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ゲイ・ポルノ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
アメリカのゲイ・ポルノ俳優はいゆうダンテ・コッレ

ゲイ・ポルノとは、ゲイ男性だんせい同性愛どうせいあいものけに制作せいさくされるポルノ作品さくひんのことである。男性だんせいヌード男性だんせい同士どうし性行為せいこういセックス)などを収録しゅうろくした映像えいぞう作品さくひん小説しょうせつなどがある。ここではおも戦後せんご日本にっぽんにおけるゲイ・ポルノについてしるす。

ゲイビデオ (Gay Video)」も参照さんしょう

日本にっぽんのゲイポルノ[編集へんしゅう]

概略がいりゃく[編集へんしゅう]

戦後せんご ゲイポルノのはじまり

江戸えど時代じだいなども男性だんせい男性だんせい同士どうし春画しゅんが、あるいは男色なんしょくあつかった小説しょうせつなどは存在そんざいした(後述こうじゅつ)。

戦後せんご日本にっぽんのゲイポルノは、戦後せんごあいだもなく創刊そうかんされた「人間にんげん探究たんきゅう」(1950ねん)、「風俗ふうぞく草紙ぞうし」(1953ねん)、風俗ふうぞく科学かがく(1953ねん)などのせい風俗ふうぞく雑誌ざっしや、「たんクラブ」(1947ねん)、「風俗ふうぞくたん」(1960ねん)などのSM雑誌ざっしに、男女だんじょものの作品さくひんざって、男性だんせい同性愛どうせいあい男性だんせい写真しゃしん男色なんしょく小説しょうせつ時折ときおりげられていたことにはじまる。

ゲイ雑誌ざっしからゲイビデオへ

その、「アドニス」(1952ねん~62ねん)、「薔薇ばらぞく」(1971ねん)などのゲイ雑誌ざっし次々つぎつぎ創刊そうかんされ、グラビア小説しょうせつ漫画まんが・イラストなどが掲載けいさいされていく。アテネ上野うえの御徒おかちまち)やパラダイス北欧ほくおう西新宿にししんじゅく,1972ねん開店かいてん)といったゲイショップなどでも写真しゃしんしゅうなま写真しゃしん、ポストカード、音声おんせいのみのカセットいた写真しゃしんしゅうなどがられるようになる[ちゅう 1]。1980年代ねんだい前半ぜんはんごろまでは、このたねのゲイ雑誌ざっし作品さくひん写真しゃしんしゅうなどがゲイけポルノの中心ちゅうしんめていた。

1980年代ねんだいになると家庭かていようビデオデッキ普及ふきゅうともない「ゲイビデオ」が制作せいさくされはじめ、ゲイポルノの主流しゅりゅうはゲイAVに徐々じょじょ移行いこうしていく[ちゅう 2]。ゲイビデオが普及ふきゅうはじめたのとほぼどう時期じきにはゲイけピンク映画えいが成人せいじん映画えいがかん上映じょうえいされるようにもなった後述こうじゅつ。ゲイ雑誌ざっしのグラビアもそれまでのオリジナル・モデルや外国がいこくからの転載てんさいくわえ、ゲイビデオ会社かいしゃとタイアップして、新作しんさくゲイビデオのモデルをおお掲載けいさいするようになっていった。

インターネット時代じだい

1995ねん以降いこうインターネットのゲイアダルトサイトでゲイ画像がぞう静止せいし)が、2000年代ねんだい前半ぜんはんごろからは動画どうが気軽きがるられるようになっている。
なお日本にっぽん国外こくがいでは、日本にっぽんのゲイポルノを「en:Bara (genre)」「Men's love」としょうし、独立どくりつしたジャンルとして確立かくりつしている。

ゲイポルノの分類ぶんるい[編集へんしゅう]

ゲイビデオ・動画どうが[編集へんしゅう]

詳細しょうさいは「ゲイビデオ (Gay Video)」を参照さんしょう

日本にっぽんでの最初さいしょのゲイビデオは、1981ねん8がつ22にちにフェスター・エンタプライズから発売はつばいされた「青春せいしゅん体験たいけんシリーズ 少年しょうねんじゅんなつ」(制作せいさくアポロン企画きかく)である。ただし、それ以前いぜんにも個人こじん撮影さつえいされた作品さくひんられていた可能かのうせいはあるが、検証けんしょうである。そのおおくのゲイビデオメーカーが設立せつりつされ、今日きょういたっている。

春画しゅんが Nanshoku Shunga[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおける同性愛どうせいあい#春画しゅんが男色なんしょく参照さんしょう
欧州おうしゅうなどでも日本にっぽん春画しゅんが注目ちゅうもくされはじめているが、葛飾かつしか北斎ほくさい(1760ねん-1849ねん)や歌川うたがわ広重ひろしげ(1797ねん-1858ねん)などが男色なんしょくえがいた作品さくひんのこしている。江戸えど時代じだい春画しゅんが3,500てん分析ぶんせきした調査ちょうさ[1]によると、男性だんせい同士どうし作品さくひん全体ぜんたいの3%であった。

グラビア[編集へんしゅう]

男性だんせいヌードのおおくはアドニス(1952ねん)、薔薇ばらぞく(1971ねん)などのゲイ雑誌ざっしのグラビアに掲載けいさいされてきた。1980年代ねんだいなかごろまでのゲイ雑誌ざっしはオリジナル・モデルや外国がいこくからの転載てんさいおおくをめ、うすいぼかしやマジックのちいさいてんいちてんだけってあるのような修正しゅうせいしかほどこされていないことがあり、局部きょくぶはほとんどあらわになっていた。80年代ねんだい後半こうはんごろからオリジナルモデルにくわえ、新作しんさくゲイビデオのモデルもおお掲載けいさいするようになり、ゲイビデオにははじめから修正しゅうせい処理しょりされているのと、東京とうきょう埼玉さいたま連続れんぞく幼女ようじょ誘拐ゆうかい殺人さつじん事件じけんきて、警察けいさつ猥褻わいせつまりがきびしくなったこともあり、修正しゅうせいくなっていった。

なま写真しゃしん[編集へんしゅう]

いつごろからかは検証けんしょうだが、ゲイショップなどでなま写真しゃしんられはじめ、なま写真しゃしんにはマジックでりつぶしただけの修正しゅうせいほどこされていて、ベンゼンやじょこうえきなどで簡単かんたん除去じょきょできた。10~15まいで1500~2000えん程度ていどのものがおおく、いまでは違法いほう未成年みせいねんられる少年しょうねん被写体ひしゃたいとしてられた、少年しょうねんあいりにした作品さくひんおおかった。

写真しゃしんしゅう[編集へんしゅう]

日本にっぽんにおける最初さいしょ男性だんせいヌード写真しゃしんしゅうは、1961ねん薔薇ばらけいだといわれており、写真しゃしん細江ほそええいこう三島みしま由紀夫ゆきお裸体らたいったものである。1966ねんにはあたまによるからだどう日本にっぽんのボディビルダーたち』(ウエザヒル出版しゅっぱんしゃ)がており、あたまはだかまつり』(1969ねん美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ)、『OTOKO - Photo Studies of the Young Japanese Male』(1972ねん、Rho-Delta Press)もしている。ちなみに『からだどう日本にっぽんのボディビルダーたち』にも三島みしまふんどし姿すがた登場とうじょうしている。

1972ねん4がつには、薔薇ばらぞく出版しゅっぱんもとだい書房しょぼうからいだおとこたち』刊行かんこうされた[2]どう写真しゃしんしゅう初期しょき写真しゃしんしゅうにはちがいないが、日本にっぽんはつではない。だい書房しょぼうはまた別冊べっさつ薔薇ばらぞくとして『青年せいねんほう』や木村きむら健二けんじ写真しゃしんしゅうなども刊行かんこうしていた。だい書房しょぼうけいのフェスターエンタープライズは1999ねんにもCD-ROM写真しゃしんしゅう「ふんどCD」をしている。

そののゲイ雑誌ざっし別冊べっさつとして写真しゃしんしゅうしており、東郷とうごうけんThe Gay(The Kenとして1978ねん創刊そうかん)は『木村きむら光男みつお メイヤング』、『はだか』(12ごう)、『せいらく』(13ごう)、『性器せいき調しらべ』(14ごう、1984ねん発行はっこう)などを刊行かんこうし、デブせんになるまえサムソンも『少年しょうねん美学びがく』(1985ねん)を刊行かんこうした。

1975ねん写真しゃしんしゅう専業せんぎょうメーカーの「梵アソシエーション」(のちに「梵アートハウス」に変更へんこう)から 波賀はが九郎くろう写真しゃしんしゅう『BON〈梵〉』創刊そうかんごう刊行かんこうされて以降いこうどうシリーズが人気にんきあつめる。モデルは日本にっぽん男児だんじおおかった。波賀はがどうシリーズに先立さきだつ1973ねんだい書房しょぼうから『波賀はが九郎くろう写真しゃしんしゅう〈梵〉』をしている。ちなみに梵アソシエーションはのちにゲイビデオ制作せいさくし、BONビデオというレーベルめいでリリースしていた。

1979ねんには「ストームプランニング」が設立せつりつされ[3]東風こちおわり若林わかばやし靖宏やすひろの「クリエイターズ」(1983ねん)ものちつづいた。ストームには「The 高校生こうこうせい」(1983ねん)、「16さい あきら誘惑ゆうわく」(1983ねん)、クリエイターズは「ある正午しょうご風景ふうけい」(1984ねん)などの作品さくひんがある。両社りょうしゃとも芸術げいじゅつせい追求ついきゅうした作風さくふうられたが、全体ぜんたいてきにクリエイターズは精悍せいかん日本にっぽん男児だんじけい、ストームはソフトな青年せいねんけいモデルを起用きようするなどカラーのちがいがあった。そのあいだもなく両社りょうしゃともゲイAVかい進出しんしゅつするが、クリエイターズは91ねん解散かいさんマンハウス社名しゃめい変更へんこうしている。東風こちおわりは90年代ねんだい独立どくりつし、東風こち写真しゃしん事務所じむしょ設立せつりつしている。ストームは2003ねんにゲイビデオ制作せいさくから撤退てったいした。

その海外かいがいではロバート・メイプルソープ作品さくひん人気にんきあつめ、日本にっぽんでもられていた。

小説しょうせつ[編集へんしゅう]

明治維新めいじいしん西洋せいようされるまえ江戸えど時代じだいには、男色なんしょく衆道しゅどう)が庶民しょみんあいだでも一般いっぱんてきで、特段とくだんめずらしいおこないではなかった。そのため男色なんしょくあつかった作品さくひんおおい。井原いはら西鶴さいかくの「好色こうしょくいちだいおとこ」「好色こうしょくにんおんな」「男色なんしょく大鑑たいかん」、十返舎一九じっぺんしゃいっくの「東海道とうかいどうちゅう膝栗毛ひざくりげ喜多きたはち弥次郎兵衛やじろべえ身受みうけした馴染なじみの陰間かげま)」、上田うえだ秋成あきなりの「雨月物語うげつものがたり」におさめられた「菊花きっかちぎり」、「あお頭巾ずきん」」、平賀ひらが源内げんないの「乱菊らんぎくあなさがせ」「根無草ねなしぐさ等々とうとうすうおおくの作品さくひんがある。

戦後せんご男性だんせい同性愛どうせいあい小説しょうせつしゅとしてゲイ雑誌ざっし掲載けいさいされてきた。三島みしま由紀夫ゆきお榊山さかきやまたもつ名義めいぎで、会員かいいんせい同性愛どうせいあい雑誌ざっし「アドニス」の別冊べっさつ小説しょうせつしゅう「APOLLO」に寄稿きこうした「あい処刑しょけい」などが有名ゆうめい。ゲイ雑誌ざっしさぶ」でははやし月光げっこうのイラストや小説しょうせつ、なかたあきらや沢井さわい新一しんいちらの小説しょうせつ人気にんきはくした。

漫画まんが・イラスト[編集へんしゅう]

風俗ふうぞくたん(1960ねん~)でデビューし、のち商業しょうぎょうゲイ雑誌ざっし活躍かつやく舞台ぶたいうつした大川おおかわ辰次たつじ三島みしまつよし船山ふなやまさんよん平野ひらのつよしらが有名ゆうめい大川おおかわは「薔薇ばらぞく」の表紙ひょうしえがき、三島みしまは「薔薇ばらぞく」から「さぶ」にうつ表紙ひょうしえがいた。そのにもかめ源五郎げんごろう長谷川はせがわサダオ薔薇ばらぞくやさぶの表紙ひょうしなどをえがいた木村きむらべん薔薇ばらぞく編集へんしゅうしゃ同誌どうしのイラストなどもがけていた藤田ふじたりゅう薔薇ばらぞく表紙ひょうしえがいた内藤ないとうルネ薔薇ばらぞく一時期いちじき作品さくひん掲載けいさいした山川やまかわ純一じゅんいち麻生あそうひろしらが有名ゆうめい

ゲイけピンク映画えいが[編集へんしゅう]

ゲイ・ポルノ映画えいがまたはゲイ・ピンク映画えいが以下いかゲイ・ポルノ)とは、ピンク映画えいが傍流ぼうりゅうひとつで、男性だんせい同性愛どうせいあいものゲイけに制作せいさくされるものである。薔薇ばらぞく映画えいがばれた時期じきもあった。文献ぶんけんなどによってはホモ映画えいが男色なんしょく映画えいが場合ばあいもある。

なお、一般いっぱん映画えいがにおいてもゲイをあつかった映画えいががあるが、そちらはゲイ・レズビアン映画えいが参照さんしょうのこと。

製作せいさく配給はいきゅう[編集へんしゅう]

製作せいさく配給はいきゅう会社かいしゃとして、ENKプロモーション[ちゅう 3]東梅田ひがしうめだ日活にっかつ株式会社かぶしきがいしゃ以下いかENK)とオーピー映画えいが大蔵おおくら映画えいが子会社こがいしゃ2001ねん親会社おやがいしゃから製作せいさく配給はいきゅう部門ぶもん移管いかん以下いかオーピー)がある。ENKは大阪おおさか成人せいじん映画えいがかん以下いか成人せいじんかん)を経営けいえいするかたわらゲイ・ポルノの製作せいさくおこなっているが、ふるくは日活にっかつロマンポルノにおいて共同きょうどう企画きかくがたのロマンポルノ作品さくひん(『不倫ふりん曾根そねちゅうせい監督かんとく1986ねん)や日活にっかつ買取かいとりのピンク映画えいが制作せいさくしており、最近さいきんではエクセスフィルム(しん日本にっぽん映像えいぞう株式会社かぶしきがいしゃ)においてピンク映画えいが製作せいさくしている。また、オーピーはピンク映画えいが配給はいきゅう大手おおてである。

作品さくひん[編集へんしゅう]

文字通もじどおり、男性だんせい同性愛どうせいあいしゃけの性的せいてき表現ひょうげんふく成人せいじん映画えいがであるが、監督かんとく・スタッフ・俳優はいゆうなどはピンク映画えいがかさなる部分ぶぶん多々たたある。ピンク映画えいがことなり、男優だんゆう主演しゅえんとなる。登場とうじょう人物じんぶつはみなゲイかもしくはゲイの予備よびぐんとするのが事実じじつじょうのルールとなっており、これと回数かいすう以外いがい作品さくひんのカラーは監督かんとく脚本きゃくほんいえ裁量さいりょうまかされている。ゲイという独特どくとくしばりがあるものの、環境かんきょう主流しゅりゅうであるピンク映画えいが酷似こくじしている。

ゲイという条件じょうけん設定せっていされているが、いわば「スタート」として設定せっていされているため、ゲイそのものをテーマの「ゴール」とする一般いっぱんてきなゲイ映画えいがとはちがった視点してん作品さくひんやテーマをよりふかげていく作品さくひんおおい。また、観客かんきゃくがゲイという当事とうじしゃであり身近みぢかかかえる問題もんだいげることもあるため、えて悲観ひかんてきにはせずかる客観きゃっかんてきつめることができるよう仕上しあげるなど一般いっぱんのゲイ映画えいがとは大幅おおはばちがっている場合ばあいもある。

たとえば、ゲイ・ポルノ初期しょき作品さくひんぼくらのぶし』は、「ゲイのカップルがあかぼう子供こどもる」という永遠えいえんのテーマを、時代じだいてきにゲイであることかくしてきてきたかれらの父親ちちおやたちまじえながら、1980年代ねんだいらしいあかるいコメディ・タッチでえがいている(なお、このテーマは一般いっぱんゲイ映画えいがの『ハッシュ!』でもげられており、ゲイ・ポルノにおいても『こんな、ふたり池島いけじまゆたか監督かんとく1998ねん、ENKで再度さいどげられている)。

さらにはゲイ・ポルノの裁量さいりょうおおきさを活用かつようして各種かくしゅパロディ作品さくひんたとえば007シリーズや『しん世紀せいきエヴァンゲリオン』など)やサイコ・ホラー佐藤さとう寿ひさし監督かんとく作品さくひんなど)、ミステリーなどもつくられている。ゲイ・ポルノとしてはじめてのピンク大賞たいしょう受賞じゅしょうした『おもいはあなただけ~I Thought About you~』はゲイの探偵たんてい活躍かつやく(?)するハードボイルド作品さくひんである。また、ピンク映画えいがでも活躍かつやくしている女流じょりゅう監督かんとく浜野はまの佐知さち作品さくひんのようにゲイビデオみのハードコア目指めざした作品さくひんもある。このような作品さくひんぐんは、ゲイ・ポルノがけっして社会しゃかい映画えいがやポルノといった枠組わくぐみに捉われないエンターテインメント指向しこうしている証拠しょうこであり、一般いっぱんのゲイ映画えいがとは一線いっせんかくする特徴とくちょうでもある。

初期しょきには、こうした劇映画げきえいがのほかにゲイ・シーンを当事とうじしゃ許可きょか撮影さつえいしたセミ・ドキュメンタリー作品さくひんつくられていた。

またピンク映画えいが同様どうようたんなる成人せいじん映画えいがえた作品さくひんもあり、海外かいがい映画えいがさい東京とうきょう国際こくさいレズビアン&ゲイ映画えいがさい出品しゅっぴんした作品さくひんもある。

観客かんきゃく上映じょうえいかん[編集へんしゅう]

基本きほんてきにゲイをあつかった性的せいてき映画えいがであり、ゲイが鑑賞かんしょうすること念頭ねんとうくため男性だんせい中心ちゅうしんとなる。映画えいが鑑賞かんしょう目的もくてきとする観客かんきゃく特定とくてい男優だんゆうのファン、映画えいがそのものよりも専門せんもんかんでのイベントやゲイ同士どうし交流こうりゅう目的もくてきとする観客かんきゃくもあり、千差万別せんさばんべつである。

ゲイ・ポルノ上映じょうえいかん専門せんもんされており、ゲイけのストリップショー開催かいさいしたり(一般いっぱんのピンク映画えいがにおいても、1960-70年代ねんだいにはストリップ併営へいえいという興行こうぎょうもあった)、発展はってんじょうとしての機能きのうもうけていることおおい。また、大阪おおさか堂山どうやままち東梅田ひがしうめだ)(2011ねん閉館へいかん)、横浜よこはま野毛のげまち東京とうきょう新宿しんじゅく丁目ちょうめ現在げんざい閉館へいかん)などゲイのおおあつまる歓楽街かんらくがい立地りっちしており、こうした地域ちいき情報じょうほう基地きちとしての側面そくめんあわつ。館内かんない売店ばいてん受付うけつけにおいてゲイ雑誌ざっしやゲイビデオ、ゲイけのアダルトグッズ販売はんばいされていることもある。また、休憩きゅうけいしつ雑記ざっきちょうかれることもあり、たんなる出会であいをもとめるみばかりでなく、ゲイとしてのなやみにたいする応酬おうしゅうかれていたりすることもあった。ピンク映画えいが以上いじょうに、ゲイのコミュニティ密着みっちゃくしていることが、専門せんもんかんおおきな特徴とくちょうといえる。

ゲイ・ポルノの作品さくひんすう主流しゅりゅうのピンク映画えいがくらべて非常ひじょうすくない。このため、成人せいじんかんいち週間しゅうかんさん本立ほんだての上映じょうえい目安めやすとしているのにたいし、専門せんもんかん週間しゅうかんいちヶ月かげつ本立ほんだてであり、さい上映じょうえい作品さくひん一般いっぱんゲイ映画えいが上映じょうえいすることもある(ただし、最近さいきんではピンク映画えいが製作せいさく本数ほんすう減少げんしょうから、成人せいじんかんでも新版しんぱん旧作きゅうさく上映じょうえい日活にっかつロマンポルノのさい上映じょうえいえつつある)。休日きゅうじつはさんだ上映じょうえい期間きかんちゅうの5日間にちかん程度ていど、ストリップショーを同時どうじ開催かいさいすることもある。

歴史れきし[編集へんしゅう]

1982ねん雑誌ざっし薔薇ばらぞく編集へんしゅうちょうであった伊藤いとう文學ぶんがくが、「みずからの同性愛どうせいあいなやみや異常いじょう性欲せいよくとしてとらえている人達ひとたちへ、同性愛どうせいあい間違まちがった存在そんざいではいということらしめたい」というかんがえから同性愛どうせいあいしゃけの映画えいが制作せいさく企画きかく。この企画きかくにいくつかのピンク映画えいが関係かんけいしゃ賛同さんどうした。それまではピンク映画えいがなどで、部分ぶぶんてきにホモをえがいた作品さくひんはあったが[4]俳優はいゆう松浦まつうら康治こうじ監督かんとくした同性愛どうせいあいしゃけの映画えいが作品さくひんさん本立ほんだて(『しろ牡鹿おしかたち』『薔薇ばらうみ太陽たいよう』『薔薇ばら星座せいざ』)が、本格ほんかくてきにホモをげた最初さいしょ映画えいがとして製作せいさくされた[4]。この3ほん日本にっぽんはじめての一般いっぱん劇場げきじょうよう「ホモ映画えいが」(当時とうじ名称めいしょう)として[4][5]、1982ねん9がつ18にちから大阪おおさか東梅田ひがしうめだシネマで公開こうかいされ[4]、キワモノあつかいするこえおおかったが、定員ていいん100にんにもたない同館どうかんに、続出ぞくしゅつする盛況せいきょうぶりで、連日れんじつ1000にんすファンが殺到さっとう[4]いち週間しゅうかん上映じょうえい予定よていさん週間しゅうかんびるというおもいがけないだいヒットを記録きろくした[4][5]。この一部いちぶファンからの"異常いじょう人気にんき"を素早すばやった東映とうえいセントラルフィルムが「これなら商売しょうばいになる」と判断はんだん上記じょうき3ほん[4]系列けいれつ東京とうきょう新宿しんじゅく東映とうえいホール1など、五大ごだい都市とし成人せいじんかんで1983ねん正月しょうがつ映画えいがとして上映じょうえいされて(公開こうかいは1982ねん12月11にち)ヒットをばした[4][5][6][7]。ホモ映画えいがロードショー公開こうかい史上しじょうはつ[4]東映とうえいセントラルフィルムは「出演しゅつえんしゃはいずれもピンク映画えいがのベテラン俳優はいゆうばかりでホモではありません。おとこおとこ精神せいしんてき肉体にくたいてきあい存在そんざいすることを、かなりストレートにあつかっている。おんなのヌードも登場とうじょうしないし、とにかくいちてもらえば、そのあい純粋じゅんすいさがかってもらえるとおもう」などとはなした[4]。ホモパワーが強力きょうりょくなアメリカでは当時とうじからすでにホモ常設じょうせつかんおおく、日本にっぽんのホモ人口じんこう当時とうじで200まんにんといわれた[4]映画えいが関係かんけいしゃにもホモはおおいとうわさがあったことから[4]将来しょうらいてきにはかなりびるのではと業界ぎょうかい関係かんけいしゃていた[4]

ちなみに『薔薇ばらうみ太陽たいようと』は1981ねん9がつだい書房しょぼうけいフェスターエンタプライズからゲイビデオとしてされていたものである。

このうち、大阪おおさかでの上映じょうえい担当たんとうした興行こうぎょう会社かいしゃ東梅田ひがしうめだ日活にっかつ1983ねん、ENK名義めいぎで『きょ伝説でんせつ うつくしきなぞ』(中村なかむらまぼろし監督かんとく大杉おおすぎさざなみ出演しゅつえん)、『薔薇ばらかん おとこおとこ(ホモ)たちのパッション』(東郷とうごうけん監督かんとく)を発表はっぴょうし、恒常こうじょうてきなゲイ・ポルノの製作せいさく開始かいしする。当初とうしょ東梅田ひがしうめだ日活にっかつのみでの上映じょうえいであったが、とくに『きょ伝説でんせつ―』は話題わだいとなって全国ぜんこく成人せいじんかん順次じゅんじ公開こうかいされた。翌年よくねんにはENKがゲイ・ポルノ専門せんもんかんである「ひがし梅田うめだローズ劇場げきじょう」を開館かいかんする。くわしい年数ねんすう不明ふめいであるが、しん世界せかいなど大阪おおさか繁華はんかがい中心ちゅうしん専門せんもんかん開設かいせつされた。また、この時期じきにはゲイ・ポルノの人気にんきたりにした既存きそん成人せいじんかんがゲイ・ポルノにわることもあった。

その1984ねん大蔵おおくら映画えいががENKと提携ていけいし、ゲイ・ポルノの製作せいさく配給はいきゅう開始かいしだいいちだんは『黄昏たそがれのナルシー小林こばやしさとる監督かんとく、『アポロ MY LOVE新倉にいくら直人なおと監督かんとく小林こばやしさとるべつ名義めいぎ)。順次じゅんじ大蔵おおくらけい専門せんもんかん大都市だいとしけん中心ちゅうしん整備せいびされていった。また、この上映じょうえいかんにおいて、ゲイけのストリップショーがおこなわれるようになった。

様々さまざま理由りゆうから本流ほんりゅうのピンク映画えいが衰退すいたい時期じきいたった1990年代ねんだい前半ぜんはんにおいても、専門せんもんかん映画えいが・ショー鑑賞かんしょうもさることながら「出会であい」をもとめる観客かんきゃくたち混雑こんざつしていたといわれる(この時期じき専門せんもんかん風景ふうけいは『シネマHOMOパラダイス山本やまもと竜二りゅうじ監督かんとく1993ねん、ENKという作品さくひんにもされている)。

現状げんじょう[編集へんしゅう]

しかし、ピンク映画えいが同様どうよう近年きんねん観客かんきゃく動員どういんすう下降かこうせん辿たどっているといわれる。近年きんねんでは映画えいがさい出品しゅっぴんされるなど、その知名度ちめいどしつはむしろ上昇じょうしょうしつつあるといわれるが、ピンク映画えいが同様どうよう客足きゃくあしには反映はんえいされていないとみられている。ゲイ・ポルノが評価ひょうかされるのはもっぱら一般いっぱんてき映画えいがさいなどであり、こうした観客かんきゃく専門せんもんかんあしはこばせるのは環境かんきょうてき困難こんなんであるし、また、専門せんもんかん配給はいきゅう会社かいしゃもそれをのぞんでいないことおおい。

こうした専門せんもんかんは、ピンク映画えいが以上いじょうにコミュニティに接近せっきんしているため、ゲイたち環境かんきょう変化へんかおおきい要因よういんとなっている。

専門せんもんかん特徴とくちょうひとつである交流こうりゅうというめんでは、インターネットにはゲイけのBBS出会であけいサイト登場とうじょうし、携帯けいたい電話でんわコンテンツにもゲイけのソフトがあらわれている。また、発展はってんじょう地方ちほうにももうけられるようになり、都市とし限定げんていされる専門せんもんかんあしはこ必要ひつようくなったことおおきい。

また、ピンク映画えいが同様どうようゲイビデオが流通りゅうつうするようになり、せんもんのレーベルが数多かずおおがったことにより細分さいぶんされたせい指向しこう対応たいおう出来できるようになった。また、過激かげき描写びょうしゃ可能かのうで、さらに完全かんぜんなプライベートない鑑賞かんしょうできることおおきく客足きゃくあし低下ていかさせている原因げんいんられる。

一般いっぱん観客かんきゃく専門せんもんかんはいこと容易よういとはがたい。これは、ゲイ・コミュニティ一端いったんとしての環境かんきょうこわしたくないというかんがえからである。また、ゲイの観客かんきゃくがわ性的せいてき指向しこう他人たにんられたくないといったプライバシー抵触ていしょくすることもありるジャンルのため、専門せんもんかんがわ対応たいおうはデリケートといえる。一部いちぶ作品さくひんは、ビデオやDVDといったソフトになっている。『きょ伝説でんせつ-』のように現在げんざい海外かいがいでのみソフトしている作品さくひんもある。

代表だいひょうてき作品さくひん[編集へんしゅう]

ふる製作せいさくねんじゅんならべてある(一部いちぶ不明ふめい)。一部いちぶVHSDVDとう入手にゅうしゅ可能かのう

世界せかいのゲイポルノ[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 1985ねん5がつごう(3がつ発売はつばい)の「さぶ」の広告こうこくでは、日本人にっぽんじん写真しゃしんしゅうは2000~2800えんなま写真しゃしんは10まいセットで1500えんほど、ポストカードは1まい280えんほどだった。カセットは「オナニーカセット(30ふん)美少年びしょうねんグラフィー、青春せいしゅんオナニー①」(A&lトレーディング)3000えん
  2. ^ 1985ねん「さぶ」のゲイショップ「エレクト」の広告こうこく(2ページ)は、1ページが写真しゃしん写真しゃしんしゅう、もう1ページがビデオがめている。
  3. ^ 2006ねん11月現在げんざい、ENKプロモーションは製作せいさく休止きゅうししている。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 図像ずぞう数量すうりょう分析ぶんせきからみる春画しゅんが表現ひょうげん多様たようせい特色とくしょく江戸えど春画しゅんがにはなにえがかれてきたのか—」(総合研究大学院大学そうごうけんきゅうだいがくいんだいがく 鈴木すずきけんひろし)
  2. ^ 2005ねん4がつ30にち伊藤いとう文學ぶんがくのひとりごと「日本にっぽんはつ男性だんせいヌード写真しゃしんしゅう」。ただし1961ねんに『薔薇ばらけい』(集英社しゅうえいしゃ)、1966ねんにはあたまの『からだどう日本にっぽんのボディビルダーたち』(ウエザヒル出版しゅっぱんしゃ)、1969ねんには『はだかまつり』(美術びじゅつ出版しゅっぱんしゃ)などがており、『いだおとこたち』は日本にっぽんはつではない。
  3. ^ 1989ねん発売はつばいの「花実はなみのないもり」に「ストームプランニング創立そうりつ10周年しゅうねん特別とくべつ企画きかく」、1994ねん発売はつばいの「快楽かいらく儀式ぎしき/仮面かめん誘惑ゆうわく」に「STORM しゅく・15周年しゅうねん記念きねん」とある。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m 「ニュース・スクランブルCINEMA 『ホモ映画えいが正月しょうがつ戦線せんせんなぐみ、5大都市だいとし堂々どうどう公開こうかい』」『週刊しゅうかん明星みょうじょう』1979ねん5がつ13にちごう集英社しゅうえいしゃ、152ぺーじ 
  5. ^ a b c 「CINE TOPICS」『月刊げっかんシナリオ』1982ねん12がつごう日本にっぽんシナリオ作家さっか協会きょうかい、102ぺーじ 
  6. ^ 四方田よもだいぬ日本にっぽん映画えいがのラディカルな意志いし岩波書店いわなみしょてん、1999ねん、150-153ぺーじISBN 4-00-001756-X 
  7. ^ 日本にっぽん映画えいがシアター」『ロードショー』1983ねん1がつごう集英社しゅうえいしゃ、226ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]