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加藤雪腸かとうせっちょう

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加藤かとう ゆきちょう(かとう せっちょう、1875ねん明治めいじ8ねん1がつ2にち - 1932ねん昭和しょうわ7ねん11月24にち)は、静岡しずおかけん出身しゅっしん日本にっぽん俳人はいじんべつごう清白すずしろこれしゃ千里せんりぼうなど。本名ほんみょうまごたいら

経歴けいれき

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1875ねん明治めいじ8ねん静岡しずおかけん榛原はいばらぐん川崎かわさきまち現在げんざい牧之原まきのはら)にまれる。静岡しずおか師範しはん学校がっこう現在げんざい静岡大学しずおかだいがく在学ざいがくちゅう俳句はいくはじめ、正岡子規まさおかしき入門にゅうもん高浜たかはま虚子きょし河東かわとう碧梧桐へきごとうとともに、はやくから子規しきもんとなった若手わかて俳人はいじんとして注目ちゅうもくされる。また静岡しずおか師範しはん学校がっこう仲間なかま中心ちゅうしん俳誌はいし芙蓉ふよう』を主宰しゅさい同誌どうし発行はっこうする「芙蓉ふようかい」は松島まつしまじゅう藤田ふじたむらさきてい渥美あつみけいがつ久保田くぼた九品くほんたいらがつどい、静岡しずおかにおける日本にっぽん拠点きょてんとなった。

静岡しずおか師範しはん卒業そつぎょう教員きょういんとなったのち俳句はいくつづけたが、子規しきあと次第しだい自由じゆうりつ俳句はいく傾倒けいとう荻原井泉水おぎわらせいせんすいの『層雲そううん』や中塚なかつか一碧楼いっぺきろうの『うみべに』に投句とうくつづけるなか自身じしん俳誌はいし曠野あらの』を創刊そうかん。「自由じゆう俳句はいく」を標榜ひょうぼうして、泉水せんすい一碧いっぺきろう自由じゆうりつ俳句はいくともちがう、独自どくじ句作くさく目指めざした。1932ねん昭和しょうわ7ねん)、交通こうつう事故じこい57さい急逝きゅうせい

句集くしゅう

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  • 加藤雪腸かとうせっちょう遺稿いこう 自由じゆう俳句はいく管見かんけん』(1944ねん
  • 三絃さんげんきん 加藤雪腸かとうせっちょう遺稿いこう 作品さくひんしゅう』(1981ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 加藤かとうまん古刀ことうへん三絃さんげんきん 加藤雪腸かとうせっちょう遺稿いこう 作品さくひんしゅう』(1981ねん加藤かとうまん古刀ことう
  • 上田うえだみやこへん自由じゆうりつ俳句はいく文学ぶんがく』(1975ねん永田ながた書房しょぼう

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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