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世田谷城(せたがやじょう)は、武蔵国荏原郡世田谷[1](現:東京都世田谷区豪徳寺)にあった日本の城。
世田谷城は、吉良氏によって築かれた平城。世田谷に本拠を置いた奥州吉良氏が代々居を構えた。
世田谷城は経堂台地から南に突き出た舌状台地上に占地し、城域の三方を取り囲む様に麓を烏山川が流れ天然の堀を成していた[2]。
開発が進み旧態は詳らかでないが、豪徳寺付近に本丸を置き、現在の世田谷城阯公園付近まで城域が拡がっていたものと考えられている。
世田谷城阯公園内から北に向けて延びる、空堀及び土塁が現存する。世田谷城阯公園内の遺構に関しては公園整備時に手が加えられている。
豪徳寺参道脇の土塁、アパート脇の空堀や土塁の遺構は旧態を留めているが、一部立ち入りができない。
江戸時代、世田谷代官屋敷が、東急世田谷線「上町駅」の東南200mほどの所にあった。
- ^ 「角川日本地名大辞典13 東京都」
- ^ “世田谷城阯公園”. 世田谷区. 2012年4月22日閲覧。
- 八巻孝夫「世田谷城」村田修三(編著) 『図説中世城郭事典』第一巻、新人物往来社、1987年、285〜286ページ。
- 三田義春・東京都世田谷区教育委員会編 『世田谷の中世城塞』東京都世田谷区教育委員会、1979年。
- 世田谷区教育委員会の三田義春が奥沢城や世田谷城をはじめとする世田谷区内の城郭に関する研究成果をまとめている。
- 伊禮正雄「城南の中世城館址 その3」大田区史編纂委員会編『史誌』5号、大田区史編纂室、1976年、71〜78ページ。
- 1915年(大正4年)に作成された世田谷城跡見取り図を掲載。