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安田やすだはじめ

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安田やすだ はじめ(やすだ はじめ、1907ねん明治めいじ40ねん4がつ14にち - 1991ねん平成へいせい3ねん3月26にち)は、安田やすだ財閥ざいばつさん代目だいめ当主とうしゅ

人物じんぶつ来歴らいれき[編集へんしゅう]

安田やすだ善次郎ぜんじろう長男ちょうなん[1][2]旧制きゅうせい学習がくしゅういん高等こうとう卒業そつぎょう1932ねん昭和しょうわ7ねん)、東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく文学部ぶんがくぶささえ文学ぶんがく卒業そつぎょう代目だいめ安田やすだ善次郎ぜんじろう急逝きゅうせいのあとをうけて、1936ねん昭和しょうわ11ねん)、29さい安田やすだたもつぜんしゃ総長そうちょう就任しゅうにん後見こうけんやくには叔父おじ安田やすだよし五郎ごろういた。以後いご安田やすだ銀行ぎんこう会長かいちょう安田やすだ生命せいめい会長かいちょうなど、安田やすだグループの要職ようしょく歴任れきにん1945ねん昭和しょうわ20ねん財閥ざいばつ解体かいたいにともない、翌年よくねん公職こうしょく追放ついほうとなるが、日本にっぽん貯蓄ちょちく銀行ぎんこう協和きょうわ銀行ぎんこう会長かいちょうて、1953ねん昭和しょうわ28ねん安田やすだ生命せいめい会長かいちょう安田火災やすだかさい海上かいじょう相談役そうだんやく復帰ふっき経団連けいだんれん顧問こもん日本にっぽんデンマーク協会きょうかい会長かいちょうとうつとめた。

栄典えいてん[編集へんしゅう]

家族かぞく[編集へんしゅう]

ちち代目だいめ安田やすだ善次郎ぜんじろう[2]ははひゃくごう百合子ゆりこもと横浜よこはま正金しょうきん銀行ぎんこう頭取とうどり大久おおひさ保利ほりけん大久保おおくぼ利通としみち八男はちお)とつま和喜子わきこ高橋たかはし是清これきよむすめ)とのむすめロッキード事件じけん一躍いちやくめいれたもと丸紅まるべに常務じょうむ大久保おおくぼ利春としはる義弟ぎていになる。

また安田やすだいち長男ちょうなんであるひろしつま恭子きょうこは、慶應義塾大学けいおうぎじゅくだいがく名誉めいよ教授きょうじゅ池田いけだきよし長女ちょうじょ三井みついだい番頭ばんがしら池田いけだ成彬せいひん孫娘まごむすめ。そして安田やすだいちすえむすめ美和子みわこは、スイスの銀行ぎんこうピーター・フグラーにとついでいる。チェリストの安田やすだ謙一郎けんいちろうおいにあたる。

代目だいめ安田やすだ善次郎ぜんじろういもうとてる(暉子てるこ)は安田やすだいち叔母おばになるので、てるのまごオノ・ヨーコしたがえめい(じゅうてつ)にあたる。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 安田やすだ善之助ぜんのすけ (男性だんせい)」渋沢しぶさわしゃデータベース
  2. ^ a b 酒井さかい忠良ただよし (男性だんせい)」渋沢しぶさわしゃデータベース

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]


先代せんだい
安田やすだ善次郎ぜんじろう
安田やすだたもつぜんしゃ総長そうちょう
1936ねん - 1946ねん
次代じだい
財閥ざいばつ解体かいたい
先代せんだい
安田やすだ善次郎ぜんじろう
安田やすだ銀行ぎんこう頭取とうどり(のちの社長しゃちょう
1936ねん - 1942ねん
次代じだい
園部そのべせん
先代せんだい
もりこうぞう
ぜん商工しょうこう教育きょういく財団ざいだん理事りじちょう
1944ねん - 1951ねん
次代じだい
齋藤さいとう利忠としただ
先代せんだい
齋藤さいとう利忠としただ
安田やすだ商工しょうこう教育きょういくかい理事りじちょう
1951ねん - 1991ねん
次代じだい
安田やすだひろし
先代せんだい
竹村たけむら吉右衛門きちえもん
安田生命保険やすだせいめいほけん会長かいちょう
1953ねん - 1991ねん
次代じだい
岡本おかもと則一のりかず