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大谷おおや一男かずお

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大谷おおや 一男かずお
生誕せいたん 1879ねん12月7にち
高知こうちけん 長岡ながおかぐん五台山ごだいさんむら
死没しぼつ 1949ねん8がつ9にち
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
ぐんれき 1900 - 1935
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん中将ちゅうじょう
指揮しき だい12師団しだんなが
旅順りょじゅん要塞ようさい司令しれいかん
歩兵ほへいだい38旅団りょだんちょう
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大谷おおや 一男かずお(おおたに かずお、1879ねん明治めいじ12ねん12月7にち[1] - 1949ねん昭和しょうわ24ねん8がつ9にち[よう出典しゅってん])は、日本にっぽん陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん中将ちゅうじょう

履歴りれき[編集へんしゅう]

1878ねん明治めいじ11ねん長岡ながおかぐん五台山ごだいさんむら現在げんざい高知こうち)にまれた[よう出典しゅってん]1898ねん明治めいじ31ねん)、高知こうちけん尋常じんじょう中学校ちゅうがっこうそつ[よう出典しゅってん]1900ねん明治めいじ33ねん)11月、陸軍りくぐん士官しかん学校がっこう(12)を卒業そつぎょう[1][2]翌年よくねん6がつ歩兵ほへい少尉しょうい任官にんかん[2]1912ねん大正たいしょう元年がんねん)11月、陸軍りくぐんだい学校がっこう(24)を卒業そつぎょう[1][3]

1922ねん大正たいしょう11ねん)11月、歩兵ほへい大佐たいさ昇進しょうしんし、陸士りくし本科ほんか訓育くんいく部長ぶちょう就任しゅうにん[3]近衛このえあゆみへいだい2連隊れんたいちょうだい8師団しだん参謀さんぼうちょう歴任れきにん[3]1927ねん昭和しょうわ2ねん)7がつ陸軍りくぐん少将しょうしょう進級しんきゅう歩兵ほへいだい38旅団りょだんちょうとなる[1][3]1930ねん昭和しょうわ5ねん)3がつ近衛このえ師団しだん司令しれいづけとなり、1931ねん昭和しょうわ6ねん)10がつ旅順りょじゅん要塞ようさい司令しれいかん着任ちゃくにん[1][3]

1932ねん昭和しょうわ7ねん)4がつ陸軍りくぐん中将ちゅうじょうすす陸軍りくぐん歩兵ほへい学校がっこうちょう就任しゅうにん[1][3]1933ねん昭和しょうわ8ねん)3がつだい12師団しだんちょう久留米くるめ)におやされた[1][3]1935ねん昭和しょうわ10ねん)3がつ待命たいめいとなり予備よびやく編入へんにゅうされた[1][3]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)11月28にち公職こうしょく追放ついほうかり指定していけた[4]

栄典えいてん[編集へんしゅう]

位階いかい
勲章くんしょう

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん』153ぺーじ
  2. ^ a b 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』165、170ぺーじ
  3. ^ a b c d e f g h 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』170ぺーじ
  4. ^ 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん、「昭和しょうわじゅうねんじゅういちがつじゅうはちにち かり指定していしゃ」122ぺーじ
  5. ^ 官報かんぽうだい5484ごう叙任じょにん及辞れい」1901ねん10がつ11にち
  6. ^ 官報かんぽうだい8185ごう叙任じょにん及辞れい」1910ねん10がつ1にち
  7. ^ 官報かんぽうだい4438ごう付録ふろく辞令じれい」1941ねん10がつ23にち

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 高知こうちけん人名じんめい事典じてん高知こうち市民しみん図書館としょかん、1970ねん
  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん