(Translated by https://www.hiragana.jp/)
大森義太郎 - Wikipedia コンテンツにスキップ

大森おおもり義太郎よしたろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

大森おおもり 義太郎よしたろう(おおもり よしたろう、明治めいじ31ねん1898ねん9月26にち - 昭和しょうわ15ねん1940ねん7がつ28にち)は、日本にっぽんマルクス経済けいざいがくもの筆名ひつめい成瀬なるせ光雄みつおがある。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

神奈川かながわけん横浜よこはま大森おおもり啓助けいすけとしてまれる。1922ねん大正たいしょう11ねん東京とうきょう府立ふりつよんなかからいちだかて、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく経済学部けいざいがくぶそつ卒業そつぎょう同時どうじどう学部がくぶ助手じょしゅ。1924ねん大正たいしょう13ねん東京帝大とうきょうていだい助教授じょきょうじゅ

1928ねん昭和しょうわ3ねん)4がつ赤化せっか教授きょうじゅへの政府せいふ弾圧だんあつ徹底的てっていてきであり、早晩そうばん退職たいしょく余儀よぎなくされるとして、先手せんてつように辞表じひょう提出ていしゅつして辞職じしょく[1]以後いご講壇こうだんジャーナリストとして生活せいかつすることになる。

1933ねん昭和しょうわ8ねん)に『唯物ゆいぶつ弁証法べんしょうほう読本とくほん』を出版しゅっぱん

1937ねん昭和しょうわ12ねん)の人民戦線じんみんせんせん事件じけん検挙けんきょ1938ねん昭和しょうわ13ねん)に病気びょうきのため保釈ほしゃくされたが、失意しついのうちに胃癌いがんのため[2]生涯しょうがいじた。墓所はかしょ青山あおやま霊園れいえん

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 唯物ゆいぶつ史観しかん 経済けいざいがく全集ぜんしゅう だい48かん 改造かいぞうしゃ 1932
  • 史的してき唯物ゆいぶつろん 現代げんだい史学しがく大系たいけい だい3かん 共立社きょうりつしゃ 1932
  • 唯物ゆいぶつ弁證法べんしょうほう讀本とくほん中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1933ねん4がつ5にち
  • まてりありすむす・みりたんす 中央公論社ちゅうおうこうろんしゃ 1934.8
  • マルクシズムのABC 北斗ほくと書院しょいん 1946.4

翻訳ほんやく[編集へんしゅう]

  • 理論りろん経済けいざいがく概説がいせつ エミール・レーデラー 有沢ありさわひろともやく 明善あきよししゃ 1926
  • レーニン弁証法べんしょうほうてき唯物ゆいぶつろん レーニン「唯物ゆいぶつろん経験けいけん批判ひはんろん」への序論じょろん デボーリン くさむらぶんかく 1927.9
  • 唯物ゆいぶつろん經驗けいけん批判ひはんろん 反動はんどう哲学てつがく批判ひはんてき考察こうさつ レーニン 山川やまかわひとしともやく しろあげしゃ 1929 (レーニン全集ぜんしゅう)
  • 剰余じょうよ価値かち学説がくせつ だい2かん カール・マルクス 猪俣いのまた津南雄つなおともやく 改造かいぞうしゃ 1936

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 東大とうだい大森おおもり義太郎よしたろう助教授じょきょうじゅ辞表じひょう提出ていしゅつ東京日日新聞とうきょうにちにちしんぶん昭和しょうわ3ねん4がつ18にち(『昭和しょうわニュース事典じてんだい1かん 昭和しょうわ元年がんねん-昭和しょうわ3ねん本編ほんぺんp192-193 昭和しょうわニュース事典じてん編纂へんさん委員いいんかい 毎日まいにちコミュニケーションズかん 1994ねん
  2. ^ 服部はっとりさとしりょう事典じてん有名人ゆうめいじん死亡しぼう診断しんだん 近代きんだいへん付録ふろく近代きんだい有名人ゆうめいじん死因しいん一覧いちらん」(吉川弘文館よしかわこうぶんかん、2010ねん)6ぺーじ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]