ロバート・クラム

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ロバート・クラム (2014)

ロバート・クラム(Robert Crumb、1943ねん8がつ30にち - )は、アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくペンシルベニアしゅうフィラデルフィア出身しゅっしん漫画まんがイラストレーターである。クラムは1960年代ねんだいアンダーグラウンド・コミックス運動うんどう創始そうししゃ一人ひとりであり、この分野ぶんやにおける代表だいひょうてき作家さっかとしてられている[1]。クラムのもっと著名ちょめい作品さくひんひとつである『Keep On Truckin'』は、ポップ・カルチャーを代表だいひょうする作品さくひんとしてられている。クラムはフリッツ・ザ・キャットミスター・ナチュラルみのおやでもある。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

1943ねん8がつ30にちペンシルベニアしゅうフィラデルフィアで、ロバート・クラムは海兵かいへいたい将校しょうこう父親ちちおやカトリック母親ははおやあいだまれた。始終しじゅう喧嘩けんかえない両親りょうしんもとで、少年しょうねんのクラムは敬虔けいけんにして性的せいてき抑圧よくあつされたカトリック信者しんじゃとして成長せいちょうした[2][3]幼少ようしょうのクラムの漫画まんが活動かつどうにもっともおおきな影響えいきょうあたえたのは、かれあにチャールズ・クラムであった。チャールズは子供こどもころからロバートととも漫画まんがえがつづり、兄弟きょうだいは『Foo』と名付なづけた自作じさくのコミックスを学校がっこう近所きんじょ家々いえいえあるいたこともあった。ロバートが高校こうこう進学しんがくするころには、チャールズは漫画まんが断念だんねんしていえもるようになっていたが、おとうとはな相手あいてでありつづけた。1992ねんにクラムのあにチャールズは50さい自殺じさつした。[4]

高校こうこう卒業そつぎょうしたのち、1962ねんにクラムはオハイオしゅうクリーブランドうつみ、アメリカン・グリーティングしゃ就職しゅうしょくしてグリーティング・カードのデザインを担当たんとうするようになった。クリーブランドでクラムはのち漫画まんがアメリカン・スプレンダー』の原作げんさく手掛てがけるハービー・ピーカー親友しんゆうになり、1964ねん最初さいしょつまダナ・モーガン・クラムと結婚けっこんした。ピーカーはSPレコードばんへの熱愛ねつあいをクラムと共有きょうゆうする友人ゆうじんであり、1976ねん自費じひ出版しゅっぱんした自伝じでん漫画まんが『アメリカン・スプレンダー』の作画さくがにあたってはクラムのたすけをりた[5]映画えいがアメリカン・スプレンダー』では、ジェームズ・アーバニアクがクラムやくえんじている。

1965ねん1がつに、クラムの崇拝すうはいしていた、雑誌ざっしMAD』の創刊そうかんしゃハーヴェイ・カーツマンによる雑誌ざっし『Help!』だい22ごうで、最初さいしょフリッツ・ザ・キャット作品さくひん『Fritz Comes on Strong』が掲載けいさいされた。また1965ねん6がつごろから、クラムはLSD使用しようはじめた。「LSDはぼくあたまをすっかりえてしまった。LSDはぼく漫画まんが真剣しんけんとらえすぎるのをやめさせて、ぼく自身じしんのまったくちがったいちめんおしえてくれたんだ」とクラムはかたっている[6]

1967ねん1がつに、クラムはフィラデルフィアの『Yarrowstalks』をふくめたアンダーグラウンド新聞しんぶん発表はっぴょうしたいくつかの漫画まんがたいする反応はんのううながされ、サイケデリックフラワーパワー運動うんどう中心ちゅうしんであったカリフォルニアしゅうサンフランシスコ移住いじゅうした。1968ねんはじめに、クラムは『Zap Comix』を創刊そうかんした。クラムはアンダーグラウンド・コミックス運動うんどう代表だいひょうする作家さっかとなっていった。

クラムはふるめかしい早期そうき漫画まんがスタイルをもちいて、漫画まんがにおいてはタブーとなされていた性的せいてきかつ政治せいじてき風刺ふうし作品さくひん発表はっぴょうした。やがてクラムは、カウンターカルチャー漫画まんが作品さくひん出版しゅっぱん可能かのうせい活気かっきけられた多数たすう漫画まんが興味きょうみけた。後期こうきの『Zap Comix』において、クラムはスペイン・ロドリゲスリック・グリフィンS・クレイ・ウィルソンヴィクター・モスコソロバート・ウィリアムズ[よう曖昧あいまい回避かいひ]ギルバート・シェルトンといった作家さっか作品さくひん掲載けいさいした。

『Zap』『East Vilage Other』『OZ magazine』といった多数たすうアンダーグラウンド・コミックスアンダーグラウンド新聞しんぶんなどのカウンターカルチャーけい出版しゅっぱんぶつ誌上しじょうにおいて、クラムはフリッツ・ザ・キャットやミスター・ナチュラルをふくむ、はん体制たいせい文化ぶんか象徴しょうちょうとなったキャラクターたちを創造そうぞうした。クラムの作品さくひん俄然がぜんおおきな需要じゅようまし、クラム自身じしんもまたはん体制たいせい文化ぶんか象徴しょうちょうする存在そんざいとなっていった。

1980年代ねんだい前半ぜんはんに、クラムはオルタナティヴ・コミックのアンソロジー雑誌ざっしである『Weirdo』を創刊そうかんし、オルタナティヴ・コミックにおける創作そうさく影響えいきょう両面りょうめんにおける主要しゅよう人物じんぶつとして、クラムはなおも健在けんざいである。クラムの経歴けいれきはメインストリーム・コミック出版しゅっぱん業界ぎょうかい外部がいぶはじまったが、クラムは雑誌ざっしニューヨーカー』の表紙ひょうし手掛てがけている。

1990年代ねんだい中頃なかごろに、クラムはかれ自身じしんによる6さつのスケッチブックを、みなみフランスラングドック=ルシヨンにあるちいさなまちソベーの一軒家いっけんや交換こうかんし、番目ばんめつまアリーン・コミンスキー・クラム(彼女かのじょもまた有名ゆうめいなアンダーグラウンド漫画まんがである)とむすめソフィー(彼女かのじょ漫画まんがである)ととも移住いじゅうした。

1995ねんには、クラムと家族かぞく人生じんせいえがいたドキュメンタリー映画えいがクラム (映画えいが)英語えいごばん』が、 テリー・ツワイゴフ監督かんとくにより製作せいさく公開こうかいされた。

2005ねんにクラムはガーディアンかみのインタビューにたいし、現在げんざい創世そうせい漫画まんが作品さくひん構想こうそうんでいるとかたっており[7]、2009ねんに『The Book of Genesis Illustrated』(Robert Crumbs Genesis)として刊行かんこうされた(日本語にほんごやくは2011ねんに『旧約きゅうやく聖書せいしょ 創世そうせいへん』として刊行かんこう)。

漫画まんが以外いがい活動かつどう[編集へんしゅう]

クラムは友人ゆうじんジャニス・ジョプリンのアルバム『チープ・スリル』のジャケットイラストを手掛てがけた。一方いっぽうローリング・ストーンズのアルバムのジャケットイラストも依頼いらいされたが、バンド・ミュージックをきらっていたため、その依頼いらいことわった。

アニメーション監督かんとくラルフ・バクシは、X指定していほどこされた最初さいしょのアニメーション映画えいがである長編ちょうへんフリッツ・ザ・キャット』を制作せいさくし、この作品さくひんおおきな興行こうぎょう成績せいせきおさめた。クラムはこの映画えいがきらっており、鼻持はなもちならない映画えいがスターとなったフリッツを、ダチョウおんながアイスピックでころすというかたちで、自作じさくにおいてこの架空かくうのネコのキャラクターをほうむってしまい、以降いこうかれ作品さくひんたいする映画えいがもうことわつづけている。

1990年代ねんだい前半ぜんはんに、デューク大学だいがくにおいてクラムの作品さくひんもとづく舞台ぶたい作品さくひん上演じょうえんされた。ジョニー・シモンズが舞台ぶたい監督かんとくつとめ、クラムにより演技えんぎ指導しどうおこなわれた。クラムは舞台ぶたい美術びじゅつ手掛てがけ、かれ有名ゆうめいなキャラクターたち舞台ぶたいゆかかべいちはいえがんだ。

1994ねんに、クラムの作品さくひん波乱はらんちた家庭かてい生活せいかつとをむすけたドキュメンタリー映画えいがクラム』が、クラムとその作品さくひん興味きょうみわか読者どくしゃ対象たいしょうとして制作せいさくされた。この映画えいがはクラムの長年ながねん友人ゆうじんであるテリー・ツワイゴフにより監督かんとくされた。

フランスでのクラムは、バンド“Les Primitifs du Futur”においてバンジョーを担当たんとうしている。クラムは1970年代ねんだいみっつのアルバムを発表はっぴょうしたかれ自身じしんのバンド、「チープ・スーツ・セレナーダーズ」もっていた。いちじるしく戦前せんぜんのポピュラー音楽おんがく、ブルースなどに傾倒けいとうしたこのバンドのさんまいのアルバムは、現在げんざいでもレコード・コレクターからあつ支持しじされている。また、東京とうきょう中心ちゅうしん活動かつどうするノアルイズ・マーロン・タイツをはじめ、日本にっぽんでも影響えいきょうけたバンドはおおい。

クラムはSPレコードばん熱心ねっしんなコレクターであり、2004ねん時点じてんで5000まいえるレコードばん保有ほゆうしている。2003ねんに、このコレクションは、メキシコキューバトルコビルマタヒチワールドミュージック編集へんしゅうした『Hot Women: Women Singers From The Torrid Regions Of The World』のソースとなった。このアルバム24トラックのうち、2トラック以外いがいはすべて1927ねんから1934ねんまでに収録しゅうろくされたものだった。

作風さくふう批評ひひょう[編集へんしゅう]

ロバート・クラムの漫画まんが技法ぎほうは、『Barney Google』のビリー・デ・ベック挿絵さしえ画家がかC・E・ブロックジーン・エイハーンのコマ漫画まんが、『Sad Sack』のジョージ・ベイカー、『メリー・メロディーズ』に登場とうじょうした1930年代ねんだいのアニメーションキャラクターたち、『The Gumps』のシドニー・スミスルーブ・ゴールドバーグしょ作品さくひん、『ポパイ』のE・C・シーガー、『マットとジェフ』のバッド・フィッシャーといった、先行せんこうする多数たすう漫画まんがから影響えいきょうけている。クラムは雑誌ざっしMAD』の初代しょだい編集へんしゅうちょうである漫画まんがハーヴェイ・カーツマンと、同様どうよう初期しょきディズニー作品さくひんにおけるダックぶつ漫画まんが作画さくがしたカール・バークスや、ジョン・スタンレイが、自分じぶん物語ものがたり構成こうせい技法ぎほう影響えいきょうあたえているとかたっている。

クラムの漫画まんが作品さくひん読者どくしゃ批評ひひょうから毀誉きよ褒貶ほうへんかれた批評ひひょうしている。クラムは文学ぶんがくじょう風刺ふうし作家さっかであるラブレージョナサン・スウィフトマーク・トゥエインなら歴史れきしてき風刺ふうし作家さっか一人ひとりとして賞賛しょうさんされており、美術びじゅつ批評ひひょうのロバート・ヒューズはクラムをブリューゲルゴヤ系譜けいふむすけている。一方いっぽうで、コミック研究けんきゅうトリアナ・ロビンスふく批評ひひょうたちは、クラムの作品さくひん下品げひんかつ成熟せいじゅくな、女性じょせい嫌悪けんおポルノであると糾弾きゅうだんしている。クラム自身じしんも、自分じぶんには女性じょせいたいする異常いじょう恐怖きょうふしんがあるとみとめている。

翻訳ほんやくされた著書ちょしょ[編集へんしゅう]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 柳下やぎした毅一郎きいちろうへんやく 『ロバート・クラム BEST』 p134 河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ ISBN 4-309-26575-8
  2. ^ ロバート・クラム公式こうしきサイトうち The History of Crumb
  3. ^ Robert Crumb, My Troubles with Women pp. 2
  4. ^ 小野おの耕世こうせい 『アメリカン・コミックス大全たいぜん』 p348 晶文社しょうぶんしゃ ISBN 4-7949-6674-1
  5. ^ 『アメリカン・コミックス大全たいぜん』 p333-335
  6. ^ ロバート・クラム公式こうしきサイトうち The History of Crumb
  7. ^ えいガーディアンかみによるロバート・クラムへのインタビュー

関連かんれんサイト[編集へんしゅう]