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リューネブルク

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
紋章もんしょう 地図ちず
Lüneburger Wappen Lage Lüneburgs in Deutschland
基本きほん情報じょうほう
連邦れんぽうしゅう: ニーダーザクセンしゅう
ぐん: リューネブルクぐん英語えいごばん
緯度いど経度けいど: 北緯ほくい 5315ふん09びょう
東経とうけい 1024ふん52びょう
標高ひょうこう: 海抜かいばつ 17 m
面積めんせき: 70.34 km2
人口じんこう:

77,511にん(2023ねん12月31にち現在げんざい[1]

人口じんこう密度みつど: 1,102 にん/km2
外国がいこくじん: 9.5 %
郵便ゆうびん番号ばんごう: 21335-21337-21339 きゅう:2120, 314)
市外しがい局番きょくばん: 04131
ナンバープレート: LG
自治体じちたいコード: 03 3 55 022
市区しくすう: 17 市区しく
市庁舎しちょうしゃ住所じゅうしょ: Am Ochsenmarkt
21335 Lüneburg
ウェブサイト: www.hansestadtlueneburg.de ウィキデータを編集
行政ぎょうせい
上級じょうきゅう市長しちょう: ウルリヒ・メトゲ(Ulrich Mädge)
有力ゆうりょく政党せいとう: SPD, FDP
16世紀せいき風景ふうけい
街並まちなみ、アム・ザンデ、運河うんが直接ちょくせつめんして、ふねから直接ちょくせつこのとおりに荷揚にあげされた。
中世ちゅうせい街並まちなみをのこしたリューネブルクとふるいおみせ

リューネブルクドイツ: Lüneburg)は、ドイツニーダーザクセンしゅうリューネブルクぐん英語えいごばんこおり

概要がいよう

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ハンブルク南東なんとうやく50 km位置いちする。

2018ねん12月31にち人口じんこうは7まん5351にん

12世紀せいきバイエルンこうけんザクセンこうハインリヒ獅子ししこうがその発展はってん尽力じんりょくした都市としの1つで、ハインリヒ獅子ししこう子孫しそん統治とうちしたブラウンシュヴァイク=リューネブルク公国こうこくブラウンシュヴァイクなら都市としとして発展はってんした(そのハノーファー首都しゅとうつった)。

有名ゆうめい自然しぜん保護ほご地区ちくリューネブルガーハイデはしにあり、そこへの観光かんこう基地きちでもある保養ほよう都市としむかし岩塩がんえん採掘さいくつさかえ、ここからイルメナウがわ沿いにリューベックからおくされていた。

その街道かいどう現在げんざいでは、「しお街道かいどう」(ザルツ・シュトラーセ)の観光かんこうされている。

リューネブルガーハイデかうドイツ・メルヘン街道かいどうもこのまちとおる。

ふる市庁舎しちょうしゃドイツばんきたドイツでは最古さいこ木造もくぞう建築けんちくである。

ハインリヒ・ハイネ滞在たいざいしたことのあるいえ市庁舎しちょうしゃちかくにある。

5月にバッハ週間しゅうかんという音楽おんがくもよおしがある。ヨハン・ゼバスティアン・バッハみじか期間きかんここにいたことがある。当地とうちひじりミヒャエル修道院しゅうどういん付属ふぞく学校がっこう少年しょうねんごした。

運河うんが沿いのふるクレーンなども観光かんこうスポット。リューネブルク教育きょういく大学だいがくがあることでられていたが、改組かいそされていまではリューネブルク大学だいがくになった。教育きょういくがく領域りょういき相変あいかわらず中心ちゅうしんめている。

1974ねん以来いらい徳島とくしまけん鳴門なるととの姉妹しまい都市とし交流こうりゅうさかんにおこなわれている。また、イングランドスカンソープとも姉妹しまい都市としである。

歴史れきし

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のちひとつにまとまるよっつの集落しゅうらくひとつのかくとなったミヒャエリス修道院しゅうどういん(Michaeliskloster)は、オットー大帝たいてい956ねん8がつ13にちけの文書ぶんしょにおいて通行つうこうぜい特権とっけん(Zollprivileg)を授与じゅよされた。1030ねん以降いこう貨幣かへい鋳造ちゅうぞう証拠しょうこがあるので市場いちば開設かいせつおこなわれているとみられる。1282ねん以降いこう市庁舎しちょうしゃ豪壮ごうそう建物たてもの改装かいそうされている。1400ねん前後ぜんごにゴシック建築けんちくのラッシュ、15世紀せいき前半ぜんはんせきかべ完成かんせいした。かべは10もんようし、かべない面積めんせきやく 84 ha 、人口じんこうやく 8000-10000 にんであった[2]

1267ねん/1269ねんブラウンシュヴァイク・リューネブルクおおやけりょう(Herzogtum)の分割ぶんかつ相続そうぞくによりリューネブルクこうりょう(Fürstentum)がまれ、リューネブルク以後いご1371ねんまでリューネブルクこうりょうとなった。リューネブルク1639ねんまでほう領内りょうないにおいて帝国ていこく自由じゆう都市としみの特別とくべつ地位ちいめた[3]

リューベック密接みっせつ関係かんけいにあったリューネブルクの製塩せいえんしょには、なによりもまず、 14世紀せいきなかばにいたるまでハンザ商人しょうにん東方とうほうでのしお貿易ぼうえきめていた支配しはいてき地位ちい依存いぞんしていた。シュテックニッツ水運すいうんによって――シュテックニッツ運河うんがは、リューベックとハムブルクをむすぶもので、ハンザのもっと重要じゅうよう河川かせん土木どぼく事業じぎょうであっただろう――リューネブルクの塩船しおぶねはリューベックにおもむくことができた」[4]

13世紀せいき以降いこう製塩せいえんぎょうにはきびしい規制きせい実施じっしされた。製塩せいえん各所かくしょ4なべ、54製塩せいえんしょ制限せいげんされた。 1497ねんぜん採掘さいくつだか(Gesamtfördermenge)は17386 tであった。岩塩がんえん(Saline)にたいする所有しょゆうけんだい部分ぶぶん領域りょういき君主くんしゅ(Landesherr)のからリューベック司教しきょう聖堂せいどう参事さんじかい(Lübecker Domkapitel)をはじめとする宗教しゅうきょう施設しせつ移行いこうした。「製塩せいえん所長しょちょう」(1374以降いこうSülfmeisterとばれたPfannenpächter)はやく80の家族かぞくからていた。かれらは経済けいざいてき政治せいじてき社会しゃかいてき指導しどうてきグループで、1456ねん以後いご都市とし貴族きぞくてき性格せいかくびた。13世紀せいきくつしょく・畜殺ぎょうかわなめしぎょうとう11個いっこ職種しょくしゅがイヌング(ツンフト)の権利けんり獲得かくとくした。強力きょうりょくなグループを結成けっせいしたのが貨物かもつ運送うんそう業者ぎょうしゃ(<schiplude>と<boteler>)、荷役にやくじん(dragener)、製塩せいえん労働ろうどうしゃ(Salinenarbeiter)であった。製塩せいえん中心ちゅうしんとする生産せいさんぎょうつぎ経済けいざいてき重要じゅうようだったのが、石灰せっかい石膏せっこう白亜はくあ、レンガ、穀物こくもつ、ビール、麦芽ばくが布地ぬのじ輸出ゆしゅつえであり、ぶた山羊やぎおすうし市場いちばとしてもリューネブルクは地方ちほう中心ちゅうしんであった[5]

1510ねんころにはじめて出版しゅっぱんされたドイツの民衆みんしゅうほんティル・オイレンシュピーゲル愉快ゆかいないたずら』、そのだい66は、主人公しゅじんこうふえづくりをからかう物語ものがたりであるが、舞台ぶたいがリューネブルクに設定せっていされている[6]。またどう民衆みんしゅうほんだい67は、リューネブルクこくのゲルダウむら舞台ぶたいとする物語ものがたりであるが、ティルはエプスドルフ修道しゅうどう院長いんちょうのもとに滞在たいざいちゅう、そのむらでの宴会えんかいかけるはなしになっている。この修道院しゅうどういんは、直径ちょっけい3,57 m、円形えんけいの、中世ちゅうせい最大さいだい世界せかい地図ちず(Ebstorfer Weltkarte)が発見はっけんされた場所ばしょとして有名ゆうめいである[7]

姉妹しまい都市とし提携ていけい都市とし

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出典しゅってん

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  1. ^ Landesamt für Statistik Niedersachsen, LSN-Online Regionaldatenbank, Tabelle A100001G: Fortschreibung des Bevölkerungsstandes, Stand 31. Dezember 2023
  2. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VI. München/Zürich: Artemis & Winkler1989 (ISBN 3-7608-8906-9), Sp. 9-10.
  3. ^ Gerhard Köbler: Historisches Lexikon der deutschen Länder. 6. Aufl. München: C.H.Beck, 1998 = Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1999, S. 366.
  4. ^ エーディト・エネン『ヨーロッパの中世ちゅうせい都市とし』(佐々木ささき克巳かつみやく岩波書店いわなみしょてん、1987ねん、(ISBN 4-00-002373-X) 、233ぺーじ
  5. ^ Lexikon des Mittelalters. Bd. VI. München/Zürich: Artemis & Winkler1989 (ISBN 3-7608-8906-9), Sp. 11-12.
  6. ^ 阿部あべ謹也きんやわけ『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ゆかいないたずら』岩波いわなみ文庫ぶんこ 1990ねん (ISBN 4-00-324551-2) 229-233ぺーじ。- 藤代ふじしろ幸一こういちわけ『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ゆかいないたずら』法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく 1979ねん 187-191ぺーじ
  7. ^ 阿部あべ謹也きんやわけ『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ゆかいないたずら』岩波いわなみ文庫ぶんこ 1990ねん (ISBN 4-00-324551-2) 234-237、387ぺーじ。- 藤代ふじしろ幸一こういちわけ『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ゆかいないたずら』法政大学ほうせいだいがく出版しゅっぱんきょく 1979ねん 192-195ぺーじ

外部がいぶリンク

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