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大野おおの正男まさお

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大野おおの 正男まさお(おおの まさお、1927ねん9月3にち - 2006ねん10月28にち)は日本にっぽん弁護士べんごし最高さいこう裁判所さいばんしょ判事はんじ

東京とうきょう出身しゅっしん小学生しょうがくせい時代じだい大蔵おおくら官僚かんりょうであったちち大野おおの龍太りゅうた帝人ていじん事件じけん逮捕たいほ起訴きそされ、無実むじつつみで3ねんはんのあいだ未決みけつ勾留こうりゅうされた経験けいけんから弁護士べんごし志望しぼうとなる。

第一高等学校だいちこうとうがっこう (旧制きゅうせい)て、1951ねん東京大学とうきょうだいがく法学部ほうがくぶ卒業そつぎょう在学ざいがくちゅう政治せいじ思想しそう丸山まるやまゼミに所属しょぞく[1]一旦いったん会社かいしゃつとめをしたのち1954ねん弁護士べんごし登録とうろく弁護士べんごしとしては海野うみのひろしきち師事しじ弁護士べんごしとしては悪徳あくとくさか事件じけん砂川すなかわ事件じけん西山にしやま事件じけん全逓ぜんていちゅう事件じけん羽田空港はねだくうこうデモ事件じけん飯塚いいづか事件じけん芸大げいだい事件じけん担当たんとうした。

1993ねん4がつ最高裁さいこうさい判事はんじ就任しゅうにん1997ねん9月に定年ていねん退官たいかん

1999ねん勲一等くんいっとう瑞宝章ずいほうしょう受章じゅしょう[2]

著書ちょしょ

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  • 裁判さいばんにおける判断はんだん思想しそう 判決はんけつ分岐ぶんきてん追究ついきゅう日本にっぽん評論ひょうろんしゃ 1969
  • 社会しゃかいのなかの裁判さいばん』(岩波書店いわなみしょてん、1998ねん
  • 弁護士べんごしから裁判官さいばんかんへ-最高裁さいこうさい判事はんじ生活せいかつ意見いけん』(岩波書店いわなみしょてん、2000ねん

共編きょうへんちょ

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  • じょうかい改正かいせい公労法こうろうほう公労法こうろうほう松岡まつおか三郎さぶろう,内藤ないとういさお共著きょうちょ 弘文こうぶんどう 1957
  • 『フィクションとしての裁判さいばん 臨床りんしょう法学ほうがく講義こうぎ大岡おおおか昇平しょうへい対談たいだん 朝日出版社あさひしゅっぱんしゃ・レクチャーブックス 1979
  • 刑事けいじ裁判さいばんひかりかげ 有罪ゆうざいりつ99%の意味いみするもの』渡部わたなべ保夫やすお共編きょうへん 有斐閣ゆうひかく 1989 にんけんライブラリイ

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 『60ねん安保あんぽのゼミせい丸山まるやまかこみ36ねん 活発かっぱつあゆんだ「60ねんかい」』朝日新聞あさひしんぶん 1996ねん8がつ29にち朝刊ちょうかん
  2. ^ 「99ねんあき叙勲じょくん くんさんとう以上いじょう在外ざいがい邦人ほうじん外国がいこくじん在日ざいにち外国がいこくじん受章じゅしょうしゃ一覧いちらん」『読売新聞よみうりしんぶん』1999ねん11月3にち朝刊ちょうかん