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さん曜会

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さん曜会(さんようかい、きゅう字体じたいさん曜󠄁かい)とは、大日本帝国だいにっぽんていこく憲法けんぽうしたにおける貴族きぞくいん存在そんざいした院内いんない会派かいは明治めいじ24ねん1891ねん3月24にち - 明治めいじ32ねん1899ねん2がつ20日はつか)。

歴史れきし

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明治めいじ23ねん1890ねん11月4にち発足ほっそくしていた同志どうしかいが、よく24ねん3がつあらたに従来じゅうらい現職げんしょく貴族きぞくいん議員ぎいん以外いがい華族かぞく多額たがく納税のうぜいしゃ議員ぎいんをも会員かいいんくわえ、毎週まいしゅうがつみず金曜日きんようび会合かいごうひらく(会派かいはめいの「さん曜」はこれに由来ゆらいする)こととする主意しゅいしょ規約きやくしょ作成さくせいして発足ほっそくした。おも議員ぎいん華族かぞく近衛このえ篤麿あつまろ二条にじょう基弘もとひろみことのりせん議員ぎいん三浦みうら梧楼ごろう[1]さん曜会が発足ほっそくする6にちまえ3月18にち近衛このえじょう提案ていあん月曜げつようかいという組織そしき設立せつりつされていて、だい1かい帝国ていこく議会ぎかい対応たいおうして財政ざいせい問題もんだい調査ちょうさ趣旨しゅしとする議員ぎいん有志ゆうしが20にんあつまった組織そしきだったが、このなかからたに干城かんじょうらが懇話こんわかいを、近衛このえさん曜会をつくるにともな会議かいぎひらかれなくなり、明治めいじ25ねん1892ねん)3がつ以降いこう開催かいさいされなくなったため自然しぜん消滅しょうめつしたとられる[2]

近衛このえ政府せいふ衆議院しゅうぎいんみんとうあいだにおいて中立ちゅうりつ標榜ひょうぼうし、国利こくりみんぶくのために政府せいふみんとうなどの政党せいとうがわ協調きょうちょうして「責任せきにんないかく」を組織そしきして内外ないがい課題かだいにあたるべきであると主張しゅちょうした。近衛このえのこの思想しそうもとづき政治せいじ活動かつどうはじめたさん曜会は主張しゅちょうおなじくするたにらの懇話こんわかい同調どうちょう明治めいじ24ねん12月14にちたに貴族きぞくいん提出ていしゅつしたせい節減せつげん国防こくぼう充実じゅうじつむねとしだい1松方まつかた内閣ないかくへの批判ひはんめた「勤倹きんけん尚武しょうぶ建議けんぎあん」を支持しじ政府せいふ支持しじ研究けんきゅうかい抵抗ていこう建議けんぎあん否決ひけつされたが内閣ないかく窮地きゅうちおとしいれた。よく明治めいじ25ねん5がつにもはん政府せいふ立場たちばくずさず、懇話こんわかい協力きょうりょくして内閣ないかく選挙せんきょ干渉かんしょう非難ひなんしるした建議けんぎあん提出ていしゅつ民法みんぽう商法しょうほう施行しこう延期えんき問題もんだい実現じつげんさせ、政府せいふにとって懇話こんわかいなら厄介やっかい存在そんざいでありつづけた[1][3]

のち懇話こんわかいみんとう立憲りっけんあらためしんとうなどと連携れんけいして対外たいがいかた路線ろせんり、だい2伊藤いとう内閣ないかく超然ちょうぜん主義しゅぎ藩閥はんばつ政治せいじ条約じょうやく改正かいせい路線ろせんにちしん戦争せんそう戦後せんご財政ざいせい批判ひはんした。明治めいじ29ねん1896ねん)にだい2松方まつかた内閣ないかく成立せいりつすると一転いってんして政府せいふ協力きょうりょく近衛このえ貴族きぞくいん議長ぎちょうとなりたに懇話こんわかい共々ともども政府せいふ支持しじまわり、新聞紙しんぶんし条例じょうれい緩和かんわ実現じつげんさせた。このころになるとさん曜会は懇話こんわかいなら貴族きぞくいん有力ゆうりょく会派かいはとなった[1][4]

だが、山縣やまがた有朋ありとも部下ぶか平田東ひらたひがしすけ清浦きようら奎吾しん政府せいふ研究けんきゅうかい茶話ちゃばなしかい拡充かくじゅうすると衰退すいたい懇話こんわかいおなながれを辿たどり、明治めいじ30ねん1897ねん)の最初さいしょ議員ぎいん互選ごせん研究けんきゅうかい勝利しょうり対照たいしょうてきさん曜会・懇話こんわかいおおくの落選らくせんしゃして以後いご両派りょうは衰退すいたいし、無所属むしょぞくだんだいいち無所属むしょぞく)・こう倶楽部くらぶ結成けっせいなど相次あいつおや政府せいふ発足ほっそくさん曜会は存亡そんぼう危機ききむかえ、明治めいじ32ねん進歩しんぽとうけい多額たがく納税のうぜいしゃ議員ぎいん朝日あさひ倶楽部くらぶ合流ごうりゅうした[1][5]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d 国史こくしだい辞典じてん、P621。
  2. ^ 佐々木ささき、P37 - P39、山本やまもと、P55 - P56。
  3. ^ 佐々木ささき、P46 - P48、山本やまもと、P56 - P57、内藤ないとう、P33 - P34、P58 - P69、小林こばやし、P163 - P165、P168 - P169。
  4. ^ 佐々木ささき、P46 - P48、山本やまもと、P56 - P57、内藤ないとう、P33 - P34、P58 - P69、小林こばやし、P175 - P183、P195 - P199。
  5. ^ 内藤ないとう、P70 - P73、P80 - P86。

参考さんこう文献ぶんけん

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