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利賀村(とがむら)は、かつて富山県東礪波郡におかれていた村。2004年(平成16年)11月1日に周辺町村と合併、南砺市の一部となった[1]。
村名は、加賀藩の初代藩主である前田利家に由来する[2]。
演劇の村として知られる。
富山県の南西部に位置し、岐阜県に接する。標高1,000mを越える山々に囲まれた村域は南北に細長く、庄川の支流である利賀川、神通川の支流である百瀬川が縦断する村。
非常に急峻な峡谷地形であり、河川の間は険しい山塊に遮られる。同じ村内でも別流域間のアクセスは困難であり、新楢尾トンネルにより村としての一体性が保たれている。村外へのアクセスも峡谷を抜けるために困難で、県内で唯一アクセスが困難な自治体である。
村の中心部は利賀川流域である。
利賀川の押場・北豆谷・大豆谷・利賀村(大字)・岩渕地区に、飛騨変成岩類を断ち切った新第三紀グリーンタフ層である岩稲累層が北東・南西方向に伸びており利賀地溝と呼ばれる。地構内の小断層において熱水変性が多くみられ、地滑り多発の原因となっていると考えられる。[3]その地滑り面群は利賀盆地といわれ、村内で数少ない平坦地であることから耕地や人口が集中する。
- 産業人口(2000年国勢調査)
- 第一次産業就業人口 36人
- 第二次産業就業人口 269人
- 第三次産業就業人口 400人
- 利賀村出身で武蔵野市助役(のち市長)を務めた藤元政信の仲立ちにより都市・農村交流が始まる[5]。
- 提携当時、日本一の高さを持つ林道橋(龍天橋、100m)と、日本一長い林道トンネル(新山の神トンネル、1430m)を持っていた縁から[6]。
- 1985年7月、利賀村で開催していた利賀フェスティバル世界演劇祭を訪問したギリシャ側(デルフィ世界演劇祭委員長ら)より、ともに「世界演劇祭」を開催していること、自然環境が似ていることから提携を提起。1986年6月にデルフィ市で姉妹都市盟約書調印。7月30日にはデルフィ市長らが来村し[7]、利賀村野外劇場で同様に調印式を行った[8]。
- 1986年6年、「そばの郷」建設のために世界のそば産地の資料を収集する際に、氏原暉男(信州大学教授)の仲介でツクチェ村に協力を依頼したことが縁。1989年1月、ツクチェ村の寺院で友好村盟約調印[8][10][11]。
- そば産地で「ソバの花の祭り」が開催されている平昌郡から、利賀村の「そば祭り」に視察がおこなわれたのが契機。2002年、友好協力に関する議定書に調印。
一般国道
都道府県道
道の駅
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
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演劇による地域活性化の取り組み
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典型的な過疎の村であったが、1976年に演出家鈴木忠志が率いる早稲田小劇場が拠点を利賀村に移したことに、村は様々な側面から支援を行った。1982年から毎年、世界演劇祭利賀フェスティバルを行うことになり、内外の演劇界から注目を浴びるほどのイベントとなった。これらの演劇を中心とした事業が、高い成果を上げ、過疎の村が世界的知名度を得たことから、過疎地域の活性化モデルとして有名になった。
2009年頃から利賀村に定期的に訪れている、首都圏の社会人・学生を中心とした団体。「村の生活を学ぶ」「各自関心に基づきプロジェクトを実施する」の二つの軸を持って活動しており、具体的な活動としては、都内での利賀村紹介イベント“まち、ときどきむら”の開催、利賀村のイベントや祭りへの参加、上畠アート展の開催、手業(てわざ)プロジェクト(てご、わらじ、ヒンメリの作成)などが挙げられる。近年では、都内の大学生の参加者数が増えてきており、都市部の若者と農村部のコミュニティが交流する先進的な事例となっている。