(Translated by https://www.hiragana.jp/)
ヴァイキング船 - Wikipedia コンテンツにスキップ

ヴァイキングせん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
絵画かいがえがかれたヴァイキングせん

ヴァイキングせん(ヴァイキングせん)は、ヴァイキング時代ときよヴァイキングによってつくられ使用しようされた、独特どくとく形状けいじょうったふね呼称こしょうである。

ヴァイキングせん目的もくてきおうじて様々さまざま形状けいじょうつが、一般いっぱんりょうはし前後ぜんご対称たいしょうがたである。また細長ほそながくしなやかなふねで、まっすぐな竜骨りゅうこつをもっていた。ヴァイキングせんは、よろい英語えいごばんばれる頑丈がんじょうなオークざいいたかさりする工法こうほうもちいてつくられる。りゅうあたまったものや、船首せんしゅ船尾せんびからはみだしたまる部位ぶいをもつものがあるが、これは歴史れきしてき史料しりょうから推測すいそくされるものである。

バルト海ばるとかいや、はらじゅうスカンディナビアからとおくはなれたところからアイスランドフェロー諸島しょとうグリーンランドニューファンドランドとう地中海ちちゅうかい黒海こっかいアフリカにいたるまで活動かつどうした。

発展はってん[編集へんしゅう]

ヴァイキングせんなに世紀せいきものあいだスカンディナヴィア文化ぶんかのもっとも重要じゅうようなものとして機能きのうした。実際じっさい、ヴァイキングせん実践じっせんてきかつ宗教しゅうきょうてき目的もくてき役立やくだったてんでスカンディナヴィアの文化ぶんかふか根付ねついたものだった。スカンディナヴィアは比較的ひかくてきたかやまつらなる森林地帯しんりんちたいで、沿岸えんがんみなと簡単かんたん利用りようできた。その結果けっか貿易ぼうえきルートはおもふねによっておこなわれ、森林地帯しんりんちたいでの貿易ぼうえき危険きけん手間てまがかかるものであった。ヴァイキングのくにはしたがって沿岸えんがんまち進出しんしゅつしていき、すべてのまち生活せいかつ発展はってん北海ほっかいおおいに依存いぞんした。その当時とうじ航路こうろ管理かんりすることはとても大事だいじなことであり、その結果けっか一番いちばん進歩しんぽしていた戦争せんそうよう船舶せんぱくがとても需要じゅようがあった。 実際じっさいせんはとても大事だいじであったため、 ふねちから技術ぎじゅつ象徴しょうちょうになるにつれキリスト教きりすときょうてき信仰しんこうがさかえた地域ちいきにおける中心ちゅうしんとなっていった。西暦せいれき1000ねんごろまで、ヴァイキングの族長ぞくちょう貴族きぞくくなると、かれらをあのおくるため、うつくしくで豪華ごうかふねがともにめられた(ふねそうはか参照さんしょう)。さらにHedeby coinsというデンマークの初期しょき貨幣かへいふね象徴しょうちょうとしてえがかれており、その地域ちいきにおける軍船ぐんせん重要じゅうようせいしめしている。そのような文化ぶんかてき実践じっせんてき重要じゅうようせいつうじて、ヴァイキングせん当時とうじのヨーロッパで強力きょうりょく進化しんかした軍船ぐんせんになっていったのだった[1]

フェーリング[編集へんしゅう]

フェーリング

フェーリング英語えいごばんたず、2くみのオールを天蓋てんがい小型こがたせんで、北西ほくせいスカンディナヴィアにおけるふねづくりの伝統でんとう文化ぶんかなかでよくられるものだった。その起源きげんはヴァイキング時代じだいのスカンディナヴィアにさかのぼる[2]。フェーリング (færing)という呼称こしょうは、ノルウェーで"four-oaring"、つまり4ほんかいぐ、という意味いみである。

クナール[編集へんしゅう]

クナール (Vidfamne、1994ねん)

クナールとは、大西洋たいせいよう航海こうかいのためにつくられたふねすノルウェー言葉ことばである。クナールは貨物かもつ輸送ゆそう目的もくてきとしたふねで、平均へいきんしてながさ54フィート (16 m),はば15フィート (4.6 m), 最大さいだい122トンまではこぶことができる[3]全体ぜんたい排水はいすいりょうは50トン[4]程度ていどである。クナールはなに世紀せいきまえ家畜かちく必需ひつじゅひん北大西洋きたたいせいようからグリーンランドへとはこんでいた。いちにちで75マイル (121 km) 航海こうかいすることが可能かのうで、およそ20から30にん船員せんいんせることができた。 クナールはゴクスタせん代表だいひょうされる比較的ひかくてき小型こがたロングシップ(カーヴ英語えいごばん)よりもなが危険きけん航海こうかい使つかわれた。それはゴクスタせんよりみじか丈夫じょうぶなものであった。それはふね自身じしんちからたよっており、オールはひらけ水域すいいきふうまったくないときに補助ほじょとして使つかった。そのふねコグせんというバルト海ばるとかいのハンザ同盟どうめいによって使つかわれたふね様式ようしきにも影響えいきょうあたえた。

ロングシップ[編集へんしゅう]

ノルウェーオスロヴァイキングせん博物館はくぶつかん展示てんじされているゴクスタせん

ロングシップはスカンディナヴィアやアイスランドからたヴァイキングが、当時とうじ貿易ぼうえき商業しょうぎょう航海こうかい戦争せんそうのためにつくった海軍かいぐんせんであった。ロングシップの様式ようしきなんねんもかけてわっていき、石器せっき時代じだいのウミアクの発明はつめいはじまり、9世紀せいきのニュダムせんとクバルスンせんまでつづいた。ロングシップの完成かんせいがたは9世紀せいきから13世紀せいきあいだにできた。その特徴とくちょう外見がいけん今日きょうまでのスカンディナヴィアのふねつく伝統でんとう反映はんえいされている。ヴァイキングせん平均へいきんスピードはふねによってさまざまであったが、5から10ノットのあいだであり、こう条件下じょうけんかでのロングシップの最大さいだい速度そくどは15ノットであった。

ロングシップの特徴とくちょうとしては、優雅ゆうがで、ながく、ほそつくりで、軽量けいりょうされていて、木製もくせいであり、スピードをせるよう喫水きっすい船体せんたい(ドラフト)をあさくしているところにある。あさ喫水きっすい船体せんたい(ドラフト)は、水深すいしんわずか1メートルの航海こうかい可能かのうとし、海岸かいがん着水ちゃくすいもできた。一方いっぽうかるかったため、れん水運すいうんそうおこなうこともできた。ロングシップはどちらがわ進行しんこう方向ほうこうになりうるふねである、つまり対称たいしょう船首せんしゅ船尾せんびっていたため、旋回せんかいすることなく即座そくざ方向ほうこうえることができた。この特徴とくちょうは、氷山ひょうざんうみごおりのため危険きけん航海こうかいになる北方ほっぽう地域ちいきとく有益ゆうえきなものであることがかった。ロングシップはふねのほぼ全体ぜんたい沿うようにオールがけられていた。かた一本いっぽん帆柱ほばしら長方形ちょうほうけいがあるようになり、それはとくなが航海こうかいにおけるしゅ労力ろうりょくわったりやしたりもした。

ロングシップはおおきさや細部さいぶのつくり、そして威信いしんおおきさによってたくさんのタイプに分類ぶんるいできる。一番いちばん一般いっぱんてき分類ぶんるい方法ほうほうは、 漕艇そうてい位置いちである。ふね種類しゅるいカーヴ英語えいごばんのような13くみのオールをつものからブッセのような34くみのオールをつと推定すいていされるものまでさまざまである。

ロングシップは当時とうじのスカンディナヴィア海軍かいぐんのもつ権力けんりょく象徴しょうちょうであり、とても価値かちある所有しょゆうぶつであった。沿岸えんがん農家のうか所有しょゆうすることもあれば、戦争せんそうのときには海軍かいぐんりょくをつけるため、おうかれらに軍務ぐんむ委任いにんすることがあった。ロングシップはスカンディナヴィアじん戦争せんそう使つかったが、兵士へいしたちはこぶためのものであって、戦闘せんとうかんではなかった。10世紀せいきには、ふね連結れんけつさせ、強固きょうこ歩兵ほへい足場あしばにすることもあった。ヴァイキングのもちいたロングシップはイングランドじんのようなてきからドラゴンせん(ドラッカー)とばれたが[5]、これはりゅうかたちをした船首せんしゅっていたためである。

カーヴ[編集へんしゅう]

カーヴ英語えいごばんはロングシップとしては小型こがたのもので、クナールにたサイズである。カーヴはたたかいと輸送ゆそう両方りょうほう使つかわれ、ひと貨物かもつ家畜かちくはこんだ。非常ひじょうあさうみ航海こうかいすることができたため、沿岸えんがん航行こうこうにも使つかわれた。カーヴはよこおよそ17フィート (5.2 m)のひろいよこはばつ。

オスロヴァイキングせん博物館はくぶつかん展示てんじされているゴクスタせんオーセベリせんトゥーネせんはいずれもカーヴに相当そうとうするふねである。

構造こうぞう[編集へんしゅう]

ヴァイキングせんは、より航行こうこう可能かのう範囲はんいひろかるいというてん当時とうじのほかのふねとはことなっていた。これはクリンカー工法こうほう(よろい英語えいごばん構造こうぞう) を使つかったためであった。ヴァイキングせんつくあつばんおおきくふるとくオークからいたものであった。ふね船体せんたいは1インチ (2.5 cm) うすくでき、のちつかったのこぎりでったあつしいたよりも強固きょうこなものであった[6]

しっかりしたオークのからつくキール船大工ふなだいく錬鉄れんてつリベット座金ざがね使つかってあついた固定こていした。肋材ろくざい船体せんたいのサイドに固定こていされた。あつばんそうべつそうしたかさねられ、防水ぼうすいコーキングざいは、つよいがしなやかなものにするためにあつばんのどうしのあいだ使つかわれた。

非常ひじょうおおきなふね伝統でんとうてきクリンカー工法こうほうもちいた方法ほうほうつくられた。100にん戦士せんしせるドラゴンせんめずらしくはなかった[7]

さらに、初期しょきのヴァイキング時代じだいでは、オールこうはオールけにわり、ふね帆走はんそうちゅうのときオールがしまえるようになり、よりふねやすくなった。当時とうじ一番いちばんおおきいふねは、帆走はんそうちゅうオールを使つかい5から10ノットの速度そくど航海こうかいでき、最大さいだい15ノットまですことが出来でき[8]

航海こうかい[編集へんしゅう]

このような技術ぎじゅつ進歩しんぽのおかげで、ふね航海こうかい能力のうりょくがり、ヴァイキングはますます航海こうかいをするようになった。しかし、航海こうかいのためにはヴァイキングは比較的ひかくてき正確せいかく航海こうかい方法ほうほう見出みいだ必要ひつようがあった。もっとも一般いっぱんてきには、舵手だしゅふねさきかんする、伝統でんとうてき知識ちしきたよっていた。ようするに、ヴァイキングは航海こうかいルートのため、しお航海こうかい時間じかん陸上りくじょう目印めじるしかんする以前いぜんからの知識ちしき使つかっていた。たとえば、学者がくしゃ主張しゅちょうしているのは、クジラがえるとヴァイキングはふねさきめることができたということである。栄養えいようのあるみずは、一般いっぱん陸地りくちがあるため深層しんそうすい上部じょうぶってこられており、クジラはそれをべるため、クジラがいることは陸地りくちちかくにある証拠しょうこなのであった。

一方いっぽうで、ヴァイキングは太陽たいようコンパスのような航海こうかいのための進歩しんぽした道具どうぐ使つかっていたのではないかと主張しゅちょうする学者がくしゃもいる。半分はんぶんになったいたナルサルスアークきしつかっておりグリーンランドは最初さいしょのうちはこの仮説かせつ支持しじしているようだった。しかし、さらなる調査ちょうさで、円盤えんばんきざまれているが、いな間隔かんかくであるため、この物体ぶったい正確せいかくなコンパスとしての機能きのうじつたせないということがかった。むしろそれは司教しきょう自分じぶん教会きょうかいでの懺悔ざんげかずかぞえるために使つかわれた道具どうぐであるということを示唆しさしている[9]同様どうように、研究けんきゅうしゃ歴史れきしは、ヴァイキングの航海こうかいにおける太陽たいようせき使用しようについてずっと議論ぎろんしている。太陽たいようせきひかりへんこうできるため、方向ほうこうめるための信頼しんらいできる道具どうぐであった。ひかりなみ振動しんどうしている方角ほうがくしめすことで、太陽たいようせきはたとえ太陽たいようくもかくれていたとしても、太陽たいようのありうる位置いちしめしてくれる。太陽たいようせきなみ方向ほうこうしたがってあるいろわるが、それはいし直接ちょくせつ太陽たいようたる場所ばしょにあってはじめてこることである。したがって、ほとんどの学者がくしゃは、そのようなかぎられた状況じょうきょう方向ほうこうめることしかできない航海こうかい道具どうぐ信頼しんらいせいについて議論ぎろんしている[10]

ヴァイキングのサガは、まよったとき航海こうかいのこと、つまりきり悪天候あくてんこう方向ほうこう感覚かんかくまったからなくなったときのことがかたられるのが一般いっぱんてきである。この描写びょうしゃでは、太陽たいようかくれているときに太陽たいようせき使つかわなかったことをしめしている。さらに無風むふうのときおなじようにまよ状況じょうきょうになるという事実じじつは、ヴァイキングは航海こうかいにおいてふうたよっていたということをしめしており、以前いぜんから予想よそうされていたとおりかれらの技術ぎじゅつおも伝統でんとうてき知識ちしきたよっているのである[11]

文化ぶんか伝統でんとう[編集へんしゅう]

ヴァイキングの慣習かんしゅうで、んだ首長しゅちょうふねめるというものがあった。遺体いたい丁寧ていねい仕立したてられ、一番いちばんいいふくせられる。この準備じゅんびのちうまかれるよんりんしゃって、埋葬まいそう場所ばしょはこばれる。首長しゅちょう一番いちばんのおりのうまや、ときとして忠実ちゅうじつ狩猟しゅりょうけんころされ、一緒いっしょ遺体いたいめられる。遺体いたい一番いちばん価値かちあるものとともにふねうえかれる。ヴァイキングはんだ人間にんげん死後しご世界せかい航海こうかいするとつよしんじていた。そのいちれいラドバイせんがデンマークのむらちかくでめられておりここで展示てんじることができる。ふねめることはスカンディナヴィアのふる伝統でんとうであり、ニュダムせんのような紀元きげん200~450ねんふねいちれいである。また、オスロヴァイキングせん博物館はくぶつかん展示てんじされているゴクスタせんオーセベリせんトゥーネせんは、9世紀せいきごろふねそうはかから発掘はっくつされたものである。

発掘はっくつされたふね[編集へんしゅう]

オスロヴァイキングせん博物館はくぶつかんかれているオーセベリせん

時代じだいとおしてヴァイキングせんつかるが、比較的ひかくてき完全かんぜん状態じょうたいでその保存ほぞんされているのはすこししかない。これらのなかでも有名ゆうめいふねとしては

がある。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ Peter Sawyer (ed.), The Oxford Illustrated History of the Vikings (New York, 1997), 182.
  2. ^ What is a norse færing? (Vikingskip.com)
  3. ^ Peter Sawyer, (1975) The Oxford Illustrated history of the Vikings. Oxford University Press ISBN 978-0-19-285434-6 ISBN 0-19-285434-8
  4. ^ Plural of knarr is knerrir.
  5. ^ Ervan G. Garrison: . A history of engineering and technology: artful methods, p 111
  6. ^ Lapstrake hull schematic
  7. ^ Stephen Batchelor (30 April 2010). Medieval History For Dummies. John Wiley & Sons. pp. 101–. ISBN 978-0-470-66460-5. https://books.google.co.jp/books?id=owQcf4jHjgEC&pg=PA101&redir_esc=y&hl=ja 2013ねん7がつ2にち閲覧えつらん 
  8. ^ Richard Hall, The World of the Vikings (New York, 2007), 55.
  9. ^ Hall, The World of the Vikings, 54.
  10. ^ Oscar Noel and Sue Ann Bowling, “Polar Navigation and the Sky Compass: Article #865,” Alaska Science Forum, March 21, 1988, http://www.gi.alaska.edu/ScienceForum/ASF8/865.html (accessed November 24, 2010).
  11. ^ Hafvilla: A Note on Norse Navigation, G. J. Marcus, Speculum, Vol. 30, No. 4 (Oct., 1955), pp. 601-605, Published by: Medieval Academy of America, URL: http://www.jstor.org/stable/2849616 (accessed November 02, 2011).

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]