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出世しゅっせにし

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竹原たけはらはるいずみ絵本えほんひゃく物語ものがたり』より「出世しゅっせにし

出世しゅっせにし(しゅっせぼら)は、江戸えど時代じだい奇談きだんしゅう絵本えほんひゃく物語ものがたり』にある日本にっぽん妖怪ようかいホラガイすうせんねんりゅうとなったものとされる。

概要がいよう[編集へんしゅう]

絵本えほんひゃく物語ものがたり』によれば、ふかやまむホラガイがやまさんせんねんさとさんせんねんうみさんせんねんんだすえりゅう化身けしんしたものであり、やまからこの出世しゅっせにしけたあとを「出世しゅっせのほら」とび、静岡しずおかけん湖西こせいとおしゅういまれのわたしも法螺ほらけたあととされている[1]

江戸えど時代じだい外科げか武井たけい周作しゅうさく著書ちょしょさかなかん』によれば、深山ふかやま土中どちゅうには巨大きょだいなホラガイがんでおり、これが山中さんちゅうさんせんねんんだすえだい規模きぼ山崩やまくずれとともなかからし、さらにさとさんせんねんうみさんせんねんんだ法螺ほらりゅう化身けしんしたものが出世しゅっせにしだという[2]

また『絵本えほんひゃく物語ものがたり』によれば、にしにくべると長生ながいきをするといわれるが、実際じっさいにはそのようにして長生ながいきしたひとはなし確認かくにんされていないため、これが由来ゆらいとなってうそをつくことを「ほらをふく」というようになったともいう[1]

るいばなし[編集へんしゅう]

ホラガイがりゅう化身けしんしてやまからすというはなしは、ほかの古典こてん文献ぶんけん民間みんかん伝承でんしょうにもある。『東京とうきょう近郊きんこう名所めいしょ図会ずえ』によると、明治めいじ5ねん8がつ25にち午後ごごはげしい雷雨らいうがあり、道灌どうかんさんげん荒川あらかわ西日暮里にしにっぽり)の北川きたがわがけ崩壊ほうかいしてあなあとができ、やませんねんんだ法螺ほらけて昇天しょうてんしたあとだと評判ひょうばんになったという[2]。このけたあな明治めいじ末期まっきまでのこっており、付近ふきんにはほかにもあなおおく、地面じめんきゅう陥没かんぼつすることもあったという[3]。また日暮里にっぽり花見はなみてらでも明治めいじ初期しょきなつ轟音ごうおんとともにくろいホラガイがらしてそらったという伝承でんしょうがある[3]。しかしこの日暮里にっぽり近辺きんぺん怪異かいい正体しょうたいは、あきらたいのこした火薬かやく弾丸だんがん地雷じらいなどの自然しぜん発火はっかや、かれらがかくとしてってあった大穴おおあな陥没かんぼつといった現象げんしょうがホラガイによるものとなされたとのせつもある[3]

松浦まつうらしずさんの『甲子きのえね夜話やわ』によれば、ホラガイはみずち一種いっしゅであり、山腹さんぷく土中どちゅうんでいるものとの記述きじゅつがある、やまふるえてはげしい雷雨らいうきたときにはやまからすことがあり、これを法螺ほらけといい、正体しょうたいものはいないが、地中ちちゅうからみずちあらわれるものとされている[4]

牟婁むろぐんげん和歌山わかやまけん)の民俗みんぞく牟婁むろ口碑こうひしゅう』によれば、かつて和歌山わかやまけん西牟婁にしむろぐん西富田にしとみだむらげん白浜しらはままち)ではむら大池おおいけから法螺ほらあらわれたとある。大水おおみず発生はっせいしたとし濁流だくりゅうなかおおきなくろ物体ぶったいながれてくのを目撃もくげきしたものがおり、そのあとにはいけ洞窟どうくつができていた。土地とち口承こうしょうではホラガイはうみかわやまでそれぞれせんねんけい3せんねん歳月さいげつすえ神通力じんずうりき大蛇おろちすといい、そうしたホラガイがたものだといわれた[5]

江戸えど時代じだいには山岳さんがく観察かんさつしながらくらしていた山伏やまぶしたちが、こうした山中さんちゅう法螺ほらけの伝説でんせつひろめ、がけなどに自然しぜんにできているあなを「ほら(ほら)」とぶのも法螺ほら(ほら)がけたあなという意味いみであり、そこからけた法螺ほらりゅうとなって昇天しょうてんするなどとはなしてまわったが、その途方とほうもないはなし当時とうじ人々ひとびと嘲笑ちょうしょうし、このことからうそをつくことを「ほらをふく」というようになったともいう[2]

このような俗信ぞくしんはもとは中国ちゅうごくからつたわったものらしく、17世紀せいき初頭しょとう中国ちゅうごく文献ぶんけんざつぐみ』には、福建ふっけんしょう暴風ぼうふうのために洪水こうずいきたさい人々ひとびとみずち出現しゅつげんしたのだろうとかたったという記述きじゅつがある[6]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 多田おおたへん 1997, p. 47
  2. ^ a b c 多田おおたへん 1997, p. 137
  3. ^ a b c 荒俣あらまた 1989, pp. 157–158
  4. ^ 松浦まつうらしずさん ちょ甲子きのえね夜話やわ」、柴田宵曲しばたしょうきょく へん随筆ずいひつ辞典じてんだい4かん東京とうきょうどう、1961ねん、411ぺーじ 
  5. ^ ざつ貞次郎ていじろう牟婁むろ口碑こうひしゅう」『日本にっぽん民俗みんぞく大系たいけいだい4かん角川書店かどかわしょてん、1975ねん、198ぺーじISBN 978-4-04-530304-3 
  6. ^ 村上むらかみ健司けんじ編著へんちょ妖怪ようかい事典じてん毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、2000ねん、185-186ぺーじISBN 978-4-620-31428-0 

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]