ハービー・ローレンス・ピーカー (Harvey Lawrence Pekar、1939年 ねん 10月8日 にち - 2010年 ねん 7月 がつ 12日 にち ) はアメリカのアンダーグラウンド・コミック 原作 げんさく 者 しゃ 、音楽 おんがく 評論 ひょうろん 家 か 。自伝 じでん 的 てき なコミック作品 さくひん 『アメリカン・スプレンダー 』で知 し られる。同 どう 作 さく は2003年 ねん に同 どう 題 だい で映画 えいが 化 か され、好評 こうひょう を博 はく した。
「クリーブランド の桂冠詩人 けいかんしじん 」、「ラストベルト の吟遊詩人 ぎんゆうしじん 」と呼 よ ばれ[2] [3] [4] [5] 、「グラフィックノベル の――あるいは絵 え によるメモワール の、もしくは自伝 じでん 的 てき なコミック表現 ひょうげん の――鑑賞 かんしょう と認識 にんしき のされ方 かた を変 か えるのに貢献 こうけん した」[6] と評 ひょう される。ピーカー自身 じしん は自作 じさく について以下 いか のように語 かた った。「起 お こった通 とお りに書 か いた自伝 じでん だ。テーマは死 し なないこと、仕事 しごと に就 つ くこと、一緒 いっしょ に暮 く らす女 おんな を見 み つけること、居場所 いばしょ を探 さが すこと、創造 そうぞう 性 せい のはけ口 ぐち を見 み つけること、そんなところだな。人生 じんせい は消耗 しょうもう 戦 せん だ。すべての前線 ぜんせん で戦 たたか いを続 つづ けなければならない。一 ひと つを倒 たお しても終 お わりは来 こ ない。俺 おれ は混沌 こんとん の世界 せかい で意志 いし を通 とお そうとした。負 ま け戦 いくさ だ。だが退 しりぞ くわけにはいかない。やめようと思 おも ったこともあるが、しかしどうしてもだめなんだ」[7]
ハービー・ピーカーと弟 おとうと アレンはオハイオ州 しゅう クリーブランド に生 せい を受 う けた。父 ちち サウルと母 はは ドーラはポーランドのビャウィストク からの移民 いみん であった。サウルはタルムード 学者 がくしゃ で、キンズマン・アベニューに所有 しょゆう する食料 しょくりょう 品 ひん 店 てん の階上 かいじょう に自宅 じたく を構 かま えていた[8] 。生 う まれ育 そだ った環境 かんきょう がかけ離 はな れていたこともあり、仕事 しごと がすべてであった両親 りょうしん との関係 かんけい は親密 しんみつ とはいえなかった。しかし、ハービーは「二人 ふたり の互 たが いへの献身 けんしん には目 め を見張 みは るものがあった。愛情 あいじょう と讃 さん 嘆が溢 あふ れていた」と述 の べている[9] 。
幼少 ようしょう 期 き に初 はじ めて身 み につけた第 だい 一 いち 言語 げんご はイディッシュ語 ご である。ハービーはイディッシュ語 ご で文字 もじ を学 まな び、小説 しょうせつ を読 よ むことを覚 おぼ えた[10] 。6歳 さい の時 とき からコミックブックを読 よ み始 はじ めたが、数 すう 年 ねん のうちに陳腐 ちんぷ な話 はなし の繰 く り返 かえ しだと感 かん じて興味 きょうみ を失 うしな った[11] 。
幼少 ようしょう 期 き には友達 ともだち がいなかったという[12] 。かつては近隣 きんりん の住人 じゅうにん は白人 はくじん だけだったが、1940年代 ねんだい にはほとんど黒人 こくじん と入 い れ替 か わっていた(ホワイト・フライト )。残 のこ されたわずかな白人 はくじん の子供 こども として、ピーカーはたびたび暴力 ぼうりょく を受 う けた。後 のち に振 ふ り返 かえ ったところでは、この時期 じき の体験 たいけん を通 とお して「根深 ねぶか い劣等 れっとう 感 かん 」を植 う え付 つ けられた一方 いっぽう で[13] 、「一目 いちもく 置 お かれるケンカ屋 や 」へと成長 せいちょう したという[13] 。
1957年 ねん にシェーカーハイツ高校 こうこう を卒業 そつぎょう し、ケース・ウェスタン・リザーブ大学 だいがく に進学 しんがく したが、1年 ねん で退学 たいがく した[8] 。その後 ご 海軍 かいぐん に入隊 にゅうたい したが、極度 きょくど の不安 ふあん により審査 しんさ を通過 つうか できず除隊 じょたい し、故郷 こきょう のクリーブランドで低 てい 所得 しょとく の職 しょく を転々 てんてん とした。後 のち にクリーブランドの退役 たいえき 軍人 ぐんじん 局 きょく 病院 びょういん でカルテ整理 せいり 係 がかり の職 しょく に就 つ き、コミック作家 さっか として名声 めいせい を得 え てからもその仕事 しごと を続 つづ けた。2001年 ねん に退職 たいしょく するまで昇進 しょうしん を拒 こば み続 つづ けたという[8] [13] 。
ピーカーは3度 ど 結婚 けっこん している。作家 さっか で教育 きょういく 者 しゃ だったカレン・デラニーとの婚姻 こんいん 関係 かんけい は1960年 ねん から1972年 ねん まで続 つづ いた[14] 。3人 にん 目 め の妻 つま ジョイス・ブラブナー(Joyce Brabner )とは死去 しきょ までの27年 ねん を共 とも に過 す ごした。二人 ふたり は養女 ようじょ ダニエル・バートンとともにオハイオ州 しゅう クリーブランドハイツに居住 きょじゅう していた[15] [16] 。ブラブナーは社会 しゃかい 活動 かつどう 家 か でコミックブック原作 げんさく 者 しゃ としても活動 かつどう している[14] [17] 。ピーカーとブラブナーが共 きょう 作 さく したグラフィックノベル『アワー・キャンサー・イヤー』は、リンパ腫 りんぱしゅ に罹患 りかん したピーカーが苦 くる しい闘病 とうびょう 生活 せいかつ の末 すえ に回復 かいふく する体験 たいけん を描 えが いた作品 さくひん である。
『アメリカン・スプレンダー』 [ 編集 へんしゅう ]
ピーカーが自伝 じでん 的 てき コミックブック シリーズ『アメリカン・スプレンダー』("American Splendor"、「アメリカの輝 かがや き」)を書 か き始 はじ めた契機 けいき はロバート・クラム との交友 こうゆう であった。クラムがクリーブランドに在住 ざいじゅう していた1960年代 ねんだい 半 なか ば、ともにジャズ レコード 愛好 あいこう 家 か であった二人 ふたり は親交 しんこう を結 むす んだ[18] 。クラムのアンダーグラウンド・コミック 作品 さくひん を読 よ んだピーカーはコミックスという表現 ひょうげん 形式 けいしき の可能 かのう 性 せい に気付 きづ いたという。「映画 えいが にできることは何 なん でもコミックスがやってのけられるのがわかった。それで俺 おれ もやりたくなったんだ。」[19] それが実現 じつげん するのには10年 ねん を要 よう した。「10年 ねん くらいはコミックスを作 つく るための理論 りろん 固 かた めをしていた」[20]
1972年 ねん ごろ、ピーカーは何 なん 遍 へん かの作品 さくひん のコマ割 わ りを行 おこな い、棒 ぼう 人間 にんげん の絵 え を描 えが き入 い れて、クラムとロバート・アームストロング (英語 えいご 版 ばん ) に見 み せた。乗 の り気 き になった二人 ふたり は作画 さくが を行 おこな うことを申 もう し出 で た。ピーカーとクラムが制作 せいさく した1ページ作品 さくひん 「クレイジー・エド」("Crazy Ed")はクラムの作品 さくひん 集 しゅう 『ピープルズ・コミックス』("The People's Comics")の裏表紙 うらびょうし を飾 かざ った。これがピーカーのコミックスデビュー作 さく となった。後 のち に『アメリカン・スプレンダー』第 だい 1号 ごう が発行 はっこう されるまで、ピーカーは「クレイジー・エド」をはじめとして様々 さまざま な形式 けいしき でコミック作品 さくひん を発表 はっぴょう した。
「Crazy Ed」、作画 さくが ロバート・クラム 、『The People's Comics』収録 しゅうろく (ゴールデンゲート、1972年 ねん )
「A Mexican Tale」、作画 さくが グレッグ・バジェット (英語 えいご 版 ばん ) 、『Flaming Baloney X』収録 しゅうろく (プロパガンダ、1975年 ねん ごろ)
「It Pays to Advertise」「Ain' It the Truth」「The Boys on the Corner: A Good Shit Is Best」、作画 さくが ウィリー・マーフィー (英語 えいご 版 ばん ) 、『Flamed-out Funnies』第 だい 1号 ごう 収録 しゅうろく (リップオフ・プレス、1975年 ねん 8月 がつ )
「The Kinsman Cowboys: How'd Ya Get Inta This Bizness Ennyway?」、作画 さくが グレッグ・バジェットとゲーリー・ダム (英語 えいご 版 ばん ) 、『Bizarre Sex』第 だい 4号 ごう 収録 しゅうろく (キッチンシンク・プレス (英語 えいご 版 ばん ) 、1975年 ねん 10月 がつ )
「Famous Street Fights: The Champ」、作画 さくが ロバート・アームストロング、『コミックス・ブック (英語 えいご 版 ばん ) 』第 だい 4号 ごう 収録 しゅうろく (キッチンシンク・プレス、1976年 ねん 2月 がつ )
「Don't Rain on My Parade」、ロバート・アームストロング、『Snarf』第 だい 6号 ごう 収録 しゅうろく (キッチンシンク・プレス、1976年 ねん 2月 がつ )
1976年 ねん 5月 がつ には自費 じひ 出版 しゅっぱん によるコミックブックシリーズ『アメリカン・スプレンダー』第 だい 1号 ごう が発行 はっこう された。アーティストとしてクラム、ダム、バジェット、ブライアン・ブラム (英語 えいご 版 ばん ) が制作 せいさく に参加 さんか した。故郷 こきょう クリーブランドの高齢 こうれい 化 か が進 すす む区域 くいき に住 す むピーカーの日常 にちじょう を描 えが く作品 さくひん であった。第 だい 1号 ごう は赤字 あかじ であったが、年月 としつき とともに売 う れ行 ゆ きは上 あ がり、90年代 ねんだい の終 お わりには毎号 まいごう 1万 まん 部 ぶ を発行 はっこう するようになった[11] 。
シリーズの作画 さくが を長 なが く務 つと めた著名 ちょめい なアーティストにはクラム、ダム、バジェットのほかスペイン・ロドリゲス (英語 えいご 版 ばん ) 、ジョー・ザベル (英語 えいご 版 ばん ) 、ゲリー・シャムレー (英語 えいご 版 ばん ) 、フランク・スタック (英語 えいご 版 ばん ) 、マーク・ジンガレッリ、ジョー・サッコ がいる。2000年代 ねんだい にはディーン・ハスピエル (英語 えいご 版 ばん ) とジョシュ・ニューフェルド (英語 えいご 版 ばん ) がレギュラーとして作画 さくが を担当 たんとう した。このほかにピーカーと共 とも 作 さく したアーティストには、ジム・ウッドリング (英語 えいご 版 ばん ) 、チェスター・ブラウン (英語 えいご 版 ばん ) 、アリソン・ベクデル (英語 えいご 版 ばん ) 、ギルバート・ヘルナンデス (英語 えいご 版 ばん ) 、エディー・キャンベル (英語 えいご 版 ばん ) 、デヴィッド・コリアー (英語 えいご 版 ばん ) 、ドリュー・フリードマン (英語 えいご 版 ばん ) 、ホー・チェ・アンダーソン (英語 えいご 版 ばん ) 、リック・ギアリー (英語 えいご 版 ばん ) 、エド・ピスカー (英語 えいご 版 ばん ) 、ハント・エマーソン (英語 えいご 版 ばん ) 、ボブ・フィンガーマン (英語 えいご 版 ばん ) 、ブライアン・ブラム、アレックス・バルトがいる。そのほか、ピーカーの妻 つま ジョイス・ブラブナーやコミック原作 げんさく 者 しゃ アラン・ムーア など、職業 しょくぎょう 的 てき なアーティスト以外 いがい の人物 じんぶつ も作画 さくが を担当 たんとう している。
『アメリカン・スプレンダー』コミックブックシリーズに書 か かれた作品 さくひん は数 すう 多 おお くの作品 さくひん 集 しゅう やアンソロジーに収録 しゅうろく されている。
映画 えいが 版 ばん 『アメリカン・スプレンダー』以降 いこう [ 編集 へんしゅう ]
2003年 ねん 、『アメリカン・スプレンダー』を原作 げんさく とする同 どう 題 だい の映画 えいが が公開 こうかい された[21] 。監督 かんとく はロバート・プルチーニ (英語 えいご 版 ばん ) とシャリ・スプリンガー・バーマン (英語 えいご 版 ばん ) 、ピーカー役 やく を主演 しゅえん したのはポール・ジアマッティ である。ピーカー自身 じしん と妻 つま ブラブナーもゲスト出演 しゅつえん した。ピーカーは『アメリカン・スプレンダー: アワー・ムービー・イヤー』で映画 えいが の公開 こうかい による生活 せいかつ の変化 へんか を描 えが いた。
2006年 ねん 、DCコミックス のインプリント であるヴァーティゴ (英語 えいご 版 ばん ) から全 ぜん 4号 ごう の『アメリカン・スプレンダー』ミニシリーズが発行 はっこう され、ペーパーバック本 ほん 『アメリカン・スプレンダー: アナザーデイ』にまとめられた[22] 。2008年 ねん には同 おな じくヴァーティゴから『アメリカン・スプレンダー』の「第 だい 2シーズン」と単行 たんこう 本 ほん 『アメリカン・スプレンダー: アナザーダラー』が発行 はっこう された。
これらの自伝 じでん 的 てき 作品 さくひん に加 くわ え、ピーカーは多数 たすう の伝記 でんき を書 か いている。最初 さいしょ の伝記 でんき 作品 さくひん 『アメリカン・スプレンダー: アンサング・ヒーロー』(2003年 ねん )は、退役 たいえき 軍人 ぐんじん 局 きょく 病院 びょういん で共 とも に働 はたら くアフリカ系 けい の同僚 どうりょう 、ロバート・マクニールのベトナム戦争 せんそう 体験 たいけん を題材 だいざい にしたものである。
その他 た のコミック作品 さくひん [ 編集 へんしゅう ]
WonderCon (英語 えいご 版 ばん ) 2005(サンフランシスコ)を訪 おとず れたハービー・ピーカー。
2005年 ねん 10月 がつ 5日 にち 、DCコミックスのインプリントであるヴァーティゴからハードカバーでピーターの自伝 じでん 『ザ・クイッター』("The Quitter"、「腰抜 こしぬ け」)が刊行 かんこう された。作画 さくが はディーン・ハスピールが担当 たんとう した。同 どう 作 さく はピーカーの青年 せいねん 時代 じだい を詳細 しょうさい に描 えが いた作品 さくひん である。
2006年 ねん 、OverheardinNewYork.comを立 た ち上 あ げた作家 さっか マイケル・マリスの伝記 でんき 、『エゴ&ハブリス: ザ・マイケル・マリス・ストーリー』がバランタイン社 しゃ (英語 えいご 版 ばん ) (ランダムハウス 傘下 さんか )から出版 しゅっぱん された[23] 。
ピーカーは『ベストアメリカンコミックス2006』に最初 さいしょ のゲスト編集 へんしゅう 者 しゃ として参加 さんか した。同書 どうしょ はホートン・ミフリン (英語 えいご 版 ばん ) が刊行 かんこう するベストアメリカンシリーズで初 はじ めてのコミックス作品 さくひん 集 しゅう である。
2007年 ねん 6月 がつ 、大学生 だいがくせい のヘザー・ロバーソンおよびアーティストのエド・ピスカーとの共 とも 作 さく で『マケドニア (英語 えいご 版 ばん ) 』を刊行 かんこう した。同 どう 作 さく はロバーソンのマケドニア 研究 けんきゅう に基 もと づいている[24] [25] 。
2008年 ねん 1月 がつ 、新作 しんさく の伝記 でんき 『スチューデンツ・フォー・ア・デモクラティック・ソサエティ: ア・グラフィック・ヒストリー』をヒル&ワン (英語 えいご 版 ばん ) から刊行 かんこう した。
2009年 ねん 3月 がつ 、エド・ピスカーのアートで『ザ・ビーツ』("The Beats")を刊行 かんこう し、ジャック・ケルアック やアレン・ギンズバーグ などビート・ジェネレーション の歴史 れきし を描 えが いた[26] 。2009年 ねん 5月 がつ にはスタッズ・ターケル (英語 えいご 版 ばん ) の『Working』(邦訳 ほうやく 『仕事 しごと (ワーキング)!』1983年刊 ねんかん )の漫画 まんが 化 か 『Studs Terkel's Working: A Graphic Adaptation』が刊行 かんこう された。
2009年 ねん からは『スミス』誌 し のウェブサイト上 じょう でウェブコミック シリーズ『ザ・ピーカー・プロジェクト』を連載 れんさい した[27] 。
2011年 ねん にはイディッシュ語 ご とイディッシュ文化 ぶんか を多面 ためん 的 てき に描 えが いたアンソロジー『Yiddishkeit』がピーカー、ポール・バエレ (英語 えいご 版 ばん ) 、ハーシェル・ハートマンの共同 きょうどう 編集 へんしゅう でアブラムス・コミカーツから刊行 かんこう された。同書 どうしょ には過去 かこ にピーカーと共 とも 作 さく したアーティストが多数 たすう 参加 さんか した。
芸能 げいのう 、評論 ひょうろん 、その他 た の活動 かつどう [ 編集 へんしゅう ]
コミック作品 さくひん の成功 せいこう を受 う けて、1986年 ねん 10月 がつ 15日 にち に『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』にゲストとして招 まね かれた。それ以後 いご もたびたび同 どう 番組 ばんぐみ に出演 しゅつえん し、短期間 たんきかん に5回 かい の再 さい 登場 とうじょう を果 は たした。ピーカーとレターマン との口論 こうろん は人気 にんき を集 あつ め、特 とく にゼネラル・エレクトリック 社 しゃ によるNBC 経営 けいえい 権 けん の取得 しゅとく を巡 めぐ る論争 ろんそう は評判 ひょうばん となった。中 なか でも白熱 はくねつ した1988年 ねん 8月 がつ 31日 にち 放映 ほうえい 回 かい では、ピーカーがレターマンをGE社 しゃ の宣伝 せんでん マン のようだと罵 ののし ったのに対 たい し、レターマンはピーカーが子供 こども だましの読 よ み物 もの を宣伝 せんでん に来 き たと応酬 おうしゅう し、二度 にど と出演 しゅつえん させないと宣言 せんげん した[4] 。しかし、1993年 ねん 4月 がつ 20日 はつか 放映 ほうえい 回 かい でピーカーは同 どう 番組 ばんぐみ に復帰 ふっき し、1994年 ねん には『レイト・ショー・ウィズ・デイヴィッド・レターマン 』にも登場 とうじょう した[28] 。
ピーカーは熱心 ねっしん なレコード・コレクター であり、20歳 さい ごろからフリーランスでジャズの批評 ひひょう を行 おこな っていた[11] 。批評 ひひょう 家 か としてはジャズ黄金 おうごん 時代 じだい の著名 ちょめい なプレイヤーを専門 せんもん としていたが、メインストリームから外 はず れたバース(Birth)、スコット・フィールズ (英語 えいご 版 ばん ) 、フレッド・フリス 、ジョー・マネリ のようなアーティストの擁護 ようご 者 しゃ でもあった。1990年代 ねんだい の初 はじ めには、『ロサンゼルス・リーダー』、『ザ・レビュー・オブ・コンテンポラリー・フィクション』、『ウッドワード・レビュー』のような定期 ていき 刊行 かんこう 物 ぶつ で文学 ぶんがく 批評 ひひょう を行 おこな った[要 よう 出典 しゅってん ] 。公共 こうきょう ラジオで放送 ほうそう された随筆 ずいひつ によって賞 しょう を受 う けたこともある。また2000年 ねん にはアラン・ツヴァイク (英語 えいご 版 ばん ) によるレコード収集 しゅうしゅう についてのドキュメンタリー映画 えいが 『ビニール (英語 えいご 版 ばん ) 』に出演 しゅつえん した[29] 。2007年 ねん 8月 がつ には、アンソニー・ボーディン の番組 ばんぐみ 『アンソニー世界 せかい を喰 く らう 』のクリーブランドを紹介 しょうかい する回 かい でピーカーが取 と り上 あ げられた[30] 。
2009年 ねん 、ジャズオペラ『Leave Me Alone!』のリブレット を書 か くことで演劇 えんげき 界 かい へのデビューを果 は たした。同 どう 作 さく はダン・プロンジー (英語 えいご 版 ばん ) の音楽 おんがく が主体 しゅたい となっており、リアルタイムオペラとオーバリン大学 だいがく の共同 きょうどう プロデュースにより2009年 ねん 1月 がつ 31日 にち からフィニー礼拝 れいはい 堂 どう で上演 じょうえん された[31] 。
2009年 ねん 、『ボーン (英語 えいご 版 ばん ) 』の作者 さくしゃ ジェフ・スミス (英語 えいご 版 ばん ) の人生 じんせい と作品 さくひん を題材 だいざい としたドキュメンタリー映画 えいが 『ザ・カートゥーニスト』に出演 しゅつえん した[32] 。
死去 しきょ とその後 ご の刊行 かんこう 物 ぶつ [ 編集 へんしゅう ]
2010年 ねん 7月 がつ 12日 にち 、午後 ごご 一 いち 時 じ を回 まわ ったころ、オハイオ州 しゅう クリーブランド・ハイツの自宅 じたく でピーカーが死亡 しぼう しているのが妻 つま ブラブナーによって発見 はっけん された[8] 。死因 しいん はすぐには明 あき らかにならなかったが[13] 、10月になってカヤホガ郡 ぐん 検視 けんし 局 きょく が過失 かしつ による抗 こう うつ剤 ざい フルオキセチン とブプロピオン の過剰 かじょう 摂取 せっしゅ だと判断 はんだん を下 くだ した[33] 。ピーカーは3度目 どめ のガン宣告 せんこく を受 う けており、治療 ちりょう が始 はじ まるところだった[8] 。ブラブナーによると、ピーカーは前立腺 ぜんりつせん ガンのほか、気管支 きかんし 喘息 ぜんそく 、高血圧 こうけつあつ 、抑 そもそも うつに苦 くる しんでいた[13] 。墓石 はかいし には生前 せいぜん の発言 はつげん が墓碑銘 ぼひめい として刻 きざ まれた。"Life is about women, gigs, an' bein' creative."(人生 じんせい で大事 だいじ なのは、女 おんな 、ギグ 、それとクリエイティブであることだ。)[34]
その後 ご も遺 のこ された作品 さくひん の刊行 かんこう は続 つづ いている。『ハービー・ピーカーズ・クリーブランド』("Harvey Pekar's Cleveland"、トップシェルフ (英語 えいご 版 ばん ) 社 しゃ 、2012年 ねん )はピーカーの死亡 しぼう 時 じ にジョセフ・レムナントによって作画 さくが 作業 さぎょう が進 すす められていたものである[35] 。
ジョイス・ブラブナーとの共 とも 作 さく 『The Big Book Of Marriage』および『Harvey and Joyce Plumb the Depths of Depression』、またピーカー・プロジェクトの下 した で発表 はっぴょう されたウェブコミックス作品 さくひん にも出版 しゅっぱん 計画 けいかく がある[17] [36] 。さらにピーカーは生前 せいぜん 、アーティストのサマー・マクリントンとともに、アメリカ人 じん のマルクス主義 まるくすしゅぎ 者 しゃ ルイス・プロイェクト(Louis Proyect)についての本 ほん を完成 かんせい させていた。同書 どうしょ はプロイェクトが運営 うんえい するブログと同 おな じ『ザ・アンリペンタント・マルクシスト』という仮題 かだい を与 あた えられていた。制作 せいさく 作業 さぎょう は2008年 ねん に始 はじ まっており、ランダムハウス 社 しゃ から刊行 かんこう される予定 よてい であったが、ブラブナーがプロイェクトとの間 あいだ に諍 いさか いを起 お こし、同書 どうしょ の出版 しゅっぱん を取 と り下 さ げると宣告 せんこく した[37] 。2014年 ねん 4月 がつ 現在 げんざい 、これらの四 よん 冊 さつ の本 ほん は未 いま だに世 よ に出 で ていない。
2010年 ねん 12月、ピーカーの遺稿 いこう 「ハービー・ピーカー・ミーツ・ザ・シング」がマーベル・コミック のアンソロジー『ストレンジ・テールス II (英語 えいご 版 ばん ) 』に収録 しゅうろく された。同 どう 作 さく でピーカーはスーパーヒーロー のザ・シング と会話 かいわ を交 か わす。作画 さくが はタイ・テンプルトン (英語 えいご 版 ばん ) が担当 たんとう した[38] 。
2012年 ねん 10月 がつ 、クリーブランドハイツ-ユニバーシティハイツ図書館 としょかん にピーカーの彫像 ちょうぞう が建立 こんりゅう された。ピーカーはこの図書館 としょかん にほぼ毎日 まいにち 通 かよ っていたという[39] [40] 。
「私 わたし が思 おも うに、『アメリカン・スプレンダー』についてもっとも重要 じゅうよう なことは、どれだけ巻 まき を重 かさ ねようと変 か わらない。コミックスが発展 はってん 途上 とじょう だったころ、[その可能 かのう 性 せい を ] あれこれ言 い うやつはいても、本当 ほんとう にやろうとしたやつはほとんどいなかったということだ。
70年代 ねんだい の終 お わりから80年代 ねんだい の初 はじ めには、コミックスは大人 おとな のためのメディアにおさまりかえっていた。[中略 ちゅうりゃく ] しかしそれ以前 いぜん のコミックスは薄 うす っぺらなものでしかなかった。パワー・ファンタジーだな、14歳 さい の男 おとこ の子 こ の。それと、19歳 さい の若者 わかもの の、おっぱいとドラッグが入 い り乱 みだ れるファンタジーだ。[中略 ちゅうりゃく ]
コミックスがどこまで素晴 すば らしいものになれるか、ハービーは限界 げんかい などないと信 しん じていた。心 しん が揺 ゆ さぶられる瞬間 しゅんかん 、心 しん が張 は り裂 さ けそうな瞬間 しゅんかん 、小 ちい さくても驚嘆 きょうたん に満 み ちた瞬間 しゅんかん を積 つ み重 かさ ねて人生 じんせい の年代 ねんだい 記 き を綴 つづ る…
そしてもっとも重要 じゅうよう なのは、ハービーがそれをやり遂 と げたということなんだ」
—ニール・ゲイマン [41]
「クリーブランドの桂冠詩人 けいかんしじん 」「ラストベルト の吟遊詩人 ぎんゆうしじん 」と呼 よ ばれ[2] [3] [4] [5] 、「グラフィックノベル の――あるいは絵 え によるメモワール の、もしくは自伝 じでん 的 てき なコミック表現 ひょうげん の――鑑賞 かんしょう と認識 にんしき のされ方 かた を変 か えるのに貢献 こうけん した」[6] と評 ひょう される。
『アメリカン・スプレンダー』は「コミックスの歴史 れきし の中 なか で、もっとも訴 うった えかける力 ちから を持 も ち、もっとも革新 かくしん 的 てき なシリーズの一 ひと つであり続 つづ けている」とされる[42] 。さらにピーカーは「コミックブック形式 けいしき のメモワール(回想 かいそう 録 ろく )」を初 はじ めて世 よ に広 ひろ めた作家 さっか でもある[43] 。スコット・マクラウド は、一般 いっぱん 市民 しみん の日常 にちじょう を真摯 しんし に描 えが く80年代 ねんだい 以降 いこう の自伝 じでん 的 てき コミックスと、それ以前 いぜん のアンダーグラウンド・コミックスとをつなぐ存在 そんざい が『アメリカン・スプレンダー』だと評価 ひょうか している[6] 。現在 げんざい ではブログやソーシャルメディア、あるいはグラフィックノベルの形 かたち で自分 じぶん の人生 じんせい について表現 ひょうげん することは一般 いっぱん 化 か したが、「それが当 あ たり前 まえ のことになる以前 いぜん の70年代 ねんだい 半 なか ばに、ハービー・ピーカーはそのすべてをやってしまった」[43] 。
最初 さいしょ に刊行 かんこう された『アメリカン・スプレンダー』書籍 しょせき の序文 じょぶん でロバート・クラムはピーカーとの交友 こうゆう について述 の べ、「典型 てんけい 的 てき な自己 じこ 中心 ちゅうしん 主義 しゅぎ 者 しゃ 。何 なに かに駆 か り立 た てられ、取 と りつかれたような、クレイジーなユダヤ人 じん だ。」と評 ひょう した。さらに、一切 いっさい の装飾 そうしょく や作為 さくい を排 はい して「現実 げんじつ に起 お こったことをありのままに伝 つた える」ことを貫徹 かんてつ する意志 いし の強 つよ さを称賛 しょうさん した[44] 。
自 みずか ら「いつも称賛 しょうさん と注目 ちゅうもく を求 もと めている、正直 しょうじき に言 い うと」「自分 じぶん がジャズ評論 ひょうろん 家 か でいることに満足 まんぞく できなかった。俺 おれ が他人 たにん のことを書 か くのではなく、他人 たにん に俺 おれ のことを書 か いて欲 ほ しかったんだ」と述 の べる[13] 一方 いっぽう で、テレビ出演 しゅつえん やタレント活動 かつどう には興味 きょうみ を持 も っていなかった[4] 。ブラブナーによると、トークショーで舌戦 ぜっせん を繰 く り広 ひろ げたデイヴィッド・レターマン に対 たい しては、クリエイティブな自由 じゆう のないテレビ界 かい で才能 さいのう を無駄 むだ にしていると感 かん じていたという[4] 。
幼少 ようしょう 期 き に読 よ んだコミックブックの中 なか では、『プラスチックマン 』や『ザ・スピリット (英語 えいご 版 ばん ) 』、『キャプテン・マーベル 』のようにヒーローものでもユーモアのあるものや、カール・バークス による『ドナルドダック 』が好 す きだったという。しかし、自身 じしん の創作 そうさく への影響 えいきょう としては、コミックブックよりも『リトル・ルル 』や『アウト・アワー・ウェイ (英語 えいご 版 ばん ) 』のような日常 にちじょう を題材 だいざい としたコミック・ストリップ の存在 そんざい が大 おお きかった[45] 。
小説 しょうせつ に関 かん しては、『ユリシーズ 』の内的 ないてき 独白 どくはく から多大 ただい な影響 えいきょう を受 う けたという。またヘンリー・ミラー の文体 ぶんたい や、ジョージ・エイド (英語 えいご 版 ばん ) の日常 にちじょう 生活 せいかつ の細部 さいぶ への注視 ちゅうし に惹 ひ かれると述 の べている[45] 。
American Splendor: The Life and Times of Harvey Pekar (Doubleday, 1986)
More American Splendor (Doubleday, 1987) ISBN 0-385-24073-2
The New American Splendor Anthology (Four Walls Eight Windows , 1991) ISBN 0-941423-64-6
Our Cancer Year , with Joyce Brabner and Frank Stack (Four Walls Eight Windows, 1994) ISBN 1-56858-011-8
American Splendor Presents: Bob & Harv's Comics , with R. Crumb (Four Walls Eight Windows, 1996) ISBN 1-56858-101-7
American Splendor: Unsung Hero , with David Collier (Dark Horse, 2003) ISBN 1-59307-040-3
American Splendor: Our Movie Year (Ballantine Books, 2004) ISBN 0-345-47937-8
Best of American Splendor (Ballantine Books, 2005) ISBN 0-345-47938-6
The Quitter , with Dean Haspiel (DC/Vertigo, 2005) ISBN 1-4012-0399-X
Ego & Hubris: The Michael Malice Story , with Gary Dumm (Ballantine Books, 2006) ISBN 0-345-47939-4
Macedonia , with Heather Roberson and Ed Piskor (Ballantine Books, 2006) ISBN 0-345-49899-2
American Splendor: Another Day (DC/Vertigo, 2007) ISBN 978-1-4012-1235-3
Students for a Democratic Society: A Graphic History (Hill and Wang, 2008) ISBN 978-0-8090-9539-1
American Splendor: Another Dollar (2009) ISBN 978-1-4012-2173-7
The Beats (2009) ISBN 978-0-285-63858-7
Studs Terkel 's Working : A Graphic Adaptation (2009) ISBN 978-1-59558-321-5
Circus Parade by Jim Tully. Foreword by Harvey Pekar. Introduction by Paul J. Bauer and Mark Dawidziak. (Kent State Univ. Press, 2009) 978-1-60635-001-0
Huntington, West Virginia "On the Fly" (2011) ISBN 978-0-345-49941-7
Yiddishkeit: Jewish Vernacular and the New Land , with Paul Buhle (2011) ISBN 978-0-8109-9749-3
Not the Israel My Parents Promised Me , with JT Waldman. Epilogue by Joyce Brabner. (2012) ISBN 978-0-8090-9482-0
Harvey Pekar's Cleveland , illustrated by Joseph Remnant. Introduction by Alan Moore. Edited by Jeff Newelt (2012) ISBN 978-1-60309-091-9
『アメリカン・スプレンダー』、明 あきら 浦 うら 綾子 あやこ ほか(訳 わけ )、ロバート・クラム(序文 じょぶん )、ブルース・インターアクションズ(2004年 ねん )。ISBN 4-86020-099-3
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^ ロバート・クラム 著 ちょ 、明 あきら 浦 うら 綾子 あやこ ほか 訳 やく 「まずはじめに」『アメリカン・スプレンダー』ブルース・インターアクションズ、2004年 ねん 。ISBN 4860200993 。
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