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エロティカ

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ギュスターヴ・クールベの『世界せかい起源きげん』(中央ちゅうおう)を鑑賞かんしょうする人々ひとびと

エロティカ(erotica、エロチカ、エロス作品さくひん官能かんのう作品さくひん性愛せいあい作品さくひん、ギリシャ性愛せいあい意味いみする「エロス」より)は、エロティシズム色情しきじょう)を刺激しげきしたり性的せいてき興奮こうふんこしたりする官能かんのうてき描写びょうしゃあつか文学ぶんがく性愛せいあい文学ぶんがく官能かんのう小説しょうせつ好色こうしょく文学ぶんがく)・写真しゃしん映画えいが絵画かいが春画しゅんがなど)・彫刻ちょうこくなどの芸術げいじゅつ作品さくひんす。

元々もともとエロティカは、人間にんげん肉体にくたいせいを、芸術げいじゅつてき意図いとハイアート制作せいさくするという抱負ほうふとともにえが作品さくひん近代きんだい用語ようごで、商業しょうぎょうてき金銭きんせんてき意図いとから制作せいさくされるポルノグラフィとはべつとされる。

概要がいよう/エロティカとポルノのあいだ芸術げいじゅつとポルノのあいだ

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Fernande (Jean Agélou, 1878ねん-1921ねん)
はだかおとこ  
はだかのマハ(1797ねん-1800ねんごろ プラド美術館びじゅつかん所蔵しょぞう)、 フランシスコ ・デ・ゴヤ (1878ねん - 1921ねん)
エドゥアール=アンリ・アヴリルえがサッポーのヌードと同性愛どうせいあい
ジュリエット物語ものがたりあるいは悪徳あくとくさか』(Histoire de Juliette, ou les Prospérités du viceマルキ・ド・サドちょ)より

一般いっぱんてきには、「エロティカ」は、性的せいてき興奮こうふんこす素材そざいあつか作品さくひんのうち、芸術げいじゅつてき科学かがくてき価値かち意図いとしたりのこしたりしているものをし、「ポルノグラフィ」は、せい好色こうしょく描写びょうしゃ芸術げいじゅつてき価値かちすくないかまったくないものをす。

ケネス・クラークは『ザ・ヌード』[1]において西洋せいよう絵画かいがにおける裸体らたい表現ひょうげんのある作品さくひんを、性愛せいあいてき含意がんい除外じょがいした「ヌード」、性愛せいあいてき含意がんいふくむ「ネイキッド」とにけた。クラークはネイキッドの指標しひょう脱衣だつい連想れんそうさせる意匠いしょうがあることとし、たとえば裸身らしん帽子ぼうしくつ宝飾ほうしょくひんなどの装身具そうしんぐをつけた女性じょせいぞうは、脱衣だつい連想れんそうさせるエロティックな身体しんたいなした[注釈ちゅうしゃく 1][2]

エロティカとポルノグラフィ(あるいは性的せいてき娯楽ごらく作品さくひん)とのちがいを区別くべつすることは、不可能ふかのうとはいわないまでも非常ひじょうむずかしい。エロティック・アートというものの存在そんざい支持しじする立場たちばからは、エロティカは性的せいてき面白おもしろさより芸術げいじゅつてき面白おもしろさを追求ついきゅうするものであり、それゆえポルノとはちがうとされる。しかし、エロティカも実際じっさい性的せいてき興奮こうふんこすことを目的もくてきとしているとして、このような主張しゅちょう退しりぞける意見いけんもある。一方いっぽうでは、金儲かねもうけを目的もくてきとしたポルノが、裸体らたい芸術げいじゅつせい科学かがくなどの名目めいもく公開こうかいされてきた歴史れきしがある(たとえばせい科学かがく映画えいがなど)。他方たほうでは、商業しょうぎょうてき目的もくてき製作せいさくされ、せい商業しょうぎょうするものとして糾弾きゅうだんされることのあるピンク映画えいがなどのポルノ映画えいがやヌード写真しゃしんなかには、制作せいさくしゃ作家さっかせい見出みいだされ芸術げいじゅつ作品さくひんとして評価ひょうかされるものもある。

エロティカとポルノとのあいだ区別くべつすることが可能かのうかどうかという問題もんだいは、おおくの複雑ふくざつ疑問ぎもんむ。こうした疑問ぎもんなかには、作品さくひんからこされる美学びがくてき感情かんじょう官能かんのうてき感情かんじょうたがいに独立どくりつしたものではなせるものかどうか、あるいは作品さくひんない芸術げいじゅつせい商業しょうぎょうせい度合どあいを客観きゃっかんてきはかることができるかどうか、どの時点じてん作品さくひんはポルノとばれるのかどうか、などがふくまれる。

こうしたことから、せいえがいた小説しょうせつ写真しゃしん映画えいがなどが、税関ぜいかん没収ぼっしゅうされたり上映じょうえい出版しゅっぱん展覧てんらん反対はんたい運動うんどうきたり禁止きんし措置そちくだされたりするようなとき、その作品さくひん享受きょうじゅされるべき芸術げいじゅつ作品さくひんとするか享受きょうじゅされるべきでないわいせつものとみるかで様々さまざま裁判さいばん事件じけん発生はっせいしてきた。

裸婦らふぞうは、ルネサンス以後いごのヨーロッパではギリシア神話しんわなどに仮託かたくしてえがかれてきたが、しばしば弾圧だんあつ破棄はき対象たいしょうとなってきた。17世紀せいきのスペインでは裸婦らふぞうきんじられ、異端いたん審問しんもんしょによる没収ぼっしゅう画家がか処罰しょばつおこなわれた。裸婦らふえがくことが比較的ひかくてき自由じゆうであったフランスでも、ヌードをえがいたレオナルド・ダ・ヴィンチの『レダと白鳥しらとり』が破棄はきされるなどの事件じけんがおきている。しかし貴族きぞく階級かいきゅうでは、芸術げいじゅつ道徳どうとく問題もんだいはなしてかんがえるものもおり、王侯おうこう貴族きぞく個人こじんてき多数たすう裸婦らふぞう所持しょじしたりえがかせたりしてひそかにたのしんだ[注釈ちゅうしゃく 2]

また、近代きんだい以前いぜん女性じょせい服飾ふくしょく下半身かはんしんをスカートで秘匿ひとくすることで一貫いっかんしていたため、本来ほんらいかくされるべきあしさきくつあらわにした作品さくひん窃視しょうてき欲望よくぼうたすモチーフとしてこのまれた。絵画かいがちゅうあしさきくつ下半身かはんしん女性じょせい暗喩あんゆとして、直接ちょくせつ裸婦らふえがくことなく鑑賞かんしょうしゃのエロティシズムを喚起かんきした[2]

19世紀せいきのヨーロッパでは、ヌード絵画かいが彫刻ちょうこく宮廷きゅうていから市民しみん社会しゃかいへと進出しんしゅつしたが、その過程かてい様々さまざま抵抗ていこうけた。イギリスでは、ギリシャ・ローマといった古典こてん古代こだいへの関心かんしんたかまりや、都市とし産業さんぎょうによる健康けんこう悪化あっかへの懸念けねん理性りせい至上しじょう主義しゅぎ懐疑かいぎ主義しゅぎによる精神せいしん虚無きょむへの反省はんせい国民こくみん身体しんたい剛健ごうけんなものにするという軍事ぐんじてき必要ひつようからヌードへの関心かんしんたかまったが、一方いっぽうでは宗教しゅうきょう道徳どうとくあるいは社会しゃかい改良かいりょう立場たちばからヌードやわいせつぶつ攻撃こうげきされた。またしばしば美術館びじゅつかん写真しゃしんてんがヌード作品さくひん展示てんじにより非難ひなんびた[3]とく1857ねん猥褻わいせつ出版しゅっぱんぶつ取締とりしまりほう制定せいていには、どこからが芸術げいじゅつでどこからがわいせつかという区別くべつ論争ろんそうたねになった。1885ねんにはロイヤルアカデミーなどへのヌード絵画かいが出品しゅっぴんあまるとする匿名とくめい婦人ふじんが「タイムズ」に投書とうしょせ、ヌード作品さくひんにより観客かんきゃく気分きぶんがいされ、しかもわか女性じょせいがヌードモデルとなることで観客かんきゃく好色こうしょくにさらされ堕落だらくする危険きけんがあるとして展覧てんらんかいのボイコットをうったえた[3]。これにたいし、おおくの新聞しんぶん舞台ぶたい芸術げいじゅつ運動うんどうとのあいだでヌード作品さくひん存在そんざい意義いぎをめぐる論戦ろんせんきた。ヴィクトリアあさ時代じだいには画家がからは神話しんわ古代こだい舞台ぶたいりて官能かんのうてきなヌードをえがいたものの、20世紀せいき前半ぜんはんにはこうした作品さくひん慣習かんしゅうてきアカデミズム上品じょうひんぶったなかみだらさへの関心かんしんなどがやりだまにあげられ、ながあいだ冷遇れいぐうされた[3]

日本にっぽんでは明治めいじ以降いこう、ヨーロッパからヌードデッサンが芸術げいじゅつ教育きょういくれられたが社会しゃかい抵抗ていこうおおきく、初期しょき裸体らたいたとえば黒田くろだ清輝きよてるの『あさ妝』)は未成年みせいねん閲覧えつらん禁止きんし措置そちられた。まただい世界せかい大戦たいせんには『チャタレイ夫人ふじん恋人こいびと』の翻訳ほんやく出版しゅっぱんをめぐるチャタレー事件じけん、『四畳半よじょうはんふすましたちょう』の雑誌ざっし掲載けいさいをめぐる四畳半よじょうはんふすましたちょう事件じけんなどがきている。

詳細しょうさい

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エロティカのなかには様々さまざまなサブジャンルがある。たとえばエロチックなフィクションのなかでも、サイエンス・フィクションファンタジーホラーロマンスなど特定とくていのサブジャンルにぞくするものがある。作品さくひんなかのキャラクターを使つかってファンが制作せいさくするファン・フィクションのうち、男性だんせいキャラクター同士どうしむすけるものはスラッシュ・フィクション(あるいはやおい作品さくひん)とばれる。

さらに、エロティカのなかには特別とくべつ性的せいてき嗜好しこうフェティシズム焦点しょうてんをあてたもの(たとえばボンデージディシプリンサディズムマゾヒズムのような嗜虐しぎゃくてき性向せいこう総称そうしょうであるBDSM制服せいふくフェティシズム、異性いせいそう思春期ししゅんき以下いか少年しょうねん少女しょうじょ老人ろうじんたいする性愛せいあいなど)もある。

1960年代ねんだいのウーマン・リブ、フェミニズム左翼さよくのイメージがつよく、一部いちぶせい解放かいほうせい革命かくめい賛成さんせいてき立場たちばっていた。しかし70年代ねんだいなか以降いこう世界せかい保守ほしゅするとともに、一部いちぶのフェミニストも保守ほしゅしてしまった。アンドレア・ドウォーキンらのポルノに反対はんたいする右派うはラジカル・フェミニストは、ポルノそのものの排除はいじょ表現ひょうげん弾圧だんあつ主張しゅちょうした。これは、ロナルド・レーガンのチャイルド・アビューズほうなど、右派うは政治せいじのぞ表現ひょうげん自由じゆうへの弾圧だんあつ完全かんぜん一致いっちする。右派うはフェミニストの主張しゅちょうは、合衆国がっしゅうこく憲法けんぽうなど、先進せんしんこく憲法けんぽう違反いはんしていた。

グロリア・スタイネムは、せい描写びょうしゃふく表現ひょうげんぶつなかでも女性じょせい差別さべつてき価値かちかんもとづくポルノグラフィと男女だんじょ平等びょうどう友好ゆうこうてき性愛せいあい追求ついきゅうするエロティカを区別くべつし、前者ぜんしゃ批判ひはんしながらもエロティカというかたちで「女性じょせいせい差別さべつてき価値かちかんけられることなく(ひろ意味いみでの)ポルノグラフィをたのしむことができる可能かのうせい」を提示ていじした[4][5]。またフェミニストのなかにも既存きそんせい秩序ちつじょへの破壊はかいりょくをポルノにみとめ、ポルノ一般いっぱん寛容かんよう立場たちばもある[注釈ちゅうしゃく 3]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ この定式ていしきにはアン・ホランダーなどから反論はんろんがあげられている。
  2. ^ かがみのヴィーナス項目こうもくの「17世紀せいきのスペイン裸婦らふ」のふし参照さんしょう
  3. ^ たとえばA. SnitowとP. Califiaの『ポルノと検閲けんえつ』やN. Strossenの『ポルノグラフィ防衛ぼうえいろん』。

出典しゅってん

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  1. ^ http://www.saltwoodcastle.com/kenneth-clark
  2. ^ a b 新保しんぼあつし乃「近世きんせいイタリア絵画かいがにおけるエロティックなあしさき」『着衣ちゃくいする身体しんたい女性じょせい周縁しゅうえん』、恩文閣おんぶんかく出版しゅっぱん、2012ねんISBN 9784784216161 pp.301-302.
  3. ^ a b c 『ヴィクトリアン・ヌードへの道徳どうとくてき反応はんのう』 アリソン・スミス, 「ヴィクトリアン・ヌード 19世紀せいき英国えいこくのモラルと芸術げいじゅつてん図録ずろく p.16-21, 2003ねん
  4. ^ ほりあきこ 『欲望よくぼうのコード マンガにみるセクシュアリティの男女だんじょ臨川りんせん書店しょてん、2009ねんISBN 978-4653040187、26–27ぺーじ
  5. ^ まもり如子 『おんなはポルノを女性じょせい性欲せいよくとフェミニズムあおゆみしゃ、2010ねんISBN 978-4787233103、17ぺーじ

関連かんれん文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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