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おく久登ひさと

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おく久登ひさと
おく ひさと
生年月日せいねんがっぴ 1881ねん4がつ22にち
出生しゅっしょう 日本の旗 日本にっぽん 広島ひろしまけん
ぼつ年月日ねんがっぴ (1974-08-18) 1974ねん8がつ18にち(93さいぼつ
出身しゅっしんこう 広島ひろしま県立けんりつ師範しはん学校がっこう卒業そつぎょう
げん広島大学ひろしまだいがく教育きょういく学部がくぶ
ぜんしょく 広島ひろしまけん統計とうけい協会きょうかい会長かいちょう
所属しょぞく政党せいとう翼賛よくさん政治せいじかい→)
日本にっぽん進歩しんぽとう

選挙せんきょ 広島ひろしまけんだい1選挙せんきょ
当選とうせん回数かいすう 1かい
在任ざいにん期間きかん 1942ねん - 1945ねん12月18にち
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おく 久登ひさと(おく ひさと、1881ねん4がつ22にち[1] - 1974ねん8がつ18にち[2])は、日本にっぽん政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん(1)。

経歴けいれき[編集へんしゅう]

広島ひろしまけん出身しゅっしん[3]1902ねん広島ひろしま県立けんりつ師範しはん学校がっこう(げん広島大学ひろしまだいがく教育きょういく学部がくぶ)そつ[3]小学校しょうがっこう訓導くんどうけん校長こうちょうさか水産すいさん補習ほしゅうがく校長こうちょうぐんおよけん視学しがく高田たかだぐんちょう広島ひろしまけん商工しょうこう水産すいさん農務のうむかく課長かちょう広島ひろしま助役じょやく広島ひろしまけん教育きょういく委員いいんちょうとなる[3]。またけん信用しんよう購買こうばい販売はんばい利用りよう組合くみあい連合れんごう会長かいちょう全国ぜんこく購買こうばい販売はんばい連合れんごうかい理事りじ広島ひろしま信用金庫しんようきんこ理事りじちょう相談役そうだんやくけん統計とうけい協会きょうかい会長かいちょうつとめる[2]

1942ねんだい21かい衆議院しゅうぎいん議員ぎいんそう選挙せんきょでは広島ひろしま1(当時とうじ)から翼賛よくさん政治せいじ体制たいせい協議きょうぎかい推薦すいせんけて当選とうせんする[4]戦後せんご日本にっぽん進歩しんぽとうはいったが[5]推薦すいせん議員ぎいんのため公職こうしょく追放ついほうとなった[6]1951ねん追放ついほう解除かいじょ[7]。1974ねん死去しきょ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 衆議院しゅうぎいんだい八十四回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院しゅうぎいん公報こうほう附録ふろく〉、1944ねん、24ぺーじ
  2. ^ a b 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』153ぺーじ
  3. ^ a b c 議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん』152ぺーじ
  4. ^ 衆議院しゅうぎいん名鑑めいかん だい1かい・1890ねんだい34かい・1976ねんそう選挙せんきょ』130ぺーじ
  5. ^ 議会ぎかい制度せいどひゃくねん 院内いんない会派かいはへん衆議院しゅうぎいん』506ぺーじ
  6. ^ 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん一般いっぱん該当がいとうしゃ名簿めいぼ480ぺーじ
  7. ^ 朝日新聞あさひしんぶん』1951ねん6がつ19にち朝刊ちょうかん1めん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん
  • 日本にっぽん国政こくせい調査ちょうさかいへん衆議院しゅうぎいん名鑑めいかん だい1かい・1890ねんだい34かい・1976ねんそう選挙せんきょ国政こくせい出版しゅっぱんしつ、1977ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん名鑑めいかん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいん議会ぎかい制度せいどひゃくねん - 院内いんない会派かいはへん衆議院しゅうぎいん大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1990ねん