(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ペル・ラムセス - Wikipedia コンテンツにスキップ

ペル・ラムセス

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペル・ラムセス
Pi-Ramesses
ラムセス2せいきょぞう現存げんそんするあし部分ぶぶん
ペル・ラムセスの位置(エジプト内)
ペル・ラムセス
エジプトにおける位置いち
所在地しょざいち  エジプトシャルキーヤけんカンティール英語えいごばん
地域ちいき しもエジプト
座標ざひょう 北緯ほくい3047ふん56びょう 東経とうけい3150ふん9びょう / 北緯ほくい30.79889 東経とうけい31.83583 / 30.79889; 31.83583座標ざひょう: 北緯ほくい3047ふん56びょう 東経とうけい3150ふん9びょう / 北緯ほくい30.79889 東経とうけい31.83583 / 30.79889; 31.83583
種類しゅるい Settlement
面積めんせき 18 km2 (6.9 sq mi)
歴史れきし
建設けんせつしゃ ラムセス2せい
完成かんせい 紀元前きげんぜん13世紀せいきころ
放棄ほうき 紀元前きげんぜん1060ねんころ
時代じだい エジプトしん王国おうこくエジプトだい19王朝おうちょう

ペル・ラムセス英語えいご:Per-Ramesses[pɪərɑːmɛs]アラビア:بر-رمسيسエジプト:Per-Ra-mes(i)-su[1])は、エジプトだい19王朝おうちょうファラオラムセス2せい建設けんせつした古代こだいエジプト都市としである。ピ・ラムセス英語えいご:Pi-Ramesses)ともいう。エジプトだい19王朝おうちょう後期こうきエジプトだい20王朝おうちょうにおいてであったが、のち放棄ほうきされた。

概要がいよう

[編集へんしゅう]

エジプトしん王国おうこく時代じだいには、古代こだいエジプト帝国ていこく領土りょうどエジプトナイルかわほとりえてとおアジアヨルダンシリアにまでおよび、とくエジプトだい19王朝おうちょうでは敵国てきこくであったヒッタイト帝国ていこく平和へいわ条約じょうやく締結ていけつされたことによってアジアとの交易こうえきさかんとなった。そのため、この時代じだい経済けいざい商業しょうぎょう活動かつどうは、外国がいこくとの貿易ぼうえきふくめてナイルがわ河口かこうのデルタ地帯ちたい中心ちゅうしんとなっていた。

そのため、伝統でんとうてきであるテーベのようなナイルがわをさかのぼった地域ちいき政治せいじ活動かつどうおこなうのは効率こうりつてきではなかった。そこでエジプトだい19王朝おうちょうだい3だいファラオラムセス2せいは、おもってナイルデルタ地帯ちたい祖父そふラムセス1せい出身しゅっしんアヴァリス英語えいごばん(Avaris)にちか土地とちあたらしい建設けんせつした。これが「ペル・ラムセス」である。このほかにもラムセス2せい様々さまざま建築けんちくぶつのこしていたが[2]、この都市としみずかつくった都市としというてん建築けんちくぶつとはことなっている。

名前なまえは「ラムセス」、あるいは「ラムセスのいえ」を意味いみする[3]。ペル・ラムセスはナイルデルタ地域ちいきてらた。このペル・ラムセスは地政学ちせいがくてきにも重要じゅうようであり、アジアにあるエジプト王国おうこく属国ぞっこくとヒッタイト帝国ていこくとの外交がいこうやアジアへの軍事ぐんじてき行動こうどう容易よういにした。以前いぜん首都しゅとテーベはうえエジプトに存在そんざいし、アジアへの軍事ぐんじてき行動こうどうには迅速じんそくせいけていたのである。

おうをペル・ラムセスへとうつしたことによって、情報じょうほう外交がいこうかんははるかに迅速じんそくにラムセス2せいのもとへと到達とうたつし、ぐん主要しゅよう部隊ぶたい市内しない収容しゅうようできた。その結果けっかヨルダン地域ちいきからのヒッタイトまたは遊牧民ゆうぼくみん侵略しんりゃく対処たいしょするために以前いぜんよりもさらに迅速じんそくぐん動員どういんすることが可能かのうになった[4]

ペル・ラムセス人口じんこうは30まんにんえ、古代こだいエジプト大都市だいとしひとつとなった。その、ペル・ラムセスはラムセス2せい死後しごその息子むすこであるメルエンプタハおうぎ、エジプトだい19王朝おうちょう崩壊ほうかいしたのちもエジプトだい20王朝おうちょう歴代れきだいファラオのとなって1世紀せいき以上いじょうにわたり繁栄はんえいしたが、のちにナイルがわながれの変化へんかなどによって衰退すいたいし、エジプトだい3ちゅうあいだエジプトだい21王朝おうちょう時代じだいになるとおうとしての機能きのう放棄ほうきされた。そののこされた建造けんぞうぶつ残骸ざんがいは、おなじくナイルデルタ地域ちいきおうみやこであったタニス(Tanis)の建設けんせつ資材しざいとして流用りゅうようされ、現在げんざいでもタニスにおいて以前いぜんはペル・ラムセスにあったものがのこされている[5]

タニスにラムセス2せい名前なまえのこっていることとおなじく古代こだいエジプトのナイルデルタの大都市だいとしというてんから、従来じゅうらいはタニスこそがペル・ラムセスである、とかんがえられていた。しかし、現代げんだいではペル・ラムセスはタニスではなく、現代げんだいカンティール英語えいごばん(Qantir)にたる場所ばしょにあったというせつ有力ゆうりょくである。

ラムセス2せいおおくの神殿しんでんなどを古代こだいエジプトのかみ々にささげたが(れい:アブシンベル巨大きょだいアブ・シンベル神殿しんでん建築けんちく)、みずからをかみとし、かれ建設けんせつした神殿しんでんにはかみ々にれっするかれ姿すがたおおのこされている。

聖書せいしょ

[編集へんしゅう]
『エジプトのイスラエルじん』(エドワード・ポインター・1867ねん

旧約きゅうやく聖書せいしょエジプトによると、ヘブライじん強制きょうせい労働ろうどうにより建設けんせつしたは「ラメセス」となっており、実際じっさいにデルタ地帯ちたいにはおおくのヘブライじん居住きょじゅうしていたことから、この出来事できごとはラムセス2せい時代じだいのこととおもわれる。しかしエジプトがわ記録きろくにはモーゼもヘブライじん脱出だっしゅつ逸話いつわのこっていない[3]

脚注きゃくちゅう

[編集へんしゅう]
  1. ^ Tyldesley, Joyce (October 30, 2001). Ramesses: Egypt's Greatest Pharaoh. Penguin. p. 90. ISBN 978-0-14-028097-5 
  2. ^ 古代こだいエジプト』笈川おいかわ博一ひろかず、2014ねん、p227
  3. ^ a b http://www.isis.justhpbs.jp/19ouchou.html
  4. ^ Manley, Bill (1995), "The Penguin Historical Atlas of Ancient Egypt" (Penguin, Harmondsworth)
  5. ^ K. A. Kitchen. On the Reliability of the Old Testament. Grand Rapids, Michigan. William B. Eerdmans Publishing Company. 2003, p.255. ISBN 0-8028-4960-1.

関連かんれん項目こうもく

[編集へんしゅう]
先代せんだい
テーベ
古代こだいエジプトの首都しゅと
紀元前きげんぜん13世紀せいきごろ - 紀元前きげんぜん12世紀せいきころ
次代じだい
タニス