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宇都宮うつのみや軍縮ぐんしゅく研究けんきゅうしつ

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宇都宮うつのみや軍縮ぐんしゅく研究けんきゅうしつ(うつのみやぐんしゅくけんきゅうしつ)は、宇都宮うつのみや徳馬とくま1980ねん5月創設そうせつした、軍縮ぐんしゅくについて研究けんきゅうする研究けんきゅうしつシンクタンク)。

概要がいよう[編集へんしゅう]

有事ゆうじ立法りっぽう制定せいていろんとなえて統幕とうばく議長ぎちょう解任かいにんされた栗栖くりすひろししんが1980ねん6がつ参院さんいんせん民社党みんしゃとう公認こうにん出馬しゅつばすることを危惧きぐした河野こうの洋平ようへい英夫ひでおハト議員ぎいんたちが、軍拡ぐんかく論者ろんしゃタカ栗栖くりす対抗たいこうするために、いち引退いんたい決意けついした宇都宮うつのみや説得せっとく、ハト代表だいひょうとして出馬しゅつば決意けついさせた。宇都宮うつのみや栗栖くりすおな東京とうきょう地方区ちほうくから無所属むしょぞく出馬しゅつば、タカたいハト都民とみん意志いし当選とうせん栗栖くりす落選らくせん)。その選挙せんきょ公約こうやくである軍縮ぐんしゅく推進すいしんのため国会こっかいうちには超党派ちょうとうは国際こくさい軍縮ぐんしゅく促進そくしん議員ぎいん連盟れんめい設立せつりつし370めいえる議員ぎいん参加さんかした。同時どうじ外部がいぶには研究けんきゅう機関きかんとして宇都宮うつのみや軍縮ぐんしゅく研究けんきゅうしつ創設そうせつされた。

同年どうねん10がつには軍縮ぐんしゅく学生がくせい連盟れんめい創設そうせつされ、平和へいわもとめる学生がくせい高校生こうこうせい中学生ちゅうがくせい多数たすう党派とうはえてあつまった。いまでも当時とうじ学生がくせいたちはマスメディアなど各界かくかい活躍かつやくしている。

活動かつどう[編集へんしゅう]

1980ねん9月からは『軍縮ぐんしゅく問題もんだい資料しりょう』を発行はっこう議員ぎいん文化ぶんかじんなどに精力せいりょくてき無料むりょう配布はいふし、1981ねん7がつごうから全国ぜんこく書店しょてん配布はいふした。

原爆げんばくむごたらしさを世界せかいらせるために10フィート制作せいさくの「原爆げんばく写真しゃしんちょう」を英訳えいやくアメリカをはじめとして各国かっこくに「軍縮ぐんしゅく行脚あんぎゃ」をおこなった。さらに、「ヒロシマ・ナガサキの経験けいけん二度にど人類じんるいにさせてはいけない」とかく悲惨ひさんさをうったえ、日本にっぽんでははじめて新聞しんぶん紙上しじょう全面ぜんめん意見いけん広告こうこくを10すうかいにわたり掲載けいさいし、くさ平和へいわ運動うんどう啓蒙けいもう啓発けいはつ活動かつどうちからそそいだ。

軍縮ぐんしゅく問題もんだい資料しりょう』の最高さいこう発行はっこう部数ぶすうは3まんかぞえる。内容ないよう世界せかいにわたって豊富ほうふなことから、エール大学だいがくボン大学だいがくマサチュまさちゅセッツ工科大学せっつこうかだいがくなど世界せかい有名ゆうめい大学だいがく図書館としょかんにも購読こうどくされていた。

2000ねん7がつ宇都宮うつのみや徳馬とくま死去しきょも、『軍縮ぐんしゅく問題もんだい資料しりょう』はミノファーゲン製薬せいやく後継こうけいしゃ宇都宮うつのみや恭三きょうぞうによって刊行かんこう継続けいぞくされた。巻頭かんとうげん名古屋大学なごやだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ豊田とよだ利幸としゆき執筆しっぴつするなどしたが、広告こうこく掲載けいさい中止ちゅうししたことなどにより、研究けんきゅうしつ財政ざいせいきびしくなっていった。

軍縮ぐんしゅく問題もんだい資料しりょう』は2005ねん4がつごうをもって一旦いったん休刊きゅうかんし、ミノファーゲン製薬せいやく寄付きふした明治大学めいじだいがく軍縮ぐんしゅく平和へいわ研究所けんきゅうじょ設立せつりつするかたちで、研究けんきゅうしつ事業じぎょう継承けいしょうすること(『軍縮ぐんしゅく問題もんだい資料しりょう』の継続けいぞく宇都宮うつのみや徳馬とくま文庫ぶんこ設立せつりつなど)が表明ひょうめいされた[1]どう研究所けんきゅうじょ2005ねん4がつから活動かつどう開始かいしし、季刊きかんとして『軍縮ぐんしゅく地球ちきゅう市民しみん』(西田にしだ書店しょてん)が刊行かんこうされたが、だい11ごう2008ねんふゆごう)をもって休刊きゅうかんしている。

一方いっぽうで、「学術がくじゅつ研究けんきゅうではなく、市民しみん運動うんどう基盤きばんとした雑誌ざっし存続そんぞくを」という読者どくしゃこえけ、國弘くにひろ正雄まさおらを中心ちゅうしん市民しみん団体だんたい軍縮ぐんしゅく市民しみんかい軍縮ぐんしゅく研究けんきゅうしつ」が結成けっせいされ、『軍縮ぐんしゅく問題もんだい資料しりょう』は2005ねん7がつごうからどうかいによって刊行かんこうされることとなった[2]。しかし、2007ねん8がつごう秋山あきやま昌廣まさひろもと防衛庁ぼうえいちょう事務次官じむじかん原稿げんこう掲載けいさいしたことをめぐって「市民しみんかい」からの離脱りだつしゃ発生はっせいするなどした結果けっか2010ねん12月ごうをもって休刊きゅうかんしている。

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 休刊きゅうかんの「軍縮ぐんしゅく問題もんだい資料しりょう継承けいしょうめざし、明大めいだいしん季刊きかん”. 朝日新聞社あさひしんぶんしゃ (2004ねん12月1にち). 2018ねん7がつ7にち閲覧えつらん
  2. ^ 休刊きゅうかん軍縮ぐんしゅく月刊げっかん復刊ふっかんへ/継続けいぞくもとめる市民しみんかい結成けっせい”. 四国新聞社しこくしんぶんしゃ (2005ねん5がつ17にち). 2018ねん7がつ7にち閲覧えつらん