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天命てんめい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

天命てんめい(てんめい)とは、てんからあたえられた命令めいれいのこと[1]である。

てんから人間にんげんあたえられた、一生いっしょうをかけてやりげなければならない命令めいれいのこと。また、ひとがこのせいさづけられるよしとなった、てんからの命令めいれいのことである。命数めいすう[2]

概要がいよう

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現在げんざいでは「天命てんめい」はおおきくけてふたつの意味いみもちいられている。ひとつは《てんからあたえられた使命しめい》という意味いみで、これは《てんあるいは天帝てんてい命令めいれい》ということである。もうひとつは、人間にんげんちからではいかんともしがたい《運命うんめい》や《宿命しゅくめい》を意味いみし、てんからあたえられた宿命しゅくめいないしは寿命じゅみょう意味いみする。天命てんめい原義げんぎ前者ぜんしゃの《てん命令めいれい》の意味いみであったが、それがてんじて《運命うんめい》の意味いみつようになったという[3]

現代げんだいじん天命てんめいという言葉ことば意味いみ理解りかいするには、まず「いのち」という文字もじ言葉ことば意味いみ理解りかいする必要ひつようがある。「いのち」という文字もじは、元来がんらいは「れい」とかれたのだが、これはもともとかぶとこつぶん金文きんぶん資料しりょうにおいてはとてもおも意味いみ使用しようされており、うえもの自分じぶん権限けんげん一部いちぶしたもの委譲いじょうして、自分じぶんわって実行じっこうするようにと命令めいれいする行為こういと、そのさいわれる言葉ことばが「いのち」とばれたのである[1]

てんからいのちけている、とする思想しそう現代げんだいでは「受命じゅめい思想しそう」ともばれるが、この思想しそう成立せいりついんからしゅう紀元前きげんぜん1046ねんごろ-紀元前きげんぜん256ねん)への王朝おうちょう交代こうたいむすびつけてかんがえられている[4]。『黄土おうどひらいたひとびと』の著者ちょしゃ三田村みたむらやすしすけによると、いんおう正統せいとうせいみかどまたは上帝じょうていばれる最高さいこうしん直系ちょっけい子孫しそんであるとしょうしていたてんにあった。その血筋ちすじゆえにおうみかど助力じょりょく資格しかくがあるとされ、その手段しゅだんうらなであった。

西にしあまね時代じだいには、政治せいじてき側面そくめん強調きょうちょうされつつ、天命てんめいという思想しそう確立かくりつした[1]。それは以下いかのようなものである。

天帝てんていは、しゅうおう自分じぶん元子もとこ(=長男ちょうなん)として認知にんちし、そのしゅうおう天命てんめいろしてこの地上ちじょう世界せかい統治とうちをゆだねた[1]

しゅうおう天下てんか統治とうちする権限けんげんてんからの命令めいれい背景はいけいにしているとされたのである。また、てんからもととして認知にんちされているのだからしゅうおうは「天子てんし」と名乗なのることができた[1]。そしてしゅうおうは、てんからさずかったこのいのち統治とうち権限けんげんちいさくけて臣下しんかたちにあたえた[1]。すなわち職務しょくむとしてあたえることで、実際じっさいてき統治とうちをおこなわせたのである[1]。このように、西にしあまねでは、国家こっかうえからしたへといのち階層かいそうてき分与ぶんよされる構造こうぞうによってつようになった[1]西にししゅう後半こうはん時期じきのこされたさついのち金文きんぶんにも、しゅうおう臣下しんかたちに《いのち》を分与ぶんよするときの儀式ぎしき詳細しょうさい記述きじゅつされている[1]

ただし、もととして天命てんめいけたものであっても、そのものとくうしなってしまったときは、天帝てんていもととして認知にんちしなくなり、べつ有徳うとくしゃさがして、そのものあたらしく天命てんめいろす、とされた[1]。「いのちあらたまる(あらたまる)」ということから、革命かくめいわれるようになった[1]。これが革命かくめい(かくめい)という表現ひょうげんめられている思想しそうである。

上記じょうきのように、もともと天命てんめいという思想しそうは、王朝おうちょう家系かけい盛衰せいすいにかかわるものであったが、そこではすべてのひと一部分いちぶぶんとは天命てんめい分与ぶんよされているとされていたことから、やがて「天命てんめいがひとりひとりの人間にんげん運命うんめいをも支配しはいしている」ともされるようになった[1]。ちょうど天命てんめい王朝おうちょう命運めいうん決定けっていしているように、ひとりのひと人生じんせい長短ちょうたん人生じんせいのできごとの良否りょうひ天命てんめいによってさだめられている、とかんがえられるようになったのである[1]。かくして「いのち」のかたり寿命じゅみょう運命うんめいをも意味いみするようになったわけである[1]

なお『論語ろんご』には孔子こうし紀元前きげんぜん551ねん紀元前きげんぜん479ねん)の言葉ことばとして「じゅう而知天命てんめい」(じゅうにして天命てんめいる)という表現ひょうげんがあるが、上述じょうじゅつのように天命てんめい使命しめい運命うんめい両方りょうほう意味いみもちいられているので、論語ろんごのこの表現ひょうげんめぐって、《運命うんめい》や《宿命しゅくめい》(自分じぶんにはこれだけしかできない)ということを意味いみしているのか、それとも《使命しめい》(自分じぶん人生じんせいでこれだけはしなければならない)を意味いみしているのかで解釈かいしゃくかれているという[3]

その

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 金谷かなやおさむ訳注やくちゅう論語ろんご岩波いわなみ文庫ぶんこ、1999ねん改訂かいてい
  • 金谷かなやおさむ訳注やくちゅう大学だいがく中庸ちゅうよう岩波いわなみ文庫ぶんこ、1998ねん
  • 佐藤さとうみつぐえつ古代こだい中国ちゅうごく天命てんめい思想しそう展開てんかい学文社がくぶんしゃ、1996ねん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 小南こみなみ一郎いちろう天命てんめい」『哲学てつがく思想しそう 事典じてん岩波書店いわなみしょてん、1998ねん 
  2. ^ 広辞苑こうじえん だいはん命数めいすう】(2)てんからさづけられた運命うんめい
  3. ^ a b 日原ひのはら利国としくに天命てんめい」『世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん平凡社へいぼんしゃ、1988ねん 
  4. ^ 三田村みたむらやすしすけ生活せいかつ世界せかい歴史れきし(2) 黄土おうどひらいたひとびと』河出かわで文庫ぶんこ河出書房新社かわでしょぼうしんしゃ、1991ねん

関連かんれん項目こうもく

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比較ひかく

外部がいぶリンク

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