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夜想曲やそうきょく (ドビュッシー)

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
とう楽曲がっきょく作曲さっきょく着手ちゃくしゅしたころのドビュッシー(1897ねん撮影さつえい

夜想曲やそうきょく』(やそうきょく、Nocturnes)は、クロード・ドビュッシー1897ねんから1899ねんにかけて作曲さっきょくした管弦楽かんげんがくきょく[1][2]。「くも」・「まつり」・「シレーヌ」の3きょくからなる一種いっしゅ組曲くみきょくとなっている。

フランス語ふらんすごのまま『ノクチュルヌ』とばれることもある。初稿しょこう[3]改訂かいてい稿こう[4]の2稿こうがあり、どちらの楽譜がくふはいる。

題名だいめいについて

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夜想曲やそうきょく」(ノクチュルヌ、ノクターン)はフィールドはじまりショパン発展はってんさせた器楽きがくきょくの1ジャンルであるが、ドビュッシーはとう楽曲がっきょくについて「《夜想曲やそうきょく》という題名だいめいは、ここではより一般いっぱんてきな、とりわけいっそう装飾そうしょくてき意味いみ理解りかいされるべきである。だから夜想曲やそうきょくという慣行かんこう形式けいしき意味いみするのではなく、さまざまな印象いんしょうひかり特別とくべつ効果こうかのすべてを意味いみする」とべ、音楽おんがくじょう形式けいしきとらえるのではなく、よりひろ意味いみつより絵画かいがてき説明せつめいしているものであることをしめしている[1][2]

作曲さっきょく経緯けいい

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夜想曲やそうきょく完成かんせいいたるまでのみちのりは、ながいものであった。その途上とじょういて、前身ぜんしんてき存在そんざいといえる作品さくひんが2つ登場とうじょうする[2]

『3つの黄昏たそがれ情景じょうけい』(Trois scènes au crépuscule
はじめてとう楽曲がっきょく前身ぜんしんとなる作品さくひんについて言及げんきゅうされたのは1892ねん9がつのことだった。この当時とうじ、ドビュッシーは手紙てがみで「『3つの夕暮ゆうぐれ(黄昏たそがれ)の情景じょうけい』がほぼ完成かんせいしました」としたためている。この『3つの夕暮ゆうぐれ(黄昏たそがれ)の情景じょうけい』はアンリ・ド・レニエの「古代こだいロマネスク詩集ししゅう」から着想ちゃくそうたものとされているが、結局けっきょく完成かんせいしてることはかった[2][5][6]
独奏どくそうヴァイオリンと管弦楽かんげんがくのための『夜想曲やそうきょく
その、ドビュッシーは構想こうそうなおし、1894ねん8がつに「ヴァイオリン管弦楽かんげんがくのための『夜想曲やそうきょく(ノクチュルヌ)』」という題名だいめいけるとともに、同年どうねん9がつにはヴァイオリニストのイザイてた手紙てがみなかで、この構想こうそうについて以下いかのように紹介しょうかいしている[2]

だい1きょく弦楽器げんがっきだけで、だい2きょくフルート複数ふくすう)、4ほんホルン、3ほんトランペットと2だいハープで、だい3きょくはそれら2種類しゅるい楽器がっきわせを結合けつごうしたかたち演奏えんそうされます。これは実際じっさいのところ、実験じっけんです。絵画かいがでなら、さしずめ、灰色はいいろエチュードといった、ただひとつのいろのなかで可能かのうなさまざまなコンビネーションを探求たんきゅうする実験じっけんです[2]

しかし、のちにイザイとの関係かんけい悪化あっかしたことから、この構想こうそうえとなってしまった[1]

そして1897ねん12月になって、ようやく現在げんざいかたちでの『夜想曲やそうきょく』の作曲さっきょく着手ちゃくしゅすることになったわけであるが、ここにいたるまでにドビュッシーは『ペレアスとメリザンド』に着手ちゃくしゅしていたり(1893ねん)、『牧神ぼくしん午後ごごへの前奏ぜんそうきょく』を完成かんせいさせたりしてきている(1894ねん[1][2][7]

初演しょえん

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ず「くも」と「まつり」の2きょく1900ねん12月9にちパリいてカミーユ・シュヴィヤール指揮しきするラムルー管弦楽かんげんがくだん演奏えんそうにて初演しょえんよく1901ねん10月27にちおなじコンビにてぜん3きょく初演しょえんおなじくパリにいてった[1][2][8]

先行せんこうしておこなわれたはじめの2きょく初演しょえんっていた批評ひひょうアルフレッド・ブリュノーは、これら作品さくひんからホイッスラー絵画かいが連想れんそうする、とべているが、この要因よういんとして、ホイッスラーはアメリカ画家がかであるが、かれ自身じしんくろかね夜想曲やそうきょく』や『あおぎん夜想曲やそうきょく』といった題名だいめい絵画かいがえがいていたため、とされている。なお、ホイッスラー自身じしんは1892ねんにパリにしてきて1897ねんないし98ねんまで居住きょじゅうしている。また『夜想曲やそうきょく』は19世紀せいきまつ制作せいさくされた絵画かいが数多かずおお出現しゅつげんするタイトルでもあった[2]

他方たほう、ホイッスラーは色彩しきさい音楽おんがくりょう概念がいねんむすびつけることをこのんだ画家がかであり、その画風がふうにドビュッシーも好感こうかんいていたことから、かれ絵画かいがとう楽曲がっきょく作曲さっきょくけて着想ちゃくそうみなもとにもなったのでは、と推測すいそくするきも存在そんざいする[9]

日本にっぽん初演しょえん1927ねん12月17にち奏楽そうがくどうにて、チャーレス・ラウトロプ指揮しき東京とうきょう音楽おんがく学校がっこう管弦楽かんげんがくだんによりなされた。

楽曲がっきょく構成こうせい

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音楽おんがく音声おんせい外部がいぶリンク
全曲ぜんきょく試聴しちょうする
Debussy - Trois Nocturnes - ピエール・ブーレーズ指揮しきウィーン・フィルハーモニー管弦楽かんげんがくだんによる演奏えんそう。EuroArts公式こうしきYouTube。
Claude Debussy:Nocturnes - ミッコ・フランク指揮しきフランス放送ほうそうフィルハーモニー管弦楽かんげんがくだんによる演奏えんそうFrance Musique公式こうしきYouTube。
Debussy:Suite aus »Nocturnes« und »Images« - パブロ・エラス=カサド指揮しきhr交響こうきょう楽団がくだんによる演奏えんそう《「くも (Nuages)」・「まつり (Fêtes)」の2きょく当該とうがい演奏えんそうぜん4きょくちゅう前半ぜんはん2きょく演奏えんそう》。hr交響こうきょう楽団がくだん公式こうしきYouTube。

以下いかの3きょく構成こうせいされている。演奏えんそう所要しょよう時間じかんやく25ふん[1]

1. くも (Nuages)
そらくものゆっくりながれてえていくさま描写びょうしゃしたもの。冒頭ぼうとうに「セーヌかわうえれこめたくも」をあらわ[10]クラリネットとバスーンの動機どうきあらわれる。このうごきはムソルグスキー歌曲かきょくしゅうにちひかりもなく』からの借用しゃくようであるという指摘してきがある[11]。4ぶんの6拍子ひょうしのリズムに「汽船きせんのサイレン」をあらわすコーラングレ[10]旋律せんりつが4ぶんの4拍子ひょうしポリリズムからみ、はくぶしかんがぼやけさせられている。ソロをのぞつね弱音よわねがつけられた弦楽器げんがっきはディヴィジによって細分さいぶんされ(ヴァイオリンはだい1、だい2がそれぞれ6分割ぶんかつ合計ごうけい12分割ぶんかつ)、弱音よわねをつけたホルン、てい音域おんいきのフルートなどとともにこのきょく独特どくとくの「灰色はいいろ」のテクスチュアをつくる。中間なかまでハープをともなったフルートが東洋とうようてき五音ごいん音階おんかい旋律せんりつかなでるが、これは1889ねんパリ万国博覧会ばんこくはくらんかいでドビュッシーがいた、ジャワガムラン影響えいきょうであるとかんがえられる[11]
2. まつり (Fêtes)
まつりがりとまつりのちしずけさがえがかれている。ff空虚くうきょによるリズムが弦楽器げんがっきによってきざまれ、木管もっかん楽器がっきがスケルツォふう主題しゅだいかなでる。活発かっぱつな3れんのリズムにって進行しんこうするまつりの音楽おんがく唐突とうとつ中断ちゅうだんすると、とおくから幻影げんえいのような行列ぎょうれつちかづいてくる。やがてまつりの主題しゅだい行列ぎょうれつ主題しゅだい同時どうじ進行しんこううクライマックスをむかえ、そのしょ主題しゅだい回想かいそうしながらるようにわる。トランペットによりつぎの「シレーヌ」の序奏じょそうがさりげなく予告よこくされる。
3. シレーヌ (Sirènes)
「シレーヌ」とは、ギリシャ神話しんわなどにてくるものである(セイレーン参照さんしょう)。このきょくではトロンボーン、チューバ、ティンパニと打楽器だがっき使つかわれていないが、歌詞かしのない女声じょせい合唱がっしょうヴォカリーズ)がくわわられており、つきひかりうつしてきらめくなみとシレーヌの神秘しんぴてき歌声うたごえが、精緻せいちなオーケストレーションによって表現ひょうげんされる。なお、ドビュッシーが『うみ』の作曲さっきょく開始かいしするのはこれよりのち1903ねんのことである。

楽器がっき編成へんせい

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くせごとに使用しよう楽器がっきオーケストレーションことなる。

くも
フルート2、オーボエ2、コーラングレクラリネット(B♭かん)2、バスーン3、ホルン(Fかん)4、ティンパニハープつる
まつり
フルート3(3ばん奏者そうしゃピッコロえ)、オーボエ2、コーラングレ、クラリネット(B♭かんとAかん)2、バスーン3、ホルン(Fかん)4、トランペット(Fかん)3、トロンボーン3、チューバ、ティンパニ、シンバルシンバル小太鼓こだいこ、ハープ2、つる
シレーヌ
フルート3、オーボエ2、コーラングレ、クラリネット(AかんとB♭かん)2、バスーン3、ホルン(Fかん)4、トランペット(Fかん)3、ハープ2、女声じょせい合唱がっしょうソプラノ8、メゾソプラノ8)、つる

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f しばつじ純子じゅんこ音楽おんがく評論ひょうろん) (2017ねん1がつ25にち). “Program notes 楽曲がっきょく紹介しょうかい”. プログラム月刊げっかんオーケストラ」. 読売よみうり日本にっぽん交響こうきょう楽団がくだん. p. 6. 2023ねん5がつ3にち閲覧えつらん。 “読響よみきょう月刊げっかんオーケストラ』2017ねん1・2がつごうより(→プログラム月刊げっかんオーケストラ」(総合そうごう目次もくじ)”
  2. ^ a b c d e f g h i 井上いのうえさつき(音楽おんがく学者がくしゃ『ドビュッシーと絵画かいが』~ふくあい芸術げいじゅつ研究けんきゅうこころみ:I.ドビュッシーと絵画かいが(音楽おんがくめんから)」『ミクスト・ミューズ』だい4ごう愛知県立芸術大学あいちけんりつげいじゅつだいがく、2009ねん3がつ31にち、11-14ぺーじ2023ねん5がつ3にち閲覧えつらん。「『ミクスト・ミューズ』アーカイブリンクしゅう→”作曲さっきょく専攻せんこう 音楽おんがくがくコース|愛知県立芸術大学あいちけんりつげいじゅつだいがく”(当該とうがいぺーじ後半こうはんにアーカイブリンクしゅうらんゆう)」 
  3. ^ 初稿しょこう”. store.doverpublications.com. store.doverpublications.com. 2022ねん4がつ22にち閲覧えつらん
  4. ^ 改訂かいてい稿こう”. en.schott-music.com. en.schott-music.com. 2022ねん4がつ22にち閲覧えつらん
  5. ^ ドビュッシー とパリの詩人しじんたち 2がつ7にちリリース!”. Facebook. 青柳あおやぎいづみこ(ピアニスト・文筆ぶんぴつ (2019ねん2がつ8にち). 2023ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  6. ^ 「パリの芸術げいじゅつたちとその出会であい フォーレ、ドビュッシー、 サティー がたかったサロン」(2006ねん4がつ”. ピアニスト・文筆ぶんぴつ 青柳あおやぎいづみこオフィシャルサイト (2006ねん4がつ15にち). 2023ねん5がつ3にち閲覧えつらん
  7. ^ 佐藤さとう東洋とうよう麿まろ喜田きた博美ひろみドビュッシーとボードレール」『横浜国立大学よこはまこくりつだいがく人文じんぶん紀要きようだいるい語学ごがく文学ぶんがくだい41かん横浜国立大学よこはまこくりつだいがく、1994ねん10がつ31にち、44ぺーじ2023ねん5がつ4にち閲覧えつらん。「論文ろんぶん本体ほんたいへのアクセスリンクづけ 
  8. ^ ジャン=ミシェル・ネクトゥー; かき如(翻訳ほんやく). “ドビュッシー・アルバム(1902-1955ねん録音ろくおん) ドビュッシー作品さくひん演奏えんそう”. p. 12. 2023ねん5がつ4にち閲覧えつらん。 “当該とうがいライナーノーツ封入ふうにゅうさきドビュッシー・アルバム 作曲さっきょく演奏えんそうたち
  9. ^ 中島なかじま卓郎たくろう岡田おかだ匡史ただし印象派いんしょうはにおける音楽おんがく絵画かいが相関そうかん(1):ドビュッシーとモネの言説げんせつもとづく考察こうさつ」『信州大学しんしゅうだいがく教育きょういく学部がくぶ紀要きようだい105かん信州大学しんしゅうだいがく教育きょういく学部がくぶ、2009ねん2がつ18にち、32ぺーじ2023ねん5がつ4にち閲覧えつらん。「論文ろんぶん本体ほんたいへのアクセスリンクづけ 
  10. ^ a b ドビュッシーが友人ゆうじんパウル・プジョーにかたった言葉ことば音楽之友社おんがくのともしゃスコアのあとがき
  11. ^ a b グラウト/パリスカ『しん西洋せいよう音楽おんがくした)』音楽之友社おんがくのともしゃ、2001ねん

外部がいぶリンク

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