当たんとう矢島やじまは押阪時代じだい末期まっきかぎってオープニングの挨拶あいさつ顔出かおだししていた。矢島やじまがレギュラー番組ばんぐみ顔出かおだしするのは、1969ねんから1972ねんまでNHK総合そうごう放送ほうそうされていた子供こどもけのクイズ番組ばんぐみチャンスだピンチだ』(「ドン・ズバリ」名義めいぎ)にいでこれが2つであり、しかも初代しょだい司会しかいしゃ増田ますだ貴光たかみつどう番組ばんぐみでも司会しかいつとめていた。
  • ミリオンステージまえの「コンピューター性格せいかく診断しんだん」のコンピューターのこえは、声優せいゆう井上いのうえよう担当たんとうしていた。
  • アシスタントは増田ますだ司会しかい時代じだい前期ぜんきには郷司ごうしわたるが、増田ますだ司会しかい時代じだい後期こうきから椎名しいな司会しかい時代じだいまでは前述ぜんじゅつえんが、押阪司会しかい時代じだい前期ぜんきにはきしユキつとめていた。なお、押阪時代じだい後期こうき(1977ねん4がつ以降いこう)にはアシスタントしでおこなわれていた。

前期ぜんきルール[編集へんしゅう]

対戦たいせんはやしクイズ[編集へんしゅう]

  • 出場しゅつじょうしゃあかしろ解答かいとうせきかれて対戦たいせん挑戦ちょうせんしゃてん30てんからスタート。てん範囲はんいない(10てん単位たんい)で点数てんすうけ、はやしで解答かいとうけん問題もんだい正解せいかいすればそのてんぶん得点とくてん加算かさんされ、正解せいかいこたえられなかった場合ばあいにはてんぶん没収ぼっしゅうされる。5もんと7もんのちに3もんと5もんわる)の「チャンスタイム」はてん2ばい獲得かくとくのチャンスがある(初期しょき映像えいぞうからヒントが問題もんだいだったが、後期こうき従来じゅうらいどお問題もんだいになっている)。相手あいててんを0てんにした解答かいとうしゃ、または7もんのちに5もん終了しゅうりょう時点じてんてんおお解答かいとうしゃきとなる。いたとき、ミリオンステージ(ラッキージャンプをふくむ。以下いかおなじ)進出しんしゅつボーダーラインが10てん免除めんじょされる(れい:3にんきなら30てん免除めんじょ、クイズの獲得かくとく点数てんすうが70てんで、ミリオンステージへ)。
  • いた解答かいとうしゃてんは、まえかいてんぐ。
  • 5にんき、もしくは100てん獲得かくとく段階だんかいでミリオンステージに進出しんしゅつする(初期しょきころは、コンピューター性格せいかく診断しんだん直後ちょくごされる1もんだけの2のコンピュータークイズに正解せいかいしないと挑戦ちょうせんできなかった)。
  • 前期ぜんき末期まっきは、3にん時点じてんでミリオンステージにすすめない場合ばあいには敗退はいたいとなる。
  • 賞金しょうきん当初とうしょ5せんえんのちに1まんえん子供こども大会たいかい場合ばあいは「しょう」となり、それぞれの賞品しょうひんきなものからひとえらぶ)。
  • 放送ほうそう時間じかんがいっぱいになったときには翌日よくじつしとなり、つづきから対戦たいせん、もしくはミリオンステージからスタートする。後期こうき同様どうようだったが、時間じかんいっぱいになると鳩時計はとどけいおとった。

ミリオンステージ[編集へんしゅう]

  • ミリオンステージでは3もんのクイズに挑戦ちょうせんし、解答かいとうしゃは100まんえんからスタートし正解せいかいたび減額げんがくされる。全問ぜんもん正解せいかいで100まんえん、1もん正解せいかいで30まんえん、2もん正解せいかい全問ぜんもん正解せいかいで2まん5せんえん初期しょきでは「ラッキージャンプ」とび、30まんえん問題もんだい、90まんえん問題もんだい、270まんえん問題もんだいの3もん順次じゅんじ出題しゅつだいされ、途中とちゅう正解せいかいになるとりになった)。
  • 押阪時代じだいになってからは、段階だんかいてきに(10まんえん単位たんいで)賞金しょうきん増額ぞうがくさせ、最終さいしゅうてきに3もん正解せいかいで100まんえん挑戦ちょうせんする。前期ぜんきだい2は10まんえん→30まんえん→100まんえんの3段階だんかい。それ以前いぜんだい1)はいきなり100まんえんコースに挑戦ちょうせん可能かのうだった(解答かいとうしゃが10まんえんから100まんえんまで10まんえん単位たんい任意にんい金額きんがく指定していする)。正解せいかいだとまえ賞金しょうきん半減はんげんされる。いちもん正解せいかいとなってしまうと挑戦ちょうせんしている賞金しょうきんがくにかかわらず、2まん5せんえん前期ぜんきだい2・3・4は3まんえん)しかれない。
  • さらに押阪時代じだい前期ぜんきだい3は、10まんえん・30まんえん・100まんえんかくコースからえらび、その1かいだけでわる「一発いっぱつ勝負しょうぶ」(どのコースでも正解せいかいなら3まんえん獲得かくとく)、だい4は10まんえんコースを廃止はいしして30まんえん→100まんえんコースでおこなう「2かい勝負しょうぶ」と、頻繁ひんぱんにルールがわった。
  • 問題もんだいは、押阪時代じだい前期ぜんきだい1はどのコースでも1 - 10のなかからえらんだ。前期ぜんきだい2・3・4は、10まんえんコースはまえおなじく1 - 10からえらび、30まんえんコースと100まんえんコースは、8つのジャンル(「スポーツ」「芸能げいのう」など)から1つえら方式ほうしき
  • 270まんえんのちに100まんえん)をけた問題もんだいちょう難問なんもんで、複数ふくすうこたえをわなければならなかった。
  • 押阪時代じだい前期ぜんきだい1、1週間しゅうかんだけ芸能人げいのうじん大会たいかいおこなわれたときは、30まんえん・60まんえん・100まんえんの3コースに制限せいげんされた。それ以外いがい通常つうじょうおなじ。
  • ラッキージャンプと押阪時代じだいは、1もんでも正解せいかいすれば、リタイヤも可能かのうで、その場合ばあいにはそれまで獲得かくとくしていた賞金しょうきん全額ぜんがくかえれる。
  • 子供こども大会たいかいのミリオンステージの場合ばあい賞金しょうきんではなく、天体てんたい望遠鏡ぼうえんきょうラテカセ・スポーツ用品ようひんとうなかからきなものいちてん解答かいとうしゃえらばせ(いわゆる「ミリオンしょう」)、いちもん一発いっぱつ勝負しょうぶさせる形式けいしき。なお、末期まっき子供こども大会たいかいはミリオンしょう獲得かくとくすると、チャンピオン大会たいかい進出しんしゅつして、ハワイ旅行りょこう目指めざ形式けいしきがあった。
  • ミリオンステージ進出しんしゅつしゃは、問題もんだい出題しゅつだいまえにコンピューターの「性格せいかく診断しんだん」をける。「はい」「いいえ」形式けいしきでコンピューターからされるいに5もんこたえ、わった時点じてんでコンピューターが挑戦ちょうせんしゃ性格せいかく診断しんだんして延々えんえんげ、そのユニークな分析ぶんせきぶりがつねにギャラリーのわらいをさそっていた。なお、このコーナーは放送ほうそう時間じかん短縮たんしゅく廃止はいしされている。
  • 「Q兵衛ひょうえ」という番組ばんぐみマスコットのうまぬいぐるみ製作せいさくされ、番組ばんぐみ参加さんかしょう(100まんえん獲得かくとくしゃふくむミリオンステージ進出しんしゅつしゃにはスタジオで授与じゅよ)や視聴しちょうしゃプレゼント(「宿題しゅくだいクイズ」とばれていた)として使用しようされた。のちに「チビQ」という小型こがたサイズのぬいぐるみも登場とうじょうした。
  • 初期しょきころは、270まんえんのちに100まんえん獲得かくとくしゃに、小規模しょうきぼトロフィー授与じゅよされていた。
  • ミリオンステージの表彰ひょうしょうBGMは、ゆったりとしたストリングス調ちょうだった(1もんでも正解せいかいすれば、途中とちゅう敗退はいたいでもながれていた)。子供こども大会たいかいのオープニングでもおなじBGMがながれていた。また、100まんえん獲得かくとくしゃると解答かいとうせき背後はいご碁盤ごばんのようなでんかざりパネルがひかり、そのさいに押阪が「ひゃーくまーんえーん!」「ひゃーくまーんえーん、やりました!」などとさけんでいた。

後期こうきルール[編集へんしゅう]

対戦たいせんはやしクイズ[編集へんしゅう]

解答かいとうしゃ双方そうほうともに40てんからスタートし、てん範囲はんいない(10てん単位たんい)で点数てんすうけ、はやしで解答かいとうけん問題もんだい正解せいかいすればてんぶん得点とくてん加算かさんされるが、正解せいかいした相手あいてがわならびに両者りょうしゃ正解せいかい解答かいとう場合ばあいてん没収ぼっしゅうとなる。また4もんからはチャンスクイズでてん2ばい解答かいとうしゃが100てん突破とっぱ、もしくは相手あいてがわが0てんになったところでゲーム終了しゅうりょう。この時点じてんいたほうに1まんえん獲得かくとく

ボーナスチャンス[編集へんしゅう]

  • 安全あんぜんコース」と「危険きけんコース」の2つのコースがあり、そのどちらかに挑戦ちょうせんする。
    1. 安全あんぜんコース - 2しゃ択一たくいつ問題もんだいを7もん出題しゅつだい。1もん正解せいかいで1まんえん以下いか6もんまで1まんえんずつ加算かさんし、7もん全問ぜんもん正解せいかいなら10まんえん
    2. 危険きけんコース - 一発いっぱつ勝負しょうぶによるクイズで、ヒントを最大さいだい4つまでくことが出来できる。そこでわかった段階だんかいでボタンをしてこたえをし、だい1ヒント正解せいかいで30まんえん以下いか10まんえん、3まんえん最終さいしゅうヒントは1まんえん減額げんがくされる。正解せいかいだと賞金しょうきんし。
  • ボーナスチャンス終了しゅうりょう対戦たいせんはやしクイズにもどり、100まんえん獲得かくとくするか、しんチャンピオンにかされるまでかえ対戦たいせんできる。なお、この後期こうきルールはの『かつら三枝みえ連続れんぞくクイズ』でも使つかわれた。

さい末期まっき子供こども大会たいかい得点とくてん形式けいしき[編集へんしゅう]

さい末期まっき子供こども大会たいかい(1979ねん冬休ふゆやすみのみ実施じっし)は賞金しょうきんではなく得点とくてんかさねての形式けいしきで、得点とくてん上位じょうい大晦日おおみそか放送ほうそうのチャンピオン大会たいかい進出しんしゅつし、ハワイ旅行りょこう目指めざしていた。

  • クイズでったとき得点とくてん加算かさんし。
  • 安全あんぜんコース - 1もん正解せいかいで5てん以下いか6もんまで5てんずつ加算かさんし、7もん全問ぜんもん正解せいかいなら50てん
  • 危険きけんコース - だい1ヒント正解せいかいで70てん以下いか30てん、20てん、10てん減点げんてんされ、正解せいかいだと0てん
  • 100てん獲得かくとくしたところでチャンピオン大会たいかいへの出場しゅつじょうけん終了しゅうりょう。100てん到達とうたつせず敗退はいたいしたひとなかからも、得点とくてん上位じょういしゃがチャンピオン大会たいかい進出しんしゅつ

備考びこう[編集へんしゅう]

  • おなじくTBSで放送ほうそうされていた『時間じかんですよ』のだい77(1973ねん5がつ2にち放送ほうそうぶん)で大前田おおまえだ小百合さゆり初代しょだいゆう千帆ちほ樹木きき希林きりん)がほん番組ばんぐみ出場しゅつじょうするシーンがあったが、初戦しょせん敗退はいたいした。
  • 漫画まんがさくらももこ祖父そふともぞう出場しゅつじょうしたことがあり、さくら原作げんさくのアニメ『ちびまるちゃん』(フジテレビ)の「おじいちゃんベルトクイズにる(後編こうへん)」(1991ねん5がつ19にち放送ほうそうぶん)にて当時とうじのエピソードがえがかれている。このかいはTBSの協力きょうりょくした製作せいさくされ、押阪が司会しかいしゃやく声優せいゆうとして特別とくべつ出演しゅつえんした。なお、出題しゅつだいしゃこえ矢島やじまではなく、当時とうじフジテレビアナウンサーのさかい鶴丸つるまる担当たんとうした。このかいは『タカトシの時間じかんですよ!』(TBS、2012ねん9がつ5にち放送ほうそうぶん)でも放送ほうそうされた[2]。なお、アニメのストーリーではだい1ルールが採用さいようされており、ともぞうは2にんいたのちにミリオンステージに移動いどう、50まんえん問題もんだい正解せいかいしたもののつぎ挑戦ちょうせんした100まんえん問題もんだいあやまこたえ結果けっか27まんえん2人ふたりき+50まん半額はんがく)を獲得かくとくした。
  • うみ援隊でメジャーデビューしたのち武田たけだ鉄矢てつや出場しゅつじょう記念きねんひんのぬいぐるみをむすめからねだられ、一般いっぱん解答かいとうしゃとして出場しゅつじょうしたことがある[3]
  • スポーツライター後藤ごとう健生たけおとう番組ばんぐみ出場しゅつじょうし、優勝ゆうしょうしたことがあった。まず、せんとミリオンステージを制覇せいはして賞金しょうきん100まんえん獲得かくとくし、そのおこなわれた100まんえん獲得かくとくしゃによるグランドチャンピオン大会たいかい出演しゅつえん、ここでもミリオンステージをせいしてもう100まんえん都合つごう200まんえんかせいだ。これがきっかけで、後藤ごとうサッカー本場ほんばである南米なんべいへの観光かんこう旅行りょこうかけ、それをきっかけにスポーツライターへのみちあゆむことになる[4]
  • 押阪は本番ほんばんぐみ終了しゅうりょうから31にち放送ほうそう開始かいししたフジテレビのひるおび番組ばんぐみ日本にっぽん全国ぜんこくひるやす』の司会しかいつとめていた。
  • 1971ねん1がつ1にち金曜日きんようび放送ほうそうぶんは、後年こうねん裏番組うらばんぐみの『アフタヌーンショー』(NETテレビ→テレビ朝日てれびあさひ)で司会しかいつとめることになる川崎かわさき敬三けいぞう解答かいとうしゃとして出演しゅつえんしていた[5]
  • 押阪がNHK連続れんぞくテレビ小説しょうせつひよっこだい20しゅう「さて、問題もんだいです」:115(2017ねん8がつ15にち 火曜日かようび放送ほうそうぶん)にクイズ番組ばんぐみ[6]司会しかいしゃやく出演しゅつえんしたさい、『ひよっこ』の制作せいさくがわほん番組ばんぐみ視聴しちょうしゃとの絶妙ぜつみょういが素晴すばらしいとおもい、ドラマないでもこのライブかん表現ひょうげんしたいとかんがえて押阪に出演しゅつえん依頼いらいしたという[7]。ちなみに問題もんだいげるナレーターは、押阪が会長かいちょうつとめるエス・オー・プロモーション所属しょぞくアナウンサーである安田やすだ真理まりえんじた。

放送ほうそうきょく[編集へんしゅう]

系列けいれつ放送ほうそう終了しゅうりょう時点じてんのもの。

放送ほうそう対象たいしょう地域ちいき 放送ほうそうきょく 系列けいれつ 備考びこう
関東かんとう広域こういきけん 東京放送とうきょうほうそう TBS系列けいれつ 製作せいさくきょく(1970ねん3がつまでは水曜すいよう放送ほうそうぶん以外いがい担当たんとう同年どうねん4がつ以降いこうぜん曜日ようび担当たんとう
げん・TBSテレビ
近畿きんき広域こういきけん 朝日放送あさひほうそう 製作せいさくきょく(1970ねん3がつまでは水曜すいよう放送ほうそうぶんのみの担当たんとう
1975ねん3がつ28にちまで
げん朝日放送あさひほうそうテレビ
毎日放送まいにちほうそう 1975ねん3がつ31にちから、腸捻転ちょうねんてん解消かいしょうともな移行いこう
北海道ほっかいどう 北海道放送ほっかいどうほうそう
青森あおもりけん 青森あおもりテレビ 1975ねん3がつ31にちから
岩手いわてけん 岩手いわて放送ほうそう げん・IBC岩手いわて放送ほうそう
宮城みやぎけん 東北放送とうほくほうそう
福島ふくしまけん 福島ふくしまテレビ TBS系列けいれつ
フジテレビ系列けいれつ
1970ねん3がつ30にちから[8]
山梨やまなしけん テレビ山梨てれびやまなし TBS系列けいれつ 1970ねん4がつ開局かいきょくから
新潟にいがたけん 新潟放送にいがたほうそう
長野ながのけん 信越放送しんえつほうそう
静岡しずおかけん 静岡放送しずおかほうそう
石川いしかわけん 北陸放送ほくりくほうそう
中京ちゅうきょう広域こういきけん 中部日本放送ちゅうぶにっぽんほうそう げん・CBCテレビ
島根しまねけん
鳥取とっとりけん島根しまねけん
山陰放送さんいんほうそう 1972ねん9がつ21にちまでの放送ほうそう免許めんきょエリアは島根しまねけんのみ
1972ねん9がつ22にちより鳥取とっとり島根しまね電波でんぱ相互そうごれで鳥取とっとりけんでも放送ほうそう
岡山おかやまけん 山陽放送さんようほうそう げん・RSK山陽さんよう放送ほうそう当時とうじ放送ほうそう免許めんきょエリアは岡山おかやまけんのみ。
広島ひろしまけん 中国放送ちゅうごくほうそう
山口やまぐちけん テレビ山口てれびやまぐち TBS系列けいれつ
フジテレビ系列けいれつ
1979ねん4がつ2にちから
高知こうちけん 高知放送こうちほうそう 日本にほんテレビ系列けいれつ 1970ねん3がつまで
テレビ高知てれびこうち TBS系列けいれつ 1970ねん4がつ開局かいきょくから
福岡ふくおかけん RKB毎日放送まいにちほうそう
長崎ながさきけん 長崎放送ながさきほうそう
熊本くまもとけん 熊本放送くまもとほうそう
大分おおいたけん 大分放送おおいたほうそう
宮崎みやざきけん 宮崎放送みやざきほうそう
鹿児島かごしまけん 南日本放送みなみにほんほうそう
沖縄おきなわけん 琉球放送りゅうきゅうほうそう 日本にっぽん復帰ふっき前後ぜんこう番組ばんぐみ開始かいし当初とうしょ正午しょうご時間じかん自社じしゃ制作せいさくのローカルワイドニュース番組ばんぐみ放送ほうそうしたため15:00からの時差じさネットだったが、のち同時どうじネットとなった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 朝日新聞あさひしんぶん 1970ねん12月28にち 朝刊ちょうかん P.9 テレビらん(朝日新聞あさひしんぶんクロスサーチにて閲覧えつらん)
  2. ^ 価格かかく.com - 「タカトシの時間じかんですよ!」2012ねん9がつ5にちみず放送ほうそう内容ないよう | テレビ紹介しょうかい情報じょうほう”. カカクコム. 2013ねん6がつ21にち閲覧えつらん
  3. ^ 「プレーバック なつかしクイズ番組ばんぐみ」『週刊しゅうかん女性じょせい』、主婦しゅふ生活社せいかつしゃ、2011ねん11月8にち 
  4. ^ 後藤ごとう健生たけおの「蹴球しゅうきゅう放浪ほうろう」 連載れんさいだい15かい「ユングヨのよる」のまきサッカー批評ひひょう)・グランドチャンピオン大会たいかい優勝ゆうしょう写真しゃしんみぎから2人ふたり、トロフィーと花束はなたばっている男性だんせい後藤ごとう、そのひだりとなりが押阪、さらにそのひだりじゅん優勝ゆうしょう女性じょせい
  5. ^ 週刊しゅうかんTVガイド京阪神けいはんしんばん年末年始ねんまつねんしごう、91ページの朝日放送あさひほうそう番組ばんぐみひょう東京ニュとうきょうにゅス通信社すつうしんしゃ、1970ねん12月。この当時とうじ、『アフタヌーンショー』の司会しかいかつらしょう金治きんじつとめていた(関西かんさい地区ちくでは毎日放送まいにちほうそうがネット)。
  6. ^ 題名だいめいは「マート製薬せいやくきクイズ3Q」とパロディにされていたほか、出題しゅつだいナレーターも女性じょせいえ、さらに優勝ゆうしょう賞品しょうひんが「賞金しょうきん30まんえん+ハワイ旅行りょこう」(それも3にんいた時点じてん獲得かくとくであり、本家ほんけの「ミリオンステージ」などもなかった)など相違そういてんがある。「マート製薬せいやく」と「ハワイ旅行りょこう」にかんしては、どう時期じき放送ほうそうされていた『アップダウンクイズ』におけるスポンサーと優勝ゆうしょう賞品しょうひんからのパロディとかんがえられる[独自どくじ研究けんきゅう?](押阪はその『アップダウンクイズ』に「クイズ番組ばんぐみ司会しかいしゃ大会たいかい」で解答かいとうしゃとして出場しゅつじょう経験けいけんもある)。
  7. ^ 「ベルトクイズQ&Q」押阪にんアナ「ひよっこ」でめい司会しかい復活ふっかつ!ネット興奮こうふん― スポニチ Sponichi Annex 芸能げいのう”. スポーツニッポン新聞しんぶんしゃ (2017ねん8がつ15にち). 2017ねん9がつ8にち閲覧えつらん
  8. ^ 福島ふくしまみんほう』1970ねん3がつ30にちづけ朝刊ちょうかん、テレビらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

TBS系列けいれつ 月曜げつよう - 金曜きんよう12:00わく
ぜん番組ばんぐみ 番組ばんぐみめい 番組ばんぐみ
ひるにあいましょう
(1968ねん12月23にち - 1969ねん6がつ27にち
※12:00 - 12:40
ベルトクイズQ&Q
(1969ねん6がつ30にち - 1980ねん2がつ29にち
スーパーダイスQ
(1980ねん3がつ3にち - 1984ねん3がつ30にち
※12:00 - 12:20
TBS系列けいれつ 月曜げつよう - 金曜きんよう12:20わく
ひるにあいましょう
(1968ねん12月23にち - 1969ねん6がつ27にち
※12:00 - 12:40
ベルトクイズQ&Q
(1969ねん6がつ30にち - 1978ねん9がつ29にち
【1978ねん10がつはいわく
シャボンだまこんにちは
(1978ねん10がつ2にち - 1979ねん7がつ6にち
※12:20 - 12:40
【5ふん拡大かくだい
TBS系列けいれつ 月曜げつよう - 金曜きんよう12:25わく
ひるにあいましょう
(1968ねん12月23にち - 1969ねん6がつ27にち
※12:00 - 12:40
ベルトクイズQ&Q
(1969ねん6がつ30にち - 1975ねん9がつ26にち
【1975ねん10がつはいわく
シャボンだまこんにちは
(1975ねん9がつ29にち - 1979ねん7がつ6にち
※12:25 - 12:40