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山伏やまぶし国広くにひろ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
山伏やまぶし国広くにひろ
指定してい情報じょうほう
種別しゅべつ 重要じゅうよう文化財ぶんかざい
名称めいしょう 太刀たちめいにちしゅう古屋こやじゅう国広くにひろ山伏やまぶしこれづくり天正てんしょうじゅうねんがつ彼岸ひがん太刀たちぬし日向ひなたこくじゅう飯田いいだ新七しんしちりょう藤原ふじわらゆうやす
基本きほん情報じょうほう
種類しゅるい 太刀たち
時代じだい 安土あづち桃山ももやま時代じだい
刀工とうこう 堀川ほりかわ国広くにひろ
かたな 堀川ほりかわ
全長ぜんちょう 99.1 cm[1]
ちょう 77.3 cm[1]
2.1 cm(刀身とうしんはん)、わずか(くきはん[1]
さきはば 2.4 cm[1]
もとはば 5.2 cm[1]
さきおも 0.7 cm[1]
元重もとしげ 0.9 cm[1]
所有しょゆう 個人こじんぞう大阪おおさか

山伏やまぶし国広くにひろ(やまぶしくにひろ)は、安土あづち桃山ももやま時代じだいつくられたとされる日本にっぽんがたな太刀たち)である。日本にっぽん重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされており、大阪おおさか大東だいとう個人こじん所蔵しょぞう

概要がいよう

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安土あづち桃山ももやま時代じだいから江戸えど時代じだい初期しょきにかけて活躍かつやくした刀工とうこう堀川ほりかわ国広くにひろによってつくられたかたなである。国広くにひろ本名ほんみょう田中たなかすみ左衛門さえもんといい、ちちとともに日向ひなたこく飫肥おび宮崎みやざきけん日南にちなん)をりょうしていた伊東いとうよしゆうつかえる武士ぶしであった[2]。しかし、1577ねん天正てんしょう5ねん)に伊東いとう島津しまつとのたたかいにやぶれて滅亡めつぼうしたことから、国広くにひろ姻戚いんせきである豊後ぶんご大友おおとも宗麟そうりんたよって飫肥おびからはなれ、山伏やまぶしとして九州きゅうしゅう最大さいだい修験しゅげんどう修行しゅぎょうである英彦山ひこさんにて日々ひび修行しゅぎょうはげむとともに、日向ひなたこく拠点きょてんさくがたなおこなっていたとされる[2]刀剣とうけん研究けんきゅう佐藤さとうかんやまは1584ねん天正てんしょう12ねんごろ作品さくひんとして「山伏やまぶしときさく」との添銘の太刀たち存在そんざいれている[3]

日本にっぽんがたなだい百科ひゃっか事典じてん』にて刀剣とうけん研究けんきゅうである福永ふくながよいけん説明せつめいによれば、伊東いとう滅亡めつぼうにより国広くにひろゆう遺児いじである伊藤いとうみつる千代ちよ伊東いとうマンショ)とともに豊後ぶんごび、キリスト教きりすときょう出会であったまん千代ちよ肥前ひぜん有馬ありまセミナリヨまなぶことになった[4]一方いっぽう国広くにひろおなじく流浪るろうちゅうであった飯田いいだゆうやす依頼いらいによってほんさくさくがたなし、主家しゅか復興ふっこうそなえたものだといわれている[4]。その伝来でんらいしょうであるが、大正たいしょう時代じだい初期しょきには佐賀さが勧業かんぎょう銀行ぎんこう頭取とうどり永野ながの静雄しずお所持しょじしていた[5]1942ねん昭和しょうわ17ねん)12月16にちに、日向ひなた興業こうぎょう銀行ぎんこう現在げんざい宮崎銀行みやざきぎんこう)の頭取とうどりつとめた伊東いとうゆうおっと所有しょゆう名義めいぎにて重要じゅうよう美術びじゅつひん認定にんていされる[6]。このときさんねんほどかけて天正てんしょうふう太刀たちこしらえけた[5]。1951ねん昭和しょうわ26ねん)に『刀剣とうけん美術びじゅつだいななごうほん阿弥あみ光博みつひろ寄稿きこうしており、それによると光博みつひろほんさく伊東いとうからわたされた[7]。またこのとき父親ちちおやひかりへりくだぎを依頼いらいされた[8]文化財ぶんかざい保護ほごほう施行しこう1955ねん昭和しょうわ30ねん)2がつ2にち重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた[9]

作風さくふう

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ちょう77.3センチメートル、り2.3センチメートル。幅広はばひろさきりとなる桃山ももやま時代じだいかたな姿すがたである。てつしょう板目いためはだながれごころがあり、にえ(じにえ)つき、ざんぐりとする。ぶんは互のらん(ぐのめみだれ)主体しゅたいしょうみだれとがをまじえ、すなながし(すながし)がられ、しょうがある。帽子ぼうしみだみ、地蔵じぞうふうかえる。彫物ほりものひょうぼうとい(ぼうひ)とつめ梵字ぼんじ、「武運ぶうん長久ちょうきゅう」の文字もじり、うらにはぼうといつめ梵字ぼんじ不動明王ふどうみょうおうぞうる。くき(なかご)の鑢目(やすりめ)はり、目釘めくぎあなは2つ、くきさきぐりしりとする。めいひょうに「にちしゅう古屋こやじゅう国広くにひろ山伏やまぶしこれさく」「天正てんしょうじゅうねんがつ彼岸ひがん」、うらに「太刀たちぬし日向ひなたこくじゅう飯田いいだ新七しんしちりょう藤原ふじわらゆうやす」とる(天正てんしょう12ねん西暦せいれき1584ねん[10][注釈ちゅうしゃく 1]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ 説明せつめい文中ぶんちゅう刀剣とうけん用語ようごについて以下いか補足ほそくする。
    • ぶん構成こうせいするはがね粒子りゅうし肉眼にくがん識別しきべつできる程度ていどあらいものを「にえ」(にえ)、肉眼にくがんでは識別しきべつできない程度ていどこまかいものを「におい」(におい)という。部分ぶぶんにえられるものを「にえつく」という。
    • 「ざんぐりとする」とは、国広くにひろなどの新刀しんとう堀川ほりかわぶつてつひょうする用語ようごで、諸説しょせつあるが、一般いっぱんに、板目いためきたえがはだつ(きた目立めだつ)ものをす。参照さんしょう堀川ほりかわ国次くにつぐ飯田いいだ高遠たかとおどうサイト)
    • すなながし」とは、ちゅうえる「はたらき」の一種いっしゅで、にえせんじょうになり、すなほうきいたようにえるもの。
    • 帽子ぼうし」は「鋩子」ともき、切先きっさき部分ぶぶんぶんのこと。帽子ぼうしにはその形状けいじょうからさまざまな名称めいしょうがあり、「地蔵じぞう」はそのひとつ。

出典しゅってん

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  1. ^ a b c d e f g 本間ほんま & 佐藤さとう 1966, p. 18.
  2. ^ a b 刀剣とうけん紹介しょうかい - 刀剣とうけんワールド 2020ねん2がつ6にち閲覧えつらん
  3. ^ 佐藤さとうかんさん「72 山姥やまうばきり国広くにひろ 重要じゅうよう文化財ぶんかざい」『しん日本にっぽん名刀めいとう100せん秋田あきた書店しょてん、1990ねん5がつ20日はつか、213ぺーじISBN 4-253-90009-7
  4. ^ a b 福永ふくなが 1993, p. 238.
  5. ^ a b 合本がっぽん1、482ぺーじ
  6. ^ 昭和しょうわ17ねん12月16にち文部省もんぶしょう告示こくじだい642ごう参照さんしょう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション、4コマ
  7. ^ 合本がっぽん1、481ぺーじ
  8. ^ 合本がっぽん1、483ぺーじ
  9. ^ 昭和しょうわ30ねん2がつ2にち文化財ぶんかざい保護ほご委員いいんかい告示こくじだい2ごう
  10. ^ 重要じゅうよう文化財ぶんかざい編纂へんさん委員いいんかいへんしん指定してい重要じゅうよう文化財ぶんかざい6 工芸こうげいIII』、毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1982、pp.231 - 232

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 福永ふくながよいけん日本にっぽんがたなだい百科ひゃっか事典じてん』 4かん雄山閣ゆうざんかく出版しゅっぱん、1993ねん11月20にちISBN 4639012020NCID BN10133913 
  • ほん阿弥あみ光博みつひろ山伏やまぶし国広くにひろ」『かたな美術びじゅつだい7かん日本にっぽん美術びじゅつ刀剣とうけん保存ほぞん協会きょうかい、1951ねん1がつ8にち 合本がっぽん1)
  • 本間ほんま順治じゅんじ; 佐藤さとう貫一かんいち日本にっぽんがたな大鑑たいかん 新刀しんとうへん1【図版ずはん】』大塚おおつかたくみげいしゃ、1966ねん、18ぺーじNCID BA38019082 

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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