「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」(モルグがいのさつじん、The Murders in the Rue Morgue )は、1841年 ねん に発表 はっぴょう されたエドガー・アラン・ポー の短編 たんぺん 推理 すいり 小説 しょうせつ 。ポー自身 じしん が編集 へんしゅう 主筆 しゅひつ を務 つと めていた『グレアムズ・マガジン』4月 がつ 号 ごう に掲載 けいさい された。史上 しじょう 初 はつ の推理 すいり 小説 しょうせつ とされており[ 1] 、天才 てんさい 的 てき な探偵 たんてい と平凡 へいぼん な語 かた り手 て 、結末 けつまつ 近 ちか くでの推理 すいり の披露 ひろう 、意外 いがい な犯人 はんにん 像 ぞう など、以後 いご 連綿 れんめん と続 つづ く推理 すいり 小説 しょうせつ のジャンルにおける原型 げんけい を作 つく り出 だ した[ 2] [ 3] 。密室 みっしつ 殺人 さつじん を扱 あつか った最初 さいしょ の推理 すいり 小説 しょうせつ とも言 い われている[ 4] 。
本 ほん 作 さく の素人 しろうと 探偵 たんてい C・オーギュスト・デュパン は、半 はん 世紀 せいき 後 ご に出現 しゅつげん するシャーロック・ホームズ の原型 げんけい となった探偵 たんてい であり、デュパンが登場 とうじょう する続編 ぞくへん として「マリー・ロジェの謎 なぞ 」(1842年 ねん -1843年 ねん )、「盗 ぬす まれた手紙 てがみ 」(1845年 ねん )がある。
パリに長期 ちょうき 滞在 たいざい している、名前 なまえ が登場 とうじょう しない語 かた り手 て は、ある日 ひ モンマルトル の図書館 としょかん で、没落 ぼつらく した名家 めいか の出 だし であるC・オーギュスト・デュパン という人物 じんぶつ と知 し り合 あ う。語 かた り手 て は、幅広 はばひろ い読書 どくしょ 範囲 はんい と卓抜 たくばつ な観察 かんさつ 力 りょく 、分析 ぶんせき 力 りょく を持 も つデュパンにほれ込 こ み、やがてパリの場末 ばすえ の古 ふる びた家 いえ を借 か りて一緒 いっしょ に住 す むことになる。デュパンは、ある晩 ばん 、街 まち を歩 ある いているとき、語 かた り手 て が黙考 もっこう していたことをズバリとい当 いあ てて語 かた り手 て を驚 おどろ かせたが、その推理 すいり 過程 かてい を聞 き くと非常 ひじょう に理 り にかなったものであった。
そんなとき、ある猟奇 りょうき 殺人 さつじん の新聞 しんぶん 記事 きじ が二 に 人 にん の目 め に止 と まる。「モルグ街 がい 」のアパートメントの4階 かい で起 お こった事件 じけん で、二人 ふたり 暮 く らしの母 はは 娘 むすめ が惨殺 ざんさつ されたのだった。娘 むすめ は首 くび を絞 し められ暖炉 だんろ の煙突 えんとつ に逆立 さかだ ち状態 じょうたい で詰 つ め込 こ まれていた。母親 ははおや は裏庭 うらにわ で見 み つかり、首 くび をかき切 き られて胴 どう から頭 あたま が取 と れかかっていた。部屋 へや の中 なか はひどく荒 あ らされていたが、金品 きんぴん はそのまま。さらに奇妙 きみょう なことに、部屋 へや の出入 でい り口 ぐち には鍵 かぎ がかかっており、裏 うら の窓 まど には釘 くぎ が打 う ち付 つ けられていて、人 ひと の出入 でい りできるところがなかった。また多数 たすう の証言 しょうげん 者 しゃ が、事件 じけん のあった時刻 じこく に犯人 はんにん と思 おぼ しき二 に 人 にん の人物 じんぶつ の声 こえ を聞 き いており、一方 いっぽう の声 こえ は「こら!」とフランス語 ふらんすご であったが、もう一方 いっぽう の甲高 かんだか い声 こえ については、ある者 もの はスペイン語 ご 、ある者 もの はイタリア語 ご 、ある者 もの はフランス語 ふらんすご だったと違 ちが う証言 しょうげん をする。
船乗 ふなの りに殺害 さつがい 者 しゃ のことについて聞 き きただすデュパン。バイアム・ショー による挿絵 さしえ 、1909年 ねん
この謎 なぞ めいた事件 じけん に興味 きょうみ をそそられたデュパンは、伝手 つて で犯行 はんこう 現場 げんば へ立 た ち入 い る許可 きょか をもらい、独自 どくじ に調査 ちょうさ を行 おこな う。語 かた り手 て は新聞 しんぶん に発表 はっぴょう された以上 いじょう のことを見 み つけられなかったが、デュパンは現場 げんば やその周辺 しゅうへん を精査 せいさ に調 しら べ、その帰 かえ りに新聞 しんぶん 社 しゃ に寄 よ ったのち、警察 けいさつ の表面 ひょうめん 的 てき な捜査 そうさ 方法 ほうほう を批判 ひはん しながら、語 かた り手 て に自分 じぶん の分析 ぶんせき 精神 せいしん を交 まじ えつつ推理 すいり 過程 かてい を語 かた りだす。玄関 げんかん の鍵 かぎ は完全 かんぜん 、秘密 ひみつ の抜 ぬ け穴 あな もない。煙突 えんとつ は通 とお れない。表 ひょう の窓 まど は人目 ひとめ につかず出入 でい りするのは無理 むり 。ならば犯人 はんにん が逃 に げたのは裏 うら の窓 まど しかない。あとはこの裏 うら の窓 まど から逃 に げたということを証明 しょうめい するだけなのだ。裏 うら の窓 まど は釘 くぎ で固定 こてい されているように見 み えたが、案 あん の定 じょう 、釘 くぎ は中 なか で折 お れていて実 じつ は窓 まど は開 ひら くのだった。そしてその窓 まど からやや遠 とお くには避雷針 ひらいしん が通 かよ っている。ならば犯人 はんにん はこの避雷針 ひらいしん を伝 つた って出入 でい りしたのに間違 まちが いない。さて、こんな危 あぶ ない経路 けいろ を通 とお った超 ちょう 人的 じんてき 身 み のこなしと、何 なん 語 ご か分 わ からぬ声 こえ と、金品 きんぴん の放置 ほうち 、意味 いみ 不明 ふめい に見 み える死体 したい の残酷 ざんこく な扱 あつか いなどを考 かんが え合 あ わせるとどうなるか?デュパンは現場 げんば に落 お ちていた毛 け を語 かた り手 て に示 しめ し、犯人 はんにん は人間 にんげん でなくオランウータンだと結論 けつろん づける。デュパンが先 さき ほど新聞 しんぶん 社 しゃ に寄 よ ったのはオランウータンを捕 つか まえたが持 も ち主 ぬし は名乗 なの り出 で るようにとの新聞 しんぶん 広告 こうこく を出 だ すためであった。そこに1人 ひとり の船乗 ふなの りが現 あら われ、珍獣 ちんじゅう として一 いち 儲 もう けしようとボルネオ で捕獲 ほかく したオランウータン が逃 に げ出 だ して、犯行 はんこう を行 おこな ったことを白状 はくじょう する。
分析 ぶんせき や推理 すいり を主題 しゅだい とした小説 しょうせつ はポー以前 いぜん にも存在 そんざい し、例 たと えばE.T.A.ホフマン の『スキュデリ嬢 じょう 』(1819年 ねん )はときにポー以前 いぜん の推理 すいり 小説 しょうせつ と言 い われることがあるが[ 5] 、推理 すいり 小説 しょうせつ ・探偵 たんてい 小説 しょうせつ (ポー自身 じしん は「推理 すいり 物語 ものがたり (The tales of ratiocination)」と呼 よ んでいた)の原型 げんけい となったのは、「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」及 およ びそれに続 つづ くポーの作品 さくひん である。その筆名 ひつめい をポーから借 か りている江戸川 えどがわ 乱歩 らんぽ は、もしポーが探偵 たんてい 小説 しょうせつ を発明 はつめい していなければ「恐 おそ らくドイル は生 う まれなかったであろう。随 したが ってチェスタトン もなく、その後 ご の優 すぐ れた作家 さっか たちも探偵 たんてい 小説 しょうせつ を書 か かなかったか、あるいは書 か いたとしても、例 たと えばディケンズ などの系統 けいとう のまったく形 かたち の違 ちが ったものになっていたであろう」と述 の べている[ 6] 。
「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」は、名 めい 探偵 たんてい の人物 じんぶつ 像 ぞう を初 はじ めとして、その後 ご の推理 すいり 小説 しょうせつ におけるセオリーにあふれている。まずポーの創造 そうぞう した「天才 てんさい 的 てき な探偵 たんてい 」は、アーサー・コナン・ドイル のシャーロック・ホームズ にそのまま踏襲 とうしゅう されて以来 いらい 、現在 げんざい に至 いた るまで受 う け継 つ がれており、クロフツ が地道 じみち な捜査 そうさ を旨 むね とする「平凡 へいぼん 探偵 たんてい 」を打 う ち出 だ して例外 れいがい を作 つく るまでには80年 ねん の時 とき を要 よう した[ 7] 。また名 めい 探偵 たんてい の活躍 かつやく を報 ほう じる凡庸 ぼんよう な人物 じんぶつ というのも、シャーロック・ホームズ に対 たい するワトソン をはじめ、欠 か かせないものとなっている[ 7] 。名 めい 探偵 たんてい の引 ひ き立 た て役 やく として警察 けいさつ を愚鈍 ぐどん に描 えが く、という約束事 やくそくごと もこの作品 さくひん にすでに現 あらわ れている[ 8] 。そして「出発 しゅっぱつ 点 てん の怪奇 かいき 性 せい 」と「結末 けつまつ の意外 いがい 性 せい 」という法則 ほうそく や、謎 なぞ の解決 かいけつ のためのデータを真相 しんそう 開示 かいじ までに読者 どくしゃ に提示 ていじ しておく「挑戦 ちょうせん 」の原則 げんそく 、密室 みっしつ を初 はじ めとする不可能 ふかのう 犯罪 はんざい とそれを可能 かのう とする「トリック」、推理 すいり を最終 さいしゅう 場面 ばめん で一括 いっかつ して披露 ひろう する形式 けいしき 、また作品 さくひん 全体 ぜんたい に通 つう 底 そこ する衒学 げんがく 趣味 しゅみ など、いずれも「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」で描 えが かれている[ 9] 。読者 どくしゃ が「真犯人 しんはんにん 」を容疑 ようぎ 者 しゃ としてリストアップできないことや、「密室 みっしつ 」の状況 じょうきょう 説明 せつめい の不十分 ふじゅうぶん さなどが、現代 げんだい の推理 すいり 小説 しょうせつ のルールからは外 はず れているとの指摘 してき もあるが[ 10] [ 11] 、この作品 さくひん を基 もと に、ポーの死後 しご 、推理 すいり 小説 しょうせつ というジャンルが成立 せいりつ したのであるから、それは本末転倒 ほんまつてんとう の批判 ひはん である。
「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」は発表 はっぴょう 当時 とうじ 、その新奇 しんき 性 せい から多 おお くの賞賛 しょうさん を受 う けた[ 12] 。ペンシルベニア の『インクワイア』誌 し は当時 とうじ 「この作品 さくひん はポー氏 し の才能 さいのう を証 あか し立 た てるものだ...その独創 どくそう 的 てき な筆力 ひつりょく と技術 ぎじゅつ には並 なら ぶところがない」と記 しる している[ 4] 。しかし、ポー自身 じしん はフィリップ・ペンドルトン・クックへの書簡 しょかん の中 なか で、自分 じぶん 自身 じしん の達成 たっせい を低 ひく く見積 みつ もっている。
これらの
推理 すいり 物語 ものがたり は、その
人気 にんき の
大半 たいはん をそれが
目新 めあたら しい
形式 けいしき であるということに
負 お っています。
私 わたし はこれらに
巧妙 こうみょう さがないと
言 い いたいのではありません―しかし、
読者 どくしゃ はこれらの
作品 さくひん が
実際 じっさい にそうである
以上 いじょう に
巧妙 こうみょう だと
考 かんが えているのです―これらの
作品 さくひん の
取 と っている
手法 しゅほう と、その
手法 しゅほう の
見 み せかけのために。
例 たと えば「モルグ
街 がい の
殺人 さつじん 」ですが、いったいこの
中 なか で
絡 から み
合 あ った
糸 いと を
解 と きほぐす
手 て つきのどこに
巧妙 こうみょう さがあるでしょうか...この
糸 いと は
明白 めいはく に、
解 と きほぐされることを
意識 いしき して
絡 から み
合 あ わされているというのに?
[ 13]
A・ビアズリー による挿絵 さしえ 、1895年 ねん
ポーが「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」を書 か いた当時 とうじ は、近代 きんだい 的 てき な都市 とし の発達 はったつ に従 したが い、犯罪 はんざい が人々 ひとびと の興味 きょうみ の中心 ちゅうしん に据 す えられるようになった時期 じき であった。ロンドン はこの時期 じき に最初 さいしょ の専門 せんもん 的 てき な警官 けいかん 隊 たい の体制 たいせい を整 ととの えていたし、アメリカ合衆国 あめりかがっしゅうこく の諸 しょ 都市 とし では警察 けいさつ の科学 かがく 的 てき な捜査 そうさ が注目 ちゅうもく され、殺人 さつじん 事件 じけん と犯罪 はんざい 者 しゃ の裁判 さいばん の記事 きじ が各紙 かくし で読者 どくしゃ をひきつけるようになっていた[ 1] 。ポーはおそらくフィラデルフィア における生活 せいかつ の中 なか で都市 とし をテーマとすることを着想 ちゃくそう し、このテーマは「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」確立 かくりつ された後 のち 、「群集 ぐんしゅう の人 ひと 」など以後 いご の作品 さくひん にも繰 く り返 かえ し使 つか われることになった[ 14] 。また「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」以前 いぜん にも、ポーはエッセイ「メルツェルの将棋 しょうぎ 指 さ し」や、短編 たんぺん 「週 しゅう に三 さん 度 ど の日曜日 にちようび 」など、分析 ぶんせき を主要 しゅよう なモチーフとした作品 さくひん を書 か いており、「モルグ街 がい 」はこれらの要素 ようそ をさらに推 お し進 すす めて書 か かれたのだと考 かんが えられる[ 4] 。
作中 さくちゅう の「真犯人 しんはんにん 」については、1839年 ねん 7月 がつ にフィラデルフィアのマソニック・ホールで行 おこ なわれたオランウータンの展示 てんじ における人々 ひとびと の反 はん 応 おう から着想 ちゃくそう を得 え たものらしく[ 5] 、1839年 ねん の「飛 と び蛙 かえる 」では再 ふたた びオランウータンと殺人 さつじん の要素 ようそ が組 く み合 あ わされて描 えが かれている。また探偵 たんてい 役 やく の「デュパン」の名 な は、1828年 ねん に「バートン・ジェントルマンズ・マガジン」に掲載 けいさい された「フランスの警察庁 けいさつちょう 長官 ちょうかん ヴィドック の人生 じんせい から、いまだ出版 しゅっぱん されざる一 いち 事件 じけん 」という作品 さくひん に登場 とうじょう する「デュパン」という人物 じんぶつ から取 と られたものと考 かんが えられる[ 15] 。この作品 さくひん は「モルグ街 がい 」と内容 ないよう の共通 きょうつう 点 てん は少 すく ないものの、やはり分析 ぶんせき を得意 とくい とする人物 じんぶつ を扱 あつか っており、また殺人 さつじん の犠牲 ぎせい 者 しゃ が首 くび を刈 か られて胴体 どうたい から取 と れかかっている、という細部 さいぶ の一致 いっち 点 てん もある[ 16] 。なお「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」ではデュパンがヴィドック を名指 なざ しし「洞察 どうさつ 力 りょく もあるし忍耐 にんたい 力 りょく もある男 おとこ なんだが、思考 しこう 訓練 くんれん をきちんと受 う けていないがために、調査 ちょうさ を厳密 げんみつ に行 おこ なえば行 おこ なうほど間違 まちが った結論 けつろん に達 たっ してしまう」[ 17] と述 の べる場面 ばめん がある。
ポーはもともとこの作品 さくひん に「トリアノン街 がい の殺人 さつじん 」というタイトルを予定 よてい していたが、より「死 し 」のイメージに近 ちか づけるために死体 したい 安置 あんち 所 しょ の意味 いみ がある「モルグ 」に改題 かいだい した[ 18] 。「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」は、ポー自身 じしん が編集 へんしゅう を行 おこ なっていた『グレアムズ・マガジン』1841年 ねん 4月 がつ 号 ごう に初 はじ めて掲載 けいさい された。この作品 さくひん に対 たい する原稿 げんこう 料 りょう は56ドルであり、これはポーの代表 だいひょう 詩 し 「大 だい 鴉 からす 」の稿料 こうりょう が9ドルだったことを考 かんが えると破格 はかく の値段 ねだん である[ 19] 。のち1843年 ねん に、ポーは自作 じさく を小 しょう 冊子 さっし のシリーズにして出版 しゅっぱん することを思 おも いついた。しかしポーが印刷 いんさつ したのは結局 けっきょく 「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」一 いち 冊 さつ のみであり、この小 しょう 冊子 さっし ではどういうわけか風刺 ふうし 的 てき な作品 さくひん 「使 つか いきった男 おとこ 」と抱 だ き合 あ わせで印刷 いんさつ され、12セント 半 はん の値段 ねだん で売 う り出 だ された[ 20] 。この版 はん では"too cunning to be acute"(鋭 するど くあろうとするにはあまりに賢 さか しすぎる)という語句 ごく が"The Prefect is somewhat too cunning to be profound"(警視総監 けいしそうかん は深遠 しんえん であろうとするには少々 しょうしょう 賢 さか しすぎるところがある) という語句 ごく に変 か えられているなど、『グレアムズ・マガジン』掲載 けいさい のものから52箇所 かしょ の変更 へんこう が施 ほどこ されている[ 21] 。「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」はまたワイリー・アンド・パトナムズ社 しゃ から発行 はっこう されたポーの作品 さくひん 集 しゅう 『物語 ものがたり 集 しゅう 』にも収録 しゅうろく されたが、ポーはこの作品 さくひん 集 しゅう での作品 さくひん の選択 せんたく には関 かか わっていない[ 22] 。
「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」の続編 ぞくへん 「マリー・ロジェの謎 なぞ 」は1842年 ねん から1843年 ねん にかけて発表 はっぴょう された。しかしこの作品 さくひん は「続 ぞく ・モルグ街 がい の殺人 さつじん 」というサブタイトルを持 も っていたものの、デュパンが探偵 たんてい 役 やく として登場 とうじょう すること、またパリが舞台 ぶたい であるということ以外 いがい には前作 ぜんさく とほとんど共通 きょうつう 点 てん はない[ 23] 。その後 ご デュパンは「盗 ぬす まれた手紙 てがみ 」で再 さい 登場 とうじょう しており、この作品 さくひん をポーは1844年 ねん のジェイムズ・ラッセル・ローウェル 宛 あ ての書簡 しょかん において「おそらく私 わたし の推理 すいり 物語 ものがたり のうちで最高 さいこう の作 さく 」と述 の べている[ 24] 。
『グレアムズマガジン』掲載 けいさい 時 じ に使 つか われた「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」の草稿 そうこう は使用 しよう 済 ず みとしてゴミ箱 ごみばこ に捨 す てられたが、事務所 じむしょ の徒弟 とてい であったJ.M.ジョンストンが拾 ひろ って持 も ち帰 かえ り、安全 あんぜん を期 き して父親 ちちおや のもとに預 あづ けていた。この草稿 そうこう は音楽 おんがく の本 ほん の間 あいだ に挟 はさ まれて保存 ほぞん されており、3度 ど の火災 かさい を切 き り抜 ぬ けてジョージ・ウィリアム・チャイルズにより購入 こうにゅう され、1891年 ねん にチャイルズによりドレクセル大学 だいがく に寄贈 きぞう された[ 25] 。なおチャイルズは1875年 ねん に、ボルティモアでポーの新 あたら しい墓碑 ぼひ が設立 せつりつ された際 さい にも650ドルの寄付 きふ を行 おこ なっている[ 26] 。
「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」はポーの最 もっと も早 はや い時期 じき にフランス語 ふらんすご に翻訳 ほんやく された作品 さくひん のうちの一 ひと つである。最初 さいしょ に1846年 ねん 6月 がつ 11日 にち から13日 にち にかけて、「裁判所 さいばんしょ の記録 きろく にも前例 ぜんれい がない殺人 さつじん 事件 じけん 」と題 だい した翻案 ほんあん 作品 さくひん がパリの新聞 しんぶん 『ラ・コティディエーヌ』に掲載 けいさい されたが、原作 げんさく 者 しゃ ポーの名 な は紹介 しょうかい されておらず、街 まち の名 な も主要 しゅよう 人物 じんぶつ の名 な も変 か えられている(例 たと えば「デュパン」は「ベルニエ」になっている)[ 27] 。1846年 ねん 10月 がつ 12日 にち にはやはりポーの名 な を出 だ さずに「血腥 ちなまぐさ い事件 じけん 」のタイトルで『ル・コメルス』に掲載 けいさい された。『ル・コメルス』は『ラ・コティディエーヌ』からの盗用 とうよう として非難 ひなん されて裁判 さいばん 沙汰 ざた になり、このとき世論 せろん によってようやく原作 げんさく 者 しゃ ポーの名 な が明 あき らかになった[ 27] 。
日本 にっぽん では1887年 ねん (明治 めいじ 20年 ねん )に、饗庭 あえば 篁村 こうそん によって「ルーモルグの人殺 ひとごろ し」として初 はじ めて翻訳 ほんやく (翻案 ほんあん )された(『読売新聞 よみうりしんぶん 』12月14日 にち 、23日 にち 、27日 にち )。篁村 こうそん は同年 どうねん 11月 がつ に「黒 くろ 猫 ねこ 」の翻訳 ほんやく も発表 はっぴょう しており、これが日本 にっぽん におけるポー作品 さくひん の初 はつ の翻訳 ほんやく 紹介 しょうかい となった。ただし、これは外国 がいこく 語 ご が苦手 にがて であった篁村 こうそん が友人 ゆうじん の口 くち 訳 やく をもとにして書 か いたもので原文 げんぶん に必 かなら ずしも忠実 ちゅうじつ ではない[ 28] 。その後 ご 長田 ながた 秋 あき 濤 による、フランス語 ふらんすご 訳 やく を参照 さんしょう したらしい意訳 いやく 「猩々 しょうじょう 怪 かい 」(『文藝 ぶんげい 倶楽部 くらぶ 』1899年 ねん 10月 がつ )や、深沢 ふかざわ 由次郎 よしじろう の未完 みかん の訳 わけ 「凍 こお 絶 ぜっ 愴絶 モルグ町 まち の惨殺 ざんさつ 事件 じけん 」(『英語 えいご 青年 せいねん 』1909年 ねん 1月 がつ )など不完全 ふかんぜん な訳 わけ が続 つづ き、大正 たいしょう に入 はい ってからは森 もり 鷗外 (森 もり 林太郎 りんたろう )が「病院 びょういん 横町 よこちょう の殺人 さつじん 犯 はん 」としてドイツ語 ご からの重訳 じゅうやく を行 おこ なっている(『新 しん 小説 しょうせつ 』1913年 ねん 2月 がつ )[ 29] 。
2010年 ねん 現在 げんざい は以下 いか に収録 しゅうろく のものが入手 にゅうしゅ しやすい。
モルグ街 がい の殺人 さつじん 1932
イギリスのヘヴィメタルバンドアイアン・メイデン のアルバム『キラーズ 』(1981年 ねん )に「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」と題 だい する曲 きょく がある。
2013年 ねん 、設定 せってい を現代 げんだい の日本 にっぽん に置 お き換 か えた舞台 ぶたい 作品 さくひん 『Moonlight Rambler 〜月夜 つきよ の散歩 さんぽ 人 じん 〜』(主演 しゅえん :本郷 ほんごう 奏 そう 多 おお )が日本 にっぽん で制作 せいさく ・上演 じょうえん された[ 30] 。
美少年 びしょうねん シリーズ - 12巻 かん は『モルグ街 がい の美少年 びしょうねん 』。当 とう シリーズのタイトルは江戸川 えどがわ 乱歩 らんぽ の作品 さくひん 名 めい から取 と られている。
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エドガー・アラン・ポー 「モルグ街 がい の殺人 さつじん 」 丸谷 まるや 才一 さいいち 訳 わけ 、創 はじめ 元 もと 推理 すいり 文庫 ぶんこ 『ポオ小説 しょうせつ 全集 ぜんしゅう 3 』所収 しょしゅう 、1974年 ねん
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原文 げんぶん があります。
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