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堀川ほりかわ国広くにひろ

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かたな めい 洛陽らくようじゅう信濃しなのまもる国広くにひろ慶長けいちょうじゅうねんはちがつ、1610ねん江戸えど時代じだいボストン美術館びじゅつかんぞう

堀川ほりかわ 国広くにひろ(ほりかわ くにひろ、とおるろく4ねん1531ねん) - 慶長けいちょう19ねん4がつ18にち1614ねん5月26にち))は、安土あづち桃山ももやま時代じだい刀工とうこう新刀しんとう初期しょきだい勢力せいりょく堀川ほりかわ本名ほんみょう田中たなか国広くにひろきょういちじょう堀川ほりかわきょかまえたのち、堀川ほりかわ国広くにひろばれるようになる。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

とおるろく4ねん(1531ねん)、日向ひなたこくあやにて誕生たんじょう

はじめ日向ひなたこく戦国せんごく大名だいみょう伊東いとうつかえたが[1]天正てんしょう5ねん1577ねん)、主家しゅか没落ぼつらく[2]山伏やまぶし修行しゅぎょうなど諸国しょこく放浪ほうろうして刀工とうこうをつづけた[1]天正てんしょう18ねん(1590ねん)、下野げやこくげん栃木とちぎけん)の足利あしかが学校がっこうで、当主とうしゅ長尾ちょうびあらわちょうのためにきたえがたな慶長けいちょう4ねん1599ねんごろからきょう堀川ほりかわいちじょう定住ていじゅう[2]

現存げんそんする作品さくひんは、ふるくは天正てんしょう4ねん1576ねん[3]伊東いとうゆかりの人物じんぶつ注文ちゅうもんちがのこされる。天正てんしょう12ねん1584ねん)のさくがたなは「山伏やまぶしこれ」とのめいがあり[3]不動明王ふどうみょうおうぞうと「武運ぶうん長久ちょうきゅう」の文字もじ梵字ぼんじ彫刻ちょうこくした「山伏やまぶし国広くにひろ[4]天正てんしょう18ねん(1590ねんかのえ領主りょうしゅあらわちょうもとめにおうじてった「山姥やまうばせつな国広くにひろ」がある。「山姥やまうばせつな国広くにひろ」はあらわちょう北条ほうじょう氏政うじまさからたまわった相伝そうでん備前びぜん長船おさふね長義ながよしいち[5]うつしたさく[6]同工どうこう最高さいこう傑作けっさくひょうたか[6]同年どうねん信濃しなのまもる受領じゅりょう

慶長けいちょう19ねん(1614ねん)4がつ18にち、84さい死去しきょ法名ほうみょう明海あけみしろ

門人もんじん出羽でわだいじょうだいじょうくに国安くにやす大隅おおすみじょうおおすみのじょう正弘まさひろ越後えちごもりこく和泉いずみまもる国貞くにさだ河内かわうちまもるこくすけ山城やましろまもる国清くにきよ、などの名工めいこうがいて[1][2]堀川ほりかわ一派いっぱとしておおいにさかえた。一門いちもんさくぞくに「堀川ほりかわぶつ」とばれる[1][2]新刀しんとううめちゅう明寿みょうじゅ比肩ひけんする刀工とうこうである。

作風さくふう[編集へんしゅう]

堀川ほりかわ定住ていじゅう晩年ばんねんには弟子でしによる代作だいさくおおいともわれている。定住ていじゅう作風さくふうことなり、おだやかなものが主流しゅりゅうとなる。

  • 姿すがた - 慶長けいちょう新刀しんとう姿すがたで、身幅みはばひろふかく、切先きっさきびる豪壮ごうそう姿すがたである。太刀たちかたな脇差わきざしすん短刀たんとう短刀たんとうをつくる。
  • きたえ - しょう板目いためはだみ、にえこまかにつくもの、またザングリとはだったものもおおい。
  • ぶん - 初期しょきさくすえ古刀ことうすえことうしかとした(すえぶつ見受みうけられるような[1]互のぐのめ[1]みだれがおおく「天正てんしょう」・「にちしゅう」としょうされる[1]堀川ほりかわ時代じだいになると正宗まさむねをはじめ相州あいしゅうでんしたり、志津しづかぜをかもした[1]わんのた)れ」や互のみだれをき、にえがよくついて金筋きんすじすなながしがかかる。また、ちょくからしょう丁子ちょうじまじえたものまで多彩たさいで、この作品さくひんは「慶長けいちょう」・「堀川ほりかわ」としょうされる[1]帽子ぼうし小丸こまる火焔かえんふうなど。
  • 彫物ほりもの - 国広くにひろとその一門いちもん彫物ほりもの名手めいしゅぞろいで、「山伏やまぶし国広くにひろ」のような不動明王ふどうみょうおう文字もじ梵字ぼんじはじめ、ぼうといけんったものから様々さまざまであり、たくみい。弟子でしにも継承けいしょうされる。

著名ちょめい刀剣とうけん[編集へんしゅう]

ここでは、国広くにひろさくがたなのうち、重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされているさくげる。

  • 太刀たち めい にちしゅう古屋こやじゅう国広くにひろ山伏やまぶしこれづくり 天正てんしょうじゅうねんがつ彼岸ひがん 太刀だちしゅ日向ひなたこくじゅう飯田いいだ新七しんしちりょう藤原ふじわらゆうやすごう山伏やまぶし国広くにひろ) (個人こじんぞう
  • わきゆび めい にちしゅう古屋こやじゅう国広くにひろさく 天正てんしょうじゅうよんねんはちがつ個人こじんぞう
  • かたな めい 九州きゅうしゅう日向ひなたじゅう国広くにひろさく 天正てんしょうじゅう八年庚刁弐月吉日平顕長(ごう山姥やまうばきり)(個人こじんぞう
  • かたな めい 国広くにひろ 慶長けいちょうななねん十二月じゅうにがつじゅうよんにちげん所蔵しょぞうさき不明ふめい
  • かたな めい 慶長けいちょう九年二月吉日信濃守国広作 賀茂かもけんぬしけい所望しょもう愛媛えひめだい山祇やまずみ神社じんじゃ)1942ねん盗難とうなん所在しょざい不明ふめい写真しゃしんなし。
  • かたな めい 慶長けいちょう九年十一月吉日信濃守国広作 賀茂かもはじめじゅうくに所望しょもう兵庫ひょうご黒川くろかわ文化ぶんか研究所けんきゅうじょ
  • かたな めい 北野きたの天満てんま天神てんじん豊臣とよとみ秀頼ひでよりおおやけ造営ぞうえいとき 于時慶長けいちょうじゅう二丁未十一月日信濃守国広造(京都きょうと北野きたの天満てんまみや
  • かたな めい 信濃しなのまもる藤原ふじわら国広くにひろづくり越後えちごもり藤原ふじわらこく儔(和歌山わかやま紀州きしゅう東照宮とうしょうぐう
  • 太刀たち めい 国広くにひろ和歌山わかやま金剛峯寺こんごうぶじ
  • かたな めい 国広くにひろ東京とうきょう三井みつい記念きねん美術館びじゅつかん)(ごう加藤かとう国廣くにひろ加藤かとう清正きよまさあいがたなであり、むすめ嫁入よめい道具どうぐひとつとして紀州きしゅう徳川とくがわつたわる。なお著名ちょめいかたかまやり嫁入よめい道具どうぐひとつである。
  • 短刀たんとう めい 国広くにひろ個人こじんぞう
  • けん めい 国広くにひろ和歌山わかやま高野山こうのやま蓮華れんげじょういん

重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんてい刀剣とうけんが12てんある。著名ちょめいさくに、沢田さわだみちえん所持しょじ身幅みはばきわめてひろい(ごうみちえん国広くにひろ)の短刀たんとうや、刀身とうしんに「ゆめ梅里うめさと」の文字もじ布袋ほてい和尚おしょうぞうられた(ごう布袋ほてい国広くにひろ)の短刀たんとう[7]など。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i 小笠原おがさわら, 和書わしょ刀剣とうけん』〈カラーブックス〉1969ねん原著げんちょ1969ねん)、131ぺーじISBN 9781889878041 
  2. ^ a b c d 新潮しんちょう世界せかい美術びじゅつ事典じてん [Shincho Encylopedia of World Art]. 新潮社しんちょうしゃ. (1985). ISBN 4-10-730206-7 
  3. ^ a b 佐藤さとう, 貫一かんいち日本にっぽん刀剣とうけん至文しぶんどう、1972ねん原著げんちょ1961ねん)、165ぺーじhttps://books.google.co.jp/books?id=2GwSAQAAMAAJ 
  4. ^ 福永ふくながよいけん日本にっぽんがたなだい百科ひゃっか事典じてん』 4かん雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん、1993ねん11がつ20日はつか、238ぺーじISBN 4639012020NCID BN10133913 
  5. ^ かたなめいほんさく長義ながよし天正てんしょうじゅう八年庚寅五月三日二九州日向住国広銘打/長尾ながお新五郎しんごろうひら朝臣あそんあらわちょう所持しょじ云々うんぬん文化ぶんか遺産いさんオンライン 徳川とくがわ美術館びじゅつかんぞう
  6. ^ a b 小笠原おがさわら 1999, p.67(白黒しろくろ写真しゃしんり)「..だいいち傑作けっさくである」
  7. ^ 足利あしかが市民しみん文化ぶんか財団ざいだん所蔵しょぞう
  • 得能とくのう一男かずお刀工とうこう大鑑たいかん』(ひかりげい出版しゅっぱん、2013ねんISBN 978-4769401476

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]