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上原うえはら美佐みさ (1937年生ねんせい)

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うえはら みさ
上原うえはら 美佐みさ
上原 美佐
小説しょうせつ倶楽部くらぶ』1958ねん9がつごう桃園書房とうえんしょぼう
本名ほんみょう 上原うえはら 美佐子みさこ(うえはら みさこ)
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん福岡ふくおかけん福岡ふくおか
職業しょくぎょう 女優じょゆう
ジャンル 映画えいが
活動かつどう期間きかん 1958ねん - 1960ねん
活動かつどう内容ないよう 1958ねん 東宝とうほう
1960ねん 引退いんたい
おも作品さくひん
かくとりでさん悪人あくにん』(1958ねん
日本にっぽん誕生たんじょう』(1959ねん
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上原うえはら 美佐みさ(うえはら みさ、1937ねん3月26にち[1] - 没年ぼつねんしょう)は、日本にっぽん女優じょゆう福岡ふくおかけん福岡ふくおか出身しゅっしん本名ほんみょう上原うえはら 美佐子みさこ(うえはら みさこ)[1]

経歴けいれき

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かくとりでさん悪人あくにん』(1958ねん)のスチル写真しゃしん

福岡ふくおか市立しりつ福岡ふくおか女子じょし高等こうとう学校がっこう卒業そつぎょう文化ぶんか女子じょし短期大学たんきだいがく在学ざいがくちゅうに『かくとりでさん悪人あくにん』で監督かんとく黒澤くろさわあきらにヒロインやく抜擢ばってきされてデビュー。抜擢ばってきされたきっかけは、上原うえはら短大たんだい在学ざいがくちゅう師事しじした徳川とくがわ義親よしちかのもとをおとずれたさいに、東宝とうほう社員しゃいんとどまったことにある。1981ねん黒澤くろさわあきら千秋ちあきみのる藤原ふじわらがまあしとのテレビ対談たいだんでは、名古屋なごや東宝とうほうけい映画えいがかんったさい東宝とうほう社員しゃいんこえをかけられた、と本人ほんにんかたっている。当時とうじ上京じょうきょうおりには徳川とくがわ義親よしちかいえまり、徳川とくがわ義親よしちか先々さきざきについてまわったため「徳川とくがわ孫娘まごむすめ」とうわさされたこともある[2]

黒澤くろさわはあくまで上原うえはらの「気品きひん野生やせいふたつの要素ようそがかもしだす異様いよう雰囲気ふんいき[3]のみを評価ひょうかし、デビューにいたった。撮影さつえいにあたって、馬術ばじゅつならい、障害しょうがいべるまでになった。そのほか、武家ぶけひめらしいのこなしのために剣道けんどうならった。演技えんぎはじめてでまったくの素人しろうとだったため、そのつど黒澤くろさわえんじてみせ、そのとおりにしたがすすめていったという。

きりりとした顔立かおだちと躍動やくどうかんあふれる演技えんぎ人気にんきはくし、一躍いちやくスターとなるが、本人ほんにんは「わたしには才能さいのうがない。」と2ねん引退いんたいした[3]

1981ねん4がつ4にちフジテレビ系列けいれつ『ゴールデン洋画ようが劇場げきじょう放送ほうそう黒澤くろさわ監督かんとく千秋ちあきみのる藤原ふじわらがまあし上原うえはら美佐みさ出演しゅつえん当時とうじかえった。このとき上原うえはら女優じょゆうぎょう引退いんたいしていたため「引退いんたい主婦しゅふはは」と紹介しょうかいされていた。

出演しゅつえん作品さくひん

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かくとりでさん悪人あくにん』(1958ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 日本にっぽん映画えいがじん大鑑たいかんキネマ旬報社きねまじゅんぽうしゃ、1959ねん、76ぺーじ 
  2. ^ 内外ないがいタイムス文化ぶんかへん『ゴシップ10ねん』(さんいち新書しんしょ、1964ねん)p.63-64
  3. ^ a b 女優じょゆうベスト150 わが青春せいしゅんのアイドル』180-181ぺーじ
  4. ^ a b 東宝とうほう特撮とくさつ映画えいがぜん 1983, p. 536, 「主要しゅよう特撮とくさつ作品さくひん配役はいやくリスト」

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 東宝とうほう特撮とくさつ映画えいがぜん監修かんしゅう 田中たなか友幸ともゆき東宝とうほう出版しゅっぱん事業じぎょうしつ、1983ねん12がつ10日とおかISBN 4-924609-00-5 
  • 文藝春秋ぶんげいしゅんじゅうへん女優じょゆうベスト150 わが青春せいしゅんのアイドル』 1990ねんISBN 4168116123

外部がいぶリンク

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