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はじめ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
はじめ
孟獲像。演義での想像による。
はじめぞう演義えんぎでの想像そうぞうによる。
しょくかん
ちゅうすすむ
出生しゅっしょう 生年せいねんしょう
えきしゅうたてやすしぐん
死去しきょ 没年ぼつねんしょう
拼音 Mèng Huò
主君しゅくん りゅうぜん
テンプレートを表示ひょうじ

はじめ (もう かく、なま没年ぼつねんしょう)は、中国ちゅうごくさんこく時代じだい武将ぶしょう南中なんちゅう豪族ごうぞく。『三国志さんごくし演義えんぎ』では南蛮なんばんおうとしてられるが、史実しじつでは漢人かんどである。しょくかんみなみせいけ、帰順きじゅんした。

生涯しょうがい[編集へんしゅう]

この人物じんぶつは『三国志さんごくし本文ほんぶんには記載きさいがなく、『華陽かようこくこころざし』や『三国志さんごくし』裴注にもろしょ散見さんけんされる。

たてやすしぐん現在げんざい雲南うんなんしょうあきらとおりきょくやすし付近ふきん)のひと雍闓しょくかんたいして反乱はんらんこしたさいに、はじめ反乱はんらん加担かたんし、雍闓のいのちけて南中なんちゅう現在げんざい雲南うんなんしょう周辺しゅうへん、または南方なんぽうミャンマー北部ほくぶ)のものたちにしょくかんたいして反乱はんらんこすように説得せっとくしてまわった[1]

けんきょう3ねん225ねん)、しょかずらあきらみなみただししてると雍闓はこうじょう内輪揉うちわもめをこして、その配下はいか殺害さつがいされ、わってはじめが雍闓の後釜あとがまとなった。はじめしょかずらあきらまえなんにもわたつかまるが、そのたびはなされた。しょかずらあきらかり武力ぶりょくでこの征服せいふくしても、しょくかんぐん撤退てったいすれば、いずれ反乱はんらん再発さいはつすること予見よけんしていたので、現地げんち人々ひとびと心服しんぷくさせるために、このような処置しょちったといわれている。はじめ最初さいしょつかまったさいには、しょかずらあきらぐん陣容じんようせられてても、どのようなぐんらなかったからやぶれたのであり、これをったいまならつのは容易たやすいと豪語ごうごするとしょかずらあきらわらってかれ解放かいほうした。たたかやぶれることなな度目どめはなされたとき、ついにはじめてんであると心服しんぷくなんじんはもう叛かないでしょうとしょくかんへの帰順きじゅんちかったという(ななたてななとりこ[1]

やがて同年どうねんあき9がつに、しょかずらあきら滇池(てんち)に到達とうたつし、このころ南中なんちゅうよんぐん平定へいていされた。現地げんち住民じゅうみん老若男女ろうにゃくなんにょわずに、土豪どごうこげ・雍・婁・爨・はじめりょうもう支配しはいかれた。そこでしょかずらあきらはそのなかから勇敢ゆうかん若者わかもの抜擢ばってきした。たてやすしぐん爨習(さんしゅう)・しゅつつみぐんはじめ(もうたん)らが、はじめ推挙すいきょによって官吏かんりとしてされたという。のちはじめ功績こうせきててちゅうすすむまで昇進しょうしんした。さらに、・爨習とともたてやすしぐん名士めいしとしてとなえられている[1]

また、裴松が『かんすすむ春秋しゅんじゅう』『じょう』などの書物しょもつから引用いんようした部分ぶぶんはじめしるされてあり、『かんすすむ春秋しゅんじゅう』『華陽かようこくこころざし』にはななたてななとりこ逸話いつわなどがある。

物語ものがたりへの登場とうじょう[編集へんしゅう]

三国志さんごくし演義えんぎ[編集へんしゅう]

三国志さんごくし演義えんぎでのはじめ

小説しょうせつ三国志さんごくし演義えんぎ』では南蛮なんばんおうとして登場とうじょうする。初出しょしゅつは、しょくのちおもりゅうぜん即位そくいたかし司馬しば進言しんげんで、曹丕いつつのみち使つかしょくめるという作戦さくせんてるときである。南蛮なんばんから10まん軍勢ぐんぜいしょくめるが、しょかずらあきらのべたいなずらえへいけい左側ひだりがわからてきめるとぎゃく右側みぎがわめ、右側みぎがわからてきめると左側ひだりがわめるという作戦さくせん)を実行じっこうさせたため、南蛮なんばんぐん攪乱かくらんし、退散たいさんすることになる[2]

そしてなんしょかずらあきらたたかい、朶思大王だいおう鹿しか大王だいおう兀突こつらとんで、自然しぜん味方みかたにつけた原住民げんじゅうみん協力きょうりょく善戦ぜんせんもするが、毎回まいかい最後さいごやぶれ、ななたてななとりこにより心服しんぷくしてしょくしたがっている[2]

現地げんち少数しょうすう民族みんぞく伝承でんしょうでは、くびがとれたままでもうごける不死ふしじゅつなどをもちいて、はじめしょかずらあきらなならえたとなっている[2]

その[編集へんしゅう]

りゅうおおとりはば
京劇きょうげきりゅうおおとりはば』のヒロインであるはなかずら架空かくう人物じんぶつ)ははじめむすめで、しょく南蛮なんばん平定へいていさい捕虜ほりょになったせきさくせきはね息子むすこ)とこいち、側室そくしつとなる設定せってい[よう出典しゅってん]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 華陽かようこくこころざし南中なんちゅうこころざし」、しょくこころざししょかずらあきらでん」、三国志さんごくし事典じてんなど
  2. ^ a b c 三国志さんごくし演義えんぎ事典じてん. 株式会社かぶしきがいしゃ大修館書店たいしゅうかんしょてん