ページ・スリー・ガール

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
2004ねんページ・スリー・アイドルのキーリー・ヘイゼル

ページ・スリー・ガールページ・スリーページ3)は、イギリスタブロイド新聞しんぶんザ・サン」の3めん魅力みりょくてき女性じょせいおおきな写真しゃしんからるページ、およ登場とうじょうした女性じょせいモデル通常つうじょうモデルはトップレスであるかしなのあるヌードである。「ページ・スリー (Page Three)」と「ページ3 (Page 3)」はニューズ・コープ傘下さんかのニューズ・インターナショナルしゃ(ザ・サンの親会社おやがいしゃ)の登録とうろく商標しょうひょうであるが、同様どうよう趣向しゅこうはイギリスのほかのタブロイド世界中せかいじゅう新聞しんぶんられる。

ページ・スリー・ガールの歴史れきし[編集へんしゅう]

1969ねんルパート・マードック沈滞ちんたいしていた「ザ・サン」を買収ばいしゅうしてタブロイドとして再生さいせいさせたさい、3めん半裸はんら女性じょせいモデルの写真しゃしん掲載けいさいすることによって発行はっこう部数ぶすうばそうとかんがえた。最初さいしょのページ・スリー・ガールは1969ねん11月17にち登場とうじょうした、ウーラ・リンドストローム (Ulla Lindstrom) である。彼女かのじょは1969ねん11月のペントハウス・ペットでもあった。リンドストロームはペントハウスにはヌードで登場とうじょうしたが、ザ・サンでは挑発ちょうはつてきにボタンをはずしたシャツをて、魅惑みわくてきなポーズをとっている。翌年よくねんわりころまで、ページ・スリーの写真しゃしん挑発ちょうはつてきではあったが、ヌードではなかった。

1970ねん11月17にち編集へんしゅうちょうラリー・ラム (Larry Lamb) は20さいのドイツじんモデル、ステファニー・ラーン (Stephanie Rahn) の「まれたままの姿すがた」の写真しゃしん掲載けいさいし、このをタブロイドにとって記念きねんすべきとした[1]撮影さつえいは2003ねんまでページ・スリー・ガールのカメラマンとして活躍かつやくしたビヴァリー・グッドウェイ (Beverley Goodway)おこなった。ラーンは側面そくめんからられ、ヌードでする彼女かのじょ乳房ちぶさ片方かたがた完全かんぜんにあらわになっている。つづすう年間ねんかん、ザ・サンはより明確めいかくトップレスのページ・スリー・ガールを登場とうじょうさせた。これらの写真しゃしんおおくの論争ろんそうこすあいだにも、ザ・サンは売上うりあげばし、1970年代ねんだい中頃なかごろまでには、イギリスでもっと人気にんきたか新聞しんぶんの1つとしての地位ちい確立かくりつした[2]。ライバルのタブロイドデイリー・ミラーとデイリー・スター (Daily Star) は、ちが名前なまえ同様どうようのページをもうけた。

ザ・サンのページ・スリーの写真しゃしんは、通常つうじょう正統せいとうてき悩殺のうさつポーズをとるモデルが掲載けいさいされるが、たとえばウィンブルドン選手権せんしゅけん期間きかんちゅうにはしろいミニスカートを穿いてテニスラケットつモデルが登場とうじょうしたり、チェルトナムフェスティバル開催かいさいちゅう乗馬じょうばようむちち、ジョッパーズを穿いたモデルが登場とうじょうするなど、時事じじてきなスポーツイベントに連動れんどうさせることもある。1970年代ねんだいから1990年代ねんだいなかばにかけては、写真しゃしんえられるキャプションは、モデルの実生活じっせいかつ関心事かんしんじかんする、性的せいてきにくすぐられる駄洒落だじゃれ性的せいてきにきわどいダブル・ミーニングたされていた。このようなキャプションは、1990年代ねんだい後期こうきからは単純たんじゅんにモデルの名前なまえ年齢ねんれい出身しゅっしんならべただけの(たとえば「キーリー、18さい、ロンドン出身しゅっしん」のような)ものにえられた。スポーツ関連かんれんのコスチュームと小道具こどうぐ使用しようも、この時期じき大幅おおはばらされた。

1998ねん、ページ・スリー・ガールののち、ケイティ・プライス (Jordan) はブラサイズを81cmBカップからGカップまでアップする、すうにわたるゆたかむね手術しゅじゅつけた。ザ・サンはゆたかむねされたむね自然しぜんむねのどちらのモデルをこのむか、読者どくしゃ世論せろん調査ちょうさ実施じっしした。読者どくしゃ圧倒的あっとうてき自然しぜんむね支持しじした結果けっかけ、ザ・サンは外科げかてきむね変化へんかさせたモデルを「禁止きんしする」方針ほうしんした。

1999ねん、ザ・サンはページ・スリー・ガールのウェブサイト、Page3.comを開設かいせつした[3]。ウェブサイトにはタブロイド毎日まいにち登場とうじょうするページ・スリー・ガールの、新聞しんぶん発表はっぴょうされた写真しゃしんふく最大さいだい4ポーズの画像がぞうがアップされる。また過去かこのページ・スリー・ガールを紹介しょうかいするオンライン・アーカイブのメニューもある。

2002ねん以降いこう、ザ・サンは毎年まいとし「ページ・スリー・アイドル」というコンテストをおこなっており、イギリスちゅう女性じょせいがページ・スリー・ガールのモデル契約けいやくのぞんで写真しゃしん提出ていしゅつすることができる。この結果けっか公開こうかい投票とうひょうによって決定けっていされる。2004ねんのコンテストは18さいのキーリー・ヘイゼル (Keeley Hazell)せいした。彼女かのじょはそのイギリスのトップ・グラマー・モデルとなった。

2003ねん、ジュリアン・ジョーンズはページ・スリー・ガールをげた『The Curse of Page 3』というドキュメンタリーを製作せいさくした[4]

ページ・スリー・ガールをめぐ論争ろんそう[編集へんしゅう]

ページ・スリーはとく保守ほしゅそう婦人ふじん団体だんたいからひんぱんに槍玉やりだまげられた。一部いちぶフェミニスト評論ひょうろんせい差別さべつ主義しゅぎてきであり、下品げひんであり、搾取さくしゅてきであり、ソフトコアポルノとみなすひともおり、全国ぜんこく内容ないようとして適当てきとうだとかんがえた。そのような批判ひはんおうじ、デイリー・ミラーは1980年代ねんだいにトップレスのモデルの写真しゃしん掲載けいさいめた。1986ねんバーミンガム・レディウッド選挙せんきょ選出せんしゅつ下院かいん議員ぎいんクレア・ショート (Clare Short) は、トップレスのモデルをすべての新聞しんぶんからそうという下院かいん運動うんどう先頭せんとうったが、成功せいこうわった。提起ていきした議案ぎあん不首尾ふしゅびわったのち、ショートは下院かいんおも男性だんせい議員ぎいんが「あなたがむね言及げんきゅうするならば、50にん保守党ほしゅとう下院かいん議員ぎいんすべてくすくすわらってたおれるでしょう。」とって深刻しんこく問題もんだいらなかったとうったえた[5]やく20ねんの2004ねん、ショートはページ・スリーに反対はんたいするキャンペーンを再開さいかいしたが、くとザ・サンにより悪意あくいちた人格じんかく攻撃こうげきけるがわたされていた。ザ・サンは彼女かのじょかおをページ・スリー・ガールの身体しんたいうえかさわせ、彼女かのじょを「ふとって嫉妬しっとふかい」と非難ひなんした[6]

ザ・サンのふく編集へんしゅうちょう時代じだい、レベッカ・ウェイド (Rebekah Wade) はページ・スリー・ガールが女性じょせい読者どくしゃ不快ふかいにさせることにより、発行はっこう部数ぶすう損害そんがいあたえていると主張しゅちょうしていた。彼女かのじょが2003ねん1がつ13にちにタブロイドはつ女性じょせい編集へんしゅうちょうになったとき、ページ・スリー・ガールを終了しゅうりょうするか、モデルがもはやトップレスにえないように修正しゅうせいしてしまうであろうと大方おおかた予想よそうした。しかし、彼女かのじょ伝統でんとう不変ふへんであるあかしとして、編集へんしゅう権限けんげん同名どうめいのモデル、レベッカ・ティースデール (Rebekah Teasdale)就任しゅうにんはつのトップレスのページ・スリー・ガールにえらぶことからはじめた[7]批評ひひょう攻撃こうげきからページを擁護ようごするその社説しゃせつで、ウェイドはページ・スリー・ガールのモデルたちを「みずか選択せんたくしてザ・サンに出演しゅつえんし、仕事しごとたのしんでいるから、知的ちてき活気かっきちているわか女性じょせい」と位置いちづけた[6]

ザ・サンやのイギリスのタブロイドは、トップレス・モデルとして16さい程度ていどわかおんな登場とうじょうさせたことによっても非難ひなんされた。サマンサ・フォックス、マリア・ホイッテカー (Maria Whittaker)、デビー・アシュビー (Debee Ashby)、そのおおくのページ・スリー・ガールは、16さいでザ・サンでのトップレス・モデルの仕事しごと開始かいししている。デイリー・スポーツ (The Daily Sport) たとえば1994ねんリンゼイ・ドーン・マッケンジーや2003ねんのチェリー・ディー (Cherry Dee) がトップレスで出演しゅつえんできる16かい誕生たんじょうまでカウントダウンさえしたことでられている。このような写真しゃしんは1978ねん児童じどう保護ほごほうしたでイギリスでは法的ほうてきゆるされていたが、おおくのほか法域ほういき法的ほうてき子供こども分類ぶんるいされるおんなのトップレス写真しゃしん発行はっこうされるなか批評ひひょうたちは釈放しゃくほうされた小児しょうに性愛せいあいしゃたちの公的こうてき身元みもと証明しょうめいふくむ、未成年みせいねんしゃへの性的せいてき虐待ぎゃくたいたいするよりきびしい法律ほうりつもとめる[8]、マードックのザ・サンとニュース・オブ・ザ・ワールドかみアイロニー言及げんきゅうした。2003ねんせい犯罪はんざいほうがわいせつな写真しゃしん撮影さつえい法的ほうてき禁止きんしするはばを16さい・17さいまでひろげたため、これらのわかいモデルをめぐる論争ろんそう終止符しゅうしふたれた。

著名ちょめいなページ・スリー・ガール[編集へんしゅう]

もとボンドガール(1985ねん007 うつくしき獲物えものたち』)
もと男性だんせいもとボンドガール(『007 ユア・アイズ・オンリー』)
ポール・マッカートニーもとつま
マイケル・ジャクソンもとつま

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ BBC NEWS | Magazine | Page Three girls - the naked truth英語えいご
  2. ^ BBC News | UK | Flirty not dirty at 30英語えいご
  3. ^ ザ・サンのページ・スリー・ガール・ウェブサイトちゅう性的せいてき表現ひょうげんがあります)英語えいご
  4. ^ The Curse of Page 3 (2003) (TV)英語えいご
  5. ^ BBC NEWS | Politics | Profile of Clare Short英語えいご
  6. ^ a b Sun turns on 'killjoy' Short in Page 3 row | Media | MediaGuardian英語えいご
  7. ^ Sun's first woman editor to keep Page Three Girls - Telegraph英語えいご
  8. ^ Britain Fights Tide of Anti-Pedophile Attacks - New York Times英語えいご
  9. ^ a b c d e f The Sexiest Page 3 Girl Ever!英語えいご
  10. ^ a b c d e f g h i The Sexiest Page 3 Girl Ever!英語えいご
  11. ^ a b c d e f g h i The Sexiest Page 3 Girl Ever!英語えいご
  12. ^ a b c d The Sexiest Page 3 Girl Ever!英語えいご
  13. ^ a b c d The Sexiest Page 3 Girl Ever!英語えいご

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]