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婦女ふじょかい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
婦女ふじょかい
The fujokai
婦女ふじょかい創刊そうかんごう(1910ねん3がつだい1かんだい1ごう
ジャンル 月刊げっかん婦人ふじん雑誌ざっし
刊行かんこう頻度ひんど 月刊げっかん
発売はつばいこく 日本の旗 日本にっぽん
言語げんご 日本の旗 日本語にほんご
定価ていか 15ぜに (1910ねん
17ぜに (1917ねん
出版しゅっぱんしゃ 同文どうぶんかん (1910ねん - 1912ねん
婦女ふじょかいしゃ (1913ねん - 1949ねん
婦女ふじょかいしんしゃ (1950ねん
婦女ふじょかい出版しゅっぱんしゃ (1952ねん
発行はっこうじん かわりゅう (1913ねん - 1950ねん
編集へんしゅうちょう 北町きたまち一郎いちろう
刊行かんこう期間きかん 1910ねん3がつだい1かんだい1ごう) - 1950ねん
1952ねんさい復刊ふっかん
発行はっこう部数ぶすう 5まん(1910ねん3がつ
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婦女ふじょかい』(ふじょかい)は、かつて存在そんざいした日本にっぽん雑誌ざっしである[1][2][3][4][5]1910ねん明治めいじ43ねん)3がつ同文どうぶんかん創刊そうかん、1913ねん大正たいしょう2ねん)1がつからは婦女ふじょかいしゃ編集へんしゅう発行はっこうした[1][2][3][4][5]。1948ねん昭和しょうわ23ねん)1がつ復刊ふっかん、1952ねん昭和しょうわ27ねん)にもさい復刊ふっかんしている[1][3]。1917ねん大正たいしょう6ねん創刊そうかんの『主婦しゅふとも』に先行せんこうする婦人ふじん雑誌ざっしであったが、「戦前せんぜんよんだい婦人ふじん雑誌ざっし」にはげられなかった[6]

沿革えんかく

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  • 1910ねん明治めいじ43ねん) - 3月、同文どうぶんかん創刊そうかん
  • 1913ねん大正たいしょう2ねん) - 1がつ婦女ふじょかいしゃから編集へんしゅう発行はっこう
  • 1943ねん昭和しょうわ18ねん) - 3月、同月どうげつ発行はっこうぶん最後さいご発行はっこう停止ていしする
  • 1948ねん昭和しょうわ23ねん) - 1がつ復刊ふっかん
  • 1950ねん昭和しょうわ25ねん) - 休刊きゅうかん
  • 1952ねん昭和しょうわ27ねん) - 婦女ふじょかい出版しゅっぱんしゃからさい復刊ふっかん同年どうねん11がつ休刊きゅうかん[3]

略歴りゃくれき概要がいよう

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婦女ふじょかい 境遇きょうぐう物語ものがたりごう』(婦女ふじょかいしゃ、1921ねん10がつごう)。
婦女ふじょかい 復刊ふっかん周年しゅうねん記念きねん新年しんねん特大とくだいごう』(婦女ふじょかいしんしゃ、1950ねん1がつごう)。

1910ねん明治めいじ43ねん)3がつ1にち東京とうきょう神田かんだ現在げんざい東京とうきょう千代田ちよだ神田かんだ)の同文どうぶんかん現在げんざい同文どうぶんだて出版しゅっぱん)が創刊そうかんする[1][2][3][4]。「婦女ふじょ諸姉しょしたいしてもっと健全けんぜん多趣味たしゅみなる読物よみもの提供ていきょうせん」との意図いと創刊そうかんされた良妻賢母りょうさいけんぼ主義しゅぎ婦人ふじん雑誌ざっしとされ、創刊そうかんごう定価ていかは15ぜに当時とうじ)、発行はっこう部数ぶすうは5まん、これは先行せんこうする『婦人ふじん世界せかい』(実業之日本社じつぎょうのにほんしゃ、1909ねん創刊そうかん)の40まんにはりなかった[3][4][7]版元はんもと同文どうぶんかんは、教育きょういく書籍しょせきられる企業きぎょうであり、内容ないよう文芸ぶんげいしょくんでいた[3]。この時期じき寄稿きこうしゃは、坪内つぼうち逍遥しょうよう上田うえだ万年かずとしら、『婦人ふじんとも』(婦人之友社ふじんのともしゃ、1908ねん創刊そうかん)の羽仁はに吉一よしかず羽仁はにもと夫妻ふさい同誌どうし編集へんしゅう協力きょうりょくしている[2]

1912ねん大正たいしょう元年がんねん)、婦人之友社ふじんのともしゃ出身しゅっしんかわりゅう同文どうぶんかんから同誌どうし発行はっこうけんゆずけ、婦女ふじょかいしゃ設立せつりつ、1913ねん大正たいしょう2ねん)1がつ発行はっこうぶんだい7かんだい1ごう)からは同社どうしゃからの編集へんしゅう発行はっこう変更へんこうする[1][2][8]かわ連載れんさい小説しょうせつちかられ、小栗おぐり風葉ふうよう小山内おさないかおる菊池きくちひろし谷崎たにざき潤一郎じゅんいちろうらの小説しょうせつ掲載けいさいした[2]。1916ねん大正たいしょう5ねん)1がつに『婦人ふじん公論こうろん』、1917ねん大正たいしょう6ねん)2がつ婦女ふじょかいしゃ出身しゅっしん石川いしかわ武美たけみによる『主婦しゅふとも』、1920ねん大正たいしょう9ねん)10がつに『婦人ふじん倶楽部くらぶ』がって創刊そうかんされ、これらに1905ねん明治めいじ38ねん創刊そうかんの『婦人ふじんほう』をくわえて、「戦前せんぜんよんだい婦人ふじん雑誌ざっし」とばれるようになり、これに『婦女ふじょかい』がげられていないのは、これら後続こうぞくされて精彩せいさいいていったことが原因げんいんであった[2][6][8]。ほかにも、郡司ぐんじ次郎正じろうまさ処女しょじょけい』(1932ねんとう連載れんさいされた。

だい世界せかい大戦たいせんなかの1943ねん昭和しょうわ18ねん)3がつ、3がつごうだい67かんだい3ごう)をもって休刊きゅうかん余儀よぎなくされる[1]どう大戦たいせん終結しゅうけつの1948ねん昭和しょうわ23ねん)1がつ婦女ふじょかいしゃは、創刊そうかんから戦時せんじちゅうまでの半年はんとしに1かん巻数かんすうを1ねんに1かんかぞえなおし、同月どうげつ発行はっこうの1がつごうを「だい36かんだい1ごう」として「復刊ふっかん」と銘打めいうって、あらためて編集へんしゅう発行はっこう再開さいかいする[1]。1950ねん昭和しょうわ25ねん)7がつ26にちおこなわれただい8かい国会こっかい大蔵おおくら委員いいんかいでの宮腰みやこし喜助きすけ議員ぎいん指摘してきによれば、当時とうじ財団ざいだん法人ほうじん交通こうつう公社こうしゃ現在げんざい公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん日本交通公社にほんこうつうこうしゃ)は、前年ぜんねんに、婦女ふじょかいしゃたいして4,000まんえんにのぼる融資ゆうしをしていたとのことであり[9]、このころには、同社どうしゃは「婦女ふじょかいしんしゃ」と改称かいしょうだい38かんかぞえる同年どうねんには、再度さいど休刊きゅうかんしている[1][5]。このころは、映画えいがされた小糸こいとのぶあい山河さんが』(1950ねんとう連載れんさいされた。

1952ねん昭和しょうわ27ねん)、主婦しゅふ友社ともしゃおよび婦女ふじょかいしゃ出身しゅっしん西村にしむら邦子くにこによる婦女ふじょかい出版しゅっぱんしゃ現在げんざいオクターブ[10]が「復刊ふっかんだい1かんだい1ごう」として、それまでを通巻つうかんせずに編集へんしゅう発行はっこう再開さいかいする[1]同年どうねん11がつ発行はっこうした11月ごうをもって休刊きゅうかんしている[1][3]

おもな連載れんさい小説しょうせつ

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単発たんぱつ掲載けいさいふくむ。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e f g h i j 婦女ふじょかい国立こくりつ情報じょうほうがく研究所けんきゅうじょ、2012ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g 婦女ふじょかい世界せかいだい百科ひゃっか事典じてん だい2はんコトバンク、2012ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  3. ^ a b c d e f g h 明治めいじ後期こうきいろど女性じょせい雑誌ざっし広告こうこく吉田よしだ秀雄ひでお記念きねん事業じぎょう財団ざいだん、2012ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  4. ^ a b c d 明治めいじへん 収録しゅうろく雑誌ざっし一覧いちらん大宅おおたく壮一そういち文庫ぶんこ、2012ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c 婦人ふじん雑誌ざっし現代げんだい美術びじゅつ用語ようご辞典じてん、2012ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  6. ^ a b 戦前せんぜんよんだい婦人ふじん雑誌ざっし目次もくじ集成しゅうせい ぜん36かんゆまに書房しょぼう、2012ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  7. ^ モダン・ガールはなにんでいたのか 5石倉いしくら一雄かずおフードウォッチジャパン、2012ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  8. ^ a b 松本まつもと、p.10.
  9. ^ だい8かい国会こっかい大蔵おおくら委員いいんかい だい9ごう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん、2012ねん7がつ2にち閲覧えつらん
  10. ^ 株式会社かぶしきがいしゃオクターブ 2009ねん12月21にちバリュープレス、2012ねん7がつ2にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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