ハービー・ピーカー

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ハービー・ピーカー
Harvey Pekar
誕生たんじょう (1939-10-08) 1939ねん10月8にち[1]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく オハイオしゅうクリーブランド
死没しぼつ (2010-07-12) 2010ねん7がつ12にち(70さいぼつ
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこく オハイオしゅうクリーブランドハイツ
職業しょくぎょう 漫画まんが原作げんさくしゃ事務じむいん文学ぶんがく評論ひょうろん音楽おんがく評論ひょうろん
国籍こくせき アメリカじん
ジャンル アンダーグラウンド・コミックス
オルタナティヴ・コミック
主題しゅだい 自伝じでん
代表だいひょうさくアメリカン・スプレンダー
Our Cancer Year
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ハービー・ローレンス・ピーカー(Harvey Lawrence Pekar、1939ねん10月8にち - 2010ねん7がつ12にち) はアメリカのアンダーグラウンド・コミック原作げんさくしゃ音楽おんがく評論ひょうろん自伝じでんてきなコミック作品さくひんアメリカン・スプレンダー』でられる。どうさくは2003ねんどうだい映画えいがされ、好評こうひょうはくした。

クリーブランド桂冠詩人けいかんしじん」、「ラストベルト吟遊詩人ぎんゆうしじん」とばれ[2][3][4][5]、「グラフィックノベルの――あるいはによるメモワールの、もしくは自伝じでんてきなコミック表現ひょうげんの――鑑賞かんしょう認識にんしきのされかたえるのに貢献こうけんした」[6]ひょうされる。ピーカー自身じしん自作じさくについて以下いかのようにかたった。「こったとおりにいた自伝じでんだ。テーマはなないこと、仕事しごとくこと、一緒いっしょらすおんなつけること、居場所いばしょさがすこと、創造そうぞうせいのはけぐちつけること、そんなところだな。人生じんせい消耗しょうもうせんだ。すべての前線ぜんせんたたかいをつづけなければならない。ひとつをたおしてもわりはない。おれ混沌こんとん世界せかい意志いしとおそうとした。いくさだ。だが退しりぞくわけにはいかない。やめようとおもったこともあるが、しかしどうしてもだめなんだ」[7]

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

ハービー・ピーカーとおとうとアレンはオハイオしゅうクリーブランドせいけた。ちちサウルとははドーラはポーランドのビャウィストクからの移民いみんであった。サウルはタルムード学者がくしゃで、キンズマン・アベニューに所有しょゆうする食料しょくりょうひんてん階上かいじょう自宅じたくかまえていた[8]まれそだった環境かんきょうがかけはなれていたこともあり、仕事しごとがすべてであった両親りょうしんとの関係かんけい親密しんみつとはいえなかった。しかし、ハービーは「二人ふたりたがいへの献身けんしんには見張みはるものがあった。愛情あいじょうさん嘆があふれていた」とべている[9]

幼少ようしょうはじめてにつけただいいち言語げんごイディッシュである。ハービーはイディッシュ文字もじまなび、小説しょうせつむことをおぼえた[10]。6さいときからコミックブックをはじめたが、すうねんのうちに陳腐ちんぷはなしかえしだとかんじて興味きょうみうしなった[11]

幼少ようしょうには友達ともだちがいなかったという[12]。かつては近隣きんりん住人じゅうにん白人はくじんだけだったが、1940年代ねんだいにはほとんど黒人こくじんわっていた(ホワイト・フライト)。のこされたわずかな白人はくじん子供こどもとして、ピーカーはたびたび暴力ぼうりょくけた。のちかえったところでは、この時期じき体験たいけんとおして「根深ねぶか劣等れっとうかん」をけられた一方いっぽう[13]、「一目いちもくかれるケンカ」へと成長せいちょうしたという[13]

1957ねんにシェーカーハイツ高校こうこう卒業そつぎょうし、ケース・ウェスタン・リザーブ大学だいがく進学しんがくしたが、1ねん退学たいがくした[8]。その海軍かいぐん入隊にゅうたいしたが、極度きょくど不安ふあんにより審査しんさ通過つうかできず除隊じょたいし、故郷こきょうのクリーブランドでてい所得しょとくしょく転々てんてんとした。のちにクリーブランドの退役たいえき軍人ぐんじんきょく病院びょういんでカルテ整理せいりがかりしょくき、コミック作家さっかとして名声めいせいてからもその仕事しごとつづけた。2001ねん退職たいしょくするまで昇進しょうしんこばつづけたという[8][13]

ピーカーは3結婚けっこんしている。作家さっか教育きょういくしゃだったカレン・デラニーとの婚姻こんいん関係かんけいは1960ねんから1972ねんまでつづいた[14]。3にんつまジョイス・ブラブナー(Joyce Brabner)とは死去しきょまでの27ねんともごした。二人ふたり養女ようじょダニエル・バートンとともにオハイオしゅうクリーブランドハイツに居住きょじゅうしていた[15][16]。ブラブナーは社会しゃかい活動かつどうでコミックブック原作げんさくしゃとしても活動かつどうしている[14][17]。ピーカーとブラブナーがきょうさくしたグラフィックノベル『アワー・キャンサー・イヤー』は、リンパ腫りんぱしゅ罹患りかんしたピーカーがくるしい闘病とうびょう生活せいかつすえ回復かいふくする体験たいけんえがいた作品さくひんである。

執筆しっぴつ活動かつどう[編集へんしゅう]

『アメリカン・スプレンダー』[編集へんしゅう]

ピーカーが自伝じでんてきコミックブックシリーズ『アメリカン・スプレンダー』("American Splendor"、「アメリカのかがやき」)をはじめた契機けいきロバート・クラムとの交友こうゆうであった。クラムがクリーブランドに在住ざいじゅうしていた1960年代ねんだいなかば、ともにジャズレコード愛好あいこうであった二人ふたり親交しんこうむすんだ[18]。クラムのアンダーグラウンド・コミック作品さくひんんだピーカーはコミックスという表現ひょうげん形式けいしき可能かのうせい気付きづいたという。「映画えいがにできることはなんでもコミックスがやってのけられるのがわかった。それでおれもやりたくなったんだ。」[19]それが実現じつげんするのには10ねんようした。「10ねんくらいはコミックスをつくるための理論りろんかためをしていた」[20]

1972ねんごろ、ピーカーはなんへんかの作品さくひんのコマりをおこない、ぼう人間にんげんえがれて、クラムとロバート・アームストロング英語えいごばんせた。になった二人ふたり作画さくがおこなうことをもうた。ピーカーとクラムが制作せいさくした1ページ作品さくひん「クレイジー・エド」("Crazy Ed")はクラムの作品さくひんしゅう『ピープルズ・コミックス』("The People's Comics")の裏表紙うらびょうしかざった。これがピーカーのコミックスデビューさくとなった。のちに『アメリカン・スプレンダー』だい1ごう発行はっこうされるまで、ピーカーは「クレイジー・エド」をはじめとして様々さまざま形式けいしきでコミック作品さくひん発表はっぴょうした。

  • 「Crazy Ed」、作画さくがロバート・クラム、『The People's Comics』収録しゅうろく(ゴールデンゲート、1972ねん)
  • 「A Mexican Tale」、作画さくがグレッグ・バジェット英語えいごばん、『Flaming Baloney X』収録しゅうろく(プロパガンダ、1975ねんごろ)
  • 「It Pays to Advertise」「Ain' It the Truth」「The Boys on the Corner: A Good Shit Is Best」、作画さくがウィリー・マーフィー英語えいごばん、『Flamed-out Funnies』だい1ごう収録しゅうろく(リップオフ・プレス、1975ねん8がつ
  • 「The Kinsman Cowboys: How'd Ya Get Inta This Bizness Ennyway?」、作画さくがグレッグ・バジェットとゲーリー・ダム英語えいごばん、『Bizarre Sex』だい4ごう収録しゅうろくキッチンシンク・プレス英語えいごばん、1975ねん10がつ
  • 「Famous Street Fights: The Champ」、作画さくがロバート・アームストロング、『コミックス・ブック英語えいごばんだい4ごう収録しゅうろく(キッチンシンク・プレス、1976ねん2がつ
  • 「Don't Rain on My Parade」、ロバート・アームストロング、『Snarf』だい6ごう収録しゅうろく(キッチンシンク・プレス、1976ねん2がつ

1976ねん5がつには自費じひ出版しゅっぱんによるコミックブックシリーズ『アメリカン・スプレンダー』だい1ごう発行はっこうされた。アーティストとしてクラム、ダム、バジェット、ブライアン・ブラム英語えいごばん制作せいさく参加さんかした。故郷こきょうクリーブランドの高齢こうれいすす区域くいきむピーカーの日常にちじょうえが作品さくひんであった。だい1ごう赤字あかじであったが、年月としつきとともにきはがり、90年代ねんだいわりには毎号まいごう1まん発行はっこうするようになった[11]

シリーズの作画さくがながつとめた著名ちょめいなアーティストにはクラム、ダム、バジェットのほかスペイン・ロドリゲス英語えいごばんジョー・ザベル英語えいごばんゲリー・シャムレー英語えいごばんフランク・スタック英語えいごばん、マーク・ジンガレッリ、ジョー・サッコがいる。2000年代ねんだいにはディーン・ハスピエル英語えいごばんジョシュ・ニューフェルド英語えいごばんがレギュラーとして作画さくが担当たんとうした。このほかにピーカーとともさくしたアーティストには、ジム・ウッドリング英語えいごばんチェスター・ブラウン英語えいごばんアリソン・ベクデル英語えいごばんギルバート・ヘルナンデス英語えいごばんエディー・キャンベル英語えいごばんデヴィッド・コリアー英語えいごばんドリュー・フリードマン英語えいごばんホー・チェ・アンダーソン英語えいごばんリック・ギアリー英語えいごばんエド・ピスカー英語えいごばんハント・エマーソン英語えいごばんボブ・フィンガーマン英語えいごばん、ブライアン・ブラム、アレックス・バルトがいる。そのほか、ピーカーのつまジョイス・ブラブナーやコミック原作げんさくしゃアラン・ムーアなど、職業しょくぎょうてきなアーティスト以外いがい人物じんぶつ作画さくが担当たんとうしている。

『アメリカン・スプレンダー』コミックブックシリーズにかれた作品さくひんすうおおくの作品さくひんしゅうやアンソロジーに収録しゅうろくされている。

映画えいがばん『アメリカン・スプレンダー』以降いこう[編集へんしゅう]

2003ねん、『アメリカン・スプレンダー』を原作げんさくとするどうだい映画えいが公開こうかいされた[21]監督かんとくロバート・プルチーニ英語えいごばんシャリ・スプリンガー・バーマン英語えいごばん、ピーカーやく主演しゅえんしたのはポール・ジアマッティである。ピーカー自身じしんつまブラブナーもゲスト出演しゅつえんした。ピーカーは『アメリカン・スプレンダー: アワー・ムービー・イヤー』で映画えいが公開こうかいによる生活せいかつ変化へんかえがいた。

2006ねんDCコミックスインプリントであるヴァーティゴ英語えいごばんからぜん4ごうの『アメリカン・スプレンダー』ミニシリーズが発行はっこうされ、ペーパーバックほん『アメリカン・スプレンダー: アナザーデイ』にまとめられた[22]。2008ねんにはおなじくヴァーティゴから『アメリカン・スプレンダー』の「だい2シーズン」と単行たんこうほん『アメリカン・スプレンダー: アナザーダラー』が発行はっこうされた。

これらの自伝じでんてき作品さくひんくわえ、ピーカーは多数たすう伝記でんきいている。最初さいしょ伝記でんき作品さくひん『アメリカン・スプレンダー: アンサング・ヒーロー』(2003ねん)は、退役たいえき軍人ぐんじんきょく病院びょういんともはたらくアフリカけい同僚どうりょう、ロバート・マクニールのベトナム戦争せんそう体験たいけん題材だいざいにしたものである。

そののコミック作品さくひん[編集へんしゅう]

WonderCon英語えいごばん2005(サンフランシスコ)をおとずれたハービー・ピーカー。

2005ねん10がつ5にち、DCコミックスのインプリントであるヴァーティゴからハードカバーでピーターの自伝じでん『ザ・クイッター』("The Quitter"、「腰抜こしぬけ」)が刊行かんこうされた。作画さくがはディーン・ハスピールが担当たんとうした。どうさくはピーカーの青年せいねん時代じだい詳細しょうさいえがいた作品さくひんである。

2006ねん、OverheardinNewYork.comをげた作家さっかマイケル・マリスの伝記でんき、『エゴ&ハブリス: ザ・マイケル・マリス・ストーリー』がバランタインしゃ英語えいごばんランダムハウス傘下さんか)から出版しゅっぱんされた[23]

ピーカーは『ベストアメリカンコミックス2006』に最初さいしょのゲスト編集へんしゅうしゃとして参加さんかした。同書どうしょホートン・ミフリン英語えいごばん刊行かんこうするベストアメリカンシリーズではじめてのコミックス作品さくひんしゅうである。

2007ねん6がつ大学生だいがくせいのヘザー・ロバーソンおよびアーティストのエド・ピスカーとのともさくで『マケドニア英語えいごばん』を刊行かんこうした。どうさくはロバーソンのマケドニア研究けんきゅうもとづいている[24][25]

2008ねん1がつ新作しんさく伝記でんき『スチューデンツ・フォー・ア・デモクラティック・ソサエティ: ア・グラフィック・ヒストリー』をヒル&ワン英語えいごばんから刊行かんこうした。

2009ねん3がつ、エド・ピスカーのアートで『ザ・ビーツ』("The Beats")を刊行かんこうし、ジャック・ケルアックアレン・ギンズバーグなどビート・ジェネレーション歴史れきしえがいた[26]。2009ねん5がつにはスタッズ・ターケル英語えいごばんの『Working』(邦訳ほうやく仕事しごと(ワーキング)!』1983年刊ねんかん)の漫画まんが『Studs Terkel's Working: A Graphic Adaptation』が刊行かんこうされた。

2009ねんからは『スミス』のウェブサイトじょうウェブコミックシリーズ『ザ・ピーカー・プロジェクト』を連載れんさいした[27]

2011ねんにはイディッシュイディッシュ文化ぶんか多面ためんてきえがいたアンソロジー『Yiddishkeit』がピーカー、ポール・バエレ英語えいごばん、ハーシェル・ハートマンの共同きょうどう編集へんしゅうでアブラムス・コミカーツから刊行かんこうされた。同書どうしょには過去かこにピーカーとともさくしたアーティストが多数たすう参加さんかした。

芸能げいのう評論ひょうろん、その活動かつどう[編集へんしゅう]

コミック作品さくひん成功せいこうけて、1986ねん10がつ15にちに『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』にゲストとしてまねかれた。それ以後いごもたびたびどう番組ばんぐみ出演しゅつえんし、短期間たんきかんに5かいさい登場とうじょうたした。ピーカーとレターマンとの口論こうろん人気にんきあつめ、とくゼネラル・エレクトリックしゃによるNBC経営けいえいけん取得しゅとくめぐ論争ろんそう評判ひょうばんとなった。なかでも白熱はくねつした1988ねん8がつ31にち放映ほうえいかいでは、ピーカーがレターマンをGEしゃ宣伝せんでんマンのようだとののしったのにたいし、レターマンはピーカーが子供こどもだましのもの宣伝せんでんたと応酬おうしゅうし、二度にど出演しゅつえんさせないと宣言せんげんした[4]。しかし、1993ねん4がつ20日はつか放映ほうえいかいでピーカーはどう番組ばんぐみ復帰ふっきし、1994ねんには『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』にも登場とうじょうした[28]

ピーカーは熱心ねっしんなレコード・コレクターであり、20さいごろからフリーランスでジャズの批評ひひょうおこなっていた[11]批評ひひょうとしてはジャズ黄金おうごん時代じだい著名ちょめいなプレイヤーを専門せんもんとしていたが、メインストリームからはずれたバース(Birth)、スコット・フィールズ英語えいごばんフレッド・フリスジョー・マネリのようなアーティストの擁護ようごしゃでもあった。1990年代ねんだいはじめには、『ロサンゼルス・リーダー』、『ザ・レビュー・オブ・コンテンポラリー・フィクション』、『ウッドワード・レビュー』のような定期ていき刊行かんこうぶつ文学ぶんがく批評ひひょうおこなった[よう出典しゅってん]公共こうきょうラジオで放送ほうそうされた随筆ずいひつによってしょうけたこともある。また2000ねんにはアラン・ツヴァイク英語えいごばんによるレコード収集しゅうしゅうについてのドキュメンタリー映画えいがビニール英語えいごばん』に出演しゅつえんした[29]。2007ねん8がつには、アンソニー・ボーディン番組ばんぐみアンソニー世界せかいらう』のクリーブランドを紹介しょうかいするかいでピーカーがげられた[30]

2009ねん、ジャズオペラ『Leave Me Alone!』のリブレットくことで演劇えんげきかいへのデビューをたした。どうさくダン・プロンジー英語えいごばん音楽おんがく主体しゅたいとなっており、リアルタイムオペラとオーバリン大学だいがく共同きょうどうプロデュースにより2009ねん1がつ31にちからフィニー礼拝れいはいどう上演じょうえんされた[31]

2009ねん、『ボーン英語えいごばん』の作者さくしゃジェフ・スミス英語えいごばん人生じんせい作品さくひん題材だいざいとしたドキュメンタリー映画えいが『ザ・カートゥーニスト』に出演しゅつえんした[32]

死去しきょとその刊行かんこうぶつ[編集へんしゅう]

2010ねん7がつ12にち午後ごごいちまわったころ、オハイオしゅうクリーブランド・ハイツの自宅じたくでピーカーが死亡しぼうしているのがつまブラブナーによって発見はっけんされた[8]死因しいんはすぐにはあきらかにならなかったが[13]、10月になってカヤホガぐん検視けんしきょく過失かしつによるこううつざいフルオキセチンブプロピオン過剰かじょう摂取せっしゅだと判断はんだんくだした[33]。ピーカーは3度目どめのガン宣告せんこくけており、治療ちりょうはじまるところだった[8]。ブラブナーによると、ピーカーは前立腺ぜんりつせんガンのほか、気管支きかんし喘息ぜんそく高血圧こうけつあつそもそもうつにくるしんでいた[13]墓石はかいしには生前せいぜん発言はつげん墓碑銘ぼひめいとしてきざまれた。"Life is about women, gigs, an' bein' creative."(人生じんせい大事だいじなのは、おんなギグ、それとクリエイティブであることだ。)[34]

そののこされた作品さくひん刊行かんこうつづいている。『ハービー・ピーカーズ・クリーブランド』("Harvey Pekar's Cleveland"、トップシェルフ英語えいごばんしゃ、2012ねん)はピーカーの死亡しぼうにジョセフ・レムナントによって作画さくが作業さぎょうすすめられていたものである[35]

ジョイス・ブラブナーとのともさく『The Big Book Of Marriage』および『Harvey and Joyce Plumb the Depths of Depression』、またピーカー・プロジェクトのした発表はっぴょうされたウェブコミックス作品さくひんにも出版しゅっぱん計画けいかくがある[17][36]。さらにピーカーは生前せいぜん、アーティストのサマー・マクリントンとともに、アメリカじんマルクス主義まるくすしゅぎしゃルイス・プロイェクト(Louis Proyect)についてのほん完成かんせいさせていた。同書どうしょはプロイェクトが運営うんえいするブログとおなじ『ザ・アンリペンタント・マルクシスト』という仮題かだいあたえられていた。制作せいさく作業さぎょうは2008ねんはじまっており、ランダムハウスしゃから刊行かんこうされる予定よていであったが、ブラブナーがプロイェクトとのあいだいさかいをこし、同書どうしょ出版しゅっぱんげると宣告せんこくした[37]。2014ねん4がつ現在げんざい、これらのよんさつほんいまだにていない。

2010ねん12月、ピーカーの遺稿いこう「ハービー・ピーカー・ミーツ・ザ・シング」がマーベル・コミックのアンソロジー『ストレンジ・テールス II英語えいごばん』に収録しゅうろくされた。どうさくでピーカーはスーパーヒーローザ・シング会話かいわわす。作画さくがタイ・テンプルトン英語えいごばん担当たんとうした[38]

2012ねん10がつ、クリーブランドハイツ-ユニバーシティハイツ図書館としょかんにピーカーの彫像ちょうぞう建立こんりゅうされた。ピーカーはこの図書館としょかんにほぼ毎日まいにちかよっていたという[39][40]

評価ひょうか[編集へんしゅう]

わたしおもうに、『アメリカン・スプレンダー』についてもっとも重要じゅうようなことは、どれだけまきかさねようとわらない。コミックスが発展はってん途上とじょうだったころ、[その可能かのうせい] あれこれうやつはいても、本当ほんとうにやろうとしたやつはほとんどいなかったということだ。

70年代ねんだいわりから80年代ねんだいはじめには、コミックスは大人おとなのためのメディアにおさまりかえっていた。[中略ちゅうりゃく] しかしそれ以前いぜんのコミックスはうすっぺらなものでしかなかった。パワー・ファンタジーだな、14さいおとこの。それと、19さい若者わかものの、おっぱいとドラッグがみだれるファンタジーだ。[中略ちゅうりゃく]

コミックスがどこまで素晴すばらしいものになれるか、ハービーは限界げんかいなどないとしんじていた。しんさぶられる瞬間しゅんかんしんけそうな瞬間しゅんかんちいさくても驚嘆きょうたんちた瞬間しゅんかんかさねて人生じんせい年代ねんだいつづる…

そしてもっとも重要じゅうようなのは、ハービーがそれをやりげたということなんだ」

ニール・ゲイマン[41]

「クリーブランドの桂冠詩人けいかんしじん」「ラストベルト吟遊詩人ぎんゆうしじん」とばれ[2][3][4][5]、「グラフィックノベルの――あるいはによるメモワールの、もしくは自伝じでんてきなコミック表現ひょうげんの――鑑賞かんしょう認識にんしきのされかたえるのに貢献こうけんした」[6]ひょうされる。

『アメリカン・スプレンダー』は「コミックスの歴史れきしなかで、もっともうったえかけるちからち、もっとも革新かくしんてきなシリーズのひとつでありつづけている」とされる[42]。さらにピーカーは「コミックブック形式けいしきのメモワール(回想かいそうろく)」をはじめてひろめた作家さっかでもある[43]スコット・マクラウドは、一般いっぱん市民しみん日常にちじょう真摯しんしえがく80年代ねんだい以降いこう自伝じでんてきコミックスと、それ以前いぜんのアンダーグラウンド・コミックスとをつなぐ存在そんざいが『アメリカン・スプレンダー』だと評価ひょうかしている[6]現在げんざいではブログやソーシャルメディア、あるいはグラフィックノベルのかたち自分じぶん人生じんせいについて表現ひょうげんすることは一般いっぱんしたが、「それがたりまえのことになる以前いぜんの70年代ねんだいなかばに、ハービー・ピーカーはそのすべてをやってしまった」[43]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

最初さいしょ刊行かんこうされた『アメリカン・スプレンダー』書籍しょせき序文じょぶんでロバート・クラムはピーカーとの交友こうゆうについてべ、「典型てんけいてき自己じこ中心ちゅうしん主義しゅぎしゃなにかにてられ、りつかれたような、クレイジーなユダヤじんだ。」とひょうした。さらに、一切いっさい装飾そうしょく作為さくいはいして「現実げんじつこったことをありのままにつたえる」ことを貫徹かんてつする意志いしつよさを称賛しょうさんした[44]

みずから「いつも称賛しょうさん注目ちゅうもくもとめている、正直しょうじきうと」「自分じぶんがジャズ評論ひょうろんでいることに満足まんぞくできなかった。おれ他人たにんのことをくのではなく、他人たにんおれのことをいてしかったんだ」とべる[13]一方いっぽうで、テレビ出演しゅつえんやタレント活動かつどうには興味きょうみっていなかった[4]。ブラブナーによると、トークショーで舌戦ぜっせんひろげたデイヴィッド・レターマンたいしては、クリエイティブな自由じゆうのないテレビかい才能さいのう無駄むだにしているとかんじていたという[4]

影響えいきょう[編集へんしゅう]

幼少ようしょうんだコミックブックのなかでは、『プラスチックマン』や『ザ・スピリット英語えいごばん』、『キャプテン・マーベル』のようにヒーローものでもユーモアのあるものや、カール・バークスによる『ドナルドダック』がきだったという。しかし、自身じしん創作そうさくへの影響えいきょうとしては、コミックブックよりも『リトル・ルル』や『アウト・アワー・ウェイ英語えいごばん』のような日常にちじょう題材だいざいとしたコミック・ストリップ存在そんざいおおきかった[45]

小説しょうせつかんしては、『ユリシーズ』の内的ないてき独白どくはくから多大ただい影響えいきょうけたという。またヘンリー・ミラー文体ぶんたいや、ジョージ・エイド英語えいごばん日常にちじょう生活せいかつ細部さいぶへの注視ちゅうしかれるとべている[45]

受賞じゅしょうれき[編集へんしゅう]

著作ちょさくリスト[編集へんしゅう]

  • American Splendor: The Life and Times of Harvey Pekar (Doubleday, 1986)
  • More American Splendor (Doubleday, 1987) ISBN 0-385-24073-2
  • The New American Splendor Anthology (Four Walls Eight Windows, 1991) ISBN 0-941423-64-6
  • Our Cancer Year, with Joyce Brabner and Frank Stack (Four Walls Eight Windows, 1994) ISBN 1-56858-011-8
  • American Splendor Presents: Bob & Harv's Comics, with R. Crumb (Four Walls Eight Windows, 1996) ISBN 1-56858-101-7
  • American Splendor: Unsung Hero, with David Collier (Dark Horse, 2003) ISBN 1-59307-040-3
  • American Splendor: Our Movie Year (Ballantine Books, 2004) ISBN 0-345-47937-8
  • Best of American Splendor (Ballantine Books, 2005) ISBN 0-345-47938-6
  • The Quitter, with Dean Haspiel (DC/Vertigo, 2005) ISBN 1-4012-0399-X
  • Ego & Hubris: The Michael Malice Story, with Gary Dumm (Ballantine Books, 2006) ISBN 0-345-47939-4
  • Macedonia, with Heather Roberson and Ed Piskor (Ballantine Books, 2006) ISBN 0-345-49899-2
  • American Splendor: Another Day (DC/Vertigo, 2007) ISBN 978-1-4012-1235-3
  • Students for a Democratic Society: A Graphic History (Hill and Wang, 2008) ISBN 978-0-8090-9539-1
  • American Splendor: Another Dollar (2009) ISBN 978-1-4012-2173-7
  • The Beats (2009) ISBN 978-0-285-63858-7
  • Studs Terkel's Working: A Graphic Adaptation (2009) ISBN 978-1-59558-321-5
  • Circus Parade by Jim Tully. Foreword by Harvey Pekar. Introduction by Paul J. Bauer and Mark Dawidziak. (Kent State Univ. Press, 2009) 978-1-60635-001-0
  • Huntington, West Virginia "On the Fly" (2011) ISBN 978-0-345-49941-7
  • Yiddishkeit: Jewish Vernacular and the New Land, with Paul Buhle (2011) ISBN 978-0-8109-9749-3
  • Not the Israel My Parents Promised Me, with JT Waldman. Epilogue by Joyce Brabner. (2012) ISBN 978-0-8090-9482-0
  • Harvey Pekar's Cleveland, illustrated by Joseph Remnant. Introduction by Alan Moore. Edited by Jeff Newelt (2012) ISBN 978-1-60309-091-9

邦訳ほうやく[編集へんしゅう]

  • 『アメリカン・スプレンダー』、あきらうら綾子あやこほか(わけ)、ロバート・クラム(序文じょぶん)、ブルース・インターアクションズ(2004ねん)。ISBN 4-86020-099-3
映画えいが日本にっぽん公開こうかい直後ちょくご刊行かんこうされた。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ "United States Social Security Death Index," index, FamilySearch Familysearch.org Accessed 19 Mar 2013, Harvey L Pekar, 12 July 2010.
  2. ^ a b "Harvey Pekar Dies: Comic book writer was 'poet laureate of Cleveland'" by Marc Tracy, Tablet, July 12, 2010
  3. ^ a b Nate Jones (2010ねん7がつ13にち). “The Five Best Videos of Harvey Pekar”. TIME. 2017ねん9がつ18にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e Michael Cavna (2017ねん9がつ21にち). “How Harvey Pekar became one of David Letterman’s greatest recurring guests - The Washington Post”. 2017ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  5. ^ a b Kevin Hoffman (2017ねん9がつ21にち). “Harvey Pekar RIP: Bard of the Rust Belt”. City Pages. 2017ねん9がつ21にち閲覧えつらん
  6. ^ a b c d "HARVEY PEKAR: Remembering the man - and legacy - one year later" by Michael Cavna, The Washington Post, 7/13/2011
  7. ^ "Harvey Pekar" (obituary), The Daily Telegraph, July 13, 2010
  8. ^ a b c d e f Connors, Joanna (2010ねん7がつ12にち). “Cleveland Comic-Book Legend Harvey Pekar Dead at Age 70”. The Plain Dealer (Cleveland, Ohio). オリジナルの2010ねん8がつ4にち時点じてんにおけるアーカイブ。. http://arquivo.pt/wayback/20100804232837/http://blog.cleveland.com/metro/2010/07/cleveland_comic-book_legend_ha.html. "He was recently diagnosed with prostate cancer, and also suffered high blood pressure, asthma and clinical depression, which fueled his art but often made his life painful." 
  9. ^ Pekar, Harvey; Remnant, Joseph (illustrations) (2012). Cleveland. Zip Comics and Top Shelf Productions. p. 53 
  10. ^ Exclusive: A Smorgasbord of Art and Comics Celebrating Harvey Pekar’s Yiddishkeit | Heeb”. Heebmagazine.com. 2012ねん4がつ24にち閲覧えつらん
  11. ^ a b c Steve Holland (2017ねん9がつ21にち). “Harvey Pekar obituary”. The Guardian. 2017ねん9がつ21にち閲覧えつらん
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  41. ^ 原文げんぶん ” I think probably the most important thing about American Splendor, in all its incarnations, is that there were very few people in the earlier days of comics prepared to put their work where their mouth was. It was all very well a medium for adults by the late ‘70s and early ‘80s. ... But before [Harvey], there wasn’t much to show. You had the power fantasies of 14-year-olds and the 19-year-old tits-and-drugs fantasies. ... Harvey believed there was no limit to how good comics could be. To chronicle his life from these tiny wonderful moments of magic and of heartbreak -- and the most important thing was that he did it."[6]
  42. ^ "The Reading Life: Harvey Pekar's Jewish question" by David L. Ulin, Jacket Copy, The LA Times, July 12, 2012.
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  44. ^ ロバート・クラム ちょあきらうら綾子あやこほか やく「まずはじめに」『アメリカン・スプレンダー』ブルース・インターアクションズ、2004ねんISBN 4860200993 
  45. ^ a b 小野おの耕世こうせい (2005). アメリカンコミックス大全たいぜん. 晶文社しょうぶんしゃ. pp. 330-342 
  46. ^ The Harvey Awards”. The Harvey Awards. 2010ねん7がつ16にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2010ねん7がつ12にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]