ワカン・タンカ

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ワカンタンカから転送てんそう

ワカン・タンカWakan Tanka)は、アメリカ・インディアンスーぞくにとっての創造そうぞうぬし宇宙うちゅう真理しんりおおいなる神秘しんぴのこと。アメリカインディアンの哲学てつがくでは、このことどもすべては「おおいなる神秘しんぴ」が創造そうぞうしたものであり、この中心ちゅうしんには創造そうぞうぬしである「おおいなる神秘しんぴ」が存在そんざいしているとかんがえる。このかく部族ぶぞく言語げんごによってちがっており、スーぞく場合ばあいは「ワカン・タンカ」となり、そのまま「おおいなる神秘しんぴ」という意味いみである。

ラコタスーぞくつたえる伝承でんしょうでは、スーぞくにワカン・タンカの存在そんざいおしえたのは、太古たいこむかしえたかれらをすくった「プテ・サン・ウィン」(しろいバッファローのうしおんな)である。「バッファローのくに」からやってきたこの乙女おとめはスーぞくにワカン・タンカのみちかれらにつたえ、それが「ツンカシラ(祖父そふなる精神せいしん)」につながるみちでもあるとおしえた。せいなるパイプであるチャヌンパ使つかってワカン・タンカにいの方法ほうほう、ワカン・タンカにささげるせいなるうた儀式ぎしきささげもの、これらすべてをラコタ・スーぞくおしえたのもプテ・サン・ウィンだという。また、プテ・サン・ウィンがったのちにやってきたよんにん酋長しゅうちょうたちは、「ワカン・タンカは、大地だいちつきあいだただよっており、この世界せかいほし世界せかいあいだにはなに存在そんざいしていない」とスーぞくおしえたという[1]

宇宙うちゅう真理しんり[編集へんしゅう]

ワカン・タンカをはじめ、「おおいなる神秘しんぴ」はしばしば英語えいごで「グレート・スピリット」(だい精神せいしん)だとか「かみ」であると説明せつめいされるが、実際じっさいにはこの「おおいなる神秘しんぴ」の概念がいねんは「宇宙うちゅう根本こんぽん原理げんり」であり、キリストきょうのような人格じんかくされた存在そんざいではなく、偶像ぐうぞう存在そんざいしない。スーぞくのろターカ・イシテ(レイムディアー)は、ワカン・タンカについて、「ひとつのちから」であり、「ひげやした老人ろうじんであるとか、そういうひと姿すがたをしたような存在そんざいではけっしてない」とべている。ワカン・タンカは、こののありとあらゆるものに宿やどっている。

宇宙うちゅう真理しんり」、「創造そうぞうぬし」である「ワカン・タンカ」にははじまりもわりもなく、この「おおいなる神秘しんぴ」のもとで「ふたあしあしも、いしくさも」すべてが平等びょうどうである。インディアンの精神せいしん世界せかいでは、人間にんげん以外いがいのものをさいも、「くまのひとたち」、「いしのひとたち」、「とりのひとたち」といったふうにばれ、人間にんげん人間にんげん以外いがいのものもはっきりと区別くべつされない。スーぞくでは「イクトミ」をはじめ、様々さまざま精神せいしん信仰しんこうされているが、これらもすべて人間にんげんとともに「ワカン・タンカ」のもとにある、インディアンの兄弟きょうだい姉妹しまいなのである。インディアンの社会しゃかいには「上司じょうし」や「部下ぶか」、「上意下達じょういかたつ」といった、上下じょうげ関係かんけいというものがい。すべてのことどもは「おおいなる神秘しんぴ」のもとに平等びょうどうであり、尊重そんちょうされるべき存在そんざいだからである。

ワカン・タンカ(おおいなる神秘しんぴ)のもとではすべてが平等びょうどう存在そんざいであり、キリストきょうかみであっても、インディアンと対等たいとう存在そんざいとなる。19世紀せいきのインディアンがのこした言葉ことばに、つぎのようなものがある。「白人はくじん教会きょうかいでイエスについてはなすが、我々われわれインディアンはティーピーでイエスとはなしをするのだ」。 一神教いっしんきょうであるキリスト教きりすときょうも、「宇宙うちゅう真理しんり」のひとつとかんがえるため、インディアンにとっては矛盾むじゅんなく古来こらい信仰しんこう両立りょうりつするのである[2]ぎゃくキリスト教きりすときょうしゃにしてみると、「おおいなる神秘しんぴ」は「イエスより至上しじょう存在そんざい」とうつるため、インディアンたちは白人はくじんから「インディアンはかみたない野蛮やばんじんだ」との宗教しゅうきょうてき迫害はくがいつねさらされつづけている[3]

スーぞくはじめ、インディアンはこの「おおいなる神秘しんぴ」ののままにかされている、とかんがえる。よって、「おおいなる神秘しんぴ」のもとに「すべてがつながっており、すべては共有きょうゆうされる」とかんがえるインディアンにとってそのさからう「我欲がよく」や「欲望よくぼう」、「独占どくせん」は軽蔑けいべつされる。 インディアンの社会しゃかいでは現在げんざいでも身内みうちくなれば家財かざい一切いっさいを、おもわぬ収入しゅうにゅうがあればこれを「ギブアウェイ」(スーぞく言葉ことばでは「オトハン」)として放出ほうしゅつする。 「とみむこと」は、インディアンの社会しゃかいではずべきこととされる。

ワカン・タンカにささげる最大さいだい儀式ぎしきが、夏至げしのころにおこなわれる「サンダンスの儀式ぎしき」である。レイムディアーはこの儀式ぎしきでの苦行くぎょうについてこう説明せつめいしている。

「この世界せかいにあるものすべてはワカン・タンカが創造そうぞうしたものであり、ありとあらゆるものはすでにワカン・タンカのもとにある。だから人間にんげんにしてみれば、たったひとつ自分じぶんだけのものであるこの身体しんたいを、気前きまえよく生贄いけにえとしてワカン・タンカにささげてみせる。それがサンダンスの儀式ぎしきなのだ」

チャヌンパ[編集へんしゅう]

「ワカン・タンカ」は、つねにスーぞくつながり、くものであるから、スーぞく部族ぶぞく平和へいわ発展はってんいのって、ことあるごとに、つねいのりをささげる。レイムディアーはこうべている。

白人はくじんキリスト教きりすときょう日曜日にちようび教会きょうかいっていのればおしまいだ。我々われわれインディアンの宗教しゅうきょうはフルタイムでいのりをささげるものなのだ」

インディアンはせいなるパイプ使つかって「おおいなる神秘しんぴ」にいのりをささげる。スーぞく言葉ことばでは、せいなるパイプは「チャヌンパ」とばれる。スーぞくをはじめ、すべてを「おおいなる神秘しんぴ」のもとにあるとかんがえるインディアンの社会しゃかいは、この「せいなるパイプ」による儀式ぎしき中心ちゅうしんとした合議ごうぎせい運営うんえいされる。だれ個人こじんが「指導しどうしゃ」なり「司令しれいかん」となって、部族ぶぞくみんを「統率とうそつする」といったシステムをとらない。すべては「おおいなる神秘しんぴ」ののもとにあるからである。インディアンの社会しゃかいに「おう」や「王族おうぞく」、「個人こじん権力けんりょくしゃ」は存在そんざいしない[4]

チャヌンパをまわみしたときのちかいの重要じゅうようせいは、部族ぶぞくおなじく絶対ぜったいのものである。それは「創造そうぞうぬしワカン・タンカにチャヌンパとけむりつうじてちかいをわす」ということだからである。もし、ワカン・タンカとのちかいをやぶるものがあれば、そのものはかみなりけてぬとわれる。

稲妻いなづま[編集へんしゅう]

おおいなる神秘しんぴワカン・タンカは、稲妻いなづま(トンワン)を地上ちじょうにもたらし、スーぞくだい平原へいげんつ。ワカン・タンカはかつて暗黒あんこくつつまれていた大地だいち最初さいしょひかりめぐみのひらめきをもたらした。この稲妻いなづま轟音ごうおんは、スーぞくでは人間にんげん最初さいしょ言葉ことばとなったとつたえられている。

東西とうざい南北なんぼくそらにそれぞれよんたいむという稲妻いなづま化身けしんワキンヤン」(サンダーバード)は、ワカン・タンカの一部いちぶである。めぐみであり、また破壊はかいしゃでもある稲妻いなづま善悪ぜんあくあわ偉大いだいちからであり、ワカン・タンカの象徴しょうちょうである。稲妻いなづまはワカン・タンカの一部いちぶであるから、スーぞく稲妻いなづまにかけてちかった言葉ことば裏切うらぎることはできない。これをやぶれば、チャヌンパでのちかいと同様どうように、稲妻いなづまによってぬことになるという。

もしスーぞくがワカン・タンカの象徴しょうちょうでありワキンヤンであるかみなりゆめ場合ばあい、それはワカン・タンカのゆめらせであり、そのスーぞくはワカン・タンカのうべく、すべての言動げんどうさかさまにえんじる「ヘヨカ」(一種いっしゅ道化どうけ)にならなければならない。そのさいゆめたことを、それがどんなにずかしいことでも大衆たいしゅう面前めんぜん実演じつえんしてせなくてはならない。そうしないと夕暮ゆうぐれまでに稲妻いなづまけることになるのだという。かみなりのビジョンをけたヘヨカ人間にんげんは、ワカン・タンカにささげる儀式ぎしき重要じゅうよう道化どうけでもある。

スウェット・ロッジ[編集へんしゅう]

ワカン・タンカは、よごれた人間にんげん儀式ぎしきくわわることをきらう。このため、スーぞくはあらゆる儀式ぎしきまえに、スウェット・ロッジ(イニピガーカ)の儀式ぎしきおこない、からだきよめなければならない。スウェット・ロッジの構造こうぞうも、ワカン・タンカにつながる象徴しょうちょうちている。

また「いし」(インヤン)はツンカシラ、そしてワカン・タンカの知恵ちえたくわえるものとされる。ことに「まるいし」は「はじまりもわりもない」というワカン・タンカの真理しんりつながるものとして神聖しんせいされ、スウェット・ロッジの儀式ぎしきではせき使つかわれる。

このスウェット・ロッジでの「発汗はっかん儀式ぎしき」では、参加さんかしゃは「我欲がよく」をワカン・タンカにさなくてはならない。欲望よくぼうることがワカン・タンカのであり、ビジョン(啓示けいじ)はそうすることで参加さんかしゃあたえられるのである。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 『Crow Dog: Four Generations of Sioux Medicine Men』(Crow Dog, Leonard and Richard Erdoes,New York: HarperCollins. 1995)
  2. ^ 『イーグルにけ』(衛藤えとう信之のぶゆき飛鳥新社あすかしんしゃ、2003ねん
  3. ^ 『Ojibwa Warrior: Dennis Banks and the Rise of the American Indian Movement』(Dennis Banks,Richard Eadoes,University of Oklahoma Press.2004ねん
  4. ^ 『AMERICAN INDIANS: Stereotypes & Realities』(Devon A. Mihesuah 、Clarity Press, Inc.; First Edition edition (2009)

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 『Lame Deer Seeker of Visions. Simon and Schuster』(Lame Deer, John (Fire) and Richard Erdoes. New York, New York, 1972)