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だい神宮前じんぐうまええき

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だい神宮前じんぐうまええき
だい神宮前じんぐうまええきあと
だいじんぐうまえ
DAIJINGUMAE
地図
所在地しょざいち 三重みえけん宇治山田うじやまだげん伊勢いせ
北緯ほくい3429ふん24.6びょう 東経とうけい13642ふん7.2びょう / 北緯ほくい34.490167 東経とうけい136.702000 / 34.490167; 136.702000 (だい神宮前じんぐうまええき)
所属しょぞく事業じぎょうしゃ 伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ関西かんさい急行きゅうこう鉄道てつどう
げん近畿日本鉄道きんきにほんてつどう
所属しょぞく路線ろせん 本線ほんせん
キロほど 39.4 km(江戸橋えどばし起点きてん
開業かいぎょう年月日ねんがっぴ 1930ねん12月25にち
廃止はいし年月日ねんがっぴ 1942ねん8がつ11にち
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だい神宮前じんぐうまええき(だいじんぐうまええき)は、かつて三重みえけん宇治山田うじやまだげん伊勢いせ)に存在そんざいした伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ関西かんさい急行きゅうこう鉄道てつどう近畿日本鉄道きんきにほんてつどう前身ぜんしん)のえきはいえき)である。1930ねん開業かいぎょう、1942ねんはいえき

歴史れきし

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昭和しょうわ初期しょき参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ本線ほんせんとして、大阪おおさかから伊勢神宮いせじんぐうかう直行ちょっこう路線ろせんとして現在げんざい近鉄きんてつ大阪おおさかせん山田やまだせん建設けんせつしていたが、それにたいして三重みえけん地元じもと企業きぎょうである伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう対抗心たいこうしんで、部田へたえき国鉄こくてつ参宮さんぐうせん当時とうじえきから徒歩とほ5ふん程度ていど位置いち)から宇治山田うじやまだかう路線ろせん建設けんせつおこなおうとしていた。

松阪まつざか - 宇治山田うじやまだあいだでは両社りょうしゃ路線ろせんがほぼ並行へいこうするため、線路せんろ敷設ふせつ合戦かっせんとなり、参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつがわがやや先行せんこうした。そのため、参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつがわ用地ようち買収ばいしゅうおうじた地主じぬしが、たたかれたとおもって後続こうぞくする伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう用地ようち買収ばいしゅうにはおうじなかったというはなしのこっており、伊勢いせ電気でんき鉄道てつどうがわおおきな負担ふたんいる結果けっかとなった。

それでも参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ鉄道てつどうしょう山田やまだえきげん伊勢いせえき)へのれをたした1930ねん昭和しょうわ5ねん12月20にちの5にち12月25にち伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう伊勢いせ神宮前じんぐうまえまでのれを達成たっせいすること出来できた。このとき伊勢いせでん宇治山田うじやまだにおけるターミナルえきとして建設けんせつされたのが、だい神宮前じんぐうまええきであった。

伊勢神宮いせじんぐう最寄もよえきであることから、計画けいかく当初とうしょは「伊勢大いせおお神宮前じんぐうまええき」の名称めいしょう予定よていされていたが、伊勢神宮いせじんぐうがわからクレームがき、たんに「だい神宮前じんぐうまええき」となった。伊勢神宮いせじんぐう本来ほんらい固有こゆう名称めいしょうは、地名ちめいけずに「神宮じんぐう」としょうするため、「伊勢いせ」をけると伊勢いせ電鉄でんてつ社名しゃめい略称りゃくしょうくわえたようで不都合ふつごうという事情じじょうがあったようである。

ゆたか受大神宮じんぐう外宮げくう外苑がいえんがわにあり、北御門きたごもん参道さんどうむかうような位置いちかれていた。駅舎えきしゃは、参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ1931ねん昭和しょうわ6ねん3月17にち供用きょうよう開始かいししたターミナルの宇治山田うじやまだえきよりややぶりであったが、立派りっぱ瓦葺かわらぶき終着駅しゅうちゃくえきとしての風格ふうかくそなえたものとなっていた。プラットホーム対向たいこうしき2めん2せんであったといわれる。

開業かいぎょうとも大垣おおがき桑名くわな四日市よっかいち伊勢いせでん部田へた改称かいしょう)から直通ちょくつう急行きゅうこう電車でんしゃが、桑名くわな - 大神宮だいじんぐうぜんあいだを1あいだ40ふん程度ていど走破そうはれるようになった。1935ねん昭和しょうわ10ねん)には、伊勢いせ電気でんき鉄道てつどうモハニ231かたちもちいて桑名くわな - 大神宮だいじんぐうぜんあいだを1あいだ25ふんはし特急とっきゅう電車でんしゃ「はつひ(初日しょにち)」・「かみち(神路かみじ)」運転うんてん開始かいしし、参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつとのあいだはなやかな乗客じょうきゃく獲得かくとく競争きょうそうひろげた。

伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう昭和しょうわ恐慌きょうこう影響えいきょうもあり、神宮じんぐう進出しんしゅつ出費しゅっぴおもくのしかかって経営けいえい悪化あっかおちいり、1936ねん昭和しょうわ11ねん)に参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ吸収きゅうしゅう合併がっぺいされた。その1938ねん昭和しょうわ13ねん)には参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ子会社こがいしゃ関西かんさい急行きゅうこう電鉄でんてつ名古屋なごやまでの路線ろせん建設けんせつしたため、名古屋なごや - 大神宮だいじんぐうぜんあいだを1あいだ50ふん程度ていどはし特急とっきゅうえきれるようになったこともあった。同年どうねん11月11にちには、閑院みやじん親王しんのうせた乗用じょうよう列車れっしゃれた。

だが、参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつとその親会社おやがいしゃ大阪おおさか電気でんき軌道きどう次第しだい名古屋なごや - まいりきゅう中川なかがわげん伊勢いせ中川なかがわあいだはし列車れっしゃに(大阪おおさか - 中川なかがわ - 宇治山田うじやまだあいだ急行きゅうこう電車でんしゃ接続せつぞくさせ、大阪おおさか - 名古屋なごやあいだ輸送ゆそう一役ひとやくになわせようとしたことから)輸送ゆそう比重ひじゅうをおくようになったため、だい神宮前じんぐうまええき地位ちい次第しだい低下ていかするようになった。それでも中川なかがわ経由けいゆ名古屋なごやから伊勢いせかうには、参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ本来ほんらい路線ろせんもと伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう路線ろせん軌間きかんことなったことからどうえき乗換のりかえをようしたため、名古屋なごや - 大神宮だいじんぐうぜんあいだ直通ちょくつう運行うんこう急行きゅうこう列車れっしゃはお伊勢参いせまいりのきゃく皇紀こうき2600ねん1940ねん昭和しょうわ15ねん行事ぎょうじ影響えいきょうもあって増加ぞうかしたことから、しばらく運行うんこうつづけられた。

1941ねん昭和しょうわ16ねん)には大阪おおさか電気でんき軌道きどう参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ合併がっぺいして関西かんさい急行きゅうこう鉄道てつどうえきとなるが、1942ねん昭和しょうわ17ねん)に伊勢線いせせんとなっていた江戸橋えどばし - しん松阪まつさか - 大神宮だいじんぐうぜんあいだ路線ろせんうちしん松阪まつさか - 大神宮だいじんぐうぜんあいだ山田やまだせん並行へいこうするため不要ふよう不急ふきゅうせん指定していされはいせんとなり、だい神宮前じんぐうまええきえた。

年表ねんぴょう

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  • 1930ねん昭和しょうわ5ねん[1]12月25にち開設かいせつ
  • 1936ねん昭和しょうわ11ねん9月15にち伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ買収ばいしゅうされ、同社どうしゃえきとなる。
  • 1941ねん昭和しょうわ16ねん3月15にち参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ大阪おおさか電気でんき軌道きどう合併がっぺいして関西かんさい急行きゅうこう鉄道てつどうとなり、同社どうしゃえきとなる。
  • 1942ねん昭和しょうわ17ねん8がつ11にちしん松阪まつさか大神宮だいじんぐうぜんあいだ廃止はいし同時どうじ廃止はいし

発着はっちゃく電車でんしゃ

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1934ねん8がつ21にち改正かいせい当時とうじ伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう

  • 急行きゅうこう電車でんしゃ7往復おうふく
  • 準急じゅんきゅう電車でんしゃ8往復おうふく
  • 普通ふつう電車でんしゃ:6から22だいまで毎時まいじ1・2ほん

1938ねん12月26にち改正かいせい参宮さんぐう急行きゅうこう電鉄でんてつ

  • 急行きゅうこう電車でんしゃ11往復おうふくうち、8往復おうふく名古屋なごや - 中川なかがわあいだ列車れっしゃ名古屋なごや - 江戸橋えどばしあいだで併結)
  • 普通ふつう電車でんしゃ:7から21だいまで10往復おうふく(その新地さらち始発しはつ電車でんしゃすうほんあり)
なお名古屋なごや中川なかがわあいだ運行うんこう急行きゅうこうくだり20ほんのぼり18ほんあり、そのすべてが大阪おおさか - 中川なかがわ - 宇治山田うじやまだあいだ運行うんこう上下じょうげ急行きゅうこう電車でんしゃ中川なかがわ接続せつぞくした。

となりえき

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伊勢いせ電気でんき鉄道てつどう
本線ほんせん[1]
常磐ときわまちえき - だい神宮前じんぐうまええき

えきあと

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駅名えきめいしるべモニュメント

跡地あとち伊勢いせ市立しりつ厚生こうせい中学校ちゅうがっこう敷地しきちとなり、どう中学校ちゅうがっこう移転いてんNTT伊勢いせ志摩しまきょく敷地しきちになった[2]のちにNTT伊勢いせ志摩しまきょく縮小しゅくしょうで、外宮げくうりの一部いちぶ更地さらちとなり、「外宮げくう北御門きたごもん広場ひろば」として各種かくしゅイベントに活用かつようされている。桑名くわな方面ほうめん線路せんろあとは、道路どうろ転用てんようされたが、宮川みやがわはし撤去てっきょされ、そこでまりになっている。宮川みやがわこうは、一部いちぶ三重みえけんどう37ごう鳥羽とっぱ松阪まつさかせん転用てんようされている。

2008ねん3がつ路線ろせん転用てんよう道路どうろわきに、駅名えきめいしるべをかたどったモニュメント設置せっちされた。表面ひょうめんにはだい神宮前じんぐうまええきつぎえき常磐ときわまちえき表示ひょうじされ、裏面りめんには路線ろせん歴史れきし解説かいせつされている[3]。ただし、看板かんばん設置せっちされているのは、敷地しきち関係かんけい本来ほんらいえきではなく桑名くわなりの線路せんろわきたる場所ばしょである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 岡田おかだ(2015):126ページ
  2. ^ 岡田おかだ(2015):128ページ
  3. ^ 岡田おかだ(2015):126 - 128ページ

参考さんこう文献ぶんけん

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