内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとう

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日本の旗 日本にっぽん
内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん
原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとう
内閣ないかくもん
担当たんとう機関きかん内閣ないかく
任命にんめい内閣ないかく総理そうり大臣だいじん
根拠こんきょ法令ほうれい日本国にっぽんこく憲法けんぽう
創設そうせつ2011ねん8がつ10日とおか
初代しょだい細野ほそのつよしこころざし
ウェブサイト大臣だいじんふく大臣だいじん大臣だいじん政務せいむかん - 内閣ないかく

内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとう(ないかくふとくめいたんとうだいじん げんしりょくそんがいばいしょうしえんきこうたんとう、英語えいご: Minister of State for the Corporation in Support of Compensation for Nuclear Damage)は、日本にっぽん廃止はいしされた国務大臣こくむだいじん内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじんひとつであった。

概説がいせつ[編集へんしゅう]

内閣ないかく科学かがく技術ぎじゅつ政策せいさく・イノベーション担当たんとう設置せっちされる中央ちゅうおう合同庁舎ごうどうちょうしゃだいよん号館ごうかん

日本にっぽん内閣ないかくかれる内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじんひとつである。しゅとして原子力げんしりょく事故じこ損害そんがい賠償ばいしょうかんする行政ぎょうせい所管しょかんする国務大臣こくむだいじんである。

原子力げんしりょく事故じこ発生はっせいさいし、原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょうかんする法律ほうりつもとづく事業じぎょうしゃ賠償ばいしょうがく賠償ばいしょうほうもとづく賠償ばいしょう措置そちがくえた場合ばあい原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう事業じぎょうしゃたいして必要ひつよう資金しきん交付こうふする。内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとう)は、これらの業務ぎょうむ担当たんとうする。

内閣ないかくにて原子力げんしりょく事故じこ損賠そんばい賠償ばいしょうかんする行政ぎょうせいつかさど組織そしきとしては、内閣ないかく内部ないぶ部局ぶきょくである原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとうしつなどがげられる。内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとう)は、これらの組織そしき担当たんとうする。また、内閣ないかくは、原子力げんしりょく事故じこ損賠そんばい賠償ばいしょうかんしてだけでなく、ひろ一般いっぱんてき原子力げんしりょく行政ぎょうせいになっている。

内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじんのうち、沖縄おきなわおよ北方ほっぽう対策たいさく担当たんとう金融きんゆう担当たんとう消費しょうひしゃおよ食品しょくひん安全あんぜん担当たんとうの3大臣だいじんは、内閣ないかく設置せっちほうにより必置とされている[1][2][3]。それにたいして、内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじんは必置とはされておらず、担当たんとうするしょ課題かだいにより柔軟じゅうなん設置せっちできる。そのため、政権せいけんにより増減ぞうげん変動へんどうがあり、その役職やくしょくめいかならずしも一致いっちしない。

沿革えんかく[編集へんしゅう]

2011ねん3月11にち発生はっせいした東北とうほく地方ちほう太平洋たいへいようおき地震じしんは、東北とうほく地方ちほう中心ちゅうしん甚大じんだい被害ひがいをもたらした。この地震じしんにより福島ふくしまけん双葉ふたばぐん大熊おおくままち双葉ふたばまち立地りっちする東京電力とうきょうでんりょく福島ふくしまだいいち原子力げんしりょく発電はつでんしょ被災ひさいしたことから、福島ふくしまだいいち原子力げんしりょく発電はつでんしょ事故じこ発生はっせいした。

2011ねん8がつ10日とおか原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこうほう公布こうふ施行しこうされた。それにともない、内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとう)が設置せっちされ、内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん任命にんめいされた[4]同時どうじに、内閣ないかく内部ないぶ部局ぶきょくとして、政策せいさく統括とうかつかん科学かがく技術ぎじゅつ政策せいさく・イノベーション担当たんとうした原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとうしつ設置せっちされた[4][5]。2014ねん8がつ原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょうはいとう支援しえん機構きこうへと改組かいそされるのにわせ、だい2安倍あべ内閣ないかくにて廃止はいしされた。最後さいご大臣だいじんつとめたのは茂木もきさとしたかし経済けいざい産業さんぎょう大臣だいじんとの兼務けんむであった。後継こうけい役職やくしょくとして内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょうはいとう支援しえん機構きこう担当たんとう設置せっちされ、茂木もき横滑よこすべりで着任ちゃくにんしている。

名称めいしょう[編集へんしゅう]

任命にんめい補職ほしょくは3段階だんかいおこなわれており、まず「国務大臣こくむだいじん任命にんめいする」[6]との官記かんきされ、いで当該とうがい国務大臣こくむだいじんたいして「内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじんめいずる」[6]との辞令じれいされ、さらに当該とうがい内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじんたいして「原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとうさせる」[6]めいぜられる。これらの辞令じれいは『官報かんぽう』に掲載けいさいされるため[6]、その記載きさいもとづき「内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとう)」と表記ひょうきされる。たとえば、2011ねん9月22にちづけの『官報かんぽう』には「内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん細野ほそのつよしこころざし海外かいがい出張しゅっちょう在中ざいちゅうないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとう事務じむ代理だいりめいずる」[7]との記載きさいられる。新聞しんぶんなどの報道ほうどうでは、簡略かんりゃくして「原発げんぱつ担当たんとう大臣だいじん」「原発げんぱつ担当たんとうしょう」「原発げんぱつ大臣だいじん」「原発げんぱつしょう」と表記ひょうきされることもおおい。英語えいごでの呼称こしょうについては「Minister of State for the Corporation in support of Compensation for Nuclear Damage」[8]とされている。

歴代れきだい大臣だいじん[編集へんしゅう]

内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょう支援しえん機構きこう担当たんとう
だい 氏名しめい 内閣ないかく 就任しゅうにん 退任たいにん 党派とうは 備考びこう
1 細野ほそのつよしこころざし かん直人なおと内閣ないかく だい2改造かいぞうないかく 2011ねん8がつ10日とおか 2011ねん9月2にち 民主党みんしゅとう
2 野田のだ内閣ないかく 2011ねん9がつ2にち 2011ねん10月3にち 再任さいにん
3 枝野えだの幸男ゆきお 2011ねん10がつ3にち 2012ねん12月26にち
  だい1改造かいぞうないかく 留任りゅうにん
  だい2改造かいぞうないかく
  だい3改造かいぞうないかく
4 茂木もきさとしたかし だい2安倍あべ内閣ないかく 2012ねん12月26にち 2014ねん8がつ18にち 自由民主党じゆうみんしゅとう
だい2安倍あべ内閣ないかく以降いこう内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん原子力げんしりょく損害そんがい賠償ばいしょうはいとう支援しえん機構きこう担当たんとう
  • 内閣ないかく特命とくめい担当たんとう大臣だいじん複数ふくすうめい任命にんめいすることがあるため、通常つうじょう代数だいすう表記ひょうきおこなわない。ただし、ほんひょうではわかりやすさに配慮はいりょし、代数だいすうらん便宜上べんぎじょうもうけた。
  • 辞令じれいのある再任さいにん就任しゅうにん記載きさいし、辞令じれいのない留任りゅうにん就任しゅうにん記載きさいしない。
  • 党派とうはらんは、就任しゅうにん、または、内閣ないかく発足ほっそく所属しょぞく政党せいとう記載きさいした。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]