みずち

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ミズチにかうけんもり。『前賢ぜんけん故實こじつ』より[1]

みずち(みずち;古訓こくんは「みつち」)は、日本にっぽん神話しんわ伝説でんせつみず関係かんけいがあるとみなされるりゅうるい伝説でんせつじょうへびるいまたは水神すいじん

岡山おかやまけんこう梁川りょうせんにひそんでいたという有毒ゆうどくだい(みずち)が県守あがたもりあがたもりというおとこ退治たいじされた記録きろく仁徳天皇にんとくてんのうにあり(みぎ)、万葉まんよう一種いっしゅなどのとぼしいれいがある。

語源ごげん[編集へんしゅう]

ミズチ(ミツチ)の「ミ」はみずつうじ、「ツ」(転訛てんかにズとなる)は連体れんたい修飾しゅうしょくをつくる上代じょうだいかく助詞じょし現代げんだいかく助詞じょし「の」に相当そうとうし、「チ」は「大蛇おろち(おろち)」の「チ」とどうみなもとである[2][3]。また「チ」は「霊力れいりょく」などを意味いみする語尾ごび説明せつめいされる[4]

このような語源ごげんれいかみなり(いかずち)がいむ(イカ)つれい(チ)、カグツチ(「迦具」とてられることもある)がかぐ(かがやく)つれい(チ)に由来ゆらいするように、記紀ききかみ々や神霊しんれいひろられる。『広辞苑こうじえん』でも「みずれい」のだといており[3]#れいでもあげた「かわかみ」と同様どうようする考察こうさつもある。

中国ちゅうごくりゅうしゅ[編集へんしゅう]

「みずち」の漢字かんじには、中国ちゅうごく伝承でんしょうりゅうである蛟竜こうりょう〔こうりょう〕(みずち; コウ; jiāo)、虬竜/; キュウ; qiú)[ちゅう 1]螭竜; チ; chī)[ちゅう 2][7]、「みずち蝄(コウモウ)」などがあてられている。しかし日本にっぽんの「ミズチ」や「オカミ(龗)」の意味いみをその漢字かんじからすことは賢明けんめいでない[8]

和名わみょうしょう』は、「虬龍」、「螭龍」、「みずち」のいずれのこうもあるが、このうち「みずち(こう)」を和名わみょうの「よしまめ」とし、日本書紀にほんしょきの「だい虬(みづち)」に相当そうとうすると注釈ちゅうしゃくされている[9]。なお『新撰しんせんきょう』(てんほん)ではとめみとちくんじている[10][11]

れい[編集へんしゅう]

日本書紀にほんしょき
日本書紀にほんしょき』のまき十一といち仁徳天皇にんとくてんのう〉の67ねん西暦せいれき379ねん)にある[12]、「だい虬」(「ミツチ」とくんずる[13][ちゅう 3])の記述きじゅつで、これによれば吉備きびなかくに備中びっちゅう)の川嶋かわしまかわ一説いっせつ現今げんこん岡山おかやまけんこう梁川りょうせん古名こみょう[14])の分岐ぶんきてんふちに、だい虬(りゅう[15])がみつき、どくいて道行みちゆひと毒気どくけおかしたりころしたりしていた。そこに県守あがたもりあがたもりというで、りゅうしん(かさのおみ、りゅう国造くにのみやつこ)のにあたるおとこふちまでやってきて、ひさごヒサゴ瓢箪ひょうたん)をみっかべ、だい虬にむかって、そのヒサゴをしずめてみせよと挑戦ちょうせんし、もし出来できれば撤退てったいするが、出来できねばって成敗せいばいすると豪語ごうごした。すると魔物まもの鹿しかけてヒサゴをしずめようとしたがかなわず、おとこはこれをてた。さらに、ふちそこ洞穴どうけつにひそむそのるいぞくことごとりはらったので、ふち鮮血せんけつまり、以後いご、そこは「県守あがたもりふちあがたもりのふち」とばれるようになったという[16][17]
うえ関連かんれんせいがあるのが、仁徳じんとく11ねん323ねん)の故事こじである。淀川よどがわ沿いに工事こうじされたいばらまんだのつつみが、たびたびこわれて始末しまつえなかったところ、天皇てんのうゆめられて、武蔵むさしこくつよ(こわくび、无邪こころざし国造くにのみやつこ#子孫しそん参照さんしょう)と、河内かわうちこくいばられん衫子(まんだのむらじころもこ)を生贄いけにえとして「かわはく(かわのかみ)」にほうじれば収拾しゅうしゅうするだろう、とげられた。衫子(ころもこ)は、みすみす犠牲ぎせいになるのをいさぎよしとせず、かわにヒサゴをかべて、もし本当ほんとう自分じぶんささげよというのが神意しんいならば、そのヒサゴを水中すいちゅうしずめてかばぬようにしてみせよ、とせまった。つむじかぜがおきてヒサゴをもうとしたが、ぷかぷかかびながらながれてってしまった。こうしておとこ頓智とんちをまぬかれた[18]。こちらは「みずち」のげんがないが、かべたふくべという共通きょうつうてんもあり、「かわかみ」と「みずち」を同一どういつするような文献ぶんけんもある[19]
万葉集まんようしゅう
万葉集まんようしゅうまきじゅうろくには、さかいおうさくによるいちしゅとら尓乗 古屋ふるや乎越而 あおふちさめりゅう将来しょうらい 劒刀」に「ミズチ」がまれているが[20][ちゅう 4]、これは「とら古屋ふるやえてあおふかしあをふち蛟龍こうりょうみつちらいけん太刀だちつるぎたちもが」と訓読くんどくし、「トラって、古屋こや(どこか特定とくていできない地名ちめい)をえ、みず青々あおあおとたたえたふかふちにいき、ミズチをひっらえてみたい、(そんなトラや)そのための立派りっぱ太刀たちがあったらなあ」ほどの意味いみである[22][23]

民俗みんぞくがく[編集へんしゅう]

南方みなかた熊楠くまぐすは、『じゅう支考しこうへび』の冒頭ぼうとうで、「わがくにでも水辺みずべんでひとこわれらるるしょへびみずおもというほどのこころ〕でミヅチとんだらしい」としている[24]

南方なんぽうがミズチを「おも(ヌシ)」とするが、もとの着想ちゃくそうは「チ」は「尊称そんしょう」(たためい)だとするほんきょ宣長のりなが考察こうさつであった(『古事記こじきでん』)[25]。ヌシだとする立場たちば南方なんぽう見立みたてであって、宣長のりなが本人ほんにんは、ミズチ、ヤマタノオロチ、オロチの被害ひがいしゃたちであるアシナヅチ・テナヅチのいずれにつくチも「たためい」であるという語釈ごしゃくをしている[26]南方なんぽうは、「ツチ」や「チ」のかたりに、自然しぜんかい実在じつざいするへび「アカカガチ」(ヤマカガシ)のれいふくめて「ヘビ」の意味いみふくまれると[25]柳田やなぎだ國男くにおは「ツチ」(づち)を「れいてき意味いみ昇華しょうかさせてとらえた[25][27]。『広辞苑こうじえん』では「ち【れい】」を自然しぜんかい森羅万象しんらばんしょう霊力れいりょく云々うんぬん定義ていぎしているが、そのあたりは、上述じょうじゅつ§語源ごげんでもれた[3]

南方なんぽうは、地方ちほうでは本来ほんらい「ミズチ」だったものの伝承でんしょう変遷へんせんし、河童かっぱ一種いっしゅにすりかわってしまったのではないかと考察こうさつする[28][24]。その根拠こんきょとして、現代げんだい河童かっぱ相当そうとうする地方ちほうに、ミヅシ(能登のと)、メドチ(南部なんぶ地方ちほう)、ミンツチ(蝦夷えぞ北海道ほっかいどう)など、ミズチの近似きんじするかたりがいくつかみつかることをげている[24][ちゅう 5][24]。また、越後えちご伝承でんしょうでは河童かっぱ瓢箪ひょうたん嫌悪けんおするとさられていて[30]、これはかわはくまたはだいみづちひさごひさごしずめてみせよと挑戦ちょうせんした、上述じょうじゅつの『日本書紀にほんしょきまき11のれいつうじている[28]同様どうよう考察こうさつ柳田やなぎだ[31]石川いしかわ純一郎じゅんいちろう[32]らが踏襲とうしゅうしている。

南方なんぽうはこの沿線えんせんじょうでさらにくわしく憶測おくそくし、みずしゅたるミズチが人間にんげんしてがいをなす伝承でんしょうがあったのが、いつのまにかミヅシと河童かっぱ悪事あくじ伝説でんせつにすりかわってしまう一方いっぽうみずあるじとしてのミズチのわすられたのではないかとしている[24]河童かっぱへびスッポンを、水中すいちゅう人間にんげんころすことでられるみっつの存在そんざいとして朝川あさかわ善庵ぜんあん善庵ぜんあん随筆ずいひつ』がとりあげていることを、南方なんぽうはさきにれている[24][29]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

補注ほちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 虬/虯(キュウ、qiú)については、『せつぶんかい』14 に「龍子りゅうこゆうかくしゃ」とあり、つまり「りゅうかくあるもの」[5]とする。「虯」はしげるきゅう)で、「虬」は簡字とのことだが、後者こうしゃ特殊とくしゅ文字もじあつかいされてきている。
  2. ^ 螭(チ、chī)については、『せつぶんかい』14 に「わかりゅう而黄,北方ほっぽういい螻。... あるうんかく曰螭」とあり、つまり「りゅうぞくにて黄色きいろなるもの、一説いっせつに、かくなきりゅう」とする[6]。『文字もじしゅうりゃく』では、かくのないりゅうで、あかしろあおしょくであるとく。
  3. ^ みずちち(みづち)」、のくんあり??
  4. ^ さめりゅう」を「蛟龍こうりょう」(みづち)とえることについては、『箋注倭名わみょう類聚るいじゅうしょう』にかれる[21]
  5. ^ 善庵ぜんあん随筆ずいひつ』にもメドチ(愛媛えひめけん)、ミヅシ(福井ふくいけん[29]

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 菊池きくち容斎ようさい しる山下やましたしげるみん へん前賢ぜんけん故實こじつ: 考證こうしょう東陽とうようどう、1903ねんhttps://books.google.co.jp/books?id=B9QtAAAAYAAJ&pg=PT1545 県守あがたもりまきじゅうじゅうはちよう
  2. ^ 金田一きんだいち京助きょうすけ へんしん明解めいかい国語こくご辞典じてん』(2はん三省堂さんせいどう、1979ねん 。ミズチの「チ」はオロチとどうみなもとだとするが、とう辞典じてんでは「チ」の意味いみにはふれていない。
  3. ^ a b c 新村しんむらいずる へん「みずち【みずち】」『広辞苑こうじえん』(だい4はん)、1991ねん 
  4. ^ 新村しんむらいずる へん「ち【れい】」『広辞苑こうじえん』(4はん)、1991ねん 
  5. ^ 漢和かんわだい字典じてん』、三省堂さんせいどう編輯へんしゅうしょ 1906, p. 1276。
  6. ^ 漢和かんわだい字典じてん』、三省堂さんせいどう編輯へんしゅうしょ (1906), p. 1294。
  7. ^ 新村しんむらいずる へん「みずち 【みずち・虬・虯・螭】」『広辞苑こうじえん』(だい2はんていばん)、1991ねん 
  8. ^ Daniels, F. J. (1960). “Snake and Dragon Lore of Japan”. Folklore 71 (3): 145–164. doi:10.1080/0015587x.1960.9717234. 
  9. ^ 源順みなもとのしたごうまきだいじゅうきゅう 鱗介りんかいだいさんじゅう」『倭名わみょうるい聚鈔 じゅう那波なばどうえん、1617ねんhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2544225/3 だい1よう
  10. ^ 白川しらかわしずどおり平凡社へいぼんしゃ、1996ねん、530ぺーじhttps://books.google.com/books?id=kC0QAQAAMAAJ 
  11. ^ 朝川あさかわ善庵ぜんあんはち岐大へび神話しんわへのいち考察こうさつ」『volume= 7』、24ぺーじ1968ねん2がつhttps://books.google.com/books?id=Fd1CAQAAIAAJ 
  12. ^ まき十一といち仁徳天皇にんとくてんのう〉の67ねん”. 日本書紀にほんしょき. 日本にっぽん文学ぶんがく電子でんし図書館としょかん. 2019ねん7がつ24にち閲覧えつらん
  13. ^ 石塚いしづか, はれどおりみことけいかく文庫本ぶんこぼん日本書紀にほんしょき本文ほんぶん訓点くんてんそう索引さくいん八木やぎ書店しょてん、2007ねん、38ぺーじISBN 4840694117https://books.google.co.jp/books?id=vMBY0qwe14wC&pg=PA38 
  14. ^ 鳥越とりこしけん三郎さぶろう吉備きび古代こだい王国おうこく新人物往来社しんじんぶつおうらいしゃ、1974ねん、88ぺーじhttps://books.google.com/books?id=uu9BAQAAIAAJ 
  15. ^ 宇治谷うじたに 1988現代げんだいやく)、p. 250ではりゅうとつくる。
  16. ^ 鳥越とりこし 1974, p. 130.
  17. ^ コラム―高梁川たかはしがわ(たかはしがわ)”. 中国ちゅうごく四国しこく農政のうせいきょく. 2012ねん9がつ2にち閲覧えつらん
  18. ^ 宇治谷うじたに 1988現代げんだいやく)、p. 233。
  19. ^ Aston, William George (1905). Shinto: (the Way of the Gods). Longmans, Green, and Co.. pp. 150–151. https://books.google.co.jp/books?id=nyUNAAAAYAAJ&pg=PA150&redir_esc=y&hl=ja 
  20. ^ 原文げんぶんYoshimoto, Makoto (1998ねん). “Manyōshū”. Japanese Text Initiative. University of Virginia Library. 2012ねん4がつ閲覧えつらん
  21. ^ 狩谷かりや棭斎りゅうぎょだいじゅうはち」『箋注倭名わみょう類聚るいじゅうしょう まきだい8』[大蔵省おおくらしょう]印刷いんさつきょく、1883ねんhttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991791/3 だい2よう表裏ひょうり
  22. ^ 森岡もりおか, 美子よしこ萬葉集まんようしゅう物語ものがたり冨山とやまぼうインターナショナル蛟龍こうりょう、218ぺーじISBN 4902385627https://books.google.co.jp/books?id=aBqmqbRu5MoC&pg=PA218 
  23. ^ あお‐ぶち[あを:]【あおふかし】〔みず青々あおあおとたたえたふかふち日本にっぽん国語こくごだい辞典じてん)この万葉まんよう用例ようれいとする。
  24. ^ a b c d e f 南方なんぽう 1917じゅう支考しこうへび」(南方なんぽう 1984, p. 159)。
  25. ^ a b c 南方なんぽう 1916じゅう支考しこうりゅう」(南方なんぽう 1984, p. 116)、"ほんきょ宣長のりながはツチは尊称そんしょうだとったは、みずあるじ〔ぬし〕くらいにいたのだろ..."。
  26. ^ ほんきょせんちょう 1822でん』9-2(神代かみよななこれかん【八俣遠呂智のだん】。
  27. ^ 柳田やなぎだ 2004 全集ぜんしゅう32「河童かっぱはなし」、573ぺーじ、 "いまでは虬とくので、ささえ知識ちしきっているひとたちはへびるいだろうとおもっているが、字義じぎからいってもみずという言葉ことばに、れいぶつとかなにとかいう意味いみのチというがっいているだけなのだから、みずれいということにそとならない。"
  28. ^ a b c (南方なんぽう 1984)、「じゅう支考しこうりゅう」、p. 117。
  29. ^ a b 朝川あさかわ善庵ぜんあん ちょ善庵ぜんあん随筆ずいひつ」、楠瀬くすのせまこと へん随筆ずいひつ文学ぶんがく選集せんしゅう』 7かん書斎しょさいしゃ、1927ねん、339–340ぺーじhttps://books.google.com/books?id=i-gJAAAAMAAJ&q=善庵ぜんあん随筆ずいひつ+めどち ; 朝川あさかわ善庵ぜんあん善庵ぜんあん随筆ずいひつ』1850ねん (よしみなが3ねん) : 坪田つぼたあつしいとぐち: “善庵ぜんあん随筆ずいひつ 巻一けんいち”. 相撲すもう評論ひょうろんぺーじ. 2008ねん3がつ18にち時点じてんオリジナルよりアーカイブ。2012ねん4がつ1にち閲覧えつらん
  30. ^ 柳田やなぎだ国男くにお、『やま島民とうみんたんしゅういち)』、82ぺーじ南方なんぽう引用いんよう[28]
  31. ^ 柳田やなぎだ國男くにお しる石井いしいただしおのれ へん柳田やなぎだ国男くにお故郷こきょうななじゅうねん』PHP研究所けんきゅうじょ、2014ねん原著げんちょ1959ねん)、133ぺーじISBN 4-569-82106-5https://books.google.com/books?id=X8WzdKhyZlEC&pg=PA133 
  32. ^ 石川いしかわ純一郎じゅんいちろう新版しんぱん河童かっぱ世界せかい時事通信じじつうしん出版しゅっぱんきょく、1985ねん原著げんちょ1974ねん)、45–50, 64–65 248ぺーじISBN 4-788-78515-3https://books.google.com/books?id=5WSk45KV6owC&pg=PA248 
  33. ^ 南方なんぽう 1984、「じゅう支考しこうりゅう」、p. 116。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]