さんしょう小勝おがち (6代目だいめ)

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ろく代目だいめ さんしょうみますや 小勝こかつこかつ
六代目 三升家(みますや) 小勝(こかつ)
さんしょう小勝おがち定紋じょうもんさんしょう
本名ほんみょう 吉田よしだ くにじゅう
別名べつめい みぎおんなすけ小勝こかつ
糀谷こうじや師匠ししょう
生年月日せいねんがっぴ 1908ねん8がつ3にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1971-12-29) 1971ねん12月29にち(63さいぼつ
出身しゅっしん 日本の旗 日本にっぽん東京とうきょう本所ほんじょ
現在げんざい東京とうきょう墨田すみだ
師匠ししょう はち代目だいめかつら文楽ぶんらく
名跡みょうせき 1. かつら文中ぶんちゅう(1931ねん - 1932ねん
2. かつらぶんなな(1932ねん - 1937ねん
3. 代目だいめかつらみぎおんなすけ
(1937ねん - 1956ねん
4. ろく代目だいめさんしょう小勝こかつ
(1956ねん - 1971ねん
囃子ばやし 井出いで山吹やまぶき
活動かつどう期間きかん 1931ねん - 1971ねん
活動かつどう内容ないよう 新作しんさく落語らくご
古典こてん落語らくご
配偶はいぐうしゃ 花柳はなやぎ一衛かずえ
所属しょぞく 落語らくごむつみかい
(? - 1938ねん
落語らくご協会きょうかい
(1938ねん - 1971ねん
おも作品さくひん
水道すいどうのゴム

ろく代目だいめ さんしょう 小勝こかつ(みますや こかつ、1908ねん8がつ3にち - 1971ねん12月29にち)は、東京とうきょう出身しゅっしん落語らくご本名ほんみょう吉田よしだ くにじゅう生前せいぜん落語らくご協会きょうかい所属しょぞく囃子ばやしは『井出いで山吹やまぶき』。

通称つうしょうみぎおんなすけ小勝こかつ」「糀谷こうじや師匠ししょう[1]」。つま日本にっぽん舞踊ぶよう花柳はなやぎ一衛かずえ

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

神田かんだにしきまち電機でんき学校がっこう現在げんざい東京電機大学とうきょうでんきだいがく卒業そつぎょう東京とうきょう水道局すいどうきょく現在げんざい東京とうきょう水道局すいどうきょく)に勤務きんむ金町浄水場かなまちじょうすいじょう技師ぎしつとめる。当時とうじ落語らくごなかではめずらしいインテリ出身しゅっしんであり、協会きょうかい幹部かんぶ候補こうほだった。

1930ねん3がつ叔父おじ友人ゆうじん中村なかむらさん」の紹介しょうかいで、曲芸きょくげい春本しゅんぽんじょ次郎じろうつうじて8代目だいめかつら文楽ぶんらく入門にゅうもん文楽ぶんらくの「ぶん」と中村なかむらの「なか」からいちずつって「かつら文中ぶんちゅう」と名乗なのり、常磐ときわていはつ高座こうざ1931ねん3月、「かつらぶんなな」でふた昇進しょうしんする。1936ねん5月にキングレコード専属せんぞくとなり、最初さいしょレコード発売はつばい。このレコードに収録しゅうろくされた自作じさく新作しんさく落語らくご水道すいどうのホース(のちの『水道すいどうのゴム』)』がヒットする。1937ねん昭和しょうわ12ねん5月、「2代目だいめかつらみぎおんなすけ」を襲名しゅうめい真打しんうち昇進しょうしんあかるくスマートな芸風げいふうで、高座こうざでもレコードでも人気にんきはくす。

太平洋戦争たいへいようせんそうちゅう2応召おうしょうし、寄席よせ高座こうざやレコードのみも中断ちゅうだんされた。戦後せんご新作しんさく落語らくご高座こうざにかける一方いっぽう古典こてん落語らくごにもちかられ、3代目だいめさんゆうていきん2代目だいめさんゆうていえんならんで「両刀りょうとう使づかい」としょうされた。

1956ねん3月、「6代目だいめさんしょう小勝こかつ」を襲名しゅうめい襲名しゅうめい披露ひろう興行こうぎょうちゅう1956ねん4がつ右手みぎてにしびれをかんじてかる脳溢血のういっけつおちいる。東宝とうほう演芸えんげいじょうでの襲名しゅうめい披露ひろうには半分はんぶん日程にっていのこして出演しゅつえんできなくなり、落語らくごとして致命傷ちめいしょうというべき言語げんご障害しょうがいくるしむ。必死ひっしのリハビリのすえ同年どうねん6がつ高座こうざ復帰ふっきするも、みぎおんなじょ時代じだい気力きりょく体力たいりょくもどすことはできなかった。1966ねんふたたたお療養りょうよう生活せいかつはいり、師匠ししょう文楽ぶんらく1971ねん12月12にちぼっしてから17にち同月どうげつ29にち死去しきょ。63さいぼつ墓所はかしょ谷中たになか佛心ほとけごころてら戒名かいみょうは「慈観いんらくせつかち居士こじ」。

生前せいぜんは、ぼう寿山ことぶきやま師匠ししょうとする落語らくご川柳せんりゅうかい鹿しかれんかい」にも参加さんかしていた。

またおい俳優はいゆう歌手かしゅ真人しんじん大樹だいきがいる。

芸歴げいれき[編集へんしゅう]

おも演目えんもく[編集へんしゅう]

新作しんさく落語らくご[編集へんしゅう]

  • 水道すいどうのゴム - 水道局すいどうきょく技師ぎし時代じだい体験たいけん物語ものがたりんだはなし
  • かばん
  • つま
  • 操縦そうじゅう日記にっき
  • 女中じょちゅう志願しがん
  • 金言きんげんみくじ
  • 俳句はいくかい
  • 二人ふたりしゅ
  • いぬひろい

古典こてん落語らくご[編集へんしゅう]

弟子でし[編集へんしゅう]

移籍いせき[編集へんしゅう]

音源おんげん[編集へんしゅう]

  • 落語らくご特選とくせん12 ろく代目だいめ さんしょう 小勝おがち(VDR-21012、廃盤はいばん)ゴムつぼさんくまかわはつ天神てんじん
  • NHK落語らくご名人めいじんせん97 ろく代目だいめ さんしょう 小勝おがち (POCN-1141)二人ふたりしゅいのち
  • ビクター落語らくご ろく代目だいめ さんしょう小勝おがち日本にっぽん伝統でんとう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん、VZCG692)水道すいどうのゴム三国志さんごくし近江おうみ八景はっけい
  • ビクター落語らくご ろく代目だいめ さんしょう小勝おがち2(日本にっぽん伝統でんとう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん、VZCG693)真田さなだ小僧こぞうはつ天神てんじん権兵衛ごんべえたぬき味噌豆みそまめ花見はなみ小僧こぞう
  • ビクター落語らくご ろく代目だいめ さんしょう小勝おがち3(日本にっぽん伝統でんとう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん、VZCG694)佐々木ささき政談せいだんつぼさん・おちゃ
  • ビクター落語らくご ろく代目だいめ さんしょう小勝おがち4(日本にっぽん伝統でんとう文化ぶんか振興しんこう財団ざいだん、VZCG695)操縦そうじゅう日記にっきつまつり未練みれん夫婦ふうふくまかわ
  • 落語らくご研究けんきゅうかい 特選とくせん名演めいえんしゅう(ソニー・ミュージックダイレクト)1966ねん収録しゅうろく二番煎にばんせんじの映像えいぞう収録しゅうろく

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ のちに服毒ふくどく自殺じさつ[2]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 東京とうきょう蒲田かまた糀谷こうじやんでいたことから(立川談志たてかわだんししる田島たじま謹之じょ写真しゃしんだんこころざしぜったおせ 昭和しょうわ落語らくご家伝かでん大和やまと書房しょぼう、2007ねん、183ぺーじより)。
  2. ^ 立川談志たてかわだんしだんこころざし楽屋がくやばなし』(文春ぶんしゅん文庫ぶんこ、1990ねん)pp.31-33

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]